CAFE PACIS

ユルゲンが「カフェで政治が行なわれているんだ」って言う。じゃあ、カフェで平和やるか。

米、イラクでの「ナパーム」不使用のウソ

2005-06-20 14:48:06 | ニュース@海外
 イギリスのアダム・イングラム国防担当相は、ブッシュ政権がイラクにおけるナパーム型焼夷弾の使用についてイギリスの関係者にウソをついていたことを認めた。

 ロンドンのインデペンデント紙が独自入手した私信のなかで、イングラム氏は、当初米国は彼に、アメリカはイラクでいわゆるMK77は一切使っていないと伝えた。が、同氏は、「残念ながら、それ以来、そうではないことが分かり、私は立場を訂正しなくてはならない」と書いている。MK77爆弾は、ベトナムと朝鮮で使われたナパーム弾の改良版。灯油から作られるジェット機燃料とポリスチレンが入っているため、ゼリー状の物質が建物や人にくっつくようにできている。尾翼がないことから、爆弾の標的命中精密度は非常に低い。イングラム氏によれば、2003年3月31日から4月2日のあいだ、第1海兵隊遠征軍はイラクで30のMK77を使用したという。インデペンデント紙は、この事実発覚により、昨年のファルージャ攻撃の際アメリカがナパームのような爆弾を使用したとの疑惑に、新たな疑問が持ち上がっている、と述べている。この疑惑をアメリカは否定している。

原文:Democracy Now(2005年6月17日報道)

参照記事:「イラク攻撃に使われた非通常兵器」

ダウニング・ストリート・メモのその後:ブッシュとブレアの運命

2005-06-07 14:22:26 | ニュース@海外
 先月ロンドンのサンデー・タイムズが報道した「ダウニング・ストリート・メモ」以来、さらに新しい情報がでてきています。

 おさらいをすると、「ダウニング・ストリート・メモ」は、イラク戦争開始の8ヶ月前の2002年7月にトニー・ブレア首相と側近たちがもった極秘会議の議事録。この会議で英諜報機関(MI6)のディアラブ長官は「米はすでにイラク攻撃を計画している」、さらに、「いま諜報と事実がこの政策に沿って作られているところ」と発言しています。

 さて本題は、このメモ発覚以降さらに新たな情報がでているということでしたが、それは戦争開始(と議会承認以前)のずっと前から、米英が戦争の口実を作るためにフセインを挑発すべく空爆を強化していた、つまり「戦争」を開始していたという事実。

 以下、この点に関するThe Nationの記事です。ご一読下さい。

 が、要点を言ってしまうと、ブッシュは戦争開始にあたり連邦議会と国民を欺き、米国憲法違反をした、ということ。で、これの意味するところは、いま議会での調査を要求する運動が広がっているが、実際に調査がなされ憲法違反行為が確認されれば、ブッシュは弾劾される、ということです。

 もうひとつ。ダウニング・ストリート・メモの今後の影響。

 メモに記録されているように2002年7月の時点で英法務長官はブレアにこの戦争の法的根拠を見つけるのは難しいだろうと伝えています。そして、法務長官は、最後までブレアに明確な法的根拠を提示しませんでした。つまり、国際法違反の戦争と認めていることの裏返しであり、ブレアは国際刑事裁判所で戦争犯罪に問われる可能性が、メモ発覚で高まったということです。

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もうひとつの爆撃 The Other Bombing

ザ・ネーション
ジェレミー・スケイヒル
2005年6月1日

 大規模空爆であった。米英の爆撃機100機がほどクウェートを飛び立ちイラクの空域に侵入。この一大作戦には、米のF15爆撃機イーグル・英空軍の空爆機トルネードを含め、少なくとも7種類の航空機が参加。イラク西部の防空施設に精密誘導爆撃を投下することで、ヨルダンで待機する特別部隊ヘリのために道を切り開いた。これ以前の攻撃は、イラクの指揮統制センターやレーダー探知システム・フセインの革命防衛部隊・通信センター・移動防空システムなどを対象にしてきた。しかし、今回のペンタゴンの目的は明白であった。イラクの抵抗力の粉砕。つまり戦争だったのである。

 しかし、落とし穴があった。戦争は少なくとも正式には開始されていなかったのである。なぜならこれは2002年9月の事であって、米議会がイラク侵略に利用される権限をブッシュ大統領に与える決議を行う1ヶ月前、国連がこの問題を決議にむけ議題にのせた2ヶ月前、「衝撃と畏怖」作戦が正式に開始される6ヶ月前のことだったからである。

 この時、ブッシュ政権は国民に対し空爆の規模を小さく見せていた。アメリカは、いわゆる飛行禁止地域を防衛しているだけだ、と主張していた。しかし、ダウニング・ストリート・メモへの反応から出てきた新情報からは、この時すでに戦争は既定の結論となっていたこと、攻撃はまさに宣言なしのイラク侵略の開始であったことが明らかになっている。

 このたび、(ロンドンの)サンデー・タイムズ紙は次の点を裏付ける新しい証拠を報道した。つまり、「2002年、英米の航空機は空爆の規模を2倍に強化したが、その目的は、連合国が戦争の口実を作れるよう、サダム・フセインを挑発することにあった」。同紙は、英国防省が新たに発表した統計を引用している。「連合軍が2002年の前半にイラクに落とした爆弾の数は、2001年全体の2倍」であり、侵略の正式開始のゆうに数ヶ月以前から「全面的空爆」が準備されていたのである。

 この新情報がアメリカの議員に与える影響はすさまじい。当時、米政府と世界の外交界において、飛行禁止区域での米空爆の本当の目的が、シーア派やクルド人の防衛などでないことは周知の事実であった。しかし、この新情報のすごいところは、ブッシュへの戦争権限付与をめぐり米議会が議論している最中に、ハンス・ブリックス率いる国連兵器査察団がイラクで活動している最中に、世界の外交官たちが最後の和平交渉を仲裁すべく奔走している最中に、ブッシュ政権がすでに全面戦闘体制に入っていた、ということを明らかにしている点である。ダウニング・ストリート・メモが示したような諜報書類一式の改ざんにとどまるものではない。まさに戦争そのものを始めることで行動を開始していた、ということである。サンデー・タイムズ紙によれば、ブッシュ政権は、フセインが攻撃に対し、ブッシュ政権が必死に売ろうとしている戦争の口実として使えるような反応して欲しい、とさえ願っていたのである。

 正式の開戦が差し迫っていた2003年3月8日、ブッシュはラジオ国家演説でこう述べた。「私たちは、イラクでの戦争を回避するために万事を尽くしています。しかし、サダム・フセインが平和的に武装解除をしなければ、フセインは武力により武装解除をすることになるでしょう」。ブッシュのこの発言は、体系的で侵攻的な空爆の一年もあとのものである。この間イラクは、来る侵略準備に向け、すでに武力により武装解除させられていた。ペンタゴン自身が、2002年だけでもイラクに対し78回の攻撃空爆をおこなったことを認めている。

 「まるで、一方のボクサーには動くなといって、他方にはパンチしてよしとするボクシングです。パンチを繰り出している方が、対戦相手がもう動けないところまで弱っていると確信した時初めて攻撃をやめる。しかも、実際の対戦が始まる前にです。」1998年から2000年まで国連のイラク担当トップを勤め30年のキャリアをもつ外交官である、元国連事務次長ハンス・フォン・スポネック氏の評である。クリントン、ブッシュどちらの政権においても米政府は、これらの攻撃が国連決議688に基づくものだ、と一貫してかつ誤った主張をしてきた。湾岸戦争後に採択されたこの決議は、クルド人地域の北部とシーア派地域の南部におけるイラク政府の抑圧停止を要求したものである。フォン・スポネック氏は、両政権の主張を決議の「まったくの誤称」だと一蹴している。ザ・ネーション誌でのインタビューで同氏は、この新情報は自身の長年の主張を「遅まきながら追認する」ものだ、と述べた。「飛行禁止区域は、民族・宗教グループをフセインの圧制から守ることなどとはほとんど関係がなく」、「米英二国の利益のために、、、不法に設置されたもの」だったというのが事の真相である。

 これらの攻撃はほとんど報道されず、フォン・スポネック氏によると、遡ること1999年の時点で、アメリカとイギリスは国連に対し、攻撃に注意を払わないようにと圧力をかけていた。イラク担当を務めていた間、同氏は空爆ごとの記録をつくりはじめ、「民間施設への定期的攻撃には、食糧倉庫、住居、モスク、道路、国民がふくまれている」ことを示した。同氏によれば、これらの報告を、事務総長コフィ・アナン氏は歓迎したが、「米英の政府は強硬に反対した」。また、記録活動をやめるようにとの圧力を受けたが、そのときイギリスの上級外交官が言った言葉がこうである。「あなたの行為は、イラクのプロパガンダに国連の承認印を押しているだけだ」。しかし、フォン・スポネック氏は、被害を記録し続け、攻撃された多くの地域に足を運んだ。1999年だけでも、同氏は、この米英爆撃による民間人144人の死亡と400人以上の負傷者を確認した。

 9・11が起こると、ブッシュ政権内部で、この攻撃に対する態度に重大な変化が起こった。もはやシーア派やクルド人を守るといった口実は投げ捨てられ、外部からの攻撃を迎え撃つイラクの能力を体系的に削ぐ、つまり、イラクの防空・攻撃指令施設を爆撃し、通信・レーダーインフラを破壊する計画になったのである。2002年11月APは、「これらの高価で、修復困難な施設は、イラクの防空に必要不可欠なものである」と報道している。統合参謀本部で地球規模作戦の次長を務めたデイビッド・ゴブ海軍少将は、2002年11月20日、米英のパイロットは「本質的に戦闘作戦をしている」と述べている。2002年10月3日、ニューヨーク・タイムズ紙は、アメリカのパイロットがイラク南部を使って「練習直線飛行、模擬の攻撃、実際の攻撃」をしていると報道。

しかし、この対イラク政策の根本的変化の真の重要性が明らかになったのは、つい先月、ダウニング・ストリート・メモが世の中に出てのことである。このメモは、イギリスの国防相ジェフ・フーンが、2002年、アメリカの政府関係者と会った後にこう言ったと記録。「アメリカは政権に圧力をかけるためすでに『活動の急速な強化』を始めている」。これは、空爆強化に言及したものだ。いまや、サンデー・タイムズ紙により、この急速強化が「全面的空軍攻撃となった」、換言すれば戦争、となったことが明らかになっている。

 ミシガン州選出のジョン・コンヤーズ下院議員は、こうした攻撃に関する新事実を「決定的証拠の拳銃に決定的な弾丸まで入っている”the smoking bullet in the smoking gun”」と呼んでいる。ブッシュ大統領が、イラク決議に望む議会を欺いたことの反駁できない証拠、というわけである。議会にイラクでの武力行使承認を求めたとき、ブッシュは、武力は、すべての手段が尽くされたあとの最終手段としてのみ使うとも述べた。しかし、ダウニング・ストリート・メモにより、ブッシュ政権がすでに武力によりフセインを倒す決定をしていたこと、この決定を正当化するよう諜報操作をおこなっていたことが暴露した。この情報は、戦争開始の一年前からおこなわれた正当な理由を欠く空爆の強化に、あらたな光をあてている。ブッシュ政権は、証拠の有無に関わらず、イラクに戦争を始める決意であっただけでなく、議会の承認決議にかけられる数ヶ月前から戦争を開始していたのである。

 大統領弾劾手続き開始は議員一人で足り、コンヤーズ議員は手続き開始を検討していると述べている。弾劾プロセスが始まれば必ず実態がさらけ出される。議会はラムズフェルド国防相、リチャード・メイヤーズ将軍、トミー・フランクス将軍はじめ、1990年後半に遡る飛行禁止地区爆撃に関わったすべての軍司令官・パイロットを召喚できる。彼らは何を命令し、命令されたのか。それらの答えのなかに、弾劾の論拠が眠っているかもしれない。

 しかし問題がある。特に戦争承認に票を投じたのに今となって欺かれたと言っている民主党議員だ。なぜ、正当な理由もなく承認もされていない空爆が実際に進行している時に、ブッシュ政権の戦争準備に実のある一打を食らわすことができたかもしれなかった時に、この空爆が調査されなかったのか? おそらく、ブッシュ弾劾のためにダウニング・ストリート・メモを使おうという広がる草の根運動の声が連邦議会の耳に届かないのは、このためだろう。事実は、ブッシュは、前任のクリントン同様、国際の委任も国内の委任もない主権国に対するベトナム以来最長継続爆撃キャンペーンを監督していた、ということである。決定的証拠の拳銃は、両政党にとって触るには熱すぎるのであろう。

「盗聴大好き」:イラク戦争反対の顔、ドビルパン新首相の別の顔

2005-06-01 16:12:05 | ニュース@海外
Doug Irelandのブログより。
 http://direland.typepad.com/direland/2005/05/villepin_the_wi.html

「ドミニク・マリ・フランソワ・レネ・ガルゾー・ドビルパン――これがフランスの新首相の名前。人生のほとんどを外交畑ですごしてきた貴族政治主義者(外務省アフリカ局の前局長、在インド・フランス大使館で3年、在ワシントンのフランス大使館で5年間一等書記ののち広報担当官)であるドビルパンは、面目を失った元首相アラン・ジュペが外相だった時代の子分(ジュペは、シラクの最大の政治盟友で、シラクの党の元党首。今年はじめ国会議員選挙に落選し、選挙をめぐる財政スキャンダルへの関与が理由でボルドー市の市長の権限を失う判決を受けた。)ドビルパンは、シラク政権で大統領府の事務総長を務めた。つまりシラクの参謀本部長だったということ。大西洋のこちら側では、イラク戦争の際の仏外相として、国連で国民の戦争反対の声を代弁した人物として最も知られている。これは、ドビルパンが反帝国主義者ということではない。イラク侵略は、フランスでは、右も左も、政治家でも有権者のあいだでも国民にほとんど支持されていなかった。世論調査では8割が反対していたほどで、どんなときでも日和見主義者であるシラクは、ブッシュの戦争に強い反対の立場をとることで、フランスで人気が取れると知っていたのである。しかし、右派左派にかかわらずフランス政府は、以前のアフリカ植民地地域に、力で影響力を行使し、特権を維持してきた。で、ドビルパンは、外務省のミスター・アフリカであったときまさにそのような行動を手助けしてきた人物である。外相としては、アフリカにおけるフランスの権益と好戦的な役割を維持するという非常に伝統的な擁護者であった。フランスはアフリカの旧植民地国に頻繁に軍事部隊を送り込んでいる。彼は、反帝国主義者ではない。

 シラクがドビルパンを選んだのは、この70歳の保守的仏大統領が、日曜の国民投票でEU憲法が否決されたことからなにも学ばなかったということだと言えよう。EU憲法否決は、なにもナショナリスティックなものではなく、経済が理由である。つまり、欧州が、多国籍企業の儲けの場とされることの拒否であり、失業率が10%というフランスの深刻な経済危機を反映したものだ。ドビルパンは国内政策の経験がほとんどないだけでなく、選挙で選ばれたこともなければ、フランス人が日々の生活で直面している最優先問題にたいする感覚も薄い。よって、ドビルパンは、EU憲法反対という日曜の政治的反乱をまねいた社会経済苦悩に対する適切な対応だと考えには、彼は程遠い人物である。

 さらに、彼は、選挙戦の駆け引きにおいてはまったくの音痴。1997年、国会を解散して早期選挙を実施するというシラクの決定を実際に決めていたのはドビルパンであった。その選挙で、右派は惨敗。保守政権は、以降5年間、リオネル・ジョスパンを首相とする社会主義者にとって代わられた。散々な解散の「生みの親」として、ドビルパンは、シラクの国民運動連合(UMP)党の国家議員の圧倒的多数から嫌悪されている(昨日、シラクがドビルパンを首相任命する前のこと、フィガロ紙朝刊は、あるUMP国会議員のリーダーの発言を引用。曰く「与党で、ドビルパンという選択を支持する議員は一人もいない」。)

 ドビルパンをめぐる最高に面白い話のひとつが、4月、週刊誌L’Expressが暴いた話、「新首相は、万人を盗聴し、秘密警察ファイルを作るのが大好き」だということ。その対象は、ジャーナリストから政治家におよび、その手腕は政府で内閣官房長官として働いたときに培ったものである。L’Expressによると、外務省のスタッフは、ドビルパンが大臣だったとき、自分たちの電話が彼の指示のもと盗聴されている、と信じていた。さらに、彼は、首相になる前の仕事として内相、つまりフランスの「第一警察」(計画通り、首相にする前に少し国内経験をさせておこうとシラクが彼に与えた職)になったとき、スタッフにこう言っている。「オレは、ジャーナリストが言っていることを全部知りたい。」同誌によれば、ドビルパンは、RG(国家警察総合情報局)から毎日出される機密報告を何時間もかけて読んでいたという。このフランス国家警察は、ありとあらゆる政治家、ジャーナリスト、著名人を監視下におき頻繁に盗聴し、対象者の個人的な生活やフランス国家の政治生命を把握する機関。あらゆる人間の秘密を知り(それを政治的に使い)たい、というこのJ・エドガー・フーバー的ともいえる〔注:米FBIの長官1924~75年〕傾向が、ドビルパンが自分の党の党員からも嫌悪されているもうひとつの理由である。

 日曜の投票の結果、右からも左からも、フランスの政治指導者は、経済・社会政策を根本的に変えるべきだという要求が出されている。シラクの党の議長で大統領職を熱望しているニコラ・サルコジでさえ、否決が明らかになってたったの1時間のうちに、シラク政策との「決裂」を呼びかけた。が、ドビルパンは、提供できるほど革新的な政策はもってないし、彼は、しょせんシラクの忠実な僕である。右派にはこれ以上経済問題で有権者に訴えられるものは残っていないし、ドビルパンはそんなことをできる器ではない。

 ということで、日曜の政治的反乱に対するシラクの対応としては、ドビルパンというのは変わったチョイスである。

追伸、
 ニコラ・サルコジは、ドビルパン政権でナンバー・ツーに任命される人で、ドビルパンに代わって内相に就く。今朝のFrance Infoラジオによれば、これは(シラクのUMP党で選挙で選ばれた議長で、人気が高い)サルコジが以前就いていた職で、法と秩序に沿った厳重な取り締まりの強硬派達人として名と人気を揚げたの職である。ドビルパンとサルコジは犬猿の仲。舞台裏では、2007年大統領選に向け(つまり右派候補になるべく)、次期首相の座をめぐり争い反目してきた。たとえば、サルコジは、今年はじめの政治スキャンダルで、自分に汚名を着せるために、と彼が感じたのだが、ドビルパンが盗聴・機密情報を流したと非難。ドビルパンはもちろん否定したが、政府のインサイダーたちは、部下に対する無慈悲さと敵に対する無情な復讐心で名高いドビルパンを完全に黒と見ている。巧妙でメディアに精通した政治家であるサルコジが、あらゆる機会にドビルパンより優位に出ようとするのはまちがいない。よって、サルコジとドビルパンがチームを組む政府とは、大いに変てこな政府である。」

「『大量破壊兵器』は口実で、目的ははなからフセインの打倒」 何をいまさら?か。

2005-05-26 22:41:29 | ニュース@海外
 もう一ヶ月も前の5月1日、ロンドンのサンデー・タイムズ紙は、「ブレアははじめからイラク戦争を計画していた」と報道。この記事は、ブレア首相はじめごくごく一部の人間が、2002年7月23日にもった極秘の会議の議事録に基づく、すっぱぬき。
記事

 同紙によると、議事録の趣旨は――①ブレアは、2002年4月テキサスでブッシュに会った時点ですでに、米の「イラク政権交代」計画を支持する約束をしていた。②この時点ですでにブレアたちは、戦争は「避けられないとみていた」、③この時点で、英法務長官はすでに戦争の合法性に深刻な疑問を警告していた――というもの。

 さて、この趣旨を聞くかぎりでは、別に真新しいところはない感じもしてしまうほど、この戦争の真の目的は周知の事となっている観もある今日この頃ですが、この議事録のすごいところは、2002年に米英首脳が実際に交わした言葉そのものに基づくものであって、英閣僚自身の言葉で、アメリカはすでにイラクに戦争をすると決めていたと報告しており、「この政策にそって諜報と事実が作り上げられていた」と記している、ところ。そんなことを書いた議事録が明るみにでたのは初めて。なのに、なんかマスコミはあんまり書いていない。

 なぜか、日を追うごとに、戦争のそもそもの口実をあばくこと、「ウソにまみれた戦争」を追及することを、「何をいまさら」とか、「古い話題」と受け取っていないか。

 イギリスはさておいて(議事録記事によれば、サダムを追い詰めてあとから口実つくれ(ストロー外相)とか生生しいし、ブレアはいまだ白を切りまくっているが)、当のアメリカ、つっこみがあまりにも弱い。

 たとえば連邦議会。たしかに下院では、ジョン・コンヤーズ議員プラス88人が、ブッシュ大統領にこのイギリス閣議議事録について質問状を出している。質問事項は4つで、「この議事録は正確か?」「戦争を正当化するため、国連査察団がフセインに最終通告をだすような状況を作ったか?」「いつブレアとイラク侵略で合意したか?」など。
質問状

 民主党が、(04大統領選のとき)方針として、もうこの点には突っ込まないことに決めたことを見れば、奮闘しているとは思いますが、あのブッシュ政権がこの手の質問にまじめに答えるとは、議員自身も思ってはいないしょう。議会レベルの調査委員会を設置し、民主党がロンドンに議員調査団を派遣するぐらいでないと、らちは明かない。

 それからマスコミ。この議事録を米主流マスコミが取り上げたのは、サンデー・タイムズ記事からなんと17日後、シカゴ・トリビューンが最初。ニューヨーク・タイムズがやっと書いたのが5月20日で、それも肝心なところ、イラクをめぐる諜報が不正に操作された、という点は飛ばしている。
Fairness & Accuracy In Reporting

 同じことは、日本の国会とマスコミにもいえる。コンヤーズ議員は上記の質問状で、「3.(戦争に協力する)同盟国のリクルートを含め、戦争を開始する議会承認を得る前に、どのような申し合わせがなされたか? 大統領もしくは政権の誰かが、議会承認以前に、侵略に対するイギリスの約束をとりつけたか?」との質問もしている。

 日本のマスコミ・国会議員も、小泉政権にこれぐらいのつっこみができるような仕事をして欲しい。すでに10万人のイラク人が死んでいる、この「でっちあげ」戦争・占領に参加している国のそれとして、その責任・義務は当然あるでしょう。

まじかっこええわ、このおじさん。ジョージ・ギャロウェー

2005-05-19 15:30:56 | ニュース@海外
イラク戦争に反対し、ブレアを批判したことから、労働党から除名された人。去る5月5日の総選挙では、ロンドン・イースト地区の激戦区でブレア首相の重要な朋友候補を破って再選。

いま米政権は、泥沼にはまる一方のイラク戦争に対する批判をかわそうと、あれやこれやの汚いキャンペーンを展開していますが、そのひとつが、国連による「食糧のための石油」計画をめぐる汚職スキャンダルを利用したもの。つまり、英・仏・露などイラク戦争に反対した政府の議員たちは、フセイン政権による石油売り上げのリベートをもらっていた。そして、だから戦争に反対した、という言いがかりキャンペーン。その魔女狩り候補にまずあげられたのが英のギャロウェー議員。「ギャロウェーがリベートもらっていたのは明々白々」という(マスコミなんかではなく)連邦議会の議員(ノーム・コールマン上院議員)による正式な汚職調査を受け、5月17日、ギャロウェー議員自身が、ワシントンは米議会に乗り込み、真実を正々堂々と証言をいたしました。追い詰められるどころか、この機会をつかい、イラクの侵略と占領を痛烈に批判。

以下、その抜粋。(彼の勇士は、C-SPANで見れます。)

ギャロウェー議員:「議員、これはすべての煙幕の源です。あなたは、イラクから何十億ドルもの富を奪うという、自分自身が支援した犯罪から注意をそらそうとしているのです。食糧のための石油スキャンダルの真相を見てみなさいあなたたちがバグダッドを統轄していた最初の14ヶ月の実態を見てみなさい。この14ヶ月の間、88億ドルものイラクの財産が行方不明になったのですよ。あなたたちの監視の下で。今日新聞ではじめて報道されている、この委員会の最初の証言でも明らかにされた、本当のスキャンダルを見てみなさい。あの経済制裁の最大のおきて破りは、私でもなく、ロシアやフランスの政治家でもなかった。本当の制裁破りは、あなたたち自身の政府に黙認されていたここアメリカの企業だったではないですか。」

「私は、サダム・フセインとは2回会いました。一度は1994年で二度目は2002年の8月です。言葉を拡大解釈することなしに、これをしてサダム・フセインとたくさん会った、と説明することができるでしょう。実を言うなら、私は、ドナルド・ラムズフェルドがフセインと会ったと同じ回数、彼と会っているのです。違いは、ドナルド・ラムズフェルドはフセインに銃を売り、それら銃の標的用の地図を与えるために会ったことです。私は、経済制裁・被害・戦争を終わらせるために、2度目はハンス・ブリックス博士と国連の兵器査察団のイラク国内立ち入りを再許可するよう説得するため、フセインに会いました。あなた方の国防長官の会合より、フセインとの会合を有効に活用したものです。」

米国が拘束している元イラク副大統領タハ・ヤシン・ラマダンが、ギャロウェーがイラク政府から金を受け取っていたと認めている、というコールマン議員の申し立てに対して。

ギャロウェー:「私は、タハ・ヤシン・ラマダンさんに会ったことはありません。この委員会は会ったことがあるようですが。ですが、彼がアメリカに捕らえられていることは知っています。アブグレイブの刑務所だと思います。彼は、死刑になりうる戦犯容疑をかけられていると思います。そのような情況に置かれたとき、ブグレイブ・バグラム空軍基地・グアンタナモにいる囚人、英国民もその中にいることに触れさせていただきますが、彼らをあなた方がどう扱っているか世界中が知っていることを念頭に置くならば、こうした情況に置かれた囚人から引き出した発言をだれがどれだけ信頼するかは大変疑問なところです。」


どう見る、日中関係の悪化

2005-04-22 10:45:59 | ニュース@海外
 大国に煽られ殺し合う民族間の紛争がたえないいまの世界。ここもヒトゴトじゃないかも。が、「困ったときに、恐怖と相談するのは、最悪」ということで、まずは、いろんな人の意見を聞いてみましょう。

Democracy Now!でのインタビューより。
http://www.democracynow.org/article.pl?sid=05/04/19/1348223

エイミー・グッドマン
 「…スティーブン・クレモンスさんにもうひとつ質問。南カリフォルニアの日米ソサエティで7年間役員を務め、チャルマーズ・ジョンソン氏と日本政策研究所を創設されていますが、いま日中関係が、おそらくこの間最低ではないとしても、かなり悪い状態に落ち込んでいます。中国では、この三週間、暴力的な反日デモが続き、日本の戦争の歴史をごまかすと彼らが言う日本の教科書改正に多くの人が怒りを表明しています。また中国は、国連安保理の常任理事国になろうとする日本の試みに反対しています。状況を説明してもらえますか。

スティーブン・クレモンス 
「非常に憎しみに満ちたナショナリズムが、日・中両方で噴出させられています。しかも残念なことに、これにはアメリカが加担していると思います。簡単に説明しますと、アメリカはこのたび、日本に強く働きかけて、台湾は日本の安全保障問題であると日本に無理やり言明させたところがあります。中国と台湾で交戦、紛争となり、そこにアメリカが関与するなら、日本はアメリカと台湾を支持すると、言明させました。これは非公式では常に知られていた合意です。が、今回問題なのは、アメリカが日本にこのような公式発表を強いたことにあります。

 してまた中国の方は、これに大いに腹を立てました。中国はこれが日本の政策であることはすでに知ってはいましたが、公然と表明されたことで、中国としてはそれに相当する対応をしなくてはならない情況がつくられたのです。加えて、日本を安保理の常任理事国にするという、アメリカの支持をえた本格的な活動が進んでいます。この背景には、現行の不安があり、また、日本が歴史を否定することで、中国、韓国などの国に引き続き日本を批判する機会をあたえています。日本は、60年前の第2次大戦・戦前の誤った行為を、なぜドイツがやってきたように、認めることができないのだ、と。というわけで、これまで閉じ込められていたものが解放されている情勢は、日本が安保理のメンバーになって地球規模の要求などすることのないように、日本をたたき返す、という中国による組織的な動きだけでなく、アメリカが日本に、自分はアメリカの陣営だともっとはっきり宣言させようとしていることから起きていることです。アメリカにとってなぜそれが重要なのか? 経済を見れば、中国の対日経済は、アメリカの対日経済活動を上回っています。アメリカは、日本がゆっくりじわじわと中国との関係強化に傾くことを非常に恐れているのです。ですから、アメリカは、日本からより軍事的な宣言が欲しい。これで、本質的にリンゴの箱がひっくり返され、基本的に日中両方の政府が国民を爆発させるままにさせています。これは、非常に、非常に危険です。」


原文:
AMY GOODMAN: I want to ask a last question of Steven Clemons which is not actually on John Bolton. Steven Clemons, again Senior Fellow at New America Foundation, where he co-directs the American Strategy Program, runs TheWashingtonNote.com, but also, Steven, for seven years you served as Executive Director of the Japan-America Society of Southern California and you co-founded the Japan Policy Research Institute with Chalmers Johnson. And I just wanted to get your take on the row that is going on right now, the all-time low in relations -- maybe not all-time, but a pretty low point in relations between China and Japan. China seeing three weekends of violent protests against Japan, with many angry about a revised Japanese school textbook that they say whitewashes Japan's wartime history. Also, China opposed to Japan's bid for a permanent seat on the U.N. Security Council. In just a minute, can you explain what is going on here?

STEVEN CLEMONS: Yeah. Very virulent nationalism is being let out of the box in both Japan and China. And, regrettably, I feel that the United States is complicit in what's going on. And just to give a very brief take on this, the United States sort of pushed Japan hard recently to state that Taiwan was part of its security concerns, and that if there was an engagement, a conflict between China and Taiwan, and the United States was involved, Japan would support the United States and support Taiwan. This is an agreement, an arrangement that has always been known privately. What mattered more recently is that America compelled Japan to make this a public articulation.

 And China took great umbrage at that -- at what it already knew was Japan's policy, but the overtness of it created pressure on China to respond in kind. In addition, there is a serious effort underway, which the United States supports, to try to get Japan as a permanent member of the Security Council. And beneath this, you have a -- an ongoing uneasiness and in many cases a denial of history in Japan that has continually given the Chinese, the Koreans and others, opportunities to continually hit Japan for its failure to acknowledge and reform like Germany has in some part done, for its World War II and prewar activities six decades ago. So what has come out of the box is essentially an orchestration by China to hit Japan back both for its global pretensions in the U.N. Security Council, but also because of our effort to try to get Japan to sort of declare itself in our camp more. Why is that important? Well, China's economic activity with Japan has surpassed American economic activity with Japan. The United States is very worried that Japan will slowly and incrementally slip towards a greater affection with China. Thus, we wanted more military-oriented declarations from Japan. This has essentially upended the apple cart, and both governments are basically unleashing their people. And it's very, very dangerous.

「シリアに核を使え」

2005-03-03 16:18:16 | ニュース@海外
 2月19日、米国下院議員サム・ジョンソン(共和党)が問題発言。「シリアは問題です。私の考えでは、大量破壊兵器があるのはシリア。ご存知の通り、私はF-15爆撃機を操縦できますから、2発ほど核を積んで一発落としてきますよ。そうすれば、もうシリアのことなんか心配しなくてもいいでしょう」。

 この発言は、ジョンソンの地元であるテキサス州はアレンのサンクリーク統一メソジスト教会で開かれた復員兵士祝賀会でなされたもの。ジョンソンによると、彼はこの時論をホワイトハウスのバルコニーで、ブッシュ大統領に語った、といいます。

 で、集まっていた復員兵士たちは(またまた)、彼の発言に拍手喝采で応えたということです。

 ジョンソン発言について、The Carpetbagger Reportは、次のような質問を出しています。みなさんの答えは?

 「あまりにも狂っていてどこからコメントしていいか分からないが、これのどこが一番ひどいか。1.現役の議員が、核兵器を落としたいという願望を吹聴していること。2.ジョンソンがこの考えを大統領に伝えたこと。3.ジョンソンが不拡散問題に取り組むベストな方法と考えているものが、正当な理由のない核攻撃である、ということ。4.この発言が、教会でおこなわれた、ということ。5.聴衆が「拍手喝采した」ということ。」

 加えて、シリアに大量破壊兵器がある、とはブッシュでさえまだ言っていないと思いますけど・・・・。

 さて、ジョンソン議員の経歴をみると、ゆがんだ発言の背景がある程度見えてくる感じ。

・ ベトナム戦争中、戦闘機からべトナム人を多数殺害。1966年4月戦闘機が打ち落とされたあと、ハノイで7年間戦争捕虜生活を送っており、その間「あらゆる種類の身体的、精神的拷問を受けた」そう。

・ 朝鮮戦争にも参加。1957年から58年という戦争絶頂期に、単独で戦闘機「サンダーバード」に乗って攻撃していた俺は英雄、と全米各地で吹聴している。

・ キューバ核ミサイル危機のときには、ソ連に屈しないよう主張。当時、ケネディ大統領と共に、実際にソ連のフルシチョフと交渉していた国防長官ロバート・マクナマラは、回想で、あの時核戦争にならなかったのは、アメリカ、ソ連のどちらの「理性がはたらいたからでもなく、まったくの運であった」と言っている。(ドキュメンタリー・フィルム"The Fogs of War")。

・ スミソニアン協会全国評議員メンバーで、同博物館航空宇宙博物館の審議会メンバー。1995年同博物館でのエノラ・ゲイの展示をめぐり、館長におどしをかけたことで有名になった。当初館長たちは、原爆投下は「必要なかった」「野蛮な行為」と主張した当時の主要政府・軍メンバー(ウィリアム・リーヒー提督、ドワイト・アイゼンハワー将軍などなど)の発言もあわせて展示する予定であったが、これを知った右翼政治家、復員兵士の団体(本性は軍需産業)が脅迫を開始。極めつけの言葉が「館長の首、盆に乗せてもってこい、おら~」であった(発言者は、マイケル・ムーア監督の「ボーリング・フォー・コロンバイン」にも出演したチャールトン・ヘストン)。当時、下院議長に選ばれたばかりであったニュート・ギングリッチは「ある政治的修正行為が、スミソニアンの展示に浸透していて、展示をゆがめ、偏ったものにしている」、スミソニアン協会を「左翼思想のおもちゃ」にはさせん、と発言。ギングリッチと大変近い関係にあった、今回問題のジョンソン議員は、「スミソニアンに愛国主義を取り戻させる」と発言している。("Hiroshima's Shadow", The Pamphleteer's Press, 1998)

ということで、原爆投下について当時自分たちの共和党の先輩がいったことも知らないし、知りたくない反知性主義や「愛国」魂が、恐ろしいことにも、本気でこういう発言をさせているのでしょうが、裏では(申告してありますが)しっかり軍需産業にお金をもらっています。Opensecrets.orgによると、2004年選挙の際、ジョンソン議員が軍需産業からもらった献金は$31,000。核兵器作ってるロッキード・マーチン、レイセオン、ノースロップ・グラマンからもしっかりもらってます。

 あい

アフガニスタンはどうだ:国連報告「大混乱に舞い戻るか」

2005-03-01 22:58:51 | ニュース@海外
 「このたび発表された国連の報告は、アフガニスタンがふたたび大混乱に舞い戻りかねないと警告。理由は、この国がいまだ究極の貧困にあえいでいるからである。国連は、現在、アフガニスタンを世界で6番目の貧困国と指定。経済を支えているのが不法麻薬貿易であるこの国は、いまや世界最大のアヘン提供国となっている。教育分野では、国連はアフガニスタンの教育制度を世界最悪と認定。成人の識字率は29%。平均寿命は実に44歳で近隣諸国を少なくとも20年下回る。国連報告は、「歯に衣着せずにいうなら、この脆弱国はあっけなく無秩序に舞い戻りうる。」「基本的な人的ニーズと人々の紛れもない苦悩――職・医療・教育・収入・尊厳・参加の機会がないこと――は克服されなければならず、国際援助は厳格に管理されなくてはならない。」同報告はまた、アメリカ合衆国の軍事作戦が、「不安、脅迫、恐怖、無法」地帯の形成に一役買っている、と結論している。」National Human Development Report, Security with a Human Face

 以上、2月22日Democracy Now!が報道した、国連報告の概要である。タリバンを掃討し、「選挙」をし、カルザイ「民主」政権で落ち着きを取り戻す計画だったことを考えれば、完全に計算ミスだが、アフガニスタンのかつての文明を考えると、この数値はなお聞くに堪えない。

 まずアヘン経済。アヘンの原料のケシ栽培地区のひとつであるカンダハルは、かつて豊かな果樹園と、それを支える発達した灌漑システムで名をはせていた。この乾いた地域のオアシスであったカンダハルには、ぶどう、メロン、桑の実、イチジク、桃、石榴などが実り、インドやイランにも運ばれたという。それを破壊したのは、79年から軍事侵攻をしたソ連。この扁平な地形でムジャヒディン(ゲリラ)の格好の隠れ処となったのがこの灌漑と果樹園であり、ソ連はゲリラ撲滅のため、果樹をなぎ倒し、灌漑をことごとく破壊。10年に及ぶソ連・アフガンゲリラの戦いが、この地を世界最悪の地雷原へと変えた。ソ連撤退後の1990年、難民がこの地に戻ったときやむなくはじめたのが、のちタリバンの主要な財源となるケシ栽培のであった。

 ちなみに、国境なき医師団で活動している山本敏晴医師によれば、アフガニスタンの母親のおおくが、子どもにアヘンを与えるようになってしまったという。ただ泣き止ませるだけの理由で。同医師は、任務に就いた当初、不可解なほど泣き止まない乳幼児の多さに驚いたそうだが、なぜか「泣いたらアヘン」という悪習が母親の間で定着しており、アフガニスタンでは赤ん坊のときから薬中の世代が生まれている。
 
 次にイラン国境に近いへラット。アフガニスタンの歴史と文明のゆりかごであった場所である。人が住み着いたのは5000年前といわれる山で囲まれたこの谷間の地域は、中央アジアでもっとも豊かな土壌をもつ土地と考えられていた。歴史の父・ギリシャのヘロドトスは、この地を中央アジアの穀倉地帯と記し、ムガール帝国のバーブル皇帝は「世界で人が住む土地でヘラットほどの(すばらしい)ところはない」と書き、植民者のイギリス人は、その美しさを故郷の姿になぞらえたという。15世紀に繁栄の絶頂を迎えたときには、ペルシャ(現イランのあたり)、インド、中央アジア各地から建築家が住み着き、数々の優美な建築物が造られた。天文学者が活躍し、石を投げれば詩人にあたるというほど一般市民も文学に親しむ気風があったという。1937年、この地を訪れたイギリスの詩人バイロンは、目の覚めるようなペルシャンブルーで飾られたへラットの建築物をして、「建築物の色彩という形で、人間の手が神と神自身の栄光を表現したもっとも美しい例」と書き残している。

 1979年、ソ連はこのヘラットも爆撃で破壊。いまやカンダハルとならぶ地雷原と成り果てている。経過は省くが、90年代になって、このイランに近く使用言語がペルシャ語で、文明の誇り高き民族が住むこの地域を主にパシュトゥンからなるタリバンが支配。理由も省くが、ペルシャ語をしゃべらないタリバン勢力は、へラットを「占領地区」として支配し、数百のへラット人を拘束し、すべての学校を閉鎖し、勝手に偏狭に解釈したイスラム法を強制。その多くが、パキスタンの難民キャンプ育ちで、アフガニスタンの歴史も文化も社会的慣習も知らず、教育といえば自称教師「ムッラー」による「イスラム法」だけで育った「無教養」の「野蛮人」であるパシュトゥン・タリバンに支配されることは、誇り高きヘラット人には耐え難い屈辱であったという。

 前述した国連報告は、アメリカの戦争もあって、アフガニスタンは恐怖で支配されるに地域に身を落としていると指摘しているが、文明に対する無知とそれを破壊することの野蛮さにおいては、アメリカとロシアもタリバンもいい勝負である。タリバンについては、地方軍閥による無法を鎮めた、などといった「評価」も一部あるが、それはほんの一時、一面的なことだ。

ちなみに、2003年に始まったイラク戦争では、米軍がバビロンなどの遺跡を破壊し、兵士たちが砕け散った歴史的工芸品をおもしろがって持ち帰ったそうであるが、自分たちの生活・社会を成立させている、数学、天文学、法律(?!)などがこの地ではぐくまれたことを兵士たち知っていたなら、そんなことはできなかったのではなかろうか。

 外国による戦争にせよ、内戦にせよ、無知・無教養がなしうる破壊。ガスのパイプラインを通すのもいいけど、やっぱり教育制度を確立する努力をしないと、混乱はおさまらないでしょう。

 あい

文献:
山本敏晴『アフガニスタンに住む彼女からあなたへ――望まれる国際協力の形』(白水社)
Ahmed Rashid ”Taliban: Militant Islam, Oil and Fundamentalism in Central Asia ” (Yale University Press. 邦訳アハメド・ラシッド『タリバン――イスラム原理主義の戦士たち』(講談社)

「まずリン・スチュワートが標的にされた」-米の司法弾圧

2005-02-24 15:04:43 | ニュース@海外
 2月10日、ニューヨークの弁護士、リン・スチュワートが連邦裁判所で約45年の実刑判決を受けました。おもな容疑は、テロリストの弁護にあたり政府を詐欺にかけた、というもの。

 陪審員による有罪判決の報を受け、拷問スキャンダルの立役者である新司法長官のアルベルト・ゴンザレスは、こういいました。「司法省は、テロをするもの、そしてテロリストの殺人的目標を支援するものを追い詰めるとの、明確なメッセージをおくった」。

テロの幇助とは一切関係のない容疑で、主流マスコミの旗振りのもと「テロリスト」援助のレッテルを張られ、弁護士が有罪判決を受けたことに、アメリカの法曹界に衝撃が走っています。
 
日本でも、反戦ビラまきなどで逮捕されるなどの弾圧が始まっていますが、アメリカにおける弁護士攻撃は、格段に質が違うでしょう。
 
以下、Truthoutの記事で、大体のことがわかると思いますが、さらに詳しくは、スチュワート支援ウェブサイトへどうぞ。

 あい

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まずリン・スチュワートが標的にされた

マージョリー・コーン
Truthout/Perspective
2005年2月15日


まず共産主義者が標的にされた。私は黙っていた。共産主義者ではなかったので。
つぎに社会主義者が標的にされた。社会主義者ではないので私は黙っていた。
つぎに労組組合員が標的にされた。組合員ではないので私は黙っていた。
するとユダヤ人が標的にされた。ユダヤ人ではないので私は黙っていた。
そして、私自身が標的にされた。私のために声をあげる人は残っていなかった。
マーチン・ニーメラー牧師 1945

 今日の標的は法律家。そして、声を上げなくてはならないのは、私たち全員である。

 先週の木曜(2月10日)、13日にわたる審議の結果、ニューヨークの著名な公民権弁護士リン・スチュワートが有罪判決を受けた。起訴の理由は、共謀、テロリストへの重大な支援の提供、米政府に対する詐欺行為である。この7ヶ月に及ぶ裁判がおこなわれた連邦裁判所は、まさに50年ほどまえローゼンバーグ夫妻がスパイ活動共謀罪のかどでで有罪判決をうけた場所である。スチュワート弁護士は、35年から45年の懲役刑の判決を受けた。

 スチュワート弁護士が起訴されたのは2002年3月で、起訴の根拠とされたのは、スチュワートと彼女の依頼者シェイク・オマル・アブドル・ラーマンが交わした会話を聞いていた政府の記録で、この会話は、2001年9月のテロ事件がおこる2年半前のものである。

 ラーマンは現在、終身刑プラス65年の懲役刑に服している。罪状は、ニューヨーク市の主要ビルの爆破を策謀したこと、米軍およびホスニ・ムバラクエジプト大統領に対する攻撃を説いたこと。

 司法長官の指示により、米刑務所局(the Bureau of Prison)は1997年から、ラーマンに特別行政措置(SAM)を適用し、手紙・電話の利用、マスコミ・訪問者との接触を制限している。

 スチュワート弁護士には、ラーマンとの接見許可を得るにあたり、特別行政措置を守るとの署名誓約を義務付けられた。同時に、「法的問題に関し、アブドル・ラーマン囚人と話し合う目的で、同伴者は通訳者のみ」とし「自身のアブドル・ラーマンとの会合・通信・電話を、(それだけに限らないが、マスコミも含む)第三者とアブドル・ラーマンとの間でのメッセージ伝達としない」ことに合意した。

 政府の容疑によると、スチュワート弁護士は、アラビア語通訳者に、イスラミック・グループ問題に関する手紙をラーマンに読み上げること、同グループがエジプトでの停戦を順守し続けるべきかどうかという問題についてラーマンと話し合うことを容認したという。また、同弁護士が、特別行政措置に違反し、こうした会話を刑務所警備員に隠れておこない、ラーマンが(エジプトでの)停戦支持を撤回したとマスコミに発表した、という。

 スチュワート弁護士は、こうした証拠不十分な申し立て否定し、エジプト停戦に関しさらなる協議を呼びかけたラーマンの声明を伝言することは特別行政措置違反にあたらない、と誠意を持って信じていると証言。同弁護士は、眼にふれる機会を多くすることで、ラーマンをエジプトに移動させようと試みていたのであると証言した。ラーマンは老齢で、盲目で、英語を話さないため、ミネソタ州にある連邦刑務所に、事実上、独房監禁状態におかれている。

 スチュワート弁護士は、自身の誠意ある信念は、元米司法長官のラムゼイ・クラークの行動に基づくものである、と証言。クラーク氏もラーマンの弁護人の一人である。クラーク氏も、特別行政措置に署名しており、記者会見を開き、エジプト政治問題に関するラーマン声明をマスコミに伝えている。が、なぜか、クラーク氏は起訴されていない。

スチュワート弁護士の弁護に立ったクラーク氏は、Democracy Now!でこう話した。「リン(・スチュワート)がして、私がしなかったことなどありません」。「この裁判は、2001年9月11日の事件で作り上げられてきた恐怖感がなければ、ブッシュ政権がその機会に乗じたのでなければ、起こされなかったものです。通常であれば、リンの行為はすべて、依頼者の代理人である有能な弁護士が熱心に本分を尽くすための行為と見なされるものです。」

 2002年の会議で、スチュワート弁護士はこう述べている。「刑務所局の指令に違反した場合、担当する囚人にはもう接見できないと言われたり、何らかの行政的な罰則が課されるのが普通です。テロ組織を支援しているとの容疑で起訴されることは、まずありません。」

疑問なのは、リン・スチュワート起訴に、なぜ政府がここまで時間をかけたのか、ということである。ナショナル・ロイヤーズ・ギルド(National Lawyers Guild)のヘイディ・ボゴシアン(Heidi Boghosian)事務局長によれば理由はこうである。スチュワート弁護士は、「司法省がテロと果敢に戦っているというアリバイづくりのために、司法長官が渇望していた標的ナンバーワン」だったから。

スチュワート弁護士が起訴された時点で、9・11以降ジョン・アシュクロフト司法長官が逮捕できていたのは、ジョン・ウォーカー・リンドだけ〔訳注:2001年タリバンの兵士として米軍と交戦中、アフガニスタンで拘束された、カリフォルニア州出身の青年。当時20歳。〕「スチュワートを起訴することで、アシュクロフトは二重の意味を持つ強力なメッセージを発したのです。その一、世間が嫌悪する考えをもつ人物を弁護するような弁護士は起訴されうる。その二、このような依頼人は弁護されるに値しない。」

ブッシュが「愛国法」に署名したのは、アシュクロフトが刑務所局規制の暫定的改正を発表したのと同じ日であったが、改正法の発効は、通常国民から意見が出される期間を排除した、5日後のことであった。改正法が成立したいま、司法省は、弁護士と拘束中依頼人の会話を盗み聞きする、無制限かつ再考不可能な裁量をもつにいたっている。そこには、司法の監視や明白な基準など存在しない。改正法が適用されるのは起訴済みの囚人だけではない。司法省が拘束するすべての人に適用されるのであって、公判前の抑留者、重要参考人、(不法入国としての)入管施設の被収容者など、犯罪による起訴とは一切無縁の人たちも含まれるのである。

2002年、ナショナル・ロイヤーズ・ギルドの大会でスチュワート弁護士は、この起訴が、今後の弁護士・依頼者間秘匿特権に意味するものを警告した。「これは、弁護する権利を守るという問題です。一度、弁護士・依頼者間秘匿特権が失われてしまえば、いま自分たちが知っているところの弁護する権利はなくなります。」依頼者との会話を政府が聞いていたことについて同弁護士は、「問題にすべきは、部屋で私が何をしていたかではなく、政府が何をしていたかでしょう。」

 50年代マッカーシズムが吹き荒れたとき、共産主義の脅威と考えられていたものを根絶しようと、政府は異端な政治見解を持つものすべてを威嚇し沈黙させるために、違法な監視活動を広範におこなった。多くの人が刑務所に送られ、職を失った。FBIによる「アカ狩り」で、何千もの人生が狂わされた。

 9月11日以降、政府政策に異論を唱えるものは「テロリスト」のレッテルを貼られてきたが、それは今後も続く。リン・スチュワートの容疑のどれも「テロリズム」とは関連づけられていないし、オサマ・ビン・ラディンも容疑とは一切関連づけられていない。にもかかわらず、起訴側は、ビン・ラディンの名前を裁判に持ち込んでもよい、と許可されたのである。

 陪審員の審議が始まってから10日半後、スチュワート弁護士の家に、ユダヤ防衛組織(the Jewish Defense Organization)の脅迫状が投函された。脅迫状には、次のようなメッセージが書いてあった。「手を差し伸べよ、ならば、陪審員は彼女の本性を理解する。ちなみに、すでに手は差し伸べられた。」メッセージには、スチュワート弁護士の住所が記載してあり、彼女を「法的にかつ事実上、廃業させなくてはならない」とも書いてあった。「彼女を自宅から、この州から追い出す」とも脅していた。陪審員のなかにこれを受け取った人がいたとしたら、それが理由で、有罪判決側にまわることを強いられたかもれない。〔注:判決が読み上げられた際、女性陪審員のうち3人がずっと泣いていたという。スチュワート弁護士は、「公正な判断を下したと思っていれば泣くはずはない」と話している。〕

 スチュワート弁護士は、Democracy Now!のインタビューでこう述べている。「特別行政措置というのは、『この規則を破れば、依頼者と接触できなくなる可能性がある』というものです。私たちにとっては、最大の懸念は、依頼者と話しができなくなるかもしれない、ということで、起訴の可能性などは夢にも思っていませんでした。」「理性でも、感情でも、正しいことをしたと信じています。」

 スチュワート弁護士の起訴そして有罪を受け、今後弁護士は、嫌われ者の弁護にしり込みをするであろう。Center for Constitutional Rights(「憲法の権利を守る会」とでもいったところか)のマイケル・ラトナー会長は、「この起訴の目的は、テロ容疑をかけられた人の弁護士にメッセージを送ることにありました。危ないからやめておけ、と。」

 スチュワートの弁護人であるマイケル・タイガー氏は、この不当判決を下した陪審員を責めてはいない。判決が言い渡されたあと、タイガー弁護士は、「善意の陪審員が、マスコミの報道を支配している時の政府の言い分に、大部分は恐怖が理由で、巻き込まれてしまうことは、これまでもあったことです。」「陪審員を批判はしません。この判決が無効になることは確信していますから。」

 現在、グアンタナモの抑留者の弁護人らは、依頼者との協議を秘匿としないよう合意するよう求められている。Democracy Now!のインタビューで、タイガー弁護士は、「グアンタナモとアブグレイブの強制収容所の真実をつきとめるとするなら、唯一の道は、囚人の弁護人たちが、世界にそのことを知らせることでしょう。政府が弁護人と囚人の接触を絶つことに成功すれば、それを彼らは何度も何度も試みているわけですが、(拷問などの)ああいった行為は秘密のうちに続けられます。」

 この危険な時代において、身の危険を感じないことは不可欠な要素である。しかし、1995年連邦最高裁判事のサンドラ・デイ・オコーナーが判決意見で述べたように、「憲法上の自由に対する最大の脅威は、危機の時にやってくる、ということは何度繰り返しても足りないぐらいである。」弁護人・依頼者の秘匿特権。これは、アメリカの刑事裁判システムの核心をなすものである。本気で守らなければ、全員が危険にさらされる。


米海兵隊司令官:「人を撃つのは楽しい」

2005-02-04 14:05:20 | ニュース@海外
 2月1日、米サンディエゴでおこなわれた公開討論で、イラク戦争の指揮を執ったジェームズ・マッティス大将が「多少の人を撃つのは楽しい」と発言。続けて、「戦うのはすごく楽しい。底抜けに楽しい。ドンちゃん騒ぎ好きなんですよね」とも。マッティスは、イラクのキャンプ・ペンドルトンに配備されている第一海兵師団を指揮していた。
NBCSandiego.com

 アフガニスタンの戦争にも従事していた同大将は、「アフガニスタンにいくと、ベールをかぶらないという理由で5年間も女を殴ったりするようなやつらがいて」、「どっちみち男の腑抜けみないなやつらですから、そんなやつらを撃つのは底抜けに楽しい。」と、止め処なし。

 この議論には200人ほどの人が集まっていたが、おそろしいのは(当然かもしれないが)この発言を聞いて、軍人が手をたたいて笑ったということ。

 この日の討論でマッティス大将は、戦争の戦術について話し、またテロリストの能力を過小評価しないようにと警告した。

 ジェームズ・マッティス大将は、2004年春のファルージャ虐殺で海兵隊を指揮した人物。また、2004年5月米軍の「誤爆」で、結婚式をしていたイラク人40人(新郎新婦も含む)が殺されたときには、「戦争には悪いことがつきもの」とコメントしている。

 そりゃ彼の兵士たちも「戦うのはすごく楽しい」でしょうね。数日前の1月31日には、その楽しい戦いのなか、バグダッドの南で海兵隊員が3人死亡、マッティスがかつて指揮を取っていた第1海兵隊師団の一人がアンワル州で死んでいる。もちろん、彼らが死んだのは、任務が基本的にイラク人殺しだからであるが。(ちなみに、いまファルージャの「戦い」を描くハリウッド映画が作られている。そこで、このマッティスの役割を演じるのが、なんとハリソン・フォード。ハリソン、反戦派なんじゃなかったの。)

 この1月、海兵隊は目標としていた新兵の募集規模を達成できなかった。この10年で初めてのこと。イラク戦争で死んでいる米兵の31%が海兵隊員である(New York Times,2005年2月3日)。
 
 ブッシュ政権の政策をことごとく先取りしてきたことで名高いネオコン・シンクタンクThe Project for the New American Century(アメリカ新世紀プロジェクト)が、1月28日、「徴兵」という言葉を使わずに、事実上徴兵を要求した提案を議会に提出していることとあわせて考えるなら、アメリカの徴兵制復活もそう遠くはないかもしれない。(「しんぶん赤旗」2月4日)

 あい

どう見るイラク選挙 その3:「民主主義と死亡者名簿」

2005-02-04 02:06:04 | ニュース@海外
 在米イラク人で、詩人・小説家のシナン・アントゥーンは、「死人は投票しない。しかし、イラクではカウントさえされない」と書く。

Democracy and necrology
アル・ハラム・ウィークリー(2005年1月27日-2月2日版)


 「イラクで起こっている、果てしなく続きそうな惨事のひとつ一つにクライマックスがある。それは想像であったり、痛いほど現実的だったりする。もうひとつそんな舞台劇がやってくるのだが、それには「選挙」という題が付いているかもしれない。最初その劇は、華やかなクライマックスの向こうに民主主義が待ち受けており、その山を越えることは困難ではあっても致死的ではない、と宣伝されていた。総合解説つきの頂点に達する道を演ずるのは、冷淡な筋書きに沿った下手な役者たちなのだが、その道程には、運命付けられたように、爆発・爆撃・自爆の音や、ラムズフェルド流解放者やそのザルカウィ変形版を伴奏する日々の社交辞令が聞こえてくる。たぶん、イラクの悲劇は、解放者の数が多すぎることにあるのだろう。とりとめもなく、美辞麗句にみちたクレッシェンドも、お祝い騒ぎも、その過程からはじかれた者、舞台裏にしゃがむ役すら与えられなかった者たちから、そしてそういった者たちに代わって挙げられている、疑問と異議の声にかき消されそうになっている。

 今回の選挙では、すべての面で実務が混乱し、安全は完全に欠如していた。これは、数多の障害の一部であり、選挙に問題ありと言われる根拠なのであって、今後数十年にわたり選挙の正当性を疑問視する亡霊のようにとりついて離れないであろう。しかもこの議論は、軍事占領によって構想され、軍事占領化でおこなわれ、合法性を証明したかもしれない国際機関の装いすら欠いたずさんな選挙という、先天的欠陥を無視した上での話である。今回の選挙で保証されたことがあったとすれば、党派による偏狭政治が制度化されたことであろう。選挙の公正を証明するはずの国際監視団体が仕事をしているのは、イラクから何百マイルも離れたヨルダンのアンマンである。起こっていることのパロディを地でいっている。

 反対意見や疑問の声のすべてが、真に民主主義をめざしているために出されているとは限らないし、単に長い流血の内戦の恐れを払いのけようという願いから出されていることもある。しかし、こうした意見の多くは本物である。皮肉中の皮肉は、遠くにいる者ほど選挙権が増す、ということだ。ロンドンやデトロイトといった街で暮らし、ほとんどが近い将来はイラクに戻りそうもないイラク人たちが、そうできるところでは、今回の選挙に一票投ずることができる。しかし、ファルージャやモスルや、スンニ三角地帯とされる場所に一緒くたにされた地域の市や町に住んでいる(そして死んでいる)者たち、我々在外イラク人よりはるかに選挙で直接的影響を受ける人たちが、欲したとしても投票できないのだ。国外に散り散りになったイラク人が祖国の将来に発言権を持つべきではないとか、政治に積極的に参加すべきではない、と言っているのではない。反対に、時が経つにつれ、国外のイラク人社会が、重要な役割を果たすことが明らかになってくる、と私は思っている。しかし、こうした人たちの影響力と投票数は、現にイラクに住んでいる国民のそれを上回るべきではない。

 こうして書いているあいだ、絶滅解放がなされる前ファルージャにいた30万の住民のうち、戻ったのは10万人だけである、という報道がはいってくる。戻ってきた住民が目にしたのは、亡霊の街、倒壊していない家などほとんどない街であった。

 水道も電気もない。置き去りにされた死体を野良犬がむさぼり、街のほとんどは、全市民に対し、わけの分からない理由でいまだ立ち入り禁止とされている。数ヶ月前、アメリカ政府とイヤド・アラウィの政府は、「解放」されたら再建と復興をしてやると言っていた。果たして、その約束も霧消してしまった。破壊された家屋とかけがえのない所有物の補償金として100米ドルが与えられると言われた。残酷な冗談にもほどがある。この人たちが、難民キャンプでうずくまり、あまり快適ではない「国内避難民」の暮らしに順応しながら、国の民主化に大した情熱を示さないからといって、誰が彼らを非難できるのか。

 ファルージャやモスルの住民や、選挙をボイコットしたり、選挙にいけない、その大部分がスンニ派の人たちだけの話ではない。10万に近い投票を阻止する多岐かつ典型的な投票阻止がおこなわれていて、この人たちは一人として確実に投票にはいかない。フロリダ州に住んでいるのでない限り、この死んだ人たちは投票できないのである。10万という数値は、戦争開始以来のイラク民間人の死亡者数で、ジョンズ・ホプキンス大学、コロンビア大学、アル・ムスタンシリヤ大学の研究者が共同でおこなった調査によるものである。

 アメリカ合衆国は、民間人死者の数には「関心がない」。コリン・パウエルの言葉である。

 「ボディ・カウントはしない」、戦争の英雄トミー・フランクス将軍の言葉である。

 それだけではない。イラク厚生省は、独自の死亡者調査をやめろと命じられた。帰還した戦死兵士が入った棺桶の姿が国民の目に入らないように躍起になっている政府に、何が期待できよう。

 お決まりのことだが、一部からこの調査方法にすばやく疑問が投げかけられた。人の死より技術的問題のほうが大事と思うような種類の人たちによってである。スターリンはこの点で的を得ていた。「一人の死は重大事件だが、100万人の死は統計。」こういった話や数字は大海の一滴のようにあっという間に消えさせられてしまう。そうすれば、待ち受ける純度100%の自由への道の展望がよく見えるというものだ。十数万が死んだって、所詮有色人種だろってわけで、世界の同情マグニチュードの高さは低いのだ。他にも、ダルフールからパレスチナからいろんなところで、とてつもなく複雑で、文明社会の注目を待望しているケースが五万とあるだろう。ほかの人と同じように、私もこの10万という数値に黙って向き合うときがある。あなたたちが鳥だったなら、いなくなった時、人はもっと激しい怒りを覚えたかも知れない。大都市の空に大挙して押し寄せ、空を灰色に埋め尽くし、数時間ほど抗議することができただろうから。気象学者とバードウォッチャーたちが、確かにその姿に気づいたことだろう。あなたたちが樹だったなら、その美しい森が破壊されたとき、それは地球に対する犯罪とみなされただろう。あなたたちが言葉だったなら、尊い本や稿本となり、その損失は世界中で悼まれたことだろう。でもあなたたちは、そのどれでもない。しかも、黙って、何もなかったように消えなくてはならなかったのだ。今回の選挙では、誰もあなたたちのために運動してくれないだろう。だれも、あなたたちを代表しようなどとは思わない。不在者投票用紙は発行も発送もされていない。慰霊碑、もしくは小さな資料館が建てられるにはあと数十年待たなくてはならないだろう。過去の出来事に罪を覚えさせることができるほど運がよければ、どこかの壁にあなたの名前が刻まれることもあるかもしれない。でもそれまでは、亡霊となって、自由に大声で沈黙の歌を歌い、傍観者と役者とを糾弾していてよろしい。
一同退場。」

 あい

どう見るイラク選挙 その2 「報道されない『選挙』の実態」

2005-02-03 14:53:46 | ニュース@海外
米国人ジャーナリスト、ダール・ジャマールによるリポート

2005年2月1日 What They're Not Telling You About the "Election"

 「流血と選挙の日が過ぎ、「民主主義」成功のしるしと絶叫する企業マスコミの勢いも下火になてきた。

 イラクで民間人・兵士あわせて50人が死んだこの日、この死亡者数は「予想より低い」と歓迎された。よって・・・ブッシュ政権/企業メディアの許容範囲に入る。所詮、そのうちアメリカ人は一人だけで、あとはイラクの民間人とイギリス兵士だし。

 現行の破綻したイラク占領を正当化するために選挙を利用しようという賭けは、みたところ元が取れているようだ。ただし、主流マスコミの報道を見る限りである。

 アメリカの主流テレビは、「予測より高い投票率」と騒ぎたて、一部は投票率72%という数値を引き合いに出し、そのほかも60%と報道した。

 彼らが報道していないのは、この数値が、イラク独立選挙委員会(IECI)の広報担当ファリド・アヤールの口から、投票箱がしまる前に出たものだ、ということだ。

 記者会見で、投票率の根拠について質問されたとき、アヤールは最初に発表した数値を撤回し、より正確な推定はもっと低くておそらく登録者の60%あたりになろう、との訂正発言をした。

 同報道官は、最初に言った72%というのは「推測しただけ」のもので、「単なる予測だった」のであり、その根拠は、現場から口伝された「非常に大雑把なものであり、委員会が正確な投票率を発表するには時間がかかる」と述べた。

 この二つの数値に言及しながらも、アヤールは、「投票率と投票数は、集計が終了したときに分かりますので、そのときに発表します。…この二つの数値を公式とするにはまだ早すぎます。」と付け加えた。

 この点の重大性もさることながら、主流マスコミが犯した虚偽報道はこれだけではない。

 彼らが報道しなかったのは、投票した人が35%であれ60%であれ、進行中のアメリカによる国の占領に支持票を投じたのではない、ということである。

 それどころか現実に、イラク人はまさに反対の理由で投票したのだ。投票をしたイラク人で私が話した人は全員、近々召集される国会が占領の終了のきっかけをつくるはずだ、と信じていた。

 しかも、彼らは、外国軍の撤退を求める要求が、遠い将来でなく近いうちになされると期待している。

 こうして見ると、歓喜に踊るイラク人の姿を映し出したテレビの映像が違って見えてくるのではないだろうか。

 しかし、アメリカでCNN、FOXはじめメジャーな放送局の番組を見ている人のほとんどにはそうは映らないであろう。視聴者は、「世界は、中東の中心から自由を求める声を聞いている」というブッシュの発言を聞き、それを事実として受け止める。なぜなら、ほとんどの主流マスコミが、混乱と暴力が日常化した地で生きるイラク投票者が喜ぶ姿を写した映像の奥に何があるのかを、報道していないからである。仕事も電気もなく、水の供給も切れ切れで、(イラク人には)ガソリンもない生活をマスコミは伝えていない。

 しかもマスコミは、ブッシュを、イラクに民主主義をもたらした人物として描き出しているが、その理由は、いわゆる――ずさんだった可能性が強い――選挙がされたという単純な事実からだ。どうやら、多数派のシーア派はついに、「政府」で勢力に応じただけの権力を得ることができそうである。

 ブッシュ政権は、見たところ、自分たちが他国を思って選挙を支持したと描き出しているし、主流マスコミもそう宣伝しているが、よく見るならば、このすべてが但し書き付であることが見えてくる。

 しかも、投票に行ったイラク人たちの耳には、占領の終結を求める、という別の大声が聞こえているのである。

 選挙はされたが問題は解決されていない。国会が召集され、10万を超える米軍がイラクに留まり、ブッシュ政権が米軍撤退の日程提案を拒否し続けたなら、何が起こるか。

 すでに国内には米軍の常設基地が4つもできており、それらが撤去されるどころか、チェイニーの古巣ハリバートンにより現在さらなる基地の建設が進められていることを知り始めたら、何が起こるか。

 Foreign Policy in Focusのアントニア・ジュハズは、「選挙」の直前、投票がどうこうとの大騒ぎの只中で消されてしまった問題に焦点をあてた記事を書いていた。

石油である。
 
 中東の中心に民主主義をもたらした者たちがほとんどの人たちに語っていない本日のテーマにぴったりなので、彼女の記事を大部分において再掲したい。

 『2004年12月22日、イラクの財務相アブドル・マフディ氏は、ワシントンDCのナショナル記者クラブにおいて、少数の報道と業界関係者に向け記者会見をおこなった。マフディ氏は、イラクの国有石油会社を外資に解放することを可能にする石油法案を提出したいと思っている、と述べた。「ですから、これはアメリカの投資家、アメリカ企業、もちろん石油会社が非常に期待できるものだと思います」と説明。つまり、同氏は、イラクの石油を民営化し、アメリカの企業の手に渡すことを提案しているのである。

 同財務相によれば、外国人は、「流通・マーケティング」部門だけでなく、「おそらく産油段階」でも投資ができることになるらしい。つまり、外国人がイラクの石油を売り、地下の石油も所有することができるということだ。まさにアメリカが戦争にいったそもそもの理由、と多くが指摘する点である。

 ディック・チェイニー副大統領が、1992年に出していた「防衛政策指針」は、「我々の総合的目的は、〔中東〕地域における主要外部勢力としての立場を維持することであり、同地域の石油に対するアメリカと西側の権利を維持することである」としている。

 アメリカの報道で、問題の報道は愚かこの記者会見に出たのはインター・プレス・サービスのイマッド・マッケイぐらいであったが、マフディ財務相が新法案を発表したとき、横にいたのは米国務省次官のアラン・ラーソンであった。これは、何かのメッセージが意図されていたからか。だとしたら誰に。

 その後、マフディ氏は、1月30日の選挙で、主要シーア派政党であるイラク革命最高評議会(SCIR)の候補者リストに名を連ねていることが分かっている。

 イラク全歳入の95%を占める資源を売り渡すと発表しても、国民の票は得られないかもしれないが、アメリカの政府と企業からは強大な支持を取り付けられることは請け合いである。

 マフディ氏が所属する革命最高評議会は、来る選挙でダントツでトップにでると見られているが、その理由はまさに、スンニ派が暮らす地域が破壊的な混乱に飲み込まれていることからスンニ派の投票がますます不可能になっているからだ。ブッシュがイヤド・アラウィ暫定首相に、選挙の中止を提案するようなことになれば、マハディ氏と革命最高評議会が最終的に勝利する可能性は低くなろう。』

 ひとつ付け加えるなら、マフディの革命最高評議会が所属するイラク統一連合(UIA)には、イラク国民会議も入っているが、これは、イラクへの違法な侵略に必要だった虚偽の情報を提供したブッシュ政権の旧友アメド・チャラビ率いる政党である。

 また、アラウィ暫定首相も侵略正当化に使われた虚偽情報をブッシュ政権に流した人物であることも留意すべきだろうが、アラウィは、イラク統一連合とほぼ同数の支持を得られると見られている別のシーア派候補者リスト〔イラク人リスト〕を率いている。

 しかも、イラク統一連合は、イランで生まれたシーア派宗教者アリ・シスタニ師の息がかかった団体である。シスタニ師は、膨大な信者に対し、投票に行かなければ地獄へ落ちる、との宗教令を出している。

 『よって、ブッシュ政権が革命最高評議会と取引をしたのでは、と見れるかもしれない。政権を保証する代りにイラクの石油を頂戴、と。アメリカがこんな取引を提案できるのは、イラクで糸を引くのはまだブッシュだからである。

 選挙の結果にかかわらず、新国会が憲法を起草し、国民が新政府を選出する少なくともこの1年間は、イラクが使える資金の最大部分(イラク復興には、アメリカの税金から240万ドルが配当されている)、最大の軍隊、イラク経済を左右する法律を支配するのはブッシュ政権であろう。この金と法律は、次には、アメリカが任命した監査官たちが監視することになる。すべての省庁で5年任期をもつ役職につき、取引の契約と規制に決定的な権限をもっている人物たちである。いまやブッシュ政権は、イラクの石油も手中に収めたのである。』

 主流マスコミが報道していないことはこれだけではない。占領を終わらせられると信じて投票したイラク人にも知らされていないことはまだたくさんある。」

あい
 




どう見るイラク選挙 その1:「修復不能なほど無効」。英国国会議員ジョージ・ギャロウェー

2005-02-02 00:06:27 | ニュース@海外
 ジョージ・ギャロウェー:スコットランド地域選出の国会議員。2003年10月、「不法な命令」に従わないよう英国兵士を激励したことで、労働党を除名される。主流マスコミから「サダム・フセインに雇われている」とのでっち上げ報道をされたが、このたび裁判で、報道の不正を証明し、謝罪・賠償を勝ち取った。

 Democracy Now! 1月31日報道

ジョージ・ギャロウェー(1月30日、ロンドンでのインタビュー)
 「この選挙は茶番、不正に操られたものです。外国軍の占領下でおこなわれる選挙は、本質的に、完全に欠陥選挙ですが、とくに今回の種類のような状況でおこなわれた選挙は、修復不能なほど無効です。現状を分析するなら、占領軍と抵抗勢力とのあいだで全面戦争がおこなわれているときに選挙をやるなど、とにかく不可能なのです。スンニ派は、クルド人・アラブ人を合わせ、人口の4割を占めますが、彼らは、信条に沿ってイラクを意図的に分裂させようとしている占領勢力のやり方を強く危惧しています。スンニ派アラブ人のほとんどが選挙をボイコットしました。安全などまったく論外の地域に暮らしているイラク人の4分の3が、退席することで反対の意思表示をし、選挙をボイコットしました。有権者のうち選挙登録をしたのは4分の1以下で、そのうち実際に投票をした人はそれをも下回りました。というわけで、これはお祭り騒ぎ、茶番で、米英のイラク侵略・占領を合法にするためにおこなわれたものです。ですが、合法にはならないでしょう。世界の世論からみても、さらに重要ですが、外国の占領に抵抗しているイラク人からみても、そうはなりません。残念ながら戦争はつづきます。」

エイミー・グッドマン
 「では、今後の展開はどうなると思いますか。何を要求していきますか。」

ギャロウェー
 「私はこれをイラクのユーゴスラビア化と呼んでいるのですが、そういった非常に重大な危険があって、国民が民族・信条の線で硬直し、国が三つに分裂するプロセスが始まる――そのひとつ一つがアラブ諸国だけでなく、トルコ、イランといった周辺諸国にも数々の現実の危険をもたらすもので、これらの要因が、かなり高い可能性で石油をめぐる戦いを引き起こし、すでに存在している利害をめぐる衝突を拡大しかねません。私たちの要求は簡単で、この大惨事を引き起こした者たちが問題を解決できないことは明らかで、ブッシュとブレアと占領軍はイラクから必ず撤退しなくてはならなくなります。どんな形であれこの戦争を終わらせるのであれば、これは絶対的な前提条件で、撤退方法、時期――短期間でなくてはならないでしょうが――について抵抗勢力と交渉しなくてはなりません。いまの段階では、ありそうもないことだと思うかもしれませんが、いつか必ずどこかで合意されなくてはならないことです。ベトナムから米軍が撤退したように、米英軍はいつか必ずイラクから撤退しなくてはならなくなります。」

グッドマン
 「イギリスの世論はどうですか。それと今日の雰囲気はどうでしょう。いまBBCにいますが、テレビでは一日中、投票に馳せ参じ、興奮しているイラク国民の声が報道されていますね。」

ギャロウェー
 「アラブ諸国のすべての国民が民主的選挙で投票ができるようになって欲しいと思っています。だからこそ、その時代に生きていたとしたら、イギリスやフランスといった欧州諸国によるアラブ諸国の――ついでに言うなら自由とか公正などと評されるには程遠い選挙すら一度も行われなかった――植民地化に反対していたでしょうし、だからこそ、アラブ世界を例外なく支配し、ほとんどが英米の全面的支援を受けている独裁政権すべてに反対しているのです。イラクでも民主的選挙がおこなわれて欲しいと思います。が、これは民主的になされていないし、解決どころか、情勢を悪化させる可能性すらある選挙です。いまイギリスでイラク戦争を支持しているのは国民の29%で、戦争の真最中・バグダッドが陥落したときの確か68%から落ちています。かなりはなばなしい低下で、支持はもっと下がります。」

グッドマン
 「最後ですが、争議で和解し謝罪したのは、ロンドンの『タイムズ』紙でしたか。」

ギャロウェー
 「ずいぶんとかかりました。全社が和解し謝罪しましたよ。言及されたのは、最高の勝利を勝ち取った『デイリー・テレグラフ』だと思います。(『デイリー・テレグラフ』は)損害賠償として15万ポンド、(全体で)160万ポンドの支払いをせよとの判決が下りました。」

グッドマン
 「理由は。」

ギャロウェー
 「彼らが、私がサダム・フセイン独裁政権に雇われていると偽って報道したからです。反戦運動のあらゆる部分に向けておこなったのと同じ種類の、事実無根、大掛かりな中傷ですよ。彼らが耐えられないのは、正しかったのは私たちの方で、間違っていたのは自分たちだった、ということです。イギリスなりアメリカの史上最悪の外交決定のひとつのお先棒をかついだのが彼らで、私は、そんなことをすれば、まさに現実に起こっている結果になる、と主張していた陣営の一人だったということです。彼らにはそれが面白くありません。」

グッドマン
 「米兵が起こしたアブグレイブ刑務所の事件でコメントされていますが、イギリスでも、自国兵によるスキャンダルもありますし、グアンタナモの刑務所にいた囚人もイギリスに帰国していますね。」

ギャロウェー
 「主力政党と与野党幹部とBBCなど主流メディアの間には厳格な合意があって、彼らは、これは英国占領軍を象徴する行為ではないと、安心させあうのが好きなのですが、残念ながら、これは完全に英国占領軍を象徴する行為です。イギリスが、ケニアでマオ・マオによる解放闘争を抑圧したとき、10万人のケニア人を殺しました。今回の戦争と占領で死んでいるイラク人とほとんど同じ数です。ケニアで、イギリス軍は、キクユ族の手足を切り落とし、それを壁に張り付け、写真を撮りました。殺したキクユの死体を一体持ち帰るごとに、兵隊に5ポンドの報酬が支払われました。マラヤでマレー人の解放闘争を鎮圧したとき、イギリスは1万人を殺しました。イギリス兵がマレー人の斬首した首を持ってポーズをとっている写真を見たことがあります。これがすべての占領の結末なのですよ。問題の兵士がアメリカ人だからとかイギリス人だから起こるとか、シャロンの軍があのような蛮行をするのはイスラエル人だからだ、とか、ましてやユダヤ人だからだといった類の問題ではないのです。そのように振舞うのは占領軍だからであって、すべて占領はそこに行き着くのです。占領軍は、占領している国民を悪魔として描き、間化しますが、これは占領軍特有の優越感で、そうでも信じていなければ、他国の社会を自分たちが再建すべきだ、なんてことは考えないでしょう。しかも、17、19、20歳の若者が武器を持って、無力な民間人に向かっていけば、必ずアブグレイブに行き着くのです。」

 by あい

2005年1月30日:投票に行かなかった人たち。

2005-01-31 15:23:40 | ニュース@海外
アメリカ人ジャーナリスト、ダール・ジャマール(Dahr Jamail)のウェブサイトより。心の準備をしてから見てください。

http://dahrjamailiraq.com/gallery/

 「これらの写真は、ファルージャで死んだ男性を米軍が撮影したもの。死亡者確認のため2004年11月19日になされた。国際赤十字によれば、ファルージャで殺された6割が女性、子ども、老人であった。注意:非常に生々しい写真ですが、戦争の実相を示すために載せています。」

"This album contains photos taken by the military of dead men in Fallujah. They were taken on November 19th, 2004, to identify the dead. The IRC estimates that at least 60% of those killed in the assault of Fallujah are women, children and elderly. Warning:These are extremely graphic images posted simply to show the true face of war."

 あい

シーモア・ハーシュ:「私たちは、カルト集団に乗っ取られた」

2005-01-28 14:00:05 | ニュース@海外
ピューリッツアー賞受賞ジャーナリスト、シーモア・ハーシュが、ニューヨークで行った講演から。拷問スキャンダル、イラク戦争の実態、ネオコン・ブッシュ政権の正体、今後の展望などを語っています。かなり重い――ですが、最低4年はブッシュに付き合う者として知るべき話が満載。A4五枚ぐらいの量ですが、必読。

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 ハーシュは、2004年4月「ニューヨーカー」誌に、アブグレイブ拷問事件をすっぱ抜いた記者。近著に”Chair of Command: The Road from 9/11 to Abu Graib(指揮系統:9・11からアブグレイブへの道)”がある。この講演は、Democracy Now!が1月26日に報道したもの。http://www.democracynow.org/article.pl?sid=05/01/26/1450204

Seymour Hersh: "We've Been Taken Over by a Cult"
Democracy Now! Wednesday, January 26th, 2005

シーモア・ハーシュ
 「大統領のやっていることについてですが、この3年間の状勢について、おおよそですがオルタナティブな歴史を「ニューヨーカー」に書いているものとして感じるのは、ジョージ・ブッシュは、自分のやっていることを高潔だと感じているということです。ブッシュは身を捧げきっています。ブッシュが自分は神の意思を実行していると思っているのか、父親が遣り残したことをしていると思っているのか、どっちかは分かりませんが、いずれにせよ、私には本当に分からないのですが、ブッシュは正しいことをしていると思っています。彼は、イラクでやってきたことを今後も続けるし、可能なら広げていきます。アメリカに戻ってくる遺体の数が増えてもブッシュには何の意味もない。遺体袋が殺到していますが、ブッシュの考えをなんら変えるものではない。それは、死者が増えようと、ブッシュはそれを、自分の信念が命ずる状況にアメリカを置くことに対し支払わなくてはならない代償だ、と判断するからです。ですから、私のような人間や、政治家――彼らのほとんどはあまりにも腰が引けているのですが――から見ると、ブッシュは非常に異様な形で麻痺させられています。みなが日々感じている不安は――ブッシュが5800万票とったとしても多くの人は戦争継続のために投票したのではないのですが――この不安はこれからも続くと思います。

 将来の予測は難しいですし、予測などは一種ばかげているのかもしれませんが、問題は、どうやってブッシュに対峙するか、どうやって彼を批判するかです。高潔で完全に正しいと思っている道から、ブッシュを降ろすためにはどうしたらいいのか。今自分たちが置かれている状況の恐ろしさは、強調してもしすぎることはありません。なぜなら、ほとんどの人が分かっていないし、報道がまともな仕事をしていないからです。上院の諜報特別委員会は、9/11調査委員会の審議結果を受けた形で、新しい法案を採択したばかりですが、この法案はちょっとした〔対外向けにポーズをとっている〕歌舞伎みたいなもんです。つまり、この法案の真の目的は、ペンタゴンに恐ろしいほどの権力集中を可能にすること、権力集中が合法になった、ということです。これでラムズフェルドは、待ちに待っていたことを恐ろしいほど実行できる権限を手にしました。これは基本的には、ピーターが言ったように、殺られる前に追跡し殺る、ということです。「あいつらもやったんだから、おれらもやるぜ」といった態度が、いま私たちの政府のトップが持っているメンタリティなのです。考えると気がおかしくなりそうなことを2、3話します。それ以上は耐えられませんので。

 この状況から抜け出す方法はあると思います。おそらく。ひとつ言いますと、「反乱・暴動(insurgency)」という言葉はもう完全に忘れましょう。これは、最悪の誤解を招く言葉のひとつです。反乱という言葉が想定させるのは、アメリカがイラクに行って、戦争に勝って、そしたら不満たらたらの一派が歯向かって来て、だからアメリカが対抗しなくてはならなかった、という状況です。私たちは、自分たちが戦争を仕掛けた国民と戦っているのです。バース党に加えてナショナリストの勢力と戦っているのです。自分たちが戦争を仕掛けた国民そのものと戦争しているのです。彼らが選んでいるのは、アメリカの意思に反して、自分たちの時間枠で、自分たちの場所で戦いを進めることをだけです。バグダッドは簡単に落ちました。それはアメリカが勝ったからではありません。彼らが撤退し、わざと獲らせ、事前に計画していた通りに戦うと決めていたからです。そのとおり、彼らはまさに敏活に戦っていますよ。この点でぞっとするのは、アメリカに諜報がないことです。彼らの行動をつかむ情報がないことです。1年半前、米軍はひとつの部隊が2、3人からなる勢力とぶつかっていました。対抗を作戦している支部は、たかだか2、3人だろうと推測していましたが、それでも正体を見破れませんでした。それでは今はどうかというと、いまだに次が予測できない状態です。いまイラクでは、一部隊の規模は10~15人になっており、優れた通信手段も備えています。これは、政府のある関係者から聞いた話です。ちょっと話はずれますが、私のような人間に情報を流してくれる関係者の数は増えています。

 アメリカの軍部、諜報部の内部にはかなりの不安がうずまいています。彼らの多くは、ここにいる人と同じように、憲法や権利章典や個人の自由を尊重している人たちですが、その中で、とてつもない恐怖感が生じています。権力を握っているのが懲罰的行為に出る人間だから。ひとつ言えること、当惑するのは、アメリカが基本的にカルト集団に乗っ取られたということです。たった8、9人のネオコンがどうやってか政府を横取りしたのです。一体、なぜ、どうやって、そこまでうまくやってのけたのかは、後の歴史家と現在あるものよりしっかりした文書の裏づけを待たなくてはならないでしょうが、彼らは、官僚・議会・報道をこれ以上ないほど易々と征服するのに成功したのです。これは、自分たちの民主主義のもろさを雄弁に語っていると思います。ペンタゴンやホワイトハウスにいる一握りの人間が思い通りにことを進めているとなると、民主主義とは一体なんなのか、疑問に思わざるを得ません。彼らがやったのは、CIAを骨抜きにすることですが、その理由、〔新長官の〕ゴスの本当の目的は、作戦部門の人間ではなく、分析を担当している人たちを攻撃することでした。CIA内部には、ホワイトハウス、チェイニー――ホワイトハウスといったとき根本的にはチェイニーのことですが――、ラムズフェルドと多くの問題で意見が違うまじめなベテランのアナリストたちがいました。誰かが言っていたのですが、先月からCIAで進められていることの目的は、真の信者から異教徒をえり分ることです。本当の標的は、「情報局をおとしめる」こと。この問題はいま書いていることなので、この辺にしておきますが、いま政府では大変貌がおこっています。権力の集中です。

 一方で、いくつか事実があります。まず、アメリカはこの戦争には勝てません。ブッシュが、いましていることをすることは可能です。イラクを石器時代になるまでに爆撃することは可能です。が、あまり芳しくない、もう一つの鮮烈な事実があります。サダムの秘密警察ムカバラの一員であった――のち批判的立場に転じた――アラウィを傀儡政権に据えたので、根本的にこれはサダム時代の化石なのですが、アメリカがアラウィを首相にしたのは6月28日で、そのあと、7月、8月、9月、10月、11月と毎月あることが起こっています。一機による出撃回数と、投下される爆弾の量が乗数的に増えているのです。つまり、われわれは、あの国を体系的に爆撃しているということです。拠点となっていると思われるドーハ空軍基地には、従軍記者が一人もいません。空母ハリー・トルーマンにも従軍記者はいません。これが攻撃作戦のおおくを担っている空母だと思います。イラクに防空体制は皆無ですから、攻撃は朝飯前です。アメリカはやってきて落としたいところに爆弾を落としていくわけです。私たちは何も分かっていません。質問もしません。知らされてもいません。爆撃の規模について何も知らないのです。ですから、イラクで選挙が実施され、うまく終わるとするなら、爆撃がカギなのです。どういうことかというと、ファルージャ――実質的にはイラク――で起こったこと、ベトナムを覚えている方もいると思いますが、いまイラクは私たちの目の前で「自由爆撃地帯」と化しているということです。すべて撃ち、すべて殺せ、ということ。空軍大佐の友人がいて、都市爆撃計画という一大任務を担当していた人ですが、都市爆撃計画というのは、爆撃の障害を可能な限り取り除く仕事です。たしか、ファルージャー攻撃のあと、三週間まえの日曜日に彼の自宅に電話をしました。私は人の職場には電話しないのですが、彼の自宅の電話には、呼び出し側を確認する機能がついていて、電話を受けたとき彼は「スターリングラード〔第二次世界大戦の激戦地〕にようこそ」といいました。私たちは自分たちが何をやっているか分かっているのです。これは意図的なのです。もうなされているのことなのです。彼らは私たちに知らせていません。彼らも話題にしません。

 いま大統領、国務長官の座についているのはどんな人物かというと、装備が足りないと兵士に質問されたとき、しばらく答えに困ってから「そうですね、きちんとした装備をすべきだし、ちゃんと準備しますよ」と、まるで、戦争準備に無関係だった人のようなもの言いをするタイプの人間です。ジョージ・ブッシュにとって言葉は何の意味も持ちません。ただ音を発しているだけ。意味はありません。ブッシュは、「えー、拷問はしません」と何度でも言えますが、現実は明らかに違うでしょう。アブグレイブも明るみにでて、逸話みたいに使われています。国際赤十字(ICRC)と米国自由人権協会(ACLU)がこの数週間出している文書から、どこか深いところで私たち全員が理解しています。ガキども7人がやったこと、おぞましい写真、リンディー・イングランド、といった個別バラバラの出来事ではない、と。彼らは堕落した人間で、もちろん間違った行為です。ですが、子どもを戦争におくりだしたときから、上官が現地の親になります。これは、軍の上官はこの子どもたちを守る任務を負っているということです。鉄砲玉にあたったり爆破されないようにするためだけでなく、20そこらの若者が鉄砲もって戦地にいったとき、馬鹿な真似をさせないようにすることも任務です。彼ら自身の行為から守ってやらなくてはならないのです。毎晩毎晩異様な行為を三ヵ月半も続けていたのに、兵士内部からの告発があってはじめて明るみに出てやっと止められたのです。どれだけの上官が知っていたか。年表にしてみると分かりますが、アブグレイブが報告されたのは2004年1月です。5月に私とCBSがかなり大々的に報道しました。この1月から5月までのあいだ、政府はなにもしませんでした。後にラムズフェルドは、1月半ばに報告を受け、大統領に知らせていたことを認めましたが。事件が公になる3ヶ月半のあいだ、7人の「腐ったリンゴ」下士官兵、ウェスト・バージニアの憲兵隊に所属していた予備兵を起訴するほか、体系的な措置は一切とられませんでした。彼らは基本的には、交通規則の訓練を受けだけの若者で、イラクに送られ、刑務所の担当につけられた、というのが問題の答えです。まったくの無知。だからといって愚かな行為は許されはしません。しかし、もうひとつ別の体制が存在していて、私たちは、それを見ていないのです。この体制にいる人間は逃げおおせています。

 というわけで、これがこの最悪の事件の良い面――良い面などあればの話ですが。奇妙・間接に良い面について話しましょう。今週ワシントンポスト紙に載った記事です。メリーランド出身の25歳の海兵隊員が死に、ポスト紙がワシントンでおこなわれた葬式を取材しました。死んだ海兵隊員の名前はホダックで、父親の話が引用されています。父親はバージニア南部の地方紙に投書し、息子の死についてこう書いています。「今日はすべてが奇妙だった。洗濯をして、犬を散歩に連れて行き、朝食をとった。自分はどういうわけか息をしている、心臓も動いている。なのに息子は棺桶に入って、あちらの世界に行こうとしている。」〔ベトナム戦争の〕ミライの事件を取材したときのことで、もう35年も前のことですが、ご記憶のことと思いますが、あの虐殺行為をしたのは基本的には米兵の一部隊であったことを確認しました。あまりにも今日の話と似ていますね。しかし、今日、米兵は戦場で敵を直接目にしません。兵士たちは地雷を踏んでしまったり、狙撃兵に突然撃たれます。常に敵は隠れているのです。目に見えない怒り、憤りが渦巻いていて、そうなるとイラク人を人間とみなくなります。この点についてイラクで私たちはものすごい成功をおさめていますよ。彼らはただの「ターバン野郎」で、人間以下の存在です。犠牲者の数はスーダンと同じで、ものすごい数を殺しています。いずれにせよ、ミライ事件に戻りますと、1968年ある部隊が村に入っていきました。そこには敵がいると思っていたのに、いたのは550人の女、子ども、老人だけ。なのに兵士は村民を処刑しました。まる一日かかって。その途中で休憩し昼食を食べています。そのうち一人の若い兵士が相当の殺しをやっています。90人ほどからなる部隊のうち黒人とヒスパニック系の兵士は40人ほどでしたが、彼らは、銃撃の際、宙に向かって撃っています。〔村民がいる〕溝をめがけては撃ちませんでした。部隊は、3つの溝に村民を集めて、何もいわず撃ち始めたのです。虐殺をやったのはほとんどが中流下層出身の白人で、いまでいうなら、ほんの少し余計に稼ぐために陸軍の予備兵や国家警備隊に入るような若者です。ミライで、ポール・メドロウという、かなりの殺しをやった兵士がいました。次の日、その場にいた兵士全員が覚えていることなのですが、溝の底にいた母親の一人が2歳ぐらいの男の子を自分のお腹の下で守っていたので、その子が生き残っていたことが分かりました。兵士らが配給食K――いまはMREと呼ばれていますが――を食べていたとき、その子がどうやってか溝から這い上がってきて、大声で泣き始めたのです。かの有名なカリー中尉がメドロウ――現代のリンディー・イングランドにあたりますが――に、殺せと命じました。「Plug him(お見舞いしてやれ)」と。メドロウは、これまでおそらく200発は撃っていたのに、それはできなかった。そこでカリー自身が皆が凝視するなかカービン銃をもって走っていきました。上官は兵士より軽い火器を持っているのですが、彼はこのライフルで子どもの頭の後ろを撃ちました。次の日、メドロウは地雷を踏み、片足を吹き飛ばされました。彼は救護後送され、そこで、大いに罵っていたのですが、みなが記憶しているゾッとするようなことを言っています。「俺は神の裁きを受けた。あんたらも裁かれるよ」と。

 その1年半後、私はこの事件の話を書きました。メドロウのことを知った後、彼の母親に電話をし――メドロウはインディアナ州のニューゴーシェンに住んでいた――訪問したい旨を伝えました。そのとき確か私はワシントン州にいたと思いますが、確かインディアナポリスへ飛んで、そこからテレホートへ飛び、そこからインディアナ南部までレンタカーで小さな農村へ着きました。ノーマン・ロックウェルの絵に出てくるような光景で、養鶏が生業のうちだったのですが、母親は50歳なのに80ぐらいに見える、筋張った老人でした。もがきながら生きている生活で、ずっとふけて見える。周囲に住民はいないような場所でした。息子さんに会いに来たと告げると、彼は家にいる、あなたが来るのを知っている、と言うと、母親はこう言いました――「優しい子を差し出したのに、殺人者にして返してよこしたよ」と。

 あのときから35年たって、いま、「ニューヨーカー」にアブグレイブの話を書いているわけです。3週間で3本書いたと思います。「ニューヨーカー」の事情を知っている人が聞けば、これは信じられないことです。いずれにせよ、この仕事の真っ只中に電話が一本かかってきました。東海岸、北東部に住む労働者階級、中流下層で、非常に信心深いカトリック一家の人からです。かけてきたこの母親は、話さなくてはならないことがある、というので、飛行機や車を乗り継いで会いに行きました。彼女の話はこうです。彼女の娘はアブグレイブにいた憲兵隊に所属していて、部隊全員が2004年3月に帰国した。2003年の秋に〔アブグレイブの〕任務に就き、あの娯楽行為は2004年1月に〔ラムズフェルドなどに〕報告されています。2004年3月に彼女は帰ってきましたが、そのときまだスキャンダルは発覚していません。が、娘は別人になって帰ってきた。イラクに行く前は結婚していた。若い娘だった。予備兵になったのは、陸軍の予備兵がちょっとしたお金稼ぎになるからで、大学進学のためでありません。ウェスト・バージニアのピザ屋のレジで夜中に働いているような人たちですから、あまり教養があるタイプの人たちではありません。彼女は帰国すると結婚したばかりだったが、夫を置いて去った。家を出て、街も離れ、別の街にアパートを借り、別の仕事に就いた。これまでの関係を全部断ち切ったのです。春が過ぎたころ、母親は毎週娘に会いにいった。が、娘は毎週末刺青の店に行き、体中に黒い刺青を彫っていた。腕、足――。母親は狂乱しました。一体どうしたのか――と思っていたところにアブグレイブのニュースが公になります。母親は記事を読み、ことの意味を理解したのです。彼女は娘に「あなたあそこにいたの」と聞いたそうです。母親がアパートに会いに行ってもドアをバタンと閉めて入れてくれない。母親は娘がイラクに行く前、彼女にパソコンを与えていました。DVDが見れるタイプのもので、海外にいったとき映画か何か見れるだろう、と考えたわけで、いいアイディアでしょうね。どうやら、そうしている兵士はたくさんいるようですが。娘は帰国後他のものと一緒にこのパソコンも母親に返しました。母親はパソコンを見てみました。彼女はうつ病のことも、フロイトも知らないのですが――母親は私に、パソコンを自分が使える状態に整理しようと思っただけなのよと説明し、なぜアブグレイブの件が明るみに出た後にはじめて見ようとしたのかは言わないのですが、彼女がファイルを開けてみると、当然「イラク」と書いたファイルが存在するわけです。開けてみると、100ほど写真が出てきました。母親や娘がみるべき種類のものではありません。アラブの男性が裸で鉄条に寄りかかり、2匹のシェパードが、男性の両脇にいるのです。「ニューヨーカー」はかなり大きく写真を載せました。が、雑誌に載せなかったそのあとに続く写真で、この男性は犬に噛み付かれています。かなり深く噛まれかなりの量を出血しています。というわけで、母親はこの写真を見て私に連絡してきたのです。

 私にとってはたくさんある話しのひとつですが、ここに問題の核心があります。私たちすべてが、米国政府の「マクロ」に対応しています。このマクロについては望みはゼロです。勝ち目はありません。報道もぜんぜんなってません。議会も。軍も。私が知っている軍の大将全員が、「俺たちがホントは裸だってことを誰が知らせるんだろうね」と言っていますよ。誰も知らせていませんよ。ラムズフェルドに意見するのをみな恐れています。それが現状です。これは恐怖の上に成り立っている体制なのです。誠実さが欠けているといった種類の問題ではないのであって、もっと深いものです。なぜなら、個人レベルで見れば誠実さは存在しています。そうではなく、体制が完全に乗っ取られたのです――カルト集団に。いずれにせよ、今後の展開としては、死傷者が増え、こうした話が報道され、兵士が帰国するにつれ親たちが犠牲の重みを理解していくでしょう。負傷兵も戻ってきますが、絶対耳にすることのない病棟というものがあります。重傷を負った兵士がいる病棟については知っていると思いますが、ここで言っている病棟とは、植物状態になった負傷者のことです。植物状態の負傷者が入れられている病棟が五万とあって、それは脳が壊滅的傷害を受けたからです。読まれたかもしれませんが、先週でた医学雑誌の調査によると、〔これまでの戦争に比べ〕重傷者の数が増えていて、それは、治療技術と武装の発達のためだ、ということでした。ということで、重傷の度合いが極限までひどくなっています。この手の話はこれからもっと出てくると思いますが、これから明らかになってくるのは、…なるべく楽観的に見ようとしているんですが。今後、内部からの底からわきあがるような動きが出てくるでしょう。すでに兆候は出ています。兵士に質問をするなかで、もっと出てくるかもしれません。私は、一斉蜂起が起こるといっているのではありません。が、不満の声がもっともっと外に出てくるようになる、ということです。それが情勢打開の糸口になるかもしれません。もうひとつの救世主は経済的なところかしれません。かなり悪い話をしますよ。今持っている株を売ってイタリアに土地を買っていない人は、早く手を打ったほうがいいです。みっつ目は欧州。欧州諸国がアメリカをこれ以上我慢しないでしょう。あそこでの怒りはものすごいものがあります。昔からの連合国のことです。そこで何か、アメリカに対する集団的行動といったものが起こる可能性があります。当然ながら、ドルの価値が下落し続け、米国債を誰も買わなくなり、信用貸しもしなくなるなか、アメリカ経済の墓場の上で、勝利のお祭りが開かれるようになります。アメリカはいま、毎日20億ドルの赤字公債を発行しているんですよ。そのうち、日本もロシアも、みんなドルでなくユーロ建てで商売をするようになります。パニックがおこるでしょう。が、ブッシュはこれも乗り切るかもしれません。そうなるにはあと一年かかるので、それまでの間ブッシュの悪行がもたらす影響は計り知れないでしょう。これからの展望はかなり暗いものです。」

 あい