或る双子座の日々

這是一個雙子座的生活日記。
つれづれなるままに

外国人と英語

2005年09月11日 | ハンガリー(日常)
ハンガリーに暮らしていると日本に似ているなぁと思うのは必ずしも全員が
英語を操るわけではないこと。外国人と見るだけで「英語はダメ」と本当は
ハイ、イイエくらいは分かるくせに緊張のあまり「分からない」といい張って
相手にしてくれないときがあるのです。

日本でも英語は必修ですから、イエス・ノーの意味と、これ、それ、ここ、
くらいはいえるひとがほとんどなのに「外国人みたいにペラペラと話せな
ければ英語じゃない」と苦手意識を持つひとが多いのではないでしょうか?

それでも、逆に日本人が海外に出たら頼りになるのは英語のみ。なにせ
他の言語は知りません。外国語といえば英語で育っていますから、カタコト
だろうが何だろうが相手が分かろうが分かるまいが英語で何とかするより
ないわけです。非英語圏ともなれば相手も英語は母国語ではありません
から、お互いトツトツ。それでも、英語で受け止めてくれれば大助かり。
もっと困ったときは日本語もつかいます。意思表示をしなければ泣き寝入り、
ということにもなりかねないからです。

買い物に行って、どうしても必要なものがあって、店員に尋ねたとき「それが
あるのかないのか」さえ分からないのはストレスが溜まります。急ぎの場合なら
尚更です。また、店内の張り紙から、商品のラベルに至るまで全く分からない
言葉が並んでいては手がかり一つつかめないのです。肉や魚ならば見たまま
ですが、そればかりではないのが生活でしょう。日本も表示と言う表示全てに
英語が併記されているわけではないので、同じ感覚ではないでしょうか。

高校生の頃、デパートで買い物をしているとき、外国人の若いお母さんが小さな
お子さんをベビーカーに載せて近寄ってきたので、話し掛けたたことがあります。
本当に天使のように愛らしい子どもに触ってみたかったので「可愛い。彼にタッチ
してもいいですか?」と。若気の至り、勢いで考える前に尋ねていました。
聞けばまだ1才になっていないというのですが、大きなお子さんで驚いた覚えが
あります。「彼は大きい」等たわいも無い短いやりとりでした。

するとお母さんは突然涙目になって、「あなたは英語で話し掛けてくれるのね」と
せつせつとこぼしていました。ジロジロみることはあっても、外国人だというだけで
みんなサッと逃げていってしまう。なにか困っても助けを求めたくても、店員は
逃げてしまう、なんとか捕まえても英語の話せる人を探してくるといって待たされ
結局うやむやにされてしまう、と感極まってこぼしていました。

今現在、今度は自分が外国人として他国に暮らしてみると、その気持ちが痛い
ほど分かるようになりました。日本人は自分が思うより英語がわかります。
ただ見慣れない外国人が外国語を話してると思うだけでいやになってしまうし、
自信がないだけです。聞き取れないなら身振り手振りも役立つ。とにかく知って
いる単語を駆使すればなんとかなります。

いまどき物騒だから誰彼構わず外国人の助けになろうとは思いません。でも、
帰国後もし駐在員の妻らしき困っている外国の主婦を見かけたら、恥ずかし
くても声をかけたいなと思うこのごろです。

コメント
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