先日「マイボトル」の話を書いたら、のれんさんから
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ところで、この人のペットボトルその他の話ってどう思う?
http://takedanet.com/
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とコメントを頂きました。
が、結構色々と考えるところがあって長くなりすぎるので、今日はコメント代わりに書こうと思います。エコロジーに関する記事、久しぶりですねえ!
もはや、何のBLOGかわからない状態になってますが、元々はエコロジー&スローライフBLOGだった記憶が残ってます
そして今や、遠くに住む家族への途切れがちな近況報告BLOGと化してます。反省。
さて、紹介されたリンク先は、「リサイクルしてはいけない」「環境問題はなぜウソがまかり通るのか」などの著者である、中部大学 武田邦彦教授のサイトです。
ちなみに、わたしはこの方の著書は読んでいません。サイトの記事だけです。
ペットボトルに関する記事は、(1)~(8)までありますので、ご興味のある方は読んでみてくださいね。
※「
特設スタジオ」に目次の一覧があります。いっぱいあって大変だなーと思いますが、実は
ゆっくり考える・・・ペットボトルのリサイクル(4)が1~3のまとめになってますので、ここ読めばほぼ大丈夫!
簡単に結論から書くと、わたしはこのサイトの記事を読んでみて、大枠では非常に頷ける部分があります。
もはや、ペットボトル云々の論点にすら関係ない本当の大枠で申し訳ないんですが(苦)、非常に賛成できると思ったのが「環境に良いという思い込みでなく、実際に環境改善もしくはこれ以上の悪化を防ぐという目的に適っているかという点を検討すべき」という点です。
わたしが環境サイトの仕事をするようになった10年ほど前は、環境問題というのは一部のストイックな人たちが熱心に取り組んでいるものというような印象で捉えられていた感があります。(まあ、こういうと御幣がありますが・・・)
そして時は移り、一時期「
環境goo」に関わるメンバーで「エコというと、経済のエコと間違えられないかな?」なんて真剣に議論したことがウソのように
、「エコ」という言葉が広く浸透してきました。今では、当時と比べると驚くほど多くの方々が環境問題に関心を持ち、様々なことを実践しています。素晴らしいことです。
でもその一方で、「エコ」「環境に良い」という言葉だけが一人歩きするのは怖いことだなと不安も感じています。
「エコ」というお墨付きがついたものを無条件に良いことだと信じるのではなく、その背景に関心や想像をめぐらせることが大切だと思うからです。
もともと、環境問題は人々の生活様式や考え方・感じ方によって大きく意見が分かれる問題だと思います。また、複雑に絡み合った要因があり、何をベストな解と考えるかも、見解が分かれて当然です。
「これはエコ(=良いこと)」「これはエコじゃない(=悪いこと)」と単純に物事を分けてしまうと、選択肢はそれを取るか取らないかの2択しかありません。それがなぜ環境に良いと言われているか、判断することもできません。
でも、背景を知ることによって「二酸化炭素を減らすために、自分にはあれはできないけど、これはできる」というように選択の幅が広がると思うのです。
よく、健康マニアの人を称して「健康のためなら死んでも良い」などといいますが、エコの旗印の下で環境負荷を高める結果を出しては、せっかく良いことと信じて行っても虚しいですよね。
ペットボトルに話を戻し、武田氏の主張を大雑把に要約すると以下のようになります。
「ペットボトルのリサイクルには、新品を製造するよりも多くの資源・エネルギーが使われる。だから、環境のことを考えるのであればペットボトルはリサイクルせず、焼却すべきである。」
ペットボトルの原料は石油ですから、ここには鉄やアルミなどと違ってある資源を別の資源で置き換えるというような発想はありません。リサイクルによってどれだけの資源やエネルギーが節約できるのかを比較することには納得がいきます。
特に、ペットボトルのように一旦原料の状態に戻してから再度加工する必要がある物質に関しては、そのために多くの資源やエネルギーを要するので、リサイクル効率をよく検討した上でリサイクルか否かの結論が出されるべきです。
また、リサイクルを成り立たせる条件として、一定量以上のリサイクル対象物が必要になります。「リサイクル=エコ」と捉えられがちですが、この背景には大量に消費されるペットボトルが存在しているのです。
武田氏はこの点について以下のように述べており、ペットボトル自体の消費量を抑える努力をした上で、残ったものについての焼却処分を主張していると思われます。
もし、ペットボトルを油とかお醤油のように本当に便利でそれほど毎日、使い捨てしなくても良いものだけにしていたら、今頃、ペットボトルのリサイクル騒動も無かったでしょう。
「過ぎたるは及ばざるが如し」の典型的な例です。お茶や水までペットボトルで飲もうとするからリサイクルということになったのです。
お茶や水のペットボトルを時々買ってしまう自分への反省も込めて、「使って捨てるけど、リサイクルしたからエコ」という考え方は捨てて、リサイクルしなくて済むように生活していくべきだなと思います。
その文脈では、「リサイクルしてはいけない」という主張はわたしにとって非常に納得がいくものです。
しかし、そもそもペットボトルは本当に「リサイクルすると資源・エネルギーが節約できない」のでしょうか?
ペットボトルを分別回収すれば、そのままの形で回収できるのですから高い純度で同じ物質を集められるのに、それは本当に資源ではなくて焼却すべきゴミなのでしょうか?
武田氏がその根拠としている数字を見てみると、納得できない部分があるのです。
現在のペットボトルのリサイクルは、新しく石油から作るのに対して理論的に3倍以上、実績で8倍程度
とは武田氏の計算ですが、これは「回収したペットボトルからペットボトルを作る場合」の計算なのです。
実際には、回収されたペットボトルのほとんどが繊維や包装に使うシートなどになっています。それらを新しく石油から作る場合とリサイクルする場合は比較されていません。
(財)日本容器包装リサイクル協会 のデータを見ると、再商品化されたペットボトルは17年度実績で44.8%が繊維、41.1%がシートに加工されており、ボトルに成型されたのは全体の8.5%となっています。つまり、ペットボトル・リサイクルの実態にそぐわない計算に基づいて、リサイクル全体をやめるべきだと言っている訳です。
武田氏は工学の専門家であり、ペットボトルのリサイクル工程は熟知されています。わたしはそこに疑いを挟む余地もありませんが、ボトル→ボトルのリサイクルに3倍~8倍の資源が必要であるとしたら、結論は「リサイクルしてはいけない」ではなく、「ボトル→ボトルのリサイクルはしてはいけない」となるべきです。
また、武田氏はこれらの環境負荷の計算をすべて「コスト」によって算出しています。これは、「(数値の信憑性に欠ける)
LCAなどやらなくても経費と原単位を示してもらえば、社会はそれを評価することができる」との考えに基づいています。
「コストが安ければ環境負荷も低い」
これってどこかおかしいな?というのは、例を変え、中国産の木材と国内の間伐材の価格差を考えればすぐわかるでしょう。コストによる計算では、経済格差や人件費といった環境とは別の要素が反映されてしまいます。また、安い資源を算出するために環境への負荷を犠牲にしていたり、逆に環境補修や負荷軽減のためにコストをかけている場合、逆の評価を出してしまう可能性があります。
「エコ」というお墨付きが無条件に受け入れられるのが恐ろしいのと同様、誰かによってお墨付きを剥がされたものが一人歩きするのも問題です。どちらを信じるにしても、背景を置き去りにしたままでは大量消費そのものを抑制する選択肢は生まれてこないからです。
環境問題は専門的な知識がないと難しい部分が沢山あります。理数系にはめっぽう弱いわたしにとって、専門知識となるともうお手上げです。でも、分らないなら分らないなりに知ろうとすれば、何か自分の理解できる範囲があるように思います。
コメントを返そうと思ってここまで書くのに、書いたり削ったりして3日もかかってしまいました。
そして気付いたんですが、どちらかというと今回わたしが引っかかっているのは環境問題そのものよりも、例えば何かの食品を食べ続けると痩せると言われればその商品がスーパーから姿を消すほど売れ、その報道がウソだと分ればバッシングを受けるような、そんな現象に対する怖さかもしれません。
環境問題に限らず、物事の太鼓判だけ見て思考停止に陥らないようにしなければ、と強く思います。