CAFE PACIS

ユルゲンが「カフェで政治が行なわれているんだ」って言う。じゃあ、カフェで平和やるか。

フランスの内紛

2005-11-12 10:53:40 | ニュース@海外
欧州社会不安の根源:植民地主義が残したムスリムとアラブの移民たち

DemocracyNow!
2005年11月9日


エイミー・グッドマン
 フランスでの暴動と、欧州全土ひいてはそれを超えた地域へ拡大するのかを見ていきたいと思います。ゲストは、イラン出身の作家で米国在住の教授ベザド・ヤグマイアン(Behzad Yaghmaian)さん。この度『Embracing the Infidel: Stories of Muslim Migrants on the Journey West(異教徒の容認:西へ向かうイスラム教徒移民の物語)』を出版。ニュージャージーのラマポ大学で教えておられますが、数年間トルコからパリにわたるいくつかの移民コミュニティーで生活した経験がありますね。今起こっていること、暴動がブリュッセルからベルリンに広がっているという報道についてどう理解していますか。

ベザド・ヤグマイアン
 フランスでの暴動の核心には、フランスの植民地主義後の移民政策があり、フランスが国民に自由・博愛・平等を実現してこられなかった問題があります。しかし、実際、同様の問題は欧州全土に存在します。欧州ではこの数年間、移民危機が大幅に悪化している。ですから、遅かれ早かれ、同じ種類の反乱や暴動が別の場所でも起こる潜在性、可能性があります。
 フランスで今起こっていることは、階級、民族、人種、宗教、文化の問題が混ざり合って暴動になっているということです。もちろん、あの内相発言は暴動に火をつけましたが、それ以前に、深いところで、暴動の継続をもたらした根源的問題があった。それは青年層の疎外で、フランスは植民地時代の非統治者をずっと非統治者として見続けている。つまり、アルジェリアをはじめとするフランス統治下にあったアフリカ諸地域からの移民が、フランス国籍を持っているのに、いまだ非フランス人と見なされているということで、これは、ある意味、彼らが経済的、社会的、政治的に扱われている実態の反映です。
 この問題に、フランスではこの数年間、欧州の別の地域ではこの10年間もしくはそれより少ないかもしれませんが、宗教的要素が加わっています。イスラムそしてすべてのイスラム教徒が潜在的テロリストと関連付けられる、という問題です。アラブ系の名前を持ち、イスラム教だと、自動的に潜在的テロリストとなってしまう。この疑いの目と恐怖を扇動しているのは政府当局だけでなく、マスコミ、そして世間全般もこれを焚きつけています。

グッドマン
 地域社会の動きはどうなんでしょう。移民地域の年配者が平和行進を組織したり、暴動に反対するファトワ(宗教宣告)を出したりしていますが。

ヤグマイアン
 地域社会の年配者は、私の意見では、疲労しています。彼らの時代は終わっている。問題は若者です。17、18、20歳の若者には未来があって、彼らの目には、この植民地主義後の時代に臣民のような条件で暮らすことは不可能だと映っている。だから、彼らは主張をしたい。要するに、今起こっていること、暴動は自分たちの声を聞いて欲しいという叫びです。聞いて欲しいのです。世界に、自分たちが存在すること、自分たちの状況を伝えたい。この15年、意見が聞かれることはありませんでした。暴動を使って主張し、状況の改善を訴えているのです。
 彼らはフランス人になりたい。彼らはフランス人で、フランス人として扱われたい。イスラム教徒だからといって差別されたくない。つまり、イスラムと宗教をして差別の口実にされたくないのです。警察にあらを捜され、嫌がらせを受け、世間からは普通と違う疑いの目をむけられることは、多くの点でもの大変な痛みを伴う烙印を押されることです。

グッドマン
 フランス以外の地域はどうでしょう。

ヤグマイアン
 この種の反乱、暴動が欧州の他の地域に拡大する可能性は高いと思います。例として、この数年間まったく暴動が起きていない国を挙げましょう。スペインです。スペインは、アフリカ移民の不法入国という非常に深刻な問題を抱えています。
 10月の頭に、モロッコにある2つのスペイン海外領土(飛地)で暴動があったという報道を覚えていると思います。サハラ以南のたくさんのアフリカ人が、これらスペイン領地の周辺りにある森や丘でキャンプ生活をしていたのですが、彼らが無理やり飛地に入ろうとしました。ここはは、10フィートの鋭い有刺鉄線付きのフェンスで隔離されています。この2つの乱入事件では10人の警察が殺されましたし、スペイン兵とモロッコ兵により2人のアフリカ人が殺されたとも報道されています。対応として、スペイン政府はこの地域に戦艦を配備し、三つ目のフェンスを建設する計画をしています。こんな風に囲いの外に置かれる身になったとき、何が起こるか考えてみるといいと思います。
 スペイン国内には、不法滞在しているアフリカ人がたくさんいます。彼らは、まずスペインに入国し、国籍文書を捨てます。こうなると国籍を持たないので、スペインは彼らを国外退去にできない。彼らはそこに留まり、不法滞在をする。仕事には就けない。秘密の状況で生活する。こうなると、彼らの多くが軽犯罪の常習犯と化さざるを得ない。麻薬を売り、スリをします。こうした人たちが暴動を起こす機は熟しているわけで、フランスでの事件をみて、他の移民たちも、こうやれば自分たちの声が聞き入れられると思うかもしれない。国籍が欲しいし、仕事をするための市民権が欲しい。だから、彼らの多くが何年も(飛び地周辺の)地域に暮らして、スペインに入国するために命をかけているのです。彼らのスペインでの状況はもともといた国と大して変わりません。スペインでは、こういう事態です。
 同じ状況は、これほど深刻でないかもしれませんが、イタリアにもあります。イタリアには、イタリアで不法に暮らすイスラム教徒とアフリカ人がたくさんいて、仕事を求めて地域を転々としています。しかし、彼らに対する警察の対応は凶暴で、国民は彼らを非常に懐疑的に見ていますから、彼らは自分自身を維持することができません。こうなると、いつ暴動が起こってもおかしくない一つの集団がここにも存在します。ですから、欧州連合(EU)が移民への態度を変えない限り、移民、とりわけムスリム移民への政策を改めない限り、欧州の他の地域への反乱の飛び火を裂けることは出来ないと思います。

グッドマン
 今日スタジオにはロバート・フィスクも来ていますが、フランスでの暴動が14日目になるなか、今日に至るまで影響を及ぼしているこの国の歴史の重大な局面を振り返りたいと思います。アフリカ北部の国、アルジェリアの植民地支配です。アルジェリアの支配とアルジェリア独立戦争について、イギリスのジャーナリストであるロバート・フィスクに聞きたいと思います。フィスク氏は、30年にわたり、様々な新聞、最近ではインデペンデンス紙で中東問題の記者をしてきました。レバノンのベイルートを拠点にし、このほど『The Great War for Civilization: The Conquest of the Middle East』という本を出しています。ここでかなりのページをアルジェリアに割いていますね。

ロバート・フィスク
 血塗られたページをかなり。その通りです。今日のアルジェリアの危機、フランスの危機を、独立戦争にさかのぼることなくして理解することはできません。これは1954年から1962年まで続いた戦争で、最終的にアルジェリアは民主主義という点においての解放ではなく、帝国主義、植民地主義から解放されました。そして、この戦争が残した傷が癒されることはなかった、ということを認識する必要があります。フランス側について戦ったアルジェリア人――ハルキ――を、アルジェリアの政府、国民は決して許さなかった。ピエ・ノワールthe pied-noir(「黒い足」という意味だが、アルジェリア出身のフランス人を指す蔑称)――アルジェリアに住んでいた大量のフランス植民で、アルジェリアを故郷と思い、親も祖父母もそこで生まれた人たち――もそういう扱いを受けた。フランスは、もちろん、アルジェリアを「フランス大都市圏」と見なしていた。アルジェリアはフランス大都市圏の一部であったのに、アルジェリアの、言うところの「ネイティブ」はフランス人と同等の権利がなかった。ピエ・ノワールは、自分たちをアルジェリアから追い出したアルジェリア人、そして事実上アルジェリアの国を決して許していません。
 議論されていない問題のひとつは、議論すべき点なのですが、この暴動が起こっている、パリとそのほかの大都市の周辺地域の多くが、アルジェリア生まれの中流下層フランス人が住んでいる地域だ、ということです。ですから、実際に起こってることは、アルジェリアの若者が、1962年にアルジェリアから追放された人たちの家の車に火をつけている、ということです。この意味で、フランスでは内紛が起こっているのであって、少数派が、いまは自分たちの国であるはずの、自分が国籍を持っているはずの国による扱いに異議を唱えているという問題以上のものです。
 もちろん、戦争の傷が癒されることはなかったのは、誰も癒したくなかったからです。当時のフランス政府は、まず「我々は決してアルジェリアを去らない。アルジェリアはフランスの一部だ」と言った。そして、自由を求める人たちと交渉し、交渉が終わると、そこに住んでいた自分たちの国民を裏切って、極貧状態でフランスに向かう船に乗らざるを得ないままの状態に見捨てた。彼らの多くがフランスに家族も友人もいなかった。ですから、ある意味、今回の暴動はこのときから続いている問題です。
 もう一つ、悪名高い殺人事件を思い出す必要があります。事実として殺人だったのですが、1961年、パリ警察の署長がヴィシー政権でドイツの忠臣だった人物だったときになされた殺人です。ヴィシーは、フランスのユダヤ人のアウシュビッツ送還を支援した罪で戦犯として実刑を受けた人間ですが、この1961年大虐殺はいま忘れられています。

グッドマン
 説明してもらえますか。

フィスク
 1960年代、フランス政府には、ヴィシー政権に忠実に仕えていた人間がたくさんいました。ヴィシー政権とは、ドイツがフランスに侵攻した後の1940年、降伏合意としてドイツの下に作れた政権です。1944年にヴィシー政権が倒されるまで、フィリップ・ペタンといった第一次世界大戦では英雄だったけれど第二次大戦にはまったく英雄ではなくなった人がたくさんヴィシー政権に仕え、そのまま政府関係者の座に留まり、1961年の大虐殺が起こったときフランス警察の署長を務めていた多くは、ユダヤ人を強制収容所に送り込んだ人たちでした。

グッドマン
 ジャン・マリ・ルペンといった極右で反移民の人たちもいますね。

フィスク
 ルペンにはうんざりします。注意すべきは彼の娘の方ですが。

グッドマン
 でもルペンはアルジェリア戦争で軍務についていませんでしたか。

フィスク
 シラク大統領もそうで、シラクはアルジェリア戦争での功績で勲章をもらっており、イスラエル首相のアリエル・シャロンはそのことを常にシラク大統領に指摘しています。古い世代のフランスの指導者や政治家は、アルジェリア戦争に何らかの形で参加しています。フランスで興味深いのは、戦争に対するフランス政府の態度が英米とかなり違うところで、それは、米政権とか私の国のブレア氏率いるちっぽけな政権と違って、多くのフランスの政治家はアルジェリア戦争に参加し、戦争を経験している。ブッシュ政権のメンバーは戦争を経験していなかったり参加しないことを選んできたりしているし、ブレア政権のメンバーは戦争に参加するにはまだ若すぎた世代です。ですから、フランスには、戦争と暴力に対する大きな恐れがある。サルコジ氏は、戦争経験者ではないと思いますが、だから彼には、”racaille”、英語で「クズ」といった実に嫌な表現を使う基盤があるのです。ちなみに、歴代のフランス政府は例外なく常に暴力に屈してきましたから、サルコジ氏は犠牲になるでしょう。サルコジ氏は、この問題のために追い出され忘れ去られると思います。

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イラク・コンフィデンシャル その2

2005-11-05 15:56:36 | ニュース@海外
ハーシュ:
 この問題全体にはもうひとつ別の要素があって、スコットが本で書いていますが、査察団内部でスコットが知らなかった動きがあった。CIAによる作戦です。アメリカはフセインを挑発して、大統領宮殿への立ち入りを強く要求していたのですが、この動き真の目的は、本当の意味は、驚くなかれ、フセインの暗殺であったということです。

リッター:
 そうですね、まさにそれが実際に起こったことです。いいですか、アメリカの政策は政権交代でした。最初彼らは消極的にやりたくて、フセインを経済制裁で封じ込めるつもりでした。半年もすれば自分から崩壊するよ、と。しかし思ったとおりにはならなかった。それなら、今度は、イラクに圧力をかけて、何人かのスンニ派将軍の支持を取り付け、一発たった75セントの9ミリ経口弾をサダムの頭にぶち込まさせて、そのあとその将軍たちを政権につければいい、と考えた。アメリカの政権交代の本質的な汚さを理解したければ、目標が政権交代ではなかったことを理解する必要があります。1990年代初めに、バース党を無くすだとか、イラクを近代的民主主義国家に変える、とかいうことではなかった。アメリカの目標はただ一人の人間サダム・フセインを葬り去ることで、フセインの後にスンニ派の将軍がフセインとまったく同じやり方でイラクを統治しても全然かまわない、ということだった。ここに、アメリカがやったすべてが、徹底して偽善的であったことが示されています。

 しかし、CIAはそう簡単にフセインには近づけなかったんですね。フセインには非常に優れた保安機構がありましたから。1995年の時点で、フセインが生存し続けていることは、ビル・クリントンの政治生命を脅かす問題になっていました。96年の再選選挙を控えていたクリントンは、CIAに対し、96年夏までフセインを始末するよう命令しました。あの男は消す必要がある、と。命令を受けたCIAはイギリスの諜報部と協力して、アヤド・アラウィという名の人物を連れて来た。どこかで聞いたことがある名前ですが、アメリカの占領の後、一時、イラクの暫定首相をしていた人です。いずれにせよ、彼はイギリス諜報部とCIAの雇われ工作員だったのであって、英米の諜報機関とクーデターを組織していた。そのためには、イラク国内で人をリクルートしてフセイン打倒を準備する必要があった。しかし、クーデターのきっかけが必要だった。そのきっかけが、私が組織に参加した国連査察団だったわけです。

 私たち査察メンバーは、自分たちはイラクの兵器隠蔽機構を暴いている、と思っていました。が実は、CIAが、私たちがフセインの保安部隊がいる施設に立ち入るよう仕組んでいたことが判明したのです。CIAは、そうなれば、イラクは査察団の立ち入りを阻止し、査察チームが撤退すれば、フセインの保安部隊の首をはねる軍事攻撃ができる、と見込んでいたわけです。

 査察チームが立ち入りたかった場所のひとつに、立ち入り許可がされなかった第3大隊がありました。そのとき、CIAは、「心配するな、俺たちあそこの部隊の人間を知っているけど、悪いやつらじゃないよ」、と私たちに言ってきました。でも、イラク諜報機関は非常に優秀で、このクーデター計画に潜入していました。彼らは首謀者たちを処理し、結果、フセインを殺るという点では何も起こらなかった。ただ、イラク側は、UNSCOMに潜入し、UNSCOMを道具に使う上でCIAが果たしている役割はしっかり掴んでいました。この事件の決定的な悲劇は、この事件以降、国連査察官がイラクに行くたび、青いキャップをかぶった人間が行くたび、イラク側はそれが武装解除を目的とした人間と見なくなったことです。イラク側は、国連査察官を自分たちの大統領を殺そうとしている人間だ、と見ていました。そして、彼らは正しかった。

ハーシュ:
 そのことは、いつ知りましたか。

リッター:
 政権交代のことはずっと知っていました。つまり、最初にチームに入ったとき、査察団は政権交代のことを知っていました。潜入について言えば、ご存知の通り、私がModazと呼ぶ人物と、CIAの秘密工作員である特別活動スタッフを団に持ち込んだのは私だから、私の責任だという人がいます。査察団は、こうした工作員を1992年に使い、1993年にも使いました。イラクでの査察活動は手ごわいからです。相手が入れたくない場所に入ろうとするとき、相手に必ずしも友好的に振舞ってもらえるわけはなく、そんな時、弱々しいオタク科学者たちがぞろぞろ行っても仕事にはなりません。必要なのは、首も腕も太い屈強なヤツらで、CIAには、厳しい状況下で、後方支援ができ、計画を立てられ、通信もできる、そんな人材がそろっていました。だから、こういう人たちを6月に使いました。

 問題は、後追い査察を始めた後に起こりました。まず、イラク側が私のところに来て、「リッターさん、一体何をしているのですか。いいですか、あなたは査察官のはずなのに、悪いことをしていますね。私たちはCIAの未遂クーデター計画を掴んでいますよ。6月に何が起こったかも」と。

 「6月? 6月に何が起こったかだって?急にあちこちで査察を始めた時だ。」そこで、文書に目を通しているうちに、ピンと来た。「何てこった!CIAが査察団に入って欲しくなかった部隊は、未遂クーデターの後フセインが始末した部隊じゃないか。フセイン暗殺をしようとしていた部隊だじゃないか。馬鹿だよ。電気が消えて、目に毛布を被せられていた。利用されていたんだ。俺たちはアメリカに利用されていた。アメリカは、査察メンバーがその下で働いた、安保理の最強メンバーじゃないか―――。」

 こんな状況のなか、上司に「ちょっと、あんた俺たちのこと利用してたわけ?そんなこと許さないよ」なんて言えません。そんな状態では、つらい仕事を続けて、その時点ですでに悲劇的にも末期状態まで腐っていた査察プロセスの信頼性を維持するために一層努力するしかない。

ハーシュ:
 問題は、クリントンでもそう良くなかったとしたら、いまのアメリカはどんな状態にあるのでしょう。

リッター:
 そうですね、まず、クリントンのどこがあまり良くなかったのかを話したいと思います。いま、民主党が多数を占める司法委員会では、ブッシュ政権の犯罪、議会にウソをついたことなどを追及しようという議論が盛んにおこなわれています。弾劾には大賛成です。ですが、ブッシュ政権で止めてはダメです。真に党派を超えた訴追をしたいのなら、マドレーン・オルブライト、サンディ・バーガー、今のブッシュ政権とまったく同じ犯罪をおかしたクリントン政権の関係者全員を訴追しなければならない。公務に就いている間ウソをつくこと。これは重犯罪、最高の犯罪です。これは憲法に明記されている文言で、弾劾といった特定の事件の引き金になる行為です。ですから、これを単なるブッシュ叩きに終わらせてはならない。これはブッシュ政権だけでなく、アメリカ合衆国全体の過ちであって、我々は自分自身を鏡に映して、「どうやらブッシュ政権がやったことっていうのは、米国全体の体系的過ちを利用したということに過ぎないようだ。行政府だけじゃなく、立法府の議会も関係した過ちである」と認めなくてはならないのです。

 議会は、憲法上の責務を放棄しています。ここ数年ずっと。それからマスコミ。当然これをマスコミ叩きのイベントにしてしまうこともできますよ。でも、いいですか?マスコミは、国民が飲み込む気がある毒を提供しているに過ぎないんです。我々、アメリカ合衆国の国民は、30秒以下の発言抜粋をいれた3分以内のニュースしか聞きたくない。それ以上だと複雑なので聞かない。ですから、我々がやったことは、90年代に、フセイン政権についての悪い報道なら、疑いをはさむことなく額面どおり受け入れる風潮が事前に準備されることを許してしまった、ということです。この下準備が整っていたから、ブッシュ政権はあれほど簡単にウソに基づくイラク戦争を国民に売り込むことが出来たんです。

ハーシュ:
 ここで、やり方がどんなにまずかったとしても、極悪独裁者を倒したんだからいい面もあるじゃないか、という主張が常にされます。こうした意見にはどう応えますか?

リッター:
 そういった主張は、目的のためなら手段を選ばず、という考えです。こうした意見は要するに、ウソなんてどうでもいいじゃん、WMDのこと気にしてるヤツなんていないぜ、ということです。悪党をやっつけた。目的が達成されれば手段はなんでもいい――ということ。率直に言いますが、自分をアメリカ合衆国の国民だと名乗りながら、目的のためには手段を選ばずという考えを支持する人は、パスポートを破棄して、この国からさっさと出て行くべきです。なぜなら、この国は、合衆国憲法に明記されているように法の支配の下に建てられた国で、国民に仕える者は憲法に忠誠を誓い、政府とすべての政府関係者は憲法に忠誠を誓う。これは、正当な法の手続き(ドゥー・プロセス)の問題なんです。民主主義は醜いですよ。思うようにはうまく進まないことがある。なのに、問題がフセインになると、目的のためには手段はなんでもいい、と言うなら、一体どこで線を引くのか。どこで線を引くんですか?

 しかも、これが今回の件だけで終わるなんて言えますか。これは法の支配の問題、憲法の問題です。フセインを退治したかったなら、そうしたい本当の理由について議論、討論、対話をすべきだったのであって、わけの分からん大量破壊兵器をでっちあげるなんて事はすべきではなかった。

ハーシュ:
 それでも、軍のことをかなり知っている人として、あなたに聞きたいのですが、軍が発言できていない、という問題はどうでしょう。

リッター:
 私は、軍の人間が発言すべきでないとは言っていません。イラクから戻った兵士たちがこの戦争は勝てないだけじゃなく、道徳的に受け入れられない戦争だ、この紛争にこれ以上加担することはできない、と発言したらどんなに素晴らしいと思います。しかし、平均的アメリカ人がしないことを一兵士に求めるのは非常に酷ですね。

 つまり、どうして、声を上げる責任を兵士たちに課すのか?もっと力をつけ、起こっていることに関与していくようにする責任をどうしてアメリカ国民に課さないのか?2006年には選挙があります。兵士たちが軍を辞めるのを待っているより、その前に、この戦争に賛成した議員全員を辞めさせる票を投ずればいい。

ハーシュ:
 今の時点で展望はありますか?

リッター:
 ないです。あったらよかったんですがね。

 悲しい事実として、戦争に反対した理由のひとつは、ウソに基づいているというだけでなく、これは我々が1991年に認識していた現実の反映だからです。フセインを降ろせばその後に何が来るかまったく見当がついていない。そんなことをすれば混乱と無政府状態になる――。世の中では、イラクで何か優雅な解決法があるか、などという議論が続いていますけど、それが問題なんですよ。問題を全部解決しなくちゃいけないから撤退できない、と言うようなことを言っている。

 ご列席のみなさん。イラクについて優雅な解決法などはありません。この問題を解決する魔法の手などありません。撤退しても、3万人のイラク人が犠牲になります。このことを理解しましょうよ。イラクは流血の惨事になるんです。彼らは殺し合うでしょうし、我々がそれを止めることはできないのです。

 しかし、このままイラクに居続ければ、その3万人の犠牲が6万、9万に増えてしまうかもしれない。要するに、我々は、イラクで悪夢のシナリオを作ってしまった。成しうる最善のことはこの過ちを少しでも緩和することです。このことを私は主張しているのですが、残念ながら、これは政治的に容認できない答えなんですよ。世の中、それはダメ。勝たなきゃダメ。最後までやりぬかなきゃ。勝利しないとダメなんだよ―――と言っている。勝利などしません。

ハーシュ:
 戦争が拡大する可能性はどうでしょう。シリア、そしてイランにさえ戦争を広げる可能性は?

リッター:
 悲しい事に今、ブッシュ政権は戦争が何のことか分かっていない人たちで固められている。彼らは軍にいたことがない人間で、戦闘に参加したこともないし、息子が死んだり、友達が死んだり、兄弟や同志を失うことの意味を知らない。

 だから、コンドリーザ・ライスのような、国民の前で、戦争だけが平和と安全保障をもたらすなどと言える神経をもった人が国務長官になっている。今日彼女は議会で証言をしましたけれど、イラクは10年間におよぶ投資事業、血流、国民の国家的財産になるだけでなく、シリアとイランもブッシュ政権の次の標的になる可能性は高い、と発言しました。この政権は何にも学習していません、が、これ以上に恐ろしいのは議会が何も学んでいないことです。

 コンドリーザ・ライスに誰も手ごわい質問をしなかった。そうなると次はアメリカの国民です。我々はどんな教訓を得ているのか?次はどんな行動をとるのか?

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イラク・コンフィデンシャル

2005-11-05 15:55:50 | ニュース@海外
シーモア・ハーシュがスコット・リッターに質問

The Nation 2005年10月26日


10月19日、ニューヨーク倫理文化社会研究所のThe Nation Instituteで行われた公開討論会より。シーモア・ハーシュはジャーナリスト。スコット・リッターは、元国連兵器査察チームのメンバー。 リッターの 最新の著作「イラク・コンフィデンシャル」Iraq Confidential: The Untold Story of the Intelligence Conspiracy to Undermine the UN and Overthrow Saddam Hussein by Scott Ritter, with a foreword by Seymour Hersh. October 2005

シーモア・ハーシュ:
私からはただスコットに質問をします。彼の本を数回読みましたが、基本的にちょっと楽しもうと思っています。スコットと私のことを、沈没しかかっているタイタニック号で演奏を続けている小さな楽団の一員かなんかだと思って聞いていてください。私たち全員が恐ろしいトラブルに巻き込まれていますから。では始めますが、これからどう進むのかを話す以前の問題として、私は個人的に、私たちにはイラクで選択肢が二つあると思っています。選択肢1は、今日の夜中までに米軍を全部撤退させる。選択肢2は、明日の夜中までに全部撤退させる。この選択肢についてはどう思いますか。

スコット・リッター:
私は、イラクは全体が火事状態にある国だと見ています。イラク国民だけでなく、アメリカと全世界が直面している恐ろしい問題がある。この火事に対しての油に相当するのが、アメリカとイギリスの部隊がイラクにいることです。これは、イラクで軍事指揮にあたっている将軍たち自身のあいだで広く認識されていることです。ですから、火を消す一番いい方法は、炎から燃料を切り離すことで、私は、出来るだけ早く部隊を帰国させることに大いに賛成です。

 撤退は出来るなら今日やるのが一番いい。明日になれば状況は悪化する。あさってになればそれ以上悪くなる。しかし、同時に、我々が1991年にサダム・フセインを排除するために行動しなかった理由のひとつを理解する必要があります。それは、フセインを追い出した後の得策がなかったからで、そんなことをすればイラクが混乱と無政府状態になるからだった。どうやら、我々はまさにそれをしでかしてしまった分けです。サダムを倒したはいいが、その後釜に誰が座るか何の策もなかった。だから、部隊を撤退させても、この問題の半分を解決したことにしかなりません。

 また、我々の侵略から生じている3つの決定的問題にも対応しなければならない。

 問題その1、シーア派。私が言っているのは、イラクの主流シーア派ではなく、クーデターを起こした親イラン派の政治エリート集団のことです。彼らが今政府を支配している。

 問題その2、スンニ派。我々は、反米イスラム原理主義者の急進化を阻止する非宗教的な防壁を取っ払って、スンニ派を過激化させてしまった。この防壁を取り払って状況をなすがままにしておけば、スンニ派の牙城は反米感情が蔓延する肥溜めと化します。アフガニスタンの二の舞で、、間違いなくアルカイダの新しい温床となります。

 問題その3は、マスコミが全然取り上げないクルド人。我々はなぜかクルド人に、独立の祖国をもてるぞという誤解を持たせてしまっている。しかし、アメリカのNATO同盟国であるトルコは、そんなことは絶対にさせない、と断言している。アメリカが、クルド人に、独立に向けて動くようなことをさせれば、トルコは抜本的な軍事介入をせざるを得なくなる。15年かけてEUに加盟していいよと言われるところまで漕ぎつけたかという時にです。トルコがクルド人に対して動けば、まさにそれが理由でトルコは欧州から加盟を拒否されてきたことすることになってしまい、そうなればトルコは過激な反米イスラムを擁護する方向へ向かいます。ですから、問題は軍の撤退だけではない。いまイラクでは、アメリカの国家的安全を左右する3つのとてつもない問題が進行中であって、こうした問題に対応する政策が必要であることを理解しなければならない。ですが、イラクに米軍を残しておくことはその政策の一部ではありません。

ハーシュ:
撤退方法は?撤退の速度は?

リッター:
早ければ早いほどいい。部隊の削減方法については軍のプロに任せます。イラクの地域によっては、文字通り荷物をまとめて走り去ることが出来るところもあります。しかし、部隊の規模は相当大きいし、相当のインフラも置いているし、確実に弱点を突いてくる現役の反乱部隊が存在している。しかしこれは保証しますが、アメリカは今現在反乱グループと何らかの対話を持っていると確信していますから、反乱グループに俺たち撤退するからと伝えれば、攻撃はすべて止まります。撤退となれば彼らは、イラクからの米軍撤退の道には簡易爆発物が可能な限り一切設置されないようすべての措置をとるでしょう。

ハーシュ:
あなたの本にはブッシュ政権の事以外にもすごいことが書いてあって、悪党として上げられている人物にはクリントンの国家安全保障顧問だったサンディ・バーガーや、マドレーン・オルブライトも入っています。

 もうひとつこの本で息を呑むのは、新しい話と情報の量です。要するに、2年、3年にわたるアメリカ政府の、(国連兵器)査察プロセス妨害行為について詳細と実名が書かれている。あなたの意見では、91年から98年の査察で特に最後の3年間、アメリカは本気でイラクを武装解除するつもりだったか、ということですが。

リッター:
 事実は、アメリカが本気でイラクを武装解除しようと思ったことなど一度もありません。国連兵器査察調査を決めた安全保障理事会決議の全体の焦点は唯一ひとつのことにありました。それは、クウェート解放と関連付けておこなわれた1990年8月に強要された経済制裁を維持するための手段である、ということです。アメリカはクウェートを解放しましたから、私もあの紛争には参加しましたが、それなら制裁は解除すべきだろうと考えるのが普通でしょう。

 アメリカには、サダムを封じ込め続ける手段を見つける必要があった。なぜなら、CIAが、ヤツは自分から崩壊するから半年待つだけで十分だ、と言っていたからです。この手段が経済制裁です。しかし、制裁を続けるには口実が必要でした。その口実が武装解除です。国連憲章第7章に基づく例のイラク武装解除を要求した国連安保理決議は、第14項で、イラクが従うなら制裁は解除すると言っています。アメリカ自身が書いて賛成したこの決議が採択された数ヵ月後、たったの数ヶ月のうちに、ジョージ・H・W・ブッシュ大統領と国務長官のジェームズ・ベイカーは、内密ではなく、公然と、イラクが武装解除決議を順守しても、サダム・フセインが大統領の座から下ろされない限り経済制裁は続けると明言していました。
 
 これは、武装解除が、制裁維持を通して政権交代を促進する限りにおいてのみ有用であったことを示す確証ですよ。目標が武装解除にあったことなど一度もありません。大量破壊兵器を無くすことでもない。これは、ジョージ・H・W・ブッシュから始まり、8年にわたるクリントン政権の政策として引き継がれ、今のブッシュ政権の破滅的道につながっています。

ハーシュ:
 抗し難いと思うのは、2003年3月以前、誰もがフセインが兵器を持っていたと信じていたという意見です。これは単なる街で流行っている神話ですよ。事実は、UNSCOM(国連大量破壊兵器破棄特別委員会)と国際原子力機構(IAEA)の関係者と話をすれば、1997年の時点で、フセインが兵器を持っている可能性は非常に低いことが相当明らかになっていた。国務省、エネルギー省、CIAでも多くの人がイラクに兵器があるなど思っていかった。あれはフセインと兵器をめぐる集団ヒステリーだったと歴史が後に判断する日がくると思いますが。そこで、繰り返し出される質問に、なぜフセインは兵器はもうない、と言わなかったのか、という質問がある。フセインはそう言っていたのですか。

リッター:
 もちろんフセインは査察団に伝えていました。いいですか、ちゃんと正直に見てみましょう。1991年イラクは、所有する大量破壊兵器の全リストを申告するよう義務付けられましたが、提出しませんでした。ウソをついたのです。イラクは、核兵器計画を申告せず、生物兵器計画も申告せず、化学・弾道ミサイル能力については過少申告した。フセインの意図は戦略的抑止力を維持することにありました。イランに対してだけでなく、イスラエルに対してもです。しかし、フセインは査察メンバーがここまで執拗だとは計算しきれていませんでした。査察活動は急速に展開し、1991年6月の時点で、査察団は核兵器計画を進めていることをイラクが認めざるを得ないところまで追い詰め、1991年の夏には、ものすごい圧力をかけたので、例えれば、警察が麻薬ディーラーの玄関口まで立ち入り調査に迫っているような状態まで来ました。こうなれば、ディーラーは持ってる麻薬を全部トイレに流して、警察に「ホラ、何にもないよ」と言わざるをえない。イラクは、ウソをついていたことを認めたくなかったので、持ってるものを全部トイレに流した。

 持っていた兵器を全部爆破して、砂漠に埋め、本当のことを申告していたというフィクションを維持しようと努めたわけです。1992年になると、イラクは、査察団の執念の前に再度、潔癖を示すよう追い詰められました。どうしてフセインは武装解除させられていたことを認めなかったのか、という質問をされます。1992年、イラクは、兵器は全部破壊して、もう何にもない、という申告をおこないました。1995年イラクは、記録された兵器貯蔵場所をすべて届け出ました。ここでも自主的にではなく、それまで査察団が何年も圧力をかけ続けてのことですが、結論は、1995年の時点で、イラクにはもう兵器はなかった。イラクには文書もなく、製造能力もなくなっていた。査察団が、軍備管理の歴史における最新の技術と、最も厳密な軍備管理体制をもって、イラクの産業インフラの全貌を監視していたからです。

 さらに、このことは、CIAもイギリスの諜報機関もイスラエルの諜報もドイツの諜報も全部、世界中が知っていました。でも誰もイラクが武装解除されたとは言うつもりはありませんでした。誰もそんなことは口にできませんから。しかし、大量破壊兵器に関するイラクの能力は持っていける限りゼロに近いところまでなくなっていること、大量破壊兵器について言えばイラクは誰に対しても脅威ではない、ということを彼らははっきりと把握していました。

続く。

ブリュッセル法廷メンバーからアムネスティ・インタナショナルへの公開状

2005-11-01 15:51:41 | ニュース@海外
2005年10月7日

 アムネスティ・インタナショナルは、2005年度報告において、米国主導の占領軍によりイラク国民にもたらされている大規模な人権侵害に反対する立場を勇気を持って明記したが、これは喜ばしいことである。

 「武装グループは、民間人を攻撃の対象とすること・人質行為、人質の殺害をふくむ重大な人権侵害を犯した。女性は、日々悪化する暴力の最中に嫌がらせや脅迫を受け続けた。8月には新設暫定政府が死刑を復活させた。」

 報告の後、アムネスティ・インタナショナルのシュルツ議長がおこなった提言は非常に明確であった。

 シュルツ議長は、「米国政府が責任を回避し続けるならば、アムネスティ・インタナショナルは、外国諸政府に対し、拷問事件に関与したすべての米国政府上級幹部を調査することで、国際法の下負う義務を果たすよう要求する」と述べ、「米国はじめ139カ国が批准している拷問(禁止)条約の侵害行為は、どの法的管轄によっても訴追できる」と付け加えた。

 2005年8月9日、アムネスティ・インタナショナルは、「人権に依拠する憲法制定のよびかけ」キャンペーンを開始した。この行動は、(イラク暫定政府の)ジャファリ(首相)に対し、人権を尊重する憲法を制定するよう要求する手紙を書くよう人びとに呼びかけたものである。もちろん、私たちは、イラク人の人権が将来において、今日よりずっと擁護されることを支持する。しかし、人権擁護を主張する者であるなら、現在の状況で書かれている憲法の正当性に疑問を投げかけるべきであろう。私たちは、バグダッドの著名な人権活動家から、アムネスティ・インタナショナルのキャンペーンに強い留意を表明する手紙を受け取ったが、これは私たちの懸念をよく説明している。身の安全のためこの人の名前を明らかにすることはできない。この点をお詫びするが、私たちは、戦争地帯にいる人々にも、命の危険にさらされることなく発言する権利と機会を与えられるべきだと考える。これは、イラクの現状の深刻さ、また「サルバドル・オプション」、つまり国民に対する国家指導のテロがどこまで進行しているかも示している。

 「アムネスティ・インタナショナルが、新イラク憲法における人権擁護キャンペーンをしていると聞きました。私たちの将来における人権を心配してくれるとはなんとも素晴らしいことですが、それでは、今の人権はどうなのでしょうか。なぜ、アムネスティ・インタナショナルのキャンペーンは、少なくとも、数ヶ月、数年にわたりアメリカの牢獄に拘束されている罪のない何万ものイラク人のこと、彼らの最低限の人権のことに触れないのでしょうか。イラク国内、国外にある、知られている監獄、知られていない監獄の問題はどうなのでしょう。数日間消息を絶った後、明らかに残忍な拷問の証拠が体中に見られるイラク人の死体が毎日ゴミ溜めの中から発見されていますが、この人たちについての行動はどうなのでしょうか。それとも、数ヶ月たったいま今のイラク政府が、あらゆる分野で、イラク国民にもたらしている無情なる暮らしの問題はどうでしょうか。アムネスティ・インタナショナルは、現在進行中の憲法作成プロセスを合法と見なしているのでしょうか。そう見ていることは明白ですが、それならばその根拠は何なのでしょうか。イラクの戦争と占領は違法です(コフィ・アナンでさえそう言いました)。憲法案を書いたは誰でしょうか。憲法起草委員会のあるメンバーは、憲法案が米国から送られてきたものであることを認めています。いったいどの程度合法なのでしょうか。

 アムネスティ・インタナショナルにひとつ聞きたいことがあります。なぜ、イラクに新憲法をいま作ることがこれほどまで必要なのでしょうか。すべての政党、政府、国会、マスコミなどが、この数ヶ月、憲法(の論争点)に没頭しており、今後数ヶ月もこの状態は続くでしょう。その間、イラクでは問題が蔓延しています。安全、公共サービス、環境、汚職、イラク政府による人権管理―――ちょっと上げただけでも問題は山積みです。私は2日前、最低50人の歯科医が働くバグダッド最大の歯科医院に行きました。医者は私の歯を抜くことが出来ませんでした。麻酔がないからです。こんなのは、ここ数ヶ月イラクでは当たり前のことです。私の歯にはしょうがないで済みますが、緊急医療が求められる事故が起こったらどうなるか想像に難くはないでしょう。

 タラファー(Tallafar)の住民は、今年の初めから、定められている食糧配給を受けていません。規定以外の食糧の供給も。多くのイラクの町では――国の大多数にあたりますが――自治政府、法、警察、裁判が存在していません。いるのは武装した民兵と政党だけです。イラクの多くの地域で急進的な浄化活動が開始されています。強固に防衛されたグリーン・ゾーンの中にある政府は、憲法の制定に多忙を極めています。

 ハディサ(Haditha)に対する最近の攻撃は、2週間以上も続くものでしたが、その間、すべてのニュース、対話、議論は憲法問題に集中し、その間、このイラクの主要都市では事実上大量殺戮が進行していました。まるで遥か月での出来事であるかのように、ハディサへの攻撃について誰も何も口にしませんでした。これを、単なる偶然だとお考えでしょうか。ところで、同様の攻撃は、これまでも、そして今も他の場所で続いています。

 イラクの問題は手に負えないほどで、日々あまりにも多くの犯罪がおき、それにより罪のない人々が殺され、逮捕され、拷問されています。なぜ、こうした犯罪すべてを無視して、憲法に集中することがそれほどまで重要なのでしょうか。なぜそれほどまで急を要するのでしょうか。

 イラク憲法を作ったのはサダムではありません。この30年間憲法の一部改定や追加があったとすれば、それらは無効にすることができます。簡単なことです。ふさわしい政府と国会ができるときまで、これまでの憲法を維持すればいいのです。私たちは、最も緊急な問題に対応した後で、時間をかけて、世界で最も人道に配慮し、進歩的な憲法を作ることができるのです。

 おそらく、それ以上に危険なのは、憲法を今書き直すことが、国民の間の亀裂を内戦寸前まで深めているいう事実でしょう。なぜなら、国民の中には、最初は拒否したものの、後に政治参加を保証され、今度は政治参加に合意してみると、それが虚偽であったことが明らかになった勢力がいるからです。

 こうしたグループは今、自分たちは騙されたと言っており、提起された憲法案を拒否しています。この問題すべては一体何のために起きているのでしょう。ブッシュが少しでもイラクで成果を上げているように見せるためか、ブッシュに外交上の功績を与えるためなのか。

 選挙をするために、何千もの人たちが殺され、ファルージャは町がまるごと破壊されました。選挙でさえこうであったなら、憲法を押し付けるためには、今度は内戦が必要なのでしょうか。

 これがゲームだと言うことがお分かりになりませんか。政党、民族・派閥グループが、イラク国民の利益ではなく、国民憲法押し付けの機会に乗じて、自分たちの利害、自分たちの主人の利害を高めようとしている、ということが分かりませんか。これは私の偏見ではありません。彼らが公然とそう認めているのです。ちなみに、いま、この憲法は、現状では当然予想され正常でさえある、非常に不健全で、非客観的な状況の下で書かれています。しかし、これは、憲法制定にふさわしい方法ではありません。

 私は、誰がイラクとイラク国民の友人か敵かをよく知っています。私は、国際組織にはまったく反対していません。それどころか、私自身、行方不明者を探す運動を支援してくれる国際団体を切望しています。こうした組織にイラクに来てもらい、イラクで占領によりもたらされてきた、現在もなされている侵害行為に対応する活動をして欲しいのです。私たちは国際組織に来てもらい、憲法改正の下で占領が隠していることを見てくれるよう切望しているのです。私たちが、国際組織に求めているのは、罪のない人たちの釈放、または少なくとも彼らに刑務所内で一定の権利を求める運動であって、誤った根拠に基づく政治プロセスを支持する運動ではありません。

 問題は、いま世界が、火中にある人間に低い声で声を上げるよう要求していることです。身の回りに死が溢れ、すべての物、すべての人間を恐れ、周りの国民が直面している身の毛のよだつ話や写真を見聞きしながら生きることの意味がお分かりでしょうか。不満ばかり申し上ることをお許し下さい。人権擁護のために活動するすべての国際組織に敬意を払うものです。」

 次に、8月17日、イラクの小説家でガーディアン紙のコラムニストのハイファ・ザンガナ(Haifa Zangana)による記事を紹介するが、これは私たちがイラクから受け取ったこのメッセージの本質を突いている。

 「おそらく我々は、この憲法が戦争地帯、内戦寸前にある国で書かれている事を念頭に置く必要がある。このプロセスは、イラク国民の憲法の必要性に沿ってではなく、占領合法化を目的として強制された日程を厳守するために作られたものである。憲法案作成の過程は、日を追うごとに、国内の分裂を深めるものであって、統一プロセスではないことが明らかになっている。サダム・フセインの下、我々の憲法は『先進的で非宗教的』と言われていた。それでもフセインが女性を含む国民の人権を侵害する歯止めにはならなかった。今も同じことが起こっている。暫定政権を率いる諸政党の民兵組織は、米国主導占領の息がかかった、毎日にように起こる国民特に女性に対する人権侵害行為に関与している。新憲法制定でこの暴力行為は終わるのであろうか。」

 アムネスティ・インタナショナルが2005年8月11日に発表した一連の第二回提言において明記したように、私たちは、「憲法は、国内法の源泉のひとつとして国際法に特別言及すべきであり、国内法と国際法の間に矛盾が生ずる場合、憲法は国際法が優先されることを明記すべきである」ことに賛成である。しかし、著名な人権組織であるアムネスティ・インタナショナルが、侵略戦争、それに続く占領、占領下におけるいかなる法の改正、この新憲法制定のプロセス全体が、国際法の全面的な侵害であることを認識していないようであることは遺憾である。以下、アムネスティ・インタナショナルに対し、1946年ドイツのニュルンベルグで行われた国際軍事法廷の判決を指摘したい。「したがって、侵略戦争を開始することは単なる国際的犯罪でなく、究極の国際犯罪である。これが他の戦争犯罪と異なる点は、この犯罪が内部に、蓄積された全体の悪をはらんでいることである」。「人権に基づく憲法」が「究極の国際犯罪」から生ずることなど果たして可能なのであろうか。

 本の数週間前、ドイツ連邦裁判所が130ページ超からな非常に重要な判決を下した。この判決で、注意深い論法をもって、判事は、アメリカ合衆国ならびにその連合諸国がイラクに対しおこなった攻撃は、国際法に違反する明確な侵略扇動であった、と断定した。

 この占領自体が、重大な人権と人間の尊厳を侵害する行為である。不法で正当性を欠く侵略戦争の後、米占領軍により作られ、完全支配されている政府の合法性と独立性は、イラク国民の大多数により異議を唱えられているだけでなく、国際的な平和運動と国際法の専門家らによっても異議を唱えられているものである。

 2005年6月23~26日、イスタンブールにて、イラク戦争法廷が開催された。これは、世界各地の独立グループ・個人の協同ネットワークによるもので、イラクに対する米主導侵略戦争ならびに占領軍による犯罪を調査するものであった。法廷は最後に、良心的陪審員の宣言を発表した。陪審員は、この侵略ならびにその後の占領は国際法に違反するとの結論に達した。

 結論からいくつか引用したい。

決定のあらまし:
10.占領の下つくられたどのような法または制度も、法的および道徳的権限の両方を欠く。よって、このたび行われた選挙、憲法制定会議、現政府、憲法起草委員会は、すべて違法である。
・・・
勧告:
3.イラクの人々が自分たちの利益に有害であると考えている占領の下で制定される法、契約、条約、制度はすべて無効と見なされる。
・・・
10.世界の人びとは、自国政府のイラク占領に対する、物資、後方支援、精神的支援に抵抗し拒否すべきである。
・・・
付録:国際法
III.イラク占領は、イラク国民自決権のはなはだしい侵害である。
・ 経済的・社会的・文化的権利に関する国際規約第1条ならびに市民的および政治的権利に関する国際規約第1条(1966年)――「すべての人民は、自決の権利を有する。この権利に基づき、すてべの人民は、その政治的地位を自由に決定しならびにその経済的、社会的および文化的発展を自由に追求する」
・ この占領は、布告・実践・暫定政府の強要、コントロールされた選挙・管理された憲法制定プロセスにより、国際人憲法の基本要素であるイラク国民自決権を明らかに侵害している。

良心陪審員の判決全文は、http//:www.worldbribunal.org/main/?b=91で読める。陪審員の決定は、上記したように、多くの人権活動家、世界的な平和運動の大部分、相当の国際法専門家から支持されている。

上記の8月11日文書において、アムネスティ・インタナショナルは、国際法に関する憲法草案第44条の拡大を要求している。今日、アムネスティ・インタナショナルおよび多くのイラク人の人権団体と共に、私たちは、この条項が最終案から削除されたことを非難するものである。同文書において、アムネスティ・インタナショナルは、「ジェノサイド、人道に対する罪、戦争犯罪、拷問、裁判なしの死刑、『行方不明』のケースを、犯罪がおこなわれた場所や容疑者または被害者の国籍に関わらず、イラク裁判所が調査し、十分な証拠がある場合、イラク領土に入ったこうした犯罪の容疑者を起訴することが出来るように、こうしたケースに対する普遍的管轄権を設定する」重要性を強調している。こうした犯罪は、現在までイラクを統治している占領軍、とくに米軍によりおこなわれている。また、米国の指導のもと作られたイラク機関によってもおこなわれている。米国政府の関係者がハーグの国際刑事裁判所に訴追されるような事があれば、オランダに侵攻すると脅迫したのは、現在の米国政府ではなかっただろうか。

現在の状況において、第44条が削除されたのは驚きではないし、新憲法に、米国大統領はじめ同国政府関係者、米軍将軍など、イラク国民に対する犯罪の命令を下したもの起訴につながりうる条項が入ることは絶対にないであろう。

したがって、イラクの憲法起草に必要な基本的条件は、すべての外国軍の撤退日程を定め、占領を遅滞なく終わらせることにある。そうしてはじめて、そしてイラク国民の全面的な主権の下、イラクの独立政府を作ることができる。独立政府は、憲法が制定されるべきか、そうであればいつかを決めることができる。

この点に留意した上で、アムネスティ・インタナショナルがすべきことは、この非人道的占領や正当性が非常にあやしい売国的政府に、既成事実をもってなんらかの合法性をあたえてしまうようなキャンペーンではなく、戦争犯罪に責任を持つものを裁くために、占領軍がイラク国民にもたらしている重大な人権侵害を糾弾する集中的な活動をおこなうことである。アムネスティ・インタナショナルが、ジュネーブ規約の重大な侵害行為が適切に対処されることを確実にするために、人道法に焦点を当てた活動をするよう強く提言したい。

Prof. Lieven De Cauter
Prof. Jean Bricmont
Prof. Em. Francois Houtart
Patrick Deboosere
Hana Ai Bayaty
Dirk Adriaensens
Inge Van de Merlen

ブリュッセル法廷執行員会
Hans von Sponeck (元国連事務次官、1998年~2000年国連イラク人道コーディネーター。独)
Michael Parenti(作家。米国)
Nermin Al-Mufti(元Occupation Watch共同ディレクター。ジャーナリスト。イラク)
Ghazwan Al-Mukhtar(エンジニア。イラク)
Abdul Ilah Al-Bayaty(作家。イラク/仏)
Haifa Zangana (小説家。イラク/英)
Sabah Al-Mukhtar(アラブ法律家協会会長。イラク/英)
Dr. Imad Khadduri(核科学者。イラク/カナダ)
Sami Ramadani(ロンドン大学社会学上級講師。イラク/英)
Mundher Al-Adhami(ロンドン・キングズ大学研究員。イラク/英)
Mohammed Aref(イラク歴史、文化、考古学美術専門家。イラク)
Niloufer Bhagwat(インド法律家協会副会長。インド、ムンバイ)
Dahr Jamail(ジャーナリスト。米)
Karen Karker(弁護士。米)
Jan Fermon(トミー・フランクス将軍に対するブリュッセルでの裁判の弁護士)
Amy Bartholomew(法学部教授。カナダ)
Nadia McCaffrey(米国反戦運動)
Gabriele Zamparini(独立系映画制作者。伊/英)
Jeffrey Blankfort(元Middle East Labor Bulletin編集者、ラジオ番組ホスト。米)
Jeff Archer/Malcom Lagauche(ジャーナリスト、反戦運動。独)
Carlos Varea (イラク占領に反対し主権を求めるスペイン運動SCOSIコーディネータ)
Joachim Guilliard(ジャーナリスト、反戦運動。独)
Sigyn Meder(反戦運動。スウェーデン)
Manuel Raposo (イラク世界法廷、ポルトガル審議)
Ludo De Brabander (Vrede。ベルギー)
Peter Algoet (Humanistisch Verbond)
Jos Hennes (EPO出版社)
Frank Vercruyssen(俳優。TG Stan)

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ブッシュ政権のイジメで辞めていった人たち:その2

2005-10-28 14:55:12 | ニュース@海外

スーザン・ウッド/フランク・ダヴィドフ:ウッド氏は、食品医薬品局(FDA)の女性医療委員会の委員ならびに女性医療局の局長。ダヴィドフ氏は、Annals of Internal Medicine誌(米国医薬品年報) の名誉編集者およびFDAの市販薬(非処方箋)諮問委員会の国内薬品問題の専門家。ウッド氏は、ブッシュ政権の圧力により、「事後経口避妊薬(morning-after pill)」を入手し易くすべきかどうかをめぐる最終決定を再度延期するというFDAの決定に抗議して辞任。「プランB」と呼ばれるこの避妊薬の市販勧告は、すでに2003年12月、超党派の専門委員会により23対4で可決されていたのであった。同僚へのEメールで女性医療問題のFDAトップ幹部であったウッド氏は、「ここの専門家職員が、承認にむけ徹底して査定し推薦する、科学的・臨床的証拠が却下されるなか、これ以上職員として働くことはできません。」数日後、ダヴィドフ氏も同じ問題で辞任。辞表では「科学的、臨床的証拠ではなく、政治的影響のために、ここまで目に余る形でこんなに重要な決定を下しうる組織と関係しつづけることはこれ以上できません」と書いた。ウッズ氏2005年8月31日辞任、ダヴィドフ氏2005年9月辞任。

トーマス・E・ノヴォトニー:保健社会福祉省次官補および喫煙削減のための国際条約締結のトップ担当者。同氏は、ブッシュ政権幹部によれば、「協議と無関係の個人的理由から」、「降りた」とのこと。しかし、ワシントン・ポスト紙によると、「ノヴォトニー氏と話をした3人の人物は…彼が非公式に、ブッシュ政権が、間接喫煙やタバコの広告・マーケティングといった主要な問題でアメリカの立場を後退させる決定をしていたことに失望していた、と言っていた」。2001年8月1日、辞任。

ジョアン・ウィルソン:教育省リハビリ局(RSA)委員。ワシントン・ポストによれば、「同氏によるところ、同局の資金とスタッフを骨抜きにするというほとんど気づかれていない政権のやり方」ならびに盲人、聾者などの障害者の就職を促進する上で決定的な「プログラムを解体する試みに抗議して」辞任。2005年2月7日、ブッシュ政権は、すべてのRSA地域事務局の閉鎖と、スタッフ半減を発表。2005年2月8日、退職。

ジェイムズ・ザーン:ロバート・F・ケネディ2世がNation誌に寄せた記事によれば、ザーン氏は「全国的に認められた農務省研究部の微生物学者」である。ザーン氏は、「農務省の上司が、養豚産業の圧力に負けて、研究を発表しないよう命令した」と述べている。この研究は、「産業化された養豚場付近の空気中に疾病の原因となりえ、抗生物質への耐性をもつ細菌があることを確認したもの」で、「彼は、大規模養豚場が健康に及ぼす影響について情報を欲している地方の計画局や保健委員会に対しするはずであったかなりの講演を取りやめるよう圧力をかけられた」。結果、「ザーン氏は、政府に愛想をつかして辞めた。」2002年5月、辞任。

トニー・オペグラッド/ジャック・スパダーロ:2人は、「連邦測地線工学チーム」のメンバーであった。同チームは、「山頂の露天掘りで生じている有害汚水を含んだケンタッキー州の石炭懸濁池を押さえている防壁の崩壊可能性を調査するために組まれた」。環境保護局(EPA)によれば、これは、「米国東部の歴史で最大の環境問題」であった。チームの部長であったオペグラッド氏は「ブッシュ就任の日に首にされた…スパダーロ氏を除くチームのメンバー8人全員が、ごまかしの調査報告に同意の署名をした。スパダーロ氏は、他のメンバー同様、嫌がらせを受けたが署名をきっぱり拒否。2001年4月、チームを辞め、労働省の査察官に申し立てをおこなった…同氏は、休職とされたが、これは首切り前の処分である」。連邦職員として在職28年の記念日を迎える2ヶ月前、意見の内容で何年もいやがらせを受けてきた結果、スパダーロ氏は辞職。「闘いにつかれてしまった」と同氏。「この政権とは2001年の初めからたたかってきた。少し休みたいよ。」オペグラッド氏2001年1月20日解雇。スパダーロ氏2003年10月1日辞職。

テレサ・チャンバーズ:国立公園警察署長を辞任。公園警察の予算問題を報道と議会スタッフに話したことで、休職とされた。その後、CNNによると、「同氏の弁護士が(連邦職員を管理職の職権乱用から守るための独立機関である)メリット制保護委員会を通して即時復職願いを出した2時間半後」解雇された。「国民は、どの分野であれプロフェッショナルに対するこの種の口封じを心配すべきでしょう」とチャンバーズ氏は述べている。「国民として、その分野の専門家が声をあげたり、いまの公園職員が経験しているように、声を上げないことを相当心配すべきです。」2004年7月、解雇。

マーサ・ハーン:土地管理局の州局長。7年にわたりアイダホ州のほぼ4分の1に当たる1200万エーカーの管理に責任を持っていた。ブッシュ政権となって自分の権限が劇的に縮小されたことを知る。同政権が、採掘計画に対する公共の場での発言を阻止したり、従来の保護地区を環境破壊につながる事業が許される地域として開放してきたのを目撃。放牧権をめぐる意見の衝突があった後、ハーン氏は、愛するロッキー山脈西部から、「以前は存在しなかった、ニューヨーク市での仕事に」転属されるとの通知を受けた。「ショックです」。「いま精神的に参っています。まさに働き盛りだと思っていたところなんですよ。」ハーン氏は、非自発的転属か辞職のどちらかだと言われ、2002年3月6日に辞職。

アンドルー・エラー:トゥーサン・ウィークリー紙によるとエラー氏は、「魚類野生動物庁に勤めた17年の多くにおいて(フロリダの)豹保護を担当。しかし、豹たちの生息地に巨大空港をつくる計画がエラーの研究と一致せず、エラー氏は同調することも拒否したため、お払い箱となった」。「ブッシュ大統領再選の3日後に首になりました」とエラー氏。「豹が危険にさらされているかいないかについて、(魚類野生動物庁)幹部と意見が違っていたこと、彼らが自分たちの見解を裏付けるために間違った科学を利用していると指摘したことに対する明らかな報復でした。」2004年11月、解雇。

マイク・ドンベック: 23年勤めた林野部を退職。辞表のなかで、環境保護派のドンベック氏は「(ブッシュ)政権が林野部を別の方向に持っていきたいことが、はっきりと分かった」と書いた。2001年3月27日、辞職。

ジェイムズ・ファーニッシュ:保守派で、福音主義キリスト教徒で、2000年にはジョージ・W・ブッシュに投票した共和党員で、林野部の元副局長を務めた人(8つの政権にわたり30年間、林野部に勤務)。2002年、ブッシュ政権との政策上の意見の違いから辞職。「要するに(政権の)やり方が後退的だと理解した」と述べている。良心に従い、同氏は、後1年勤めれば退職金が最大になるのに辞職。そのため失った、余生ずっともらえるはずだった年間の年金は約1万ドル。2002年、辞職。

マイク・パーカー:2002年はじめ、陸軍工兵隊局長であったパーカー氏は、議会に対し、ブッシュによる予算削減は工兵隊に「悪影響」を及ぼすと証言。また、ブッシュ政権に対して「心温まる」感情は持っていないとも述べた。その直後、クリスチャン・サイエンス・モニター紙は、「同氏は、30分やるから辞めろ。でなければ首だ」と告げられた、と報道。ハリケーン・カトリーナとリタがもたらした惨事をみるなら、パーカー氏が行政管理予算局の元局長のミッチ・ダニエルズ氏と衝突していたことは、予言的である。パーカー氏は、あるとき、ブッシュ政権の予算権威者ダニエルズ氏に、「予算不足のため完全に腐食し崩れている」ミシシッピ運河の水門の鉄片を見せ、「ミッチ。水門がテロリストに爆破されるか腐食して崩れるか、そんなことはどっちでもいい。どっちでも結果は同じで、崩れさせるようなことをすれば、俺たちの責任だ」と言った、と回想している。「彼はまったく何も感じなかったよ。」2002年3月6日、辞職。

シルビア・K・ローレンス:環境保護局(EPA)に20年勤めたトップ幹部。同局では、ブッシュ政権のもと18ヶ月間、施行・順守保証局(OECA)の副局長も務めた。ローレンス氏は退職の際、「この政権が環境法の執行怠慢を続けるなか、もっと辞職が続くでしょう」、「この政権は、諸問題を膠着させ、調査を中止している。職員は引っ込んでろ、というあらん限りのシグナルを発していた」と述べた。2002年8月、退職。

ブルース・ボーラー:EPAの科学者。同氏によれば、辞職の理由は、「湿地は自然の腎臓にたとえられます。問題に真剣に取り組む科学者ならそう言います。が、(民間の)開発業者と(陸軍工兵隊)幹部は、湿地は、文字通り、汚染源だ、という彼らの意見を支持しろと要求した」から。2003年10月23日、辞職。

エリック・シェイファー:EPAの規制施行局局長を5年間務めたのを最後に、20年にわたり勤務したEPAを辞任。シェイファー氏は、ブッシュ政権がクリーン・エア法(大気汚染防止法)を施行していない問題を指摘する辞表を提出。「わずか数週間のあいだで、ブッシュ政権は、我々が長年かけて築き上げてきた環境保護対策をゼロにすることに成功しました。結果、これら原発は毎年、何百万トンもの不必要な汚染物質を撒き散らし続けます。傷に塩をすりこむつもりか、ホワイトハウスは、EPAの施行予算の削減もねらいました。自動車メーカー、製油産業、大手養豚場、製紙業といった、環境法に抵触する行為を行っていたそのほかの汚染源に対する処置としてすでに始動させていた対策の継続を困難にするものでした。ブッシュが環境などどうでもいいと思っていることがはっきりしました。環境保護法の執行にたいす敬意などそれ以下です。よって、昨年春、12年勤務したEPAを辞職しました。辞職理由は、大々的に公開した(クリスティン・トッド)ウィトマン長官あての手紙に書きました。」2002年2月27日、辞任。

ブルース・バッケイト:政府職員として30年の経歴をもつバッケイト氏は、ブッシュ政権の環境規制弱体化に失望し退職。NBCのストーン・フィリップ記者の「大気汚染に対する法を施行する上で最大の障害は何ですか?」との質問に、バッケイト氏はずばり「ブッシュ政権」と応えた。司法省環境法施行部の上級顧問を務め、EPAの大気汚染防止法施行部の部長を務めた人物がである。同氏は続けて「この政権は、大気汚染を減らすという国民の利害より、石炭燃料発電所の経済的利益を優先すると決めています」と述べた。2003年11月、辞任。

リック・ビオンディ:EPAに32年勤めたビオンディ氏は、同庁の大気汚染防止法施行部の副部長のポストを辞職。「以前のような自由裁量権はなくなり、ブッシュ政権は成果を挙げる上での仕事にどんどん介入してきました。問題がこれまでと比べかなり慎重に検討されるようになることを示唆することがありましたし、裁判を起こすには、正当性を裏付ける事由がずっと多く必要になっていました」と同氏は述べている。2004年12月、辞任。

マーティン・E・サリバン/リチャード・S・ラニアー/ゲイリー・ヴァイカン:ホワイトハウスの文化財諮問委員会メンバー。バグダッドのイラク遺跡博物館の略奪に抗議して辞任。委員会委員長のサリバン氏は辞表で、「悲劇が阻止されなかったのは、アメリカが行動を起こさなかったためである」と書き、ラニアー氏は「イラク侵略ならびに文化遺産に関する、政権の完全なる気配りと事前の考慮の欠如」を厳しく非難。2003年4月14日、辞任。

 さて、ハリケーン・カトリーナの後、連邦緊急事態管理局(EFMA)と同局を仕切っていた任命者に注目が集まり始めた。かつてFEMAに勤めていたプロの職員たちはどこにいるのであろう?2004年、FEMAに17年勤め、同局で国家公務員労組委員長であるプレザント・マン氏は、インディウィークにこう語っている。

 「去年から、基本的な計画を立ててきた人たちが本当にたくさん辞めています。機関の知識の多くが失われました。退職できる人は去ったし、その上、多くが他の省庁に転属しています。」

 この大量人材流出の主要原因は、FEMAの現状にたいする幻滅感だと言われていた。実際、米国公務員連合が2004年2月におこなった調査では、アンケートに答えた80%の現役職員が、ブッシュが作った国土安全保障省の管轄になって以来、FEMAは「以前と比べ貧弱になった」と応えていた。多かれ少なかれ、他の省庁もFEMA同様の目にあっている。アマンダ・グリスコム氏がグリスト・マガジンに寄せた記事によれば、環境的責任を求める公務員の会(Public Employees for Environmental Responsibility)のジェフ・ルーシュ事務局長は、ブッシュ政権になってから、省庁で働く科学者の転属が「異常に高い」割合で起こっていることに触れている。「不都合な答えを出せば、科学者としての自殺行為になる」と同氏は述べている。

 ここに挙げた人たちは、ブッシュ政権犠牲者の一部に過ぎない。この政権の戦争、予算、政策、計画の結果、キャリアを破壊され、中断され、マイナスの影響を受け、混乱に巻き込まれた政府職員の数を確定することは不可能である。どの政権であれ犠牲者はつきものである。しかし、待遇や政策に対する辞職理由、不満、怒りがここまで公開されるという点で、ブッシュ政権の成果は近年例を見ない。ここに挙げた犠牲者リストには、圧力を受け辞任したり退職した人たちの中でも最もよく知られている人たちが入っている(必ずしも、最大の被害を受けたという意味ではない)。おそらく、ブッシュ政権の下、すべてのレベルにおいてどれだけの政府職員が犠牲になっているか把握している人はいないであろう。ここに名が挙がった人たちは、数えられていない部隊の中でも私たちが知っているほんの一部に過ぎない。

〔この記事の構想をくれ、「任務を託して」くれたレベッカ・ソルニットに特にお礼を申し上げます。〕

ニック・タース:コロンビア大学の疫学部勤務。TomDispatch.com.の副編集長かつ調査担当。ロサンゼルス・タイムス、サンフランシスコ・クロニクル、ヴィレッジ・ボイスなどに寄稿。TomDispatchでは軍産複合体、国土安全保障問題などの記事を書いている。


ブッシュ政権のイジメで辞めていった人たち:その1

2005-10-28 14:53:43 | ニュース@海外
 ブッシュ政権のイジメで公務を辞めていった人たちのリストです。

私は、息子(3歳)の給食に牛肉メニューがあるときはお弁当を持たせていっています。これを読むと(米産)豚肉もやばいかも・・・。

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失われた大部隊
ブッシュ政権の犠牲者
ニック・タース
http://www.tomdispatch.com/index.mhtml?pid=28817

 2005年8月、軍調達部で20年のキャリアをもち、イラク復興事業で政府契約の割り振りに責任をもつ陸軍工兵部隊の最高幹部バナティン(通称「バニー」)・グリーンハウスは降格された。グリーンハウスに対する上司の評価は何年ものあいだ高いものであった。しかし、それも、公表もされず、入札もされない事業がケロッグ・ブラウン&ルート社(KBR)に発注されたことに異議を述べる前までのことである。KBRは、あのディック・チェイニー副大統領が以前社長を務めていた巨大企業ハリバートンの子会社である。ハリバートンへの発注が「プロとして仕事をしてきた中で、最も露骨で不適切な不正契約」だったと議会で証言した後、彼女は、「エリート上級管理職から…同部隊の民間事業部のもっと低い職務へ」配置されたのである。

 こうしてグリーンハウスは、ブッシュ政権の犠牲者リストに名を連ねることになったのであるが、この犠牲者たちとは、数え切れない(というよりは数えられていない)イラク人でも、ブッシュ政権の便宜戦争の結果殺され、障害を負う、膨れ上がる一方の米兵犠牲者のことでもない。彼らは、窮地に立たされた行政官、管理職、キャリア官僚たちである。彼らは、抗議の辞職をしたり、ブッシュ政権の強引なやり方により誹謗され、脅迫され、首にされ、追い出され、降格され、退職を余儀なくされた人たちで、どうやらこっちの犠牲者リストも果てしなく膨れ上がっているようなのである。彼らが職を去るほとんどの理由が、ブッシュの政策にたいする強い嫌悪感にある。彼らにとって、イラク侵略、北朝鮮との協議、FEMAの無力化、環境基準の引き下げといったやり方は常軌を逸している。

 その就任直後から、ブッシュの行く先々で人のキャリアがめちゃくちゃにされてきた。以下、こうして失われていった中でも名を知られている人たちの一部をリストアップしてみた。

リチャード・クラーク:おそらくブッシュ政権犠牲者で一番有名な人。クラーク氏は、レーガン政権以来、政府職員として30年の経歴をもつ。レーガン政権、父ブッシュ政権の国務省で諜報部ナンバー2を務め、クリントンおよび現ブッシュ政権では、国家安全保障会議(NSC)テロ部門で大統領最高顧問という閣僚級の職にあった人。同氏は、現ブッシュ大統領のテロ対策の「ひどさ」に幻滅。その「ひどさ」を具体的に言うと、差し迫るアルカイダ攻撃の証拠を無視したこと、ありもしないアルカイダとフセインとの関係を証明しろと圧力をかけたこと(同氏によれば、関係なし、と結論したクラーク氏のメモは「『おまえの答えは間違い。やり直し』と言われ、つき返された。」)9・11の後、同氏は、NSCのサイバー・テロ部門への配属を希望。(ブッシュ政権は後、これは降格と言っている。)2003年1月、辞任。

ポール・オニール:ニクソン、フォード両大統領の下で、行政管理予算局(OMB)の最高幹部(後、アルミニウム最大手アルコア社の議長)を務めた人。オニール氏は、現ブッシュ政権の財務長官を2年近く務めたが、大統領の減税政策に反対を表明すると辞任を要求された。クラーク氏同様、オニール氏は、ブッシュのイラクへの病的な執着を想起している。NSCの常任メンバーであった同氏は、「サダム・フセインは悪人で、固片付ける必要がある、という確信がはじめから存在していた」と述べている。「問題は、それをどうやってやるかという方法を見つけることだった。それが全体の空気だった。大統領は『方法を見つけてこい』と言っていた。2002年12月6日、解雇。

フリント・レヴェレット/ベン・ミラー/ヒラリー・マン:左から、ブッシュ政権NSC中東問題の上級幹部、NSC付きのCIA職員でイラク問題専門家、イラン・ペルシャ湾問題責任者としてNSCに説明を行う外務職員。報道によれば、三人は全員、対イスラエル政策に異議を唱えたところ、NSC中東問題顧問のエリオット・エイブラムズに首を切られた。レヴェレット氏によると、「米国が欧州・アラブの相手国におこなってきたさまざまな約束を、要するに、破る…という決定が下されていた。個人的にその決定に反対でした。」同氏はまた、「(リチャード・)クラークが、政権の意思決定のあり方や、彼らがイラクでやりたいことが、待ったなしのアルカイダ対策と釣り合っていないと批判していたが、まさに的を得ている…(2002年、イラク戦争を準備するためにアフガニスタンから)人を撤退させたが、こうした人たちは」オサマ・ビン・ラディンやアイマン・ザワヒリといったアルカイダ指導陣を「捕まえることができた人たちだった」。議会のテロ・不正規戦問題特別委員会のジョセフ・ボダンスキー委員長によると、エイブラムズは「ミラーを窓まで連れて行き、ここから飛び降りろと言った。」同委員長は、マン氏とレヴェレット氏も辞めるように告げられた、と述べている。2003年、辞任/解雇。

ラリー・リンジー:ブッシュの「経済顧問トップ」。新聞に、イラクとの戦争には2000億ドルかかると明らかにした後、追放された。2002年12月、解雇。

アン・ライト:国務省のキャリア外交官かつ陸軍予備軍大佐。アメリカがイラク戦争を開始した日に辞任。ライト氏は、辞表でコリン・パウエル国務長官に対しこう述べている。「この政権の政策で世界はますます危険になっているのであって、安全になっているとは思いません。道徳的にも職業上も、私は、こうした政策に感じている深く強い懸念を表明し、これら政策を擁護したり実行することが出来ないことから政府の職を辞任する義務があると感じています。」2003年3月19日、辞任。

ジョン・ブレーディー・キースリング:20年に渡り4つの政権に仕えたキャリア外交官。イラク侵略の前夜、在ギリシャ米大使館で政治参事官をしていたが、辞表を提出。「この政権になるまでは、自分が仕える大統領の政策を支持する事で、米国民と世界の利益も支持しているのだと信じることができた。もうそれはできない。いま我々が実行を要求されている政策は、アメリカの価値のみならず、アメリカ人の利害にも一致しない。イラクとの戦争を熱狂的に追求することで、我々は、ウィドロー・ウィルソン以来、攻撃・防衛の両方においてアメリカの最大の潜在的武器であった国際的な正当性を浪費せざるを得ないところに追い込まれている。我々は、これまで知られてきた最大かつ最も効果的な国際関係のネットワークを壊し始めているのである。今のやり方を続ければ、安全ではなく、混乱と危険がもたらされるであろう。」2003年2月27日、辞任。

ジョン・ブラウン:ロンドン、プラハ、クラクフ、キエフ、ベオグラードで25年近く外務を歴任してきたベテラン。辞表では、「良心に恥じずして、ブッシュ大統領のイラク戦争を支持することはできません。大統領は次のことを怠っています。なぜ勇敢な米兵たちがこの時期にイラク戦争で命を犠牲にする準備をすべきなのか明確な説明。罪のない民間人犠牲者を含む、この戦争の全面的影響の説明。一般国民に対するこの戦争の経済的出費の具体的説明。この戦争がどのように世界からテロを無くす助けになるのか明確な説明。国際的な戦争反対世論を真剣に考慮すること。」2003年3月10日、辞任。

ランド・ビアーズ:NSCの対テロ問題上級幹部。辞任理由の説明は拒否したが、もと諜報幹部はビアーズの辞任について、「まったく驚かないね。自分たちは、対テロ戦争をイラク戦争で犠牲にしてきた。ランディを責める気はまったくないよ。これは、テロ戦争がイラク戦争のために脇に負いやられていると広範な人たちが思っていることを反映したもの。米軍と諜報と同盟国との関係を犠牲にしてね。」と述べている。ビアーズはのち、「この政権は、対テロ戦争の言動が一致していなかった。これで安全になったどころか、ますます危険になっている…内部の人間として、対応が成されていない様も見てきたし、留まり続け、見続けるほど、懸念が増し、ついに立ち去らざるをえなかった。」2003年3月、辞任。

アンソニー・ジニ:40年、兵士と外交官を務めた。1997年から2000年には、米国中東中東司令部の最高司令官。海兵隊将軍を退役後、ブッシュ政権からトップの外交任務につくようオファーを受け、(2002年11月から2003年3月まで)中東特使を務めた。しかし、ブッシュの戦争開始計画に異議を唱え、このような戦争は長期にわたり戦後問題を抱えることになると事前に公の場で意見を述べたことで追放された。同氏は、「イラク戦争への下準備とその後の戦争遂行にあたり、よく言って、純粋な職務怠慢、職務蜂起、無責任を見てきたし、最も悪く言って、うそ、無能、腐敗を見てきた」と述べている。2003年3月、再任されず。

エリック・シンセキ:陸軍参謀長であったシンセキ氏は、議会に、イラク占領には「数十万の部隊」が必要となりうると証言。それを、ポール・ウォルフォウィッツ国防次官が愚弄。その後、ハドソン・クロニクル紙によると、「ドナルド・ラムズフェルド国防長官は、『エリック・シンセキ将軍は、参謀長の任期満了をもって職務を降りる』と発表する、という尋常ならぬ措置をとった」。2003年6月、退役。

カレン・キアツコフスキー:イラク侵略の一年前、国防省中近東・南アジア(NESA)局に勤務していた空軍中佐。彼女の辞表。「2002年5月から2003年2月まで、国防次官事務所で中近東・南アジアおよび特別計画局(USDP/NESA・SP)で働くなか、イラク戦争後の政策が決められていく状況を見てきました。それは、適した指令や規律から逸脱し、反する行動がはびこる状態でした。なぜ、おかしな「諜報」のかけらが大統領演説にもぐりこんだのか、なぜ、フセイン政権後の占領が、混乱や誤った対策で特徴づけられているのかを知りたければ、国防長官事務所の内部プロセスを見れば十分事足りるでしょう。」2003年7月、辞任。

チャールズ・「ジャック」・プリチャード:28年間、軍、国務省、NSCでの任務を歴任した退役陸軍大佐。国務省の北朝鮮問題上級専門員、北朝鮮との協議で特使を務めた。(ロサンゼルス・タイムスによれば)辞任の理由は、「ブッシュ政権が、北朝鮮との直接関与を拒否したことで、北朝鮮政府の核兵器の開発・実験・配備を阻止することがほとんど不可能となった」から。2003年8月、辞任。

ジョン・カー少佐(当時大尉)/ロバート・プレストン大尉:空軍検事。ブッシュ大統領が2001年に設立した軍法委員会制度への参加を拒否し、2004年に辞任。2人によればこの制度は「キューバのグアンタナモで拘束されているテロ容疑者に対し不正に用意されたもの」。2004年、要請どおり転任。

キャリー・ウォルフ大尉:空軍将校。グアンタナモにおける囚人を裁くために作られた委員会に対する懸念から、軍法員会を辞めたいと申し入れた。2004年、要請どおり転任。

ダグラス・マクレガー少佐:陸軍辞任にあたり「私は陸軍が好きだし、辞めたくない。しかし、現在または将来の戦略的環境をつくるにあたっての、軍の根本的な改革や再編は不可能だと思う。こびへつらいの文化なのだ。内部最大の問題は…国防総省のトップレベルでも、将校の間でも、議論がないことだ。議論は反対の兆候だ(と見られる)。異議は不忠と同一視される。」2004年6月、退役。

ポール・レドモンド:CIAに長く務めた後、国土安全保障省で情報分析担当の次官となった。Accuracy in Mediaのノトラ・トゥルーロック氏によれば、レドモンド氏は、2003年6月の議会公聴会でこう報告している。「(レドモンド氏には)任務をこなすに必要な分析情報が入ってこなかった…担当部署には、諜報部から機密報告を確実に受けとれるような、やり取り能力がいまだなかった。彼のこの種の率直さを上司たちはよく思わず、結果、レドモンド氏は出て行かざるをえなかったのである。」2003年6月、辞任。

ジョン・W・カーリン:ワシントン・ポストによれば、米国公文書保管人のカーリン氏は「ホワイトハウスから、理由も説明されず、辞表を提出するよう圧力をかけられた。民主党上院議員は、公聴会でブッシュ大統領が指名した後任者を検討することを明らかにした。」カーリン氏は、「(辞表提出要求の)理由を聞いたが、何の説明もなかった」と述べている。しかし、ポスト紙は、何人かが「ブッシュは、自分または自分の父親の機密に関わる記録文書を表ざたにしないでおける別の保管人が欲しかったのかもしれないと示唆している」と報道。カーリン氏は、65歳の誕生日にもあたる、2005年までの10年任期を全うしたいと申し入れたが、ブッシュ政権の圧力に屈してしまった。2003年12月19日、辞任。


「カトリーナ」で囚人はどこへ?

2005-09-14 23:39:11 | ニュース@海外
ハリケーンの被害を受け、ニューオーリンズでは、ダウンタウンにあるグレイハウンド・バス〔長距離バス会社〕と列車の駅に仮刑務所が設置された。

Democracy Now! 2005年9月13日

 近くにあったオーリンズ務所は「カトリーナ」で冠水したからである。この刑務所はじめニューオーリンズ各地の刑務所にいた囚人たちはどうなったのか。ルイジアナ州は昨日、囚人の現状確認のため人身保護令状を発行した。

 設置された仮刑務所では、アンゴラ刑務所の刑務所長バール・ケイン氏とニューヨークからニューオーリンズ入りしている護衛官が管理に当たっている。

エイミー・グッドマン:「ハリケーン上陸以来、一人の女性が精力的に動いています。ルイジアナ州アレクサンドリアの弁護士フィリス・マンさん。マン弁護士は昨日、ハリケーン後推定500名の女性囚人が男性用刑務所に収容されているアンゴラ刑務所を訪問しました。フィリスさん、アンゴラ刑務所で何が起こったのですか?」

フィリス・マン:「私を入れて3人の女性弁護士で、現在、アンゴラにあるルイジアナ州刑務所内の男性用重警備刑務所に仮収容されている499人の女性のうち199人から話を聞きました。この刑務所に女性が収容されたことは過去ないことです。

 この女性たちは、オーリンズ郡の刑務所にいたのですが冠水したためここに連れてこられた人たちです。一人ジャマイカ出身の49歳の方がいましたが、ビザが切れ超過滞在のため8月16日に逮捕されていた人です。強制送還される前にハリケーンが来たので、もうこれで1ヶ月ほど刑務所にいます。彼女は、進んでジャマイカに帰ると言っていました。今日聞いたところでは、喜んで帰るだけでなく、こんな体験は二度とごめんでアメリカに戻ってくる気はないとも言っていました。逮捕後はコンセッタと呼ばれている、オーリンズ郡の女性刑務所に収容されていて、そこが浸水しはじめたそうです。

 他の女性たちといっしょに最初は上の階に移動させられ、そこの階も冠水したので避難させられ、ボートで移動しました。多くの人が胸まで来ている水のなかを何時間も歩いたそうです。その中から何人かはボートに乗せられ、コーズウェイ橋まで連れて行かれ、そこでバスを待ち、そこからアンゴラに来ましたが、いまそこの寮に女性が100人収容されています。

 この人たちは、オーリンズで数日水も食べ物もなしで過ごし、最後には刑務所で水が止まってからはゴミ箱に洪水の水を入れて利用しました。飲むなと言われたそうですが、汚染されていたかもしれません。この女性たちは先ほど話したジャマイカの女性と似たり寄ったりの境遇の人、私やあなたもそうなっていたかもしれない人たちです。

 罰則金不払いのためそこにいた女性とも話しました。不払いで8月16日に逮捕され、いま重警備刑務所に入れられています。いつ彼女たちを出してあげられる見当はついていません。フェリーの横で寝ていたため逮捕された女性もいました。保釈金は600ドルで、8月3日以来拘束されています。ですが、オーリンズ郡で逮捕された人たちの記録がオーリンズ郡保安官〔裁判令状執行権、警察権を持つ〕が管理しているため、この記録が復元されるまでは、出してあげることができません。」

グッドマン:「オーリンズ刑務所にいた男性の囚人たちはどうなりました?」

マン:「先週、オーリンズ郡からラピード郡の刑務所に移された200人に話を聞きました。具体的に言うと、そのうち2人からほとんど信じがたい事を聞きいたのですが、彼らは連邦政府に抑留されている人たち、つまり連邦法上起訴されて、地方の刑務所に拘束されている人たちです。最初はオーリンズ郡にある「旧郡刑務所(Old Parish Prison)」に入れられていました。

 増水してきたので上の階へ移動させられ、最後には看守に体育館に連れていかれ、カギをかけられました。その後看守は戻ってこなかった。刑務所には、移動させられず独房に入ったままだった人もいました。どんどん水があがってきたのに一日半食べ物も水もなしにジムに入れられたままで、看守もいない状態。

 水が胸まで来たとき、体育館の窓を割って、文字通り泳いで刑務所を脱出しましたが、独房にいた人たちは逃げられませんでした。話を聞いた人たちは、その人たちは確実に溺れ死んだと言っていました。

 脱出した人たちは看守を一人見つけて出頭しました。オーリンズからハント矯正施設にバスで移され、そこで毛布を与えられ、要するにもう一日、二日丘の上で寝た。そこからまたバスでラピード郡に連れてこられました。

 繰り返しますが、問題のひとつは、オーリンズ郡保安官局の記録が復元されるまで、解決の見通しがないということです。それまで、オーリンズ郡の各刑務所に誰が収容されていたかさえ分からない。何人が脱出できなかったのかも分かりません。

グッドマン:「インタビューした人たちは、何の罪で起訴されていたのですか?」

マン:「先ほどの男性2人は、連邦法違反と言っていました。薬物法です。ですが、オーリンズ郡刑務所で上階へ移動させられた人全員が重罪で起訴されていたわけではありません。多くの人たちが、今日話をした女性同様、ほんの軽い容疑で逮捕された人たちです。公共での酒気帯び、マリファナ入れぐらいにしか大したものじゃない麻薬道具の所持などでの逮捕です。不法侵入で起訴された人もいましたし、保釈金支払いを待っている人や、法廷出頭をしないためだった人、薬物使用での裁判に出なかったためだったり、単に注目を得るか何かのために7日刑務所にいたという人もいました。こうなった今、否が応でも注目されていますよ。

グッドマン:「彼らはこれからどうなりますか?」

マン:「最終的には、何とか解決します。州全体に犯罪被告人弁護士がいるので、各施設に足を運びます。分かっている限りではルイジアナ州には35施設があって、オーリンズ郡の刑務所からは全部で8500人余が避難しました。私たちは、文字通りそこに行って一人一人彼らと会って、逮捕された日、容疑、起訴の有無、裁判の予定、軽犯罪か重犯罪かなどき聞きださなくてはなりません。

 オーリンズ郡保安官刑法部門のコンピューターは、金曜にオーリンズ郡から回収されており、情報管理スタッフが最大限のデータ回復に努めています。そのあとは復元されたデータと、私たちの聞き取り情報を一つひとつ照らし合わせて、今後しかるべき対応をとります。半数はそもそも刑務所にいるべき人たちではありません。判決にしたがったので釈放されるべきだった人たちです。しかしそれが分かるまでは刑務所生活です。

グッドマン:「判決を下されてさえいない人もいるということですか?」

マン:「彼らの多くがそうです。起訴すらされていません。アメリカ全国民がそうですが、彼らは逮捕されても有罪が立証されるまで推定無罪の人たちで、裁判を受け機会すら得ていない人たちです。」

グッドマン:「彼らが家族と連絡を取る方法はありますか?」

マン:「ハント矯正施設を通したホットラインがあるのでそこから連絡をとれます。225-342-5935または342-3998にかけてください。ハリケーン被害をうけたセント・バーナード、オーリンズ、ジェファソン、プラックマン郡の刑務所にいた家族がいる人はここに電話して、自分たちの場所と連絡先のメッセージを残してください。ハント矯正施設から、家族がどこに収容されているか確認もできます。やっと避難先のリストが完成したので、仮収容先が分かるはずです。」

グッドマン:「ありがとうございます。ルイジアナ州アレクサンドリア弁護士のフィリス・マンさんでした。現在、8000人ほどとみられている囚人の居場所、避難させられたのか、生存しているのかといった状況を把握するための人身保護令状が出されています。」

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過剰殺戮:ニューオーリンズにブラックウォーター社の傭兵

2005-09-13 12:11:38 | ニュース@海外
【ニューオーリンズ】イラクでの任務で悪名高い民間警備会社「ブラックウォーター」の完全武装傭兵集団がニューオーリンズで公然と仕事をしている。

ジェレミー・スケイヒル、ダニエラ・クレプソ
Democracy Now!

 何人かの同社傭兵によると、自分たちはルイジアナ州知事に「代理任命された」とのことで、確かに胸にはルイジアナ州法執行権限を示す金バッチと、ブラックウォーター社の顔写真入ID腕章もつけている。国家安全保障省と契約している、武器の使用権限もおりているそうだ。また、彼らはイラクで米占領のトップだったL・ポール・ブレマーや元駐イラク大使ジョン・ネグロポンテの護衛をしていたそうだ。

 「俺たちみたいなのが米本土に配備されるのはまったく初めて」。フレンチ・クウォーター地区のバーボン・ストリートにいた私たちに完全武装した同社傭兵が語った。「イラクの状況に対応するには俺たちの装備のほうがずっとましだよ」。

 同社の傭兵は世界でもっとも恐れられている殺人専門家集団のひとつで、法的影響を心配せずに仕事をすることに慣れている。ニューオーリンズに彼らがいることは、市内に残っている住民にとって重大な問題であり、なぜ政府がイラクやアフガニスタンのような場所で刑罰を受けることなく殺す訓練を受けている人間の活動を容認しているのか、ただならぬ問題を提起している。いまニューオーリンズにいる傭兵のなかには、つい2週間前イラクから戻ってきた人間もいる。

 ブラックウォーターは、イラクとアフガニスタン占領にあたり「警備」を提供する有数の民間会社である。米政府とも何件か契約を結んでおり、これまで米大使、外国の首脳、企業の警備をおこなってきた。同社が国際的注目を浴びたのは、2004年3月、社員4人がファルージャで殺され、うち2人の焼け焦げた死体が橋に吊るされた事件においてである。このあとアメリカはファルージャの一般人に大量報復攻撃をかけ、結果大量の死者と数万人の難民を出した。

 現在ニューオーリンズに残る住民が強制避難の脅しにさらされ、市当局が一般市民から正規登録済みの武器まで没収するなか、ブラックウォーターの傭兵が公然とM16ライフルなどをもって街を巡察している。「法執行権限をもつものだけが武器携帯できる」という警察のエディー・コンパス本部長の話と違っている。

 同社によると、表向きは、ニューオーリンズへの部隊配備は「ハリケーン救援作業に協力する」ためらしい。同社ウェブサイトで9月1日付け声明をみると、空輸・警備サービス、群衆整理にあたっている。報道によると、この間同社は、ホテル、事業、その他の地所を警備する契約も結んでいる。しかし世間に知られていないのは、2人の傭兵が語ったように、彼が「地域警備」と「犯罪者への対応」を含む法執行任務一般に従事していることである。

 これは一大問題である。ブラックウォーターは一体誰の権限下で仕事をしているのか。国家安全保障省のラス・ノック広報官はワシントンポスト紙に、連邦政府としてはブラックウォーターや民間セキュリティー会社を雇う計画はない、と語った。「政府として法執行をするにあたっては、治安維持に応えるための適切な組み合わせの人員が組織されていると思います」と。

 しかし、数人のブラックウォーター社傭兵と一時間ほど話したところでは、そうではない。彼らが言うには、自分たちは確かに国土安全保障省とルイジアナ知事室との契約で仕事をしており、同省がニューオーリンズとバートンルージュに設置したキャンプで寝泊りしている。うち一人はルイジアナ州法執行機関の金バッチをつけていたし、知事に「代理任命」されていると語っていた。しかも、逮捕権限だけでなく武器使用も許可されていると言う。閑散としたフレンチ・クオーターを歩くと同社の部隊と遭遇した。ここで2人のニューヨーク市警と話をしていた時、ナンバープレートがない車がスピードを出して走ってきて我々の隣に止まった。中にはカーキの制服に防弾チョッキをつけ自動操縦を持った男が3人いて、「ブラックウォーターの連中がどこにいるか知ってるか?」と聞いてきた。警官の一人が「あの辺にいるよ」といって道の向こうを差した。

 「ブラックウォーター?」、「あのイラクにいる連中?」と我々が聞くと、

警官は「そう」、「このあたり一体にいるよ」と答えた。
 
 それから少しあと、バーボン・ストリートを歩き続けていると、さっきの車に乗っていた男たちがいた。腕にブラックウォーター社のIDをつけている。

 一人が「ニューオーリンズでの仕事って聞いたとき、それってどこの国?って聞いたよ」と言う。見ると「Operation Iraqi Freedom(イラク解放作戦)」と印刷されたケースに入った社章IDを首から提げている。彼は、イラクで「国務省指定危険レベル5の状況下で、防弾仕様のBMW」を運転していると自慢したあと、自分は「正真正銘の戦闘下にある(イラク北部の)キルクークに戻るところだった」と言った。そのあと、彼の携帯会話を耳にしたが、ブラックウォーターは一日350プラス旅費日当しか払っていないとこぼしていた。イラクの危険地域での稼ぎよりずっと少ない。話をした二人は10月にイラクに戻るつもりだと言っていたが、一人は、会社からはニューオーリンズに6ヶ月近くいてもらうかもしれないと聞いていると言っていた。「時代の流れだよ」、「こういう状況になると、俺たちみたいな連中がもっとたくさん出てくるよ。」

 イラクにおけるブラックウォーターの評判と経歴を見るなら、同社が提供するこの種の「サービス」が何を意味するのかが見えてくる。ニューオーリンズの人たちは十分警戒すべきである。

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ハリケーン「カタリーナ」:他国援助は拒否。イラクにある装備も投入せず。

2005-09-12 23:51:14 | ニュース@海外
 政治的、経済的立場の違いを超え、ハリケーン「カトリーナ」被害者への支援申し入れが諸外国から殺到している。


Democracy Now!
2005年9月8日報道

 ドイツとイタリアからは食糧、カナダとシンガポールからは航空機とヘリコプターが提供された。ギリシャからは家屋からの避難作業用に巡航船が二隻届いた。

アフガニスタンとアルメニアはそれぞれ10万ドルの提供を申し入れた。アメリカの援助受入国であるスリランカは2万5千ドルの現金提供を申し入れている。日曜には国連が、アメリカが国連の援助申し入れを受け入れたと発表。しかし、すべての援助が歓迎されているわけではない。ベネズエラからの申し入れにたいする対応は遅かった。駐米ベネズエラ大使は、積載量最大でガソリンをアメリカに輸送していると語った。このガソリンは寄付ではなく、間もなく市場で出回る予定である。

先週火曜にはキューバが医師1100名を送ると申し入れた。この医師たちは先週水曜には米国入りできる準備があったとキューバは述べた。が、キューバ政府は、米国務省が援助申し入れを拒否したと発表。さらにアメリカは、2000万バレルの石油を輸送するという昨日のイランの申し入れも拒否。申し入れは、アメリカの対イラン経済制裁撤回を条件にしたものであった。国務省事務局長のハリー・トーマスによると、アメリカはこれまで95カ国から、総額10億ドル近い援助を受け入れると表明している。

フィリス・ベニス(Institute for Foreign Studies特別研究員):「キューバは、過去にもやっていますが、直接かつ大変集中的な緊急援助を申し入れています。カストロ大統領は、まず100名の医師派遣を具体的に申し入れ、その後500名、さらに600名の追加派遣を申し入れました。全員がハリケーン救援医療用の24キロリュックで装備した医師です。ハリケーンの季節になると当然キューバは危険地域に位置していますから、世界有数の対策システムを創り上げています。国連が屈指の対策体制、避難体制と認めているものです。ですからキューバの医師はハリケーン被害者への対応をよく心得ています。

 キューバはまずハバナにある米利益代表部(US Interests Section)とワシントンの国務省の両方で、内々で申し入れをしました。返事はありませんでした。昨日、国務省はだれの援助も拒否していないと主張しました。国務省の報道官は明確に、キューバからの公式申し入れはない、カストロが医師たちがいるところでテレビカメラの前に立っていたからといってそれが公式申し入れを意味するわけではない、と言って、キューバ側が特に事を政治沙汰にしたくないと思っていたときにおこなった最初の内々の申し入れも否定しました。キューバは、必要になると分かっているものを援助したかったのですが。

 キューバの申し入れは、援助を申し入れている諸国のリストにすら入っていません。異常なのは、真っ先に受け入れられた援助物資が、米軍が世界中で提供しているものであることです。たとえば、シンガポールとカナダからは輸送機援助、スペインからは装備完備の貨物機を受け入れています。ドイツとイタリアからは軍用携行食――ペンタゴンが世界中に配っているインスタント食品です。こうしたものが受け取っている援助の中身です。

 つまり世間に対し、自分たちがイラクで戦争をしている間、津波で大きな被害を受けたスリランカの2万5千ドルとか世界最貧国のひとつバングラデシュからの100万ドルなどを含む他国の寄付に依存しなくてはならない、と言っているということです。こうした申し入れを受け入れているのは、国をより安全にするためと言われているイラク戦争のあいだ、アメリカがこの種の基本的な援助すら国民に提供することが出来なくなっているからです。」

エイミー・グッドマン:「キューバの医科大が設立されたのは、ハリケーン対策のためでしたか?」

ベニス:「1994年に中米を大型ハリケーンが襲ったとき、キューバは並みならぬ対策をとって医師4千人を中米に派遣しました。医師たちは、災害のひどさもさることながら、自分たちが見聞きしてきたことに衝撃を受けました。現地では貧困層や地方の村の人たちが医者など見たこともない生活をしていたからです。そこで彼らは帰国後、政府にこうした中米の貧困社会を援助するよう要求しました。

 この要請を基に、キューバは2年前に閉鎖されていた元海軍基地に医科大を作りました。そこを訪問したことがあるのですが、ハバナの北にある、何にも使われていなかったとても美しい海岸地域にあります。スペイン王室の資金援助を受けた最先端の医科大で、はじめは中米の医師を養成していましたが、いまはラテンアメリカ全土から学生が来ています。ちょうど一ヶ月間に、6年間の訓練を受けた第一期生が卒業しています。

 学費は全額無料で、教材、寮、制服、衣服、休暇に故郷にもどる旅費なども全額援助されています。卒業して自国に戻ったとき貧困地域で最低3年間医療活動をおこなうことが唯一援助の条件で、医師として仕事を始めるに必要なものも全部提供されますし、ラテンアメリカの国ならどこでも開業できる免許も得て国に戻ります。キューバがハリケーン対策をどれだけ優先させているかを示す例ですが、必要なところに救援の手を送るだけでなく、将来における計画にあたっての対外援助でもあります。明らかに、アメリカにはこの種の政策はありません。」

グッドマン:「ベネズエラなどの国や、諸国連合体の国連はどうですか?」

ベニス:「国連の申し入れは受け入れていますが、実際に援助活動許可を出すかどうかはまだ分かりません。人道支援の非常に優れた専門チームである国連人道問題調整事務所(OCHA)は、体制設置・管理の専門家や浄水専門家など、決定的に必要であることが明白なのに、米政府が被害地に派遣できないか、派遣する気がない種類の人たちを送ると言っています。やっと国連のこの申し入れを受け入れ、他にも寄付や援助申し入れも理論上は受け入れていますが、ほとんどは拒否しています。

 今日のワシントンポスト紙にとんでもない記事が載っていました。スウェーデンが大量の浄水器と即時使用可能な携帯電話システムとそのシステム設置エンジニアを食糧・水も持参して送ると申し入れていました。ドイツ経由で同時に5000件の通話を可能にするものです。ドイツの会社と共同しての援助ですが、連邦緊急事態管理局(FEMA)が、受け入れに必要な手続きなど考えてから返事をするのに5日もかかった、というのです。今日にでも物資、資金、緊急事態専門の部隊、機材を送るといっている国に返事をするのに巨大な官僚の障害物が立ちふさがっているのが現状です。FEMAの官僚的やりかたで全部止まっています。尋常でない問題です。

 一方でアメリカは驚くべき容認発言もしました。一貫して国連を時代遅れと描き出そうとし、国連がしようとすることをかたっばしから邪魔してきたこの政権、とくに新しい国連大使のジョン・ボルトンがそうですが、このアメリカが国連の援助が必要だと認めたのです。ボルトン曰く、アメリカの無骨な個人主義だけでは不十分なこともあるかもしれない、からだそうです。アメリカ国民が主張してきたようにイラク戦争で国は安全になどなっていないという、アメリカの単独行動主義の破綻を認めた一大譲歩ですよ。

 イラク戦争で、必要な資源がとられています。ルイジアナ州の州兵三分の一がいなかったのはイラクに配備されているからです。水陸両用車などルイジアナの州兵の装備のほとんど半分がイラクにあるので使えなかった。アメリカで水陸両用ボートを持っているのはルイジアナ州兵だけです。このボートが要るのはこの州ぐらいですから。でも肝心な時にない。ルイジアナ州兵の救助ヘリで現地にあったのは2機だけで、ほかは全部イラクにある。ですから、イラク戦争、この単独行動戦争はこういった緊急事態に政府が対応する上での能力に劇的に影響しています。元国際アラビア馬協会の審査員長をしていたマイケル・ブラウン率いるFEMA自体が無能であるという問題もあります。この危機的事態への対応の無能ぶりをさらけだしましたから。

 ということで、世界最強で、最も富める国アメリカが、この危機的瞬間に、ルイジアナとミシシッピの貧困層・圧倒的に黒人が多い地域の自国民を助けられないことを国際的に認めたということは、この国で私たちが犠牲にしていることの実態を強く物語っています。とくに、イラク戦争のため、アメリカは他国を必要しないと世界に証明しようとするがために、とりわけ貧困層と有色人層が払っている犠牲がよく分かります。こんな主張がウソであることが証明されています。」

グッドマン:「最後に、世界最貧国のひとつバングラデシュが援助申し入れをしていますし、ベネズエラのチャべス大統領は、ベネズエラのガソリンスタンド「シッゴー(Citgo)」がこの国にありますから、そこからの援助を申し入れていますね。」

ベニス:「ベネズエラは安価でガソリンと、ハリケーン被害者には燃料も提供すると言っています。被災地域に即時入れる医師と人道支援要員の派遣も申し入れています。ベネズエラは近いですから数時間で米国入りできる。なのにアメリカは受け入れると言っていません。現金を受け取っているのは、アメリカ赤十字を経由しているからです。恐ろしいのは、指摘されたとおり、去年のクリスマスの時期に起きた津波の被害からまだ復興しきっていないスリランカが出す2万5千ドルや、世界最貧国のバングラデシュの100万ドルは受け取っていることです。」

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ハリケーンと狂信ヤクザ集団ブッシュ政権の手。それとシェルのもうけ。

2005-09-12 12:38:51 | ニュース@海外
「カタリーナ」に対するのFEMAの恐るべきお粗末な対応は、ブッシュ政権はの報酬的人事の行く先を示した氷山の一角。またこの政権に多大な影響力を及ぼすキリスト教右派にも、当然不当な待遇が与えられています。同時に、惨事を好機にと、稼ぎを上げる産業の構造は不変です。この記事にはありませんが、イラク「復興」で稼ぎまくっているハリバートン社もニューオーリンズ復興事業ですでに契約をとっています。

惨事を政治的報酬に利用
ホアン・ゴンザレス
2005年9月6日
ニューヨーク・デイリーニュース
http://www.nydailynews.com/front/story/343813p-293471c.html

 またしても緊急事態管理局(FEMA)。

 ハリケーン「カトリーナ」へのお粗末な対応で非難の嵐を受けているというのに、今度は緊急事態管理局、なんと異議申し立てを受けるまで、ハリケーン被害救援募金を政治的報酬に利用していた。

 先週FEMA官僚らは、同局のウェブサイトに募金送金先としてオペレーション・ブレシング(Operation Blessing、神の恵み作戦)を優先してリストアップした。これは、あの右翼伝道者で「キリスト者連合(Christian Coalition)」創設者パット・ロバートソンが運営するバージニア州の慈善団体である。

 現金での寄付先としてFEMAは、赤十字、オペレーション・ブレシング、全米食糧銀行の連合体であるセカンド・ハーベスト(America’s Second Harvest)の三団体を挙げた。

 この最初のリストに続いて2番目のリストがあるのだが、ここには宗教および非キリスト教系慈善団体が数十ほど挙げられていて、これは現金以外の寄付も受け付ける。

 選挙の場合も大体そうなのだが、リストの最初にある団体のほうがずっと目に付きやすいし、選ばれやすい。

 さらに、このFEMAリストは州・地方政府を通じて全米に配られた。たとえば、先週ニューヨークではパタキ州知事とブルームバーグ・ニューヨーク市長の両方が、このFEMAリストトップ3団体をそのまま自分たちのハリケーン「カトリーナ」プレスリリースとウェブサイトに載せた。

 しかし、ロバートソンと彼の慈善事業を知る者にはあぜんとする事態であった。

 年間1億9000万ドルの予算を持つオペレーション・ブレシングは、ロバートソン帝国に不可欠な団体で、ここではロバートソン自身が議長を務めるだけでなく、最新の財政報告によれば彼の妻が副会長、息子の一人が理事の椅子に座っている。

 1994年、ルワンダであのジェノサイドが進行していたとき、ロバートソンは自身がホストを務める毎日放映のCATV番組「700クラブ」を使って、人道救援物資空輸のための募金を国民に呼びかけた。(旧)ザイール経由でルワンダ難民を援助しよう、というのである。

 が、オペレーション・ブレシングが購入した飛行機が運んだのは救援物資だけではなかった。

 この救援を調査したバージニア州検事当局は1999年、これらの飛行機が運んだ大半が、「アフリカ開発会社(African Development Corp.)」と呼ばれる営利会社が運営するダイヤモンド事業用の採掘機材であった、との結論したのである。

 さて、この採鉱会社のトップで唯一の株所有者が誰だったかお分かりだろうか。

 もちろん、パット・ロバートソン自身である。

 ロバートソンは、当時のザイール独裁者であり長年の友人であるモブツ・セセ・セイコから採掘権を得ていたのである。

 検察は、オペレーション・ブレシングは「人を惑わす言い方で、国民から故意に募金を引き出した」と結論した。

 この調査の後、ロバートソンは、受け取った募金40万ドルを個人的に返金し、経理の厳格化に合意することで、州当局を懐柔した。

 最新の会計報告によれば、慈善事業として最大の政府補助金を受けたのが、ロバートソンの「クリスチャン放送ネットワーク」で、2004年(3月締)年度で88万5千ドルを受けとっている。

 ロバートソンは、明らかにキリスト教の精神に反する目的のために、このクリスチャン・ネットワークを使っている。

 数年前、彼はチャールズ・テイラー氏を繰り返し擁護した。元リベリアの残虐な独裁者であり、現在国連法廷で戦犯起訴されている人物である。

 コンゴ(旧ザイール)でモブツと組んだ時と同様、ここでも個人的利害が絡んでいたのである。報道によれば、ロバートソンはテイラーの便宜により、リベリアの金鉱に数百万ドルの投資をしていたのだ。

 ついこの間、ロバートソンはベネズエラのウーゴ・チャベス大統領の暗殺を呼びかけた。FEMAがロバートソンの団体を募金受付先に指定したことで、経歴を知る人たちからごうごうたる非難が起き、日曜FEMAは突如、サイトの募金団体を一新した。

 結果、オペレーション・ブレシングはリストから消え、代わりに50の全国救援組織がアルファベット順で並んでいる。

連邦緊急事態管理局――正常に事を進めるにはだいぶ手間取る組織である。


シェル:ガソリンスタンドのゲームで大勝
ホアン・ゴンザレス
2005年9月8日
New York Daily News
http://www.nydailynews.com/news/col/jgonzalez/

 ハリケーン「カトリーナ」が湾岸に上陸する3日前の9月1日、シェル・オイル社のテキサス本部で幹部らが会合、ガソリンの不当な値上げに反対を表明した。

 シェルはプレスリリースで「シェルの卸売業者、販売者には、・・・この間自制をしていただきたい」と発表。

 同社は、国民に対し「ガススタンドが通常市場価格を超える値段で売っていると思ったら」地方政府と連絡を取ることすら求めた。

 それと同じ日、シェルの製油子会社であるモティバ・エンタープライズLCCは、(ニューヨーク市)ブロンクス一体でシェルのガソリン卸価格をガロン当たり20セントも引き上げた(Daily News入手のシェル社記録による)。記録を見ると、ハリケーンの惨事以来、ブロンクス地区の業者に対しシェルが6回にわたり値上げをしてきている、ことが分かる。

 8月31日、シェルはまず午後3時、次に午後6時と一日のうちに2度値上げを行った。同社のやり方をブロンクスのあるシェル・ガソリン販売者は「石油会社は制御不能」とぶちまけた。

 匿名を希望したこのディーラーは、「問題は供給ではない」と言う。

 「シェルは、俺たちが値上げをせざるを得ないところに追い込んでいる。いまあるガソリンは一ヶ月前に精製されたものだから、値上げの必要なんてないんだ。欲だよ、欲。」

 シェルのガソリン価格はとなりのスタンドの価格にも左右される。たとえば、ブロンクスの北、東223ストリートにあるシェルのスタンドは昨日の時点で、プレミアムをガロン当たり3ドル51セントで売っていた。コーオプ市のバートン・アベニューにあるスタンドはそれより38セント高い3.89であった。

 223ストリートスタンドのアドナン・マズニフによると、「この3日間値上げはなかった」。

 しかし、ブルックナー・ブルバードとキャスルヒル・アベニューにあるシェルのスタンドでは、昨日のプレミアム価格が3ドル59セントだったのに、火曜、卸売り業者がシェルからEメールで卸価格値上げの知らせを受け取ったというのだ。メールは、昨日午後8時をもってガロン当たり20セント値上げをする、と通告していた。

石油会社が、おなじ地区のスタンドにばらばらの値を請求することなど一体できるのであろうか。

ニューヨーク州議員のリチャード・ブロドスキーによると、現実は、こうしたやり方は我々が気づいているより頻繁に行われているという。

「これは地域別値付けといって、石油会社はある地域のスタンドに高値を押し付ける。需要供給に無関係の人為的値上げです。」

つまり、便乗値上げである。

同議員は、オルバニー市で地域別値付けを違法化する法案を提出している。

しかし、パタキ知事政権も、ニューヨーク市も、ハリケーン以降のこの不当な値上げにはたいした関心を払っていないように見える。この問題で発言しているのは、チャック・シューマー上院議員(民主・ニューヨーク州選出)ぐらいである。

ウォール街の悪党の征伐しては新聞の一面を飾って喜んでいる検事総長エリオット・スピッツアーも、ことが石油会社がドライバーから日々数百億ドルを掠め取っていることになると、任務放棄をしている。

どうやら、石油会社はカタリーナを利用して、数年前カリフォルニア州の電力不足のときエンロン社やガス会社がした以上の稼ぎを上げているようである。

昨日シェル本社に、需要供給の現状と、ハリケーンが石油価格に及ぼしている影響について問い合わせたところ、広報担当者からEメールで、シェル社のウェブサイトを見るように、との返事が返ってきた。

サイトを見て、メキシコ湾岸地域に数千の従業員と3つの精製工場を持つ同社が、ハリケーン救援に急遽300万ドルの寄付を発表していることが分かった。

2005年第2四半期でロイヤルダッチシェルが上げた利益は52億ドル。2004年の同時期から34%の上昇である。

つまり、シェルはこの時期あげた利益の約1時間分を、湾岸で家を失った数十万の人たちに寄付している、ということだ。

この間、ニューヨーク市の最貧地区であるブロンクスでは、ガソリン価格が10日間で6回も上昇している。

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ニューオーリンズからその3:タイムス・ピキューン紙の伝言板が伝える災害の恐怖

2005-09-03 00:32:43 | ニュース@海外
mediachannel.org--the global network for democratic mediaより

mediachannel Greg Michell編集(gmitchell@editorandpublisher.com)
2005年9月1日午後1:51掲示
 
 ニューオーリンズでの何千人もを巻き込む大災害が世界中で報道されているが、その間個々人の助けを求める声は聞こえてこない。この間、現地のタイムス・ピキューン紙は、救援を求める読者に向けブログ、討論欄、速報板を運営してきた。今朝、ここでの助けを求める声は身も凍るような状況を伝えるものになった。この三時間に寄せられた一部を伝えたい。

 「助けてください。
  いま伝え聞いたのですが、友人たちがロイヤル・ストリートの2716にある倉庫に閉じ込められています。外では銃撃が聞こえているそうです。」

 「いま、キャンプ・ストリートとセントマリー・ストリートの間に避難していた近所の人から話を聞きました。ジャクソン・ストリート沿いは銃殺死体でいっぱいだったそうです。12~15歳ぐらいの女の子が二人死んでいたのを見たとき、脱出しなければ身が危ないと感じたと言っていました。州兵はどこにいるんですか。救助してください。」

 「武装強盗集団がチューレーン大学医療センター(または病院)を包囲しているようです。屋根で身動きが取れなくなった医師がひとり父親(ニュージャージー州法律事務所の依頼人)に電話して警告しています。
彼らは屋根にいます。ヘリコプターで救助してください。」

 「リバーベンドの状況は絶望的です。
  今朝(木曜)、キャロルトンとセント・チャールズの付近にいるリバーベンドのおじと話しました。おじと何人かの(年配の)居住者が閉じ込められていて、治安は絶望的です。暑さは極限に達し、銃を持った略奪ギャングたちがうろついているそうです。彼らは切削機も持っていて家屋をぶち壊して押し入っています。おじたちにはいっさい避難情報がきていません。リーク・アベニューとリバー・ロードは水が引いていますが、外に出れば、撃たれたり、車ごと襲撃されるのを恐れて出られない状態です。少なくともダウンタウンの人たちは必死で助けを求めています。誰でもいいから電話で連絡を取ろうとしていますが、当然電話は不通。当局の人はこれを見たら、救援を送ってください。」

 「沿岸警備隊に、ニューオーリンズ大学キャンパスの建物を捜索するよう知らせてください。パトリック・ジョリーほか何名かが冠水した建物に閉じ込められています。ジョリーとは二日前に連絡が途切れました。彼は糖尿病で、他に何人かが一緒です。彼が最後に娘さんと話をしたときは、堤防決壊で水が押し寄せ、近くにいる女の子が喘息の発作を起こしていたそうです。市の関係者にキャンパスの建物全部を探すようどうか伝えてください。」

 「私の母は、デロレース・ペイジ伍長で、ニューオーリンズの保安官部門で仕事をしています。1時間ほど前彼女と話をしましたが、保安官代理たちと、囚人と一緒に移動する途中、タイムス・ピキューン社近くのブロード・ブリッジで逃げ場を失い、そこで4日間飲まず食わずで過ごしています。囚人を保護しに当局関係者が来たそうですが、保安官たちはそこにとり残されました。母は糖尿病持ちだし、すべてを失ったそうで、ものすごく心配です。お願いです、どうか、どうか母たちを助けてください。そこらじゅうで人が死んでいっているとも言っていました。救援を送ってください。」

 「孫息子を探しています。名前はブランドン・チャイルズで身長は120センチぐらい。6歳で金髪、目の色は茶色です。どこにいるか知っている人がいたら、billychilds@***charter.com.に連絡を下さい。」

 「いま義理の姉ビッキーから電話がありました。彼女は3,4人の大人と一緒で、一人が重度の喘息持ちで薬を持ち合わせていないそうです。昨日ボートで脱出を試みましたが、略奪者に銃撃されました。彼女は誰か救助できそうな人がいないかあちこち電話しており、だれか救援につながりそうな連絡先や提案を寄せて欲しいと願っています。どうか、現役・退役問わず州兵や軍関係者の知人がおられる方にこのメールを転送してください。サウス・カリボーンとウィローの間にある家のテラスで赤旗を振っています。
お時間・ご検討ありがとうございます。」

 「妹はビロクシで嵐を乗り切りました。彼女の18歳の娘はトラウマを抱えた病人で(アリシア・テイラー。飲酒運転者に轢かれた)、薬、チューブ摂取用栄養剤が今にも切れそうです。近所の人たちが草刈機の燃料を集めて彼らを避難させようとしましたがダメでした。通信手段がなく一切援助がきていない他の多くの人たち同様、彼らもいますぐ救援が要ります。軍にいる甥がジョージアを発って、チヌーク・ヘリでノラに救助に向かいましたが、自分の叔母といとこの助けにいけないなんて。状況は嵐の後の方がずっと悪く、救助の手は届いていませんし、ガソリンなしでは誰も脱出できません。」

 「この間ずっと掲示板の連絡を追っていましたが、まだ誰もザビエル大学の学生たちのことは書いていません。学生寮に、水も食料もないまま、少なくとも400人が閉じ込められています。私が把握している限りでは、警察はキャンパスに人が残っているか確認しませんでした。彼らがいますぐ救助が必要だと知らせるために書いています。女性たちは5階で男性は6階にいます。悲惨な状況で出来るだけ早い助けが必要です。」

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ニューオーリンズの病院からの報告その2 「水がない。病気。誰かに助けを求めてくれ」

2005-09-02 14:36:25 | ニュース@海外
ニューオーリンズのテナント記念病院で、入院患者などと共に逃げ場を失い、救援活動にあたっているビル・クイグリー教授からの報告の続きです。

その前に。

あるMLで「あえて厳しい言い方をするならば、米国民に対しては同情はするけれども全てはあなた方が選んだ政権のしてきたことのツケであると言わざるを得ません。実際は不正選挙で政権を強奪したのだとしても。」という意見がありました。「厳しい」言い方?憤慨しています。不正選挙がまかり通るようなアメリカだからこそ国民が苦悩しているという理解の完全なる欠如。

もうひとつ。日経の9月1日夕刊の「ウォール街ラウンドアップ」の記事。

「大型ハリケーン『カトリーナ』をめぐるメリルリンチのリポートが話題をさらった。結論は『ハリケーンの実質国内総生産への影響は差し引きプラス』。経済的な被害は大きいが、いずれ復興需要をうみだすからだという。事実、この日は復興関連銘柄への買いが相場を押し上げた。キャタピラーが3%高、住宅建設大手KBホームが5%高といった具合で売上高も膨らんだ。」

確かにGDP的に見ればそうかもしれません、が、この大惨事を目の前に、なお関心は投機である人たちが大勢いる現実は本当に悲しい。

一方、今日の「しんぶん赤旗」(9月2日)は、自公政権が5つの測候所廃止を計画していると報道。アメリカであろうが日本であろうがイラクであろうがアフリカであろうが国民の命をまもる政治を目指したいものです。

(なお、前回の「国家警備隊」は「州兵」と訳す、との指摘がありました。ありがとうございます。)

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Democracy Now! 2005年9月1日報道

「・・・Democracy Now!では、水曜一日中クイグリー教授と連絡を取ろうと試みましたがだめでした。教授と水曜夕方文書連絡をした彼の同僚が私たちに伝えたところ、教授からのメッセージには「水がない、病気、熱源なし、誰かに助けを求めてくれ」とありました。この同僚の女性が赤十字に援助の電話をかけたところ、赤十字は自分たちは救助できない、沿岸警備隊に連絡を取るように、と言ったそうです。彼女は沿岸警備隊に数時間連絡を試みましたがつながりませんでした。」

 以下、Democracy Now!が火曜日に連絡を取ったときの教授の報告の後半。

 「ビル・クイグリー:いま病院には1300人がいて、うち数百人が患者、数百が患者の家族、数百がスタッフです。スタッフの乳幼児も一緒です。ニューオーリンズがハリケーンに見舞われたとき、スタッフに働いてもらうには、家族も一緒に来てもらうしかありません。ですから子どもたち赤ん坊、親などをいれて全部で1300人ぐらいいます。

 この時点で、病院の外の水位は5フィート(約8ートル)で、病院のメインの階段吹き抜けの電力が切れました。病院全体で電力が下がっています。空調もなく建物が密閉されていて、風を入れるのに窓やドアを開けることが出来ないため非常に暑いです。上の階は水圧が下がっているので水洗便所などが使えません。電力が切れている部分と、水圧がない部分とがあります。水位は上昇していて、これ以上高くなると電力が全部切れるでしょうから、そうなると内部の通信機能を失います。

 病院には、私の妻が働いているガン病棟、骨髄病棟があります。私はボランティアで来ましたが、今日移植手術をした患者がいますし、さまざまな種類のガン患者、化学療法を受けている患者もいます。点滴、輸血といった医療は集中的に電気を使うものなので、みんなかなり神経質になっています。ハリケーンの暴風雨で病院の窓がいくつか吹き飛んだので、その部分を閉鎖したのですが、今朝は事態が好転するだろうとほんとに思っていたのに、今日になってみると水位が上がり始め、電気が切れ始め、一日以上病院のほとんどが予備の電源でしのいでいます。食糧も不足しています。水もあまりありません。が、いま現在一部の人を避難させています。この間10時間避難活動をしています。これまで100人ぐらい避難させました。ですからあと1200人残っています。

エイミー・グッドマン:今日生まれた早産児がいるといっていましたが、そのほかにも幼児がいますね。彼らはどうなっていますか?

クイグリー:幼児はいくつかのグループがいます。スタッフや患者の家族の一員のこども。非常に小さい病気の乳児がいましたがヘリコプターで非難しました。が、赤ん坊だけで母親や家族なしでの避難でした。

 ひとり早産児が産まれました。病院は赤ん坊を保育器に入れて、エレベーターが止まっているので8階の階段を屋上まで上り、ヘリコプターにのせました。何人かの赤ん坊も一緒でしたが、早産児の母親は残されました。母親たちを乗せる余裕がないのです。赤ん坊でいっぱいのヘリコプターがバートンルージュまで行って、そこからどこに向かったのか病院側は把握していません。これからどうするかちゃんとした計画がないのです。

 簡易ベッドに縛り付けられている患者もいます。どういうことかというと、エレベーターが動かないので、壁に穴を開けて、簡易ベッドの患者を穴から運び足して、小型トラックに載せています。ベッドに一度あたり二人を縛って、トラックの後ろに看護士を乗せて、屋上駐車場まで8階分移動させています。そこから2,3人づつヘリコプターに乗せています。それでもまだ重病人が残っています。ヒューストンのMDアンダーソン病院に移動させる必要がある患者が残っているのに、救助の人たちは、今の時点で、どうやれば移動させられるかまったくわからない、と言っています。」

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ニューオーリンズ:「残されているのは、病人、老人、貧困層、子どもたち」

2005-09-01 14:07:39 | ニュース@海外
2005年8月31日
Democracy Now! http://www.democracynow.org/article.pl?sid=05/08/31/143251

 ニューオーリンズとメキシコ湾岸地域は、ハリケーン「カトリーナ」により大災害に見舞われている。ニューオーリンズ市の少なくとも8割が冠水。電気はなく飲料水もほとんどない。市の関係者によると、ニューオーリンズは数週間にわたり居住不可能となる。火曜に2つの堤防が瓦解したことで、ハリケーンに持ちこたえていたように思われていた地域が灌水した。

 ルイジアナ、ミシシッピ、アラバマ州を合わせた死亡者数はまだ不明だが、当局は数百規模になることを懸念している。ミシシッピ州ハリソン郡当局によると、ビロクシおよびガルフ・ポートを中心に最低100名が死亡。ビロクシでは、通称「静かな水辺(Quiet Water Beach)」アパートの一棟だけで少なくとも30名が死亡。この地域では、海岸沿いにあるミシシッピ選出トレント・ロット上院議員の家も含め、数千の家が破壊されている。

 ルイジアナ州のキャサリン・ブランコ知事は、ニューオーリンズ市の全市民に避難命令を出した。

 火曜ニューオーリンズのレイ・ナギン市長は、増え続ける水量のため、市役所から緊急にヘリコプターで空から非難した。市関係者は現在、最低2万人が避難している体育館「スーパードーム」から全員を避難させる計画をしている。ドームは電気供給が切れているため、冷房は効かない状態。周りは水で溢れている。

 二つある市の空港も冠水。市の新聞「タイムス・ピキューン」のスタッフは火曜、灌水のため新聞社から避難し、電子版のみの報道を余儀なくされている。市最大の公立病院であるチューレーン大学病院はもはや機能しておらず、患者・スタッフも避難している。報道によると、軍は病院から1000名以上の避難を援助。

 医師らは、飲料水の汚染、食糧の腐敗、虫、蛇といった動物による刺傷・咬創による疾患の大発生も懸念している。

 連邦緊急事態管理局(FEMA)は現在、この地域で家屋が損害・破壊された最低百万人の世帯の居住施設を準備しているが、これは前例を見ないことである。FEMAのビル・ロッキーは今回のハリケーンを「米国を襲った最大の天災」と呼んだ。

 ペンタゴンは、救助作業の支援として、海軍艦船5隻と8つの海軍救援チームを湾岸地域に派遣するよう命じた。カリフォルニアからは快速船救助チームが空輸されている。

 国家警備隊も救助・法の執行にあたっているが、ルイジアナおよびミシシッピ州警備隊の約6千名は、7000マイル離れたイラクの地から地元の惨事を傍観せざるを得ない。現在、ミシシッピ州は40%、ルイジアナは35%の国家警備隊員がイラクにいる。この8ヶ月の間、ルイジアナはイラクで23名の警備隊を失っており、死亡者数はニューヨーク州に並んで高い。

 タイムス・ピキューン紙によると、すでに破滅的被害をもたらしている洪水は、ハリケーンによる降水が上流からポンチャトレーン湖に流入することで、今後数日さらに悪化すると予想されている。堤防が崩壊しているため、市全体への灌水は、湖およびミシシッピ川と同じ高さになるまで続くことになる。

 ブッシュ大統領は、夏休みを2日切り上げで今日ワシントンに戻ると発表。大統領は火曜サンディエゴで「今、優先事項は命を守ることであるが、まだ探索・救助作業の真っ最中である」と発言した。

 サンディエゴ訪問中、大統領はカントリー歌手のマーク・ウィリスと会い短時間ギターを弾く時間を割いた。大統領は金曜にルイジアナ州へ飛び、ハリケーン被害地区を回ると見られている。

 ニューオーリンズ市は現在戒厳令が敷かれている。市では、食糧・飲料水を求めた大勢の人が店に侵入するなど略奪が報告されている。そのほか電化製品・酒・銃も略奪されている。タイムス・ピキューンによると、略奪は、警察も参加するまで広範囲に及んでいる。警察服を着た警官が、ウォールマートの外で一人がDVD6つ、もうひとりが27インチテレビを抱えて歩く姿が撮影されている。

 「カトリーナ」の被害規模は、210億ドルの損害を出した「アンドルー」をしのぎ、最大になることが予想されている。

 今回のハリケーンはすでにアメリカ経済に影響を及ぼしている。メキシコ湾にある製油・ガス工場のほとんどが月曜以降閉鎖されており、多くが損害を受けている。通常この地域は、国内石油生産の3分の1を担い、天然ガスの5分の1を供給している。ガソリンの値段も、国内多くの地域で1ガロン3ドルほどまで上昇されると予測されている。アトランタを含む地域のガソリン不足も深刻である。アトランタにガソリンと航空機燃料を送る二つの主要パイプラインは止まっており、同地域のガソリン予備は2日分しかない。

 致命的洪水を防止するために、連邦政府はもっと対策を取れていたのではないか、との疑問もあがっている。1995年連邦議会は「南部ルイジアナ都市部洪水管理計画」を承認。この10年間で陸軍工兵隊による堤防強化および揚水施設建設に4億3千万ドルが使われてきたが、まだ2億5千万ドル分の作業が残っていた。報道によると、連邦財政のほとんどが2003年に凍結されている。タイムス・ピキューン紙はこの2年間少なくとも9回、ハリケーン・洪水対策の資金不足のひとつの理由としてイラク侵略に資源が割かれていることを指摘する記事を載せている。今年はじめブッシュ大統領は、洪水対策に当てる連邦資金を大幅に削減する提案をしている。大統領が提案した額は1千万ドル。地元の自治体関係者によれば、対策にはその6倍の額が必要であった。

エイミー・グッドマン:ニューオーリンズからの報告です。今朝ロヤラ大学のビル・クイグリー法律学部教授から話を聞きました。テナント記念病院から携帯電話での話しです。同病院で看護婦をする夫人を手伝いボランティアで救援活動をしています。教授によると、現在病院には1200名がいるということです。今の市の状況を説明してもらいました。

ビル・クイグリー:皆が心底恐れていた悪夢が現実となっていますが、ニューオーリンズの問題は、健康で、お金と車があった人たちは避難したということです。ですから、今現在おそらく10万人が取り残された状態で、スーパードームにはおそらく5、6万が電気・水洗便所・食糧・水もない状態で閉じ込められています。しかも彼らは、車がないため、そこまで徒歩かバスをつかってたどりつかなければならなかったのです。今、老人ホームや小規模の病院に取り残されたままの人たちがそこらじゅうにいます。

 さらに、夜窓から外を見ると、水で溢れ、真っ暗な街中を懐中電灯を照らして歩いている人がいます。ご指摘されたように、明日の夜になればこの懐中電灯の光も見えなります。水位が9から15フィートまで上がるからです(3~4.5メートル)。いまは懐中電灯で歩けている人たちも、明日にはいなくなります。

 市の病院は満員で、これ以上人を抱えれば入院している人たちのための食糧や水がなくなるため、来る人たちを追い返している状態です。今朝だったか午後この病院にもボートで、二人の小さい子どもを連れた父親と母親が来ましたが、病院は受け入れられないと断りました。これ以上人が入る場所がないからです。

 また20人ぐらいの人が駐車場のガレージまで歩いてきました。ホリデー・インに避難していたのですが、電気が切れたので、そこを離れて、街中をさまよって身を寄せる場所を探していたのです。しかし警備員が受け入れられないと断り、彼らはまた洪水の中へもどっていきました。すでにここにいる人たちの分の食糧・水さえも十分にないからです。

 ですから、いまニューオーリンズで取り残されているのは、数にして数万になりますが、もっとも病気が重く、高齢で、お金がなく、一番小さい子どもたち、障害者といった人たちです。市の計画は全員避難ということでしたが、現実は、入院患者は避難など出来ませんし、看護婦も患者をほおって避難などできないのです。患者もそうです。老人ホームにいる高齢者もそうです。車がなければ避難できません。こういう人たちの避難について市は何の計画もしていませんでした。

 ですから、おそらく10万前後の人たちがまだ市の中心部にいます。当局の提案は、ここのとなりの行政区に唯一残っているラジオ局から放送されているのですが、――テレビ局も機能しておらず、携帯はこちらからはかけられません――当局の提案といえば、となりの州への境界へボートで移動して、そこで救助する、といったことだけです。少し考えてみれば分かりますが、残っている人たちは、車も持っていなし、病身の母親を抱えてアパート暮らしをしているような人たちですよ。だから家を離れられないのです。車を持っていない人がボートをもっていますか。今まさに、人道的に危機的状況がおこっています。

エイミー・グッドマン:すこし変な質問かもしれませんが、法律学の教授として、いつもはハイチでの危機を取り上げており、現在ジャン・ジュースト牧師などが投獄されているハイチには何度も足を運ばれていますね。いま、ニューオーリンズで起こっていることは、ハイチと比べてどうでしょう。

ビル・クイグリー:ハイチがニューオーリンズのようになってくれればといつも願ってきましたが、最近はニューオーリンズのほうがハイチのようになってきています。電気もなく、交通機関も機能していません。この時点で、この病院の人たちには飲料水がありますが、水道からは飲まないようにと言われています。ですから、水も、交通機関も、医療もない状態で、人びとが市内をさまよっている状態です。多くの点で、いまニューオーリンズの百万の人口が、ハイチにいるような経験をしています。

グッドマン:そこに国家警備隊はいますか?

クイグリー:屋根の上で、ヘリコプター救助を支援している警備隊はいます。そのほか一、二箇所で見ました。これから数千人が来るといわれていますが、繰り返しますが、どうやってここにたどり着くのか分かりません。一日のほとんどの間、通信システムがほとんど使えないため、市長、警察署長、知事といった人たちが唯一稼動しているラジオ局と連絡をとることができません。ですから、ラジオ局まで歩いていって、そこのスタッフと話をして状況を把握している様です。まさに大惨事で、ニューオーリンズの外に出ている市民は、家に戻ろうと矢も盾もたまらない状態にいます。ですが、いま市内に残っている人は、正直に言いますが、死にかけており、本格的な救助が迅速にこなければ死傷者の数は増えかねません。

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マイケル・クレア:石油・地政学・来るべきイランとの戦争の関係

2005-06-26 01:57:43 | ニュース@海外
 イランでは「保守強硬派」といわれるテヘラン市長が大統領に当選。イラン国民、アメリカ、世界の明日にどう影響するのでしょうか。以下、4月に出たマイケル・クレア教授の対イラン・アメリカ政策の分析。

Oil, Geopolitics, and the Coming War with Iran

TomDispatch.com

2005年4月11日
マイケル・クレア

 アメリカがイラン攻撃を準備するなか、あることがはっきりしてきた。戦争開始の理由としてブッシュ政権は、石油という言葉は絶対口にしないということだ。イラク同様、アメリカは攻撃を正当化するために、まちがいなく大量破壊兵器を目一杯引き合い出してくる。ブッシュ大統領は、この間頻繁に引用されている2003年の声明で「(イランによる)核兵器の製造は絶対に許さない」と言った。しかし、結局イラクで不法兵器を見つけられなかったことで、侵略最大の理由としての大量破壊兵器の利用価値が下がってしまった今、イラン攻撃の理由として今度も核兵器開発疑惑を引き合いに出せば、かなりの人が疑いの目を向けるであろう。アメリカにとってのイランの戦略的重要性を少しでもまじめに考えるのであれば、目を向けるべきは、世界のエネルギー情勢におけるイランの役割である。

 念のため言っておくが、私は、イランの軍事力を破壊するという岩の決意にブッシュ政権を駆り立てているのが、唯一石油だ、と言っているのではない。政府には、イラン核計画をまじめに懸念している安全保障問題専門家がたくさんいることはまちがいない。イラクの兵器開発能力を真に懸念していた専門家が多くいたのと同じことである。私はこの点を尊重する。戦争開始には常に複数の要因があって、イラク侵略決定でも、石油を含む多くの問題が影響を及ぼしたことは公の記録でも明らかである。ならば、起こりうるイラン攻撃に向け進められている決定プロセスに、ここでも石油を含む多くの要因が影響を及ぼしている、と考えるのは妥当であろう。

 では、今回の意思決定に石油問題がどれだけ影響しているか。これは現時点で絶対的確信を持って量れる問題ではない。しかし、政権トップにいる人物らの経歴や思考において、エネルギー問題が及ぼしてきた影響の大きさを見るなら、イランの膨大な天然資源を見るなら、石油問題を勘定にいれないのは軽はずみである。なのに、対イラン関係が悪化するなかで、国内マスコミの報道や状況分析は、確実に、全体としてこの問題を避けて通るであろう(イラク戦争前夜と同じ)。

 もうひとつ警告しておきたい。アメリカの対イラン戦略思考における石油の重要性を取り上げる時、イランはわが国が今後必要とするエネルギーの潜在的供給源である、という明白な問題にだけ議論を限ってしまわないことが大事だ。イランは、ペルシャ湾の北側という戦略的場所にある。つまり、サウジアラビア・クウェート・イラク・アラブ首長国連邦といった、あわせると、世界で把握されている埋蔵石油量の半分を占める油田を脅かす位置にいる、ということだ。イランはホルムズ海峡にも面している。この狭い航路を日々、世界の石油輸送船の4割が通っている。さらに、イランは、石油と天然ガスを中国・インド・日本に売る一大供給国になっているため、イラン政府には世界情勢を左右する力があるのだ。アメリカに今後供給しうる石油が相当あるだけでなく、こうしたエネルギーの地政学的重みが、ブッシュ政権の戦略を左右していることは間違いない。

 そう言った上で、イランが秘めるエネルギー能力を検討してみよう。Oil and Gas Journal誌の最新データによると、イランの未開発原油量は世界第2位、量にして1258億バレルである。これを超えるのはサウジアラビアだけで、この国の推定埋蔵量は2600億バレルである。3位は推定埋蔵量1150億バレルのイラク。イランは全世界に供給されている推定石油量の1割という膨大な石油を抱えているのであって、ほかに何が起こっても、イランが世界のエネルギー情勢を動かすプレーヤーになるのは確実なのだ。

 しかし、イランの場合、問題なのは量だけではない。今後の生産能力も問題なのだ。埋蔵量にすればサウジアラビアに負ける。が、現在サウジの石油産出力は、持続するのに目一杯のところまで来ている(一日あたり約一千万バレル)。今後20年、(米・中・印の消費量増大に押され)世界の石油需要は50%増すと予測されるなか、サウジには生産力を増強する力はおそらくない。一方、イランには相当の潜在力がある。現在の生産量は一日当たり400万バレルだが、さらに300万バレルぐらいは行けると考えられている。こんな力を秘めている国はそうないことを考えるなら、すでに相当の地位を占めているイランの石油産出国としての重要性は、今後決定的に増してくるのである。

 しかも、豊富なのは石油だけではない。天然ガスもあるのだ。Oil and Gas Journalによれば、イランのガス保有量は推定940兆立方フィートで、世界埋蔵量の約16%にも及ぶ(これを上回るのはロシアだけで、1680兆立方フィート)。エネルギー量でみると、天然ガスのおおよそ6千立方フィートが石油1バレルに値するので、イランのガス埋蔵量は、石油1550億バレルに相当する。つまり、この国の炭化水素資源は、石油のエネルギー量にして2800億バレルとなり、サウジアラビアの炭化水素資源に次ぐ規模である。現在、イランの天然ガス産出量はほんの少しで、年間2兆7000億立方フィートでしかない。逆を言うと、イランが今後これをしのぐ量の天然ガスを供給しうる数少ない国のひとつである、ということを意味している。

 つまるところ、イラクが今後世界のエネルギー情勢に決定的な影響力を及ぼす国になる、ということだ。特に、世界の天然ガス需要が、石油をはじめ他のエネルギー源を凌ぐ早さで伸びていることがその証拠だ。現時点で世界全体のエネルギー資源消費量は、ガスより石油のほうが多い。しかし、そう遠くない将来、石油生産量が限界に達し――おそらく早くも2010年――供給量は縮小・下降すると予測されている。反対に、天然ガス生産がピークに達するまではあと数十年の余裕があると見られ、そうなれば、石油が手薄になったエネルギー市場を大幅に占有してくることが予測される。天然ガスは、特に(地球温暖化の一大要因である)二酸化炭素の排出量が少ないことを始め多くの点で石油より魅力的な燃料である。

 アメリカのエネルギー業界大手は間違いなく、膨大な石油・ガス開発でイランと協力したくてたまらないはずである。しかし、現時点で、米企業は、行政指令(Executive Order)12959によりイランとの商売を禁じられているのだ。この指令は、1995年クリントン大統領が出したもので、2004年3月にブッシュ大統領が更新している。アメリカはまた、(1996年イラン・リビア経済制裁法を盾に)イランと取引をする外国企業にも制裁の脅しをかけている。しかし、こんなもので、イランのエネルギー活用をめざす大企業がひるむはずはないのである。まず、活気づく経済を支えるため、今以上に大量の石油とガスを確実に必要としてくる中国はイランに特別目をつけている。米エネルギー省によれば、2003年イランが中国に供給した石油は、中国の輸入量全体の14%で、今後はさらに増えると見られている。また、中国は、液体天然ガス(LNG)輸入においても、大部分をイランに頼るようになると見られている。2004年10月、イランは、中国エネルギー大手のシノペック(Sinopec)と総額100億ドルの25年契約を結んだ。イランの主要ガス田を共同開発しLNGを中国に運ぶプロジェクトである。完結すれば、この取引は中国最大の海外投資のひとつとなり、両国は重要な戦略関係で結ばれることになる。

 インドもイランの石油とガスを熱望している。1月、Gas Authority of India Ltd.(GAIL)は、イラン国営のNational Iranian Gas Export Corp.と30年契約を交わした。年間750万トンのLNGをインドに輸送する事業である。総額は推定500億ドルのこの取引で、インドはイランガス田の共同開発もする。もっとすごいのは、印パキの政府関係者が、イラン―パキスタン―インドを通る30億ドルの天然ガスパイプライン建設を協議していることだ。長いことにらみ合いを続ける両国にしては驚くべき行動である。この事業が完成すれば、パイプラインを通って、印パキ双方に相当量のガスが届き、パキスタンは通過料として年に2億から5億ドルを手に入れる。パキスタンのショーカット・アジズ首相は1月、「このガスパイプラインは、イラン・インド・パキスタン全員が勝つ計画である」と宣言している。

 パイプラインは明らかに魅力的だし、印パキ和解の動機でもある(この核保有国二カ国は、1947年以来、カシミール地方をめぐり3度戦争をしており、この紛争領土の所属をめぐりいまも拮抗状態にある)。なのに、国務長官コンドリーザ・ライスは3月インド訪問で、同プロジェクトを非難した。3月16日、インドのナトワル・シン外相との会合のあとライス長官は、「インド政府には、イランとインドが協力するパイプラインに関する私どもの懸念を伝えました」と発言。実際、ブッシュ政権は、イラン経済に資するような事業はいっさい支持しないとの意思をはっきりさせている。それでもインドのパイプライン計画は止められていないのである。

 日本もイランとのエネルギー共同では米政府に逆らっている。2003年初め、3会社からなる日本の合弁企業が、ペルシャ湾岸にあるSorouch-Nowruzの油田開発に20%の出資を獲得した。ここの石油埋蔵量は、推定10億バレルである。その一年後、日揮がIranian Offshore Oil Companyと12億6千万ドルの契約を結んだ。これで、Sorouch-Nowruzをはじめとする湾岸地域で天然ガスと天然液体ガスを採収する。

 よって、世界のエネルギー情勢におけるイランの位置を考えるにあたり、ブッシュ政権の頭には、2つ主な戦略目的がある。まずは、イランの石油とガス田を米企業に開放したい。そして、エネルギー市場でアメリカが競合する国々とイランが関係を強めていることへの警戒である。現在の法律のもと、第一の目的を達成するには、大統領が行政指令12959を解除しなくてはならない。これは、反米聖職者勢力がイランの権力を握り、核兵器開発につながりうるウラン濃縮事業の放棄を拒否し続ける限りありえないだろう。同様に、イランのエネルギー事業・輸出への米企業参入が禁止されている限り、イラン政府には、他の消費国との取引を追求するしか道はない。ブッシュ政権から見れば、この嫌な状況を変えるには、道はたったひとつ、直接的なやり方しかない。イランの「政権交代」を誘発し、アメリカの戦略利害にずっと友好的な指導者を政権に据えることである。

 ブッシュ政権がイランの政権交代を助長しようとしていることは疑いがない。2002年の大統領一般教書演説において、イランが、フセインのイラクと金正日の北朝鮮といっしょに「悪の枢軸」メンバーにされたという事実そのものは、その紛れもない徴候であった。2003年6月、テヘランで学生による反政府抗議行動が起こっていたとき、ブッシュはまたも自分の考えを発信した。「これは、国民による、自由なイランにむけた意見表明の始まりだ。前向きなことだと思う」と。この問題で米政府の姿勢をさらに顕著に示しているのは、ムジャヒディーン・エ・ハルク(People’s Mujaheddin of Iran、MEK)を徹底して武装解除できていないことである。これは今ではイラクを本拠地とする反政府の民兵組織で、イランでテロ活動を繰り返し、米国務省がテロ組織と認定している組織である。2003年、ワシントンポスト紙は、一部の米政府高官がMEKをイランの代理勢力として使いたいと考えている、と報道した。アフガニスタンの際、タリバン対抗勢力として北部同盟を雇ったのと同じ方法でだ。

 イラン首脳部は、ブッシュ政権から深刻な脅威を受けていることを十分承知しているし、攻撃を止めるため、間違いなくあらゆる手段を行使している。ここでも、石油が、イラン・米両政府の計算において重要な要因となっている。アメリカの攻撃を抑止するため、イランは、ホルムズ海峡の封鎖をするか、ペルシャ湾地域の石油輸送を妨害すると脅しをかけている。3月1日、イランExpediency Councilのモーセン・レザイ事務局長は、「イランへの攻撃は、サウジアラビア・クウェート、つまり中東の石油全体を危険にさらすのと同じことになる」と述べた。

 米国防総省はこうした脅しをかなり深刻に受け止めている。「我々は、イランが、主に海軍・空軍、そして一部陸軍をつかって、短期間ホルムズ海峡を閉鎖できると判断している」。2月16日、上院情報委員会の場で、国防省諜報庁のローウェル・E・ヤコビー海軍中将はこう証言した。

 このような攻撃に向けた計画は、疑う余地なく、ペンタゴン・トップの一大優先事項である。1月、調査報道の第一人者シーモア・ハーシュがニューヨーカー誌で、国防総省がイランに秘密偵察で侵入をしていると報道した。おそらく、今後の空爆・ミサイル攻撃の対象となりうるイランの秘密核・ミサイル施設を特定するためだというのだ。ハーシュは、軍部高官らはインタビューの時、「次の標的はイランだと繰り返し言っていた」と述べている。ハーシュ記事が出て間もなく、今度はワシントン・ポストが、ペンタゴンが、イランの兵器施設の場所を確かめ、イランの防空力を分析するためにイランへ無人偵察機を飛ばしていることを明らかにした。ポスト紙が言うように、「(この種の)航空偵察は、来る空襲にむけた軍お決まりの準備である。」また、アメリカとイスラエルの政府関係者が、イスラエルによるイラン兵器施設攻撃の可能性について協議しているとの報道もなされている。その場合はおそらく裏でアメリカが支援することになるのであろう。

 実際には、米政府がイランの大量破壊兵器・弾道ミサイル事業に関して抱いている不安の大部分の出所は、サウジアラビア・クウェート・イラクといった湾岸の石油産出国とイスラエルの安全が脅かされることの恐れであって、アメリカへの直接攻撃を恐れているからではない。前出のヤコビー中将は2月証言の際、「イランは、この地域で近隣諸国と湾岸の安全保障を脅かしうる唯一の軍事力を持つ」、「弾道ミサイルが増強されており、これは地域諸国への潜在的脅威を意味する」と述べた。この地域的脅威の撲滅こそが、米政権が何より硬く決意しているものに他ならない。

 何よりもこの意味において、進行中のイラン攻撃計画は根本的に、2003年のイラク侵略同様、自国へのエネルギー供給の利害関係に駆られたものなのである。イラク戦争を始める政府の動機でもっとも的を射ていたのはディック・チェイニーだった(2002年8月、退役軍人クラブ(Veterans for Foreign Wars)での演説。)チェイニーによれば、イラクの脅威とはこうである。「(フセインの大量破壊兵器獲得)野望がすべて実現するようなことになれば、中東とアメリカはとてつもない影響をうける。こうした恐怖の兵器で武装し、世界の埋蔵石油の1割を占めるフセインは全中東の支配をめざし、世界のエネルギー供給の大部分を支配するようになり、そうなれば、この地域のアメリカの友好国が直接脅かされる。」当然、ブッシュの取り巻きたちにとって、そんなことは想像を絶することだった。

 今度は、サダム・フセインを「イランの宗教指導者」に置き換かえれば、ブッシュ政権のイラン戦争開始の言い分の出来上がりである。

 というわけで、国民向けにはイランの大量破壊兵器がどうのと言いながらも、中心人物たちは確実に、世界エネルギー情勢におけるイランの位置について、世界各地への石油の流れを妨害しうるイランの力について、地政学的見地からものを考えている。イラク同様、この脅威を金輪際撲滅するという政府の意志は固い。よって、石油だけがイランと戦争するにあたっての理由ではない。が、戦争の可能性を高める全体的な戦略上の計算においては、本質的な要因なのである。

〔マイケル・T・クレア:ハンプシャー大学:平和・世界安全保障研究教授〕

民間戦士:イラクにおける軍事請負人

2005-06-23 12:15:17 | ニュース@海外
Democracy Now! 2005年6月21日報道より。

 「イラク侵略の開始以来2年半がたつ。この間、軍はここ数ヶ月、新兵の獲得目標を達成できていない。同時に軍は、業務をますます外部に委託するようになっている。後方支援産業の大手であるハリバートンから数多の軍事セキュリティー会社にいたるまで、今やイラクでは、軍事請負産業、連合軍をはるかに上回る第二の勢力となっている。

 この度報道される”Private Warriors(民間戦士)”は、イラクで活動する企業――ハリバートン子会社のケロッグ・ブラウン&ルート社や南アフリカの民間セキュリティー会社エリニーズ社(Erinys)など――の裏側に、テレビ番組としてはじめて迫ったものである。こうした企業の説明義務や民間への依頼度を高めるペンタゴンに疑問を投げかけている。

以下、"Private Warriors"のプロデューサー、マーチン・スミスと軍事活動民間委託についての著作(Corporate Warriors)があるブルッキングス研究所のピーター・シンガーに聞いた。

エイミー・グッドマン:なぜ民間軍事産業に注目したのですか?

マーチン・スミス:これは一種、口に出せない話だったので。3回イラクに足を運びましたが、その間、民間に委託される業務が増えていく様子を目にして来ました。供給ラインの運営から、基地の建設・管理、延いては米軍の防衛にいたるまでの業務です。ですから、これは明らかに報道すべき問題でした。それに、ピーター・シンガー氏の本以外でも、テレビでもほとんど報道されていません。なのに、イラクにいる記者なら全員こうした基地に滞在します。こうした民間のセキュリティー会社を目にしているのです。記者たちはこうした会社の人間を雇うのですから。ですから、私たちにとってはあまりにも明らかなニュースでした。それで、PBSの「フロントライン」でこれを取り上げるべきだ、と提起しました。

グッドマン:ピーター・シンガーさんに聞きますが、こうした民間請負会社を調査なさってきましたが、イラクにおいて、こうした民間会社が軍とどう違い、どこが同じなのでしょう?

ピーター・シンガー:つまるところ、これは、兵士ではなく従業員の話しであることに留意する必要があります。こうした人たちは、軍事活動はしているのに、指揮系統下にないということです。就任の宣誓もしませんから、まったく別の体系に属しているわけです。もうひとつは、彼らが属する組織は軍とは違う動機で動いているということです。例えば、海兵隊の部隊に利益を上げる必要はありません。いつ、どこに配備されるか自由裁量もない。一方、民間企業は、「そうなると、こちらが有効になる。つまり、海兵隊ができない仕事をこちらがやれるということだ」と主張する。ある意味正しい指摘ですが、裏を返すなら、こうした会社がもっとも公共といえる役割を負うということです。なのに、彼らは通常の統制体系下に置かれていない。これは、問題にすべきことです。現在、事実上無法地帯となっているイラクのような場所を議論しているなら特にそうです。

グッドマン:スミスさん。誰が銃を携帯しているのですか?

スミス:イラクにいる民間セキュリティー会社の護衛は6千から2万人までかなり幅があって、陸軍技術部隊のジェネラル・ボスティックから、イラク軍訓練の責任者であるパトリアス将軍、アメリカの大使や国務省関係者にいたるまでの人物の護衛にあたっています。こうした人たちが銃を携帯しています。おそらく60ぐらいの会社ですが、多くが以前からあった会社です。が、イラク戦争が始まったときに立ち上がった会社もたくさんあります。バグダッド・バブルとでもいえるような状況が生まれて、多くの会社が我先にと参入しました。金はたくさん用意されていましたから。武装して護衛を始めたわけです。

グッドマン:シンガーさん、彼らはいつ戦闘に関わるのですか?こうした民間請負人にはどのような戦闘規則が適用されるのでしょう?

シンガー:その前に一歩さがって、戦闘活動の範囲を超えた彼らの全体像を見ることが大事だと思います。軍でいえば実際に戦闘にたずさわる兵士がほんの一部であるのと同じで、民間軍事産業もこれよりずっと規模が大きい。ハリバートンのように軍事支援から供給まですべてを請け負う会社もありますし、実際に訓練を提供する会社もあります。米軍だけでなく新規のイラク軍にもです。そして、戦術戦闘の役割を負う会社があります。彼らの仕事は、トップの大使や指導者といったVIPの護衛から、いま明らかにイラクで最高に危険な任務のひとつである護送まで及びます。そして、政府施設、建設現場、イラクの米軍基地といった主要な施設の護衛があります。

 ですから、今起こっているのは、こうした会社が、やめてしまえば戦争の作戦が崩れてしまうような仕事をやっているということです。それほど重要な役割を負っている、つまり、今回の戦争でもっとも問題の分野に関わっている、ということです。ハリバートンの過剰請求にせよ、アブ・グレイブでの拷問疑惑にせよです。実際に請負人が活動しているわけで、今後イラク戦争の歴史を書くのであれば、民間の軍事産業のことを書かなければ成立しません。戦争というものが完全に様変わりしています。

グッドマン:軍事請負会社とアブ・グレイブでの拷問についてはどうですか?

シンガー:アブ・グレイブでの事件で特に驚いたことのひとつは、民間会社の人間が大量にいたことです。米軍によると、拷問がおこなわれていた期間、通訳は全員、尋問者は半分が民間企業の人間でした。通訳は、タイタン(Titan)という会社、尋問者はカーキ(Khaki)という会社。また米陸軍の報告によれば、拷問のケースの36%で、民間会社の尋問者が関与していました。これがなぜ問題かというと、二つのレベルがあるからです。まず、陸軍調査の結果、尋問をした請負人の3分の1もが、尋問者としての適切な軍の訓練を受けていませんでした。

 それに加えて、軍は拷問に関与した人間を具体的に6人確認していますが、このうち誰一人として、求刑や刑罰はもちろんのこと、告訴さえされていません。ですから、拷問に関与したため当然軍事裁判にかけられた軍の人間とは明らかに対応が違っている。法律の穴があって、この法の空白地帯に民間請負人がいるということです。この点について軍の弁護士が興味深い点を指摘していました。問題は現在請負人たちが、グアンタナモの抑留者がいるのと同じ法の空白地帯、同じ法の地獄にいるということだ、と。本質的に、イラクでは、請負人の法的身分を規定する法がない、法の下どのように扱うべきかというものがありません。

グッドマン:スミスさん、エリューニエス(Erinys)のような会社の実態は?どこで雇われているのですか?

スミス:非常に大きな問題のひとつは、戦争を民営化すると、公共部門の範疇から外れてしまい、透明性がなくなります。誰がどんな業務をしているのか時に分からなくなる。次から次へと下請けされて、多くの層ができる。去年ファルージャでは、ブラックウォーター社の4人が通りを引きずりまわされ、うち2人が橋から吊り下げられるという事件がありました。エリューニエス社の場合、南アフリカの会社ということで知られ、報道されてきています。が、番組放送前の最終チェックをした際、会社側は、自分たちは南アの会社ではないと強調しました。同社の共同創設者と報道されている人に、アパルトヘイト時代の政府関係者であったショーン・クラーリーという人物がいます。会社側は彼は顧問だと言っていましたが。現にこの会社は、英国領バージン諸島の法人です。関係者はほとんど南アの人たちですが、運営を担当する役員は特別部隊、イギリスの特別部隊SAS(英国陸軍特殊空挺部隊)の人間です。ですから、私たちは、同社をイギリスの会社として報道します。とはいえ、非常につかみ所がなくて、これがこの問題のひとつです。非常にあいまいな分野です。

グッドマン:ブラックウォーター社の件ですが、このドキュメンタリーでは、犠牲者の遺族が起こしている裁判も取り上げていますね。

スミス:この裁判を取り上げたのは、民間請負人の存在が、去年の3月31日にファルージャで起こった事件で、一般人の視野に真の意味で入ってきたケースだったからです。まず、この事件一本を掘り下げて、彼らの雇用主を探しました。請負、下請けとどんどん続いていますので。彼ら4人は、クウェートの会社であるブラックウォーターに雇われていました。そして、この会社は別のクウェートの会社と契約を結んでいました。このクウェートの会社は今度はESSというキプロスの会社に雇われていました。ESSは自分たちの雇用主を教えるのは拒否しました。彼らの契約書をみると、かなり怪しい形でケロッグ・ブラウン&ルート社(KBR)の名前が出てきます。最終的には、ESSの契約先を突き止めることはできませんでした。この4人が物資供給をするはずだった第82空挺部隊は、KBRとは契約を結んでいないと言っていますし、KBRの方も関与していない、といっています。ここでもまた透明性の欠如、説明義務の欠如、法的責任の欠如にぶち当たります。ですから遺族は、自分たちの息子があの日誰に雇われていたかさえ知らない状態に置かれています。

グッドマン:遺族は何を主張していますか? 裁判で何を要求していますか?

スミス:不法行為による死亡でブラックウォーターを告訴しています。契約書にははっきりと具体
的な安全保障要件が書いてあったのに、遺族によればそれらが守られなかった、という裁判です。ですから、ブラックウォーター社が、知っていながら、故意に、従業員を適切な防衛対策なしで危険地域に送り込んだとして告訴しています。

グッドマン:2003年10月、下院のワクスマン議員とディングル議員が、占領イラクでのガソリン輸送でKBR社が高値を請求していることについての調査を要求しました。この会社は、クウェートでガソリンを1ガロン2.20ドルで買っていたのですが、同じとき他の会社はトルコで1.18ドルで購入していました。それでKBR社は政府にガロンあたり2.27ドルを請求しました。国防総省の会計監査は、このガソリン過剰請求額は6100万ドルにもなるとしています。ハリバートンは理由として、イラクの危険地域を通らなくて済むようにクウェートで買わなければならなかったと主張しています。お金の問題はどうなんでしょう?

スミス:この6100万ドルは1億800万ドルに訂正されていると思います。ハリバートンつまり子会社のKBRはこの契約を切られましたから、KBRの働きが平均以下で過剰請求をしたという合意が双方であったと言っていいと思います。

グッドマン:それでもハリバートンは報酬を得ていますよね。最新のニュースではハリバートンが300万ドルの契約を交わしています。あの問題のグアンタナモ海軍拘留所に新しく常設の刑務所を建てるという事業です。

スミス:そもそもグアンタナモの最初の刑務所もKBRがつくっています。KBRは、軍の要求と軍が必要としているものに圧倒されていると思います。例えばバルカンの時は、だいたいのところ、かなりうまく事業をこなしました。しかし、イラクの場合、これほど長期にわたって、銃弾が飛び交うなかで、補給ラインを管理したり、これほど大規模の基地をつくるようになるとは誰も予測しませんでした。KBR側のごまかしもありますが、それ以上に、事業の大きさに圧倒されていると言えます。お金の流れを把握できる会計士が足りないのです。自分たちの手に負えないほどになっているということです。

グッドマン:このあいだ飛行機に乗ったとき、隣に兵士が座ったのですが、イラクから帰郷するところでした。彼の話では、こうした請負会社と隣り合わせで仕事をすることや、契約会社が兵士の週給にして3倍もの稼ぎをあげていることに兵士たちが憤慨している、ということでした。シンガーさんこの点はどうでしょう?もうひとつ、請負会社の従業員は銃を携帯しても良いことになっていますが、イラクでの死傷者としては数えられていませんね。
シンガー:これはとても大事な質問です。2,3週間前にこんなことがありました。ザパタ(Zapata)というノースカロライナ州のシャーロッテに本社がある会社の従業員が、爆発物の解体作業をしていました。彼らは、ファルージャの方に移動している護送車をつけていたのですが、海兵隊員によると、この護衛が民間人と米兵の両方にむけて銃撃をしていたと、言うのです。それで米兵はその民間護衛車を停止して、乗員を拘留しました。ここで、護衛車の人間は、「違う護衛だ。俺じゃない」と主張しました。この拘留のあいだ何が起こったかというと、海兵隊員たちは、基本的にこの民間人たちに罵声を浴びせ、怒鳴りつけ、「ざまあみろ」といったようなことを言っていた。金をめぐって緊張が表面化している象徴的な例です。

 一番の教訓は、いろいろな部隊の統合は大変難しい、ということです。海兵隊と陸軍を一緒にさせるのは骨が折れる。アメリカ人とイタリア人とイギリス人が一緒にやる多国籍軍も大変です。なのに、今度は、民間が入ってきたことで軋轢が強まっている。しかも一社だけでなく、ばらばらの会社が60も来ていて、兵士よりたくさん稼いでいる、ということになれば、当然緊張が生まれます。そうでなくても大変な統合任務が、まずい管理の下で、ますます大変になっている。

 もうひとつ問題なのは、単純に会計報告がないということです。説明義務(accountability)だけでなく会計(accounting)もされていない。ですから、例えば、どれぐらいの請負会社がいるかすら正確に分からない。簡単に言いますと、現在ペンタゴンには、状況を把握する能力はありません。これは、何人が殺され負傷しているかも分からない、ということを意味します。こうした会社が就いているのは公共任務ではないからです。この点を追及してみたところ、少なくとも報道から分かる範囲では、イラクか出身地のどちらかで死んだこうした請負人の数は200人以上で、800人以上が負傷しています。この数値を全体像に照らしてみると、死傷者という点では、一米陸軍師団の死傷者より多い。ですから、こうした民間企業の人間は貢献しているが、その規模は公有(public domain)の外にあって、国民は実態を把握していません。

グッドマン:スミスさん、ドキュメンタリーは今夜放映されますが、イラクに4回行かれて調査するなかで何に一番驚きましたか?

スミス:KBR社がイラクでつくっている基地の規模ですね。私たちは、バグダッドの北40マイルにあるキャンプ・アナコンダに行きました。一部でKBR要塞と呼ばれているところです。呆然としました。ブレマーの壁と呼ばれている15フィートの防爆壁があって、その向こうには見渡す限りトレーラーが続いている。巨大な食堂、プール、娯楽室がいくつもあって、テコンドーの教室もある。状況は以前とははるかに違っていて、まったくもって呆然とします。KRB社に、こうした施設の費用を聞こうとしたのですが、「そういう種類の費用は記録しない。分からない」という応えでした。そこで今度は軍に聞いたら、費用はしっかり把握していて、KBR側と毎週討議している、という応えが返ってきました。ここでも、説明義務、透明性の欠如で、イラク戦争の全期間にわたるアメリカの疫病になっています。ここが核心だと思うのですが、戦争を民営化して、彼らが言うところの恒久の大規模基地をつくるなら、民営化の世界で実際何が起こっているかは国民にはわからなくなるという事実と向き合わなくてはならない、ということです。

グッドマン:最後にシンガーさんに聞きますが、特にディック・チェイニーとハリバートンとの関係、そして戦争の民営化が推し進められていることの全体についてはどうですか?

シンガー:ハリバートンがイラク関連事業で得ている収入のことでしたら、これは130億ドル分の質問ですね。私自身は、ハリバートンの利益のためにこの戦争が始められたという陰謀説は支持していません。この会社はすでに順調にやっていましたから。この傾向は、最初のブッシュ政権で始まっていて、クリントンに引き継がれ、息子のブッシュで、特に9・11とイラクでさらに広がったという点を念頭に置く必要があります。この点でスミスさんと同じ意見なのですが、端的に言って、この産業が存在しているのに、我々は賢い顧客でもなければ、支払いに見合った仕事もされていない。しかしまた、政府の役割という点でも賢く規制をかけていない。つまり、新しい産業ができたとき、誰がそこでの事業を許されるのか、こうした会社が誰のためへの業務を許されるのか、過ちが起こったときどうすればいいのか、といった法体系を作るということです。両方の面で賢明にならなくてはなりません。今のところ私たちはそういうことに抵抗しています。それではだめです。賢明な策とはいえません。」