CAFE PACIS

ユルゲンが「カフェで政治が行なわれているんだ」って言う。じゃあ、カフェで平和やるか。

【翻訳家:池田香代子インタビュー】

2004-11-27 00:19:51 | 原水爆禁止世界大会
池田 パレスチナ人にとっての勇気とは、自分の家が壊されようが、家族が殺されようが、ユーモアをもって日常生活を送ることなんですって。お母さんにとっては子供に「宿題早くやりなさい」って追いかけまわすのが勇気。イスラエル軍はテロリスト捜索のためと称して、集落の真ん中をドーンと重戦車で通っちゃう。向こうの家って、隣家が壁を共有してますよね。だから、どちらのお宅も半分に崩れた状態なんだけど、そこにコーヒーテーブルを出して、先日講演でご一緒した森沢典子さん(著書『パレスチナが見たい』TBSブリタニカ)たちが通りかかった時も、「コーヒー飲んでいかないか?」って言うんですって。その勇気のコーヒーための貯水タンクなんです


インタビュー記事へのリンク

【翻訳家:池田香代子インタビュー】

「今だからこそ、改訂版にこめられたフランクルの気持ちを受けとめてほしい」

『世界がもし100人の村だったら』『ソフィーの世界』など、多くの話題作を手がけている池田さんが、この度、みすず書房の代表的作品であるロングセラー『夜と霧』(ヴィクトール・E・フランクル著)を改訳されました。その経緯と、最近のお仕事について、ご自宅にてお聞きしました。(2002年10月17日、インタビュー・構成=藤井正史)


(1)改訳のきっかけ

──既に名作との評価も定まっている『夜と霧』を改訳されるきっかけは何だったんでしょうか。

池田 新聞に「私の3冊」っていうコラムを書かせていただいて、その1冊に『夜と霧』を取り上げたんです。そうしたらみすず書房の編集者からサンキューコールがあって、いろいろお話をしているうちに、今回読み直したら立派な訳だけれど、今の子にはちょっと古くてとっつき悪いかもねって口を滑らしたんです。そしたら編集者がそれをとても重く受け止めて、数カ月後、改訳しないかって電話があったんです。でも、とんでもないってお断りしました。
 読売新聞だったかな、「21世紀に残したい本、読み継ぎたい本」という大アンケートがあって、『夜と霧』は何かの部門で3位に入ってるんですよ。しかも翻訳者はご存命なんです。だから改訳なんてとんでもない話です。

(注:読者の選ぶ21世紀に伝える「あの一冊」4645人感動ベスト10(2000.11.29)読売新聞東京朝刊 21世紀に読み継ぐ本として、識者及び一般からアンケートを集計発表したもの。〈世界の名著ベスト10〉では、1位『アンネの日記』、2位『論語』、3位に『夜と霧』。ちなみに9位には『ソフィーの世界』が入っている。)

──今回は既刊の翻訳者である霜山徳爾氏が解説を書かれているんですよね。

池田 私は霜山先生とご面識はなかったけれど、お書きになったものも読んで遠く尊敬していたんです。戦後のモノのない時に、若い先生がフランクルの本と出会われて、夢中で翻訳なさったこととか、フランクルとも親交がおありで、それが霜山先生の人生を変えるぐらいの意味を持っていたとか。日本にフランクルをお招きするのに、どんなに大変で、どれほど感動的だったかとか。だから、改訳なんてとんでもないって、ずっとお断りしていたんです。
 でも、みすずの編集者も偉いんです。私の説得よりも霜山先生の説得の方が難しいはずでしょ。それで霜山先生のところへ通ったわけです。それで霜山先生は、ホントに人格者でいらして、「じゃぁ、試しに訳したものを見てみよう」っていうことになったの。それで、400字×20枚足らずをガチガチに緊張して訳したんですね。先生は郵便が届き次第、見られたのではないかしら。みすずの方にすぐに電話があって、「今すぐ訳してください」っておっしゃったそうです。
 私はみすずからの電話を切って、声を上げて泣きました。何という立派な方なんだろうって。だって21世紀に読み継がれようとしている時に、ご自分の翻訳でなくてもいいっておっしゃってるんですもの。こんなこと、なかなか言えないですよ。

──新訳は改訂版からの翻訳ということですし、既刊を読んでいた方も手に取られるかもしれません。反響は大きいでしょうね。

池田 霜山先生の訳は確かに直訳調で堅い。だけども、それがある種の時代性を帯びて、揺るがし難い表現になっていると思います。だからすごく恐いですよ。「元の方が好きだった」っておっしゃってくる方には、ごめんねぇっていう感じです。
 こんなお仕事のバトンタッチを受けるなんて、翻訳をやってきて、これほど幸せなことはないですね。翻訳者になるなんて思ってもみない高校生の頃に読んで、ずっと感銘を受けてきた名著を翻訳させていただいたというのは。生きているといろんなことがありますね。

(2)旧訳との違う部分

──今回の『夜と霧』は、旧訳も並行して発売され続けるという珍しい形だと思うんですが。*

池田 そう、これは戦後日本の精神風土に計り知れない影響を与えた特権的な本ですね。それをみすず書房もしっかり受けとめているということでしょう。

(注:霜山訳『夜と霧』は現在の出版社在庫限り絶版扱いにせず新版と並行して継続販売される予定です。)

──新訳では、巻頭についていたかなりの分量の解説と写真などが省かれたそうですね。

池田 旧訳が出た頃(56年)は、詳しい解説や写真などがなければ、強制収容所のことはまったくピンとこなかったでしょうけれど、今は、映画とか他の情報もいっぱいあるので要らないだろうと。敢えて本編の言葉の力だけで、ということになりました。

──原著に関して。今回翻訳された改訂版というのは、既刊の原著とはかなり内容に違いがあるんでしょうか。

池田 著者ご自身からも、早く改訂版からの日本語バージョンを出してほしいとのご要望があったらしいです。私はもちろん霜山訳は何度か読んでいましたが、何でフランクルがそう言っていたのか、訳してみて初めて分かりました。小さな違いが、ものすごく大きな意味を持っていて。それでもうほんとに感動したんですけれども。
 霜山先生の訳は、旧版の47年の初版を元にしているんですが、今回は77年に出版された改訂版からの訳です。著者としても30代の少壮の学者の頃から、 60代の円熟期と変化がある。それほど大した違いはないんですけれど、47年というのは解放されてすぐの時ですよね。だから立ち直りのため、自己リハビリのために書いたようなものです。生々しい体験を客観化するためにね。それにしてもすごいことですよ。その魂の深さに驚くのですけれども。
 77年版の特徴の一つは「道徳的」という言葉が消えていることです。これは「モラル」の問題じゃないというわけですね。極限状態に置かれた人間の魂の問題であると。モラルという言葉では言い尽くせないと思われたみたいですね。新版ではこの言葉をほとんどすべて削っています。

 それに、今回読み直して気づいたんだけれど、47年版には「ユダヤ」「ユダヤ人」「ユダヤ教」という言葉が1回も使われてないの。それはもうびっくりです。これは、反ユダヤ主義のためにユダヤ人がいかにひどい目にあったかという記録ではないんです。もっと普遍的な、人類の痛ましい記録ということです。それを精神病理学の見地から分析している。また、アウシュヴィッツなどの収容所に入れられていたのは、ユダヤ人だけではないということ。ジプシー(ロマ)も、同性愛者も、反政府活動をした人も入れられていたという客観的な事実を踏まえているんだと思うんです。

──それは『夜と霧』の印象深い部分ですね。

池田 ところが、77年版には、幾つかの短いエピソードが、日本語でいうと、ほんの4~6行ずつ追加されていて、その一つに「ユダヤ」という言葉が2回出てくるんです。
 フランクルは最後にわりと小さな収容所で解放を迎えるんですが、そこの所長さんが非常に温情的な人だった。米軍と赤十字がやってきて解放された後に、「ユダヤ人元被収容者グループ」が、アメリカ軍司令官と談判して、所長を庇ったんですって。それまでの書き方に準じれば、「ある被収容者グループ」って書くはずなのに。
 何でなんだろうって思ったわけ。それで考えたんですけど、『夜と霧』は『アンネの日記』と並んで、戦後イスラエルの建国神話のイデオロギーを形成するための世界的なツールになったでしょ。フランクルの思いとは違うところで。
 48年にイスラエルができてすぐに第一次中東戦争が勃発するわけです。その後、ずうっと戦争状態が続きます。その時に錦の御旗か葵の印籠のように『夜と霧』は利用されている。こんなひどい目にあったユダヤ人なんだから国をつくって当然だろう、それを守ってどこが悪いって。それをフランクルがどう思っていたかということの答えが、この挿入部分なんですね。

──改訂版は、時代背景に対するフランクルのメッセージがこめられていると。

池田 77年は、初めてアラブ側が勝った第四次中東戦争が終わって数年なんですね。イスラエルが危機感を強めて、ますます軍事国家化していく年にあたります。多くの国からイスラエルへのユダヤ人の帰還政策が強化された年です。これは、今のシャロン政権の、入植地にどんどん人を入れるという政策につながっていく方針です。そんな時代に、ユダヤ人が、ナチの、しかも親衛隊員だった収容所長を庇ったというエピソードを書き加えて、ユダヤ人というのは公正な人たちなのだということを、ユダヤ人に思い出してほしかったということではないかしら。今の人にもフランクルのこの気持ちを受けとめてほしいと思います。


(3)2冊の『世界がもし100人の村だったら』

──昨年は『世界がもし100人の村だったら』が大ヒットしました。

池田 私は淡々と仕事をしているだけなんですが、今は淡々とは全然できていなくて。『ソフィーの世界』の時にはびっくりしていたんですけど、ミリオンセラーは2度目なので、あ、可愛くないですね(笑)、だから慣れているから、同じ程度なら今度の方が楽だわって感じると思うんです。ところが、今度の方がしんどくって。ということは、『ソフィーの世界』どころじゃない反響があったということです。それで、全然仕事にならない。

──インターネットの中でメールとして広まった、あれを本にしようという企画を実現したというのはすごいですね。

池田 やったもん勝ちって書かれて頭にきてるけどね(笑)。じゃぁ何で誰もやらなかったのよって(笑)。

──詳しく資料を載せた続編(『世界がもし100人の村だったら 2』)が、今年6月に発売されて、さらに話題になりました。まだ、この余波は続いているようですね。

池田 パート2ですね。このような内容のものが6万部なんて、信じられないです。

──やはり1冊目を読んで興味をもたれた方の、もう少し詳しく知りたいという要望が強かったということでしょうか。

池田 そうですよね。パート1で興味を持った方は、これではもの足りないって思われるでしょう。あまりに乱暴な数字でね。グサっと心にはくるんだけれども、理性的に何かを考えるには不適当な、寓意としての数字ですから。内心忸怩たるものがありました。

──100という数字が分かりやすかったんだとは思いますけれど。

池田 そうなんです。日常的にはね。それは感情に訴えるものではあるけれど、理性に訴えるものも出さないと。これは、ネットロアって書きましたけど、寓話みたいなものですから。

──マガジンハウスからの出版というのも意外な感じがしました。

池田 マガジンハウスっていうのは、カッコいい、気持ちいい消費をアドバイスする、いろんな雑誌を出している出版社、みたいな感じがありますもんね。でも、人文思想系の出版社からだったら、ああいう形にはならなかったでしょうね。最初からパート2の形で、しかもダサイ装丁でとか(笑)。時間がなかったっていうのもあるけれども、デザイン重視でカッコよくっていうのは、マガジンハウスならではでしょう。そして、そうでなければこれだけ受け入れられなかった。
 大抵は、もっと詳しく数字の解説をつけて最初から part2 の形で出すという風に発想しがちじゃない? だけど、比べると本としてのパワーは part1 の方が断然あるわけ。本て面白いですね。それで、part1 の形は正解だったんだと思いました。

──本屋で並んでいても、あの装丁は若い人が手に取って読んでみようと思いますよね。

池田 だけど、立ち読みできるのに、そのまま買ってくださるんですよね。これを持つのが私のスタイルだって思わせた。グッズ感覚? 本はグッズだもんね。あの大きさや厚さは女の人がハンドバッグに入れられる。ちょっと張り込んだ、グリーティングカードの代わりにもなるのかな。そう言えば、子どもの顔のイラストが今年のユニセフのカードに使われるんですよ。
 いいこと書いてあるからだとか、印税をいいことに使うから、ダサいけど買うというのは、私は不純だと思うんです。それに、印税は寄付しますとも何とも書いていないの。私が書いてって言ったら、編集者が、カッコ悪いから嫌だって。それが本を作る人のプライドなんだって知りました。私がいいと思うから買う。そういう人に受け入れてもらいたいということなんですね。私も、カッコいいというのはすごく大切だと思う。そうでないと、なにごとも広がりをもたないでしょ。だから、マガジンハウスからというのは、ミスマッチのようでマッチなの。私もそれは、出してみるまでわからなかった。


(4)『世界がもし100人の村だったら』と『夜と霧』

──“100人村”の基金を作られたということですが、そちらの方も忙しいのですか? 

池田 基金は別に忙しくないんですけどね。講演とか、そういうのが多いですね。
 基金はできるだけ、草の根のボランティアに受け入れていただこうと思って。この間、「FoE(Friends of the Earth)中東」というところに受け入れていただきました。イスラエル人とパレスチナ人がいっしょにやっているの。ちょっといいでしょ。

 パレスチナ人の居住区っていうのが、生活環境がひどくて、水道の水もろくに出ない。一週間に何時間かちょろちょろって出る。それを貯水タンクに入れておく。それがパレスチナ人の命綱なんです。片やイスラエル側にはふんだんに水があって、畑にも撒くから果物を輸出できるくらいなのに。イスラエル軍はパレスチナ人居住区を通って行く時に、面白半分に給水タンクを撃っていくんですって。射的みたいに。それが悔しいっていうんで、「FoE中東」は、イスラエル軍が壊したら片っ端から修理する、付け替えるっていうアクションを起こしたんですよ。それでまず、アメリカから2000基の給水タンクが行ったの。それは良いっていうんで、“100人村基金”に因んで、100基贈ったんです。「FoE Japan」の窓口を通じて。

(注:「FoE(Friends of the Earth)」は、国際環境問題に取り組んでいるNGO。世界中に支部をもち、それぞれが独自の活動をしている。パレスチナ人住宅の貯水タンクの取り替えを目指すプロジェクトは、「FoE中東」による「Good Water Neighbors」のことで、日本では、「FoE Japan」(http://www.foejapan.org/)が窓口になり、募金活動を行っている。)

 そうしたら、現地から電話がきて「100人村基金・日本」と英語で入れたいって。でも反対したんです。そんな手間ひまかけたらお金がかかるし、文字なんか書かなくたって水は出るでしょって。でもね、書くのは2-30円で済む、いまパレスチナ人を勇気づけるのは、世界が彼らを見捨てていないということを伝えることなんだって言われました。

──状況は悪化しているにも関わらず、日本でも確かに以前と比べて報道は少なくなりました。

池田 全然やりませんね。ケーブルで見るCNNやBBCでもそうです。だから、私はメルマガやメールニュースをチェックしています。
 今年の子どもの日に、あるメルマガで読んだんだけれど、パレスチナ人の13、4歳の男の子が3人、夜、ナイフ1本を持ってイスラエル人居住区に入っていったんです。その途端に殺されて、爆発物を身に付けていないか確かめるために重戦車で何度も轢かれた。そのうえ、遺体の引取りが1週間も許可されなかったために、野良犬に食い散らかされたんです。
 その中の1人のお父さんは、この子は学校の成績も良いし、家でもいい子だったし、友達とのトラブルがあったとも聞いていないし、どうしてこんなことをしたのかわからないって言うんですね。まるで日本のお父さんみたいでしょ。だけど、その子の遺書には、お父さん、どうして世界の人たちは僕たちを見捨てたの? って書いてあった。
 私はこのことを「FoE」からの電話で思い出して、「100人村基金・日本」と英語で書いてもらうことにしました。「Japan」の意味するところが「日本国」であろうが、「日本の私たち」であろうが、構わないですよ。

──『世界がもし100人の村だったら』がパレスチナの貯水タンクになっていたとは、読者にも伝えたいエピソードですね。パレスチナの人々の状況も含めて。

池田 パレスチナ人にとっての勇気とは、自分の家が壊されようが、家族が殺されようが、ユーモアをもって日常生活を送ることなんですって。お母さんにとっては子供に「宿題早くやりなさい」って追いかけまわすのが勇気。イスラエル軍はテロリスト捜索のためと称して、集落の真ん中をドーンと重戦車で通っちゃう。向こうの家って、隣家が壁を共有してますよね。だから、どちらのお宅も半分に崩れた状態なんだけど、そこにコーヒーテーブルを出して、先日講演でご一緒した森沢典子さん(著書『パレスチナが見たい』TBSブリタニカ)たちが通りかかった時も、「コーヒー飲んでいかないか?」って言うんですって。その勇気のコーヒーための貯水タンクなんです。

──できる限りの日常生活を保つことが、極限状態での勇気だということですね。

池田 本当の勇気は自爆テロなんかじゃない、あれは絶望なんだそうです。若い人の絶望だって。だから、若い人をサポートしなけりゃいけないって、大人たちは言ってるそうです。
 「ユダヤ」という言葉を77年版で初めて入れたフランクルの気持ちを思うと…。フランクルがシャロンがやっていることを見たら、本当に悲しむと思いますよ。

──そんな国際状況の中だからこそ、『夜と霧』が新訳になったということで、日本でも初めて手に取る若い人が増えれば良いですね。どのように読まれていくのか楽しみです。

池田 この本を若い人に手渡したいっていうみすず書房にしても、それが出版社として今の世界のためにできる大切なことだからでしょうね。


(5)今後の活動について

──池田さんは『夜と霧』に限らず、ケストナーの『点子ちゃんとアントン』など名作の改訳など歴史に残る仕事が多いですね。

池田 そう、グリムの全訳もそうです。

──ケストナーも、ナチスに迫害されて書き続けた人ですし、フランクルを訳すことになったのも、何か関連があるのかと思いました。

池田 いや、関連はなくて。ケストナーは岩波の絵本『動物会議』を翻訳し直して、生誕100年ということで、大型絵本として出ました。それを皮切りに少年文庫でシリーズが続いているということです。ケストナーは全部出します。子供向けのものを。
 それから、いま訳しているのは、なんと『日本国憲法』! 英文があるでしょ、それを“100人村語”で訳します。正文憲法は「日本国民は…」って始まるんですが、その部分が英語では「We, Japanese people…」。「people」は民衆とか人民という意味で、もともとは国民という意味はないのに、なぜかそう訳してしまったために、「people」には国民って意味もあると、翻訳を追認するためみたいな形で論文が書かれている。
 「国民」なら、「nation」ってなってなきゃいけないのにね。「We, Japanese people」だったら、「日本のわたし・たちは」じゃない? だから“100人村語”でやっちゃうの。

──いつ頃発売されるのですか。

池田 12月中旬です。『世界がもし100人の村だったら』というコンピレーションCDがあるのですが(ユニバーサル)、私はそこに入っている「イマジン」の訳詞をしたんです。それを読んだ若い友人が、「この訳で憲法を読みたい」って言ったのがきっかけです。ラミスさんも、日本国憲法の本を出したいって言ってたし。今度もラミスさんとのコンビで、英語と日本語の対訳になります。




池田香代子(いけだ・かよこ)
1948年生まれ、東京都出身。ドイツ文学翻訳家、口承文芸研究家。東京都立大学在学中より、ドイツ語翻訳の仕事をはじめる。訳書に『世界がもし100人の村だったら』、『ソフィーの世界』、『猫たちの森』(第1回日独翻訳賞受賞)、『完訳クラシック グリム童話(全5巻)』、『エーミールと探偵たち』など。著書には、『哲学のしずく』、『魔女が語るグリム童話(正・続)』、『子供たちにはまだ早いグリム童話』などがある。

ホームページ「翻訳家の部屋」 http://www09.u-page.so-net.ne.jp/pf6/kayoko-i/



このインタビューへは下記のURLでリンクを張ることができます。
http://www.bk1.co.jp/s/ikeda_interview/


投稿:せいじ

二期目の対決?!コフィ・アナン VS ジョージ・W・ブッシュ っていうか、米 VS イラク国民全部

2004-11-12 13:39:50 | ニュース@海外
イラク制裁に抗議して辞任した元国連事務次長へインディーズ・ラジオ局Democracy Now!がインタビュー:
 「外部からの侵略者に抗して立ち上がっているのは、国民全体であることを世界が理解するのにあとどれだけの時間が必要なのでしょう。この点に目をふさぎ続けるなら、第二のファルージャが発生し、イラクにおける大虐殺は確実に続きます。」
原文:Democracy Now!

 あい


2004年11月11日(木)
前国連事務次長ハンス・フォン・スポネック、イラク・パレスチナ問題担当

 90年代後半、ハンス・フォン・スポネック氏は、国連のイラク人道支援のコーディネーターを努めていた。

エイミー・グッドマン(ラジオのホスト):
 いま、イラクについての本を書き終わるところと聞いています。パレスチナから話題を移してファルージャの現状についてお話下さい。

ハンス・フォン・スポネック:
 ファルージャがあって、パレスチナがありますが、この二つは繋がっています。国民が指導者を失ったとき、空白が生ずる可能性がありますが、中東でこれ以上の空白地帯はいりません。そうなれば、パレスチナにとって好ましくない情況を生み出し、ファルージャそしてイラク全土にとってもそうです。しかし、ファルージャは、中東、とくにイラクにとって、もうひとつの強力な象徴となりつつあります。つまり、中東の外で考えられた政策は機能しない、ということです。ファルージャに先立って、ナジャフ、そしてサマラ(への攻撃)がありましたが、そのための理由として、この二つの町の反乱鎮静に成功すればイラク情勢の平和的解決が始まる、という話をわたしたちすべてが聞かされていました。しかし、サマラも平和ではないし、ナジャフでも平和は実現しておらず、ファルージャも確実に同じになります。
 悲劇的なのは、(戦争開始から)まる2年という、米英がイラクへの対応を十分学べるだけの時間が経っているのに、彼らが、イラク国民の心理という最低限度のことさえまだ理解できていないことだと思います。個人的に非常にいらだちを覚えるのは、連合軍に対するイラクの反応を、少数のバース党の残党メンバーによるものとして説明しようとする人がまだいることです。一部の過激な原理主義者や、不満を持ったものたちの行動として説明しようというわけです。どうして分からないのでしょうか。外部からの侵略者(と呼べるならば)に抗して立ち上がっているのは、国民全体であることを世界が理解するのにあとどれだけの時間が必要なのでしょう。この点に目をふさぎ続けるなら、第二のファルージャが発生し、イラクにおける大虐殺は確実に続きます。

フアン・ゴンザレス(ラジオのもう一人のホスト):
 今日ニューヨーク・タイムスの記事を読んでびっくりしたのですが、ある記者が追っていたケースで、ファルージャにいる一部隊150人が、見たところたった一人の狙撃兵により丸一日縛りつけの状態におかれた、というのです。部隊は、何度も空爆を要請し、狙撃兵がいるビルの爆撃を要請したのですが、狙撃兵を倒せなかったのです。これを読んで思ったのは、イラク抵抗勢力のなかにものすごい勇気と意志が存在しているということです。本当にこの国の米兵は、イランとの戦争に続き長年にわたる米国の攻撃にさらされてきたイラク人の決意の深さを理解していません。国家の団結を維持するという点で、多くのイラク人の間に培われてきた抵抗の精神はものすごいものです。経済制裁が課せられていたとき、イラクの人々があのような困窮をどう耐え抜いてきたのか、話していただけますか。

ハンス・フォン・スポネック:
 イラク人はパレスチナ人と同じです。彼らは両方とも、外部の人間ではなく、自分たちの手で未来を握るのだと、大変強い決意を持っています。繰り返しますが、現在起こっている反乱が情勢を説明すると考えるのは間違いです。そうではないのです。情勢を説明するのは国民です。(イラク国民全体で)普遍的に同意されている点があります。イラクとは定期的に連絡を取り合っていますが、数日前電話回線が切られるまではファルージャの人たちとも週2回は連絡を取っていました。ですから、彼らも私たちと同じ普通の人間で、望みはただひとつ、平和を欲しているのです。独裁者はいなくなったけれど、まだ平和を手に入れていない。平和に暮らしたいのです。街角のケバブ・レストランに行きたいけれど、爆撃されてしまってない。コーヒーを飲んだり、街の別のところに住んでいる家族に会いに行きたい。ただそれだけのことなのです。しかし、彼らはいま怒りに燃えており、情勢を変えるためには、イラクのもっと過激な派閥と協力することさえいとわない決意です。情勢を変えるとは、占領軍の撤退のことです。

エイミー・グッドマン:
 国連の事務次長を務めておられた際、イラク制裁を担当し(辞任という形で制裁に抗議)ておられましたが、そのときイラクで起こっていたことからみて、今の情勢をどう説明しますか。いま何がなされるべきだと思いますか。

ハンス・フォン・スポネック:
 安保理、米・英政府の政策の行きつく先は、2003年3月に起こったこと、つまりイラクに対する戦争を現実にすることだったと言えます。しかし、正直に言って、私としてもこれだけの混乱、大虐殺、無秩序が起ころうとは予測していませんでした。どんな紛争、対立にも、一筋の光明があります。イラク情勢の光は、奇妙に聞こえるかもしれませんが、米英政府の間違った政策が、イラクと呼ばれる多民族社会に団結のきっかけを与えていることだと見ています。ひとつ全員が一致する点があれば、それは、彼らが公平に扱われていないということ。尊厳がないということです。辱められているということです。シーア派、クルド人、スンニ派、トルコ系、カルデア人、キリスト教徒、すべてのグループがそうなのです。こうしたグループの内部に核心が生まれてくるでしょう。我々はこの情況を容認できず、これに抗して戦う――と。
 ここを理解しなければ、この混乱から抜け出すことはできないと思います。国連のコフィ・アナン事務総長が、アラウィ首相、米英政府に対し、ファルージャ攻撃し、また別の抵抗の象徴を作り出してしまうまえに、再考すべきだと警告しましたが、イラク、英、米政府が警告の拒否をもってこれに応えたのを見て、非常に悲しい思いでした。間違った政策の継続を警告しようとした事務総長を鼻であしらったのです。

フアン・ゴンザレス:
 上級役員として30年以上国連で働いてこられたわけですから、この間、国連関係者連絡を取っていると思いますが、国際社会と国連は、先週の米大統領選挙の結果、延いては、国際的外交と世界の平和の将来の前兆となる結果にどう反応していますか。

ハンス・フォン・スポネック:
 あまり一般化しないように気をつけなければなりませんが、欧州の反応は大体ニューヨーク市のものと同じです。欧州の大部分は、大西洋間(欧米)関係の修復プロセスを開始するチャンスが失われたことを悲しんでいます。いま私たちは非常に困難な時期にいると思います。かなり一般化して言いますが、欧州の大部分は、良好な欧米関係を希望しています。しかし、個人的に言って、米政府以外の政府の感情、考え、計画がこれほどまで軽視され続けるなら、それは不可能だと思います。
 ですから、次のステップをどう踏み出して、テロや暴力とのたたかいを成功させるため大いに必要とされている建設的な関係にどうたどり着くのかが見えません。これまでの政権のやり方でも、第二次ブッシュ政権が構想しているやり方でもこれは無理です。

エイミー・グッドマン:
 国連の役割について、ブッシュ大統領は最後の方に、連合体があると言うとしていました。次から次へとイラクから撤兵する国がでて、崩壊しているにもかかわらず。大統領選挙直前の国連の状況ですが、コフィ・アナン事務総長が、イラクでの戦争は違法だ、と発言しました。これからどうなりますか。

ハンス・フォン・スポネック:
 国連との対立は強まると見ています。事務総長も二期目で、米国の大統領も二期目です。つまり、どちらの側も遠慮せずに発言できる、ということです。こうなると、国連と米政府の対立はおそらく強まるでしょう。米政府が、国連には191の加盟国がいて、それぞれが発言権をもち、意見を考慮されることを欲していることを理解し、一国だけが、一国の政府だけが一大構想を持っていて、そのほかは持っていない、などという考えを捨てなければ、対立は深まります。

エイミー・グッドマン:
 ありがとうございました。ハンス・フォン・スポネック氏は、90年代国連の事務次長を務め、イラクでの国連人道支援、石油・食糧交換プログラムを担当していました。最終的には、前任者のデニス・ハリデー氏に続き、制裁がイラク国民を傷つけていると言って辞任しました。


アラウィ、ラムズフェルド、小泉

2004-11-11 10:21:15 | ニュース@海外
 ファルージャへの総攻撃の数時間前、米国が立てた、暫定政府のイヤド・アラウィ首相はファルージャ近郊の米軍基地へ飛び、イラク兵を激励。アラウィは、「任務は殺人者たちを逮捕することにあるが、もし殺すことになっても、それでよい」と指示。

Hours before the ground offensive, the U.S.-backed interim prime minister Iyad Allawi flew to a US military base near Fallujah to rally Iraqi soldiers. He told them "Your job is to arrest the killers but if you kill them, then so be it."


ファルージャ攻撃にあたってドナルド・ラムズフェルド国防長官の記者会見。9月8日ペンタゴン。
 「イラクを解放し、平和な社会にするのであれば、イラクの一部を、暗殺者・テロリスト・サダム・フセイン政権の残党に支配されるような状態には置いて置けない。ファルージャで悪行を重ねている犯罪者たちに対し、政治的解決ができるようあらゆる説得を試みているが、彼らは暴力の道を選らんだ。そこで、イラク暫定政府の要請を受け、連合軍は今日、イラク軍を支援し、ファルージャ内および周辺における共同攻撃作戦をおこない、この紛争地域に法と秩序を回復する。」 

 Back in the U.S., Defense Secretary Donald Rumsfeld spoke to reporters at the Pentagon about the purpose of the assault. Sep.8, at Pentagon.

 DONALD RUMSFELD: If Iraq is to be free, and a peaceful society, one part of the country cannot remain under the rule of assassins, terrorists, and the remnants of Saddam Hussein's regime. Every effort has been made to persuade the criminals running roughshod over Fallujah to reach a political solution, but they have chosen the path of violence instead. So, at the request of the interim Iraqi government, Coalition soldiers are today assisting Iraqi forces in conducting coordinated offensive operations in and around the city of Fallujah to restore law and order to this troubled area.


 イスラム聖職者協会は、アメリカに和平プランを提案したが、アメリカは一切の議論を拒否した。

The Association of Muslim Scholars, which has threatened to boycott elections, put forth a peace plan that the U.S. all but rejected with no public discussion.


 ファルージャ総攻撃。小泉順一郎首相「成功させないと」。
 9日昼、首相は、米軍のファルージャ攻撃について「成功させないといけない。治安の改善がイラク復興のカギだ」と述べ、全面的に支持する考えを表明。

 Japan's Prime Minister, Koizumi Jun'ichiro expressed full support to the U.S. offensive in Fallujha. On Sep. 9, Koizumi told the press that "the offensive must be brought to a success. The key to Iraqi's reconstruction is to restore law and order of that country."

ファルージャと戦争の現実(転載)

2004-11-08 22:09:24 | ニュース@海外
ファルージャと戦争の現実

ラフール・マハジャン
原文 日本語元


ファルージャを中心にイラク情報を紹介しているFallujah, April 2004 - the bookに共同運営者のいけだよしこさんが掲載したものですが、緊急・重要な内容なので、転載します。これらを明記し、
http://teanotwar.blogtribe.org/entry-cce7a5336650f0e59f53f2858ba8e97d.html
にリンクを張られた上で転送・転載を大きく歓迎致します。

いけささんのメッセージ:
『ファルージャ 2004年4月』の著者のひとり,R・マハジャンのウェブログ,11月5日のポスト。下訳段階とも言うべきものですが,とにかく日本語にしてみました。


11月5日 午後7時25分

ファルージャへの攻撃が開始された。ファルージャの人々の解放だというレッテルをつけて売られている攻撃が。イラクに「デモクラシー」を導入するためには必要なステップだというレッテルをつけて売られている攻撃が。これらのレッテルは,嘘である。

4月の包囲のとき,私はファルージャにいた。というわけで,このような攻撃がどのようなことを意味するのか,全体像がわかるよう,はっきりと言葉で説明しておきたい。

ファルージャは乾燥した暑い土地である。南カリフォルニアのようだ。特別に灌漑設備が整えられて,農耕地帯となっている。何年もの間,ファルージャは信仰心の篤い都市として知られている。人々はファルージャのことを「1000のモスクの都市」と呼ぶ。1990年代半ば,サダム・フセインが礼拝で呼ぶ名に自分の名を付け加えさせたいと考えたとき,ファルージャのイマームたちはこれを拒否した。

攻撃開始のとき,米軍は発電所を爆撃した。その後の数週間,ファルージャはまったく停電してしまって,発電機によって電気がついているのは,モスクや診療所といった重要な施設だけとなっていた。町は包囲下に置かれた。

食料や薬品といった基本的な物資を運び入れることは禁止され,イラク人たちが大挙して道路を封鎖しているものをどかしてようやく運び入れられるようになった。

爆撃され,さらにまだ爆撃されるという脅威があり,町全体が恐怖に包まれていた。

非戦闘員や病人や高齢者や子どものいる家族たちは,続々と町を離れていた。人々が町から出ていくことは当初禁止されていたが,米軍はやがて誰にでも町を出ていくことを許可するようになった――ただし,米軍が「戦闘年齢の男性」と呼ぶ人たち,すなわち,15歳から60歳の男性を除いては。

非戦闘員が爆撃されている地点を去ることを妨げることは,戦争法違反である。そしてむろん,戦闘年齢の男性すべてが敵であると想定するのであれば,それは,今いる国にはいるべきではない,この戦争は人々に対する戦争であり,人々を抑圧する者に対する戦争ではない,解放の戦争などではない,ということを示すサインであり,それ以上のサインなど望むべくもない。

ファルージャの大病院は,町の中心部からユーフラテス川を隔てたところにある。まず最初に米軍はこの橋を封鎖し,町と大病院とを切り離してしまった。患者を診察したい医師たちは,自分で運べるだけの器械を運んで,病院を去らなければならなかった。

医師たちは急ごしらえの病院を,市の至るところに作った。4月に私が滞在した病院は,ベッドが4床の部屋が1つだけの,地域の診療所だった。手術室はなかった。医師たちはジュースの自動販売機で(輸血用の)血液を冷蔵していた。こことは別の診療所は,自動車修理工場だったのだという話だった。この,大病院の閉鎖もまた(私がイラクで記録したようなものだっただけでなく)ジュネーヴ条約違反である。


ファルージャでは,いつも必ずどこかで砲弾の音がしているような状態だった。時々,小さな,高ピッチの音で砲弾の音が中断する。ムジャヒディーンたちの,手持ちの迫撃砲だった。数分でもそれが続くと,そんなこといちいち気にしてはいられなくなる。けれども,むろん,完全にというわけにはいかない。私などは,今日になっても,雷鳴がすれば即座に4月10日のファルージャの埃っぽい市街に戻ってしまうことがよくある。

砲弾のほか,戦闘機が500ポンド,1000ポンド,2000ポンドといった爆弾を投下していたし,1分もかけずに市街の1ブロックを完全に破壊してしまう能力のあるあの血なまぐさいAC-130 Spectre gunshipsがきていたが,さらに海兵隊は,町全体に狙撃兵を配置していた。

何週間にもわたって,狙撃兵の発砲がノー・マンズ・ランドを飛び交い,ファルージャは分断され,どちらからも入ることのできないポケットのようになっていた。

狙撃兵はだれかれ構わず,動くものなら何であっても,発砲していた。数時間の間に診療所に運ばれてきた20人のうち,「戦闘年齢の男性」は5人だけだった。高齢の女性たち,高齢の男性たち,10歳の子どもが,頭を撃ち抜かれていた。もうどうにもできない,と医師たちは私に言った。バグダードなら何とか救えるかもしれないけれども,と。

狙撃兵が区別をはっきりさせていた唯一のもの,それは救急車だった。私が目にした救急車はどれもこれも,銃弾による穴があいていた。私が仔細に見た2件は,はっきりと,狙い澄まして狙撃したことを示す証拠があった。負傷者を集めるために出ていった私の友人たちは,狙撃された。

最初に私たちがこの事実を報告したとき,ほとんど全世界からの罵倒を浴びせられた。多くはただ単にそれが真実であると信じようとしなかった。あるいは,それがムジャヒディーンによるものでないことがどうしてわかるんだと言った人たちもいた。

おもしろい着眼点である。例えばテキサスのブラウンズヴィルがヴェトナム人に包囲されて爆撃されたとしたら(むろん,ヴェトナム戦争の時代にはそのようなことがないよう,ブッシュ氏が私たちを「勇気」を持って「守って」くれていたのであるが),そしてブラウンズヴィルの救急車が狙撃されていたら,住民が自分たち自身の救急車を撃っているのかどうかという問題は,提起されることはなかったのではないかと私は思う。

のちに,私たちの報告はイラクの保健省によって確認されたばかりか,米軍によっても確認されている。

おおよそ900~1000人が,直接殺されたり,爆弾で吹き飛ばされたり,焼かれたり,撃たれたりしている,というのが最もよい推定である。報道や自身で見たことを元に推測すると,そのうち3分の2から4分の3が,非戦闘員であった。

しかし,損害はそんなものでは済んでいない。ファルージャの住宅街にあるいわゆるザルカウィの隠れ家への爆撃については,どんな記事でも読むことができる。しかし,報道は本当の意味を伝えない。精密攻撃について読む場合,米国のGPS誘導爆弾は非常に正確であるというのは本当だ――機能が異常でなければ,作動時間の80~85パーセントは,標的半径は10メートルである。すなわち,標的の10メートル以内に着弾するということである。

しかし,最も小型のものである500ポンド爆弾であっても,爆発の半径は400メートルである。

爆弾1発ごとに近隣一帯が揺れ,窓が割れ,陶器類が粉々になる。爆撃にさらされる町というものは,絶え間ない恐怖の中にある町なのである。

死者○名,負傷者○名という記事を読まれる場合,その数を記憶しておかなければならない。これらの数字は重要である。しかし同様に重要なのは,これらの数は嘘をつくということだ――戦闘地域ではすべての人が負傷している。

ファルージャへの最初の攻撃は,軍事的失敗だった。今回はレジスタンスはより強くなり,装備も整え,より組織化されている。「勝つ」ためには,米軍はこれらの障害物をすべて片付けなければならないだろう。Horrorとterrorの中であってもdegreeはあり,私たちは――そしてファルージャの人々は――まだどうなるのかわからないのだ。

(だが)ジョージ・W・ブッシュがまた大統領職を得た――世界は彼の手に委ねられた。

最初のときと同じように,国際的非難が巻き起こるであろう。しかし私たちの政府はそれには耳を貸さないだろう。レジスタンスは別として,ファルージャの人々はみな,恐怖を軽減させるために私たちに頼ることになるであろう――すなわち反戦運動に。

私たちには責任がある。4月に果たさなかった責任が。そして,8月にナジャフが同じように攻撃されたときにも果たさなかった責任が。

今度は果たすのであろうか?


訳者コメント:

マハジャンがここで書いている「4月のファルージャ」のことは,『ファルージャ 2004年4月』に詳しく書かれています。改めて,お読みいただければと思います。

※なお,マハジャンのこの文章はアメリカ人が読むことを前提としているアメリカ人の文章なので(さらに,おそらくは大統領選挙前に草稿が書かれたのではないかと思います……10月半ばには既に「大規模攻撃の準備」は始まっていたので),アメリカのことはあまり詳しく知らない私にはちょっと荷が重かったようです(引用らしき箇所は特に)。英語のままにしてあるところ以外でも,変なところなどありましたら,ご指摘ください。


柄にもないことですが、この文章にアクセスして下さったかたに、お願いがあります。

どうか、深く呼吸をして、目を閉じて、ここで述べられている状況を思い浮かべて下さい。そして、自分が、自分の家族が、知人が、愛する人が、今日街で見かけたキュートな子どもが、ファルージャ住人と同じ状況に置かれていることを、思い浮かべて下さい。

「テロリストを撲滅する」という勇ましい虚偽の叫びのもとで、そうした人々に何がもたらされるのかを。

そして、もしよろしければ、この文章を、皆さんが運営しているウェブやブログにも転載し、回りの方々に紹介して下さい。


駐日米国大使館宛を想定した、ファルージャ攻撃に反対するメッセージ例を転載致します。皆さんも、よろしければ、ご自分の言葉で、要請を送ってみませんか? また、新聞等への投書なども。

駐日米国大使館:
FAX番号:03-3505-1862
住所:
〒107-8420 東京都港区赤坂1丁目10-5 米国大使館
駐日米国大使 ハワード・H・ベーカー駐日大使 様


ハワード・ベーカー・Jr駐日米国大使様

ジョージ・ブッシュ大統領が再選されることとなり、米軍がファルージャへの総攻撃準備しているというニュースを耳にし、このファックスを送ることにしました。

米国は、「イラクは大量破壊兵器を有しており、使う意志がある」として、国際法に違反したイラク侵略を進めました。イラクに大量破壊兵器はありませんでした。イラク軍はそうした兵器を用いもしませんでした。通常でない大量殺害の兵器を用いたのは、米軍でした。殺されたのは、イラクに暮らす人々でした。

今、米国は、「テロリストのザルカウィを狙う」と称してファルージャ攻撃を繰り返しています。ザルカウィはいませんでした。殺されたのは、ファルージャの人々でした。民家への空襲により瓦礫の下敷きとなった人々、クラスター爆弾に体を切り刻まれた人々。結婚式の日に殺された新婦。家の外に出ただけで背中から狙いすました狙撃により殺された老人。白旗を掲げてファルージャを逃れようとした老婆。

殺されているのは、こうした人々でした。今も殺されているのは、こうした人々です。

2004年4月、米軍がファルージャを包囲し攻撃した際は、800人もの人々が殺されました。最近の調査で、約600人は民間人で、300人は女性と子どもだったことが明らかにされています。

女性や子ども、武器を持たない民間人を空から殺すこと、重武装した米兵が狙撃して射殺すること。「対テロ戦争」という勇ましい名のもとに行われているのは、大量殺人に過ぎません。どんな口実を付けようと、どんな素敵なキャッチフレーズを付けようと、戦争犯罪に過ぎません。

「イラクに民主主義をもたらす」。米国はこのように言って、旧友サダム・フセインを追放しました。その後の占領下で、米国の侵略がなければ命を落とさなかったであろう10万人もの人々が命を落としたこと、その大多数が米軍をはじめとする「連合軍」により殺されたことを、最近『ランセット』紙に掲載された調査は報じています。

「イラクに民主主義をもたらす」。米軍が今回準備しているファルージャ総攻撃が、その口実を証拠づけるために来年1月に予定されている選挙を前に、米国の占領に反対する勢力を殺してしまおうという意図を持つことは明白です。

反対派を武力で殺し封じ込めた上での「民主的選挙」。今やこんなことを信じる人は、世界中にほとんどいません。

私は、ファルージャ攻撃を止めるよう求めます。
イラクの民間人に対する無差別殺人を止めるよう求めます。
一部の者たちのために米国の若者を戦場に送りこむことを止めるよう求めます。
イラクを侵略し占領している米軍を速やかに撤退させるよう求めます。

2004年11月7日


ファルージャ攻撃が開始された一方で、イラク警察への爆弾攻撃による犠牲者が出ています。「どっちもどっち」という発言は、いずれにせよ殺す側に立つものだからやめよう、と仏教の方が言っていました。同感です。

また、一つ一つの攻撃や殺人の刑事的犯罪は、当然、それを実行した人々に責任があるものです。それと、そうした犯罪が起きる状況を引き起こす条件の大きな一つとなった米軍によるイラク侵略に私たちが反対することとは、異なる議論のレベルに属するものです。米国の政策に反対する人々を揶揄するために、わざとのようにその二つのレベルの差異を混同した議論を目にすることがありますが(わざとでなければ、単に論理的な思考力がないのか・・・)。

ケリーが勝った、、、

2004-11-05 13:13:27 | ニュース@海外
 2000年選挙のブッシュ勝利は、不正手段によるものでした。またしてもそうなること、選挙略奪のために不正な手段が講じられていることは、選挙前からかなり報道されていました。以下の記事は、2000年フロリダでの汚い手を最初に暴いたグレッグ・プラスト記者によるもの。
 
 彼が言うように、できれば「聞きたくない」話ですが、ウソが大きければ大きいほど人はそれを信じる、と言った独裁者がかつていたことを想起すると、今後のブッシュ政権4年が世界にもたらす恐ろしい影響を考えると、そういうわけにもいかないか。 

  あい


ケリーが勝った、、、
グレッグ・パラスト
2004年11月4日


 聞きたくないのは十分承知している。また、あのパンチ式投票用紙(で抜いた穴から外れる紙片)問題を正視する気力など残っていないであろう。でも、私にはそれしか選択しがない。アメリカ民主主義と呼ばれる汚いソーセージの調査を使命とするジャーナリストとして、大統領選挙のカギを握る州で、どちらの候補が多数票を得たかを報道することは、私の仕事なのである。火曜日、オハイオとニューメキシコを獲ったのは、ジョン・ケリーであった。

 オハイオの投票者のほとんどは、自分がケリーに投票していると思った。水曜朝1時5分、CNNの出口調査では、オハイオ女性投票者のあいだでは、ブッシュ47%に対しケリーが53%で勝っているとの結果であると報道された。〔出口調査が公式結果と合うように歪曲されたことについての記事はこちら(リンクは原文で。以下同様。)〕この出口調査は、のち集計された結果と合わされ、ということは合わされたことで汚染され、最終的には、見たところ実際であるような投票結果を反映したものとなった。ケリーは、オハイオの男性投票者についても、ブッシュの49%に対し51%でリードしていた。オハイオで女性・男性以外に第三の性が投票していなければ、オハイオはケリーが勝ったのである。

 一体どうなっているのか。答え。出口調査は正確である。調査員は「どの候補に投票しましたか」と訊く。残念ながら、調査員は決定的に重要な質問をしなかった。「あなたの票は集計されていますか。」そんなこと投票者は知るすべもない。

 なぜ知るすべもないのか。それは、出口調査の結果によればオハイオではほとんどの投票者が、ケリー候補の場所に穴を開けたのだが、このうち何千もの票が単に記録されなかったからである。これは予測可能だった問題であり、現に予測されていた〔これについては、11月1日の”An Election Spoiled Rotten”参照。〕

 またしても、オハイオの未集計票ゲームの主役となったのは、きちんと穴が開けられたかどうか分からないパンチ式投票用紙のパンチ紙片と、重大な結果をはらむパンチ紙くず、今回はそれに加えて、従来、新規両方の卑怯な手段であった。

 オハイオの選挙結果をしたのは投票者ではなく、「書き損じ」といわれるものであった。概して米国では約3%の票が無効となる。破棄され、記録されない票である。ニュースを見て、首振り人形アナウンサーが、オハイオであれどこであれ、どこそこの州が51%対49%でこっちの候補が獲りましたと言うのを聞いても絶対信じてはいけない。かつて米国でそんなことが起こったことはないのである。なぜなら合計が100%になることなど決してないからだ。テレビが言う合計は、無効票を無視した数値である。

破棄されたのは誰の票か?
 大事なのは、すべての票が平等に無効になるわけではないということである。どの公式発表も、破棄された票のほとんどがアフリカ系アメリカ人と少数派の人たちの選挙区で投じられたものだと、している。〔詳細〕

 これは2000年のフロリダ州で経験している。あの時、出口調査の結果では、ゴアが最低でも5万票差でリードしていた。しかし、この数字は、公式の集計とはマッチしなかったのである。それは、フロリダ州の州務長官キャサリン・ハリスが、17万9855の書き損じ票を除外したからである。今回のオハイオ同様、このときのフロリダで失われた票のほとんどがパンチ方式でなされたものであり、パンチされた穴が完全に抜けきっていなかったものである。「紙片がぶら下がった状態」だったり、二度パンチされていたり、という票である。では破棄されたのは誰の票か。政府の委託で書き損じ票を調査した専門家らは、ゴミ箱行きとなった破棄票の54%が黒人が投じた票であると計算している。〔この報告は、米国市民権委員会のもの〕

 問題のカギは、フロリダのケースが恐ろしいほどの典型であることである。最終的に、捨てられることになる票の多数(火曜の大統領選挙では、2万票近くが捨てられることになる)が、アフリカ系アメリカ人をはじめ少数派市民が投じた票となる。

 ということで、また同じことの繰り返し。それとも繰り返しではないかもしれない。というのも、前回と違い、民主党がオハイオの不明確パンチ投票(選挙用語で”undervoter(民主党から見て「未投票者」)”)の集計さえ要求していないからである。民主党が、支持候補者が前もって識別されていた可能性がある”overvotes”(共和党にとっての「余分、いらない票」)の問題の調査さえ要求していないからである。

 投票し損じが生ずるようなパンチ式カード機械を使っている州は、オハイオを含め数州しか残っていない。オハイオの州務長官J・ケネス・ブラックウェルは、選挙の前にこう明記している。「オハイオの予備選でつかったパンチ式投票機械を使えば、大統領選の開票結果が僅差になる可能性があり、そうなるとフロリダのような災難が起こる。」

 しかし今週、共和党としての党派性を日増しに強めているブラックウェルは、民主党票を飲み込む癖がある投票機器で選挙を実施する準備を着々と進めたのである。キャサリン・ハリスの二の舞になることを懸念していないか、との質問に、ブラックウェルは、ミス・調整ハリスはあの努力が実って連邦議会の議員に当選した、と応えた。

 では、今回いったい何票が書き損じとして捨てられたのであろう。注目すべき点だが、ブラックウェル事務所はこの点については発言しないであろう。法により報告が義務付けられているにもかかわらずである。なるほど。しかし、前回の選挙では、オハイオで破棄された票が全部で、民主主義が当然要求するだけの数値1.96%にも及んでいたことが分かっている。あの機械は、このよく起こる損失を11万票に生み出し、しかも、その圧倒的多数が民主党票だった。

異議申し立ての影響
 第一に、ケリー票の問題として、不確定パンチ投票用紙があった。しかし、問題はパンチ式投票だけではない。もうひとつ「異議申し立て」があった。これは、オハイオの共和党による、クー・クラックス・クランの古い手法を上品に言った表現で、つまり、有色人種の投票を投票所で阻止する行為のことだ。オハイオ、ウィスコンシン、フロリダで共和党は、ほとんど使われてこなかった不可解な法を引き合いにして市民に奇襲攻撃をかける計画を練り、共和党の投票監視員が個々の投票者を呼びとめ、その人の投票権を拒否することを可能としたのである。オハイオの裁判所はこの計画に愕然としたし、連邦法は、異議申し立ての要因を人種として、特定の有権者を標的とすることを禁じている。しかしながら、最高裁では、共和党選挙監視員の投票所でのこうした活動を容認させる準備がととのっていたのである。

 こうして、乱発こそはされなかったが、異議申し立てはおこなわれた。その結果、おおくの投票者が、あの嫌な臭いのする「仮」投票(気休めの投票のようなもの)をさせられることになり、これらの票は、数えられるかもしれないし、捨てられるかもしれない。ブラックウェルの推定では、仮投票は17万5千。民主党は25万としている。どっちを選んでもいいだろう。問題は、この異議申し立てが少数派を標的にしたものであり、またしても、この少数派が圧倒的に民主党支持であることは周知の事実なのである。仮投票を集計し、穴あけ損じパンチ投票用紙も集計(肉眼で再集計すれば簡単な作業)するなら、本当の合計は、出口調査の結果と肩を並べはじめるだろう。そうなると、おーっと、別の大統領が当選することになる。オハイオでブッシュとケリーの差は、13万6483票だったのをお忘れなく。

魔法にかけられた州の魔法にかけられた票
 さて、ニューメキシコ州に移ろう。ここでは、票が全部数えられたなら、ケリーの得票差がもっとはっきりと出ていた場所である。選挙前、私はこのTomPaine.comでこう書いた。「ニューメキシコでは、ジョン・ケリーが数千票差で負けている。まだ一票も数えられていないのにである。」

 なんでこんな事態になったのか。そろそろ分かってきただろう。ここでも、書き損じ票、仮投票ですよ。

 CNNによれば、ジョージ・ブッシュは1万1620票差でニューメキシコを獲得。ここでもCNNの集計結果は、奇跡的にも、存在し得ない「100%」となっていた。

 前回選挙でニューメキシコの報告では、書き損じ票は2.68%であり、そのほとんどがヒスパニック、先住民、貧民階層の選挙区の住民が投じた票であった。民主党の縄張りである。今回の大統領選挙で、おなじ割合で損失が生じていたとすれば、1万8千票がゴミ箱行きになったと推定できる。

 ニューメキシコでは、書き損じ票がかなりの割合で民主党票である傾向がある。この魔法にかけられた州(Enchanted State。ニューメキシコ州の愛称)では、ヒスパニック系が2人に1人以上の割合でケリーに投票したが、彼らの票は、白人者に比べ、5倍の確率で無効にされる可能性が高い。この未集計票を数えたなら、ブッシュの「リード」は簡単に覆されたはずである。

 すでに、書き損じ票の選挙歪曲効果が、選挙統計に表れ始めている。まさに予想したとおり、共和党の選挙委員の支配下にあるヒスパニック系地域でである。ニューメキシコの「リトル・テキサス」と呼ばれるシャベス郡は、44%がヒスパニック系、それにくわえてアフリカ系アメリカ人、先住民からなる地域である。なのに、ジョージ・ブッシュは、(ケリー)31%に対し68%で「勝利した」。

 選挙前、シャベス郡の共和党選挙事務所のメンバーと話しをした。彼は、ヒスパニック系で書き損じ票が大量にでるのは、あの人たちがどちらの大統領候補に入れたらいいか決められないことを示唆しているに過ぎない、と言っていた。奇妙なことに、この褐色の肌の人たちは、わざわざ決断力の無さを示すために、砂漠の中を遠いところはるばる投票所まで車を運転してくるのである。

 さて、ニューメキシコの仮投票が全体にどう影響してくるのであろうか。

 仮投票用紙について、アルバカーキーのジャーナリスト、レネイ・ブレイクは「彼らは、仮投票用紙をお菓子のように配って歩いていた」と報道していた。配られた仮投票用紙は2万。だれの手に渡ったのか。

 ニューメキシコで、カトリック大司教区の「誠実な市民行動(“Faithful Citizenship”)」プログラムを運営するサンチアゴ・フアレスが話してくれたことによれば、「彼の(地域の)」有権者は、貧しいヒスパニックで、サンチアゴは彼らを強固なケリー支持者と見ているが、この疑わしい仮投票用紙を渡されたのはこうした人たちであった。ヒスパニックは、集計される種類の用紙の代わりに、もはや有権者の身分証明など必要とされない投票所で「ほとんど宗教的に」仮投票用紙を渡されたのである。サンチアゴによれば、なかには、投票自体を拒否された人もいた。

独自でケリー勝利パーティの企画を
 ということで、オハイオとニューメキシコはケリーが獲得と宣言できるのである。票を全部数えればの話だが。

 しかし、それはないであろう。自身の宣言に反し、党指導部はまたしても人種差別的公民権剥奪に屈したのである。なぜか。民主党は、書き損じ票・仮投票をすべて集計するには、オハイオのブラックウェル州務長官の協力が要ることを痛いほど知っているからである。どの票を数えるかを最終的に決めるのはブラックウェルなのである。キャサリン・ハリス並みの政治的心臓にあこがれているブラックウェルが、全面集計になりそうな集計を許可する見込みは薄い。また、民主党指導部は、全面集計を要求しようものなら、マスコミの懲罰を受けることも痛いほど知っているのである。

 こうなった今どうすればいいのか。実際はケリーが勝利したのだから、独自の勝利パーティを開いてはどうか。ただし、部屋のカーテンはしっかり引いておくこと。第3愛国法のもとでは、全面集計の要求は不法行為となる可能性があるからである。

 かつて私は、ロンドンのガーディアン紙でコラムを書いていた。この間、何人かの友人から、また米国を離れるのかと訊かれている。すべての票を数えないという、二度にもわたる、失敗に照らすなら、私が国を離れる必要はないであろう。なぜって離れていったのは国のほうだったから。

原文:http://www.tompaine.com/articles/kerry_won_.php

イラクの民間死亡者10万人を超える

2004-11-01 23:50:47 | ニュース@海外
 10万という数に、当然overestimateだunderestimateだという議論も出てくるかと思いますが、心を打たれたのは、いま世界でもっとも危険な場所といわれるイラクで、調査をおこなった研究者たちの勇気でした。
 
 新潟の震災では、瓦礫につぶされた車の中で4日間も一人でがんばった優太ちゃんの姿に、たくさんの人が心を動かされたのではないでしょうか。そんななか、イラクでは彼と同じような子どもたちが、爆撃を受け、瓦礫の下敷きになり死んでいっています。なのに米軍は、ファルージャへの総攻撃を明言しています。心が凍ります。

 そんななかで、この9月おこなわれた調査についてのロイター記事です。

 あい


イラクの民間死亡者10万人を超える
ロイター
バトリシア・レイニー

2004年10月28日

【ロンドン】昨年はじまった米国主導の侵略以降、イラク人が数万人規模で殺されている。このたび米国の公衆衛生専門家たちがまとめた報告によれば、この18ヶ月で推定10万人が「過剰に死亡」している。

 死亡率上昇の主要な原因は暴力行為で、そのほとんどが米軍による市街地への空爆である。

 「控えめに見ても、2003年イラクへの侵略以降、およそ10万人またはそれ以上の数で過剰の死亡者が出ている。」ジョンズ・ホプキンス大学公衆衛生学部のレス・ロバーツ氏は、ランセット医学ジャーナルがオンラインで発表した報告のなかで、こう述べている。

 ロバーツ氏は、ロイターに対し「民間人が多く住む地域で空軍力が使われていることで、女性、子どもの死亡数が高くなっている」と答えている。

 報告は、イラク戦争が一大争点になっているアメリカ大統領選挙を目前に発表された。

 イラクの死亡者数は、国連の経済制裁により食糧と医薬品が輸入できなかったことから、戦争以前から高かった。とはいえ、同報告を作成した研究者たちは、調査結果に衝撃を受けていると語っている。

 この数値は、研究者らが2004年9月イラクでおこなった調査に基づいたものである。調査は、無作為で選出した諸地域の世帯調査により、2003年3月の侵略がはじまる前の14.6ヶ月と、侵略後の17.8月のあいだに出た死亡者数を比較した。

 シンクタンクや報道関係の情報に基づいてだされていたこれまでの推定は、イラクの民間死亡者数を1万6053人、軍人死亡者を6,370としていた。

 比較までに言うと、ペンタゴンの発表によれば、戦闘または攻撃で死亡した米兵の数は849人、これ以外に事故または戦闘以外の原因では258人が死亡している。

 研究者らは、空爆が死者数の多さの主因であるとしている。

 「確かなのは、人口の多い市街地で空軍力が使われていることで、それがひどい結果をもたらしているということである」とロバーツ氏は述べている。

 調査に協力したギルバート・バーナム氏によれば、イラクにおける米軍の行動は「イラクの民間人にとんでもない結果をもたらしている」。

 バーナム氏はロイターのインタビューに応え、「武力による死亡者数がここまで多い結果が出るとは予想していなかった。この報告が、民間人にこれほどまでの弊害をあたえない方法で、軍事、政治目的を達成する方法の議論が、そうとう真剣になされるきっかけになるよう願っている」と語った。

 調査は、それぞれが30世帯から成る33の集団を対象におこなわれ、死亡した日、情況、原因が記録された。

 調査の結果、侵略以降の時期におこった暴力行為により死亡する危険性は、戦争以前の時期にくらべ58倍も高いことが明らかになった。

 戦争以前、主要な死亡原因は心臓発作、慢性疾患、事故であったが、戦争開始以降、この原因は変わったのである。

 この調査で、暴力が原因と報告された死亡者の3分の2がファルージャでのものである。ファルージャは、バグダッドの西50キロにある、抵抗勢力の支配下にある都市で、何度も米軍の空爆にさらされている。

 ロバーツ氏は「調査の結果はさらに検証される必要があり、この報告が、空爆による非戦闘員の死亡者を減らすための〔政策〕変更へのきっかけとならなくてはならない」とも述べた。

 ランセットの編集者リチャード・ホートン氏は調査について、これはランセット・ジャーナルに今月〔10月〕はじめに提出されたもので、同業の専門家による審査を通っており、イラク情勢の重要性を考慮し、編集、迅速な発行をおこなった、と述べた。

 ホートン氏は論説のなかで「この調査結果は、イラクから遠く離れた人たち、先制戦争に責任を持つ諸国政府の人間にも疑問を投げかけている」と述べている。

原文http://www.reuters.com/newsArticle.jhtml?type=topNews&storyID=6649066

調査報告原文は、http://image.thelancet.com/extras/04art10342web.pdfへどうぞ

エミネムのブッシュ批判ビデオクリップ

2004-11-01 18:28:59 | ニュース@海外
"Eminem song puts Bush in the dock"

『エミネム、マイケルの次はブッシュを標的に』

『エミネムをノーベル賞受賞詩人が絶賛(BARKS)』

エミネムのビデオクリップ

俺についてこい、闇の中から導き出してやる

エンジンに点火してやる

弱音を吐くな、俺に希望をくれ、力をくれ

俺について来い、悪いようにはしない

信じてくれ 任せてくれ 霧の中から導き出してやる

トンネルの向こうの光に向かって

戦うんだ 攻め込むんだ 踏み潰せ、突き進むんだ

踏み潰せ、突き飛ばせ、押し潰せ

FUCK ブッシュ!

我らの兵士を戦場から取り戻すまで

大統領にライフルを持たせて戦場に行かせろ、

奴が勝手に始めた戦争なんだから

親父にいいとこ見せさせてやれ

石油のために戦争なんて御免だ

俺たちにはこの国で戦うべきことがある

メディア操作なんてまっぴらだ

俺たちをハメやがって

お国に身を捧げない奴や

戦争を応援しない奴は

売国奴だと信じ込ませやがった

奴の目を見りゃ、全部ウソだってわかるぜ

今夜、俺が殺されたら、その理由はわかるだろう

君たちに戦えと言ったからさ


ハリウッドの俳優たちの大統領選への動きやそのほか現地の話が掲載されています
映画評論家、町山さんのWebsite

<せいじ>