ユニバーサルフロンティア理論は世界を救う

GUTこと大統一理論を上回る現代最高の物理理論を公開したいと思う!こう、ご期待・・。

意識と無意識に関する定義じみた言語認識とフロイト学派の欠陥

2011年10月13日 | Weblog
フロイト学派においては意識に対する対立物として無意識という言葉を当てはめているが、

意識(conscious)という言語によって表象される内容に関する理解については、むしろ畑違いのコペンハーゲン学派の方が正しかったのだというのが、ま、手前味噌ながらユニバーサルフロンティア協会の見解なのであ~る。フロイトかユングか、などという世間的な議論は、ボーアかパウリか、という同じく世間的な言い合いと同じであるし、それをアインシュタインとボーアの幾分なりとも大袈裟な歴史的口論にまで広げたところで収まらないのだ。

事の真相は「パウリはユングの患者だった」というアッと驚く為五郎的なストーリとして存在する・・。

そりゃ、パウリはノーベル物理学賞受賞者の一人でもあるから、プライドが有るをどうのこうのの言うような相手では無かろうし、ユングとしてもさぞかし困ったことだろうが、結局のところ「パラノイア病をどのくらいに重大な欠陥と考えるか」「統合失調症を本人の悩みの解決だけでよしとするかどうか」などの諸問題に帰着されるだろう。

私の意見では、それらはロボトミー手術をどのぐらい推進するかという社会的な課題に行き当たるし、

もちろん診断と判定をどこの誰がどのような者が決めた基準でどう行うか、という人間的かつ哲学的に本質的な問題をどこかで解決と決定とを図らなければ仕方がナイ!

さらに、社会性と個別性の話などではだけでは足らない医学的な諸問題は“患者の命の問題”にまで言及して行かざるを得ない・・。

すなわち初期における脳腫瘍手術においては「手術は成功しましたが、患者はお亡くなりになりました」という“挨拶(あいさつ)”はむしろ日常茶飯であった。なんとなれば当時の脳手術の成功率は30%にも満たず、その実験的な領域における“軽微な失敗”(手先のブレだとか)を「手術を失敗しました」と公言するわけにもいかず、近代においてエイリアンハンド病などが本質的には脳腫瘍が原因だということが分かったりしても、安易に切除してイイかどうかは予想がつかないせいでもある。おまけに年代物のエイリアンハンド腫瘍というモノが存在したとすれば、すでに本人の意識や意志とすら分かち難く結合する状況に有って、無理をして切除すれば命にまで関わる可能性は大きい!

事は「本人の意思がどうあるか」の問題なんかじゃナシに、純粋に医学的な課題なのだろうと思う・・。

ヒトラーは意志の勝利を信じて失敗したが、それもまたむべなるかなであって、意識と意思とは異なる精神機能なのだ!

意識とは外界を正しく認識する為の、いわば概ねにおいて受け手である精神機能であって、それが無意識の対立物であるという学問が存在するということは「鉄の意志など虚構である」という結論が得られるだろう。また数学の世界において「パターン認識をする為の、もっともイイ方法は、自分の目で見て自分の頭で考えること」「微分方程式を解く為の、唯一無二の正しい方法とは、問題を睨みつけて脳裏に解答が浮かび出てくるのを待つこと」などと古(いにしえ)より言い習わされていたということはけっして冗談などではなく、意志の力などより意識の方が上位だということの有力な証左だったのある。

解き方を覚えている解答は“意志の力”によるだろうが数学にとってどちらが上は論じるまでもナイ・・。

問題を睨んでから脳裏に解答が浮かぶまでの間に意識を失ったりしないし、むしろ解き方を覚えている解き方では数学を正確に意識することはできないし、すなわち「意志の力こそが無意識の所産だというようなパラドクスを発見した」と主張することが(私には)許されるだろう。数学において「無意識に問題が解ける」という命題文の正しい意味は、その間に自覚しては何も考えておらないのに、大脳が勝手に作動して、気がつけば解答を書ける状態に変化したりすることである。解き方を覚えている数学は、その現象を経ていない、亜流の、言わば“偽物の解き方”であって、意志の力こそ薄れてしまった『自動書記(オートマティズム)』ではないか、と、疑われるからだ。

言うなれば、条件反射の“パブロフの犬”なのだが、もちろん訓練を旨とする世界では「条件反射的に体が動く」というのは事が成就した条件でもあるのであり、高(たか)が受験勉強のごとき世界で学問上の本質を己(おのれ)に求める行き方というのは「少しばかり自負心が強過ぎる」ということは言えるのだが、やはり比べたら失うモノが多くて、彼らの多くは学業を生かして生きて行ったりしておらない。同じ数学でも計算屋の役割をおおせつけられての助手(昨今では助教)止まりに終わる例が多い!

で、それにしても無意識だとか夢の世界を意識したりすると目が歪むモノであるようだ・・。

よく見ると、フロイトの目は若い頃から少しばかり歪んでおり、むしろ年若い日のユングの目は正常に近い印象を受けるが、

きっと、それは(フロイト自身の言う)「無意識の世界の探検家としての自己像」を歳(とし)をとってから“モノ真似”していて夢中になり、世人が窺い知ることが出来るまでに溺れてしまっていた“哀れな老人像”としてのユング観を得ることが出来たようにすら思う。他に、作曲家ではベートーベンよりもシューベルトの片目が飛び出ており、オペラ歌手の場合にはフィッシャーディースカウを始めとしてドミンゴも、そしてまたモナコも例外でなく(その大変な労働からも説明できるだろうが)昔の写真をよく見れば、片目が飛び出たり、外側を向いてしまう人が多い。実のところ、僕だって正常な目をしている訳ではナシに、子供時分からの“夢想癖”に加えて外傷などもあって、むしろ盲目の歌い手のような姿勢でうつむいて目を閉じて歌うのが癖(くせ)だというような有り様なのだが、ま、そんなこんなで大して気にしていない、目が悪いのは不自由だが・・。

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