葡萄舎だより

海峡の街・下関の、葡萄舎の住人・洒人 (しゃじん) が身の周りの些事片々を書き綴ります。
本人は日記のつもりです。

黒い日の丸

2007年02月27日 11時43分37秒 | 日記 ・ 雑記録
昨日は、70余年前に二・二六事件が起きた日だった。
新聞もTVも大きくは取り上げなかったから、
もう歴史に埋没してしまったのか、風化したのか。

クイズ番組などで、二・二六事件と五・一五事件を並べて出題されると
ハタと考え込むときがある。 区別して頭の中に入っていないのだ(私の場合)。
混乱しているというよりも、歴史の勉強をきちんとしていなかったツケだ。

どろ縄式のおさらい

<五・一五事件>
1932年、(昭和7年)。
海軍の急進派を中心とした青年将校が起こした殺人テロ事件。
「話せば分かる」 「問答無用」 のやり取りで 犬養毅首相が暗殺された。
恐慌による経済破綻、政治の混乱、農村の疲弊など、不満が鬱積していた庶民は、
クーデターを支持、実行犯たちには、かなり軽い判決が下された。
そして、この事件を機に政党政治が終わり、以後、日本は軍部が力を強め、
4年後には二・二六事件が起こる伏線となった。

<二・二六事件>
1936年、(昭和11年)。
北一輝の国家改造思想に影響を受けた陸軍皇道派の青年将校が起こした
昭和維新断行のクーデター未遂事件。
陸軍将校20名に率いられた1500人近い部隊が行動している。
岡田啓介首相は奇跡的に殺害から逃れた。
当時の軍隊は <天皇の軍隊> で、統帥権を侵された天皇の激怒を買い、
「兵に告ぐ」 の、弱腰で寛大なラジオ放送が流れた。
その後、軍部の内閣介入が強まり、日本はファシズムへの道をたどる。

日本の旧軍部に限らず、人間が武器を持つと蛮勇をふるい、
見境がつかなくなって妄想に走り、迷走を繰り返して
挙句に、人類に悲劇をもたらすのは古今東西の歴史が語っている。
こんな日こそ、過去の教訓に学ぶ <歴史的記念日> として、
白地に黒い日の丸を掲げる旗日にすればいいのに。

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