欧州社会不安の根源:植民地主義が残したムスリムとアラブの移民たち
DemocracyNow!
2005年11月9日
エイミー・グッドマン
フランスでの暴動と、欧州全土ひいてはそれを超えた地域へ拡大するのかを見ていきたいと思います。ゲストは、イラン出身の作家で米国在住の教授ベザド・ヤグマイアン(Behzad Yaghmaian)さん。この度『Embracing the Infidel: Stories of Muslim Migrants on the Journey West(異教徒の容認:西へ向かうイスラム教徒移民の物語)』を出版。ニュージャージーのラマポ大学で教えておられますが、数年間トルコからパリにわたるいくつかの移民コミュニティーで生活した経験がありますね。今起こっていること、暴動がブリュッセルからベルリンに広がっているという報道についてどう理解していますか。
ベザド・ヤグマイアン
フランスでの暴動の核心には、フランスの植民地主義後の移民政策があり、フランスが国民に自由・博愛・平等を実現してこられなかった問題があります。しかし、実際、同様の問題は欧州全土に存在します。欧州ではこの数年間、移民危機が大幅に悪化している。ですから、遅かれ早かれ、同じ種類の反乱や暴動が別の場所でも起こる潜在性、可能性があります。
フランスで今起こっていることは、階級、民族、人種、宗教、文化の問題が混ざり合って暴動になっているということです。もちろん、あの内相発言は暴動に火をつけましたが、それ以前に、深いところで、暴動の継続をもたらした根源的問題があった。それは青年層の疎外で、フランスは植民地時代の非統治者をずっと非統治者として見続けている。つまり、アルジェリアをはじめとするフランス統治下にあったアフリカ諸地域からの移民が、フランス国籍を持っているのに、いまだ非フランス人と見なされているということで、これは、ある意味、彼らが経済的、社会的、政治的に扱われている実態の反映です。
この問題に、フランスではこの数年間、欧州の別の地域ではこの10年間もしくはそれより少ないかもしれませんが、宗教的要素が加わっています。イスラムそしてすべてのイスラム教徒が潜在的テロリストと関連付けられる、という問題です。アラブ系の名前を持ち、イスラム教だと、自動的に潜在的テロリストとなってしまう。この疑いの目と恐怖を扇動しているのは政府当局だけでなく、マスコミ、そして世間全般もこれを焚きつけています。
グッドマン
地域社会の動きはどうなんでしょう。移民地域の年配者が平和行進を組織したり、暴動に反対するファトワ(宗教宣告)を出したりしていますが。
ヤグマイアン
地域社会の年配者は、私の意見では、疲労しています。彼らの時代は終わっている。問題は若者です。17、18、20歳の若者には未来があって、彼らの目には、この植民地主義後の時代に臣民のような条件で暮らすことは不可能だと映っている。だから、彼らは主張をしたい。要するに、今起こっていること、暴動は自分たちの声を聞いて欲しいという叫びです。聞いて欲しいのです。世界に、自分たちが存在すること、自分たちの状況を伝えたい。この15年、意見が聞かれることはありませんでした。暴動を使って主張し、状況の改善を訴えているのです。
彼らはフランス人になりたい。彼らはフランス人で、フランス人として扱われたい。イスラム教徒だからといって差別されたくない。つまり、イスラムと宗教をして差別の口実にされたくないのです。警察にあらを捜され、嫌がらせを受け、世間からは普通と違う疑いの目をむけられることは、多くの点でもの大変な痛みを伴う烙印を押されることです。
グッドマン
フランス以外の地域はどうでしょう。
ヤグマイアン
この種の反乱、暴動が欧州の他の地域に拡大する可能性は高いと思います。例として、この数年間まったく暴動が起きていない国を挙げましょう。スペインです。スペインは、アフリカ移民の不法入国という非常に深刻な問題を抱えています。
10月の頭に、モロッコにある2つのスペイン海外領土(飛地)で暴動があったという報道を覚えていると思います。サハラ以南のたくさんのアフリカ人が、これらスペイン領地の周辺りにある森や丘でキャンプ生活をしていたのですが、彼らが無理やり飛地に入ろうとしました。ここはは、10フィートの鋭い有刺鉄線付きのフェンスで隔離されています。この2つの乱入事件では10人の警察が殺されましたし、スペイン兵とモロッコ兵により2人のアフリカ人が殺されたとも報道されています。対応として、スペイン政府はこの地域に戦艦を配備し、三つ目のフェンスを建設する計画をしています。こんな風に囲いの外に置かれる身になったとき、何が起こるか考えてみるといいと思います。
スペイン国内には、不法滞在しているアフリカ人がたくさんいます。彼らは、まずスペインに入国し、国籍文書を捨てます。こうなると国籍を持たないので、スペインは彼らを国外退去にできない。彼らはそこに留まり、不法滞在をする。仕事には就けない。秘密の状況で生活する。こうなると、彼らの多くが軽犯罪の常習犯と化さざるを得ない。麻薬を売り、スリをします。こうした人たちが暴動を起こす機は熟しているわけで、フランスでの事件をみて、他の移民たちも、こうやれば自分たちの声が聞き入れられると思うかもしれない。国籍が欲しいし、仕事をするための市民権が欲しい。だから、彼らの多くが何年も(飛び地周辺の)地域に暮らして、スペインに入国するために命をかけているのです。彼らのスペインでの状況はもともといた国と大して変わりません。スペインでは、こういう事態です。
同じ状況は、これほど深刻でないかもしれませんが、イタリアにもあります。イタリアには、イタリアで不法に暮らすイスラム教徒とアフリカ人がたくさんいて、仕事を求めて地域を転々としています。しかし、彼らに対する警察の対応は凶暴で、国民は彼らを非常に懐疑的に見ていますから、彼らは自分自身を維持することができません。こうなると、いつ暴動が起こってもおかしくない一つの集団がここにも存在します。ですから、欧州連合(EU)が移民への態度を変えない限り、移民、とりわけムスリム移民への政策を改めない限り、欧州の他の地域への反乱の飛び火を裂けることは出来ないと思います。
グッドマン
今日スタジオにはロバート・フィスクも来ていますが、フランスでの暴動が14日目になるなか、今日に至るまで影響を及ぼしているこの国の歴史の重大な局面を振り返りたいと思います。アフリカ北部の国、アルジェリアの植民地支配です。アルジェリアの支配とアルジェリア独立戦争について、イギリスのジャーナリストであるロバート・フィスクに聞きたいと思います。フィスク氏は、30年にわたり、様々な新聞、最近ではインデペンデンス紙で中東問題の記者をしてきました。レバノンのベイルートを拠点にし、このほど『The Great War for Civilization: The Conquest of the Middle East』という本を出しています。ここでかなりのページをアルジェリアに割いていますね。
ロバート・フィスク
血塗られたページをかなり。その通りです。今日のアルジェリアの危機、フランスの危機を、独立戦争にさかのぼることなくして理解することはできません。これは1954年から1962年まで続いた戦争で、最終的にアルジェリアは民主主義という点においての解放ではなく、帝国主義、植民地主義から解放されました。そして、この戦争が残した傷が癒されることはなかった、ということを認識する必要があります。フランス側について戦ったアルジェリア人――ハルキ――を、アルジェリアの政府、国民は決して許さなかった。ピエ・ノワールthe pied-noir(「黒い足」という意味だが、アルジェリア出身のフランス人を指す蔑称)――アルジェリアに住んでいた大量のフランス植民で、アルジェリアを故郷と思い、親も祖父母もそこで生まれた人たち――もそういう扱いを受けた。フランスは、もちろん、アルジェリアを「フランス大都市圏」と見なしていた。アルジェリアはフランス大都市圏の一部であったのに、アルジェリアの、言うところの「ネイティブ」はフランス人と同等の権利がなかった。ピエ・ノワールは、自分たちをアルジェリアから追い出したアルジェリア人、そして事実上アルジェリアの国を決して許していません。
議論されていない問題のひとつは、議論すべき点なのですが、この暴動が起こっている、パリとそのほかの大都市の周辺地域の多くが、アルジェリア生まれの中流下層フランス人が住んでいる地域だ、ということです。ですから、実際に起こってることは、アルジェリアの若者が、1962年にアルジェリアから追放された人たちの家の車に火をつけている、ということです。この意味で、フランスでは内紛が起こっているのであって、少数派が、いまは自分たちの国であるはずの、自分が国籍を持っているはずの国による扱いに異議を唱えているという問題以上のものです。
もちろん、戦争の傷が癒されることはなかったのは、誰も癒したくなかったからです。当時のフランス政府は、まず「我々は決してアルジェリアを去らない。アルジェリアはフランスの一部だ」と言った。そして、自由を求める人たちと交渉し、交渉が終わると、そこに住んでいた自分たちの国民を裏切って、極貧状態でフランスに向かう船に乗らざるを得ないままの状態に見捨てた。彼らの多くがフランスに家族も友人もいなかった。ですから、ある意味、今回の暴動はこのときから続いている問題です。
もう一つ、悪名高い殺人事件を思い出す必要があります。事実として殺人だったのですが、1961年、パリ警察の署長がヴィシー政権でドイツの忠臣だった人物だったときになされた殺人です。ヴィシーは、フランスのユダヤ人のアウシュビッツ送還を支援した罪で戦犯として実刑を受けた人間ですが、この1961年大虐殺はいま忘れられています。
グッドマン
説明してもらえますか。
フィスク
1960年代、フランス政府には、ヴィシー政権に忠実に仕えていた人間がたくさんいました。ヴィシー政権とは、ドイツがフランスに侵攻した後の1940年、降伏合意としてドイツの下に作れた政権です。1944年にヴィシー政権が倒されるまで、フィリップ・ペタンといった第一次世界大戦では英雄だったけれど第二次大戦にはまったく英雄ではなくなった人がたくさんヴィシー政権に仕え、そのまま政府関係者の座に留まり、1961年の大虐殺が起こったときフランス警察の署長を務めていた多くは、ユダヤ人を強制収容所に送り込んだ人たちでした。
グッドマン
ジャン・マリ・ルペンといった極右で反移民の人たちもいますね。
フィスク
ルペンにはうんざりします。注意すべきは彼の娘の方ですが。
グッドマン
でもルペンはアルジェリア戦争で軍務についていませんでしたか。
フィスク
シラク大統領もそうで、シラクはアルジェリア戦争での功績で勲章をもらっており、イスラエル首相のアリエル・シャロンはそのことを常にシラク大統領に指摘しています。古い世代のフランスの指導者や政治家は、アルジェリア戦争に何らかの形で参加しています。フランスで興味深いのは、戦争に対するフランス政府の態度が英米とかなり違うところで、それは、米政権とか私の国のブレア氏率いるちっぽけな政権と違って、多くのフランスの政治家はアルジェリア戦争に参加し、戦争を経験している。ブッシュ政権のメンバーは戦争を経験していなかったり参加しないことを選んできたりしているし、ブレア政権のメンバーは戦争に参加するにはまだ若すぎた世代です。ですから、フランスには、戦争と暴力に対する大きな恐れがある。サルコジ氏は、戦争経験者ではないと思いますが、だから彼には、”racaille”、英語で「クズ」といった実に嫌な表現を使う基盤があるのです。ちなみに、歴代のフランス政府は例外なく常に暴力に屈してきましたから、サルコジ氏は犠牲になるでしょう。サルコジ氏は、この問題のために追い出され忘れ去られると思います。
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2005年11月9日
エイミー・グッドマン
フランスでの暴動と、欧州全土ひいてはそれを超えた地域へ拡大するのかを見ていきたいと思います。ゲストは、イラン出身の作家で米国在住の教授ベザド・ヤグマイアン(Behzad Yaghmaian)さん。この度『Embracing the Infidel: Stories of Muslim Migrants on the Journey West(異教徒の容認:西へ向かうイスラム教徒移民の物語)』を出版。ニュージャージーのラマポ大学で教えておられますが、数年間トルコからパリにわたるいくつかの移民コミュニティーで生活した経験がありますね。今起こっていること、暴動がブリュッセルからベルリンに広がっているという報道についてどう理解していますか。
ベザド・ヤグマイアン
フランスでの暴動の核心には、フランスの植民地主義後の移民政策があり、フランスが国民に自由・博愛・平等を実現してこられなかった問題があります。しかし、実際、同様の問題は欧州全土に存在します。欧州ではこの数年間、移民危機が大幅に悪化している。ですから、遅かれ早かれ、同じ種類の反乱や暴動が別の場所でも起こる潜在性、可能性があります。
フランスで今起こっていることは、階級、民族、人種、宗教、文化の問題が混ざり合って暴動になっているということです。もちろん、あの内相発言は暴動に火をつけましたが、それ以前に、深いところで、暴動の継続をもたらした根源的問題があった。それは青年層の疎外で、フランスは植民地時代の非統治者をずっと非統治者として見続けている。つまり、アルジェリアをはじめとするフランス統治下にあったアフリカ諸地域からの移民が、フランス国籍を持っているのに、いまだ非フランス人と見なされているということで、これは、ある意味、彼らが経済的、社会的、政治的に扱われている実態の反映です。
この問題に、フランスではこの数年間、欧州の別の地域ではこの10年間もしくはそれより少ないかもしれませんが、宗教的要素が加わっています。イスラムそしてすべてのイスラム教徒が潜在的テロリストと関連付けられる、という問題です。アラブ系の名前を持ち、イスラム教だと、自動的に潜在的テロリストとなってしまう。この疑いの目と恐怖を扇動しているのは政府当局だけでなく、マスコミ、そして世間全般もこれを焚きつけています。
グッドマン
地域社会の動きはどうなんでしょう。移民地域の年配者が平和行進を組織したり、暴動に反対するファトワ(宗教宣告)を出したりしていますが。
ヤグマイアン
地域社会の年配者は、私の意見では、疲労しています。彼らの時代は終わっている。問題は若者です。17、18、20歳の若者には未来があって、彼らの目には、この植民地主義後の時代に臣民のような条件で暮らすことは不可能だと映っている。だから、彼らは主張をしたい。要するに、今起こっていること、暴動は自分たちの声を聞いて欲しいという叫びです。聞いて欲しいのです。世界に、自分たちが存在すること、自分たちの状況を伝えたい。この15年、意見が聞かれることはありませんでした。暴動を使って主張し、状況の改善を訴えているのです。
彼らはフランス人になりたい。彼らはフランス人で、フランス人として扱われたい。イスラム教徒だからといって差別されたくない。つまり、イスラムと宗教をして差別の口実にされたくないのです。警察にあらを捜され、嫌がらせを受け、世間からは普通と違う疑いの目をむけられることは、多くの点でもの大変な痛みを伴う烙印を押されることです。
グッドマン
フランス以外の地域はどうでしょう。
ヤグマイアン
この種の反乱、暴動が欧州の他の地域に拡大する可能性は高いと思います。例として、この数年間まったく暴動が起きていない国を挙げましょう。スペインです。スペインは、アフリカ移民の不法入国という非常に深刻な問題を抱えています。
10月の頭に、モロッコにある2つのスペイン海外領土(飛地)で暴動があったという報道を覚えていると思います。サハラ以南のたくさんのアフリカ人が、これらスペイン領地の周辺りにある森や丘でキャンプ生活をしていたのですが、彼らが無理やり飛地に入ろうとしました。ここはは、10フィートの鋭い有刺鉄線付きのフェンスで隔離されています。この2つの乱入事件では10人の警察が殺されましたし、スペイン兵とモロッコ兵により2人のアフリカ人が殺されたとも報道されています。対応として、スペイン政府はこの地域に戦艦を配備し、三つ目のフェンスを建設する計画をしています。こんな風に囲いの外に置かれる身になったとき、何が起こるか考えてみるといいと思います。
スペイン国内には、不法滞在しているアフリカ人がたくさんいます。彼らは、まずスペインに入国し、国籍文書を捨てます。こうなると国籍を持たないので、スペインは彼らを国外退去にできない。彼らはそこに留まり、不法滞在をする。仕事には就けない。秘密の状況で生活する。こうなると、彼らの多くが軽犯罪の常習犯と化さざるを得ない。麻薬を売り、スリをします。こうした人たちが暴動を起こす機は熟しているわけで、フランスでの事件をみて、他の移民たちも、こうやれば自分たちの声が聞き入れられると思うかもしれない。国籍が欲しいし、仕事をするための市民権が欲しい。だから、彼らの多くが何年も(飛び地周辺の)地域に暮らして、スペインに入国するために命をかけているのです。彼らのスペインでの状況はもともといた国と大して変わりません。スペインでは、こういう事態です。
同じ状況は、これほど深刻でないかもしれませんが、イタリアにもあります。イタリアには、イタリアで不法に暮らすイスラム教徒とアフリカ人がたくさんいて、仕事を求めて地域を転々としています。しかし、彼らに対する警察の対応は凶暴で、国民は彼らを非常に懐疑的に見ていますから、彼らは自分自身を維持することができません。こうなると、いつ暴動が起こってもおかしくない一つの集団がここにも存在します。ですから、欧州連合(EU)が移民への態度を変えない限り、移民、とりわけムスリム移民への政策を改めない限り、欧州の他の地域への反乱の飛び火を裂けることは出来ないと思います。
グッドマン
今日スタジオにはロバート・フィスクも来ていますが、フランスでの暴動が14日目になるなか、今日に至るまで影響を及ぼしているこの国の歴史の重大な局面を振り返りたいと思います。アフリカ北部の国、アルジェリアの植民地支配です。アルジェリアの支配とアルジェリア独立戦争について、イギリスのジャーナリストであるロバート・フィスクに聞きたいと思います。フィスク氏は、30年にわたり、様々な新聞、最近ではインデペンデンス紙で中東問題の記者をしてきました。レバノンのベイルートを拠点にし、このほど『The Great War for Civilization: The Conquest of the Middle East』という本を出しています。ここでかなりのページをアルジェリアに割いていますね。
ロバート・フィスク
血塗られたページをかなり。その通りです。今日のアルジェリアの危機、フランスの危機を、独立戦争にさかのぼることなくして理解することはできません。これは1954年から1962年まで続いた戦争で、最終的にアルジェリアは民主主義という点においての解放ではなく、帝国主義、植民地主義から解放されました。そして、この戦争が残した傷が癒されることはなかった、ということを認識する必要があります。フランス側について戦ったアルジェリア人――ハルキ――を、アルジェリアの政府、国民は決して許さなかった。ピエ・ノワールthe pied-noir(「黒い足」という意味だが、アルジェリア出身のフランス人を指す蔑称)――アルジェリアに住んでいた大量のフランス植民で、アルジェリアを故郷と思い、親も祖父母もそこで生まれた人たち――もそういう扱いを受けた。フランスは、もちろん、アルジェリアを「フランス大都市圏」と見なしていた。アルジェリアはフランス大都市圏の一部であったのに、アルジェリアの、言うところの「ネイティブ」はフランス人と同等の権利がなかった。ピエ・ノワールは、自分たちをアルジェリアから追い出したアルジェリア人、そして事実上アルジェリアの国を決して許していません。
議論されていない問題のひとつは、議論すべき点なのですが、この暴動が起こっている、パリとそのほかの大都市の周辺地域の多くが、アルジェリア生まれの中流下層フランス人が住んでいる地域だ、ということです。ですから、実際に起こってることは、アルジェリアの若者が、1962年にアルジェリアから追放された人たちの家の車に火をつけている、ということです。この意味で、フランスでは内紛が起こっているのであって、少数派が、いまは自分たちの国であるはずの、自分が国籍を持っているはずの国による扱いに異議を唱えているという問題以上のものです。
もちろん、戦争の傷が癒されることはなかったのは、誰も癒したくなかったからです。当時のフランス政府は、まず「我々は決してアルジェリアを去らない。アルジェリアはフランスの一部だ」と言った。そして、自由を求める人たちと交渉し、交渉が終わると、そこに住んでいた自分たちの国民を裏切って、極貧状態でフランスに向かう船に乗らざるを得ないままの状態に見捨てた。彼らの多くがフランスに家族も友人もいなかった。ですから、ある意味、今回の暴動はこのときから続いている問題です。
もう一つ、悪名高い殺人事件を思い出す必要があります。事実として殺人だったのですが、1961年、パリ警察の署長がヴィシー政権でドイツの忠臣だった人物だったときになされた殺人です。ヴィシーは、フランスのユダヤ人のアウシュビッツ送還を支援した罪で戦犯として実刑を受けた人間ですが、この1961年大虐殺はいま忘れられています。
グッドマン
説明してもらえますか。
フィスク
1960年代、フランス政府には、ヴィシー政権に忠実に仕えていた人間がたくさんいました。ヴィシー政権とは、ドイツがフランスに侵攻した後の1940年、降伏合意としてドイツの下に作れた政権です。1944年にヴィシー政権が倒されるまで、フィリップ・ペタンといった第一次世界大戦では英雄だったけれど第二次大戦にはまったく英雄ではなくなった人がたくさんヴィシー政権に仕え、そのまま政府関係者の座に留まり、1961年の大虐殺が起こったときフランス警察の署長を務めていた多くは、ユダヤ人を強制収容所に送り込んだ人たちでした。
グッドマン
ジャン・マリ・ルペンといった極右で反移民の人たちもいますね。
フィスク
ルペンにはうんざりします。注意すべきは彼の娘の方ですが。
グッドマン
でもルペンはアルジェリア戦争で軍務についていませんでしたか。
フィスク
シラク大統領もそうで、シラクはアルジェリア戦争での功績で勲章をもらっており、イスラエル首相のアリエル・シャロンはそのことを常にシラク大統領に指摘しています。古い世代のフランスの指導者や政治家は、アルジェリア戦争に何らかの形で参加しています。フランスで興味深いのは、戦争に対するフランス政府の態度が英米とかなり違うところで、それは、米政権とか私の国のブレア氏率いるちっぽけな政権と違って、多くのフランスの政治家はアルジェリア戦争に参加し、戦争を経験している。ブッシュ政権のメンバーは戦争を経験していなかったり参加しないことを選んできたりしているし、ブレア政権のメンバーは戦争に参加するにはまだ若すぎた世代です。ですから、フランスには、戦争と暴力に対する大きな恐れがある。サルコジ氏は、戦争経験者ではないと思いますが、だから彼には、”racaille”、英語で「クズ」といった実に嫌な表現を使う基盤があるのです。ちなみに、歴代のフランス政府は例外なく常に暴力に屈してきましたから、サルコジ氏は犠牲になるでしょう。サルコジ氏は、この問題のために追い出され忘れ去られると思います。
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