素朴集合論はナイーブだといわれるが、素朴という意味の単語は辞書を引くとsimplicityと出てくるし、そこではナイーブというのはフランス語だ・・。
飾り気がないとか、悪口としては単細胞だとか、美点を述べ立てる意味では誠実という意味もあるし、簡易だとか平明だとか、さまざまの色合いを以て使われる単語である。日本人数学マニアは素朴という言葉をとかく人をコケにするためであるかのように使って困りものなのだが、その理由とはnaiveという単語が固有に持っている無邪気とか世間知らずとかいう意味に重きを置くかららしい。初心という意味もある、日本語だと「初心忘れるべからず」という故事来歴が尊重させる意味があるのだが、どうやら銃社会のアメリカを中心とした勢力圏では考えられもしないらしいw)
私の意見では、問題はそんな所にあるのではなくて、素朴集合論のロジックは健全(sound)というわけじゃないから、そこから間違いを引き起こすということだったんだと思う!
例えば「16字以内で表現される最も大きな数」は17字を必要としていて己と矛盾するから定義できないとか言うもんねw)
ま、もっとも素朴集合論というのは、かような文字面に沿ったパラドクスばかりを難問?として珍重して楽しまれてきたという歴史的な脆弱さが本質だというお家の事情もある・・。
いわゆる面白味だとか言ってナンセンスさを味わいだと抜かす輩どもの集合論だからで、そう思えばどうしようもないのだとか?
そこですよ、だから誠実なる大グラショウ?の主張する『理論物理学のなんたるべきか論』に沿えばこそ、良い物理論文というのは「ある日ある時の火星人来襲とその結果によるUFO出現とを素直に真面目に論じた論文」辺りとけっして違わないのが正当だとか・・。
ま、こっちも真面目に行きましょう、すなわち物理学というのは物についての科学なのですから、文体とか手段方法といったものは誰にでも通じることを以て最良とするわけです。グラショウは師匠シュウィンガーの授業内容について「自分がたった今しがた研究している内容そのものに直結するまったくのダイナマイトだった」「彼の誰にでも分かるというのではない独自の難解な文章を誰にでも分かるように翻訳するのに自分は数年を要した」と語っている。
これはひょっとして例の電弱統一の著作権問題の話ではないだろうか?
シュウィンガーの落ち度として、多くの場合でそれは天才的だが未熟な若者のすることであり、実例として「ハイゼンベルクの不確定性原理の際に本人以外には知りようがないような文章を周りの三人がかりで多くの者が理解できるように書き直した」という歴史上の逸話が述べられるだろう。それで受け付けの事務員はシュウィンガーに「このような論文は嫌われるでしょうね」とご挨拶をあしらった。しばらくしてシュウィンガーをガッカリさせるためであるかのような情報「Wボソンのスピンは実験結果では0だった」が飛び込んできて《電弱統一問題》は彼の大学院生の卒業の餌食となってしまった!
その後で「Wボソンのスピンは本当は1でした」と誤った実験結果を正す情報が送られてきたのだ・・。
この地点におけるシュウィンガーを過剰評価する向きは「もし実験が最初から適正に報じられていたならばシュウィンガーがすべてを手中にして二個目のノーベル賞を得ただろう」(日本評論社:数学セミナーなど)とゴマすりを止めないが、グラショウは「シュウィンガーはチャーモニウム発見の際に彼独自の風変わりな電弱統一理論によるZ粒子と見誤った」と師匠の値段を大いに下げている。さて、真実はどこにあるかはハッキリしているのであり、科学の世界では封建主義は慎むべきであるだろうw)
そんなこんなでシュウィンガーはグラショウらに電弱統一プランの著作権を無償譲渡したことになった!
つづく・・・
飾り気がないとか、悪口としては単細胞だとか、美点を述べ立てる意味では誠実という意味もあるし、簡易だとか平明だとか、さまざまの色合いを以て使われる単語である。日本人数学マニアは素朴という言葉をとかく人をコケにするためであるかのように使って困りものなのだが、その理由とはnaiveという単語が固有に持っている無邪気とか世間知らずとかいう意味に重きを置くかららしい。初心という意味もある、日本語だと「初心忘れるべからず」という故事来歴が尊重させる意味があるのだが、どうやら銃社会のアメリカを中心とした勢力圏では考えられもしないらしいw)
私の意見では、問題はそんな所にあるのではなくて、素朴集合論のロジックは健全(sound)というわけじゃないから、そこから間違いを引き起こすということだったんだと思う!
例えば「16字以内で表現される最も大きな数」は17字を必要としていて己と矛盾するから定義できないとか言うもんねw)
ま、もっとも素朴集合論というのは、かような文字面に沿ったパラドクスばかりを難問?として珍重して楽しまれてきたという歴史的な脆弱さが本質だというお家の事情もある・・。
いわゆる面白味だとか言ってナンセンスさを味わいだと抜かす輩どもの集合論だからで、そう思えばどうしようもないのだとか?
そこですよ、だから誠実なる大グラショウ?の主張する『理論物理学のなんたるべきか論』に沿えばこそ、良い物理論文というのは「ある日ある時の火星人来襲とその結果によるUFO出現とを素直に真面目に論じた論文」辺りとけっして違わないのが正当だとか・・。
ま、こっちも真面目に行きましょう、すなわち物理学というのは物についての科学なのですから、文体とか手段方法といったものは誰にでも通じることを以て最良とするわけです。グラショウは師匠シュウィンガーの授業内容について「自分がたった今しがた研究している内容そのものに直結するまったくのダイナマイトだった」「彼の誰にでも分かるというのではない独自の難解な文章を誰にでも分かるように翻訳するのに自分は数年を要した」と語っている。
これはひょっとして例の電弱統一の著作権問題の話ではないだろうか?
シュウィンガーの落ち度として、多くの場合でそれは天才的だが未熟な若者のすることであり、実例として「ハイゼンベルクの不確定性原理の際に本人以外には知りようがないような文章を周りの三人がかりで多くの者が理解できるように書き直した」という歴史上の逸話が述べられるだろう。それで受け付けの事務員はシュウィンガーに「このような論文は嫌われるでしょうね」とご挨拶をあしらった。しばらくしてシュウィンガーをガッカリさせるためであるかのような情報「Wボソンのスピンは実験結果では0だった」が飛び込んできて《電弱統一問題》は彼の大学院生の卒業の餌食となってしまった!
その後で「Wボソンのスピンは本当は1でした」と誤った実験結果を正す情報が送られてきたのだ・・。
この地点におけるシュウィンガーを過剰評価する向きは「もし実験が最初から適正に報じられていたならばシュウィンガーがすべてを手中にして二個目のノーベル賞を得ただろう」(日本評論社:数学セミナーなど)とゴマすりを止めないが、グラショウは「シュウィンガーはチャーモニウム発見の際に彼独自の風変わりな電弱統一理論によるZ粒子と見誤った」と師匠の値段を大いに下げている。さて、真実はどこにあるかはハッキリしているのであり、科学の世界では封建主義は慎むべきであるだろうw)
そんなこんなでシュウィンガーはグラショウらに電弱統一プランの著作権を無償譲渡したことになった!
つづく・・・
失意のシュウィンガーは大学院生の学位論文のテーマとして彼らにばら撒いてしまったのだ・・。
著作権無償譲渡どころじゃなくて押し付けちゃったのだよw)