かねてから予告しておいたようなものだが私は実数連続体は仮説として破棄した方が良いと思う、それをやるとおそらくタルスキーの定理は成立できなくなって私はパラドクスとして解いたことになるでしょう、で、それって何だ?
つまり私はカントールの対角線論法を証明として認めるだけじゃなくて、連続体の要素過剰を指摘して全実数性を否定して超準解析の必然性を論じ、さらに選択公理を否定して他の公理で置き替えるという人類いまだかって誰もやったことにないことをやる予定でいるからだ。それは集合とべき集合とを同一視するという大胆な手口により可算性と非可算性の濃度差をこれまでの数学のパラドクスだったことにしますw)
0=φ
1={φ}={0}
2={φ{φ}}={0,1}
3={φ{φ{φ}}}={0,1,2}
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これが自然数および順序数の定義だが、この定義で行くと自然数すべてからなる集合ωを作らねばならず、それもまた順序数としての性質を持っているために{ω}は順序数としてω+1の意味を持つ、それが無制限に続いていく物が超現順序数とよばれる物である。この手口は対角線論法から連想している物であることは論を待たない。カントールによればωは当初は非可附番数(非可算)であったが、後で超現順序数(可算)の意味を与えてしまっている。
このωを自然数もまた通過する対象だと考えて超準解析を仕組んだ物が内部集合論(ネルソンらによる)であるw)
しかるに対角線論法は厳格に論証であるだけの値打ちがあった、それで私は定義を何とかする以外にないだろうと信じた、ペアノ公理を用いて定義できるならば「一つ前の数までの自然数全体」を定義とする必要などなくなるのではなかったか?
ユニバーサルフロンティア理論では「φ={φ}でφ-φ=0かつφ+φ=1」からすべてが始まると考える。すべての始まりだから数字はまだ出現しておらない、しかるにアイソスピンだからφに対して-φは存在している。原始宇宙におけるアイソスピンのためには領域が必要なのでφと{φ}とは等価である。自然数および順序数の集合による定義は「0と1の定義」だけにして後続はペアノ公理が生み出していく数字にしたら話は早いだろうと思われる。
なぜ、このように超現順序数を蔑ろにしていく方が超準解析学の基礎として雄弁に必然性を言うことになるのか不思議に思われるだろうが、私が編み出したUF解析学(あるいは微分解析学)は至ってシンプルなのであり、むしろライプニッツ演算を合理化することのみに意義を見いだすべきだという自己主張による、しかし《流し撮り法》などの完全にオリジナルな概念を駆使したユニバーサルフロンティア理論からの要請に応えるべく組み上げられた逸品である。ユニバーサルフロンティア公理ではω={ω}は唯一無二の無限Ωに等しい、のだが?
さらにラッセルの逆理を克服するためもあって任意の自然数もしくは順序数nについてn={n}であるw)
今回はここまで・・。
つまり私はカントールの対角線論法を証明として認めるだけじゃなくて、連続体の要素過剰を指摘して全実数性を否定して超準解析の必然性を論じ、さらに選択公理を否定して他の公理で置き替えるという人類いまだかって誰もやったことにないことをやる予定でいるからだ。それは集合とべき集合とを同一視するという大胆な手口により可算性と非可算性の濃度差をこれまでの数学のパラドクスだったことにしますw)
0=φ
1={φ}={0}
2={φ{φ}}={0,1}
3={φ{φ{φ}}}={0,1,2}
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これが自然数および順序数の定義だが、この定義で行くと自然数すべてからなる集合ωを作らねばならず、それもまた順序数としての性質を持っているために{ω}は順序数としてω+1の意味を持つ、それが無制限に続いていく物が超現順序数とよばれる物である。この手口は対角線論法から連想している物であることは論を待たない。カントールによればωは当初は非可附番数(非可算)であったが、後で超現順序数(可算)の意味を与えてしまっている。
このωを自然数もまた通過する対象だと考えて超準解析を仕組んだ物が内部集合論(ネルソンらによる)であるw)
しかるに対角線論法は厳格に論証であるだけの値打ちがあった、それで私は定義を何とかする以外にないだろうと信じた、ペアノ公理を用いて定義できるならば「一つ前の数までの自然数全体」を定義とする必要などなくなるのではなかったか?
ユニバーサルフロンティア理論では「φ={φ}でφ-φ=0かつφ+φ=1」からすべてが始まると考える。すべての始まりだから数字はまだ出現しておらない、しかるにアイソスピンだからφに対して-φは存在している。原始宇宙におけるアイソスピンのためには領域が必要なのでφと{φ}とは等価である。自然数および順序数の集合による定義は「0と1の定義」だけにして後続はペアノ公理が生み出していく数字にしたら話は早いだろうと思われる。
なぜ、このように超現順序数を蔑ろにしていく方が超準解析学の基礎として雄弁に必然性を言うことになるのか不思議に思われるだろうが、私が編み出したUF解析学(あるいは微分解析学)は至ってシンプルなのであり、むしろライプニッツ演算を合理化することのみに意義を見いだすべきだという自己主張による、しかし《流し撮り法》などの完全にオリジナルな概念を駆使したユニバーサルフロンティア理論からの要請に応えるべく組み上げられた逸品である。ユニバーサルフロンティア公理ではω={ω}は唯一無二の無限Ωに等しい、のだが?
さらにラッセルの逆理を克服するためもあって任意の自然数もしくは順序数nについてn={n}であるw)
今回はここまで・・。