昨日の朝はひときわ寒く感じました。
午前3時にニャンが来て外に出して5時半に窓を開けたらポーチにいたので入れました。
寒い時間帯に2時間ポーチで待っていたのかな?
朝出すとあわてて北東の隙間に走っていきます。
おそらくそのあたりでトイレを済ませているのかも知れません。
でも昼間来る時は南東側の駐車場から走ってきます。
100メートルほど南のほうでも見かけましたし、駐車場のクルミの木に登るところも見たのでそのあたりも縄張りだと思います。
子供のころ学校で検便があったな、寄生虫がいると薬を飲まされたり。
女の子は頭にDDT振り掛けて手ぬぐいかぶっていたな、などと思い出したらそう言えば占領下の日本の時代があったけど、どのくらいなんだろうと興味を持ちました。
考えてみると大正から昭和にかけて学校で習っていないなと気が付きました。
たぶん歴史の授業でも昔から始めるから明治維新あたりで終わっていたような。
大正、昭和史あたり大事じゃないのかな。
昭和27年の4月まで占領下だったようなので団塊世代から3年くらい後までは占領下の日本生まれと言うわけですね。
物でも Made in Occupied Japan と言うのがあったから。
近くて遠い昭和史ですね。
「 介護ストレスが解かるだけに 」
近隣に長男(独身)がお母さんを一人で看ている家があります。
お母さんは足が丈夫で毎日よく付き添って散歩しています。
長男はずいぶん前から仕事を辞めて介護に専念しています。
昨日、母の部屋からニャンをかまっていて、偶然声が聞こえました。
詳しい状況は解かりませんけど玄関のところで何か言っていて、お母さんの顔ををたたいたのです。
怒鳴ったりは良く解かりますが私は手を出したことはありません。
以前彼に介護保険を利用しては? と言ったことがありますけど、他人が入ることに抵抗があるようで未だに利用していないようです。
一人で見るのは限界だよ と思って心がすごく暗くなりました。
お母さんは人との付き合いは苦手なようなのですけど、家でのリハビリなどで少しは刺激になると思うのですけど・・・・・・・。
デイとかショートステイは苦手だろうな。
昨日は午後1時間だけ国営昭和記念公園を歩いてきました。
ニャンが窓先で外を眺めていたりポーチで外をうかがっていたりしたので出そびれていたのですけど、そのまま出ようかなと思ったらドアから入ってきたのでそのまま施錠して歩きました。
冬の公園はすごく空いていて広い空間を独り占め、左ひざはシップもサポーターも使わず歩いてみました。ほぼ良かったのですけど時々ガクッと逆に曲がりそうな感じで痛かったので池の北から原っぱに向かって横断して帰りました。
家を出てから帰るまで6633歩。
( 追記 )
「 ニャン便り 」
昨夜はテレビ(スケートとゴチ)を観ていて11時になりました。
ニャアはそれまで寝ていましたが寝ようと思うとすり寄ってきて落ち着きませんでした。
ドアを開けてやるとさっと出たので帰るのかなと思いましたが少ししてドアを開けると帰ってきました。
寝床の椅子に乗せても落ち着かず、私も寝ないと倒れるのでまたドアを開けると出ていきました。
朝起きていつもと同じ5時半くらいに窓を開けるとポーチにいて呼ぶと入ってきました。
夜行性のニャンのペースなのかな。
昼寝て夜は運動しているのかも。
トイレが外なので家の中にずっと入れておくわけにもいかず。
昨日5穴のミニハーモニカが届きました。
SUZUKIのもので調子はCです。
4穴ですと1オクターブの曲しか吹けませんが5穴だとその上の2音が出るのでふける曲が広がります。
演奏することのできる曲の一部例
赤鼻のトナカイ
見よ勇者は帰りぬ(表彰式の曲)
エーデルワイス
あの素晴らしい愛をもう一度
ムーンリバー
若者たち
グリーングリーン
思い出のアルバム
Yesterday once more
おおスザンナ
瀬戸の花嫁
ベートーヴェン交響曲第9番より 歓喜の歌(一部抜粋)
など
父は複音のハーモニカが上手で伴奏もつけて吹いていたのを思い出します。