CAFE PACIS

ユルゲンが「カフェで政治が行なわれているんだ」って言う。じゃあ、カフェで平和やるか。

16/21ヵ国:ブッシュで世界危険に

2005-01-21 13:11:52 | 原水爆禁止世界大会
21ヵ国中、16ヵ国で過半数の人が「ブッシュ再選で世界はより危険になった」と思っている。「より危険になった」に「いいえ」と答えた回答者が半数以上あったのは、インド、フィリピン、ポーランドのみ。日本とロシアは「回答なし」が多数あったもよう。

この結果みてみて、↓
http://www.pipa.org/OnlineReports/BBCworldpoll/html/more_01_19_05.html#1

なんで、インド、フィリピン。ポーランド人は、アメリカ人に対する印象が「良くなった」とか、アメリカが世界で影響力を持つのが「良い」と考えるの?なんで、この3ヵ国は、国際世論の本流とは逆なの?なんで、日本とロシアは「回答なし」が多いの?

意見、聞かせてー!

あきよ

イラク戦争よりやりがい:米兵

2005-01-07 10:57:45 | 原水爆禁止世界大会
 やっぱり、「人殺し」より「人助け」の方がいいに決まってるよね。

インド洋津波:
「イラク戦争より救援活動」と米兵

 【ワシントン中島哲夫】スマトラ沖大地震と津波の被災者に救援物資を届けるため活躍中の米軍ヘリ搭乗員らは「イラク戦争より、はるかに満足できる」と話しているという。スマトラ沖の米空母エーブラハム・リンカーン艦上からロイター通信が4日伝えた。
 同通信によると、艦載ヘリの女性パイロットは「ここでは破壊じゃなくて人助けをしている」と意気盛ん。被災者に物資を届けて離陸する時、みんな笑顔なのが特にうれしいと話した。ある男性航空兵は「ぼくの人生でこんなに意義深いことは他になかった」と感激。別の同僚はイラク情勢の混迷ぶりと比較しながら語った。「ここでは立派な大義のためだということが分かっている」
 イラク戦争は米国民の間でさえ否定的見方が広まり米兵の思いは屈折。救援活動の文句なしの「正しさ」が使命感を満足させているようだ。
 同空母はイラク戦争開戦前からペルシャ湾に展開。帰着直前の03年5月1日、ブッシュ大統領が航空機で飛来し、艦上で「大規模戦闘の終結」を宣言した経緯がある。
毎日新聞 2005年1月5日 10時33分

【翻訳家:池田香代子インタビュー】

2004-11-27 00:19:51 | 原水爆禁止世界大会
池田 パレスチナ人にとっての勇気とは、自分の家が壊されようが、家族が殺されようが、ユーモアをもって日常生活を送ることなんですって。お母さんにとっては子供に「宿題早くやりなさい」って追いかけまわすのが勇気。イスラエル軍はテロリスト捜索のためと称して、集落の真ん中をドーンと重戦車で通っちゃう。向こうの家って、隣家が壁を共有してますよね。だから、どちらのお宅も半分に崩れた状態なんだけど、そこにコーヒーテーブルを出して、先日講演でご一緒した森沢典子さん(著書『パレスチナが見たい』TBSブリタニカ)たちが通りかかった時も、「コーヒー飲んでいかないか?」って言うんですって。その勇気のコーヒーための貯水タンクなんです


インタビュー記事へのリンク

【翻訳家:池田香代子インタビュー】

「今だからこそ、改訂版にこめられたフランクルの気持ちを受けとめてほしい」

『世界がもし100人の村だったら』『ソフィーの世界』など、多くの話題作を手がけている池田さんが、この度、みすず書房の代表的作品であるロングセラー『夜と霧』(ヴィクトール・E・フランクル著)を改訳されました。その経緯と、最近のお仕事について、ご自宅にてお聞きしました。(2002年10月17日、インタビュー・構成=藤井正史)


(1)改訳のきっかけ

──既に名作との評価も定まっている『夜と霧』を改訳されるきっかけは何だったんでしょうか。

池田 新聞に「私の3冊」っていうコラムを書かせていただいて、その1冊に『夜と霧』を取り上げたんです。そうしたらみすず書房の編集者からサンキューコールがあって、いろいろお話をしているうちに、今回読み直したら立派な訳だけれど、今の子にはちょっと古くてとっつき悪いかもねって口を滑らしたんです。そしたら編集者がそれをとても重く受け止めて、数カ月後、改訳しないかって電話があったんです。でも、とんでもないってお断りしました。
 読売新聞だったかな、「21世紀に残したい本、読み継ぎたい本」という大アンケートがあって、『夜と霧』は何かの部門で3位に入ってるんですよ。しかも翻訳者はご存命なんです。だから改訳なんてとんでもない話です。

(注:読者の選ぶ21世紀に伝える「あの一冊」4645人感動ベスト10(2000.11.29)読売新聞東京朝刊 21世紀に読み継ぐ本として、識者及び一般からアンケートを集計発表したもの。〈世界の名著ベスト10〉では、1位『アンネの日記』、2位『論語』、3位に『夜と霧』。ちなみに9位には『ソフィーの世界』が入っている。)

──今回は既刊の翻訳者である霜山徳爾氏が解説を書かれているんですよね。

池田 私は霜山先生とご面識はなかったけれど、お書きになったものも読んで遠く尊敬していたんです。戦後のモノのない時に、若い先生がフランクルの本と出会われて、夢中で翻訳なさったこととか、フランクルとも親交がおありで、それが霜山先生の人生を変えるぐらいの意味を持っていたとか。日本にフランクルをお招きするのに、どんなに大変で、どれほど感動的だったかとか。だから、改訳なんてとんでもないって、ずっとお断りしていたんです。
 でも、みすずの編集者も偉いんです。私の説得よりも霜山先生の説得の方が難しいはずでしょ。それで霜山先生のところへ通ったわけです。それで霜山先生は、ホントに人格者でいらして、「じゃぁ、試しに訳したものを見てみよう」っていうことになったの。それで、400字×20枚足らずをガチガチに緊張して訳したんですね。先生は郵便が届き次第、見られたのではないかしら。みすずの方にすぐに電話があって、「今すぐ訳してください」っておっしゃったそうです。
 私はみすずからの電話を切って、声を上げて泣きました。何という立派な方なんだろうって。だって21世紀に読み継がれようとしている時に、ご自分の翻訳でなくてもいいっておっしゃってるんですもの。こんなこと、なかなか言えないですよ。

──新訳は改訂版からの翻訳ということですし、既刊を読んでいた方も手に取られるかもしれません。反響は大きいでしょうね。

池田 霜山先生の訳は確かに直訳調で堅い。だけども、それがある種の時代性を帯びて、揺るがし難い表現になっていると思います。だからすごく恐いですよ。「元の方が好きだった」っておっしゃってくる方には、ごめんねぇっていう感じです。
 こんなお仕事のバトンタッチを受けるなんて、翻訳をやってきて、これほど幸せなことはないですね。翻訳者になるなんて思ってもみない高校生の頃に読んで、ずっと感銘を受けてきた名著を翻訳させていただいたというのは。生きているといろんなことがありますね。

(2)旧訳との違う部分

──今回の『夜と霧』は、旧訳も並行して発売され続けるという珍しい形だと思うんですが。*

池田 そう、これは戦後日本の精神風土に計り知れない影響を与えた特権的な本ですね。それをみすず書房もしっかり受けとめているということでしょう。

(注:霜山訳『夜と霧』は現在の出版社在庫限り絶版扱いにせず新版と並行して継続販売される予定です。)

──新訳では、巻頭についていたかなりの分量の解説と写真などが省かれたそうですね。

池田 旧訳が出た頃(56年)は、詳しい解説や写真などがなければ、強制収容所のことはまったくピンとこなかったでしょうけれど、今は、映画とか他の情報もいっぱいあるので要らないだろうと。敢えて本編の言葉の力だけで、ということになりました。

──原著に関して。今回翻訳された改訂版というのは、既刊の原著とはかなり内容に違いがあるんでしょうか。

池田 著者ご自身からも、早く改訂版からの日本語バージョンを出してほしいとのご要望があったらしいです。私はもちろん霜山訳は何度か読んでいましたが、何でフランクルがそう言っていたのか、訳してみて初めて分かりました。小さな違いが、ものすごく大きな意味を持っていて。それでもうほんとに感動したんですけれども。
 霜山先生の訳は、旧版の47年の初版を元にしているんですが、今回は77年に出版された改訂版からの訳です。著者としても30代の少壮の学者の頃から、 60代の円熟期と変化がある。それほど大した違いはないんですけれど、47年というのは解放されてすぐの時ですよね。だから立ち直りのため、自己リハビリのために書いたようなものです。生々しい体験を客観化するためにね。それにしてもすごいことですよ。その魂の深さに驚くのですけれども。
 77年版の特徴の一つは「道徳的」という言葉が消えていることです。これは「モラル」の問題じゃないというわけですね。極限状態に置かれた人間の魂の問題であると。モラルという言葉では言い尽くせないと思われたみたいですね。新版ではこの言葉をほとんどすべて削っています。

 それに、今回読み直して気づいたんだけれど、47年版には「ユダヤ」「ユダヤ人」「ユダヤ教」という言葉が1回も使われてないの。それはもうびっくりです。これは、反ユダヤ主義のためにユダヤ人がいかにひどい目にあったかという記録ではないんです。もっと普遍的な、人類の痛ましい記録ということです。それを精神病理学の見地から分析している。また、アウシュヴィッツなどの収容所に入れられていたのは、ユダヤ人だけではないということ。ジプシー(ロマ)も、同性愛者も、反政府活動をした人も入れられていたという客観的な事実を踏まえているんだと思うんです。

──それは『夜と霧』の印象深い部分ですね。

池田 ところが、77年版には、幾つかの短いエピソードが、日本語でいうと、ほんの4~6行ずつ追加されていて、その一つに「ユダヤ」という言葉が2回出てくるんです。
 フランクルは最後にわりと小さな収容所で解放を迎えるんですが、そこの所長さんが非常に温情的な人だった。米軍と赤十字がやってきて解放された後に、「ユダヤ人元被収容者グループ」が、アメリカ軍司令官と談判して、所長を庇ったんですって。それまでの書き方に準じれば、「ある被収容者グループ」って書くはずなのに。
 何でなんだろうって思ったわけ。それで考えたんですけど、『夜と霧』は『アンネの日記』と並んで、戦後イスラエルの建国神話のイデオロギーを形成するための世界的なツールになったでしょ。フランクルの思いとは違うところで。
 48年にイスラエルができてすぐに第一次中東戦争が勃発するわけです。その後、ずうっと戦争状態が続きます。その時に錦の御旗か葵の印籠のように『夜と霧』は利用されている。こんなひどい目にあったユダヤ人なんだから国をつくって当然だろう、それを守ってどこが悪いって。それをフランクルがどう思っていたかということの答えが、この挿入部分なんですね。

──改訂版は、時代背景に対するフランクルのメッセージがこめられていると。

池田 77年は、初めてアラブ側が勝った第四次中東戦争が終わって数年なんですね。イスラエルが危機感を強めて、ますます軍事国家化していく年にあたります。多くの国からイスラエルへのユダヤ人の帰還政策が強化された年です。これは、今のシャロン政権の、入植地にどんどん人を入れるという政策につながっていく方針です。そんな時代に、ユダヤ人が、ナチの、しかも親衛隊員だった収容所長を庇ったというエピソードを書き加えて、ユダヤ人というのは公正な人たちなのだということを、ユダヤ人に思い出してほしかったということではないかしら。今の人にもフランクルのこの気持ちを受けとめてほしいと思います。


(3)2冊の『世界がもし100人の村だったら』

──昨年は『世界がもし100人の村だったら』が大ヒットしました。

池田 私は淡々と仕事をしているだけなんですが、今は淡々とは全然できていなくて。『ソフィーの世界』の時にはびっくりしていたんですけど、ミリオンセラーは2度目なので、あ、可愛くないですね(笑)、だから慣れているから、同じ程度なら今度の方が楽だわって感じると思うんです。ところが、今度の方がしんどくって。ということは、『ソフィーの世界』どころじゃない反響があったということです。それで、全然仕事にならない。

──インターネットの中でメールとして広まった、あれを本にしようという企画を実現したというのはすごいですね。

池田 やったもん勝ちって書かれて頭にきてるけどね(笑)。じゃぁ何で誰もやらなかったのよって(笑)。

──詳しく資料を載せた続編(『世界がもし100人の村だったら 2』)が、今年6月に発売されて、さらに話題になりました。まだ、この余波は続いているようですね。

池田 パート2ですね。このような内容のものが6万部なんて、信じられないです。

──やはり1冊目を読んで興味をもたれた方の、もう少し詳しく知りたいという要望が強かったということでしょうか。

池田 そうですよね。パート1で興味を持った方は、これではもの足りないって思われるでしょう。あまりに乱暴な数字でね。グサっと心にはくるんだけれども、理性的に何かを考えるには不適当な、寓意としての数字ですから。内心忸怩たるものがありました。

──100という数字が分かりやすかったんだとは思いますけれど。

池田 そうなんです。日常的にはね。それは感情に訴えるものではあるけれど、理性に訴えるものも出さないと。これは、ネットロアって書きましたけど、寓話みたいなものですから。

──マガジンハウスからの出版というのも意外な感じがしました。

池田 マガジンハウスっていうのは、カッコいい、気持ちいい消費をアドバイスする、いろんな雑誌を出している出版社、みたいな感じがありますもんね。でも、人文思想系の出版社からだったら、ああいう形にはならなかったでしょうね。最初からパート2の形で、しかもダサイ装丁でとか(笑)。時間がなかったっていうのもあるけれども、デザイン重視でカッコよくっていうのは、マガジンハウスならではでしょう。そして、そうでなければこれだけ受け入れられなかった。
 大抵は、もっと詳しく数字の解説をつけて最初から part2 の形で出すという風に発想しがちじゃない? だけど、比べると本としてのパワーは part1 の方が断然あるわけ。本て面白いですね。それで、part1 の形は正解だったんだと思いました。

──本屋で並んでいても、あの装丁は若い人が手に取って読んでみようと思いますよね。

池田 だけど、立ち読みできるのに、そのまま買ってくださるんですよね。これを持つのが私のスタイルだって思わせた。グッズ感覚? 本はグッズだもんね。あの大きさや厚さは女の人がハンドバッグに入れられる。ちょっと張り込んだ、グリーティングカードの代わりにもなるのかな。そう言えば、子どもの顔のイラストが今年のユニセフのカードに使われるんですよ。
 いいこと書いてあるからだとか、印税をいいことに使うから、ダサいけど買うというのは、私は不純だと思うんです。それに、印税は寄付しますとも何とも書いていないの。私が書いてって言ったら、編集者が、カッコ悪いから嫌だって。それが本を作る人のプライドなんだって知りました。私がいいと思うから買う。そういう人に受け入れてもらいたいということなんですね。私も、カッコいいというのはすごく大切だと思う。そうでないと、なにごとも広がりをもたないでしょ。だから、マガジンハウスからというのは、ミスマッチのようでマッチなの。私もそれは、出してみるまでわからなかった。


(4)『世界がもし100人の村だったら』と『夜と霧』

──“100人村”の基金を作られたということですが、そちらの方も忙しいのですか? 

池田 基金は別に忙しくないんですけどね。講演とか、そういうのが多いですね。
 基金はできるだけ、草の根のボランティアに受け入れていただこうと思って。この間、「FoE(Friends of the Earth)中東」というところに受け入れていただきました。イスラエル人とパレスチナ人がいっしょにやっているの。ちょっといいでしょ。

 パレスチナ人の居住区っていうのが、生活環境がひどくて、水道の水もろくに出ない。一週間に何時間かちょろちょろって出る。それを貯水タンクに入れておく。それがパレスチナ人の命綱なんです。片やイスラエル側にはふんだんに水があって、畑にも撒くから果物を輸出できるくらいなのに。イスラエル軍はパレスチナ人居住区を通って行く時に、面白半分に給水タンクを撃っていくんですって。射的みたいに。それが悔しいっていうんで、「FoE中東」は、イスラエル軍が壊したら片っ端から修理する、付け替えるっていうアクションを起こしたんですよ。それでまず、アメリカから2000基の給水タンクが行ったの。それは良いっていうんで、“100人村基金”に因んで、100基贈ったんです。「FoE Japan」の窓口を通じて。

(注:「FoE(Friends of the Earth)」は、国際環境問題に取り組んでいるNGO。世界中に支部をもち、それぞれが独自の活動をしている。パレスチナ人住宅の貯水タンクの取り替えを目指すプロジェクトは、「FoE中東」による「Good Water Neighbors」のことで、日本では、「FoE Japan」(http://www.foejapan.org/)が窓口になり、募金活動を行っている。)

 そうしたら、現地から電話がきて「100人村基金・日本」と英語で入れたいって。でも反対したんです。そんな手間ひまかけたらお金がかかるし、文字なんか書かなくたって水は出るでしょって。でもね、書くのは2-30円で済む、いまパレスチナ人を勇気づけるのは、世界が彼らを見捨てていないということを伝えることなんだって言われました。

──状況は悪化しているにも関わらず、日本でも確かに以前と比べて報道は少なくなりました。

池田 全然やりませんね。ケーブルで見るCNNやBBCでもそうです。だから、私はメルマガやメールニュースをチェックしています。
 今年の子どもの日に、あるメルマガで読んだんだけれど、パレスチナ人の13、4歳の男の子が3人、夜、ナイフ1本を持ってイスラエル人居住区に入っていったんです。その途端に殺されて、爆発物を身に付けていないか確かめるために重戦車で何度も轢かれた。そのうえ、遺体の引取りが1週間も許可されなかったために、野良犬に食い散らかされたんです。
 その中の1人のお父さんは、この子は学校の成績も良いし、家でもいい子だったし、友達とのトラブルがあったとも聞いていないし、どうしてこんなことをしたのかわからないって言うんですね。まるで日本のお父さんみたいでしょ。だけど、その子の遺書には、お父さん、どうして世界の人たちは僕たちを見捨てたの? って書いてあった。
 私はこのことを「FoE」からの電話で思い出して、「100人村基金・日本」と英語で書いてもらうことにしました。「Japan」の意味するところが「日本国」であろうが、「日本の私たち」であろうが、構わないですよ。

──『世界がもし100人の村だったら』がパレスチナの貯水タンクになっていたとは、読者にも伝えたいエピソードですね。パレスチナの人々の状況も含めて。

池田 パレスチナ人にとっての勇気とは、自分の家が壊されようが、家族が殺されようが、ユーモアをもって日常生活を送ることなんですって。お母さんにとっては子供に「宿題早くやりなさい」って追いかけまわすのが勇気。イスラエル軍はテロリスト捜索のためと称して、集落の真ん中をドーンと重戦車で通っちゃう。向こうの家って、隣家が壁を共有してますよね。だから、どちらのお宅も半分に崩れた状態なんだけど、そこにコーヒーテーブルを出して、先日講演でご一緒した森沢典子さん(著書『パレスチナが見たい』TBSブリタニカ)たちが通りかかった時も、「コーヒー飲んでいかないか?」って言うんですって。その勇気のコーヒーための貯水タンクなんです。

──できる限りの日常生活を保つことが、極限状態での勇気だということですね。

池田 本当の勇気は自爆テロなんかじゃない、あれは絶望なんだそうです。若い人の絶望だって。だから、若い人をサポートしなけりゃいけないって、大人たちは言ってるそうです。
 「ユダヤ」という言葉を77年版で初めて入れたフランクルの気持ちを思うと…。フランクルがシャロンがやっていることを見たら、本当に悲しむと思いますよ。

──そんな国際状況の中だからこそ、『夜と霧』が新訳になったということで、日本でも初めて手に取る若い人が増えれば良いですね。どのように読まれていくのか楽しみです。

池田 この本を若い人に手渡したいっていうみすず書房にしても、それが出版社として今の世界のためにできる大切なことだからでしょうね。


(5)今後の活動について

──池田さんは『夜と霧』に限らず、ケストナーの『点子ちゃんとアントン』など名作の改訳など歴史に残る仕事が多いですね。

池田 そう、グリムの全訳もそうです。

──ケストナーも、ナチスに迫害されて書き続けた人ですし、フランクルを訳すことになったのも、何か関連があるのかと思いました。

池田 いや、関連はなくて。ケストナーは岩波の絵本『動物会議』を翻訳し直して、生誕100年ということで、大型絵本として出ました。それを皮切りに少年文庫でシリーズが続いているということです。ケストナーは全部出します。子供向けのものを。
 それから、いま訳しているのは、なんと『日本国憲法』! 英文があるでしょ、それを“100人村語”で訳します。正文憲法は「日本国民は…」って始まるんですが、その部分が英語では「We, Japanese people…」。「people」は民衆とか人民という意味で、もともとは国民という意味はないのに、なぜかそう訳してしまったために、「people」には国民って意味もあると、翻訳を追認するためみたいな形で論文が書かれている。
 「国民」なら、「nation」ってなってなきゃいけないのにね。「We, Japanese people」だったら、「日本のわたし・たちは」じゃない? だから“100人村語”でやっちゃうの。

──いつ頃発売されるのですか。

池田 12月中旬です。『世界がもし100人の村だったら』というコンピレーションCDがあるのですが(ユニバーサル)、私はそこに入っている「イマジン」の訳詞をしたんです。それを読んだ若い友人が、「この訳で憲法を読みたい」って言ったのがきっかけです。ラミスさんも、日本国憲法の本を出したいって言ってたし。今度もラミスさんとのコンビで、英語と日本語の対訳になります。




池田香代子(いけだ・かよこ)
1948年生まれ、東京都出身。ドイツ文学翻訳家、口承文芸研究家。東京都立大学在学中より、ドイツ語翻訳の仕事をはじめる。訳書に『世界がもし100人の村だったら』、『ソフィーの世界』、『猫たちの森』(第1回日独翻訳賞受賞)、『完訳クラシック グリム童話(全5巻)』、『エーミールと探偵たち』など。著書には、『哲学のしずく』、『魔女が語るグリム童話(正・続)』、『子供たちにはまだ早いグリム童話』などがある。

ホームページ「翻訳家の部屋」 http://www09.u-page.so-net.ne.jp/pf6/kayoko-i/



このインタビューへは下記のURLでリンクを張ることができます。
http://www.bk1.co.jp/s/ikeda_interview/


投稿:せいじ