CAFE PACIS

ユルゲンが「カフェで政治が行なわれているんだ」って言う。じゃあ、カフェで平和やるか。

ブッシュ政権のイジメで辞めていった人たち:その1

2005-10-28 14:53:43 | ニュース@海外
 ブッシュ政権のイジメで公務を辞めていった人たちのリストです。

私は、息子(3歳)の給食に牛肉メニューがあるときはお弁当を持たせていっています。これを読むと(米産)豚肉もやばいかも・・・。

***********

失われた大部隊
ブッシュ政権の犠牲者
ニック・タース
http://www.tomdispatch.com/index.mhtml?pid=28817

 2005年8月、軍調達部で20年のキャリアをもち、イラク復興事業で政府契約の割り振りに責任をもつ陸軍工兵部隊の最高幹部バナティン(通称「バニー」)・グリーンハウスは降格された。グリーンハウスに対する上司の評価は何年ものあいだ高いものであった。しかし、それも、公表もされず、入札もされない事業がケロッグ・ブラウン&ルート社(KBR)に発注されたことに異議を述べる前までのことである。KBRは、あのディック・チェイニー副大統領が以前社長を務めていた巨大企業ハリバートンの子会社である。ハリバートンへの発注が「プロとして仕事をしてきた中で、最も露骨で不適切な不正契約」だったと議会で証言した後、彼女は、「エリート上級管理職から…同部隊の民間事業部のもっと低い職務へ」配置されたのである。

 こうしてグリーンハウスは、ブッシュ政権の犠牲者リストに名を連ねることになったのであるが、この犠牲者たちとは、数え切れない(というよりは数えられていない)イラク人でも、ブッシュ政権の便宜戦争の結果殺され、障害を負う、膨れ上がる一方の米兵犠牲者のことでもない。彼らは、窮地に立たされた行政官、管理職、キャリア官僚たちである。彼らは、抗議の辞職をしたり、ブッシュ政権の強引なやり方により誹謗され、脅迫され、首にされ、追い出され、降格され、退職を余儀なくされた人たちで、どうやらこっちの犠牲者リストも果てしなく膨れ上がっているようなのである。彼らが職を去るほとんどの理由が、ブッシュの政策にたいする強い嫌悪感にある。彼らにとって、イラク侵略、北朝鮮との協議、FEMAの無力化、環境基準の引き下げといったやり方は常軌を逸している。

 その就任直後から、ブッシュの行く先々で人のキャリアがめちゃくちゃにされてきた。以下、こうして失われていった中でも名を知られている人たちの一部をリストアップしてみた。

リチャード・クラーク:おそらくブッシュ政権犠牲者で一番有名な人。クラーク氏は、レーガン政権以来、政府職員として30年の経歴をもつ。レーガン政権、父ブッシュ政権の国務省で諜報部ナンバー2を務め、クリントンおよび現ブッシュ政権では、国家安全保障会議(NSC)テロ部門で大統領最高顧問という閣僚級の職にあった人。同氏は、現ブッシュ大統領のテロ対策の「ひどさ」に幻滅。その「ひどさ」を具体的に言うと、差し迫るアルカイダ攻撃の証拠を無視したこと、ありもしないアルカイダとフセインとの関係を証明しろと圧力をかけたこと(同氏によれば、関係なし、と結論したクラーク氏のメモは「『おまえの答えは間違い。やり直し』と言われ、つき返された。」)9・11の後、同氏は、NSCのサイバー・テロ部門への配属を希望。(ブッシュ政権は後、これは降格と言っている。)2003年1月、辞任。

ポール・オニール:ニクソン、フォード両大統領の下で、行政管理予算局(OMB)の最高幹部(後、アルミニウム最大手アルコア社の議長)を務めた人。オニール氏は、現ブッシュ政権の財務長官を2年近く務めたが、大統領の減税政策に反対を表明すると辞任を要求された。クラーク氏同様、オニール氏は、ブッシュのイラクへの病的な執着を想起している。NSCの常任メンバーであった同氏は、「サダム・フセインは悪人で、固片付ける必要がある、という確信がはじめから存在していた」と述べている。「問題は、それをどうやってやるかという方法を見つけることだった。それが全体の空気だった。大統領は『方法を見つけてこい』と言っていた。2002年12月6日、解雇。

フリント・レヴェレット/ベン・ミラー/ヒラリー・マン:左から、ブッシュ政権NSC中東問題の上級幹部、NSC付きのCIA職員でイラク問題専門家、イラン・ペルシャ湾問題責任者としてNSCに説明を行う外務職員。報道によれば、三人は全員、対イスラエル政策に異議を唱えたところ、NSC中東問題顧問のエリオット・エイブラムズに首を切られた。レヴェレット氏によると、「米国が欧州・アラブの相手国におこなってきたさまざまな約束を、要するに、破る…という決定が下されていた。個人的にその決定に反対でした。」同氏はまた、「(リチャード・)クラークが、政権の意思決定のあり方や、彼らがイラクでやりたいことが、待ったなしのアルカイダ対策と釣り合っていないと批判していたが、まさに的を得ている…(2002年、イラク戦争を準備するためにアフガニスタンから)人を撤退させたが、こうした人たちは」オサマ・ビン・ラディンやアイマン・ザワヒリといったアルカイダ指導陣を「捕まえることができた人たちだった」。議会のテロ・不正規戦問題特別委員会のジョセフ・ボダンスキー委員長によると、エイブラムズは「ミラーを窓まで連れて行き、ここから飛び降りろと言った。」同委員長は、マン氏とレヴェレット氏も辞めるように告げられた、と述べている。2003年、辞任/解雇。

ラリー・リンジー:ブッシュの「経済顧問トップ」。新聞に、イラクとの戦争には2000億ドルかかると明らかにした後、追放された。2002年12月、解雇。

アン・ライト:国務省のキャリア外交官かつ陸軍予備軍大佐。アメリカがイラク戦争を開始した日に辞任。ライト氏は、辞表でコリン・パウエル国務長官に対しこう述べている。「この政権の政策で世界はますます危険になっているのであって、安全になっているとは思いません。道徳的にも職業上も、私は、こうした政策に感じている深く強い懸念を表明し、これら政策を擁護したり実行することが出来ないことから政府の職を辞任する義務があると感じています。」2003年3月19日、辞任。

ジョン・ブレーディー・キースリング:20年に渡り4つの政権に仕えたキャリア外交官。イラク侵略の前夜、在ギリシャ米大使館で政治参事官をしていたが、辞表を提出。「この政権になるまでは、自分が仕える大統領の政策を支持する事で、米国民と世界の利益も支持しているのだと信じることができた。もうそれはできない。いま我々が実行を要求されている政策は、アメリカの価値のみならず、アメリカ人の利害にも一致しない。イラクとの戦争を熱狂的に追求することで、我々は、ウィドロー・ウィルソン以来、攻撃・防衛の両方においてアメリカの最大の潜在的武器であった国際的な正当性を浪費せざるを得ないところに追い込まれている。我々は、これまで知られてきた最大かつ最も効果的な国際関係のネットワークを壊し始めているのである。今のやり方を続ければ、安全ではなく、混乱と危険がもたらされるであろう。」2003年2月27日、辞任。

ジョン・ブラウン:ロンドン、プラハ、クラクフ、キエフ、ベオグラードで25年近く外務を歴任してきたベテラン。辞表では、「良心に恥じずして、ブッシュ大統領のイラク戦争を支持することはできません。大統領は次のことを怠っています。なぜ勇敢な米兵たちがこの時期にイラク戦争で命を犠牲にする準備をすべきなのか明確な説明。罪のない民間人犠牲者を含む、この戦争の全面的影響の説明。一般国民に対するこの戦争の経済的出費の具体的説明。この戦争がどのように世界からテロを無くす助けになるのか明確な説明。国際的な戦争反対世論を真剣に考慮すること。」2003年3月10日、辞任。

ランド・ビアーズ:NSCの対テロ問題上級幹部。辞任理由の説明は拒否したが、もと諜報幹部はビアーズの辞任について、「まったく驚かないね。自分たちは、対テロ戦争をイラク戦争で犠牲にしてきた。ランディを責める気はまったくないよ。これは、テロ戦争がイラク戦争のために脇に負いやられていると広範な人たちが思っていることを反映したもの。米軍と諜報と同盟国との関係を犠牲にしてね。」と述べている。ビアーズはのち、「この政権は、対テロ戦争の言動が一致していなかった。これで安全になったどころか、ますます危険になっている…内部の人間として、対応が成されていない様も見てきたし、留まり続け、見続けるほど、懸念が増し、ついに立ち去らざるをえなかった。」2003年3月、辞任。

アンソニー・ジニ:40年、兵士と外交官を務めた。1997年から2000年には、米国中東中東司令部の最高司令官。海兵隊将軍を退役後、ブッシュ政権からトップの外交任務につくようオファーを受け、(2002年11月から2003年3月まで)中東特使を務めた。しかし、ブッシュの戦争開始計画に異議を唱え、このような戦争は長期にわたり戦後問題を抱えることになると事前に公の場で意見を述べたことで追放された。同氏は、「イラク戦争への下準備とその後の戦争遂行にあたり、よく言って、純粋な職務怠慢、職務蜂起、無責任を見てきたし、最も悪く言って、うそ、無能、腐敗を見てきた」と述べている。2003年3月、再任されず。

エリック・シンセキ:陸軍参謀長であったシンセキ氏は、議会に、イラク占領には「数十万の部隊」が必要となりうると証言。それを、ポール・ウォルフォウィッツ国防次官が愚弄。その後、ハドソン・クロニクル紙によると、「ドナルド・ラムズフェルド国防長官は、『エリック・シンセキ将軍は、参謀長の任期満了をもって職務を降りる』と発表する、という尋常ならぬ措置をとった」。2003年6月、退役。

カレン・キアツコフスキー:イラク侵略の一年前、国防省中近東・南アジア(NESA)局に勤務していた空軍中佐。彼女の辞表。「2002年5月から2003年2月まで、国防次官事務所で中近東・南アジアおよび特別計画局(USDP/NESA・SP)で働くなか、イラク戦争後の政策が決められていく状況を見てきました。それは、適した指令や規律から逸脱し、反する行動がはびこる状態でした。なぜ、おかしな「諜報」のかけらが大統領演説にもぐりこんだのか、なぜ、フセイン政権後の占領が、混乱や誤った対策で特徴づけられているのかを知りたければ、国防長官事務所の内部プロセスを見れば十分事足りるでしょう。」2003年7月、辞任。

チャールズ・「ジャック」・プリチャード:28年間、軍、国務省、NSCでの任務を歴任した退役陸軍大佐。国務省の北朝鮮問題上級専門員、北朝鮮との協議で特使を務めた。(ロサンゼルス・タイムスによれば)辞任の理由は、「ブッシュ政権が、北朝鮮との直接関与を拒否したことで、北朝鮮政府の核兵器の開発・実験・配備を阻止することがほとんど不可能となった」から。2003年8月、辞任。

ジョン・カー少佐(当時大尉)/ロバート・プレストン大尉:空軍検事。ブッシュ大統領が2001年に設立した軍法委員会制度への参加を拒否し、2004年に辞任。2人によればこの制度は「キューバのグアンタナモで拘束されているテロ容疑者に対し不正に用意されたもの」。2004年、要請どおり転任。

キャリー・ウォルフ大尉:空軍将校。グアンタナモにおける囚人を裁くために作られた委員会に対する懸念から、軍法員会を辞めたいと申し入れた。2004年、要請どおり転任。

ダグラス・マクレガー少佐:陸軍辞任にあたり「私は陸軍が好きだし、辞めたくない。しかし、現在または将来の戦略的環境をつくるにあたっての、軍の根本的な改革や再編は不可能だと思う。こびへつらいの文化なのだ。内部最大の問題は…国防総省のトップレベルでも、将校の間でも、議論がないことだ。議論は反対の兆候だ(と見られる)。異議は不忠と同一視される。」2004年6月、退役。

ポール・レドモンド:CIAに長く務めた後、国土安全保障省で情報分析担当の次官となった。Accuracy in Mediaのノトラ・トゥルーロック氏によれば、レドモンド氏は、2003年6月の議会公聴会でこう報告している。「(レドモンド氏には)任務をこなすに必要な分析情報が入ってこなかった…担当部署には、諜報部から機密報告を確実に受けとれるような、やり取り能力がいまだなかった。彼のこの種の率直さを上司たちはよく思わず、結果、レドモンド氏は出て行かざるをえなかったのである。」2003年6月、辞任。

ジョン・W・カーリン:ワシントン・ポストによれば、米国公文書保管人のカーリン氏は「ホワイトハウスから、理由も説明されず、辞表を提出するよう圧力をかけられた。民主党上院議員は、公聴会でブッシュ大統領が指名した後任者を検討することを明らかにした。」カーリン氏は、「(辞表提出要求の)理由を聞いたが、何の説明もなかった」と述べている。しかし、ポスト紙は、何人かが「ブッシュは、自分または自分の父親の機密に関わる記録文書を表ざたにしないでおける別の保管人が欲しかったのかもしれないと示唆している」と報道。カーリン氏は、65歳の誕生日にもあたる、2005年までの10年任期を全うしたいと申し入れたが、ブッシュ政権の圧力に屈してしまった。2003年12月19日、辞任。


最新の画像もっと見る