
家のなかに蔵がある
横手市増田の町並みはおもしろい。外からではわかりにくいのだが、家のなかに立派な蔵がおさまっている。「内蔵」である。佐藤又六宅などは表玄関にいきなりずしりと分厚い土扉があって、蔵のなかに住宅があるようだ。内蔵は黒漆喰や漆塗、こまかい建具などにもその家独自の意匠をほどこし手がかかっている。カネがかかっている。こうした建物の多くは明治から大正にかけてつくられている。
増田はふるく江戸時代から街道と舟運で栄えてきた町だった。交通の要衝だった。もちろん流通だけで繁栄しつづけることはむずかしい。後背地にしっかりした製造業がなければならない。増田の場合、それは養蚕と葉タバコだった。換金性が高く、農家はきそって育てた。軽量のものをつくり加工して流通させる地域産業が確立し、増田にはカネがおとされた。このことが増田商家に豪華ないえづくりをうながした。
明治以降の日本はおいたてられるように近代化をめざした。そうでなければすでに近代化に先行している列強諸国に対抗できなかったからである。近代製造業の特徴は大資金を投下し科学を駆使した大がかりな装置産業をもとめたことにある。手工業では、莫大な利潤は望めない。増田地域でも、もし養蚕と葉タバコにのみ頼っていれば、明治後期ころから衰退がはじまっていたにちがいない。
しかし増田は大正時代に地域の産業構造を変えた。きつかけは吉野鉱山(のち吉乃鉱山)だった。大正期に大鉱脈が発見されたのだ。県北の小坂を一気に繁栄させた、あの黒鉱だった。鉱山経営者は武田恭作。小坂鉱山で画期的な黒鉱自溶製錬法を開発し技師長をつとめた人物である。かれは小坂鉱山を念頭において、大規模な製錬プラントをもうけ、最新の製錬技術を駆使した。一見企業活動とは無関係にみえる町づくりに投資したのも、やはり小坂で成功したビジネスモデルにならったようだ。ただここで注目したいのは、銅をとりだすための電解工程に必要な電力インフラがすでに増田に存在していたことだ。タバコ専売法によって増田のタバコ産業は壊滅したが、そこでえられた政府からの保証金を浪費せずに増田水力電気株式会社の資本金とすることで、つぎの一手を打っていたのだ。この布石が活きた。
1次産業から2次産業への「近代化」に成功した増田はいっきに注目された。鉱夫、技術者、事務員など関係者がおしよせ、商人・流通業者などがあつまった。大正の最盛期には、鉱山労働者だけでも6千人をこえたという。しぜん増田の町は潤った。莫大なカネがおちた。そこで蓄積された資産が家づくりにまわされた。なお、鉱毒がずっと増田の人びとを悩ませてきたことは近代化の負の側面として特記すべきだろう。
私が目にした「内蔵」の町並みは、増田が産業の近代化に成功したごほうびともいえるだろう。みごとだった。

蔵のなかに座敷がある 横手市HPより