CAFE PACIS

ユルゲンが「カフェで政治が行なわれているんだ」って言う。じゃあ、カフェで平和やるか。

「シリアに核を使え」

2005-03-03 16:18:16 | ニュース@海外
 2月19日、米国下院議員サム・ジョンソン(共和党)が問題発言。「シリアは問題です。私の考えでは、大量破壊兵器があるのはシリア。ご存知の通り、私はF-15爆撃機を操縦できますから、2発ほど核を積んで一発落としてきますよ。そうすれば、もうシリアのことなんか心配しなくてもいいでしょう」。

 この発言は、ジョンソンの地元であるテキサス州はアレンのサンクリーク統一メソジスト教会で開かれた復員兵士祝賀会でなされたもの。ジョンソンによると、彼はこの時論をホワイトハウスのバルコニーで、ブッシュ大統領に語った、といいます。

 で、集まっていた復員兵士たちは(またまた)、彼の発言に拍手喝采で応えたということです。

 ジョンソン発言について、The Carpetbagger Reportは、次のような質問を出しています。みなさんの答えは?

 「あまりにも狂っていてどこからコメントしていいか分からないが、これのどこが一番ひどいか。1.現役の議員が、核兵器を落としたいという願望を吹聴していること。2.ジョンソンがこの考えを大統領に伝えたこと。3.ジョンソンが不拡散問題に取り組むベストな方法と考えているものが、正当な理由のない核攻撃である、ということ。4.この発言が、教会でおこなわれた、ということ。5.聴衆が「拍手喝采した」ということ。」

 加えて、シリアに大量破壊兵器がある、とはブッシュでさえまだ言っていないと思いますけど・・・・。

 さて、ジョンソン議員の経歴をみると、ゆがんだ発言の背景がある程度見えてくる感じ。

・ ベトナム戦争中、戦闘機からべトナム人を多数殺害。1966年4月戦闘機が打ち落とされたあと、ハノイで7年間戦争捕虜生活を送っており、その間「あらゆる種類の身体的、精神的拷問を受けた」そう。

・ 朝鮮戦争にも参加。1957年から58年という戦争絶頂期に、単独で戦闘機「サンダーバード」に乗って攻撃していた俺は英雄、と全米各地で吹聴している。

・ キューバ核ミサイル危機のときには、ソ連に屈しないよう主張。当時、ケネディ大統領と共に、実際にソ連のフルシチョフと交渉していた国防長官ロバート・マクナマラは、回想で、あの時核戦争にならなかったのは、アメリカ、ソ連のどちらの「理性がはたらいたからでもなく、まったくの運であった」と言っている。(ドキュメンタリー・フィルム"The Fogs of War")。

・ スミソニアン協会全国評議員メンバーで、同博物館航空宇宙博物館の審議会メンバー。1995年同博物館でのエノラ・ゲイの展示をめぐり、館長におどしをかけたことで有名になった。当初館長たちは、原爆投下は「必要なかった」「野蛮な行為」と主張した当時の主要政府・軍メンバー(ウィリアム・リーヒー提督、ドワイト・アイゼンハワー将軍などなど)の発言もあわせて展示する予定であったが、これを知った右翼政治家、復員兵士の団体(本性は軍需産業)が脅迫を開始。極めつけの言葉が「館長の首、盆に乗せてもってこい、おら~」であった(発言者は、マイケル・ムーア監督の「ボーリング・フォー・コロンバイン」にも出演したチャールトン・ヘストン)。当時、下院議長に選ばれたばかりであったニュート・ギングリッチは「ある政治的修正行為が、スミソニアンの展示に浸透していて、展示をゆがめ、偏ったものにしている」、スミソニアン協会を「左翼思想のおもちゃ」にはさせん、と発言。ギングリッチと大変近い関係にあった、今回問題のジョンソン議員は、「スミソニアンに愛国主義を取り戻させる」と発言している。("Hiroshima's Shadow", The Pamphleteer's Press, 1998)

ということで、原爆投下について当時自分たちの共和党の先輩がいったことも知らないし、知りたくない反知性主義や「愛国」魂が、恐ろしいことにも、本気でこういう発言をさせているのでしょうが、裏では(申告してありますが)しっかり軍需産業にお金をもらっています。Opensecrets.orgによると、2004年選挙の際、ジョンソン議員が軍需産業からもらった献金は$31,000。核兵器作ってるロッキード・マーチン、レイセオン、ノースロップ・グラマンからもしっかりもらってます。

 あい

アフガニスタンはどうだ:国連報告「大混乱に舞い戻るか」

2005-03-01 22:58:51 | ニュース@海外
 「このたび発表された国連の報告は、アフガニスタンがふたたび大混乱に舞い戻りかねないと警告。理由は、この国がいまだ究極の貧困にあえいでいるからである。国連は、現在、アフガニスタンを世界で6番目の貧困国と指定。経済を支えているのが不法麻薬貿易であるこの国は、いまや世界最大のアヘン提供国となっている。教育分野では、国連はアフガニスタンの教育制度を世界最悪と認定。成人の識字率は29%。平均寿命は実に44歳で近隣諸国を少なくとも20年下回る。国連報告は、「歯に衣着せずにいうなら、この脆弱国はあっけなく無秩序に舞い戻りうる。」「基本的な人的ニーズと人々の紛れもない苦悩――職・医療・教育・収入・尊厳・参加の機会がないこと――は克服されなければならず、国際援助は厳格に管理されなくてはならない。」同報告はまた、アメリカ合衆国の軍事作戦が、「不安、脅迫、恐怖、無法」地帯の形成に一役買っている、と結論している。」National Human Development Report, Security with a Human Face

 以上、2月22日Democracy Now!が報道した、国連報告の概要である。タリバンを掃討し、「選挙」をし、カルザイ「民主」政権で落ち着きを取り戻す計画だったことを考えれば、完全に計算ミスだが、アフガニスタンのかつての文明を考えると、この数値はなお聞くに堪えない。

 まずアヘン経済。アヘンの原料のケシ栽培地区のひとつであるカンダハルは、かつて豊かな果樹園と、それを支える発達した灌漑システムで名をはせていた。この乾いた地域のオアシスであったカンダハルには、ぶどう、メロン、桑の実、イチジク、桃、石榴などが実り、インドやイランにも運ばれたという。それを破壊したのは、79年から軍事侵攻をしたソ連。この扁平な地形でムジャヒディン(ゲリラ)の格好の隠れ処となったのがこの灌漑と果樹園であり、ソ連はゲリラ撲滅のため、果樹をなぎ倒し、灌漑をことごとく破壊。10年に及ぶソ連・アフガンゲリラの戦いが、この地を世界最悪の地雷原へと変えた。ソ連撤退後の1990年、難民がこの地に戻ったときやむなくはじめたのが、のちタリバンの主要な財源となるケシ栽培のであった。

 ちなみに、国境なき医師団で活動している山本敏晴医師によれば、アフガニスタンの母親のおおくが、子どもにアヘンを与えるようになってしまったという。ただ泣き止ませるだけの理由で。同医師は、任務に就いた当初、不可解なほど泣き止まない乳幼児の多さに驚いたそうだが、なぜか「泣いたらアヘン」という悪習が母親の間で定着しており、アフガニスタンでは赤ん坊のときから薬中の世代が生まれている。
 
 次にイラン国境に近いへラット。アフガニスタンの歴史と文明のゆりかごであった場所である。人が住み着いたのは5000年前といわれる山で囲まれたこの谷間の地域は、中央アジアでもっとも豊かな土壌をもつ土地と考えられていた。歴史の父・ギリシャのヘロドトスは、この地を中央アジアの穀倉地帯と記し、ムガール帝国のバーブル皇帝は「世界で人が住む土地でヘラットほどの(すばらしい)ところはない」と書き、植民者のイギリス人は、その美しさを故郷の姿になぞらえたという。15世紀に繁栄の絶頂を迎えたときには、ペルシャ(現イランのあたり)、インド、中央アジア各地から建築家が住み着き、数々の優美な建築物が造られた。天文学者が活躍し、石を投げれば詩人にあたるというほど一般市民も文学に親しむ気風があったという。1937年、この地を訪れたイギリスの詩人バイロンは、目の覚めるようなペルシャンブルーで飾られたへラットの建築物をして、「建築物の色彩という形で、人間の手が神と神自身の栄光を表現したもっとも美しい例」と書き残している。

 1979年、ソ連はこのヘラットも爆撃で破壊。いまやカンダハルとならぶ地雷原と成り果てている。経過は省くが、90年代になって、このイランに近く使用言語がペルシャ語で、文明の誇り高き民族が住むこの地域を主にパシュトゥンからなるタリバンが支配。理由も省くが、ペルシャ語をしゃべらないタリバン勢力は、へラットを「占領地区」として支配し、数百のへラット人を拘束し、すべての学校を閉鎖し、勝手に偏狭に解釈したイスラム法を強制。その多くが、パキスタンの難民キャンプ育ちで、アフガニスタンの歴史も文化も社会的慣習も知らず、教育といえば自称教師「ムッラー」による「イスラム法」だけで育った「無教養」の「野蛮人」であるパシュトゥン・タリバンに支配されることは、誇り高きヘラット人には耐え難い屈辱であったという。

 前述した国連報告は、アメリカの戦争もあって、アフガニスタンは恐怖で支配されるに地域に身を落としていると指摘しているが、文明に対する無知とそれを破壊することの野蛮さにおいては、アメリカとロシアもタリバンもいい勝負である。タリバンについては、地方軍閥による無法を鎮めた、などといった「評価」も一部あるが、それはほんの一時、一面的なことだ。

ちなみに、2003年に始まったイラク戦争では、米軍がバビロンなどの遺跡を破壊し、兵士たちが砕け散った歴史的工芸品をおもしろがって持ち帰ったそうであるが、自分たちの生活・社会を成立させている、数学、天文学、法律(?!)などがこの地ではぐくまれたことを兵士たち知っていたなら、そんなことはできなかったのではなかろうか。

 外国による戦争にせよ、内戦にせよ、無知・無教養がなしうる破壊。ガスのパイプラインを通すのもいいけど、やっぱり教育制度を確立する努力をしないと、混乱はおさまらないでしょう。

 あい

文献:
山本敏晴『アフガニスタンに住む彼女からあなたへ――望まれる国際協力の形』(白水社)
Ahmed Rashid ”Taliban: Militant Islam, Oil and Fundamentalism in Central Asia ” (Yale University Press. 邦訳アハメド・ラシッド『タリバン――イスラム原理主義の戦士たち』(講談社)