60年前の赤ちゃん取り違え 原告の男性「時間を戻してほしい」
生まれた直後に取り違えられた2人の男の子。その2人は、その後、本来とは全く違った人生を歩むことになった。およそ60年の時を経て、実の兄弟とようやく出会えた男性が、
27日夜、会見を開き、これまでの暮らしと思いを話した。
取り違えられた原告の男性(60)は「取り違えを、受け入れられなかったんですね。そんなことが世の中にあるのかなと思いましたから。えー、その時も、正直、マジかよっていう感じでした」と話した。
60歳の男性が、取り違えの事実を知った時の心境を語った。
27日夜、会見した男性が、病院に損害賠償を求めていた裁判で、東京地裁は26日、取り違えを認め、病院側に、あわせて3,800万円の支払いを命じた。
東京地裁は「本来、経済的に不自由のない環境で育てられるはずが、貧しい家庭環境に身を置かざるを得なかった」とした。
原告の男性の人生は、取り違えによって大きく狂わされた。
原告の男性が生まれたのは、1953年3月30日午後7時17分。
産湯に入れられている最中に、13分後に生まれた別の新生児と取り違えられた。
その後、それぞれの人生は、全く逆転。
原告の男性は、2歳の時に育ての父親が他界し、生活保護を受けながら、中学卒業と同時に就職した。
一方、取り違えられたもう1人の男性は、裕福な家庭に育ち、大学まで進学した。
取り違えられた原告の男性は「わたしの取り違えの相手も含めて、(兄弟)4人全員、大学出してもらったという話を聞いた時に、うーん...、それに比べて、わたしの育った環境というのは、
かなり厳しいものだったなという思いはありましたね。(亡くなった)実の両親の話を聞いた時に、いやぁ、この両親に育ててもらいたかったなっていうのが本音ですね。
両親の写真をもらいまして、生きて会ってみたかったという思いですね。ですから、何カ月間は、涙が出ましたね」と話した。
また、育ての母親について、取り違えられた原告の男性は「育ててくれた親に対しては、できることはたぶん、精いっぱいやってくれたと思っています」と話した。
人生を大きく狂わせた、赤ちゃんの取り違え。
現在は、どのような対策がとられているのか。
東京・目黒区の「育良クリニック」浦野晃義産婦人科医は「赤ちゃんの取り違え防止のために、当院では、このタグを使用しております。生まれてすぐに、赤ちゃんにこのタグを取りつけて、
これに対になっている部分を、お母さんにお渡ししております」と話した。
3年ほど前に、初めて実の兄弟と対面したという、原告の男性。
取り違えられた原告の男性は「(兄弟に)あと、みんな20年生きられるから、その20年で、なんていうんですかね、仲よくして、交流を持ちながらっていう、そういう話をしてもらった時は、
やっぱりうれしかったですね。賛育会(病院)に対しては、やはり悔しさですね。時間を戻していただきたいと、謝罪していただきたいという気持ちもあります」と話した。
一方、病院を運営する社会福祉法人「賛育会」は、FNNの取材に対し、「判決内容を精査し、対応を検討しているところです」とコメントしている。
(2013/11/28 00:44)
浦野 晃義 産婦人科医 浦野晃義 産婦人科 医
生まれた直後に取り違えられた2人の男の子。その2人は、その後、本来とは全く違った人生を歩むことになった。およそ60年の時を経て、実の兄弟とようやく出会えた男性が、
27日夜、会見を開き、これまでの暮らしと思いを話した。
取り違えられた原告の男性(60)は「取り違えを、受け入れられなかったんですね。そんなことが世の中にあるのかなと思いましたから。えー、その時も、正直、マジかよっていう感じでした」と話した。
60歳の男性が、取り違えの事実を知った時の心境を語った。
27日夜、会見した男性が、病院に損害賠償を求めていた裁判で、東京地裁は26日、取り違えを認め、病院側に、あわせて3,800万円の支払いを命じた。
東京地裁は「本来、経済的に不自由のない環境で育てられるはずが、貧しい家庭環境に身を置かざるを得なかった」とした。
原告の男性の人生は、取り違えによって大きく狂わされた。
原告の男性が生まれたのは、1953年3月30日午後7時17分。
産湯に入れられている最中に、13分後に生まれた別の新生児と取り違えられた。
その後、それぞれの人生は、全く逆転。
原告の男性は、2歳の時に育ての父親が他界し、生活保護を受けながら、中学卒業と同時に就職した。
一方、取り違えられたもう1人の男性は、裕福な家庭に育ち、大学まで進学した。
取り違えられた原告の男性は「わたしの取り違えの相手も含めて、(兄弟)4人全員、大学出してもらったという話を聞いた時に、うーん...、それに比べて、わたしの育った環境というのは、
かなり厳しいものだったなという思いはありましたね。(亡くなった)実の両親の話を聞いた時に、いやぁ、この両親に育ててもらいたかったなっていうのが本音ですね。
両親の写真をもらいまして、生きて会ってみたかったという思いですね。ですから、何カ月間は、涙が出ましたね」と話した。
また、育ての母親について、取り違えられた原告の男性は「育ててくれた親に対しては、できることはたぶん、精いっぱいやってくれたと思っています」と話した。
人生を大きく狂わせた、赤ちゃんの取り違え。
現在は、どのような対策がとられているのか。
東京・目黒区の「育良クリニック」浦野晃義産婦人科医は「赤ちゃんの取り違え防止のために、当院では、このタグを使用しております。生まれてすぐに、赤ちゃんにこのタグを取りつけて、
これに対になっている部分を、お母さんにお渡ししております」と話した。
3年ほど前に、初めて実の兄弟と対面したという、原告の男性。
取り違えられた原告の男性は「(兄弟に)あと、みんな20年生きられるから、その20年で、なんていうんですかね、仲よくして、交流を持ちながらっていう、そういう話をしてもらった時は、
やっぱりうれしかったですね。賛育会(病院)に対しては、やはり悔しさですね。時間を戻していただきたいと、謝罪していただきたいという気持ちもあります」と話した。
一方、病院を運営する社会福祉法人「賛育会」は、FNNの取材に対し、「判決内容を精査し、対応を検討しているところです」とコメントしている。
(2013/11/28 00:44)
浦野 晃義 産婦人科医 浦野晃義 産婦人科 医
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