5日目の、面会時間より少し前。
「さあ、移動よ」と看護婦さんが車椅子を持ってきました。
そう、待ちに待った一般病棟へ移れることになったのです。
この、体中にコードの付いたモニタリング状態にはうんざりしていましたから、はやく移りたいとそればっかり考えていました。
車椅子を押してもらいながら、
「一般病棟にはどれくらいいるのかなあ?」
と聞いてみると、
「大体、1日や2日で退院していくわね」
とのこと。
やったあ、と思いました。
移った先は、立派な個室でした。
独立したバス・トイレ付き。一人がけのソファとオットマンのセット、それに二人がけのソファ。食事用のテーブルにデスク&いす、テレビ、エアコン完備。
部屋にはすでに、夫が待っていました。
面会時間が朝7時半から夜9時までになったので、夫は午後の早い時間に来て、夜まで過ごして帰るようになり、集中治療室のときの退屈はもう味わわずにすみました。
それに、私物の持ち込みもOKになったので、本やノートも持ってきてもらいました。
しかし!
この後、わたしは結局7日間もここから出られなかったのです。
GPTの値が下がらないことが、その理由。
毎日、「あと1日か2日で退院です」と言われながら、延ばし延ばしになるのは耐え難いことでした。
窓の外には、食堂が見えます。
食事は2回、それに軽食3回の計5回。
でも、下の食堂から調理油の匂いが漂ってくるともうげんなりしてしまって、わたしは日に日に食べられなくなっていきました。
配膳係の人がいつも、トレイを下げに来るときに中を覗いては
「全然食べてない・・・」
と言うのが辛かったです。
ご飯は油を使ったものではなく、水で炊いた白ごはんにしてもらっていたので、塩を少しかけて何とか水で流し込んでいました。
ほとんど食べられないので、途中から「日本食」に切り替えられましたのですが、これもちょっと癖があって、やっぱり食べられませんでした。
たとえば、豆腐の塊を醤油だけで真っ黒に煮たものとか、苦い葉っぱをものすごく塩っ辛く醤油で炒めたものとか。
夫が日本人街でふりかけを買ってきてくれたので、ご飯とフルーツ、あと出汁を使っていないのであんまりおいしくはないけれど味噌汁だけは食べられるようになりました。
軽食はパンやスナックとお茶・コーヒーなどで、調理されていない物なので大丈夫でした。
でも、部屋と10mほどの廊下しか歩いてはいけませんし、ご飯も食べられないし、自分がどんどん弱ってきているのが分かります。
「あとは日本で病院に入りますので、退院させてください」
と、何度かけあったかわかりません。
その度に、担当医師は
「こんなにGPTが高い状態で、退院させることはできない。
飛行機で帰るなんてもってのほかだ!」
と絶対に首を縦には振りませんでした。
しかし、保険会社が手配しておいた飛行機を翌日に控えた9日。
退院して明日の飛行機で帰れるのかどうか全くわからないため、夕方頃から担当医師を呼んでもらえるようにお願いしていたのですが全然現れず、別の人に頼んでみると
「あ、じゃあ見つけたら言っておくね」
といった感じで、埒があきません。
夜8時を過ぎ、
「明日の飛行機は、やはり無理なのか・・・」
と諦め半分で、最後にもう一度だけ医師を呼んでもらえるよう頼みますが、30~40分ほどしても現れず、看護師さんには
「あら?さっきこっちの方を歩いてたけど、話してないの?」
と逆に聞かれる始末。
夫もそろそろホテルに戻らねばならない時間。もうタイムアップと諦めて帰ろうとした矢先、担当の医師がやって来て突然言いました。
「今日、このまま退院して良いよ」
その日の朝の血液検査で、GPTが予想に反して十分下がっていなかったので悩んでいたそうですが、予定通り帰国して日本で血液の再検査をするように、とのこと。
こちらで行ったすべての資料、レントゲン、モニタリングデータ、エコー、カテーテルの録画テープなど、一式を渡してくれました。
病院前で帰りのタクシーに乗り込むと、毎日2度ずつ往復していた夫はすっかり運転手さんと顔なじみになっていて、
「おー、退院できたのか!よかったねえ」
と笑ってくれたのが、本当にうれしかったです。
翌日の飛行機は、医師の指示書があったためアップグレードされてビジネスクラス。
とっても快適でした。
JALだったのですが、日本食を選んで頼むとどれもおいしく、すべてペロリと平らげたのには夫が驚いていました。
「あんなに食欲なかったのに・・・」
これで、長い長い入院のお話はおしまい。
帰ってこられて本当に良かった。
サンタクルーズ病院の医療スタッフの皆さんには、本当に感謝しています。
この前の血液検査の報告がてら、お礼の絵葉書でも送ろうと思っています。
結構、良い経験になったかも!
「さあ、移動よ」と看護婦さんが車椅子を持ってきました。
そう、待ちに待った一般病棟へ移れることになったのです。
この、体中にコードの付いたモニタリング状態にはうんざりしていましたから、はやく移りたいとそればっかり考えていました。
車椅子を押してもらいながら、
「一般病棟にはどれくらいいるのかなあ?」
と聞いてみると、
「大体、1日や2日で退院していくわね」
とのこと。
やったあ、と思いました。
移った先は、立派な個室でした。
独立したバス・トイレ付き。一人がけのソファとオットマンのセット、それに二人がけのソファ。食事用のテーブルにデスク&いす、テレビ、エアコン完備。
部屋にはすでに、夫が待っていました。
面会時間が朝7時半から夜9時までになったので、夫は午後の早い時間に来て、夜まで過ごして帰るようになり、集中治療室のときの退屈はもう味わわずにすみました。
それに、私物の持ち込みもOKになったので、本やノートも持ってきてもらいました。
しかし!
この後、わたしは結局7日間もここから出られなかったのです。
GPTの値が下がらないことが、その理由。
毎日、「あと1日か2日で退院です」と言われながら、延ばし延ばしになるのは耐え難いことでした。
窓の外には、食堂が見えます。
食事は2回、それに軽食3回の計5回。
でも、下の食堂から調理油の匂いが漂ってくるともうげんなりしてしまって、わたしは日に日に食べられなくなっていきました。
配膳係の人がいつも、トレイを下げに来るときに中を覗いては
「全然食べてない・・・」
と言うのが辛かったです。
ご飯は油を使ったものではなく、水で炊いた白ごはんにしてもらっていたので、塩を少しかけて何とか水で流し込んでいました。
ほとんど食べられないので、途中から「日本食」に切り替えられましたのですが、これもちょっと癖があって、やっぱり食べられませんでした。
たとえば、豆腐の塊を醤油だけで真っ黒に煮たものとか、苦い葉っぱをものすごく塩っ辛く醤油で炒めたものとか。
夫が日本人街でふりかけを買ってきてくれたので、ご飯とフルーツ、あと出汁を使っていないのであんまりおいしくはないけれど味噌汁だけは食べられるようになりました。
軽食はパンやスナックとお茶・コーヒーなどで、調理されていない物なので大丈夫でした。
でも、部屋と10mほどの廊下しか歩いてはいけませんし、ご飯も食べられないし、自分がどんどん弱ってきているのが分かります。
「あとは日本で病院に入りますので、退院させてください」
と、何度かけあったかわかりません。
その度に、担当医師は
「こんなにGPTが高い状態で、退院させることはできない。
飛行機で帰るなんてもってのほかだ!」
と絶対に首を縦には振りませんでした。
しかし、保険会社が手配しておいた飛行機を翌日に控えた9日。
退院して明日の飛行機で帰れるのかどうか全くわからないため、夕方頃から担当医師を呼んでもらえるようにお願いしていたのですが全然現れず、別の人に頼んでみると
「あ、じゃあ見つけたら言っておくね」
といった感じで、埒があきません。
夜8時を過ぎ、
「明日の飛行機は、やはり無理なのか・・・」
と諦め半分で、最後にもう一度だけ医師を呼んでもらえるよう頼みますが、30~40分ほどしても現れず、看護師さんには
「あら?さっきこっちの方を歩いてたけど、話してないの?」
と逆に聞かれる始末。
夫もそろそろホテルに戻らねばならない時間。もうタイムアップと諦めて帰ろうとした矢先、担当の医師がやって来て突然言いました。
「今日、このまま退院して良いよ」
その日の朝の血液検査で、GPTが予想に反して十分下がっていなかったので悩んでいたそうですが、予定通り帰国して日本で血液の再検査をするように、とのこと。
こちらで行ったすべての資料、レントゲン、モニタリングデータ、エコー、カテーテルの録画テープなど、一式を渡してくれました。
病院前で帰りのタクシーに乗り込むと、毎日2度ずつ往復していた夫はすっかり運転手さんと顔なじみになっていて、
「おー、退院できたのか!よかったねえ」
と笑ってくれたのが、本当にうれしかったです。
翌日の飛行機は、医師の指示書があったためアップグレードされてビジネスクラス。
とっても快適でした。
JALだったのですが、日本食を選んで頼むとどれもおいしく、すべてペロリと平らげたのには夫が驚いていました。
「あんなに食欲なかったのに・・・」
これで、長い長い入院のお話はおしまい。
帰ってこられて本当に良かった。
サンタクルーズ病院の医療スタッフの皆さんには、本当に感謝しています。
この前の血液検査の報告がてら、お礼の絵葉書でも送ろうと思っています。
結構、良い経験になったかも!
でも、しようと思ってできる経験ではないことは確か。サンパウロの思い出は、サンタクルーズ病院だけですから。
ブラジルでの入院をゆっきーから聞き、びっくりしましたが、無事日本に帰ってきているとの事で、良かったです。
ほんと、ご苦労様でした。
外国旅行での入院って、想像するのもやなぐらい、大変そう。でも、じゅんたさんの日記を見てると、いろいろと経験してるのに、凄い落ち着いてるなぁ・・・と思いました。
たくましい。
ともあれ、無事、帰国できてよかったっす。
では。
元気~?!
まさかブラジルで入院するとは自分でも思ってなかったけどねえ。
そいえば、あつしくんが写真色々欲しいといっていたと、ゆっきーから聞きました。
もし希望などあれば、一度メールくださいませ。
前とメールアドレス変ってるので、caballito@mail.goo.ne.jp宛てに一度送ってくれたらこっちから返事出します。
ではでは。