細菌戦の系譜!!

2022-09-18 11:52:27 | Weblog

 

 

 


 

 

 


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 今年は、平頂山事件から90年!!

 



 

 

 








 

9月18日の「赤旗」より

犠牲者の方々に心より哀悼の意を捧げます。

平頂山事件の悲劇を二度と繰り返してはならない。

政府の行為によって再び戦争の惨禍を繰り返してはならない。 

『撫順』から未来を語る実行委員会と平頂山訴訟弁護団

 

我们向受害者表示衷心的慰问。

平顶山惨案的悲剧决不能重演。

我们绝不允许因为政府的行为,让战争的悲剧再次发生。

                   抚顺告知未来实行委员会与平顶山惨案诉讼律师团

 



 

 

 

 

 

 




 

献花



































 



平頂山事件90周年を迎えて
2022年9月16日
平頂山事件訴訟弁護団、「撫順」から未来を語る実行委員会を代表して 井上久士
 
 本日私たちは、平頂山事件90周年を迎えました。1932年9月16日、関東軍撫順守備隊は、約三千名の無辜の平頂山全住民を暴力的に家から追い出し、付近の窪地に集合させ、機関銃を掃射したうえ銃剣で刺突し虐殺しました。翌日、遺体にガソリンをかけて焼却し、その後崖を爆破して遺体を覆い隠しました。これは、日本軍の軍規や国際人道法に反するだけでなく、人間として許されない行為です。
 私たちは、平和を愛し、正義と人道を尊重する日本人の立場から、犠牲となられた平頂山住民とご遺族のかたがたに、深甚なる哀悼の意を表します。二度とこのような悲劇を繰り返してはいけません。そのために重要なのは、この事件を決して忘れず、日中両国で史実を次の世代に伝えていくことです。
 1996年、虐殺現場から奇跡的に生還した莫徳勝・楊宝山・方素栄の三氏は、日本政府の謝罪と賠償を求め日本の裁判所に提訴しました。裁判の過程で、原告の三人はそれぞれ日本を訪問し、平頂山事件の体験と正義の実現を日本で訴えました。環直彌弁護士を団長とする平頂山事件弁護団は、原告とともに十年間奮闘しました。日本でも原告の話しを聞き、共感し支援する人びとの輪が生まれました。
 日本の裁判所は国家無答責の法理をもって原告の要求を認めませんでした。しかし、日本軍による住民虐殺事件があったことは認定されました。日本の裁判所も、歴史的事実を否定することはできなかったのです。
 2006年に裁判が終わった後も、原告と訴訟に加わらなかった被害者の楊玉芬・王質梅氏らは「日本政府に対する3つの要求事項」を掲げて、事件の解決を求め活動を続けました。それは、歴史の事実を多くの人に知ってもらいたい、惨劇の責任を明確にしてもらいたい、そして二度と再びこのような悲劇を起こさないでもらいたいという強い願いにもとづくものでした。弁護団も日本の支援者も、その実現のための歩みを止めませんでした。また平頂山惨案紀念館をはじめ撫順の関係者も支援を続けてきました。
 しかし、日本政府は今に到るまで歴史から学び、過去の中国侵略を率直に反省するに到っていません。中国の古いことばに、「過而不改、是謂過矣」(過ちて改めざる、これを過ちと謂う)とあります。歴史から学ばず改めない者は、いずれ歴史によって裁かれるに違いありません。
 時の経過とともに、莫徳勝さん、楊宝山さん、方素栄さん、楊玉芬さん、王質梅さんらは、みな他界されました。弁護団団長であった環直彌弁護士も逝去されました。しかし、裁判の十年、その後の十五年を通じて、培われてきた日中両国関係者の信頼関係は生き続けています。
 90周年に当たり、私たちは、理由もわからぬまま殺された平頂山住民の無念に思いをはせ、元原告のかたがたと環団長の遺志を引き継ぎ、平頂山事件の政治的解決、歴史の究明と普及のため今後も努力を続けていく決意です。新型コロナウイルス感染症がまだつづき、世界では戦火が絶えない不穏な情勢ですが、日中両国の信頼と平和がとこしえに続くことを心から祈念します。




 

















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細菌戦の系譜!!

2022-09-18 11:51:35 | Weblog

戦犯裁判での証言

 

 

 



























 

 

 

 
 
 

























日本民衆は10日、平頂山大虐殺90周年を記念し、歴史を忘れないように呼びかけた

 

https://www.fengshows.com/article/531261d2-178d-4657-b808-fe8a3a94e3d3

フェニックス・ニュース 2022-09-11 00:00/02:10

 


 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

日本民衆は10日、日本軍による中国民間人虐殺事件である平頂山大虐殺事件90周年を記念する集会を東京で開いた。中国と外国を揺るがしたこの悲劇は、日本社会ではほとんど知られておらず、日本政府は謝罪と補償を未だに拒否している。

 

 日本の市民団体は土曜日、東京で平頂山大虐殺90周年を記念する集会を開いた。日本の学者が悲劇の経緯や最新の研究成果について講演した。中国ではよく知られている平頂山大虐殺は日本では認知度が低い。 学者は、日本が中国侵略の歴史を避け歴史を修正する傾向を非常に心配している。

 駿河台大学名誉教授の井上久士氏:「日本の高校の教科書ではほとんど触れられていませんし、普通の日本人もほとんど知りません。日本は過去を心に留めておくことによってのみ、真の友好と相互信頼の基盤を築くことができるのです。」

 東京市民合唱団の、平頂山大虐殺を再現した合唱劇「再生の大地」も上演された。

 「再生の地」合唱団団長の姫田光義氏:「中国人に謝罪することは、我々が直面している最も重要な問題です。」

 日本で20年間にわたる請求訴訟を起こし、平頂山大虐殺生存者の正義を訴えた日本の弁護士は、訴訟の経過と困難について語った。 2016年、日本の最高裁判所は、最終審として生存者の請求を却下したが、平頂山大虐殺の事実は司法判断した。 しかし、日本政府はこれまで、無差別殺人の事実を認めず、謝罪もしていない。

 平頂山事件訴訟弁護団の弁護士 大江京子氏:「平頂山事件の歴史から学んだ教訓を踏まえ、日中共同宣言の精神を再確認し、武力による問題解決をしてはなりません」。

 今日会場に来た人たちの間では、日本社会が歴史的事実に目を瞑ってしまえば、歴史を反省したり歴史の教訓に学ぶことはまったくできないというコンセンサスがあります。 しかし、私たちはまた、会場に来た主に高齢者たちが次の世代に歴史の真実を伝える方法について、まだ大きな課題であることを観察しました。

 



 

「731部隊員だった池田苗夫元軍医の戦後の軌跡」

 
飯田市はなぜ、歴史をきちんと伝えないのか??
 

 

 731部隊元隊員の証言、飯田市平和祈念館が展示せず 市教委「事実関係に議論」

2022/08/17 11:59

 


 

 


元隊員が持ち帰った医療器具などが並ぶ飯田市平和祈念館の731部隊の展示。
元隊員の証言は紹介されていない

 

 

 戦争の悲惨さや平和の大切さを後世に伝えるため今年5月にオープンした飯田市平和祈念館で、関東軍防疫給水部(731部隊)の証言などを印刷したパネル展示が取りやめられたことが16日、市教育委員会などへの取材で分かった。住民有志でつくる市平和資料収集委員会が展示を求めていたが、市教委は事実関係が確定していないなどとして見送った。現在、展示は市出身の元隊員から寄せられた医療器具や人体解剖の医学書など十数点だけとなっている。

 

 取りやめた理由について、市教委生涯学習・スポーツ課は取材に「部隊の事実関係を巡ってはさまざまな議論がある。証言などを伝えたいという思いは理解しているが、公の施設としての展示は難しい」としている。

 

 市平和祈念館の展示は「戦争の恐ろしさ」「戦時下のくらし」など五つのテーマに分かれている。祈念館設置に向け、同委員会はこれまでに市教委と協力して戦時中の資料を集め、展示内容についても話し合ってきた。

 

 同委員会は「戦争の被害だけでなく、加害の歴史も伝えないといけない」と、731部隊が細菌兵器の開発を進め、捕虜となった中国人やロシア人に対して人体実験をしてきた―などとする説明文を作成。県内出身の元隊員4人の証言も文章にまとめた。市教委に証言などをパネル展示するよう求め、議論も重ねた。

 

 だが、市教委は遺品の展示のみにとどめている。同委代表の吉沢章さん(73)=飯田市=は「県内の元隊員らの証言を通じて地域と部隊との関わりを明らかにし、戦争の姿を伝えたかったのに」と割り切れない思いでいる。

 

          ◇

【731部隊】 生物・細菌兵器の研究開発のため、1936(昭和11)年に編成された旧陸軍の特殊部隊。旧満州(現中国東北部)のハルビン近郊で秘密裏に中国、ロシア人らの政治犯や捕虜に非人道的な人体実験を繰り返し、多数を殺害したとされる。ペストやチフスなどの細菌を研究し、日中戦争で実際に使ったとされる。

久保田昇さんが熱く語る元731部隊員の証言(以下のビデオ:30分辺りから)

 

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細菌戦の系譜!!

2022-09-18 11:49:36 | Weblog

飯田市平和祈念館資料室

■731部隊の証言展示取りやめ パネル展示予定だった宮田村の清水さん「これでは伝わらない」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

731部隊の証言展示取りやめ パネル展示予定だった宮田村の清水さん「これでは伝わらない」

2022/08/17 11:58
731部隊の少年隊に所属し、飯田市平和祈念館での証言の展示を打診されていた清水さん。入隊時の写真の拡大コピーも用意していた=7月12日、宮田村
 
731部隊を巡っては2002年、中国人被害者らが起こした国家賠償請求訴訟で東京地裁が戦時中に生物兵器の開発、研究を行い、細菌戦を行っていたなどと認定した。一方、03年に当時首相だった小泉純一郎氏は国会で、細菌戦を示す資料は「現時点で確認されていない」と答弁。部隊については終戦直後に文書が処分された経緯もあり、専門家からは貴重な歴史的証言の展示を見合わせた市教委の姿勢を疑問視する声が出ている。
 「自分たちの証言が紹介されなければ、部隊の事実が伝わらない」。戦時中、731部隊の少年隊に所属していた清水英男さん(92)=上伊那郡宮田村=はそう訴える。飯田市平和祈念館の開館前、市資料収集委員会から証言のパネル展示を打診され、了承。まだ14歳だった入隊時の集合写真も自費で拡大コピーし、展示用に用意した。
 清水さんは国民学校高等科を卒業後、731部隊の少年隊に配属された。主に見習い技術員として病原菌の基礎知識などを学び、「マルタ」と呼ばれた中国人やロシア人の捕虜の人体実験後の標本を見たこともある。日本の敗戦間近に「マルタ小屋」で多数の人骨を拾って・・・・
 
信濃毎日8月18日(斜面)


 
 
 
 
今年(2022年)4月2日に開かれた日本医学会記念事業では、「過去の過ちに学ぶ」で、731部隊のことが取り上げられた

731部隊に関しては、11.シンポジウム:未来への提言「4. 医療倫理・研究倫理の深化」のところで、以下のスライドが出てきて、わずかですが触れられます。

 

第25回戦争遺跡保存全国シンポジウム広島大会

第1分科会

 

大久野島戦争遺跡保存活動の歩みと今後の課題

『鹿島海軍航空隊跡地』の未来について

四国西南部の特攻基地ー第132震洋隊・土佐清水越基地跡を中心に

22日のフィールドワーク

平和記念公園と周辺の被爆遺跡を巡るコース

番外編

 

大久野島遺跡巡り

 

似島(広島県)

 
 
関連動画
 
 
 
 
 
 
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細菌戦の系譜!!

2022-09-18 11:48:15 | Weblog

故・金景錫(川崎の日本鋼管の徴用工)の闘い

 
 

日本は、なぜ、核兵器禁止条約締約国会議に参加しない??

 

戦前・戦後直後と同じ、トップは無責任!!

国が原発推進していて、事故があったら責任ないなんて全くおかしい??
責任を全部下に押し付けるのは、BC級戦犯裁判、226事件と酷似だ!!

 

それまで原子力を利用していたものの脱原発を表明する国が現れ、米国で新規建設のプロジェクトがなくなるなど、世界各国の原発利用は停滞することとなりました。(資源エネルギー庁のHPより)
 



 
世界には、核実験、原爆、原発労働者、ウラン鉱山の採掘者等で被ばくした人はたくさんいる!!
それが、次世代・次々世代に影響するとなると大変な数になる!!反原発!!
 
 
 
 
戦争では、何も解決しない!!即時停戦を!!
世界の食糧危機!!、世界の環境破壊!!生態系の激変!!貧困、虐殺、レイプ、人間不信!!

На войне ничего не решить! !! Немедленное прекращение огня! !!
Мировой продовольственный кризис! !! , Всемирное разрушение окружающей среды! !! Кардинальные изменения в экосистеме! !! Нищета, резня, насилие, человеконенавистничество! !!
 
У війні нічого не вирішиться! !! Негайне припинення вогню! !!
Світова продовольча криза! !! , Знищення навколишнього середовища світу! !! Різкі зміни в екосистемі! !! Бідність, бійня, зґвалтування, мізантропія! !!
 
Nothing will be solved in the war! !! Immediate ceasefire! !!
World food crisis! !! , World environmental destruction! !! A drastic change in the ecosystem! !! Poverty, slaughter, rape, misanthropy! !!
 
 
 

 

ウクライナに平和を!!
 
日本は、戦争の反省をしているのだろうか??
過去最大の防衛予算 歯止めなき膨張許されぬ
 
 

 

 
 
関連パネル展



731部隊全景

 

戦争を停止する道を探れないのか??
 

No War!!Stop War!!
Нет войне!!Стоп Война!!
 
 
 
憲法9条を持つ日本はもっと停戦に向けて前向きに動いてほしい!!
 
War in the 21st century? ?? In the 21st century, a world without war!!

Война в 21 веке? ?? В 21 веке мир без войн!!
 
21世紀に戦争??21世紀こそ、戦争のない世界に!!
 
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細菌戦の系譜!!

2022-09-18 11:47:26 | Weblog
日本は戦争を起こしたことを全く謝罪しなくていいのだろか??
 
重慶無差別爆撃

 

 

 

 
 
 

京都大学出版会(2022年4月10日発行)
 
もしかすると中国人の人骨も京都大学にはあるのでは??
丹羽雅雄弁護士の話:遺骨という問題は非常に大きな問題なんですよ。死者の尊厳ですからね。死者の尊厳ということは、生きている人の尊厳につながっているんですよね。当時の帝国大学は色々な人骨研究をやっていますからね。そうすると恐らく朝鮮半島の御遺骨の問題も当然あるはずです。リストにありますからね。
それから、台湾もあるだろうし、東南アジアもあるだろうし、そういう風に広がっていく可能性があるんですね。遺骨の問題は先住民の大きな長い歴史の中で国際的にも重要な問題になっていると・・・
 
 
 
遺骨収集には、清野謙次の影響が強くあった。清野は731部隊長石井四郎の強力な支援者だった。(病理解剖の最高顧問)
 
 

 
 
 

 
 
昨年のパネル展

 

 

 

 

2021年 パネル展「731部隊 戦前・戦後の医学」アンケート
 
11月19日(金)
・まず731部隊展についてまとまった資料展を行われた関係各位に最大限敬意を表したいと思います。沢山のパネルによるまとまった展示を見るのは初めてです。改めて日本の侵略戦争の残虐性を知ることができました。今後私自身「731部隊・・・」の知識を深めていきたいと思います。
(70代、市外)
 
 
 


 
 
 

 





原告たちのあまりに理不尽な被害

『JUSTICE 中国人戦後補償裁判の記録』(中国人戦争被害賠償請求事件弁護団 編著、高文研)評者:根岸恵子

 

 

 
                


 
 
 

自衛隊における731部隊の記述

「部外秘 参考資料 CBR講習資料」11頁 作成日時不詳 陸上幕僚監部化学科より

d旧日本軍の細菌戦活動

旧日本軍の石井部隊は又の名を関東軍防疫、給水、731部隊、加茂部隊、特25204部隊と呼ばれた。細菌戦闘専門の特殊部隊であった。隊の設立は昭和6(1931)年で満州の研究所完成は昭和10(1935)年である。日本軍細菌戦部隊の本拠は満州ハルビン郊外濱江省(ひんこうしょう)双城県平房の4階建近代建築でその中で遮断隔離の生活をしていた。設備は爆撃機(細菌撒布用)10機、1000kwタービン発電機2台である。この本部の元に、孫呉、海拉爾(ハイラル)、牡丹江、林口、大連の5支部があり、大連のものは大連研究所または松林機関とも言われていた。他の部課は細菌の攻撃方法、容器散布方法、防疫問題を研究していた。最も力を入れたのはヒタツリ菌(注:脾脱疽菌)であった。この菌を粉末にして榴散弾の70g位の鉛製弾子に混ぜ、これを砲弾内に詰め、炸薬が爆発すると弾子が飛散して人馬に感染さすようになっている。実験場所は731部隊研究所から北に300(?)㎞ばかりのアンダ飛行場を使用した。そして砲弾が爆発しても菌の40%は生きていること及び培養器に飛ばされた菌は確実に付着する事、負傷者は発病することが確認されている。1938年中国廬山の戦闘で日本軍が毒ガス、ホスゲンを使用したという2,3の細菌記録がある。この記録を持つ731部隊は1945年8月9日午前6時ハルビンの工兵、歩兵、砲兵によって徹底的に破壊され付属設備は地上から姿を消した。ソ連の対日参戦による退却の結果である」

 

長岡大学 研究論叢 第16号より(2018年8月)

・・・731部隊に関する概要が正確に記述されており、更に1938年に毒ガスを作戦で使用したことまで記している。これは化学学校の教育部長が、特殊課程の学生に講義した内容である。内容は事実であると確認して行ったと考えるほかはない。戦後自衛隊は731部隊の実態とその活動を把握した上で、何ら反省することなく自衛官に「教育」してきたのである。また教科書裁判では日本政府は長きにわたり731部隊の活動の事実認定さえ回避してきたが、陸上自衛隊の内部教育資料にも明記されるほど、自衛隊幹部周知の事実だったのであり、日本政府は一貫して内外に虚偽の主張をしてきたと言える。

 

『日本医学百年史』1957年1月1日の731部隊の記述

 

 

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
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細菌戦の系譜!!

2022-09-18 11:45:58 | Weblog
 
 
日本医学界では731部隊の反省は戦後全くなされていないが、以下の書に731の記述が記されている。
『日本医学百年史』第4章 戦時体制下の医学 全体主義思想p236

 

 

「このようにして日本の医師の戦争政策への積極的な協力が行われていったのであるが、直接的な戦闘行為への協力の中で極めて非人道的な、目を覆わざるを得ないものに、細菌戦の準備があった。細菌戦の準備と実行を持った特殊部隊は、昭和10年(1935)夏、石井四郎を部隊長に満洲で編成され「関東軍防疫給水部」と称せられた。

昭和17年頃に「第731部隊」に昇格し、その研究、実験、製造は急に活発になった。(昭和14年のノモンハン事件に参加し、感状をもらっている)この部隊は細菌の製造、兵器としての細菌の利用、人体実験等を行い、施設として、常備爆撃機10機、1000kw発電機2台、隊員及び家族約6000名、年間研究費予算8000千円以上と言われている。

勿論、この部隊に多くの医学者が参加した。このことから、科学者としての責任の問題と同時に戦争責任が問題になってくる。

 

 細菌戦準備への医学者の参加は、戦争責任の最も極端な場合として提起したわけであるが、このことの深い反省の上に戦後の再建も始められる必要があったし、現在でもなお問題とされねばならない。」

 

 
第3章 生物戦の愚かな第1歩は、日本の731部隊からはじまった
 

 

 

 
 
 

 
パネル展「731部隊 戦前・戦後の医学」
 医学と人権を考える―


1948年京都・島根 ジフテリア予防接種禍事件(その2) 
                栗原 敦

昭和40年代 「補償問題再燃」 
    1971(昭和46)年3月10日京都市会(質問 山下良博議員、答弁 舩橋市長)(昭和46年第1回 京都市会会議録) 
    山下議員は、1970(昭和45)年7月31日の閣議決定による予防接種被害の救済措置が明治 42年までさかのぼって適用されることをとりあげている。その措置においてジフテリア事件の被害者は除外されることになった。この補償要求が事件から20年余り後に再燃する理由はそこにあったことは明らかであります。質問は次の内容でした。(府議会における山川議員の質問を踏まえた内容) 
    冒頭事件の概要を述べ、一大不祥事件だったとし、製造業者の医学、衛生的知識の不足・怠慢、これを監督する政府の国民無視、生命軽視の風潮が主因であった。当時の「10万円の補償」は当時のヤミ米5石(1俵は4斗 60キロ、1石は10斗だから、米俵で12俵半─栗原注)分にしかならない。予防接種の被害者の救済措置からジフテリア事件の被害者を除外することは片手落ちである。国にその非を認めさせてほしい。これに対し舩橋市長は次のように答弁しています。この事故は国・府・市の負担で弔慰金を支給し、和解が成立しているから今回の救済措置から、除外するというのが国の見解だ。しかし、このままでは十分とは考えられないので国が今後なんらかの追加措置をするよう折衝しているとしました。 
 
 
 
 
 
 
 
 

 
小津安二郎も毒ガス部隊だった
 

 

森友・加計問題などで公文書改ざん、事実の隠蔽などが問題になっているが、敗戦時の証拠隠滅、文書焼却、事実の隠蔽は、その比ではない!今も
続く歴史改ざん!!     
※30年経過したら、すべての情報を公開せよ!!

 

 
     

 

 

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細菌戦の系譜!!

2022-09-18 11:45:14 | Weblog

●今の日本人は、まさかと思うかもしれない。

 

 
日本政府は、真摯に過去に向き合い、生物兵器を作ったことを謝罪し、今のこの難局に、立ち向かうべきだ!!

 

 

東大医学部を卒業、将来を期待される医学者でありながら、731部隊の恐ろしい体験から、そしてその731部隊に参加したという罪の意識から、戦後医学者の道を捨ててしまった男、秋元寿恵夫

元731部隊員(第十課 血清班班長)秋元寿恵夫の言葉

「もしもバイオテクノロジーが軍事研究の魔の手に捕らえられた時の行き先がどうなるのかの危険性は、「ひょっとしたら人間の知能などを変える」どころか、さらには人類にとって取り返しのつかない害悪をもたらす生物兵器の出現につながっていくかもしれないのである。」

 
1939年 731部隊 ノモンハン戦争にて細菌戦(チフス菌、コレラ菌、赤痢菌)を行う
*1940年は皇紀2600年(神武が即位して2600年??)東京オリンピックや万博が開催される予定であったが、戦争の為中止!!
1940年 6月4日  731部隊、農安大賚・農安で細菌戦(ペスト菌)を行う
10月 4日   731部隊、衢州で細菌戦(ペスト菌)を行う
10月27日  731部隊、寧波で細菌戦(ペスト菌)を行う
1941年11月4日  731部隊、湖南省常徳で細菌戦(ペスト菌)を行
1942年17月 100部隊は、ハイラルの北約120キロのソ連国境で行なった「三河演習」で鼻疽菌の生存期間を測定、炭疽菌の土壌への浸透力の調査した 
8月  731部隊、湖南省江山、常山、衢県、麗水、江西省広信、広豊、玉山で細菌戦(ペスト、コレラ、チフス)を行う
1943年12月  100部隊第2部に細菌戦準備の第6科を設置
 

(『日中友好新聞』2022年2月15日号より)
 帝銀事件捜査が行われていた1948年1月から9月当時、まだ東京裁判やBC級戦犯裁判が行われている最中であり、一方で残虐行為のために死刑判決を受ける人がいた反面、他方では極めて組織的な残虐行為を行なったにもかかわらず、米軍に保護され、完全に免責されるという人(のちに米軍に雇われる人もいた)が存在したのである。
 つまり、帝銀事件の捜査の段階で、日本の民主化・非軍事化政策の一環として行われた戦犯追及は、大きくねじ曲げられ、戦争犯罪・戦争責任が隠蔽されたということである。その意味で、帝銀事件の捜査は、占領政策の大きな転換をもたらす分岐点なったと言えるのである。(明治大学平和教育登戸研究所資料館長)
 

  


 
 
 

 

 

 

 

 





 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

1929年11月7日昭和天皇陸軍軍医学校視察

 

 731部隊は、石井四郎が、細菌戦の司令塔ではなかった。誰が裏で司令塔になっていたのだろうか?小泉親彦陸軍軍医総監、宮川米次第5代東大伝研所長、大元帥昭和天皇等がバックにいた。

 

 

 

 

 

●日本政府は、新宿戸山の軍医学校跡地(現国立感染症センター)から見つかった人骨の身元調査を早急にして、遺族に返還し、きちんと謝罪すべきだ!!

 

731部隊被害者遺族の訴え!!        

 

 

・東大伝研とは戦前、どんなことをやっていた機関なのか?

・1934年6月、宮川米次と阿部俊男は何をしに満洲国へ行ったのか?

・満洲衛生技術廠とは、一体何をやっていたところなのか??

・東大伝研は731部隊と連携を図っていなかったのか??

・伝研で毒ガスの講演?毒ガスへの対処法も考えることになるのか??

・小島三郎の渡満では、満洲衛生技術廠や大連衛生研究所にもいったのだろうか?

・1933年頃から細菌兵器開発の一環として、「満洲」の背蔭河では人体実験が行なわれているが、そこでも赤痢菌の研究が行なわれていたのだろうか?35年の川崎市の爆発赤痢は、人為的に行なわれたものなのか?それとも自然流行なのか?

・1936年5月に浜松一中で大福餅事件、37年9月に大牟田で爆発赤痢事件が起きているが、これなども細菌兵器研究の一環として軍医学校や伝研の関与による仕掛けられたものか、自然に発生したものか究明する必要がある。

・河本禎助も毒ガスの研究をしていた。

 

実験医学雑報20巻 第3号(1936年)

 

学友会へ寄付

金19円14銭也  小島三郎君、矢追秀武君

金18円91銭也  矢追秀武君

 

人事異動報告

昭和11年3月3日  伝染病研究所

 

発令月日     辞令            官職     氏名

1.31  東京府下へ出張を命ず         嘱託    八田貞義

2.3   公衆衛生特に産業衛生学研究の為

    アメリカ合衆国に在留を命ず      技手    山口正義

2.12  昭和11年2月12日付願研究生入学の件

    許可す(寄生虫)                 襲仁済

2.12  依願伝染病研究所業務嘱託を解く          渡会次郎 

 

 

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細菌戦の系譜!!

2022-09-18 11:42:58 | Weblog

翌年の1936年5月10日には、浜松一中で大福餅の食中毒事件、1937年9月25日には大牟田

で爆発赤痢事件が発生している?防疫研究室との関係はないのか??
 

浜一中大福餅事件

                

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 浜松一中の慰霊碑

大牟田の慰霊碑(裏)

 

(碑文)

「時維(ときにこれ)昭和12年9月25日恰も支那事変勃発して3月全市を挙げて銃後の遂行に邁進せる秋(とき)、青天の霹靂の如く突如として我が12万市民は古今を絶する悪疫の魔手に掩われたり。ここに大産業都市として殷賑を極めたる本市は忽にして阿鼻叫喚の巷ト化し官民必死の防疫にも拘らず竟(つい)に一万数千の罹患者を出し七百十二名の精魂を奪はる・・・・・」

 

<三池の冬1997 その2>より

わたしの笹林公園探検の目的は、その隣の隣の慰霊碑であった。さてこれは何の慰霊碑であるか。ここに戦前戦中史の大きな謎が隠されている。(中略)

この慰霊碑は、炭坑事故の慰霊碑でもなく、戦没者の慰霊碑でもありません。1937(昭和)12年に突然大牟田で発生した集団赤痢事件の被害者の慰霊碑なのです。慰霊碑には、一万数千の罹患者を出し、七百十二名の精魂(生命)を奪ったと記されています。この集団赤痢事件がなぜ起こったかについての真相は、いまだ闇に包まれています。しかし、中国戦線に向けて三池(三井)染料が内密に作っていた化学兵器工場で爆発事故が発生し、この事故を隠蔽するために清里の水源地に赤痢菌をまいたという重大な仮説が提起されています。三池染料はわたしの祖父の職場でありました。その祖父は7年前に亡くなりました。この当時のことをもっと聞いておけばと悔いが残ります。近々、この仮説を実証する資料を、受けとることになっていますので、またそのときご報告します。

 

大牟田「爆発赤痢」事件


北宏一郎

 

いわゆる「大牟田爆発赤痢事件」の真相
 
毒ガス中間薬製造
 
三井鉱山(後に三井化学工業)三池染料工業所に於て毒ガスも製造していたことは「三井鉱山50年史稿」という稿本を1944(昭和19)年に出しており、その中に毒ガス製造に関わる記載があり、昭和9年には陸軍科研から毒ガス中間薬の製造にかかり、後に海軍からも毒ガス中間薬の製造を行なっていたことを社史は記しています。
・1937年9月25日のN工場爆発は、毒ガス中間薬(陸・海軍用イペリット・ジフェニルシアンアルシン)の可能性が高い。
チオグリコール(びらん性毒ガス、イペリットの中間薬)〈海軍名オクゾール〉
〈チオグリコールに塩酸を加え、加熱すればイペリットになる〉
チオグリコールを作るには、大ざっばに、塩酸、硫化ソーダ、塩素エチレンクロルヒドリンを加熱して加えるとチオグリコールができる訳です。
原料それぞれに毒性があり、高圧ガマで製造中に爆発ともなればガス状の毒煙になって人体に入ります。
症状はのどの痛み、呼吸困難、腸内に入れば、下痢、腹痛そして死に至ります。
 
科研を視察する昭和天皇(中央)。久村所長が先導している(元科研職員の小野田悦郎さん提供)
 

伝染病研究所の写真は、『傳染病研究所』小高健著より 





 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
この新型コロナウィルスがどこで作られたかは分からないが、細菌戦の系譜をたどると、日本は、戦時中、1925年のジュネーブ議定書を無視して、中国で細菌を製造し、細菌戦を行なった。戦後、731部隊での研究データをアメリカに渡し、731部隊員は全員戦犯免責され、アメリカは生物戦の研究を本格的に始めた。
日本政府は、中国で行った細菌戦や生体実験の事実を、(日本の裁判所は事実認
 定をしている)未だに隠し続け、その事実を認めていない。勿論謝罪もしない。
 日本軍が中国に遺棄してきた生物兵器は戦後、どのようになったのだろうか?
 この新型コロナウィルスに影響しているのだろうか?
 今、日本人は過去に犯した戦争犯罪を直視し、きちんと歴史事実に向き合う時で
 はないのか?
 
 

 

 

 

●細菌戦裁判資料集シリーズ・第8集(2002年10月31日)
 
「731細菌戦裁判・第1審判決特集号」の発行にあたって 
 
本書第8集は、細菌戦裁判の第1審判決(東京地方裁判所民事第18部)の後、開催された判決報告集会、記者会見、意見交換会等での発言を編集したものです。

 

 
 
第6部

資料・731部隊細菌戦裁判

第1審判決全文

原告らの主張 (別紙3)

第6部

資料・731部隊細菌戦裁判

第1審判決全文

原告らの主張 (別紙3)

日本軍による中国への細菌戦の実行(事実論)

第2部 被告の細菌戦に関する責任(法律論)

第2 国際慣習法の過去の戦争犯罪行為への適用による謝罪及び損害賠償請求

 12 結び

 
第3 中国法に基く謝罪及び損害賠償請求

3 法例11条2項の適用がないことについて

(3)法例11条3項による民法724条後段の累積適用について

被告は、法例11条3項による民法724条後段の累積適用を主張する。しかし、時効・除斥期間については同条3項による日本法の累積適用はなく、法例11条1項により不法行為地法だけが適用されると言うべきである。

ア 法例11条3項はその文言通り「損害賠償の方法及び程度」について日本法を累積適用することを定めたものであり、「損害賠償其の他の処分」には時効や除斥期間は含まれないと解すべきである。

イ 法例修正提案理由書や穂積陳重の説明によれば、法例11条3条は、不法行為について外国法の救済方法と日本法の救済方法が異なることがあり、日本法が認めない救済方法は与えないという趣旨とされている。この点からも、法例11条3項の「損害賠償其の他の処分」には、時効や除斥期間などの事項は含まれないと解される。

 
731部隊員が多く入った国立予防衛生研究所現・国立感染症研究所)や自衛隊などでの生物兵器の開発・研究も行われているのではないか?
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細菌戦の系譜!!

2022-09-18 11:41:56 | Weblog
●日本政府は、731部隊の罪業を、公開せず、秘匿し、戦後全く無反省である!!最高責任者の昭和天皇も戦犯免責された!!

 

安倍晋三は何でこんな行動がとれるのだ??無反省のまま、ずっと生き延びられるのか??

 

 

 

           
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
2013年5月12日、安倍晋三は宮城県東松島市の航空自衛隊基地を訪問して、機体番号が‘731’であるアクロバット飛行団訓練機の操縦席に座りサムズアップして写真に収まった。

 

           

 

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
731部隊全景(中国に於いて人体実験を繰り返し、細菌兵器を開発し、中国各地で細菌戦を行なった。)

 

 

 

 

 

 日本の中国東北侵略から91年

●『1931 満州鞍山守備兵 斉藤準太郎の日記』

 



 

 

 

 

 

 

 

 

 



三月七日

 

晴風なし 第3回注射 外は暖かし 小供の声もほがらかなり。

予防接種整列 中隊のはねかえるような大声で怒鳴りながら 医務室に午前9時半に行く。菅野のベーナス野郎 生意気言ってならないが是非なし―。

昨日もこんな事言って創術に出ていった。あまり腹が立った故書くまいと思ったが書く。「斎藤、千葉伍長が術創術で足をくじいた故 お前足をもみにいってくれ」くそくらえだー。勝手な口実を作って行くように見せかけて止めてしまった。おかしくて行けるかい。馬鹿にしている。相変わらずらしい注意があって 嫌な注射に顔をしかめる。

 

 

 

「ずっと父が嫌いだった」

 

 
 
 
軍都広島での物語

 

原爆詩集
峠三吉
・・・一九四五年八月六日、広島に、九日、長崎に投下された原子爆弾によって命を奪われた人、また現在にいたるまで死の恐怖と苦痛にさいなまれつつある人、そして生きている限り憂悶と悲しみを消すよしもない人、さらに全世界の原子爆弾を憎悪する人々に捧ぐ。

 

河のある風景

 
   失われた山脈は みなかみに雪をかずいて眠る

雪の刃は遠くから生活の眉間(みけん)に光をあてる

妻よ 今宵もまた冬物のしたくを嘆くか

枯れた菊は 花瓶のプロムナードにまつわり

生れる子供を夢みたおれたちの祭もすぎた

 


 

 
メアリーが伝えるヒロシマ

 

 
" target="_blank">原爆投下
 
" target="_blank">原子爆弾投下後の広島市内(1946年3月21日撮影)
 
" target="_blank">封印された原爆報告書
 
" target="_blank">原爆初動調査1
 
" target="_blank">原爆初動調査ー隠された真実2
 
原爆初動調査ー隠された真実3" target="_blank">原爆初動調査ー隠された真実3
 
 
" target="_blank">広島スピーチ
 
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細菌戦の系譜!!

2022-09-18 11:40:51 | Weblog

日本は、日中戦争で国際法に違反して、細菌戦、毒ガス戦、無差別爆撃を行った。日本政府は、この事実をきちんと認めていない!!

 

●『細菌戦部隊』

731研究会編   1996年9月(核時代51年)初版発行

『細菌戦部隊』

731研究会編

序ー 731部隊がいかにして作られ、またいかにして歴史の闇に葬られたのか?

 

1925(大正14)年、生物化学兵器の使用を禁止するジュネーブ議定書が締結された(日本はこの時批准していない)。731部隊の創設者となる石井四郎はこのことにヒントを得て関東軍防疫給水部の設立を思いついたと言われる。陸軍の中にあって後陣の下位の位置に甘んじていた軍医の立場を、なんとか上位に押し上げたいという野心を抱いていた彼は、細菌兵器の研究、準備をもってそれを実現しようとしたのである。1928年の春から2年間、石井はワルシャワ、モスクワ、パリ、ベルリン、アメリカと、各国の医学研究所を視察して回った。 



 

日本軍政下香港(1997.7.27)

 

 

●『論争731部隊』
松村高夫編
核時代49(1994)年4月発行
 
 
 
第2 731部隊に関する研究状況
 
二 1983(昭和58)年以前の731部隊に関する研究状況
 
2 1970年代及び1980年代初期の研究状況
 
 
(1)『悪魔の飽食』について
 森村誠一『悪魔の飽食』は、日本、アメリカ、中国の取材を通じて、731部隊の実態の解明を深めていき、81年から83年にかけて毎年1回ずつ刊行され、最終的には3部作となったものである。即ち、1981年に『悪魔の飽食』が731部隊の旧部隊員30名以上の聞き取り、『ハバロフスク公判書類』、北野政次等の医学学術論文等の既刊文献にもとづいて書かれ、続いて82年に『続・悪魔の飽食』が主としてアメリカ側資料(キャンプ・デトリック〈後にフォート・デトリックと改称〉に保管されていた『トンプソン・レポート』など)の発掘にもとづいて書かれ、さらに83年に『悪魔の飽食・第3部』が主として中国(ハルビン、平房、長春)での現地調査にもとづいて書かれた。
 
 

 



 

 










 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

消せない記憶「元軍医たちの謝罪の旅」

 

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