CAFE PACIS

ユルゲンが「カフェで政治が行なわれているんだ」って言う。じゃあ、カフェで平和やるか。

「まずリン・スチュワートが標的にされた」-米の司法弾圧

2005-02-24 15:04:43 | ニュース@海外
 2月10日、ニューヨークの弁護士、リン・スチュワートが連邦裁判所で約45年の実刑判決を受けました。おもな容疑は、テロリストの弁護にあたり政府を詐欺にかけた、というもの。

 陪審員による有罪判決の報を受け、拷問スキャンダルの立役者である新司法長官のアルベルト・ゴンザレスは、こういいました。「司法省は、テロをするもの、そしてテロリストの殺人的目標を支援するものを追い詰めるとの、明確なメッセージをおくった」。

テロの幇助とは一切関係のない容疑で、主流マスコミの旗振りのもと「テロリスト」援助のレッテルを張られ、弁護士が有罪判決を受けたことに、アメリカの法曹界に衝撃が走っています。
 
日本でも、反戦ビラまきなどで逮捕されるなどの弾圧が始まっていますが、アメリカにおける弁護士攻撃は、格段に質が違うでしょう。
 
以下、Truthoutの記事で、大体のことがわかると思いますが、さらに詳しくは、スチュワート支援ウェブサイトへどうぞ。

 あい

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まずリン・スチュワートが標的にされた

マージョリー・コーン
Truthout/Perspective
2005年2月15日


まず共産主義者が標的にされた。私は黙っていた。共産主義者ではなかったので。
つぎに社会主義者が標的にされた。社会主義者ではないので私は黙っていた。
つぎに労組組合員が標的にされた。組合員ではないので私は黙っていた。
するとユダヤ人が標的にされた。ユダヤ人ではないので私は黙っていた。
そして、私自身が標的にされた。私のために声をあげる人は残っていなかった。
マーチン・ニーメラー牧師 1945

 今日の標的は法律家。そして、声を上げなくてはならないのは、私たち全員である。

 先週の木曜(2月10日)、13日にわたる審議の結果、ニューヨークの著名な公民権弁護士リン・スチュワートが有罪判決を受けた。起訴の理由は、共謀、テロリストへの重大な支援の提供、米政府に対する詐欺行為である。この7ヶ月に及ぶ裁判がおこなわれた連邦裁判所は、まさに50年ほどまえローゼンバーグ夫妻がスパイ活動共謀罪のかどでで有罪判決をうけた場所である。スチュワート弁護士は、35年から45年の懲役刑の判決を受けた。

 スチュワート弁護士が起訴されたのは2002年3月で、起訴の根拠とされたのは、スチュワートと彼女の依頼者シェイク・オマル・アブドル・ラーマンが交わした会話を聞いていた政府の記録で、この会話は、2001年9月のテロ事件がおこる2年半前のものである。

 ラーマンは現在、終身刑プラス65年の懲役刑に服している。罪状は、ニューヨーク市の主要ビルの爆破を策謀したこと、米軍およびホスニ・ムバラクエジプト大統領に対する攻撃を説いたこと。

 司法長官の指示により、米刑務所局(the Bureau of Prison)は1997年から、ラーマンに特別行政措置(SAM)を適用し、手紙・電話の利用、マスコミ・訪問者との接触を制限している。

 スチュワート弁護士には、ラーマンとの接見許可を得るにあたり、特別行政措置を守るとの署名誓約を義務付けられた。同時に、「法的問題に関し、アブドル・ラーマン囚人と話し合う目的で、同伴者は通訳者のみ」とし「自身のアブドル・ラーマンとの会合・通信・電話を、(それだけに限らないが、マスコミも含む)第三者とアブドル・ラーマンとの間でのメッセージ伝達としない」ことに合意した。

 政府の容疑によると、スチュワート弁護士は、アラビア語通訳者に、イスラミック・グループ問題に関する手紙をラーマンに読み上げること、同グループがエジプトでの停戦を順守し続けるべきかどうかという問題についてラーマンと話し合うことを容認したという。また、同弁護士が、特別行政措置に違反し、こうした会話を刑務所警備員に隠れておこない、ラーマンが(エジプトでの)停戦支持を撤回したとマスコミに発表した、という。

 スチュワート弁護士は、こうした証拠不十分な申し立て否定し、エジプト停戦に関しさらなる協議を呼びかけたラーマンの声明を伝言することは特別行政措置違反にあたらない、と誠意を持って信じていると証言。同弁護士は、眼にふれる機会を多くすることで、ラーマンをエジプトに移動させようと試みていたのであると証言した。ラーマンは老齢で、盲目で、英語を話さないため、ミネソタ州にある連邦刑務所に、事実上、独房監禁状態におかれている。

 スチュワート弁護士は、自身の誠意ある信念は、元米司法長官のラムゼイ・クラークの行動に基づくものである、と証言。クラーク氏もラーマンの弁護人の一人である。クラーク氏も、特別行政措置に署名しており、記者会見を開き、エジプト政治問題に関するラーマン声明をマスコミに伝えている。が、なぜか、クラーク氏は起訴されていない。

スチュワート弁護士の弁護に立ったクラーク氏は、Democracy Now!でこう話した。「リン(・スチュワート)がして、私がしなかったことなどありません」。「この裁判は、2001年9月11日の事件で作り上げられてきた恐怖感がなければ、ブッシュ政権がその機会に乗じたのでなければ、起こされなかったものです。通常であれば、リンの行為はすべて、依頼者の代理人である有能な弁護士が熱心に本分を尽くすための行為と見なされるものです。」

 2002年の会議で、スチュワート弁護士はこう述べている。「刑務所局の指令に違反した場合、担当する囚人にはもう接見できないと言われたり、何らかの行政的な罰則が課されるのが普通です。テロ組織を支援しているとの容疑で起訴されることは、まずありません。」

疑問なのは、リン・スチュワート起訴に、なぜ政府がここまで時間をかけたのか、ということである。ナショナル・ロイヤーズ・ギルド(National Lawyers Guild)のヘイディ・ボゴシアン(Heidi Boghosian)事務局長によれば理由はこうである。スチュワート弁護士は、「司法省がテロと果敢に戦っているというアリバイづくりのために、司法長官が渇望していた標的ナンバーワン」だったから。

スチュワート弁護士が起訴された時点で、9・11以降ジョン・アシュクロフト司法長官が逮捕できていたのは、ジョン・ウォーカー・リンドだけ〔訳注:2001年タリバンの兵士として米軍と交戦中、アフガニスタンで拘束された、カリフォルニア州出身の青年。当時20歳。〕「スチュワートを起訴することで、アシュクロフトは二重の意味を持つ強力なメッセージを発したのです。その一、世間が嫌悪する考えをもつ人物を弁護するような弁護士は起訴されうる。その二、このような依頼人は弁護されるに値しない。」

ブッシュが「愛国法」に署名したのは、アシュクロフトが刑務所局規制の暫定的改正を発表したのと同じ日であったが、改正法の発効は、通常国民から意見が出される期間を排除した、5日後のことであった。改正法が成立したいま、司法省は、弁護士と拘束中依頼人の会話を盗み聞きする、無制限かつ再考不可能な裁量をもつにいたっている。そこには、司法の監視や明白な基準など存在しない。改正法が適用されるのは起訴済みの囚人だけではない。司法省が拘束するすべての人に適用されるのであって、公判前の抑留者、重要参考人、(不法入国としての)入管施設の被収容者など、犯罪による起訴とは一切無縁の人たちも含まれるのである。

2002年、ナショナル・ロイヤーズ・ギルドの大会でスチュワート弁護士は、この起訴が、今後の弁護士・依頼者間秘匿特権に意味するものを警告した。「これは、弁護する権利を守るという問題です。一度、弁護士・依頼者間秘匿特権が失われてしまえば、いま自分たちが知っているところの弁護する権利はなくなります。」依頼者との会話を政府が聞いていたことについて同弁護士は、「問題にすべきは、部屋で私が何をしていたかではなく、政府が何をしていたかでしょう。」

 50年代マッカーシズムが吹き荒れたとき、共産主義の脅威と考えられていたものを根絶しようと、政府は異端な政治見解を持つものすべてを威嚇し沈黙させるために、違法な監視活動を広範におこなった。多くの人が刑務所に送られ、職を失った。FBIによる「アカ狩り」で、何千もの人生が狂わされた。

 9月11日以降、政府政策に異論を唱えるものは「テロリスト」のレッテルを貼られてきたが、それは今後も続く。リン・スチュワートの容疑のどれも「テロリズム」とは関連づけられていないし、オサマ・ビン・ラディンも容疑とは一切関連づけられていない。にもかかわらず、起訴側は、ビン・ラディンの名前を裁判に持ち込んでもよい、と許可されたのである。

 陪審員の審議が始まってから10日半後、スチュワート弁護士の家に、ユダヤ防衛組織(the Jewish Defense Organization)の脅迫状が投函された。脅迫状には、次のようなメッセージが書いてあった。「手を差し伸べよ、ならば、陪審員は彼女の本性を理解する。ちなみに、すでに手は差し伸べられた。」メッセージには、スチュワート弁護士の住所が記載してあり、彼女を「法的にかつ事実上、廃業させなくてはならない」とも書いてあった。「彼女を自宅から、この州から追い出す」とも脅していた。陪審員のなかにこれを受け取った人がいたとしたら、それが理由で、有罪判決側にまわることを強いられたかもれない。〔注:判決が読み上げられた際、女性陪審員のうち3人がずっと泣いていたという。スチュワート弁護士は、「公正な判断を下したと思っていれば泣くはずはない」と話している。〕

 スチュワート弁護士は、Democracy Now!のインタビューでこう述べている。「特別行政措置というのは、『この規則を破れば、依頼者と接触できなくなる可能性がある』というものです。私たちにとっては、最大の懸念は、依頼者と話しができなくなるかもしれない、ということで、起訴の可能性などは夢にも思っていませんでした。」「理性でも、感情でも、正しいことをしたと信じています。」

 スチュワート弁護士の起訴そして有罪を受け、今後弁護士は、嫌われ者の弁護にしり込みをするであろう。Center for Constitutional Rights(「憲法の権利を守る会」とでもいったところか)のマイケル・ラトナー会長は、「この起訴の目的は、テロ容疑をかけられた人の弁護士にメッセージを送ることにありました。危ないからやめておけ、と。」

 スチュワートの弁護人であるマイケル・タイガー氏は、この不当判決を下した陪審員を責めてはいない。判決が言い渡されたあと、タイガー弁護士は、「善意の陪審員が、マスコミの報道を支配している時の政府の言い分に、大部分は恐怖が理由で、巻き込まれてしまうことは、これまでもあったことです。」「陪審員を批判はしません。この判決が無効になることは確信していますから。」

 現在、グアンタナモの抑留者の弁護人らは、依頼者との協議を秘匿としないよう合意するよう求められている。Democracy Now!のインタビューで、タイガー弁護士は、「グアンタナモとアブグレイブの強制収容所の真実をつきとめるとするなら、唯一の道は、囚人の弁護人たちが、世界にそのことを知らせることでしょう。政府が弁護人と囚人の接触を絶つことに成功すれば、それを彼らは何度も何度も試みているわけですが、(拷問などの)ああいった行為は秘密のうちに続けられます。」

 この危険な時代において、身の危険を感じないことは不可欠な要素である。しかし、1995年連邦最高裁判事のサンドラ・デイ・オコーナーが判決意見で述べたように、「憲法上の自由に対する最大の脅威は、危機の時にやってくる、ということは何度繰り返しても足りないぐらいである。」弁護人・依頼者の秘匿特権。これは、アメリカの刑事裁判システムの核心をなすものである。本気で守らなければ、全員が危険にさらされる。


米海兵隊司令官:「人を撃つのは楽しい」

2005-02-04 14:05:20 | ニュース@海外
 2月1日、米サンディエゴでおこなわれた公開討論で、イラク戦争の指揮を執ったジェームズ・マッティス大将が「多少の人を撃つのは楽しい」と発言。続けて、「戦うのはすごく楽しい。底抜けに楽しい。ドンちゃん騒ぎ好きなんですよね」とも。マッティスは、イラクのキャンプ・ペンドルトンに配備されている第一海兵師団を指揮していた。
NBCSandiego.com

 アフガニスタンの戦争にも従事していた同大将は、「アフガニスタンにいくと、ベールをかぶらないという理由で5年間も女を殴ったりするようなやつらがいて」、「どっちみち男の腑抜けみないなやつらですから、そんなやつらを撃つのは底抜けに楽しい。」と、止め処なし。

 この議論には200人ほどの人が集まっていたが、おそろしいのは(当然かもしれないが)この発言を聞いて、軍人が手をたたいて笑ったということ。

 この日の討論でマッティス大将は、戦争の戦術について話し、またテロリストの能力を過小評価しないようにと警告した。

 ジェームズ・マッティス大将は、2004年春のファルージャ虐殺で海兵隊を指揮した人物。また、2004年5月米軍の「誤爆」で、結婚式をしていたイラク人40人(新郎新婦も含む)が殺されたときには、「戦争には悪いことがつきもの」とコメントしている。

 そりゃ彼の兵士たちも「戦うのはすごく楽しい」でしょうね。数日前の1月31日には、その楽しい戦いのなか、バグダッドの南で海兵隊員が3人死亡、マッティスがかつて指揮を取っていた第1海兵隊師団の一人がアンワル州で死んでいる。もちろん、彼らが死んだのは、任務が基本的にイラク人殺しだからであるが。(ちなみに、いまファルージャの「戦い」を描くハリウッド映画が作られている。そこで、このマッティスの役割を演じるのが、なんとハリソン・フォード。ハリソン、反戦派なんじゃなかったの。)

 この1月、海兵隊は目標としていた新兵の募集規模を達成できなかった。この10年で初めてのこと。イラク戦争で死んでいる米兵の31%が海兵隊員である(New York Times,2005年2月3日)。
 
 ブッシュ政権の政策をことごとく先取りしてきたことで名高いネオコン・シンクタンクThe Project for the New American Century(アメリカ新世紀プロジェクト)が、1月28日、「徴兵」という言葉を使わずに、事実上徴兵を要求した提案を議会に提出していることとあわせて考えるなら、アメリカの徴兵制復活もそう遠くはないかもしれない。(「しんぶん赤旗」2月4日)

 あい

どう見るイラク選挙 その3:「民主主義と死亡者名簿」

2005-02-04 02:06:04 | ニュース@海外
 在米イラク人で、詩人・小説家のシナン・アントゥーンは、「死人は投票しない。しかし、イラクではカウントさえされない」と書く。

Democracy and necrology
アル・ハラム・ウィークリー(2005年1月27日-2月2日版)


 「イラクで起こっている、果てしなく続きそうな惨事のひとつ一つにクライマックスがある。それは想像であったり、痛いほど現実的だったりする。もうひとつそんな舞台劇がやってくるのだが、それには「選挙」という題が付いているかもしれない。最初その劇は、華やかなクライマックスの向こうに民主主義が待ち受けており、その山を越えることは困難ではあっても致死的ではない、と宣伝されていた。総合解説つきの頂点に達する道を演ずるのは、冷淡な筋書きに沿った下手な役者たちなのだが、その道程には、運命付けられたように、爆発・爆撃・自爆の音や、ラムズフェルド流解放者やそのザルカウィ変形版を伴奏する日々の社交辞令が聞こえてくる。たぶん、イラクの悲劇は、解放者の数が多すぎることにあるのだろう。とりとめもなく、美辞麗句にみちたクレッシェンドも、お祝い騒ぎも、その過程からはじかれた者、舞台裏にしゃがむ役すら与えられなかった者たちから、そしてそういった者たちに代わって挙げられている、疑問と異議の声にかき消されそうになっている。

 今回の選挙では、すべての面で実務が混乱し、安全は完全に欠如していた。これは、数多の障害の一部であり、選挙に問題ありと言われる根拠なのであって、今後数十年にわたり選挙の正当性を疑問視する亡霊のようにとりついて離れないであろう。しかもこの議論は、軍事占領によって構想され、軍事占領化でおこなわれ、合法性を証明したかもしれない国際機関の装いすら欠いたずさんな選挙という、先天的欠陥を無視した上での話である。今回の選挙で保証されたことがあったとすれば、党派による偏狭政治が制度化されたことであろう。選挙の公正を証明するはずの国際監視団体が仕事をしているのは、イラクから何百マイルも離れたヨルダンのアンマンである。起こっていることのパロディを地でいっている。

 反対意見や疑問の声のすべてが、真に民主主義をめざしているために出されているとは限らないし、単に長い流血の内戦の恐れを払いのけようという願いから出されていることもある。しかし、こうした意見の多くは本物である。皮肉中の皮肉は、遠くにいる者ほど選挙権が増す、ということだ。ロンドンやデトロイトといった街で暮らし、ほとんどが近い将来はイラクに戻りそうもないイラク人たちが、そうできるところでは、今回の選挙に一票投ずることができる。しかし、ファルージャやモスルや、スンニ三角地帯とされる場所に一緒くたにされた地域の市や町に住んでいる(そして死んでいる)者たち、我々在外イラク人よりはるかに選挙で直接的影響を受ける人たちが、欲したとしても投票できないのだ。国外に散り散りになったイラク人が祖国の将来に発言権を持つべきではないとか、政治に積極的に参加すべきではない、と言っているのではない。反対に、時が経つにつれ、国外のイラク人社会が、重要な役割を果たすことが明らかになってくる、と私は思っている。しかし、こうした人たちの影響力と投票数は、現にイラクに住んでいる国民のそれを上回るべきではない。

 こうして書いているあいだ、絶滅解放がなされる前ファルージャにいた30万の住民のうち、戻ったのは10万人だけである、という報道がはいってくる。戻ってきた住民が目にしたのは、亡霊の街、倒壊していない家などほとんどない街であった。

 水道も電気もない。置き去りにされた死体を野良犬がむさぼり、街のほとんどは、全市民に対し、わけの分からない理由でいまだ立ち入り禁止とされている。数ヶ月前、アメリカ政府とイヤド・アラウィの政府は、「解放」されたら再建と復興をしてやると言っていた。果たして、その約束も霧消してしまった。破壊された家屋とかけがえのない所有物の補償金として100米ドルが与えられると言われた。残酷な冗談にもほどがある。この人たちが、難民キャンプでうずくまり、あまり快適ではない「国内避難民」の暮らしに順応しながら、国の民主化に大した情熱を示さないからといって、誰が彼らを非難できるのか。

 ファルージャやモスルの住民や、選挙をボイコットしたり、選挙にいけない、その大部分がスンニ派の人たちだけの話ではない。10万に近い投票を阻止する多岐かつ典型的な投票阻止がおこなわれていて、この人たちは一人として確実に投票にはいかない。フロリダ州に住んでいるのでない限り、この死んだ人たちは投票できないのである。10万という数値は、戦争開始以来のイラク民間人の死亡者数で、ジョンズ・ホプキンス大学、コロンビア大学、アル・ムスタンシリヤ大学の研究者が共同でおこなった調査によるものである。

 アメリカ合衆国は、民間人死者の数には「関心がない」。コリン・パウエルの言葉である。

 「ボディ・カウントはしない」、戦争の英雄トミー・フランクス将軍の言葉である。

 それだけではない。イラク厚生省は、独自の死亡者調査をやめろと命じられた。帰還した戦死兵士が入った棺桶の姿が国民の目に入らないように躍起になっている政府に、何が期待できよう。

 お決まりのことだが、一部からこの調査方法にすばやく疑問が投げかけられた。人の死より技術的問題のほうが大事と思うような種類の人たちによってである。スターリンはこの点で的を得ていた。「一人の死は重大事件だが、100万人の死は統計。」こういった話や数字は大海の一滴のようにあっという間に消えさせられてしまう。そうすれば、待ち受ける純度100%の自由への道の展望がよく見えるというものだ。十数万が死んだって、所詮有色人種だろってわけで、世界の同情マグニチュードの高さは低いのだ。他にも、ダルフールからパレスチナからいろんなところで、とてつもなく複雑で、文明社会の注目を待望しているケースが五万とあるだろう。ほかの人と同じように、私もこの10万という数値に黙って向き合うときがある。あなたたちが鳥だったなら、いなくなった時、人はもっと激しい怒りを覚えたかも知れない。大都市の空に大挙して押し寄せ、空を灰色に埋め尽くし、数時間ほど抗議することができただろうから。気象学者とバードウォッチャーたちが、確かにその姿に気づいたことだろう。あなたたちが樹だったなら、その美しい森が破壊されたとき、それは地球に対する犯罪とみなされただろう。あなたたちが言葉だったなら、尊い本や稿本となり、その損失は世界中で悼まれたことだろう。でもあなたたちは、そのどれでもない。しかも、黙って、何もなかったように消えなくてはならなかったのだ。今回の選挙では、誰もあなたたちのために運動してくれないだろう。だれも、あなたたちを代表しようなどとは思わない。不在者投票用紙は発行も発送もされていない。慰霊碑、もしくは小さな資料館が建てられるにはあと数十年待たなくてはならないだろう。過去の出来事に罪を覚えさせることができるほど運がよければ、どこかの壁にあなたの名前が刻まれることもあるかもしれない。でもそれまでは、亡霊となって、自由に大声で沈黙の歌を歌い、傍観者と役者とを糾弾していてよろしい。
一同退場。」

 あい

どう見るイラク選挙 その2 「報道されない『選挙』の実態」

2005-02-03 14:53:46 | ニュース@海外
米国人ジャーナリスト、ダール・ジャマールによるリポート

2005年2月1日 What They're Not Telling You About the "Election"

 「流血と選挙の日が過ぎ、「民主主義」成功のしるしと絶叫する企業マスコミの勢いも下火になてきた。

 イラクで民間人・兵士あわせて50人が死んだこの日、この死亡者数は「予想より低い」と歓迎された。よって・・・ブッシュ政権/企業メディアの許容範囲に入る。所詮、そのうちアメリカ人は一人だけで、あとはイラクの民間人とイギリス兵士だし。

 現行の破綻したイラク占領を正当化するために選挙を利用しようという賭けは、みたところ元が取れているようだ。ただし、主流マスコミの報道を見る限りである。

 アメリカの主流テレビは、「予測より高い投票率」と騒ぎたて、一部は投票率72%という数値を引き合いに出し、そのほかも60%と報道した。

 彼らが報道していないのは、この数値が、イラク独立選挙委員会(IECI)の広報担当ファリド・アヤールの口から、投票箱がしまる前に出たものだ、ということだ。

 記者会見で、投票率の根拠について質問されたとき、アヤールは最初に発表した数値を撤回し、より正確な推定はもっと低くておそらく登録者の60%あたりになろう、との訂正発言をした。

 同報道官は、最初に言った72%というのは「推測しただけ」のもので、「単なる予測だった」のであり、その根拠は、現場から口伝された「非常に大雑把なものであり、委員会が正確な投票率を発表するには時間がかかる」と述べた。

 この二つの数値に言及しながらも、アヤールは、「投票率と投票数は、集計が終了したときに分かりますので、そのときに発表します。…この二つの数値を公式とするにはまだ早すぎます。」と付け加えた。

 この点の重大性もさることながら、主流マスコミが犯した虚偽報道はこれだけではない。

 彼らが報道しなかったのは、投票した人が35%であれ60%であれ、進行中のアメリカによる国の占領に支持票を投じたのではない、ということである。

 それどころか現実に、イラク人はまさに反対の理由で投票したのだ。投票をしたイラク人で私が話した人は全員、近々召集される国会が占領の終了のきっかけをつくるはずだ、と信じていた。

 しかも、彼らは、外国軍の撤退を求める要求が、遠い将来でなく近いうちになされると期待している。

 こうして見ると、歓喜に踊るイラク人の姿を映し出したテレビの映像が違って見えてくるのではないだろうか。

 しかし、アメリカでCNN、FOXはじめメジャーな放送局の番組を見ている人のほとんどにはそうは映らないであろう。視聴者は、「世界は、中東の中心から自由を求める声を聞いている」というブッシュの発言を聞き、それを事実として受け止める。なぜなら、ほとんどの主流マスコミが、混乱と暴力が日常化した地で生きるイラク投票者が喜ぶ姿を写した映像の奥に何があるのかを、報道していないからである。仕事も電気もなく、水の供給も切れ切れで、(イラク人には)ガソリンもない生活をマスコミは伝えていない。

 しかもマスコミは、ブッシュを、イラクに民主主義をもたらした人物として描き出しているが、その理由は、いわゆる――ずさんだった可能性が強い――選挙がされたという単純な事実からだ。どうやら、多数派のシーア派はついに、「政府」で勢力に応じただけの権力を得ることができそうである。

 ブッシュ政権は、見たところ、自分たちが他国を思って選挙を支持したと描き出しているし、主流マスコミもそう宣伝しているが、よく見るならば、このすべてが但し書き付であることが見えてくる。

 しかも、投票に行ったイラク人たちの耳には、占領の終結を求める、という別の大声が聞こえているのである。

 選挙はされたが問題は解決されていない。国会が召集され、10万を超える米軍がイラクに留まり、ブッシュ政権が米軍撤退の日程提案を拒否し続けたなら、何が起こるか。

 すでに国内には米軍の常設基地が4つもできており、それらが撤去されるどころか、チェイニーの古巣ハリバートンにより現在さらなる基地の建設が進められていることを知り始めたら、何が起こるか。

 Foreign Policy in Focusのアントニア・ジュハズは、「選挙」の直前、投票がどうこうとの大騒ぎの只中で消されてしまった問題に焦点をあてた記事を書いていた。

石油である。
 
 中東の中心に民主主義をもたらした者たちがほとんどの人たちに語っていない本日のテーマにぴったりなので、彼女の記事を大部分において再掲したい。

 『2004年12月22日、イラクの財務相アブドル・マフディ氏は、ワシントンDCのナショナル記者クラブにおいて、少数の報道と業界関係者に向け記者会見をおこなった。マフディ氏は、イラクの国有石油会社を外資に解放することを可能にする石油法案を提出したいと思っている、と述べた。「ですから、これはアメリカの投資家、アメリカ企業、もちろん石油会社が非常に期待できるものだと思います」と説明。つまり、同氏は、イラクの石油を民営化し、アメリカの企業の手に渡すことを提案しているのである。

 同財務相によれば、外国人は、「流通・マーケティング」部門だけでなく、「おそらく産油段階」でも投資ができることになるらしい。つまり、外国人がイラクの石油を売り、地下の石油も所有することができるということだ。まさにアメリカが戦争にいったそもそもの理由、と多くが指摘する点である。

 ディック・チェイニー副大統領が、1992年に出していた「防衛政策指針」は、「我々の総合的目的は、〔中東〕地域における主要外部勢力としての立場を維持することであり、同地域の石油に対するアメリカと西側の権利を維持することである」としている。

 アメリカの報道で、問題の報道は愚かこの記者会見に出たのはインター・プレス・サービスのイマッド・マッケイぐらいであったが、マフディ財務相が新法案を発表したとき、横にいたのは米国務省次官のアラン・ラーソンであった。これは、何かのメッセージが意図されていたからか。だとしたら誰に。

 その後、マフディ氏は、1月30日の選挙で、主要シーア派政党であるイラク革命最高評議会(SCIR)の候補者リストに名を連ねていることが分かっている。

 イラク全歳入の95%を占める資源を売り渡すと発表しても、国民の票は得られないかもしれないが、アメリカの政府と企業からは強大な支持を取り付けられることは請け合いである。

 マフディ氏が所属する革命最高評議会は、来る選挙でダントツでトップにでると見られているが、その理由はまさに、スンニ派が暮らす地域が破壊的な混乱に飲み込まれていることからスンニ派の投票がますます不可能になっているからだ。ブッシュがイヤド・アラウィ暫定首相に、選挙の中止を提案するようなことになれば、マハディ氏と革命最高評議会が最終的に勝利する可能性は低くなろう。』

 ひとつ付け加えるなら、マフディの革命最高評議会が所属するイラク統一連合(UIA)には、イラク国民会議も入っているが、これは、イラクへの違法な侵略に必要だった虚偽の情報を提供したブッシュ政権の旧友アメド・チャラビ率いる政党である。

 また、アラウィ暫定首相も侵略正当化に使われた虚偽情報をブッシュ政権に流した人物であることも留意すべきだろうが、アラウィは、イラク統一連合とほぼ同数の支持を得られると見られている別のシーア派候補者リスト〔イラク人リスト〕を率いている。

 しかも、イラク統一連合は、イランで生まれたシーア派宗教者アリ・シスタニ師の息がかかった団体である。シスタニ師は、膨大な信者に対し、投票に行かなければ地獄へ落ちる、との宗教令を出している。

 『よって、ブッシュ政権が革命最高評議会と取引をしたのでは、と見れるかもしれない。政権を保証する代りにイラクの石油を頂戴、と。アメリカがこんな取引を提案できるのは、イラクで糸を引くのはまだブッシュだからである。

 選挙の結果にかかわらず、新国会が憲法を起草し、国民が新政府を選出する少なくともこの1年間は、イラクが使える資金の最大部分(イラク復興には、アメリカの税金から240万ドルが配当されている)、最大の軍隊、イラク経済を左右する法律を支配するのはブッシュ政権であろう。この金と法律は、次には、アメリカが任命した監査官たちが監視することになる。すべての省庁で5年任期をもつ役職につき、取引の契約と規制に決定的な権限をもっている人物たちである。いまやブッシュ政権は、イラクの石油も手中に収めたのである。』

 主流マスコミが報道していないことはこれだけではない。占領を終わらせられると信じて投票したイラク人にも知らされていないことはまだたくさんある。」

あい
 




どう見るイラク選挙 その1:「修復不能なほど無効」。英国国会議員ジョージ・ギャロウェー

2005-02-02 00:06:27 | ニュース@海外
 ジョージ・ギャロウェー:スコットランド地域選出の国会議員。2003年10月、「不法な命令」に従わないよう英国兵士を激励したことで、労働党を除名される。主流マスコミから「サダム・フセインに雇われている」とのでっち上げ報道をされたが、このたび裁判で、報道の不正を証明し、謝罪・賠償を勝ち取った。

 Democracy Now! 1月31日報道

ジョージ・ギャロウェー(1月30日、ロンドンでのインタビュー)
 「この選挙は茶番、不正に操られたものです。外国軍の占領下でおこなわれる選挙は、本質的に、完全に欠陥選挙ですが、とくに今回の種類のような状況でおこなわれた選挙は、修復不能なほど無効です。現状を分析するなら、占領軍と抵抗勢力とのあいだで全面戦争がおこなわれているときに選挙をやるなど、とにかく不可能なのです。スンニ派は、クルド人・アラブ人を合わせ、人口の4割を占めますが、彼らは、信条に沿ってイラクを意図的に分裂させようとしている占領勢力のやり方を強く危惧しています。スンニ派アラブ人のほとんどが選挙をボイコットしました。安全などまったく論外の地域に暮らしているイラク人の4分の3が、退席することで反対の意思表示をし、選挙をボイコットしました。有権者のうち選挙登録をしたのは4分の1以下で、そのうち実際に投票をした人はそれをも下回りました。というわけで、これはお祭り騒ぎ、茶番で、米英のイラク侵略・占領を合法にするためにおこなわれたものです。ですが、合法にはならないでしょう。世界の世論からみても、さらに重要ですが、外国の占領に抵抗しているイラク人からみても、そうはなりません。残念ながら戦争はつづきます。」

エイミー・グッドマン
 「では、今後の展開はどうなると思いますか。何を要求していきますか。」

ギャロウェー
 「私はこれをイラクのユーゴスラビア化と呼んでいるのですが、そういった非常に重大な危険があって、国民が民族・信条の線で硬直し、国が三つに分裂するプロセスが始まる――そのひとつ一つがアラブ諸国だけでなく、トルコ、イランといった周辺諸国にも数々の現実の危険をもたらすもので、これらの要因が、かなり高い可能性で石油をめぐる戦いを引き起こし、すでに存在している利害をめぐる衝突を拡大しかねません。私たちの要求は簡単で、この大惨事を引き起こした者たちが問題を解決できないことは明らかで、ブッシュとブレアと占領軍はイラクから必ず撤退しなくてはならなくなります。どんな形であれこの戦争を終わらせるのであれば、これは絶対的な前提条件で、撤退方法、時期――短期間でなくてはならないでしょうが――について抵抗勢力と交渉しなくてはなりません。いまの段階では、ありそうもないことだと思うかもしれませんが、いつか必ずどこかで合意されなくてはならないことです。ベトナムから米軍が撤退したように、米英軍はいつか必ずイラクから撤退しなくてはならなくなります。」

グッドマン
 「イギリスの世論はどうですか。それと今日の雰囲気はどうでしょう。いまBBCにいますが、テレビでは一日中、投票に馳せ参じ、興奮しているイラク国民の声が報道されていますね。」

ギャロウェー
 「アラブ諸国のすべての国民が民主的選挙で投票ができるようになって欲しいと思っています。だからこそ、その時代に生きていたとしたら、イギリスやフランスといった欧州諸国によるアラブ諸国の――ついでに言うなら自由とか公正などと評されるには程遠い選挙すら一度も行われなかった――植民地化に反対していたでしょうし、だからこそ、アラブ世界を例外なく支配し、ほとんどが英米の全面的支援を受けている独裁政権すべてに反対しているのです。イラクでも民主的選挙がおこなわれて欲しいと思います。が、これは民主的になされていないし、解決どころか、情勢を悪化させる可能性すらある選挙です。いまイギリスでイラク戦争を支持しているのは国民の29%で、戦争の真最中・バグダッドが陥落したときの確か68%から落ちています。かなりはなばなしい低下で、支持はもっと下がります。」

グッドマン
 「最後ですが、争議で和解し謝罪したのは、ロンドンの『タイムズ』紙でしたか。」

ギャロウェー
 「ずいぶんとかかりました。全社が和解し謝罪しましたよ。言及されたのは、最高の勝利を勝ち取った『デイリー・テレグラフ』だと思います。(『デイリー・テレグラフ』は)損害賠償として15万ポンド、(全体で)160万ポンドの支払いをせよとの判決が下りました。」

グッドマン
 「理由は。」

ギャロウェー
 「彼らが、私がサダム・フセイン独裁政権に雇われていると偽って報道したからです。反戦運動のあらゆる部分に向けておこなったのと同じ種類の、事実無根、大掛かりな中傷ですよ。彼らが耐えられないのは、正しかったのは私たちの方で、間違っていたのは自分たちだった、ということです。イギリスなりアメリカの史上最悪の外交決定のひとつのお先棒をかついだのが彼らで、私は、そんなことをすれば、まさに現実に起こっている結果になる、と主張していた陣営の一人だったということです。彼らにはそれが面白くありません。」

グッドマン
 「米兵が起こしたアブグレイブ刑務所の事件でコメントされていますが、イギリスでも、自国兵によるスキャンダルもありますし、グアンタナモの刑務所にいた囚人もイギリスに帰国していますね。」

ギャロウェー
 「主力政党と与野党幹部とBBCなど主流メディアの間には厳格な合意があって、彼らは、これは英国占領軍を象徴する行為ではないと、安心させあうのが好きなのですが、残念ながら、これは完全に英国占領軍を象徴する行為です。イギリスが、ケニアでマオ・マオによる解放闘争を抑圧したとき、10万人のケニア人を殺しました。今回の戦争と占領で死んでいるイラク人とほとんど同じ数です。ケニアで、イギリス軍は、キクユ族の手足を切り落とし、それを壁に張り付け、写真を撮りました。殺したキクユの死体を一体持ち帰るごとに、兵隊に5ポンドの報酬が支払われました。マラヤでマレー人の解放闘争を鎮圧したとき、イギリスは1万人を殺しました。イギリス兵がマレー人の斬首した首を持ってポーズをとっている写真を見たことがあります。これがすべての占領の結末なのですよ。問題の兵士がアメリカ人だからとかイギリス人だから起こるとか、シャロンの軍があのような蛮行をするのはイスラエル人だからだ、とか、ましてやユダヤ人だからだといった類の問題ではないのです。そのように振舞うのは占領軍だからであって、すべて占領はそこに行き着くのです。占領軍は、占領している国民を悪魔として描き、間化しますが、これは占領軍特有の優越感で、そうでも信じていなければ、他国の社会を自分たちが再建すべきだ、なんてことは考えないでしょう。しかも、17、19、20歳の若者が武器を持って、無力な民間人に向かっていけば、必ずアブグレイブに行き着くのです。」

 by あい