いつも宿の手配を済ませてから、立ち寄る観光スポットを調べ始める我が家。
今回、愛媛県へ行くと決めてから、まず最初に思い立ったのがこの『マイントピア別子の「東平ゾーン」』でした。
以前、知り合いから「愛媛県で”東洋のマチュピチュ”と呼ばれているところへ行ってきた」という話を聞いていたことを思い出したんです。
(↓駐車場の様子)
具体的な場所は聞いていなかったし、なにしろ”愛媛、マチュピチュ”というキーワードしか覚えていなかったので、場所を探り当てられるか自信はなかったんだけど、ネットでこの2つのキーワードをもとに検索すると、一発で出てきました
くねくね細い山道を登っていったところにあるんですが、なにしろ細い道になるので対向できる場所が限られていて。そんなに車は多くなかったので、私は往路のみ運転したけれど、対向車がやってきた際に、一度少しバックしただけで済んだので助かりました。
標高750mの山中にある東平は、大正5年から昭和5年までの間、別子鉱山の採鉱本部が置かれ、社宅・小学校・劇場・接待館が建てられるなど、昭和43年に休止するまで町として大変な賑わいをみせていたそうで。
駐車場から変電所跡までは渓谷遊歩道を歩いていくわけですが、本格的な登山道とつながっており、大きなリュックをかついだ男性2人の後ろをしばらく歩いてました。(すぐに離されて、姿は見えなくなりましたが)
時間は11時過ぎ。気温はぐんぐんと上がって、太陽がジリジリと照り付けています。日向はとても暑くてりりぃを歩かせられない状況だったけど、かろうじて木蔭は気持ちよく歩けました。
これが変電所跡です。
赤レンガ造りの旧第三変電所の建屋が残されていますが、建屋の中は、変電所であった面影はほとんどありません。
あちこちに”マムシ注意”の看板がたてられていて、私はこれが気になって仕方ありませんでした
この第三通洞は、主要運搬坑道で明治38年(1905)には電車が導入され、昭和13年(1938)からは東平と日浦を結ぶ「かご電車」(1両当たり最大8人乗り)が運転を開始し、一般利用にも提供されていたそうです。
近寄って柵の中を覗き込んでみると。
中からまるでエアコンのような冷気がさーっと吹き抜けてきます。洞くつの中は年中気温が保たれているため、夏は涼しく冬はあったかいっていいますけど、まさにそんな感じ。
鉱石を、一時的に貯蔵した貯鉱庫跡。
こんなこと言ったら怒られるかもしれないけど、沖縄で見たお城に雰囲気が似ているなぁって思いました。
”東洋のマチュピチュ”って、誰が名づけたんでしょうか。
感想は人それぞれだと思いますが、私は・・・・・・。
”愛媛のマチュピチュ”だったら納得かなぁ
でも、雰囲気は出てましたね。一度行ってみる価値はあるんじゃないかと思いました。
東平へと運ばれてきた物資は、インクライン(傾斜面を走る軌道)を通じて荷揚げされていました。
現在、インクラインは220段の長大階段に生まれ代わっています。
こんな感じで別子銅山跡地の観光はおしまい。
時間は12時15分ごろ。あさからうどん1杯食べただけだったので、そろそろおなかもすいてきました。
車で約1時間ほどで向かったお店『うしろのしょうめんだーれ』
おもしろいネーミングのお店ですよね。
りりぃを連れているためテラス席で食事したい旨を伝えると、長らくテラスで食事するお客はいなかったんでしょうね、急いでセッティングしてくださいました。
オムライスとハンバーグのランチ、ボリュームもあったしおいしかったですよ。
更に、HPにあったクーポンを見せるとスイーツもサービスしてくださいました。 やった~
今回、愛媛県へ行くと決めてから、まず最初に思い立ったのがこの『マイントピア別子の「東平ゾーン」』でした。
以前、知り合いから「愛媛県で”東洋のマチュピチュ”と呼ばれているところへ行ってきた」という話を聞いていたことを思い出したんです。
(↓駐車場の様子)
具体的な場所は聞いていなかったし、なにしろ”愛媛、マチュピチュ”というキーワードしか覚えていなかったので、場所を探り当てられるか自信はなかったんだけど、ネットでこの2つのキーワードをもとに検索すると、一発で出てきました
くねくね細い山道を登っていったところにあるんですが、なにしろ細い道になるので対向できる場所が限られていて。そんなに車は多くなかったので、私は往路のみ運転したけれど、対向車がやってきた際に、一度少しバックしただけで済んだので助かりました。
標高750mの山中にある東平は、大正5年から昭和5年までの間、別子鉱山の採鉱本部が置かれ、社宅・小学校・劇場・接待館が建てられるなど、昭和43年に休止するまで町として大変な賑わいをみせていたそうで。
駐車場から変電所跡までは渓谷遊歩道を歩いていくわけですが、本格的な登山道とつながっており、大きなリュックをかついだ男性2人の後ろをしばらく歩いてました。(すぐに離されて、姿は見えなくなりましたが)
時間は11時過ぎ。気温はぐんぐんと上がって、太陽がジリジリと照り付けています。日向はとても暑くてりりぃを歩かせられない状況だったけど、かろうじて木蔭は気持ちよく歩けました。
これが変電所跡です。
赤レンガ造りの旧第三変電所の建屋が残されていますが、建屋の中は、変電所であった面影はほとんどありません。
あちこちに”マムシ注意”の看板がたてられていて、私はこれが気になって仕方ありませんでした
この第三通洞は、主要運搬坑道で明治38年(1905)には電車が導入され、昭和13年(1938)からは東平と日浦を結ぶ「かご電車」(1両当たり最大8人乗り)が運転を開始し、一般利用にも提供されていたそうです。
近寄って柵の中を覗き込んでみると。
中からまるでエアコンのような冷気がさーっと吹き抜けてきます。洞くつの中は年中気温が保たれているため、夏は涼しく冬はあったかいっていいますけど、まさにそんな感じ。
鉱石を、一時的に貯蔵した貯鉱庫跡。
こんなこと言ったら怒られるかもしれないけど、沖縄で見たお城に雰囲気が似ているなぁって思いました。
”東洋のマチュピチュ”って、誰が名づけたんでしょうか。
感想は人それぞれだと思いますが、私は・・・・・・。
”愛媛のマチュピチュ”だったら納得かなぁ
でも、雰囲気は出てましたね。一度行ってみる価値はあるんじゃないかと思いました。
東平へと運ばれてきた物資は、インクライン(傾斜面を走る軌道)を通じて荷揚げされていました。
現在、インクラインは220段の長大階段に生まれ代わっています。
こんな感じで別子銅山跡地の観光はおしまい。
時間は12時15分ごろ。あさからうどん1杯食べただけだったので、そろそろおなかもすいてきました。
車で約1時間ほどで向かったお店『うしろのしょうめんだーれ』
おもしろいネーミングのお店ですよね。
りりぃを連れているためテラス席で食事したい旨を伝えると、長らくテラスで食事するお客はいなかったんでしょうね、急いでセッティングしてくださいました。
オムライスとハンバーグのランチ、ボリュームもあったしおいしかったですよ。
更に、HPにあったクーポンを見せるとスイーツもサービスしてくださいました。 やった~
うしろのしょうめんだーれ (洋食 / 伊予小松)
昼総合点★★★☆☆ 3.1
愛媛のマチュピチ~行ってみたくなりました(^_-)-☆
続きも楽しみにしています!!
愛媛のマチュピチュ(・・・って勝手に呼んじゃってますが)、ちょっと寂れてる感じがあったけれど、話のネタに行って良かったです。
すがえりさんのお出かけブログも、いつも参考にさせてもらってます。北海道行かれるんですよね!旅行記、私もすごく楽しみにしています。