この世の地獄!731部隊・南京大虐殺

2009-11-30 10:32:01 | Weblog

「ノブの日記」 のタグをクリックお願いします!!

     「怨」

きけ!「マルタ・アジアの犠牲者」の叫び!

「日の丸」・「君が代」反対!!

(侵略のシンボル)(天皇賛美の歌)

新しい日本!!

「世襲の天皇制から選ばれし大統領制へ!」

(昭和天皇の戦争責任を問う。)

(時効なき戦争責任)



『死の工場』(隠蔽された731部隊)
(シェルダン・H・ハリス著、近藤昭二訳:柏書房)

日本語版前書き

戦後の倫理的退廃

 後に、元細菌戦部隊の研究者たちは、予研から退職あるいは在職中に死亡したが、しかし、彼らの研究方法は彼らが予研を去った後も長期にわたり継承され続けたと言わざるを得ない事態が起こる。インフルエンザのワクチンは許可されていたけれども、インフルエンザのワクチンの集団接種を学園児童に義務付けたのである。研究者の発表によれば、1971年から1980年までの10年間で、これらの実験により2万人以上の幼い児童が犠牲になったということだ。
 予研がその義務と基本的科学倫理を犯した例で、最も恐ろしい事件が1982年に起きた。予研の幹部は、アメリカのCDCから、非加熱製剤を使えばエイズウイルスに感染する可能性があることを警告されていた。しかし、この警告は無視されたのである。予研が最も重きを置くのは、いかにすれば日本の製薬会社の貪欲さを満足させることができるかということであり、生きるために輸血を必要とする人々の健康や幸福のことなどは念頭にはなかったのだ。予研が基本的な予防措置を怠ったために、何千人という血友病患者たちが死亡するか、あるいは重病をこうむった。(明日に続く)

※社会的に大問題となった薬害エイズ事件にも731部隊の影響があった!!

戦後補償
戦後補償裁判の成果を全面解決の戦いにどう生かすか(Suopei №66より)
                         松岡 創(弁護士)
 ・・・・これまでに20件以上の強制連行裁判が行われてきたわけですが、福岡訴訟第1陣の裁判官は、裁判を重ねるごとに態度が変わっていきました。裁判官は一生ののうち2回心からの判決を書くと言われています。この裁判官はこの判決を書くとき、手が震えたといいます。
 長野の1審の裁判官もそうです。本当は勝たせたい・・・・。悩みを持った裁判官もいます。
 最高裁判決では訴求権はない、となりましたが、このままでは許せないということで、私たちが付言と呼んでいる「当事者同士の解決」に言及したのです。その後、福岡高裁、宮崎の高裁などが「解決への期待」を表明しのたです。
 中国人の強制連行は4万人といわれています。38935人ですが、中国の港から出発した時は39385人です。途中の船で、港で、列車で亡くなり、事業所が受け入れたのが、先の人数です。そして6800人以上が事業所などで亡くなっています。
 今後どういう解決をしたらいいのでしょうか。例えばスペインでは「歴史記憶法」が制定され、独裁者フランコの銅像を壊すなどの動きがあります。ドイツでは「包括的名誉回復法」が制定されたといいます。ヨーロッパにはこういう動きがあります。日本では全くありません。 日本の企業はどうかというと、三菱マテリアルは、和解したいという姿勢です。法的安定性を求めています。三井は、国が変われば・・・、と言っています。西松はかたくなに和解を拒否していましたが、不祥事があり、全役員が交替しました。そして「解決したい」と言ってきました。西松は2つの現場があります。広島の安野に360人と、新潟の信濃川に183人です。それぞれが別の裁判を起こしていました。
 中国の中でも動きがありましす。全国人民代表大会でも意見が出されるようになっています。政治的解決に道が拓かれてきました。
 今、この日本で民主党が政権を取ったことの意味はとても大きいです。鳩山氏はアジア重視、東アジア共同体、中国・韓国との友好を言っています。私たちはこれに働きかける必要があります。それが市民運動の進むべき方向です。 

南京大虐殺
     

「この事実を・・・・」


(「南京大虐殺」生存者証言集:侵華日軍南京大屠殺遇難同胞紀念館/編 加藤 実/訳) (発行:ストーク、発売:星雲社、定価2000+税)

2、日本軍の狂暴な個人的虐殺

父や母の被害

謝大珍(女、57歳)の証言

 1937年の暮れに、日本軍が南京を占領した時、9歳になったばかりで、牌坊街東頭に住んでいて、父は両方の目が見えませんでした。父と母と弟に妹に私の、一家5人が、一番上の伯父が肉を売っていたお陰で私たち貧しいかつかつの生活を維持していました。
 ある日、私と妹が家で眠っていて、父が幼い弟を抱いてベッドに座っていました。不意に私は、日本兵が何人か、軍刀を腰にさげ、銃を手に持ち、威張り散らして家に向かってくるのを見かけ、恐くて大急ぎで伯父を探しに裏門の外まで走って行きました。日本軍が門から闖入してきて、あばら家の中で戸棚を倒し箱をひっくり返し、箱の中に伯母の孫娘の写真を見つけたのです。そこで、彼らは両眼失明している父にホアクーニャン(=若い娘)を探せと脅迫しましたが、一体どこから来たホアクーニャンを彼らにやれるでしょうか?日本軍はその場で父の懐にいた小さい弟をつつき殺し、そばに立っていた母と妹も等しく殺害の憂き目にあい、父も頭に1太刀刺され、痛くてがたがた震えていました。日本軍が行ってしまった後、父は日本軍が又来るかもしれないと、痛みを負いながら屋外へ這い出しました。後に父は日本軍に刺された傷と家族が罪もなく殺されたのとで、何年もしないうちに死んだのです。伯父と私は家に行ってその悲惨な場面を見せつけられ、頭を抱えて大声で泣き、じだんだを踏み胸打ち叩いても、天地に誰一人応じる者無く、ただ身も世も無く泣き続けるばかりでした。伯父は涙をためて母と妹と弟とを大きな木の下に葬りました。一家5人の内で、私1人だけが幸いにも難を免れました。伯父は年を取っていて、私を扶養する力はなく、私は売られて幼いいいなずけ(許嫁)になるしかありませんでした。今も、私はこうした肉親を失ったことで、しょっちゅう心を痛めて泣いています。
(湯雲龍と劉興林が記録)


南京大虐殺に加わった元陸軍伍長栗原利一さんの息子さんから大変貴重なコメントを頂いた!!
本当にありがとうございます!!「南京大虐殺」の真実が日本人の1人でも多くの方に理解していただけたらと強く思います!!以下:コメント


南京大虐殺は世界的に誤解されています。 中核的な出来事は南京陥落時の城外における大規模
な捕虜の殺害です。 父親(栗原利一)のスケッチブックでも7万余人と書かれています。 非戦闘時の7万余人の捕虜の殺害ですから、当然、日本陸軍が軍の組織として行なったものです。 捕虜の多くは蒋介石軍兵士などです。 ただ、中国側の言う30万人説は戦闘時の犠牲者も含めた数として合理的な数です。 昭和12年7月の南京の人口は135万人です。 11月末の人口は50万人で、これに南京防衛軍15万が加わった65万人が日本軍の攻撃に晒されました。 否定派の言う20万人は逃げ場の無い貧民の数です。 小平市の警察学校と小平団地を合わせた(昔の警察学校の広さ)10万坪の安全区に押し込められた貧民の数です。 (65連隊のシャーカンおける2千人斬首は父だけが日本側の証人です。名古屋市の河村市長は無知なだけです。「ジョン・ラーベ」は城内での出来事しか書かれていないので日本人には誤解を与えます。)

※日中戦争は、戦時国際法(戦争法)として国際慣習法が条文化されたハーグ陸戦条約に拘束されていた。同条約は、国家間の戦争を合法としながらも、国際人道法の理念からその惨禍をできるだけ軽減するために、直接の戦闘外に置かれた者の苦痛や殺傷を防止しようとしたものだった。そのために、戦争の手段と方法が規制され、非戦闘員である文民及び非軍事目標への攻撃を禁止し、さらに戦闘員を人道的に保護するために、直接の戦闘外におかれた捕虜、投降兵、敗残兵などの殺傷も禁じられた。捕虜についてはその保護と待遇改善を一層明確化して存在した。(日本は調印したが、批准はしなかった。しかし、欧米に対しては「同条約の規定を準用する」と表明した)。【『南京事件』:笠原十九司著:岩波新書】より

またまた、核心さん(栗原利一さんの息子さん)より、参考になるメールを頂いたので紹介したい。なぜ、日本は歴史を改ざんするのかがよく分かる!!

核心 2009年11月26日 18:12
「戦史叢書」と南京大屠殺記念館の差

結構知られているようなのですが、防衛研究所戦史部が南京を否定するのは、GHQのGSとG2の占領政策の違いから来ています。

この戦史部OBで終戦時少佐の森松俊夫氏が2006年に親父(栗原利一)のスケッチブックの破壊工作を行なって失敗しています。
(この方は、偕行社にいた時に東裁判を計画された方でもあります。)

以下は「加害と赦し、南京大虐殺と東史郎裁判」の中の吉田裕氏の論文の抜粋です。

防衛研修所戦史室の源流

...この資料整理部の前身は史実調査部、さらには史実部であるが、一貫してその中心的地位にあったのは、元陸軍大佐の服部卓四郎だった。
服部は、タカ派で有名なGHQ参謀第二部(G2)部長の、C.A.ウィロビー少将の援助の下に、周辺に旧日本軍の幕僚将校を集めて「服部グループ」を結成する。
占領中から、秘かに再軍備計画の研究にあたっていたのは、このグループである。

...戦史室編纂の「戦史叢書」が、旧軍の立場を代弁する弁明史観的性格を色濃く持たざるを得なかった...
栗原利一資料集

お知らせ
■ 南京・史実を守る映画祭 ■
(転載)
http://jijitu.com/filmfestival2009/  
○日時 2009年12月13日(日) 10:00開場
○場所 東京都世田谷区区民会館ホール
○料金 前売券900円、当日券999円。
1作品ごとに入れ替えを行います。前売券の購入方法は下記のURLをご参照ください。
http://jijitu.com/filmfestival2009/2009-09-28-06-41-10

○プログラム・上映作品
10:30-『南京』(88分)
13:00-『アイリス・チャン』(103分)
15:00- シンポジウム
  ※ゲスト:鈴木邦男さん、武田倫和監督さん(詳細はHPで)
  ※映画祭チケットご購入のすべての方が入場いただけます。
16:30-『南京・引き裂かれた記憶』(85分)
18:30-『チルドレン・オブ・ホァンシー 遥かなる希望の道』(125分)

主催:南京・史実を守る映画祭実行委員会
お問合せ:nankin-eigasai-owner@yahoogroups.jp


「南京大虐殺」と聞いて、どれだけの人々が具体的に事件のイメージを語ることができるでしょうか。日本では、南京大虐殺という事実は、公の場であまり語られることはなく、学校教育でもほとんど取り上げられず、どこか、事件に触れることがタブーであるかのような空気が作られているようでもあります。

 事件をめぐっては、戦後になっても何度かの裁判が提起されてきました。その中には、事件の証言をする人々に対する「偽者」呼ばわりがきっかけになったものも多くありました。
 中国人の被害者である夏淑琴さん、李秀英さん。事件そのものの証言を報じた本多勝一さん。

 事実は必ず勝つ、という言葉のとおり、これらの裁判では真実が勝利し、事件はなかったとする人々の主張はすべて、疑似科学や単なる読み物レベルの俗論に過ぎない、ということが白日の下に晒されてきました。

 しかし、事件はなかったとする勢力が沈黙することはなく、それどころか、事件について公の場で触れることそのものにまで、攻撃の手を伸ばしてきました。

 事件を描いた「南京1937」は、その上映が右翼によって暴力的に妨害され、上映する劇場のスクリーンは、右翼によって切り裂かれました。

日本の大手映画会社によって、日露戦争や太平洋戦争の映画が次々と作られる中にあっても、日本軍による中国大陸での残虐行為を描いた映画はほんのわずかしかなく、南京大虐殺を描く映画は皆無、という状態です。

 この間、諸外国では南京大虐殺をテーマにした映画が数多く制作され、公開されているのに、事件の当事者である日本の国内では、南京を描く映画は作られていないのです。

 映画【靖国】の上映に至るまでの経緯を振り返るとき、このような状況は「暴力と、それを恐れるが故の自粛」によってもたらされる、言論の自由の危機だとはっきりいえます。これは、断じて容認することはできません。

 そこで私たちは、映画配給会社がやらないのなら私たちがやってしまおうと決意し、南京大虐殺をテーマとする映画を集めて映画祭を開催することにしました。
 ぜひお越しください。


■第17回 川崎・横浜「平和のための戦争展」■(転載)
戦争遺跡を地域の文化財に

見て、歌って、考えて。
今年の戦争展は、こころとからだを通して、参加者のみなさんとともに戦争と平和について考えたいと思っています。今年は、アジア・太平洋戦争が終結してから64年。 戦争の記憶をどう受け継いでゆくのか。「継承」があらためて問われているといえます。
心に平和の歌を刻みながら、「戦争遺跡を地域の文化財に」という切り口で、戦争を「継承」するうえでの課題に迫ります。お気軽にご参加ください。

期日 2009年12月5日(土)~6日(日)
場所 川崎市平和館
http://www.city.kawasaki.jp/25/25heiwa/home/htm/kotsu.htm

■第1日目 12月5日(土)
13:00~15:00  文化行事
「くちびるに歌を 心に平和を」
歌うのは貴方、聴くのも貴方!
アコーディオンとピアノ伴奏つき。
展示見学を兼ねてご参加ください。
(友情出演 合唱団「白樺」 ほか)

■第2日目 12月6日(日)
10:00~12:00 若者の発表
「戦争の記憶をどう引き継ぐか」
13:00~15:00 シンポジウム
「戦争遺跡をいかす平和ミュージアム」
パネリスト
姫田光義さん(中央大学名誉教授)
山田朗さん(明治大学教授)
新井揆博さん(戦争遺跡保存全国ネット)
司会
渡辺賢二さん(明治大学講師)

<主 催> 川崎・横浜「平和のための戦争展」実行委員会
(代表)姫田光義 (副代表)大西章・渡辺賢二・新井揆博
(顧問)白井厚・須田輪太郎
<後 援> 川崎市
<連絡先> 亀岡敦子  045(561)2758

●『陸軍登戸研究場見学ツアー』(転載)

●日時:12月20日(日)10時
●集合場所:小田急線「生田駅」前集合
●見学後、明大食堂で姫田先生のお話
●参加費:無料
●主催:埼玉9条連・川崎9条連「共催」
◆『フィールドワーク・陸軍登戸研究所』
http://www.book.janjan.jp/0909/0909069848/1.php

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この世の地獄!731部隊・南京大虐殺

2009-11-29 18:22:51 | Weblog

「ノブの日記」 のタグをクリックお願いします!!

     「怨」

きけ!「マルタ・アジアの犠牲者」の叫び!

「日の丸」・「君が代」反対!!

(侵略のシンボル)(天皇賛美の歌)

新しい日本!!

「世襲の天皇制から選ばれし大統領制へ!」

(昭和天皇の戦争責任を問う。)

(時効なき戦争責任)


『死の工場』(隠蔽された731部隊)
(シェルダン・H・ハリス著、近藤昭二訳:柏書房)

日本語版前書き

戦後の倫理的退廃

 予研の科学者たちの一部は細菌戦部隊で培った因習に従い、無許可のワクチンの実験を患者に対して行い続けた。福見秀雄博士は、1951年、国立東京第一病院に入院中の乳児たちに、両親に告知することも許可を得ることもなく大腸菌を飲ませる実験を行った。また、予研の北岡正見博士は、1952年から1956年までの4年間にわたり、新潟県の精神病院で行われたリケッチャ・ツツガムシの実験に関与している。これらの患者も実験に同意する能力などもたない人々であった。しかし、研究者はそんなことには頓着しなかった。なぜなら、細菌戦部隊では人体実験を行うのに本人の同意など必要としなかったからだ。この実験で少なくとも8人の患者が亡くなった。自殺した者もいる。北岡は、1970年3月、予研の第4代副所長に任命され、1973年11月まで在任した。
 1967年、2ヶ月間にわたり、元731部隊の幹部は、まだ開発段階にあったため研究室外では使用を認められていなかった試薬を、自衛隊員を使って実験した。これにも福見秀雄博士は関与し、その研究チームは、信じて疑わぬ自衛隊員に無許可の試薬を投与して、その有効性を調べたのである。この実験の最中、28人が集団で赤痢に感染し、1089人の被験者のうち、半数以上に当たる577人が急性食中毒症状を起こした。(明日に続く)

※731部隊は誰一人として裁判で裁かれなかったのだから、今までのやり方を変えようとしなかった。
またこれらの偉い?人々についた弟子たちも同じようなことをやったのだろう。私は、日本の医学史を知らないが、いつから日本がインフォームド・コンセントが常識になったのだろうか?ドイツに比べれば相当遅くなったのではないか?

戦後補償
・中国人強制連行裁判で2007年4月に最高裁西松判決では、「日中共同声明第5項により、個人賠償請求権は放棄された」と判示された。しかし、中国外務省は直ちに「国の戦争賠償請求権は放棄したが、被害者個人の請求権は放棄していない。最高裁判決は『違法』、『無効』である」と非難している。

・中国人強制連行の背景
日中戦争が深まり、太平洋戦争も迫った1940年頃、日本は深刻な労働不足に陥っていました。重要な戦略物資の生産拠点である炭坑や金鉱鉱山、港湾荷役、飛行場建設などには既に朝鮮人が強制連行され、奴隷労働を強いられていましたが、それでも労働力は決定的に不足していました。そこで企業は、政府に中国人労働者の強制連行・強制労働を願い出、政府はこの要請に応じて、1942年の閣議決定で中国人の強制連行を決定しました。時の内閣は東條内閣、商工大臣の
岸信介  の係わりが大きい。「華人労務者内地移入ニ関スル件」及び「華人労務者内地移入ノ促進ニ関スル件」
※満州で辣腕をふるい、東條内閣でも商工大臣として中国人の強制連行に係わった岸が戦後総理大臣になるとは、どういうことか?その外孫の
安倍晋三  も首相になるとは?
 

最近の裁判の動き【「Suopei(すおぺい)」=中国語で「索賠」(賠償請求)を意味します。№66より】
中国人強制連行:長野訴訟、控訴審判決(2009年9月17日:東京高等裁判所第19民事部)

 被害事実・企業の安全配慮義務違反は認定するも請求権放棄で切る

 判決では、強制連行強制労働の事実認定について第1審判決をそのまま維持し、国と企業の共同不法行為であることも認めた。第1審では認められなかった企業の安全配慮義務違反については控訴審ではこれを認定したものの、第1審に続き、国の安全配慮義務違反についてはこれを否定した。時効と除斥期間については判断せず、結局、日中共同声明により個人賠償請求権は放棄されているとして西松最高裁判決と同様の判断をした。

 賃金支払いについては退ける

ただ、「自発的な対応の余地があるとしても、裁判上訴求することは認められない」とし、広島西松建設判決と同様に実態法上の権利としては存在することは否定しなかったこと、自発的な対応の余地があるとしたことは、むしろ積極的に評価し、今後の運動につなげていくべきではないかと考える。
 また、企業に対して安全配慮義務違反を認定したこと、賃金は支払ったとする企業側の主張は明確に退けたことは、企業に解決を迫る上での力にしたい。


戦後補償裁判の成果を全面解決の戦いにどう生かすか(Suopei №66より)
                         松岡 創(弁護士)
 ・・・・これまでに20件以上の強制連行裁判が行われてきたわけですが、福岡訴訟第1陣の裁判官は、裁判を重ねるごとに態度が変わっていきました。裁判官は一生ののうち2回心からの判決を書くと言われています。この裁判官はこの判決を書くとき、手が震えたといいます。
 長野の1審の裁判官もそうです。本当は勝たせたい・・・・。悩みを持った裁判官もいます。
 最高裁判決では訴求権はない、となりましたが、このままでは許せないということで、私たちが付言と呼んでいる「当事者同士の解決」に言及したのです。その後、福岡高裁、宮崎の高裁などが「解決への期待」を表明しのたです。
 中国人の強制連行は4万人といわれています。38935人ですが、中国の港から出発した時は39385人です。途中の船で、港で、列車で亡くなり、事業所が受け入れたのが、先の人数です。そして6800人以上が事業所などで亡くなっています。
 今後どういう解決をしたらいいのでしょうか。例えばスペインでは「歴史記憶法」が制定され、独裁者フランコの銅像を壊すなどの動きがあります。ドイツでは「包括的名誉回復法」が制定されたといいます。ヨーロッパにはこういう動きがあります。日本では全くありません。 日本の企業はどうかというと、三菱マテリアルは、和解したいという姿勢です。法的安定性を求めています。三井は、国が変われば・・・、と言っています。西松はかたくなに和解を拒否していましたが、不祥事があり、全役員が交替しました。そして「解決したい」と言ってきました。西松は2つの現場があります。広島の安野に360人と、新潟の信濃川に183人です。それぞれが別の裁判を起こしていました。
 中国の中でも動きがありましす。全国人民代表大会でも意見が出されるようになっています。政治的解決に道が拓かれてきました。
 今、この日本で民主党が政権を取ったことの意味はとても大きいです。鳩山氏はアジア重視、東アジア共同体、中国・韓国との友好を言っています。私たちはこれに働きかける必要があります。それが市民運動の進むべき方向です。 

中国人戦争被害者の要求を支える会

南京大虐殺
     

「この事実を・・・・」


(「南京大虐殺」生存者証言集:侵華日軍南京大屠殺遇難同胞紀念館/編 加藤 実/訳) (発行:ストーク、発売:星雲社、定価2000+税)

2、日本軍の狂暴な個人的虐殺

父や母の被害

劉長椿(男、73歳)の証言

 父の劉広寿は、その頃58歳でしたが、日本軍が入って来た明くる日の午後、父が1人家で門番をしていて、莫愁路へ通じる裏門を開け、街の様子を見てみようと思いました。ちょうど門を開けたところで、日本兵1人と出っくわし、その日本兵が父を捕まえ、水を担ぎに行かせようとしたので、手真似をして、担いでも動けないから、他の人に担がせなよ、と言ったつもりでした。日本軍が父の水を担ごうとしないのを見て、父の頭に猛然と1太刀斬りつけてきたので、顔中血だらけになって、地に倒れ、日本軍がまた腹を何太刀か突っつきましたが、幸いその頃は冬で、着ていたのが皮の長い上着だったので、刀が腹まで突き入らなかったのですが、吃驚して動けなくなり、日本軍は父は死んだと思い行ってしまいました。日本軍が行ってしまうのを待って、父はその夜のうちに避難しに難民区に逃げ込んだのでした。父は傷がもとで1939年に死去しました。(陳如華と林佩秋が記録)


南京大虐殺に加わった元陸軍伍長栗原利一さんの息子さんから大変貴重なコメントを頂いた!!
本当にありがとうございます!!「南京大虐殺」の真実が日本人の1人でも多くの方に理解していただけたらと強く思います!!以下:コメント


南京大虐殺は世界的に誤解されています。 中核的な出来事は南京陥落時の城外における大規模
な捕虜の殺害です。 父親(栗原利一)のスケッチブックでも7万余人と書かれています。 非戦闘時の7万余人の捕虜の殺害ですから、当然、日本陸軍が軍の組織として行なったものです。 捕虜の多くは蒋介石軍兵士などです。 ただ、中国側の言う30万人説は戦闘時の犠牲者も含めた数として合理的な数です。 昭和12年7月の南京の人口は135万人です。 11月末の人口は50万人で、これに南京防衛軍15万が加わった65万人が日本軍の攻撃に晒されました。 否定派の言う20万人は逃げ場の無い貧民の数です。 小平市の警察学校と小平団地を合わせた(昔の警察学校の広さ)10万坪の安全区に押し込められた貧民の数です。 (65連隊のシャーカンおける2千人斬首は父だけが日本側の証人です。名古屋市の河村市長は無知なだけです。「ジョン・ラーベ」は城内での出来事しか書かれていないので日本人には誤解を与えます。)

※日中戦争は、戦時国際法(戦争法)として国際慣習法が条文化されたハーグ陸戦条約に拘束されていた。同条約は、国家間の戦争を合法としながらも、国際人道法の理念からその惨禍をできるだけ軽減するために、直接の戦闘外に置かれた者の苦痛や殺傷を防止しようとしたものだった。そのために、戦争の手段と方法が規制され、非戦闘員である文民及び非軍事目標への攻撃を禁止し、さらに戦闘員を人道的に保護するために、直接の戦闘外におかれた捕虜、投降兵、敗残兵などの殺傷も禁じられた。捕虜についてはその保護と待遇改善を一層明確化して存在した。(日本は調印したが、批准はしなかった。しかし、欧米に対しては「同条約の規定を準用する」と表明した)。【『南京事件』:笠原十九司著:岩波新書】より

またまた、核心さん(栗原利一さんの息子さん)より、参考になるメールを頂いたので紹介したい。なぜ、日本は歴史を改ざんするのかがよく分かる!!

核心 2009年11月26日 18:12
「戦史叢書」と南京大屠殺記念館の差

結構知られているようなのですが、防衛研究所戦史部が南京を否定するのは、GHQのGSとG2の占領政策の違いから来ています。

この戦史部OBで終戦時少佐の森松俊夫氏が2006年に親父(栗原利一)のスケッチブックの破壊工作を行なって失敗しています。
(この方は、偕行社にいた時に東裁判を計画された方でもあります。)

以下は「加害と赦し、南京大虐殺と東史郎裁判」の中の吉田裕氏の論文の抜粋です。

防衛研修所戦史室の源流

...この資料整理部の前身は史実調査部、さらには史実部であるが、一貫してその中心的地位にあったのは、元陸軍大佐の服部卓四郎だった。
服部は、タカ派で有名なGHQ参謀第二部(G2)部長の、C.A.ウィロビー少将の援助の下に、周辺に旧日本軍の幕僚将校を集めて「服部グループ」を結成する。
占領中から、秘かに再軍備計画の研究にあたっていたのは、このグループである。

...戦史室編纂の「戦史叢書」が、旧軍の立場を代弁する弁明史観的性格を色濃く持たざるを得なかった...

※南京大虐殺の際には帰国をはしゃぐ兵士たちを横目に、連隊首脳は、帰郷したした兵士らが、歓迎会席上などで、知人・友人を前にめったなことを口走らないように、「銃後ニ答フ」という想定問答集まで編集した。

栗原利一資料集

■ 南京・史実を守る映画祭 ■ (転載)
http://jijitu.com/filmfestival2009/  
○日時 2009年12月13日(日) 10:00開場
○場所 東京都世田谷区区民会館ホール
○料金 前売券900円、当日券999円。
1作品ごとに入れ替えを行います。前売券の購入方法は下記のURLをご参照ください。
http://jijitu.com/filmfestival2009/2009-09-28-06-41-10

○プログラム・上映作品
10:30-『南京』(88分)
13:00-『アイリス・チャン』(103分)
15:00- シンポジウム
  ※ゲスト:鈴木邦男さん、武田倫和監督さん(詳細はHPで)
  ※映画祭チケットご購入のすべての方が入場いただけます。
16:30-『南京・引き裂かれた記憶』(85分)
18:30-『チルドレン・オブ・ホァンシー 遥かなる希望の道』(125分)

主催:南京・史実を守る映画祭実行委員会
お問合せ:nankin-eigasai-owner@yahoogroups.jp


「南京大虐殺」と聞いて、どれだけの人々が具体的に事件のイメージを語ることができるでしょうか。日本では、南京大虐殺という事実は、公の場であまり語られることはなく、学校教育でもほとんど取り上げられず、どこか、事件に触れることがタブーであるかのような空気が作られているようでもあります。

 事件をめぐっては、戦後になっても何度かの裁判が提起されてきました。その中には、事件の証言をする人々に対する「偽者」呼ばわりがきっかけになったものも多くありました。
 中国人の被害者である夏淑琴さん、李秀英さん。事件そのものの証言を報じた本多勝一さん。

 事実は必ず勝つ、という言葉のとおり、これらの裁判では真実が勝利し、事件はなかったとする人々の主張はすべて、疑似科学や単なる読み物レベルの俗論に過ぎない、ということが白日の下に晒されてきました。

 しかし、事件はなかったとする勢力が沈黙することはなく、それどころか、事件について公の場で触れることそのものにまで、攻撃の手を伸ばしてきました。

 事件を描いた「南京1937」は、その上映が右翼によって暴力的に妨害され、上映する劇場のスクリーンは、右翼によって切り裂かれました。

日本の大手映画会社によって、日露戦争や太平洋戦争の映画が次々と作られる中にあっても、日本軍による中国大陸での残虐行為を描いた映画はほんのわずかしかなく、南京大虐殺を描く映画は皆無、という状態です。

 この間、諸外国では南京大虐殺をテーマにした映画が数多く制作され、公開されているのに、事件の当事者である日本の国内では、南京を描く映画は作られていないのです。

 映画【靖国】の上映に至るまでの経緯を振り返るとき、このような状況は「暴力と、それを恐れるが故の自粛」によってもたらされる、言論の自由の危機だとはっきりいえます。これは、断じて容認することはできません。

 そこで私たちは、映画配給会社がやらないのなら私たちがやってしまおうと決意し、南京大虐殺をテーマとする映画を集めて映画祭を開催することにしました。
 ぜひお越しください。

1つの家族をずっと、国民の税金を使って、意味のよく分からない象徴としてあがめるのではなく、日本の国を良い方向に進めるリーダー(大統領)を選挙で選んだ方がいいのではないのかな?

●「怨」旗は、水俣病原告団が掲げた旗である。
水俣病  も、国・県・チッソは10年以上もその責任を認めず患者を増やし続けた。
 

コメント (1)

この世の地獄!731部隊・南京大虐殺

2009-11-28 12:34:32 | Weblog
「ノブの日記」 のタグをクリックお願いします!!

     「怨」

きけ!「マルタ・アジアの犠牲者」の叫び!

「日の丸」・「君が代」反対!!

(侵略のシンボル)(天皇賛美の歌)

新しい日本!!

「世襲の天皇制から選ばれし大統領制へ!」

(昭和天皇の戦争責任を問う。)

(時効なき戦争責任)


『死の工場』(隠蔽された731部隊)
(シェルダン・H・ハリス著、近藤昭二訳:柏書房)

日本語版前書き

戦後の倫理的退廃

 予研設立当時の副所長であり、元細菌戦人体実験の研究者であった小島三郎は、後に次のように語っているー人体が放射線を浴びるとどうなるかを綿密に観察するために、「この好機を逸すべきでないと言うことは、等しく識者の考えたことである」。予研はABCCによる被爆者への原爆の影響の追跡調査をサポートしていたのである。被爆者はABCCの診察に来ることを強要された。ABCCに入ると、彼らは全裸にされて身体を検査され、体の各部にX線を当てられ採血までされた。そして、被爆者が原爆に起因する原因で亡くなった場合、家族は検屍解剖をABCCに強制的に承認させられたのである。被爆者は最後の最後まで人間として扱われることはなかったのだ。
 1947年から1980年代初めまで、予研の所長には、すべて細菌戦部隊に関与していた人物が就任している。この30余年間に所長に就任した7人のうち4人は、健康な人間の生体解剖を含む人体実験に関わったことのある研究者であったことが分かっている。この間に副所長に任命された者の多くは、細菌戦のネットワークで医師として勤務しており、彼らもまた人体実験に参加したことがあることが分かっている。細菌戦部隊の元部隊長らは、戦後、予研で密かに「研究」する便宜を与えられたし、多くの医学者、獣医学者、昆虫学者らは設立当初から予研の職員名簿に名を連ね、その後間もなく、予研の部長などになったのである。(明日に続く)

※裁かれずに、戦後も多くの731の医学者が、危ない医学実験を行っていた!!

戦後補償
・中国人強制連行裁判で2007年4月に最高裁西松判決では、「日中共同声明第5項により、個人賠償請求権は放棄された」と判示された。しかし、中国外務省は直ちに「国の戦争賠償請求権は放棄したが、被害者個人の請求権は放棄していない。最高裁判決は『違法』、『無効』である」と非難している。

最近の裁判の動き【「Suopei(すおぺい)」=中国語で「索賠」(賠償請求)を意味します。№66より】
中国人強制連行:長野訴訟、控訴審判決(2009年9月17日:東京高等裁判所第19民事部)

 被害事実・企業の安全配慮義務違反は認定するも請求権放棄で切る

 判決では、強制連行強制労働の事実認定について第1審判決をそのまま維持し、国と企業の共同不法行為であることも認めた。第1審では認められなかった企業の安全配慮義務違反については控訴審ではこれを認定したものの、第1審に続き、国の安全配慮義務違反についてはこれを否定した。時効と除斥期間については判断せず、結局、日中共同声明により個人賠償請求権は放棄されているとして西松最高裁判決と同様の判断をした。

 賃金支払いについては退ける

ただ、「自発的な対応の余地があるとしても、裁判上訴求することは認められない」とし、広島西松建設判決と同様に実態法上の権利としては存在することは否定しなかったこと、自発的な対応の余地があるとしたことは、むしろ積極的に評価し、今後の運動につなげていくべきではないかと考える。
 また、企業に対して安全配慮義務違反を認定したこと、賃金は支払ったとする企業側の主張は明確に退けたことは、企業に解決を迫る上での力にしたい。


戦後補償裁判の成果を全面解決の戦いにどう生かすか(Suopei №66より)
                         松岡 創(弁護士)
 ・・・・これまでに20件以上の強制連行裁判が行われてきたわけですが、福岡訴訟第1陣の裁判官は、裁判を重ねるごとに態度が変わっていきました。裁判官は一生ののうち2回心からの判決を書くと言われています。この裁判官はこの判決を書くとき、手が震えたといいます。
 長野の1審の裁判官もそうです。本当は勝たせたい・・・・。悩みを持った裁判官もいます。
 最高裁判決では訴求権はない、となりましたが、このままでは許せないということで、私たちが付言と呼んでいる「当事者同士の解決」に言及したのです。その後、福岡高裁、宮崎の高裁などが「解決への期待」を表明しのたです。
 中国人の強制連行は4万人といわれています。38935人ですが、中国の港から出発した時は39385人です。途中の船で、港で、列車で亡くなり、事業所が受け入れたのが、先の人数です。そして6800人以上が事業所などで亡くなっています。
 今後どういう解決をしたらいいのでしょうか。例えばスペインでは「歴史記憶法」が制定され、独裁者フランコの銅像を壊すなどの動きがあります。ドイツでは「包括的名誉回復法」が制定されたといいます。ヨーロッパにはこういう動きがあります。日本では全くありません。 日本の企業はどうかというと、三菱マテリアルは、和解したいという姿勢です。法的安定性を求めています。三井は、国が変われば・・・、と言っています。西松はかたくなに和解を拒否していましたが、不祥事があり、全役員が交替しました。そして「解決したい」と言ってきました。西松は2つの現場があります。広島の安野に360人と、新潟の信濃川に183人です。それぞれが別の裁判を起こしていました。
 中国の中でも動きがありましす。全国人民代表大会でも意見が出されるようになっています。政治的解決に道が拓かれてきました。
 今、この日本で民主党が政権を取ったことの意味はとても大きいです。鳩山氏はアジア重視、東アジア共同体、中国・韓国との友好を言っています。私たちはこれに働きかける必要があります。それが市民運動の進むべき方向です。 
中国人戦争被害者の要求を支える会

南京大虐殺     

「この事実を・・・・」


(「南京大虐殺」生存者証言集:侵華日軍南京大屠殺遇難同胞紀念館/編 加藤 実/訳) (発行:ストーク、発売:星雲社、定価2000+税)

2、日本軍の狂暴な個人的虐殺

父や母の被害

呉長林(男、55歳)の証言

 1937年の冬月16日に、日本軍が南京を占領した後、家は大石○街92号から、難民区の高家酒館の中に引き移りました。父は呉永義と言って、あの時35歳でしたが、日本軍が高家酒館に闖入してきて、父に出て来いと呼ばわり、ゴム輪の人力車を指差しチューブをほしがるので、父は手真似で無いと言うと、日本兵は猛々しく日本刀を抜いて、父の身体を6太刀斬り、腿を3太刀突っついて、血がどっと流れました。私は恐くて泣きだし、母が私の口を押さえて、泣き声が出ないようにし、祖母が父のこのありさまを見て、とっても悲しみ、同じ家屋に住んでいた爺さんを探してきて、その2人は年寄り夫婦なんだと言って、鬼の奴等の前にひざまずいて許しを求めてくれ、父にチューブを探しに行かせてもらってくれたので、そんな風にして日本軍のむごい殺害から逃れ、一死を免れたのでした。
(寿雲芬と沙志華が記録)
※○はワープロで変換できない字

南京大虐殺に加わった元陸軍伍長栗原利一さんの息子さんから大変貴重なコメントを頂いた!!
本当にありがとうございます!!「南京大虐殺」の真実が日本人の1人でも多くの方に理解していただけたらと強く思います!!以下:コメント


南京大虐殺は世界的に誤解されています。 中核的な出来事は南京陥落時の城外における大規模な捕虜の殺害です。 父親(栗原利一)のスケッチブックでも7万余人と書かれています。 非戦闘時の7万余人の捕虜の殺害ですから、当然、日本陸軍が軍の組織として行なったものです。 捕虜の多くは蒋介石軍兵士などです。 ただ、中国側の言う30万人説は戦闘時の犠牲者も含めた数として合理的な数です。 昭和12年7月の南京の人口は135万人です。 11月末の人口は50万人で、これに南京防衛軍15万が加わった65万人が日本軍の攻撃に晒されました。 否定派の言う20万人は逃げ場の無い貧民の数です。 小平市の警察学校と小平団地を合わせた(昔の警察学校の広さ)10万坪の安全区に押し込められた貧民の数です。 (65連隊のシャーカンおける2千人斬首は父だけが日本側の証人です。名古屋市の河村市長は無知なだけです。「ジョン・ラーベ」は城内での出来事しか書かれていないので日本人には誤解を与えます。)

※日中戦争は、戦時国際法(戦争法)として国際慣習法が条文化されたハーグ陸戦条約に拘束されていた。同条約は、国家間の戦争を合法としながらも、国際人道法の理念からその惨禍をできるだけ軽減するために、直接の戦闘外に置かれた者の苦痛や殺傷を防止しようとしたものだった。そのために、戦争の手段と方法が規制され、非戦闘員である文民及び非軍事目標への攻撃を禁止し、さらに戦闘員を人道的に保護するために、直接の戦闘外におかれた捕虜、投降兵、敗残兵などの殺傷も禁じられた。捕虜についてはその保護と待遇改善を一層明確化して存在した。(日本は調印したが、批准はしなかった。しかし、欧米に対しては「同条約の規定を準用する」と表明した)。【『南京事件』:笠原十九司著:岩波新書】より

またまた、核心さん(栗原利一さんの息子さん)より、参考になるメールを頂いたので紹介したい。なぜ、日本は歴史を改ざんするのかがよく分かる!!

核心 2009年11月26日 18:12
「戦史叢書」と南京大屠殺記念館の差

結構知られているようなのですが、防衛研究所戦史部が南京を否定するのは、GHQのGSとG2の占領政策の違いから来ています。

この戦史部OBで終戦時少佐の森松俊夫氏が2006年に親父(栗原利一)のスケッチブックの破壊工作を行なって失敗しています。
(この方は、偕行社にいた時に東裁判を計画された方でもあります。)

以下は「加害と赦し、南京大虐殺と東史郎裁判」の中の吉田裕氏の論文の抜粋です。

防衛研修所戦史室の源流

...この資料整理部の前身は史実調査部、さらには史実部であるが、一貫してその中心的地位にあったのは、元陸軍大佐の服部卓四郎だった。
服部は、タカ派で有名なGHQ参謀第二部(G2)部長の、C.A.ウィロビー少将の援助の下に、周辺に旧日本軍の幕僚将校を集めて「服部グループ」を結成する。
占領中から、秘かに再軍備計画の研究にあたっていたのは、このグループである。

...戦史室編纂の「戦史叢書」が、旧軍の立場を代弁する弁明史観的性格を色濃く持たざるを得なかった...


※南京大虐殺の際には帰国をはしゃぐ兵士たちを横目に、連隊首脳は、帰郷したした兵士らが、歓迎会席上などで、知人・友人を前にめったなことを口走らないように、「銃後ニ答フ」という想定問答集まで編集した。

※国は、天皇制に大きく係わるので戦争のことを今でも隠そうと必死である。その結果、南京大虐殺の否定本が書店に出回り、教科書にもその記述が少なくなってきている。
 731はもっと無視されているのかも知れない。
 昭和天皇に係わるだけに、大きく取り上げられることは少ない!!

栗原利一資料集

■ 南京・史実を守る映画祭 ■ (転載)
http://jijitu.com/filmfestival2009/  
○日時 2009年12月13日(日) 10:00開場
○場所 東京都世田谷区区民会館ホール
○料金 前売券900円、当日券999円。
1作品ごとに入れ替えを行います。前売券の購入方法は下記のURLをご参照ください。
http://jijitu.com/filmfestival2009/2009-09-28-06-41-10

○プログラム・上映作品
10:30-『南京』(88分)
13:00-『アイリス・チャン』(103分)
15:00- シンポジウム
  ※ゲスト:鈴木邦男さん、武田倫和監督さん(詳細はHPで)
  ※映画祭チケットご購入のすべての方が入場いただけます。
16:30-『南京・引き裂かれた記憶』(85分)
18:30-『チルドレン・オブ・ホァンシー 遥かなる希望の道』(125分)

主催:南京・史実を守る映画祭実行委員会
お問合せ:nankin-eigasai-owner@yahoogroups.jp


「南京大虐殺」と聞いて、どれだけの人々が具体的に事件のイメージを語ることができるでしょうか。日本では、南京大虐殺という事実は、公の場であまり語られることはなく、学校教育でもほとんど取り上げられず、どこか、事件に触れることがタブーであるかのような空気が作られているようでもあります。

 事件をめぐっては、戦後になっても何度かの裁判が提起されてきました。その中には、事件の証言をする人々に対する「偽者」呼ばわりがきっかけになったものも多くありました。
 中国人の被害者である夏淑琴さん、李秀英さん。事件そのものの証言を報じた本多勝一さん。

 事実は必ず勝つ、という言葉のとおり、これらの裁判では真実が勝利し、事件はなかったとする人々の主張はすべて、疑似科学や単なる読み物レベルの俗論に過ぎない、ということが白日の下に晒されてきました。

 しかし、事件はなかったとする勢力が沈黙することはなく、それどころか、事件について公の場で触れることそのものにまで、攻撃の手を伸ばしてきました。

 事件を描いた「南京1937」は、その上映が右翼によって暴力的に妨害され、上映する劇場のスクリーンは、右翼によって切り裂かれました。

日本の大手映画会社によって、日露戦争や太平洋戦争の映画が次々と作られる中にあっても、日本軍による中国大陸での残虐行為を描いた映画はほんのわずかしかなく、南京大虐殺を描く映画は皆無、という状態です。

 この間、諸外国では南京大虐殺をテーマにした映画が数多く制作され、公開されているのに、事件の当事者である日本の国内では、南京を描く映画は作られていないのです。

 映画【靖国】の上映に至るまでの経緯を振り返るとき、このような状況は「暴力と、それを恐れるが故の自粛」によってもたらされる、言論の自由の危機だとはっきりいえます。これは、断じて容認することはできません。

 そこで私たちは、映画配給会社がやらないのなら私たちがやってしまおうと決意し、南京大虐殺をテーマとする映画を集めて映画祭を開催することにしました。
 ぜひお越しください。

朝香宮
兵士たちが記録した南京大虐殺1

1つの家族をずっと、国民の税金を使って、意味のよく分からない象徴としてあがめるのではなく、日本の国を良い方向に進めるリーダー(大統領)を選挙で選んだ方がいいのではないのかな?


●「怨」旗は、水俣病原告団が掲げた旗である。
水俣病  も、国・県・チッソは10年以上もその責任を認めず患者を増やし続けた。
 
コメント

この世の地獄!731部隊・南京大虐殺

2009-11-27 08:00:58 | Weblog
 「ノブの日記」 のタグをクリックお願いします!!

     「怨」

きけ!「マルタ・アジアの犠牲者」の叫び!

「日の丸」・「君が代」反対!!

(侵略のシンボル)(天皇賛美の歌)

新しい日本!!

「世襲の天皇制から選ばれし大統領制へ!」

(昭和天皇の戦争責任を問う。)

(時効なき戦争責任)


『死の工場』(隠蔽された731部隊)
(シェルダン・H・ハリス著、近藤昭二訳:柏書房)

日本語版前書き

戦後の倫理的退廃

 戦時中の残虐行為に対する正式謝罪を強固に拒む政府も問題ではあるが、それよりさらに深刻なのは、戦後の民主主義を唱える日本において、科学と医学に携わる人間たちの間で、モラルの低下が広範囲かつ顕著に広まったことである。戦後、戦犯容疑のあった者たちが、大学、研究所、政府機関、産業界での要職に就いた結果である。アメリカの占領軍当局の「要請」により、1947年5月21日、日本政府は戦後の最も重要な日本の医学研究所である国立予防衛生研究所(予研)を設立した。その職員の半数以上が東京大学伝染病研究所の出身者で占められていた。東大伝研OBの一部は細菌戦の研究機関の少なくとも1つに関わっていたのである。防疫研究室(LIDC)の嘱託だった者もいた。この研究室は、東京都新宿区戸山の陸軍軍医学校内に設けられていた施設で、日本軍の細菌戦の全ネットワークの総本部であった。
 予研の仕事は、病原体とワクチンの研究であったが、生物製剤の品質管理も一手に任されていた。製品の一般販売を許可する前にその安全性を確認するためである。しかし予研には一般に知らされていないほかの目的もあったのである。たとえば、予研は占領軍により、広島と長崎の、アメリカ管理下にある原爆傷害調査委員会(ABCC)に協力するよう指示されていた。予研もABCCも被爆者の治療に専念するのではなく、被爆者の肉体的・感情的障害の進展状況を研究していたのである。(明日に続く)

※医学者が病気の治療に専念するのではなく、障害の進展状況を研究するとは原爆の威力の研究をしていたということか?驚きである!!

戦後補償

・中国人強制連行裁判で2007年4月に最高裁西松判決では、「日中共同声明第5項により、個人賠償請求権は放棄された」と判示された。しかし、中国外務省は直ちに「国の戦争賠償請求権は放棄したが、被害者個人の請求権は放棄していない。最高裁判決は『違法』、『無効』である」と非難している。

最近の裁判の動き【「Suopei(すおぺい)」=中国語で「索賠」(賠償請求)を意味します。№66より】
中国人強制連行:長野訴訟、控訴審判決(2009年9月17日:東京高等裁判所第19民事部)

 被害事実・企業の安全配慮義務違反は認定するも請求権放棄で切る

 判決では、強制連行強制労働の事実認定について第1審判決をそのまま維持し、国と企業の共同不法行為であることも認めた。第1審では認められなかった企業の安全配慮義務違反については控訴審ではこれを認定したものの、第1審に続き、国の安全配慮義務違反についてはこれを否定した。時効と除斥期間については判断せず、結局、日中共同声明により個人賠償請求権は放棄されているとして西松最高裁判決と同様の判断をした。

 賃金支払いについては退ける

ただ、「自発的な対応の余地があるとしても、裁判上訴求することは認められない」とし、広島西松建設判決と同様に実態法上の権利としては存在することは否定しなかったこと、自発的な対応の余地があるとしたことは、むしろ積極的に評価し、今後の運動につなげていくべきではないかと考える。
 また、企業に対して安全配慮義務違反を認定したこと、賃金は支払ったとする企業側の主張は明確に退けたことは、企業に解決を迫る上での力にしたい。


戦後補償裁判の成果を全面解決の戦いにどう生かすか(Suopei №66より)
                         松岡 創(弁護士)
 ・・・・これまでに20件以上の強制連行裁判が行われてきたわけですが、福岡訴訟第1陣の裁判官は、裁判を重ねるごとに態度が変わっていきました。裁判官は一生ののうち2回心からの判決を書くと言われています。この裁判官はこの判決を書くとき、手が震えたといいます。
 長野の1審の裁判官もそうです。本当は勝たせたい・・・・。悩みを持った裁判官もいます。
 最高裁判決では訴求権はない、となりましたが、このままでは許せないということで、私たちが付言と呼んでいる「当事者同士の解決」に言及したのです。その後、福岡高裁、宮崎の高裁などが「解決への期待」を表明しのたです。
 中国人の強制連行は4万人といわれています。38935人ですが、中国の港から出発した時は39385人です。途中の船で、港で、列車で亡くなり、事業所が受け入れたのが、先の人数です。そして6800人以上が事業所などで亡くなっています。
 今後どういう解決をしたらいいのでしょうか。例えばスペインでは「歴史記憶法」が制定され、独裁者フランコの銅像を壊すなどの動きがあります。ドイツでは「包括的名誉回復法」が制定されたといいます。ヨーロッパにはこういう動きがあります。日本では全くありません。 日本の企業はどうかというと、三菱マテリアルは、和解したいという姿勢です。法的安定性を求めています。三井は、国が変われば・・・、と言っています。西松はかたくなに和解を拒否していましたが、不祥事があり、全役員が交替しました。そして「解決したい」と言ってきました。西松は2つの現場があります。広島の安野に360人と、新潟の信濃川に183人です。それぞれが別の裁判を起こしていました。
 中国の中でも動きがありましす。全国人民代表大会でも意見が出されるようになっています。政治的解決に道が拓かれてきました。
 今、この日本で民主党が政権を取ったことの意味はとても大きいです。鳩山氏はアジア重視、東アジア共同体、中国・韓国との友好を言っています。私たちはこれに働きかける必要があります。それが市民運動の進むべき方向です。 

中国人戦争被害者の要求を支える会

・731部隊の組織犯罪については、関東軍という日本陸軍の一駐留軍の指揮命令系統下にあった。部隊そのものは関東軍司令官の直轄であり、あらゆる人体実験も形式上は司令官の命令無しには行なわれえなかった。また、731部隊以外の「防疫給水部隊」(北京、南京、広東など)も日本陸軍の中国派遣軍の指揮下にあった。日本陸軍を統括していたのは陸軍省であり、その上には天皇がいた。したがって731部隊の人体実験の最終責任者も天皇である。(『検証 人体実験 731部隊・ナチ医学』小俣和一郎著:第3文明社)

731部隊・石井四郎の野望・元部隊員の証言1/8

南京大虐殺
     

「この事実を・・・・」


(「南京大虐殺」生存者証言集:侵華日軍南京大屠殺遇難同胞紀念館/編 加藤 実/訳) (発行:ストーク、発売:星雲社、定価2000+税)

※私達日本人は、南京大虐殺の「この事実を・・・」を謙虚に読むべきだと思う。
南京でどんなことが起こっていたのかをもっと日本人は知る必要があると思う。
今でも多くの被害者の方々はPTSDに悩んでいる!!

2、日本軍の狂暴な個人的虐殺

父や母の被害

史学恵(女、64歳)の証言

 父の史尓孝は、1937年の臘月11日に日本軍に銃で撃ち殺されたのですが、その時63歳でした。
 あの日、日本兵がいっぱい中国兵を捜査するという名目で、城南一帯で、戸別に家宅捜索をして没収したり捕らえたりしました。日本軍が入ってきてから、至る所で人を殺し火を放つので、私たち一家はあちこちに分散して逃げることになり、私は銅井郷まで避難しに逃げ、母と姉や妹などは五台山の難民区に避難しましたが、父は手立てがなく家で留守番していました。日本軍が我が家に調べに来て、中に入るなり父を狙って発砲し、父は血の海に倒れ、その時はまだ事切れはしませんでしたが、傷はとても重く、救護してくれる人もなく、治療も受けられずで、3日目に憤然として世を去りました。
 後に、私たち知らせを受け、屍を片づけに戻って来て初めて、その日に南京城内で日本軍に殺害された屍が至る所に転がっているのがわかったのですが、日本軍は南京人民にとてつもない大罪を犯したのです。
 (林佩秋と陳声華が記録)

南京大虐殺に加わった元陸軍伍長栗原利一さんの息子さんから大変貴重なコメントを頂いた!!
本当にありがとうございます!!「南京大虐殺」の真実が日本人の1人でも多くの方に理解していただけたらと強く思います!!以下:コメント


南京大虐殺は世界的に誤解されています。 中核的な出来事は南京陥落時の城外における大規模な捕虜の殺害です。 父親(栗原利一)のスケッチブックでも7万余人と書かれています。 非戦闘時の7万余人の捕虜の殺害ですから、当然、日本陸軍が軍の組織として行なったものです。 捕虜の多くは蒋介石軍兵士などです。 ただ、中国側の言う30万人説は戦闘時の犠牲者も含めた数として合理的な数です。 昭和12年7月の南京の人口は135万人です。 11月末の人口は50万人で、これに南京防衛軍15万が加わった65万人が日本軍の攻撃に晒されました。 否定派の言う20万人は逃げ場の無い貧民の数です。 小平市の警察学校と小平団地を合わせた(昔の警察学校の広さ)10万坪の安全区に押し込められた貧民の数です。 (65連隊のシャーカンおける2千人斬首は父だけが日本側の証人です。名古屋市の河村市長は無知なだけです。「ジョン・ラーベ」は城内での出来事しか書かれていないので日本人には誤解を与えます。)

※日中戦争は、戦時国際法(戦争法)として国際慣習法が条文化されたハーグ陸戦条約に拘束されていた。同条約は、国家間の戦争を合法としながらも、国際人道法の理念からその惨禍をできるだけ軽減するために、直接の戦闘外に置かれた者の苦痛や殺傷を防止しようとしたものだった。そのために、戦争の手段と方法が規制され、非戦闘員である文民及び非軍事目標への攻撃を禁止し、さらに戦闘員を人道的に保護するために、直接の戦闘外におかれた捕虜、投降兵、敗残兵などの殺傷も禁じられた。捕虜についてはその保護と待遇改善を一層明確化して存在した。(日本は調印したが、批准はしなかった。しかし、欧米に対しては「同条約の規定を準用する」と表明した)。【『南京事件』:笠原十九司著:岩波新書】より

またまた、核心さん(栗原利一さんの息子さん)より、参考になるメールを頂いたので紹介したい。なぜ、日本は歴史を改ざんするのかがよく分かる!!

核心 2009年11月26日 18:12
「戦史叢書」と南京大屠殺記念館の差

結構知られているようなのですが、防衛研究所戦史部が南京を否定するのは、GHQのGSとG2の占領政策の違いから来ています。

この戦史部OBで終戦時少佐の森松俊夫氏が2006年に親父(栗原利一)のスケッチブックの破壊工作を行なって失敗しています。
(この方は、偕行社にいた時に東裁判を計画された方でもあります。)

以下は「加害と赦し、南京大虐殺と東史郎裁判」の中の吉田裕氏の論文の抜粋です。

防衛研修所戦史室の源流

...この資料整理部の前身は史実調査部、さらには史実部であるが、一貫してその中心的地位にあったのは、元陸軍大佐の服部卓四郎だった。
服部は、タカ派で有名なGHQ参謀第二部(G2)部長の、C.A.ウィロビー少将の援助の下に、周辺に旧日本軍の幕僚将校を集めて「服部グループ」を結成する。
占領中から、秘かに再軍備計画の研究にあたっていたのは、このグループである。

...戦史室編纂の「戦史叢書」が、旧軍の立場を代弁する弁明史観的性格を色濃く持たざるを得なかった...



※南京大虐殺の際には帰国をはしゃぐ兵士たちを横目に、連隊首脳は、帰郷したした兵士らが、歓迎会席上などで、知人・友人を前にめったなことを口走らないように、「銃後ニ答フ」という想定問答集まで編集した。

※国は、天皇制に大きく係わるので戦争のことを今でも隠そうと必死である。その結果、南京大虐殺の否定本が書店に出回り、教科書にもその記述が少なくなってきている。
 731はもっと無視されているのかも知れない。
 昭和天皇に係わるだけに、大きく取り上げられることは少ない!!
栗原利一資料集


■ 南京・史実を守る映画祭 ■
(転載)
http://jijitu.com/filmfestival2009/  
○日時 2009年12月13日(日) 10:00開場
○場所 東京都世田谷区区民会館ホール
○料金 前売券900円、当日券999円。
1作品ごとに入れ替えを行います。前売券の購入方法は下記のURLをご参照ください。
http://jijitu.com/filmfestival2009/2009-09-28-06-41-10

○プログラム・上映作品
10:30-『南京』(88分)
13:00-『アイリス・チャン』(103分)
15:00- シンポジウム
  ※ゲスト:鈴木邦男さん、武田倫和監督さん(詳細はHPで)
  ※映画祭チケットご購入のすべての方が入場いただけます。
16:30-『南京・引き裂かれた記憶』(85分)
18:30-『チルドレン・オブ・ホァンシー 遥かなる希望の道』(125分)

主催:南京・史実を守る映画祭実行委員会
お問合せ:nankin-eigasai-owner@yahoogroups.jp


「南京大虐殺」と聞いて、どれだけの人々が具体的に事件のイメージを語ることができるでしょうか。日本では、南京大虐殺という事実は、公の場であまり語られることはなく、学校教育でもほとんど取り上げられず、どこか、事件に触れることがタブーであるかのような空気が作られているようでもあります。

 事件をめぐっては、戦後になっても何度かの裁判が提起されてきました。その中には、事件の証言をする人々に対する「偽者」呼ばわりがきっかけになったものも多くありました。
 中国人の被害者である夏淑琴さん、李秀英さん。事件そのものの証言を報じた本多勝一さん。

 事実は必ず勝つ、という言葉のとおり、これらの裁判では真実が勝利し、事件はなかったとする人々の主張はすべて、疑似科学や単なる読み物レベルの俗論に過ぎない、ということが白日の下に晒されてきました。

 しかし、事件はなかったとする勢力が沈黙することはなく、それどころか、事件について公の場で触れることそのものにまで、攻撃の手を伸ばしてきました。

 事件を描いた「南京1937」は、その上映が右翼によって暴力的に妨害され、上映する劇場のスクリーンは、右翼によって切り裂かれました。

日本の大手映画会社によって、日露戦争や太平洋戦争の映画が次々と作られる中にあっても、日本軍による中国大陸での残虐行為を描いた映画はほんのわずかしかなく、南京大虐殺を描く映画は皆無、という状態です。

 この間、諸外国では南京大虐殺をテーマにした映画が数多く制作され、公開されているのに、事件の当事者である日本の国内では、南京を描く映画は作られていないのです。

 映画【靖国】の上映に至るまでの経緯を振り返るとき、このような状況は「暴力と、それを恐れるが故の自粛」によってもたらされる、言論の自由の危機だとはっきりいえます。これは、断じて容認することはできません。

 そこで私たちは、映画配給会社がやらないのなら私たちがやってしまおうと決意し、南京大虐殺をテーマとする映画を集めて映画祭を開催することにしました。
 ぜひお越しください。


1つの家族をずっと、国民の税金を使って、意味のよく分からない象徴としてあがめるのではなく、日本の国を良い方向に進めるリーダー(大統領)を選挙で選んだ方がいいのではないのかな?

●「怨」旗は、水俣病原告団が掲げた旗である。水俣病  も、国・県・チッソは10年以上もその責任を認めず患者を増やし続けた。
 
731関係の被害者はもう何十年も無視され続けている。

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この世の地獄!731部隊・南京大虐殺

2009-11-26 07:36:47 | Weblog

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『死の工場』(隠蔽された731部隊)
(シェルダン・H・ハリス著、近藤昭二訳:柏書房)

日本語版前書き

戦後の倫理的退廃

 日米両国政府が共同で推し進めてきた政策によって生み出されたものは、集団忘却論である。50年以上にわたり、日本人は政府とそれに協力する学者たちが築き上げた閉鎖的な教育環境にどっぷりとつかってきた。第2次世界大戦における日本の実体を知らないまま育った世代はすでに2世代を数える。彼らに教えられてきたものは、広島、長崎に原爆が投下された戦争の犠牲者としての日本のイメージ、あるいはヨーロッパおよびアメリカの帝国主義者たちに長い間搾取されていた植民地の人々を抑圧から解放した救世主としての日本のイメージである。しかし、世界中から圧力と非難を浴びたため、この数年間、総理大臣たちは日本軍の過去の残虐行為に対して口頭での謝罪を行ってきた。
 ただ1つ例外が韓国である。1998年、韓国は書面による謝罪を日本政府から受け取った。しかし、中国に対しては書面による謝罪はない。江沢民国家主席は1998年末に日本を訪問したが、日本政府は、韓国と違って中国は日本の植民地になったことがない、というまことしやかな論拠を持って、書面による謝罪を拒否したのである。おかしなことに日本政府は、1931年から中国の東北3省が日本軍の占領下に置かれていたという事実を忘れたか、無視したのである。当時、日本軍は次々と侵略を重ね、満州国という傀儡政権まででっち上げたのだ。満州国が東京の支配から解放されたのは終戦の時であった。(明日に続く)

※従軍慰安婦問題では故中川昭一・安倍晋三などがNHKの番組に口をはさんだり、何かと圧力をかけてきた。以下中帰連のホームページより引用。

2000年12月に行なわれた女性国際戦犯法廷で、中国帰還者連絡会に属する元兵士2人が、「裁きがあって和解がある」という同法廷の趣旨に賛同し、戦場における性暴力の証言を行ないました。

2001年1月に放映されたNHKのETV特集では、この元兵士の証言が伝えられるはずでした。しかし、放映された番組からは何故か元兵士の証言は消えていました。被害者の証言や、判決文の読み上げも消えていたのです。この改竄の背景に政治的圧力があることは以前から関係者のあいだで囁かれていましたが、朝日新聞のスクープによって、これが安倍晋三・中川昭一という自民党の極右議員による圧力であったことが明らかとなりました。憲法の精神にもとる放送の自由への干渉へ断固として抗議し、彼らが人々の目から隠そうとした戦場の証言を掲載します。

●元陸軍伍長・金子安次さんの証言
検事  金子安次さんは1920年1月28日生まれ、80歳ですね。あなたは1940年11月に北支那方面軍に入隊されたのですね。

金子  はい。

検事  それ以後、中国山東省などを転戦されて終戦を迎えられたのですね。

金子  はい。

検事  あなたの軍隊における最後の地位は何でしたか。

金子  伍長です。

検事  それでは、これからあなたが中国大陸で体験されたことについてうかがいます。あなたが軍隊に所属されていた間に、自分で体験した「慰安所」というのはどういうものでしたか。

金子  私は、昭和17年に山東省の東昌というところにいました。その時に中隊の命令で、巡回慰安婦の移動を警備をしろという命令を受けました。そして機関銃中隊から少尉以下9名、機関銃を持って大隊本部にまいりました。その時にすでに小銃隊が15名ほどおりまして、2台のトラックに乗りました。私たちが2番目のトラックに乗ったときに、そこには絣の着物を着た従軍「慰安婦」の方が3人おりました。しかしながら、敵地区をまわるので八路軍に襲撃される恐れがあるからまずいということで、携帯用の外套を上から着せました。そして軍帽をかぶせました。その車中の中で、古い兵隊が「おれはおまえたちのために警備して送るんだが、もしも途中で八路軍に敵襲を受けて戦死したらこんなに恥ずかしい話はないよ」と「慰安婦」の人に言ったんです。そうすると「慰安婦」の一人の方が「だったらやめたらいいでしょう」、こういいました。「馬鹿野郎。おれは勝手に来てるんじゃないんだ。命令で来ているんだ。そんな勝手なことができるか」。そうすると、「慰安婦」の方が、「あたしだって何も好きこのんでこんな危ないところに来ませんよ。軍隊の偉い人のお陰でここに来ているんですよ」と言いました。

検事  今のは、あなたが軍隊に入って「慰安婦」の輸送にかかわったときの出来事ですね。それでは、次にあなた自身が「慰安所」に行くようになったときの体験をお話し下さい。

金子  私が一番最初に「慰安所」に入ったのは、昭和18年のことでした。それは、臨清県というところにいたときです。当時私たちは「慰安所」とは呼びませんでした。「ピー屋」と呼んでいたんです。そこにまいりました。女の方が4人いました。すべて朝鮮人の方だという話でした。女の方が「いらっしゃい」といいました。ところが日本語がたいへんうまいのです。「おまえ朝鮮人か」、私は聞きました。「違うわよ。私は日本人よ」。「なに日本人? 大和撫子がこんなところにいるなんて、日本人の恥さらしだ」。そういうようなことで、そこで口論になりました。そして払いましたお金をふいにしてしまったんです。このようないきさつがありました。その時に彼女はこういいました。「兵隊さん、私は好きこのんでこんなところにいるんじゃないですよ。私の夫は上海事変で戦死しました。ふたりの子どもと母親をかかえて、どうやって生きていけばいいんですか」。彼女はこういったんです。私は二の句も告げずに立ち去りました。こういういきさつがありました。

検事  あなたが見た「慰安所」というのは、女性たちは自分たちの意志できていた人たちですか。

金子  違います。日本には公娼制度というのがあり、それは営業であり金儲けです。しかし、そこで働いている人は、みんな苦しいから働いているんです。金で縛られているから自由に行動できない。そこに「慰安婦」の「慰安婦」らしいところがあるんです。

検事  自由がないということですね。
 こうした「慰安所」があることは、強姦の防止に役立ったと思いますか。

金子  役立っていません。

検事  それは何故でしょうか。

金子  「慰安所」にいって1円50銭払うんだったら、強姦だったらただです。我々の月給というのは、だいたい一等兵で8円80銭くらい、上等兵で11円くらい。その中から強制的に貯金をとられるんです。ですから金があまりありませんから、1円50銭払うくらいだったら、作戦にいって強姦をした方がただだというような考えがありました。

検事  あなた自身も、そういう考えの中で強姦に加わったことがありますか。

金子  あります。昭和18年、作戦にまいりました。その時にある部落で若い兵隊が一人の若い女性を連れてきました。21、2歳でしょうか。それを、6人の兵隊でくじ引きをひいて順番を決めて、ひとりひとりその女を輪姦しました。こういう事実がございます。

検事  そういった強姦をすることについて、あなたの所属していた軍隊は、どのような指示が出ていたのでしょうか。

金子  昭和14年から15年、当時日本では「生めよ増やせよ」というスローガンがありました。男の子がうまれたなら、労働力にも戦力にもなる。女の子だったら、将来のいわゆる再生産になる。だから子どもをどんどん産みなさい。そうすれば日本はどんどん栄える、こういうスローガンがありました。だからそのつもりで戦地に行きました。そうしますと命令がくるっと変わりました。女は殺せ。子どもを産むから殺せ。子どもが大きくなったら我々に反抗するから子どもも殺せ、というように上官の命令がくるりと変わったんです。そういうことですから、私たちたちはどうせ殺すのならどんどん強姦してもいい、そういう考えで私たちは強姦しました。

検事  くり返しますが、上官は女を見たら殺せという指示が出ており、どうせ殺すのなら強姦してもよい、このような考えでいたわけですね。

金子  そうです。

検事  このような証言をするのは楽なことではないと思いますが、あなたはなぜこのような場で証言をする気になったのですか。

金子  はい。これは正直なことをいいますと、私も自分の妻や娘にこういうことはいっさい話しておりません。実際できないんです。しかしながら、私たちがやったことについてどれだけ中国人民が泣いていたのかということを、私たちは撫順の戦犯管理所でしみじみとわかったんです。これは二度とこういうことを起こしてはならない。これを止めるのは、現在残されている私たちしかないんだ、こういうことからこの問題を皆さんに聞いてもらいたい。こういう気持ちです。(拍手)

金子  先ほど強姦の問題がありましたが、陸軍刑法では強姦をすると7年以上、現場にいただけでも4年以上という刑罰があります。しかしながらなぜ私たちが強姦したかというと、確かに金の問題もありますが、現在では私たちは中国人といっていますが、しかし当時は支那人、あるいは差別的に「チャンコロ」といっていました。「チャンコロ」の女を強姦して何が悪いんだ、どっちみち殺すんじゃないか、こういうような気持ちをもって強姦したわけです。従いまして、中隊長あるいは大隊長でも自分の部下がたとえ強姦罪を犯しても陸軍刑法を出さない。自分の功績に関係するんです。そしてもう一つは、チャンコロだという劣等視があるんです。だから、われわれ兵隊は強姦をしたんです。以上です。

検事 これで質問を終わります。

戦後補償
最近の裁判の動き【「Suopei(すおぺい)」=中国語で「索賠」(賠償請求)を意味します。№66より】
中国人強制連行:長野訴訟、控訴審判決(2009年9月17日:東京高等裁判所第19民事部)

 被害事実・企業の安全配慮義務違反は認定するも請求権放棄で切る

 判決では、強制連行強制労働の事実認定について第1審判決をそのまま維持し、国と企業の共同不法行為であることも認めた。第1審では認められなかった企業の安全配慮義務違反については控訴審ではこれを認定したものの、第1審に続き、国の安全配慮義務違反についてはこれを否定した。時効と除斥期間については判断せず、結局、日中共同声明により個人賠償請求権は放棄されているとして西松最高裁判決と同様の判断をした。

 賃金支払いについては退ける

ただ、「自発的な対応の余地があるとしても、裁判上訴求することは認められない」とし、広島西松建設判決と同様に実態法上の権利としては存在することは否定しなかったこと、自発的な対応の余地があるとしたことは、むしろ積極的に評価し、今後の運動につなげていくべきではないかと考える。
 また、企業に対して安全配慮義務違反を認定したこと、賃金は支払ったとする企業側の主張は明確に退けたことは、企業に解決を迫る上での力にしたい。


戦後補償裁判の成果を全面解決の戦いにどう生かすか(Suopei №66より)
                         松岡 創(弁護士)
 ・・・・これまでに20件以上の強制連行裁判が行われてきたわけですが、福岡訴訟第1陣の裁判官は、裁判を重ねるごとに態度が変わっていきました。裁判官は一生ののうち2回心からの判決を書くと言われています。この裁判官はこの判決を書くとき、手が震えたといいます。
 長野の1審の裁判官もそうです。本当は勝たせたい・・・・。悩みを持った裁判官もいます。
 最高裁判決では訴求権はない、となりましたが、このままでは許せないということで、私たちが付言と呼んでいる「当事者同士の解決」に言及したのです。その後、福岡高裁、宮崎の高裁などが「解決への期待」を表明しのたです。
 中国人の強制連行は4万人といわれています。38935人ですが、中国の港から出発した時は39385人です。途中の船で、港で、列車で亡くなり、事業所が受け入れたのが、先の人数です。そして6800人以上が事業所などで亡くなっています。
 今後どういう解決をしたらいいのでしょうか。例えばスペインでは「歴史記憶法」が制定され、独裁者フランコの銅像を壊すなどの動きがあります。ドイツでは「包括的名誉回復法」が制定されたといいます。ヨーロッパにはこういう動きがあります。日本では全くありません。 日本の企業はどうかというと、三菱マテリアルは、和解したいという姿勢です。法的安定性を求めています。三井は、国が変われば・・・、と言っています。西松はかたくなに和解を拒否していましたが、不祥事があり、全役員が交替しました。そして「解決したい」と言ってきました。西松は2つの現場があります。広島の安野に360人と、新潟の信濃川に183人です。それぞれが別の裁判を起こしていました。
 中国の中でも動きがありましす。全国人民代表大会でも意見が出されるようになっています。政治的解決に道が拓かれてきました。
 今、この日本で民主党が政権を取ったことの意味はとても大きいです。鳩山氏はアジア重視、東アジア共同体、中国・韓国との友好を言っています。私たちはこれに働きかける必要があります。それが市民運動の進むべき方向です。 

南京大虐殺     

「この事実を・・・・」


(「南京大虐殺」生存者証言集:侵華日軍南京大屠殺遇難同胞紀念館/編 加藤 実/訳) (発行:ストーク、発売:星雲社、定価2000+税)

2、日本軍の狂暴な個人的虐殺

父や母の被害

余海龍(男、69歳)の証言

 1937年に日本兵が南京を占領した時、母は56歳でしたが、母はこの家が見捨て切れないで、門番するのに家に留まり、私が避難しに難民区へ行きました。ある日日本兵が何人か来て、ホアクーニャン(=若い娘)を見つけようとし、「ここにホアクーニャンはおらん」と母が言うと、日本軍は二の句を継がせずに、刀で母の頭に斬りかかり、母が両手で頭をかばって、指を2本斬り落とされ、同時に、頭も幾太刀か斬られましたが、手でかばっていたので、斬り殺されるまでには至りませんでした。母は1965年までずっと生きていましたが、84歳で世を去りました。(陳如華と王秀珍が記録)

南京大虐殺に加わった元陸軍伍長栗原利一さんの息子さんから大変貴重なコメントを頂いた!!
本当にありがとうございます!!「南京大虐殺」の真実が日本人の1人でも多くの方に理解していただけたらと強く思います!!以下:コメント


南京大虐殺は世界的に誤解されています。 中核的な出来事は南京陥落時の城外における大規模な捕虜の殺害です。 父親(栗原利一)のスケッチブックでも7万余人と書かれています。 非戦闘時の7万余人の捕虜の殺害ですから、当然、日本陸軍が軍の組織として行なったものです。 捕虜の多くは蒋介石軍兵士などです。 ただ、中国側の言う30万人説は戦闘時の犠牲者も含めた数として合理的な数です。 昭和12年7月の南京の人口は135万人です。 11月末の人口は50万人で、これに南京防衛軍15万が加わった65万人が日本軍の攻撃に晒されました。 否定派の言う20万人は逃げ場の無い貧民の数です。 小平市の警察学校と小平団地を合わせた(昔の警察学校の広さ)10万坪の安全区に押し込められた貧民の数です。 (65連隊のシャーカンおける2千人斬首は父だけが日本側の証人です。名古屋市の河村市長は無知なだけです。「ジョン・ラーベ」は城内での出来事しか書かれていないので日本人には誤解を与えます。)

■ 南京・史実を守る映画祭 ■ (転載)
http://jijitu.com/filmfestival2009/  
○日時 2009年12月13日(日) 10:00開場
○場所 東京都世田谷区区民会館ホール
○料金 前売券900円、当日券999円。
1作品ごとに入れ替えを行います。前売券の購入方法は下記のURLをご参照ください。
http://jijitu.com/filmfestival2009/2009-09-28-06-41-10

○プログラム・上映作品
10:30-『南京』(88分)
13:00-『アイリス・チャン』(103分)
15:00- シンポジウム
  ※ゲスト:鈴木邦男さん、武田倫和監督さん(詳細はHPで)
  ※映画祭チケットご購入のすべての方が入場いただけます。
16:30-『南京・引き裂かれた記憶』(85分)
18:30-『チルドレン・オブ・ホァンシー 遥かなる希望の道』(125分)

主催:南京・史実を守る映画祭実行委員会
お問合せ:nankin-eigasai-owner@yahoogroups.jp


「南京大虐殺」と聞いて、どれだけの人々が具体的に事件のイメージを語ることができるでしょうか。日本では、南京大虐殺という事実は、公の場であまり語られることはなく、学校教育でもほとんど取り上げられず、どこか、事件に触れることがタブーであるかのような空気が作られているようでもあります。

 事件をめぐっては、戦後になっても何度かの裁判が提起されてきました。その中には、事件の証言をする人々に対する「偽者」呼ばわりがきっかけになったものも多くありました。
 中国人の被害者である夏淑琴さん、李秀英さん。事件そのものの証言を報じた本多勝一さん。

 事実は必ず勝つ、という言葉のとおり、これらの裁判では真実が勝利し、事件はなかったとする人々の主張はすべて、疑似科学や単なる読み物レベルの俗論に過ぎない、ということが白日の下に晒されてきました。

 しかし、事件はなかったとする勢力が沈黙することはなく、それどころか、事件について公の場で触れることそのものにまで、攻撃の手を伸ばしてきました。

 事件を描いた「南京1937」は、その上映が右翼によって暴力的に妨害され、上映する劇場のスクリーンは、右翼によって切り裂かれました。

日本の大手映画会社によって、日露戦争や太平洋戦争の映画が次々と作られる中にあっても、日本軍による中国大陸での残虐行為を描いた映画はほんのわずかしかなく、南京大虐殺を描く映画は皆無、という状態です。

 この間、諸外国では南京大虐殺をテーマにした映画が数多く制作され、公開されているのに、事件の当事者である日本の国内では、南京を描く映画は作られていないのです。

 映画【靖国】の上映に至るまでの経緯を振り返るとき、このような状況は「暴力と、それを恐れるが故の自粛」によってもたらされる、言論の自由の危機だとはっきりいえます。これは、断じて容認することはできません。

 そこで私たちは、映画配給会社がやらないのなら私たちがやってしまおうと決意し、南京大虐殺をテーマとする映画を集めて映画祭を開催することにしました。
 ぜひお越しください。

コメント

この世の地獄!731部隊・南京大虐殺

2009-11-25 11:25:11 | Weblog
「ノブの日記」 のタグをクリックお願いします!!

     「怨」

きけ!「マルタ・アジアの犠牲者」の叫び!

「日の丸」・「君が代」反対!!

(侵略のシンボル)(天皇賛美の歌)

新しい日本!!

「世襲の天皇制から選ばれし大統領制へ!」

(昭和天皇の戦争責任を問う。)

(時効なき戦争責任)



『死の工場』(隠蔽された731部隊)
(シェルダン・H・ハリス著、近藤昭二訳:柏書房)

日本語版前書き

戦後の倫理的退廃

 1930年代および第2次世界大戦中のアジアにおける日本の暗部を知る日本の政治家、社会科学者、歴史家たちは、その問題を完全に無視するか、国家主義者として否定するか、最も汚い部分をその研究から除外するという極めて慎重な態度を取るかのいずれかの方法を適用してきた。1990年代になるまで、日本の戦争犯罪を公に語るのは、学者が真剣に分析するテーマとしては適当ではないと考える向きもあった。1946年以降、日本政府がアメリカの高官と結託してこの態度を推し進めてきたからだ。マサチューセッツ工科大学のジョン・ダワー教授の言葉を借りれば、彼らは一致団結して日本の歴史を「浄化」しようとしてきたのである。日本の中学・高校の社会科教科書では、戦争に関して日本に否定的なイメージを与える表現は文部省によってほとんど許可されなかった。教科書執筆者が微妙な話題を教科書に導入しようとすると、官僚はその項を削除した。このような官僚の介入による犠牲者の1人が、優れた教育者として知られる家永三郎である。家永は教科書裁判に13年間を費やし、1997年にやっと731部隊の記述については勝利を勝ち取ったのである。3対2で、日本の最高裁は日本軍が過去において細菌戦に関わる人体実験を行ったことは、学界では定説化していたと認めたのである。家永は83歳になって初めて、自らの教科書に官僚に削除された文章を載せることができるようになったのである。(明日に続く)

※上の文では、最高裁で細菌戦に関わる人体実験を認めたと書いてあるが、私は国の今の公式見解は知らない。また、私は、今現在、中学や高校の教科書に731部隊のことがどのように書かれているかも分からない。とにかく国は隠ぺいしようとしていることは間違いない!!

戦後補償
・中国人強制連行裁判で2007年4月に最高裁西松判決では、「日中共同声明第5項により、個人賠償請求権は放棄された」と判示された。しかし、中国外務省は直ちに「国の戦争賠償請求権は放棄したが、被害者個人の請求権は放棄していない。最高裁判決は『違法』、『無効』である」と非難している。

・中国人強制連行の背景
日中戦争が深まり、太平洋戦争も迫った1940年頃、日本は深刻な労働不足に陥っていました。重要な戦略物資の生産拠点である炭坑や金鉱鉱山、港湾荷役、飛行場建設などには既に朝鮮人が強制連行され、奴隷労働を強いられていましたが、それでも労働力は決定的に不足していました。そこで企業は、政府に中国人労働者の強制連行・強制労働を願い出、政府はこの要請に応じて、1942年の閣議決定で中国人の強制連行を決定しました。時の内閣は東條内閣、商工大臣の
岸信介  の係わりが大きい。「華人労務者内地移入ニ関スル件」及び「華人労務者内地移入ノ促進ニ関スル件」
※満州で辣腕をふるい、東條内閣でも商工大臣として中国人の強制連行に係わった岸が戦後総理大臣になるとは、どういうことか?その外孫の
安倍晋三  も首相になるとは?
 

最近の裁判の動き【「Suopei(すおぺい)」=中国語で「索賠」(賠償請求)を意味します。№66より】
中国人強制連行:長野訴訟、控訴審判決(2009年9月17日:東京高等裁判所第19民事部)

 被害事実・企業の安全配慮義務違反は認定するも請求権放棄で切る

 判決では、強制連行強制労働の事実認定について第1審判決をそのまま維持し、国と企業の共同不法行為であることも認めた。第1審では認められなかった企業の安全配慮義務違反については控訴審ではこれを認定したものの、第1審に続き、国の安全配慮義務違反についてはこれを否定した。時効と除斥期間については判断せず、結局、日中共同声明により個人賠償請求権は放棄されているとして西松最高裁判決と同様の判断をした。

 賃金支払いについては退ける

ただ、「自発的な対応の余地があるとしても、裁判上訴求することは認められない」とし、広島西松建設判決と同様に実態法上の権利としては存在することは否定しなかったこと、自発的な対応の余地があるとしたことは、むしろ積極的に評価し、今後の運動につなげていくべきではないかと考える。
 また、企業に対して安全配慮義務違反を認定したこと、賃金は支払ったとする企業側の主張は明確に退けたことは、企業に解決を迫る上での力にしたい。


戦後補償裁判の成果を全面解決の戦いにどう生かすか(Suopei №66より)
                         松岡 創(弁護士)
 ・・・・これまでに20件以上の強制連行裁判が行われてきたわけですが、福岡訴訟第1陣の裁判官は、裁判を重ねるごとに態度が変わっていきました。裁判官は一生ののうち2回心からの判決を書くと言われています。この裁判官はこの判決を書くとき、手が震えたといいます。
 長野の1審の裁判官もそうです。本当は勝たせたい・・・・。悩みを持った裁判官もいます。
 最高裁判決では訴求権はない、となりましたが、このままでは許せないということで、私たちが付言と呼んでいる「当事者同士の解決」に言及したのです。その後、福岡高裁、宮崎の高裁などが「解決への期待」を表明しのたです。
 中国人の強制連行は4万人といわれています。38935人ですが、中国の港から出発した時は39385人です。途中の船で、港で、列車で亡くなり、事業所が受け入れたのが、先の人数です。そして6800人以上が事業所などで亡くなっています。
 今後どういう解決をしたらいいのでしょうか。例えばスペインでは「歴史記憶法」が制定され、独裁者フランコの銅像を壊すなどの動きがあります。ドイツでは「包括的名誉回復法」が制定されたといいます。ヨーロッパにはこういう動きがあります。日本では全くありません。 日本の企業はどうかというと、三菱マテリアルは、和解したいという姿勢です。法的安定性を求めています。三井は、国が変われば・・・、と言っています。西松はかたくなに和解を拒否していましたが、不祥事があり、全役員が交替しました。そして「解決したい」と言ってきました。西松は2つの現場があります。広島の安野に360人と、新潟の信濃川に183人です。それぞれが別の裁判を起こしていました。
 中国の中でも動きがありましす。全国人民代表大会でも意見が出されるようになっています。政治的解決に道が拓かれてきました。
 今、この日本で民主党が政権を取ったことの意味はとても大きいです。鳩山氏はアジア重視、東アジア共同体、中国・韓国との友好を言っています。私たちはこれに働きかける必要があります。それが市民運動の進むべき方向です。 
中国人戦争被害者の要求を支える会
南京大虐殺     

「この事実を・・・・」


(「南京大虐殺」生存者証言集:侵華日軍南京大屠殺遇難同胞紀念館/編 加藤 実/訳) (発行:ストーク、発売:星雲社、定価2000+税)

2、日本軍の狂暴な個人的虐殺

父や母の被害

謝長栄(男、62歳)の証言

 1937年の暮れには、私は16歳で、江寧県の秣陵鎮に住んでいて、家には父と兄と弟とで4人いました。日本軍が来てからは、家中で防空壕に隠れ、出られませんでした。飢えが堪えられなくなり、父が私たちの腹ぺこなのを見て、心中忍びがたく、危険を冒して飯をたきに家に戻ろうとしたところ、何と穴から出るなり鬼の奴等に出っくわし、日本軍は有無を言わせず、顔を会わせるなり1太刀見舞いましたが、その時は急所には傷は及ばず、父は粟幹の堆に隠れました。3日にして又もや日本軍に見つかり、3発おまけされて、父は血がどくどく流れ、恨みを呑んで死んでいきました。
 私はそれに日本軍がお隣の唐良如や卜老五を惨殺したのをこの眼で見ましたが、それとゴム輪の人力車ひきの金大牙もで、彼らはみんな銃剣で突っつき殺されたのです。父が惨死したちょうどその日に、日本兵は幼い弟も傷つけました。この仇と言いこの恨みと言い、永久に忘れません。
(項如常と萬恵華と夏龍生が記録)

南京大虐殺に加わった元陸軍伍長栗原利一さんの息子さんから大変貴重なコメントを頂いた!!
本当にありがとうございます!!「南京大虐殺」の真実が日本人の1人でも多くの方に理解していただけたらと強く思います!!以下:コメント


南京大虐殺は世界的に誤解されています。 中核的な出来事は南京陥落時の城外における大規模な捕虜の殺害です。 父親(栗原利一)のスケッチブックでも7万余人と書かれています。 非戦闘時の7万余人の捕虜の殺害ですから、当然、日本陸軍が軍の組織として行なったものです。 捕虜の多くは蒋介石軍兵士などです。 ただ、中国側の言う30万人説は戦闘時の犠牲者も含めた数として合理的な数です。 昭和12年7月の南京の人口は135万人です。 11月末の人口は50万人で、これに南京防衛軍15万が加わった65万人が日本軍の攻撃に晒されました。 否定派の言う20万人は逃げ場の無い貧民の数です。 小平市の警察学校と小平団地を合わせた(昔の警察学校の広さ)10万坪の安全区に押し込められた貧民の数です。 (65連隊のシャーカンおける2千人斬首は父だけが日本側の証人です。名古屋市の河村市長は無知なだけです。「ジョン・ラーベ」は城内での出来事しか書かれていないので日本人には誤解を与えます。)

※日中戦争は、戦時国際法(戦争法)として国際慣習法が条文化されたハーグ陸戦条約に拘束されていた。同条約は、国家間の戦争を合法としながらも、国際人道法の理念からその惨禍をできるだけ軽減するために、直接の戦闘外に置かれた者の苦痛や殺傷を防止しようとしたものだった。そのために、戦争の手段と方法が規制され、非戦闘員である文民及び非軍事目標への攻撃を禁止し、さらに戦闘員を人道的に保護するために、直接の戦闘外におかれた捕虜、投降兵、敗残兵などの殺傷も禁じられた。捕虜についてはその保護と待遇改善を一層明確化して存在した。(日本は調印したが、批准はしなかった。しかし、欧米に対しては「同条約の規定を準用する」と表明した)。【『南京事件』:笠原十九司著:岩波新書】より

栗原利一資料集

※皇族と南京大虐殺
・・・・大報道陣によって日本国民に報道される「未曾有盛事、敵の首都への皇軍の入城」一大セレモニーの日に、式場はもちろん、場内、場外においても、敗残兵や便衣兵によるゲリラ活動のたぐいがあっては皇軍の威信が損ねられることになる。そのうえ、上海派遣軍司令官・朝香宮(あさかのみや)鳩彦王中将は皇族で、「宮殿下」「宮様」である。天皇の軍隊の象徴である皇族の司令官の身に、もしもの不祥事が発生することになれば、天下の一大事で当然関係者の引責問題につながった。南京城内の首都飯店に司令部をおいた朝香宮にたいして、各部隊から立哨を派遣して厳重な警戒体制をとったし、「中山門のすぐ手前の所にて宮殿下(朝香宮)が入城するため一時通行禁止となり」(「牧原日記」)という特別警備体制がとられることもあった。
 こうして、17日に入城式を挙行するために、南京城区だけでなく近郊農村にまでおよんで過酷な「残敵大掃蕩作戦」が展開され、虐殺される軍民の犠牲をいっそう大きなものにした。
(『南京事件』笠原十九司著:岩波新書)

※1946年の中国国民政府の司法行政部が作成した戦犯リスト1位の朝香宮鳩彦王こそ上海派遣軍司令官として南京大虐殺の直接の責任者であったが、アメリカ政府とGHQが天皇の免責を決めていたことから、皇族であるがゆえに南京軍事裁判でも免責とされた。・・・(『「百人斬り競争」と南京事件』笠原十九司著:大月書店)・・・これもおかしくありませんか?裏で取引があった?(ノブ)


■ 南京・史実を守る映画祭 ■
(転載)
http://jijitu.com/filmfestival2009/  
○日時 2009年12月13日(日) 10:00開場
○場所 東京都世田谷区区民会館ホール
○料金 前売券900円、当日券999円。
1作品ごとに入れ替えを行います。前売券の購入方法は下記のURLをご参照ください。
http://jijitu.com/filmfestival2009/2009-09-28-06-41-10

○プログラム・上映作品
10:30-『南京』(88分)
13:00-『アイリス・チャン』(103分)
15:00- シンポジウム
  ※ゲスト:鈴木邦男さん、武田倫和監督さん(詳細はHPで)
  ※映画祭チケットご購入のすべての方が入場いただけます。
16:30-『南京・引き裂かれた記憶』(85分)
18:30-『チルドレン・オブ・ホァンシー 遥かなる希望の道』(125分)

主催:南京・史実を守る映画祭実行委員会
お問合せ:nankin-eigasai-owner@yahoogroups.jp


「南京大虐殺」と聞いて、どれだけの人々が具体的に事件のイメージを語ることができるでしょうか。日本では、南京大虐殺という事実は、公の場であまり語られることはなく、学校教育でもほとんど取り上げられず、どこか、事件に触れることがタブーであるかのような空気が作られているようでもあります。

 事件をめぐっては、戦後になっても何度かの裁判が提起されてきました。その中には、事件の証言をする人々に対する「偽者」呼ばわりがきっかけになったものも多くありました。
 中国人の被害者である夏淑琴さん、李秀英さん。事件そのものの証言を報じた本多勝一さん。

 事実は必ず勝つ、という言葉のとおり、これらの裁判では真実が勝利し、事件はなかったとする人々の主張はすべて、疑似科学や単なる読み物レベルの俗論に過ぎない、ということが白日の下に晒されてきました。

 しかし、事件はなかったとする勢力が沈黙することはなく、それどころか、事件について公の場で触れることそのものにまで、攻撃の手を伸ばしてきました。

 事件を描いた「南京1937」は、その上映が右翼によって暴力的に妨害され、上映する劇場のスクリーンは、右翼によって切り裂かれました。

日本の大手映画会社によって、日露戦争や太平洋戦争の映画が次々と作られる中にあっても、日本軍による中国大陸での残虐行為を描いた映画はほんのわずかしかなく、南京大虐殺を描く映画は皆無、という状態です。

 この間、諸外国では南京大虐殺をテーマにした映画が数多く制作され、公開されているのに、事件の当事者である日本の国内では、南京を描く映画は作られていないのです。

 映画【靖国】の上映に至るまでの経緯を振り返るとき、このような状況は「暴力と、それを恐れるが故の自粛」によってもたらされる、言論の自由の危機だとはっきりいえます。これは、断じて容認することはできません。

 そこで私たちは、映画配給会社がやらないのなら私たちがやってしまおうと決意し、南京大虐殺をテーマとする映画を集めて映画祭を開催することにしました。
 ぜひお越しください。


1つの家族をずっと、国民の税金を使って、意味のよく分からない象徴としてあがめるのではなく、日本の国を良い方向に進めるリーダー(大統領)を選挙で選んだ方がいいのではないのかな?


●「怨」旗は、水俣病原告団が掲げた旗である。
水俣病  も、国・県・チッソは10年以上もその責任を認めず患者を増やし続けた。
コメント

この世の地獄!731部隊・南京大虐殺

2009-11-24 11:53:34 | Weblog

「ノブの日記」  のタグをクリックお願いします!!

     「怨」

きけ!「マルタ・アジアの犠牲者」の叫び!

「日の丸」・「君が代」反対!!

(侵略のシンボル)(天皇賛美の歌)

新しい日本!!

「世襲の天皇制から選ばれし大統領制へ!」

(昭和天皇の戦争責任を問う。)

(時効なき戦争責任)


『死の工場』(隠蔽された731部隊)
(シェルダン・H・ハリス著、近藤昭二訳:柏書房)

日本語版前書き

物語の背景

 日本人医師や科学者の戦争犯罪に対する責任が問われなかった理由は複雑で、後世代の人々にとってそれを理解することは難しい。本書の最終章ではその理由を若干説明してはいるが、日本、アメリカ、旧ソ連(現在のロシアとウクライナ)、および中国の公文書が研究者たちに完全に公開されるまで、その全貌を明らかにすることはできない。現在わかっていることで重要なことは、アメリカの占領軍当局が戦後の日本政府と共謀して、これらの人間を告発から保護したということだ。さらに、日本の医学倫理や科学倫理は、これら告発を逃れた人間たちによって長い間支配されてきたこともまぎれもない事実である。戦犯たちが戦争犯罪に対する懲罰を逃れたという事実に鑑みれば、戦後世代の科学者や医師にとって、彼らの上司や指導者が文字通り死刑を逃れた戦犯であることはあまりにも明らかである。(明日に続く)

※「天皇制を旧来の形のままで存続させようとする(日本の)支配者のもくろみを許さなかったのは、ソ連だけではなかった。アメリカの世論調査では、天皇制廃止の主張が71パーセントを占め、中国の国民政府も、天皇制の存否は国民投票によるべきだとしていた。国内でも天皇制問題は大きな関心の的となり、新聞、雑誌、ラジオで盛んに討議されていた。」(遠山茂樹ほか著:『昭和史』より)
 いろいろなところから天皇制廃止の声が上がっていたにもかかわらず、マッカーサーとアメリカ本国は731のことは隠して、結局象徴天皇制として、天皇を残したのはなぜか?
 マッカーサーは敗戦当時も多くの日本の政治家が、天皇教に洗脳されていたのに驚いたのであろう。自らもイギリス貴族の血筋であることが少し影響したのかもしれない。
 そして、アメリカは生物兵器の開発で日本より遅れをとっていたから、そのデータをアメリカだけで独占したかった。
 それにしても、731関係者が1人も裁かれなかったことは、大きな問題であったと思う。
今でも、その影響は、政治・医学・科学・教育・司法・外交など様々な方面に多大な悪影響を与え続けているのではないか?

戦後補償
・中国人強制連行裁判で2007年4月に最高裁西松判決では、「日中共同声明第5項により、個人賠償請求権は放棄された」と判示された。しかし、中国外務省は直ちに「国の戦争賠償請求権は放棄したが、被害者個人の請求権は放棄していない。最高裁判決は『違法』、『無効』である」と非難している。

・中国人強制連行の背景
日中戦争が深まり、太平洋戦争も迫った1940年頃、日本は深刻な労働不足に陥っていました。重要な戦略物資の生産拠点である炭坑や金鉱鉱山、港湾荷役、飛行場建設などには既に朝鮮人が強制連行され、奴隷労働を強いられていましたが、それでも労働力は決定的に不足していました。そこで企業は、政府に中国人労働者の強制連行・強制労働を願い出、政府はこの要請に応じて、1942年の閣議決定で中国人の強制連行を決定しました。時の内閣は東條内閣、商工大臣の
岸信介  の係わりが大きい。「華人労務者内地移入ニ関スル件」及び「華人労務者内地移入ノ促進ニ関スル件」
※満州で辣腕をふるい、東條内閣でも商工大臣として中国人の強制連行に係わった岸が戦後総理大臣になるとは、どういうことか?その外孫の
安倍晋三  も首相になるとは?
 

最近の裁判の動き【「Suopei(すおぺい)」=中国語で「索賠」(賠償請求)を意味します。No66より】
中国人強制連行:長野訴訟、控訴審判決(2009年9月17日:東京高等裁判所第19民事部)

 被害事実・企業の安全配慮義務違反は認定するも請求権放棄で切る

 判決では、強制連行強制労働の事実認定について第1審判決をそのまま維持し、国と企業の共同不法行為であることも認めた。第1審では認められなかった企業の安全配慮義務違反については控訴審ではこれを認定したものの、第1審に続き、国の安全配慮義務違反についてはこれを否定した。時効と除斥期間については判断せず、結局、日中共同声明により個人賠償請求権は放棄されているとして西松最高裁判決と同様の判断をした。

 賃金支払いについては退ける

ただ、「自発的な対応の余地があるとしても、裁判上訴求することは認められない」とし、広島西松建設判決と同様に実態法上の権利としては存在することは否定しなかったこと、自発的な対応の余地があるとしたことは、むしろ積極的に評価し、今後の運動につなげていくべきではないかと考える。
 また、企業に対して安全配慮義務違反を認定したこと、賃金は支払ったとする企業側の主張は明確に退けたことは、企業に解決を迫る上での力にしたい。


戦後補償裁判の成果を全面解決の戦いにどう生かすか(Suopei №66より)
                         松岡 創(弁護士)
 ・・・・これまでに20件以上の強制連行裁判が行われてきたわけですが、福岡訴訟第1陣の裁判官は、裁判を重ねるごとに態度が変わっていきました。裁判官は一生ののうち2回心からの判決を書くと言われています。この裁判官はこの判決を書くとき、手が震えたといいます。
 長野の1審の裁判官もそうです。本当は勝たせたい・・・・。悩みを持った裁判官もいます。
 最高裁判決では訴求権はない、となりましたが、このままでは許せないということで、私たちが付言と呼んでいる「当事者同士の解決」に言及したのです。その後、福岡高裁、宮崎の高裁などが「解決への期待」を表明しのたです。
 中国人の強制連行は4万人といわれています。38935人ですが、中国の港から出発した時は39385人です。途中の船で、港で、列車で亡くなり、事業所が受け入れたのが、先の人数です。そして6800人以上が事業所などで亡くなっています。
 今後どういう解決をしたらいいのでしょうか。例えばスペインでは「歴史記憶法」が制定され、独裁者フランコの銅像を壊すなどの動きがあります。ドイツでは「包括的名誉回復法」が制定されたといいます。ヨーロッパにはこういう動きがあります。日本では全くありません。 日本の企業はどうかというと、三菱マテリアルは、和解したいという姿勢です。法的安定性を求めています。三井は、国が変われば・・・、と言っています。西松はかたくなに和解を拒否していましたが、不祥事があり、全役員が交替しました。そして「解決したい」と言ってきました。西松は2つの現場があります。広島の安野に360人と、新潟の信濃川に183人です。それぞれが別の裁判を起こしていました。
 中国の中でも動きがありましす。全国人民代表大会でも意見が出されるようになっています。政治的解決に道が拓かれてきました。
 今、この日本で民主党が政権を取ったことの意味はとても大きいです。鳩山氏はアジア重視、東アジア共同体、中国・韓国との友好を言っています。私たちはこれに働きかける必要があります。それが市民運動の進むべき方向です。 
中国人戦争被害者の要求を支える会

南京大虐殺     

「この事実を・・・・」


(「南京大虐殺」生存者証言集:侵華日軍南京大屠殺遇難同胞紀念館/編 加藤 実/訳) (発行:ストーク、発売:星雲社、定価2000+税)

※私達日本人は、南京大虐殺の「この事実を・・・」を謙虚に読むべきだと思う。
南京でどんなことが起こっていたのかをもっと日本人は知る必要があると思う。
今でも多くの被害者の方々はPTSDに悩んでいる!!

2、日本軍の狂暴な個人的虐殺

父や母の被害

張王氏(女、71歳)の証言

 中国侵略日本軍が南京に入って来た2,3日後に、私たちの住んでいた沙洲圩の趙家○まで働かせに捕まえに来て、父の王老四(その頃50歳)を捕まえて行き牛をひかせたり天秤棒で米を担がせたりしました。沙洲圩から南門まで担ぎ、集合村まで来た時、父が病気で、担いだままでは動けなかったのを、日本軍が見て、父の腰を狙い1発撃って、その場で父を撃ち殺し、しかもその死体を道沿いの沼の中に押し込みました。明くる日、私たちは他の捕まって働かせている人からその知らせを聞き、母や兄と一緒に父の死体を探しに行きましたが、見つかりませんでした。3日目に、私が兄たちとまた父の死体を探しに行って、やはり見つからずに、帰ってくる時、賽江(虹)橋まで来たら、日本兵5人とばったりぶつかり、私たちは吃驚して隠れましたが、日本兵は兄の王寿村をさえぎって、兄を中国兵だと言ったので、母や叔母や伯父の連れ合いや兄嫁がみんなでひざまずいて泣きつきましたが、日本軍は聞かないで、兄を狙って2発撃ち、1発が頭に当たり、1発が心臓を貫いて、こういう風にして、善後わずか3日の間に、我が家では2人日本軍の手中に惨死したのでした。
(席李寧と管月琴と夏龍生が記録)
※○はワープロ変換できない字
  
南京大虐殺に加わった元陸軍伍長栗原利一さんの息子さんから大変貴重なコメントを頂いた!!
本当にありがとうございます!!「南京大虐殺」の真実が日本人の1人でも多くの方に理解していただけたらと強く思います!!以下:コメント


南京大虐殺は世界的に誤解されています。 中核的な出来事は南京陥落時の城外における大規模な捕虜の殺害です。 父親(栗原利一)のスケッチブックでも7万余人と書かれています。 非戦闘時の7万余人の捕虜の殺害ですから、当然、日本陸軍が軍の組織として行なったものです。 捕虜の多くは蒋介石軍兵士などです。 ただ、中国側の言う30万人説は戦闘時の犠牲者も含めた数として合理的な数です。 昭和12年7月の南京の人口は135万人です。 11月末の人口は50万人で、これに南京防衛軍15万が加わった65万人が日本軍の攻撃に晒されました。 否定派の言う20万人は逃げ場の無い貧民の数です。 小平市の警察学校と小平団地を合わせた(昔の警察学校の広さ)10万坪の安全区に押し込められた貧民の数です。 (65連隊のシャーカンおける2千人斬首は父だけが日本側の証人です。名古屋市の河村市長は無知なだけです。「ジョン・ラーベ」は城内での出来事しか書かれていないので日本人には誤解を与えます。)

※日中戦争は、戦時国際法(戦争法)として国際慣習法が条文化されたハーグ陸戦条約に拘束されていた。同条約は、国家間の戦争を合法としながらも、国際人道法の理念からその惨禍をできるだけ軽減するために、直接の戦闘外に置かれた者の苦痛や殺傷を防止しようとしたものだった。そのために、戦争の手段と方法が規制され、非戦闘員である文民及び非軍事目標への攻撃を禁止し、さらに戦闘員を人道的に保護するために、直接の戦闘外におかれた捕虜、投降兵、敗残兵などの殺傷も禁じられた。捕虜についてはその保護と待遇改善を一層明確化して存在した。(日本は調印したが、批准はしなかった。しかし、欧米に対しては「同条約の規定を準用する」と表明した)。【『南京事件』:笠原十九司著:岩波新書】より

栗原利一資料集

※皇族と南京大虐殺
・・・・大報道陣によって日本国民に報道される「未曾有盛事、敵の首都への皇軍の入城」一大セレモニーの日に、式場はもちろん、場内、場外においても、敗残兵や便衣兵によるゲリラ活動のたぐいがあっては皇軍の威信が損ねられることになる。そのうえ、上海派遣軍司令官・朝香宮(あさかのみや)鳩彦王中将は皇族で、「宮殿下」「宮様」である。天皇の軍隊の象徴である皇族の司令官の身に、もしもの不祥事が発生することになれば、天下の一大事で当然関係者の引責問題につながった。南京城内の首都飯店に司令部をおいた朝香宮にたいして、各部隊から立哨を派遣して厳重な警戒体制をとったし、「中山門のすぐ手前の所にて宮殿下(朝香宮)が入城するため一時通行禁止となり」(「牧原日記」)という特別警備体制がとられることもあった。
 こうして、17日に入城式を挙行するために、南京城区だけでなく近郊農村にまでおよんで過酷な「残敵大掃蕩作戦」が展開され、虐殺される軍民の犠牲をいっそう大きなものにした。
(『南京事件』笠原十九司著:岩波新書)

※1946年の中国国民政府の司法行政部が作成した戦犯リスト1位の朝香宮鳩彦王こそ上海派遣軍司令官として南京大虐殺の直接の責任者であったが、アメリカ政府とGHQが天皇の免責を決めていたことから、皇族であるがゆえに南京軍事裁判でも免責とされた。・・・(『「百人斬り競争」と南京事件』笠原十九司著:大月書店)・・・これもおかしくありませんか?裏で取引があった?(ノブ)

■ 南京・史実を守る映画祭 ■ (転載)
http://jijitu.com/filmfestival2009/  
○日時 2009年12月13日(日) 10:00開場
○場所 東京都世田谷区区民会館ホール
○料金 前売券900円、当日券999円。
1作品ごとに入れ替えを行います。前売券の購入方法は下記のURLをご参照ください。
http://jijitu.com/filmfestival2009/2009-09-28-06-41-10

○プログラム・上映作品
10:30-『南京』(88分)
13:00-『アイリス・チャン』(103分)
15:00- シンポジウム
  ※ゲスト:鈴木邦男さん、武田倫和監督さん(詳細はHPで)
  ※映画祭チケットご購入のすべての方が入場いただけます。
16:30-『南京・引き裂かれた記憶』(85分)
18:30-『チルドレン・オブ・ホァンシー 遥かなる希望の道』(125分)

主催:南京・史実を守る映画祭実行委員会
お問合せ:nankin-eigasai-owner@yahoogroups.jp


「南京大虐殺」と聞いて、どれだけの人々が具体的に事件のイメージを語ることができるでしょうか。日本では、南京大虐殺という事実は、公の場であまり語られることはなく、学校教育でもほとんど取り上げられず、どこか、事件に触れることがタブーであるかのような空気が作られているようでもあります。

 事件をめぐっては、戦後になっても何度かの裁判が提起されてきました。その中には、事件の証言をする人々に対する「偽者」呼ばわりがきっかけになったものも多くありました。
 中国人の被害者である夏淑琴さん、李秀英さん。事件そのものの証言を報じた本多勝一さん。

 事実は必ず勝つ、という言葉のとおり、これらの裁判では真実が勝利し、事件はなかったとする人々の主張はすべて、疑似科学や単なる読み物レベルの俗論に過ぎない、ということが白日の下に晒されてきました。

 しかし、事件はなかったとする勢力が沈黙することはなく、それどころか、事件について公の場で触れることそのものにまで、攻撃の手を伸ばしてきました。

 事件を描いた「南京1937」は、その上映が右翼によって暴力的に妨害され、上映する劇場のスクリーンは、右翼によって切り裂かれました。

日本の大手映画会社によって、日露戦争や太平洋戦争の映画が次々と作られる中にあっても、日本軍による中国大陸での残虐行為を描いた映画はほんのわずかしかなく、南京大虐殺を描く映画は皆無、という状態です。

 この間、諸外国では南京大虐殺をテーマにした映画が数多く制作され、公開されているのに、事件の当事者である日本の国内では、南京を描く映画は作られていないのです。

 映画【靖国】の上映に至るまでの経緯を振り返るとき、このような状況は「暴力と、それを恐れるが故の自粛」によってもたらされる、言論の自由の危機だとはっきりいえます。これは、断じて容認することはできません。

 そこで私たちは、映画配給会社がやらないのなら私たちがやってしまおうと決意し、南京大虐殺をテーマとする映画を集めて映画祭を開催することにしました。
 ぜひお越しください。


コメント

この世の地獄!731部隊・南京大虐殺

2009-11-23 08:59:11 | Weblog

「ノブの日記」 のタグをクリックお願いします!!

     「怨」

きけ!「マルタ・アジアの犠牲者」の叫び!
「日の丸」・「君が代」反対!!
(侵略のシンボル)(天皇賛美の歌)

新しい日本!!

「世襲の天皇制から選ばれし大統領制へ!」
(昭和天皇の戦争責任を問う。)
(時効なき戦争責任)


『死の工場』(隠蔽された731部隊)
(シェルダン・H・ハリス著、近藤昭二訳:柏書房)

日本語版前書き

物語の背景

日本では、細菌戦及び化学戦の人体実験に携わった多くの人間は、戦犯裁判を免除された。つまり、罪の無い人々に恐ろしい病原体を注射したり、抵抗手段を持たない人々を生体解剖したり、凍傷実験室や高気圧室で多くの人々を実験した日本人には1度も正当な裁きが下されることがなかったのである。これらの戦争犯罪を行った多くの軍医部隊の指導者の誰1人として責任を追及されていない。細菌戦と化学戦に関わる残虐行為を部下に勧めた陸軍の参謀幕僚の元メンバーも処刑されることはなかった。占領軍当局は、ニュルンベルグ医師裁判に匹敵する医師裁判を日本で行うことを怠ったのである。したがって、敗戦国日本が連合国(特にアメリカ)の統治下にあった時代に、医学倫理を規定する東京法典が発布されることはなかった。日本人による人体実験の数がナチスの医師による人体実験の数に対して、12対1と圧倒的に多数であったにもかかわらず、裁判も行わなければ、倫理法典も制定されなかったのである。(明日に続く)

※マッカーサーが率いるGHQとその本国アメリカ及び日本陸軍参謀・政治家・天皇による、731部隊関係の裏取引は戦後に大きな禍根を残した。
 マッカーサーは日本の占領統治に天皇の力を利用することを優先した。
 マッカーサーは731部隊の人道的に許されない生体実験や生体解剖をのことを裁判で追及すると、その組織の最高責任者天皇に責任が及ぶことを恐れて、途中でGHQ法務部の戦犯追及を中止させたのではないかと思う。
 731部隊関係者の戦犯免責と引き換えに人体実験で得た細菌戦のデータをアメリカは独占的に入手し、石井らにお金まで払っている。ドイツでのアメリカの対応に比べたら全くおかしなことをやっている。
 その結果、東京裁判では誰1人として731部隊関係者は裁かれず、多くは医療現場や大学・研究所・製薬会社へと戦後の活路を見出した。
 裁判で取り上げられることもなかったから、反省は全くされず、医学倫理もドイツとは違って制定されなかった。
 戦後、この取引きで気をよくした保守政党は、戦争の反省をせず、少しずつ戦争を肯定する動きに出る。
 戦後の国の隠蔽体質は、戦争資料の公開をせず、731で行われていた人体実験を認めないという姿勢に現れている。もちろん資料が公開されれば、事実と責任の所在が明らかになり、補償問題も出てくるであろう。
 また、国の事実を究明しないで隠そうとする姿勢は、戦後多発した水俣病などの公害問題や原子力発電所における事故などでも見られる。
 今までの国の隠蔽体質がどれほど変わるか?政権交代した民主党のこれからの動きに注目したい!!

戦後補償

・中国人強制連行裁判で2007年4月に最高裁西松判決では、「日中共同声明第5項により、個人賠償請求権は放棄された」と判示された。しかし、中国外務省は直ちに「国の戦争賠償請求権は放棄したが、被害者個人の請求権は放棄していない。最高裁判決は『違法』、『無効』である」と非難している。

・中国人強制連行の背景
日中戦争が深まり、太平洋戦争も迫った1940年頃、日本は深刻な労働不足に陥っていました。重要な戦略物資の生産拠点である炭坑や金鉱鉱山、港湾荷役、飛行場建設などには既に朝鮮人が強制連行され、奴隷労働を強いられていましたが、それでも労働力は決定的に不足していました。そこで企業は、政府に中国人労働者の強制連行・強制労働を願い出、政府はこの要請に応じて、1942年の閣議決定で中国人の強制連行を決定しました。時の内閣は東條内閣、商工大臣の
岸信介 の係わりが大きい。「華人労務者内地移入ニ関スル件」及び「華人労務者内地移入ノ促進ニ関スル件」
※満州で辣腕をふるい、東條内閣でも商工大臣として中国人の強制連行に係わった岸が戦後総理大臣になるとは、どういうことか?その外孫の安
倍晋三  も首相になるとは?
 

最近の裁判の動き【「Suopei(すおぺい)」=中国語で「索賠」(賠償請求)を意味します。No66より】
中国人強制連行:長野訴訟、控訴審判決(2009年9月17日:東京高等裁判所第19民事部)

 被害事実・企業の安全配慮義務違反は認定するも請求権放棄で切る

 判決では、強制連行強制労働の事実認定について第1審判決をそのまま維持し、国と企業の共同不法行為であることも認めた。第1審では認められなかった企業の安全配慮義務違反については控訴審ではこれを認定したものの、第1審に続き、国の安全配慮義務違反についてはこれを否定した。時効と除斥期間については判断せず、結局、日中共同声明により個人賠償請求権は放棄されているとして西松最高裁判決と同様の判断をした。

 賃金支払いについては退ける

ただ、「自発的な対応の余地があるとしても、裁判上訴求することは認められない」とし、広島西松建設判決と同様に実態法上の権利としては存在することは否定しなかったこと、自発的な対応の余地があるとしたことは、むしろ積極的に評価し、今後の運動につなげていくべきではないかと考える。
 また、企業に対して安全配慮義務違反を認定したこと、賃金は支払ったとする企業側の主張は明確に退けたことは、企業に解決を迫る上での力にしたい。


戦後補償裁判の成果を全面解決の戦いにどう生かすか(Suopei №66より)
                         松岡 創(弁護士)
 ・・・・これまでに20件以上の強制連行裁判が行われてきたわけですが、福岡訴訟第1陣の裁判官は、裁判を重ねるごとに態度が変わっていきました。裁判官は一生ののうち2回心からの判決を書くと言われています。この裁判官はこの判決を書くとき、手が震えたといいます。
 長野の1審の裁判官もそうです。本当は勝たせたい・・・・。悩みを持った裁判官もいます。
 最高裁判決では訴求権はない、となりましたが、このままでは許せないということで、私たちが付言と呼んでいる「当事者同士の解決」に言及したのです。その後、福岡高裁、宮崎の高裁などが「解決への期待」を表明しのたです。
 中国人の強制連行は4万人といわれています。38935人ですが、中国の港から出発した時は39385人です。途中の船で、港で、列車で亡くなり、事業所が受け入れたのが、先の人数です。そして6800人以上が事業所などで亡くなっています。
 今後どういう解決をしたらいいのでしょうか。例えばスペインでは「歴史記憶法」が制定され、独裁者フランコの銅像を壊すなどの動きがあります。ドイツでは「包括的名誉回復法」が制定されたといいます。ヨーロッパにはこういう動きがあります。日本では全くありません。 日本の企業はどうかというと、三菱マテリアルは、和解したいという姿勢です。法的安定性を求めています。三井は、国が変われば・・・、と言っています。西松はかたくなに和解を拒否していましたが、不祥事があり、全役員が交替しました。そして「解決したい」と言ってきました。西松は2つの現場があります。広島の安野に360人と、新潟の信濃川に183人です。それぞれが別の裁判を起こしていました。
 中国の中でも動きがありましす。全国人民代表大会でも意見が出されるようになっています。政治的解決に道が拓かれてきました。
 今、この日本で民主党が政権を取ったことの意味はとても大きいです。鳩山氏はアジア重視、東アジア共同体、中国・韓国との友好を言っています。私たちはこれに働きかける必要があります。それが市民運動の進むべき方向です。 
中国人戦争被害者の要求を支える会
731部隊・石井四郎の野望・元部隊員の証言1/8

南京大虐殺
     

「この事実を・・・・」


(「南京大虐殺」生存者証言集:侵華日軍南京大屠殺遇難同胞紀念館/編 加藤 実/訳) (発行:ストーク、発売:星雲社、定価2000+税)

2、日本軍の狂暴な個人的虐殺

父や母の被害

江暁嵩(男、66歳)の証言

 日本軍が1937年に南京を占領した時、私は難を逃れて安徽(あんき)省の烏江まで行きましたが、祖父と父とは留守番に柳葉街109号の家に留まっていました。祖父は病気で家にいて、日本軍に家を焼かれた時に活きたまま中で焼け死にました。父は日本軍に捕まって働かされ、太っていたので、物を背負わされた時に背負ったままでは動けなく、日本兵に刀で刺し殺されました。私が南京に戻ったら、祖父も父もすでに惨死していて、家も焼かれてしまっていて、そうした事実経過は、私が難を逃れて南京に帰った後に、隣近所の人達から告げられたのです。(童学華と○原明と夏龍生が記録)
※○はワープロの漢字では見当たりません。
  
南京大虐殺に加わった元陸軍伍長栗原利一さんの息子さんから大変貴重なコメントを頂いた!!
本当にありがとうございます!!「南京大虐殺」の真実が日本人の1人でも多くの方に理解していただけたらと強く思います!!以下:コメント


南京大虐殺は世界的に誤解されています。 中核的な出来事は南京陥落時の城外における大規模な捕虜の殺害です。 父親(栗原利一)のスケッチブックでも7万余人と書かれています。 非戦闘時の7万余人の捕虜の殺害ですから、当然、日本陸軍が軍の組織として行なったものです。 捕虜の多くは蒋介石軍兵士などです。 ただ、中国側の言う30万人説は戦闘時の犠牲者も含めた数として合理的な数です。 昭和12年7月の南京の人口は135万人です。 11月末の人口は50万人で、これに南京防衛軍15万が加わった65万人が日本軍の攻撃に晒されました。 否定派の言う20万人は逃げ場の無い貧民の数です。 小平市の警察学校と小平団地を合わせた(昔の警察学校の広さ)10万坪の安全区に押し込められた貧民の数です。 (65連隊のシャーカンおける2千人斬首は父だけが日本側の証人です。名古屋市の河村市長は無知なだけです。「ジョン・ラーベ」は城内での出来事しか書かれていないので日本人には誤解を与えます。)

※日中戦争は、戦時国際法(戦争法)として国際慣習法が条文化されたハーグ陸戦条約に拘束されていた。同条約は、国家間の戦争を合法としながらも、国際人道法の理念からその惨禍をできるだけ軽減するために、直接の戦闘外に置かれた者の苦痛や殺傷を防止しようとしたものだった。そのために、戦争の手段と方法が規制され、非戦闘員である文民及び非軍事目標への攻撃を禁止し、さらに戦闘員を人道的に保護するために、直接の戦闘外におかれた捕虜、投降兵、敗残兵などの殺傷も禁じられた。捕虜についてはその保護と待遇改善を一層明確化して存在した。(日本は調印したが、批准はしなかった。しかし、欧米に対しては「同条約の規定を準用する」と表明した)。【『南京事件』:笠原十九司著:岩波新書】より
栗原利一資料集

※昭和天皇より南京占領を喜ぶ「お言葉」
陸海軍幕僚長に賜りたる大元帥陛下お言葉
中支那方面の陸海軍諸部隊が上海付近の作戦に引き続き勇猛果敢なる追撃をおこない、首都南京を陥れたることは深く満足に思う。この旨将兵に申し伝えよ。(『南京事件』笠原十九司著:岩波新書)

※南京大虐殺については、外務省や軍部・朝香宮は天皇に報告をしなかった?

※皇族と南京大虐殺
・・・・大報道陣によって日本国民に報道される「未曾有盛事、敵の首都への皇軍の入城」一大セレモニーの日に、式場はもちろん、場内、場外においても、敗残兵や便衣兵によるゲリラ活動のたぐいがあっては皇軍の威信が損ねられることになる。そのうえ、上海派遣軍司令官・朝香宮(あさかのみや)鳩彦王中将は皇族で、「宮殿下」「宮様」である。天皇の軍隊の象徴である皇族の司令官の身に、もしもの不祥事が発生することになれば、天下の一大事で当然関係者の引責問題につながった。南京城内の首都飯店に司令部をおいた朝香宮にたいして、各部隊から立哨を派遣して厳重な警戒体制をとったし、「中山門のすぐ手前の所にて宮殿下(朝香宮)が入城するため一時通行禁止となり」(「牧原日記」)という特別警備体制がとられることもあった。
 こうして、17日に入城式を挙行するために、南京城区だけでなく近郊農村にまでおよんで過酷な「残敵大掃蕩作戦」が展開され、虐殺される軍民の犠牲をいっそう大きなものにした。
(『南京事件』笠原十九司著:岩波新書)

※1946年の中国国民政府の司法行政部が作成した戦犯リスト1位の朝香宮鳩彦王こそ上海派遣軍司令官として南京大虐殺の直接の責任者であったが、アメリカ政府とGHQが天皇の免責を決めていたことから、皇族であるがゆえに南京軍事裁判でも免責とされた。・・・(『「百人斬り競争」と南京事件』笠原十九司著:大月書店)・・・これもおかしくありませんか?裏で取引があった?(ノブ)

■ 南京・史実を守る映画祭 ■ (転載)
http://jijitu.com/filmfestival2009/  
○日時 2009年12月13日(日) 10:00開場
○場所 東京都世田谷区区民会館ホール
○料金 前売券900円、当日券999円。
1作品ごとに入れ替えを行います。前売券の購入方法は下記のURLをご参照ください。
http://jijitu.com/filmfestival2009/2009-09-28-06-41-10

○プログラム・上映作品
10:30-『南京』(88分)
13:00-『アイリス・チャン』(103分)
15:00- シンポジウム
  ※ゲスト:鈴木邦男さん、武田倫和監督さん(詳細はHPで)
  ※映画祭チケットご購入のすべての方が入場いただけます。
16:30-『南京・引き裂かれた記憶』(85分)
18:30-『チルドレン・オブ・ホァンシー 遥かなる希望の道』(125分)

主催:南京・史実を守る映画祭実行委員会
お問合せ:nankin-eigasai-owner@yahoogroups.jp


「南京大虐殺」と聞いて、どれだけの人々が具体的に事件のイメージを語ることができるでしょうか。日本では、南京大虐殺という事実は、公の場であまり語られることはなく、学校教育でもほとんど取り上げられず、どこか、事件に触れることがタブーであるかのような空気が作られているようでもあります。

 事件をめぐっては、戦後になっても何度かの裁判が提起されてきました。その中には、事件の証言をする人々に対する「偽者」呼ばわりがきっかけになったものも多くありました。
 中国人の被害者である夏淑琴さん、李秀英さん。事件そのものの証言を報じた本多勝一さん。

 事実は必ず勝つ、という言葉のとおり、これらの裁判では真実が勝利し、事件はなかったとする人々の主張はすべて、疑似科学や単なる読み物レベルの俗論に過ぎない、ということが白日の下に晒されてきました。

 しかし、事件はなかったとする勢力が沈黙することはなく、それどころか、事件について公の場で触れることそのものにまで、攻撃の手を伸ばしてきました。

 事件を描いた「南京1937」は、その上映が右翼によって暴力的に妨害され、上映する劇場のスクリーンは、右翼によって切り裂かれました。

日本の大手映画会社によって、日露戦争や太平洋戦争の映画が次々と作られる中にあっても、日本軍による中国大陸での残虐行為を描いた映画はほんのわずかしかなく、南京大虐殺を描く映画は皆無、という状態です。

 この間、諸外国では南京大虐殺をテーマにした映画が数多く制作され、公開されているのに、事件の当事者である日本の国内では、南京を描く映画は作られていないのです。

 映画【靖国】の上映に至るまでの経緯を振り返るとき、このような状況は「暴力と、それを恐れるが故の自粛」によってもたらされる、言論の自由の危機だとはっきりいえます。これは、断じて容認することはできません。

 そこで私たちは、映画配給会社がやらないのなら私たちがやってしまおうと決意し、南京大虐殺をテーマとする映画を集めて映画祭を開催することにしました。
 ぜひお越しください。


コメント

この世の地獄!731部隊・南京大虐殺

2009-11-22 07:41:21 | Weblog

「ノブの日記」 のタグをクリックお願いします!!

     「怨」

きけ!「マルタ・アジアの犠牲者」の叫び!

「日の丸」・「君が代」反対!!

(侵略のシンボル)(天皇賛美の歌)

新しい日本!!

「世襲の天皇制から選ばれし大統領制へ!」

(昭和天皇の戦争責任を問う。)

(時効なき戦争責任)


『死の工場』(隠蔽された731部隊)
(シェルダン・H・ハリス著、近藤昭二訳:柏書房)

日本語版前書き

物語の背景

 ニュルンベルグ医師裁判がもたらした最大の成果は、「ニュルンベルグ法典」と呼ばれる医学倫理の法典が制定されたことだ。法典は基本的には世界中の医師の行いを支配する医学倫理を規定したものである。その中の条項の1つとして、人体実験に関する規定がある。人体実験は被験者本人の同意に基づいてのみ行うべきである。また、人体実験は社会に有益な結果を生み、他の研究方法によっては成しえない場合にのみ行うべきである。そして最も重要なことは、患者が死亡もしくは障害をこうむる可能性がある場合には、人体実験は行ってはならない、というものである。(明日に続く)

※日本では731部隊員の1人も、裁判にかけられる者はいなかった。そのために、人体実験にかかわった人間がそのまま今度は日本の医療現場に大した反省もなく、携わってしまった。大変なことである。ドイツでアメリカが中心となって裁いた医師裁判の結果生まれた「ニュルンベルグ法典」が日本では戦後長らく生かされなかった。その結果悲惨なことがまたもや起こってしまった。


戦後補償

・中国人強制連行裁判で2007年4月に最高裁西松判決では、「日中共同声明第5項により、個人賠償請求権は放棄された」と判示された。しかし、中国外務省は直ちに「国の戦争賠償請求権は放棄したが、被害者個人の請求権は放棄していない。最高裁判決は『違法』、『無効』である」と非難している。

・中国人強制連行の背景
日中戦争が深まり、太平洋戦争も迫った1940年頃、日本は深刻な労働不足に陥っていました。重要な戦略物資の生産拠点である炭坑や金鉱鉱山、港湾荷役、飛行場建設などには既に朝鮮人が強制連行され、奴隷労働を強いられていましたが、それでも労働力は決定的に不足していました。そこで企業は、政府に中国人労働者の強制連行・強制労働を願い出、政府はこの要請に応じて、1942年の閣議決定で中国人の強制連行を決定しました。時の内閣は東條内閣、商工大臣の
岸信介  の係わりが大きい。「華人労務者内地移入ニ関スル件」及び「華人労務者内地移入ノ促進ニ関スル件」
※満州で辣腕をふるい、東條内閣でも商工大臣として中国人の強制連行に係わった岸が戦後総理大臣になるとは、どういうことか?その外孫の
安倍晋三  も首相になるとは?
 

最近の裁判の動き【「Suopei(すおぺい)」=中国語で「索賠」(賠償請求)を意味します。No66より】
中国人強制連行:長野訴訟、控訴審判決(2009年9月17日:東京高等裁判所第19民事部)

 被害事実・企業の安全配慮義務違反は認定するも請求権放棄で切る

 判決では、強制連行強制労働の事実認定について第1審判決をそのまま維持し、国と企業の共同不法行為であることも認めた。第1審では認められなかった企業の安全配慮義務違反については控訴審ではこれを認定したものの、第1審に続き、国の安全配慮義務違反についてはこれを否定した。時効と除斥期間については判断せず、結局、日中共同声明により個人賠償請求権は放棄されているとして西松最高裁判決と同様の判断をした。

 賃金支払いについては退ける

ただ、「自発的な対応の余地があるとしても、裁判上訴求することは認められない」とし、広島西松建設判決と同様に実態法上の権利としては存在することは否定しなかったこと、自発的な対応の余地があるとしたことは、むしろ積極的に評価し、今後の運動につなげていくべきではないかと考える。
 また、企業に対して安全配慮義務違反を認定したこと、賃金は支払ったとする企業側の主張は明確に退けたことは、企業に解決を迫る上での力にしたい。


戦後補償裁判の成果を全面解決の戦いにどう生かすか(Suopei №66より)
                        松岡 創(弁護士)
 ・・・・これまでに20件以上の強制連行裁判が行われてきたわけですが、福岡訴訟第1陣の裁判官は、裁判を重ねるごとに態度が変わっていきました。裁判官は一生ののうち2回心からの判決を書くと言われています。この裁判官はこの判決を書くとき、手が震えたといいます。
 長野の1審の裁判官もそうです。本当は勝たせたい・・・・。悩みを持った裁判官もいます。
 最高裁判決では訴求権はない、となりましたが、このままでは許せないということで、私たちが付言と呼んでいる「当事者同士の解決」に言及したのです。その後、福岡高裁、宮崎の高裁などが「解決への期待」を表明しのたです。
 中国人の強制連行は4万人といわれています。38935人ですが、中国の港から出発した時は39385人です。途中の船で、港で、列車で亡くなり、事業所が受け入れたのが、先の人数です。そして6800人以上が事業所などで亡くなっています。
 今後どういう解決をしたらいいのでしょうか。例えばスペインでは「歴史記憶法」が制定され、独裁者フランコの銅像を壊すなどの動きがあります。ドイツでは「包括的名誉回復法」が制定されたといいます。ヨーロッパにはこういう動きがあります。日本では全くありません。 日本の企業はどうかというと、三菱マテリアルは、和解したいという姿勢です。法的安定性を求めています。三井は、国が変われば・・・、と言っています。西松はかたくなに和解を拒否していましたが、不祥事があり、全役員が交替しました。そして「解決したい」と言ってきました。西松は2つの現場があります。広島の安野に360人と、新潟の信濃川に183人です。それぞれが別の裁判を起こしていました。
 中国の中でも動きがありましす。全国人民代表大会でも意見が出されるようになっています。政治的解決に道が拓かれてきました。
 今、この日本で民主党が政権を取ったことの意味はとても大きいです。鳩山氏はアジア重視、東アジア共同体、中国・韓国との友好を言っています。私たちはこれに働きかける必要があります。それが市民運動の進むべき方向です。 

中国人戦争被害者の要求を支える会

・731部隊の組織犯罪については、関東軍という日本陸軍の一駐留軍の指揮命令系統下にあった。部隊そのものは関東軍司令官の直轄であり、あらゆる人体実験も形式上は司令官の命令無しには行なわれえなかった。また、731部隊以外の「防疫給水部隊」(北京、南京、広東など)も日本陸軍の中国派遣軍の指揮下にあった。日本陸軍を統括していたのは陸軍省であり、その上には天皇がいた。したがって731部隊の人体実験の最終責任者も天皇である。(『検証 人体実験 731部隊・ナチ医学』小俣和一郎著:第3文明社)


731部隊・石井四郎の野望・元部隊員の証言1/8

 
南京大虐殺
     

「この事実を・・・・」


(「南京大虐殺」生存者証言集:侵華日軍南京大屠殺遇難同胞紀念館/編 加藤 実/訳) (発行:ストーク、発売:星雲社、定価2000+税)

※私達日本人は、南京大虐殺の「この事実を・・・」を謙虚に読むべきだと思う。
南京でどんなことが起こっていたのかをもっと日本人は知る必要があると思う。
今でも多くの被害者の方々はPTSDに悩んでいる!!

2、日本軍の狂暴な個人的虐殺

父や母の被害

哈佳琴(女、56歳)の証言

 父は哈正保といい、1937年の冬月14日の午後、難民区で日本軍に捕まって行ったのが、31歳のことでした。私と祖母と母と弟妹たちは大方巷の難民区のある家屋に住まっていました。日本の賊が入って来て難民区に住まっている人のところに捜査に来、男の人達をみんな家から駆り出し、大方巷後街の内庭に集めましたが、大伯父と父もその人達の中にいて、日本軍は銃を持って周りに立ち、みんなを包囲しました。私たちは家中で窓の前に立って父や大伯父が早く戻ってくるようにと願い、家中みんな気が気でなく、私が見に丘に這い上がったら、もんどりうって地の上にひっくり返り筋や骨を痛めてしまいました。日本軍が父たちを捕まえて行ってからは、杳(よう)として姿が見えず、日本軍に江辺まで連行されて銃殺されたのだと言われています。日本軍が私の一家を害すること家は無くなり人は失い、一家離散で、私と母とはこの時から流浪しさまよう生活を送っています。後になって、母は妹を連れ子にしてよそへ片付き、私は弟とお婆さんの家で苦しい生活を送っています。(寿芸芬と沙志華が記録) 
 
南京大虐殺に加わった元陸軍伍長栗原利一さんの息子さんから大変貴重なコメントを頂いた!!
本当にありがとうございます!!「南京大虐殺」の真実が日本人の1人でも多くの方に理解していただけたらと強く思います!!以下:コメント


南京大虐殺は世界的に誤解されています。 中核的な出来事は南京陥落時の城外における大規模な捕虜の殺害です。 父親(栗原利一)のスケッチブックでも7万余人と書かれています。 非戦闘時の7万余人の捕虜の殺害ですから、当然、日本陸軍が軍の組織として行なったものです。 捕虜の多くは蒋介石軍兵士などです。 ただ、中国側の言う30万人説は戦闘時の犠牲者も含めた数として合理的な数です。 昭和12年7月の南京の人口は135万人です。 11月末の人口は50万人で、これに南京防衛軍15万が加わった65万人が日本軍の攻撃に晒されました。 否定派の言う20万人は逃げ場の無い貧民の数です。 小平市の警察学校と小平団地を合わせた(昔の警察学校の広さ)10万坪の安全区に押し込められた貧民の数です。 (65連隊のシャーカンおける2千人斬首は父だけが日本側の証人です。名古屋市の河村市長は無知なだけです。「ジョン・ラーベ」は城内での出来事しか書かれていないので日本人には誤解を与えます。)

※日中戦争は、戦時国際法(戦争法)として国際慣習法が条文化されたハーグ陸戦条約に拘束されていた。同条約は、国家間の戦争を合法としながらも、国際人道法の理念からその惨禍をできるだけ軽減するために、直接の戦闘外に置かれた者の苦痛や殺傷を防止しようとしたものだった。そのために、戦争の手段と方法が規制され、非戦闘員である文民及び非軍事目標への攻撃を禁止し、さらに戦闘員を人道的に保護するために、直接の戦闘外におかれた捕虜、投降兵、敗残兵などの殺傷も禁じられた。捕虜についてはその保護と待遇改善を一層明確化して存在した。(日本は調印したが、批准はしなかった。しかし、欧米に対しては「同条約の規定を準用する」と表明した)。【『南京事件』:笠原十九司著:岩波新書】より

■ 南京・史実を守る映画祭 ■ (転載)
http://jijitu.com/filmfestival2009/  
○日時 2009年12月13日(日) 10:00開場
○場所 東京都世田谷区区民会館ホール
○料金 前売券900円、当日券999円。
1作品ごとに入れ替えを行います。前売券の購入方法は下記のURLをご参照ください。
http://jijitu.com/filmfestival2009/2009-09-28-06-41-10

○プログラム・上映作品
10:30-『南京』(88分)
13:00-『アイリス・チャン』(103分)
15:00- シンポジウム
  ※ゲスト:鈴木邦男さん、武田倫和監督さん(詳細はHPで)
  ※映画祭チケットご購入のすべての方が入場いただけます。
16:30-『南京・引き裂かれた記憶』(85分)
18:30-『チルドレン・オブ・ホァンシー 遥かなる希望の道』(125分)

主催:南京・史実を守る映画祭実行委員会
お問合せ:nankin-eigasai-owner@yahoogroups.jp


「南京大虐殺」と聞いて、どれだけの人々が具体的に事件のイメージを語ることができるでしょうか。日本では、南京大虐殺という事実は、公の場であまり語られることはなく、学校教育でもほとんど取り上げられず、どこか、事件に触れることがタブーであるかのような空気が作られているようでもあります。

 事件をめぐっては、戦後になっても何度かの裁判が提起されてきました。その中には、事件の証言をする人々に対する「偽者」呼ばわりがきっかけになったものも多くありました。
 中国人の被害者である夏淑琴さん、李秀英さん。事件そのものの証言を報じた本多勝一さん。

 事実は必ず勝つ、という言葉のとおり、これらの裁判では真実が勝利し、事件はなかったとする人々の主張はすべて、疑似科学や単なる読み物レベルの俗論に過ぎない、ということが白日の下に晒されてきました。

 しかし、事件はなかったとする勢力が沈黙することはなく、それどころか、事件について公の場で触れることそのものにまで、攻撃の手を伸ばしてきました。

 事件を描いた「南京1937」は、その上映が右翼によって暴力的に妨害され、上映する劇場のスクリーンは、右翼によって切り裂かれました。

日本の大手映画会社によって、日露戦争や太平洋戦争の映画が次々と作られる中にあっても、日本軍による中国大陸での残虐行為を描いた映画はほんのわずかしかなく、南京大虐殺を描く映画は皆無、という状態です。

 この間、諸外国では南京大虐殺をテーマにした映画が数多く制作され、公開されているのに、事件の当事者である日本の国内では、南京を描く映画は作られていないのです。

 映画【靖国】の上映に至るまでの経緯を振り返るとき、このような状況は「暴力と、それを恐れるが故の自粛」によってもたらされる、言論の自由の危機だとはっきりいえます。これは、断じて容認することはできません。

 そこで私たちは、映画配給会社がやらないのなら私たちがやってしまおうと決意し、南京大虐殺をテーマとする映画を集めて映画祭を開催することにしました。
 ぜひお越しください。




百人斬り裁判

朝香宮

兵士たちが記録した南京大虐殺1


1つの家族をずっと、国民の税金を使って、意味のよく分からない象徴としてあがめるのではなく、日本の国を良い方向に進めるリーダー(大統領)を選挙で選んだ方がいいのではないのかな?


●「怨」旗は、水俣病原告団が掲げた旗である。
水俣病  も、国・県・チッソは10年以上もその責任を認めず患者を増やし続けた。
 

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「南京・史実を守る映画祭」のご案内

2009-11-21 10:40:44 | Weblog
■ 南京・史実を守る映画祭 ■ (転載)
http://jijitu.com/filmfestival2009/
○日時 2009年12月13日(日) 10:00開場
○場所 東京都世田谷区区民会館ホール
○料金 前売券900円、当日券999円。
1作品ごとに入れ替えを行います。前売券の購入方法は下記のURLをご参照ください。
http://jijitu.com/filmfestival2009/2009-09-28-06-41-10

○プログラム・上映作品
10:30-『南京』(88分)
13:00-『アイリス・チャン』(103分)
15:00- シンポジウム
  ※ゲスト:鈴木邦男さん、武田倫和監督さん(詳細はHPで)
  ※映画祭チケットご購入のすべての方が入場いただけます。
16:30-『南京・引き裂かれた記憶』(85分)
18:30-『チルドレン・オブ・ホァンシー 遥かなる希望の道』(125分)

主催:南京・史実を守る映画祭実行委員会
お問合せ:nankin-eigasai-owner@yahoogroups.jp


「南京大虐殺」と聞いて、どれだけの人々が具体的に事件のイメージを語ることができるでしょうか。日本では、南京大虐殺という事実は、公の場であまり語られることはなく、学校教育でもほとんど取り上げられず、どこか、事件に触れることがタブーであるかのような空気が作られているようでもあります。

 事件をめぐっては、戦後になっても何度かの裁判が提起されてきました。その中には、事件の証言をする人々に対する「偽者」呼ばわりがきっかけになったものも多くありました。
 中国人の被害者である夏淑琴さん、李秀英さん。事件そのものの証言を報じた本多勝一さん。

 事実は必ず勝つ、という言葉のとおり、これらの裁判では真実が勝利し、事件はなかったとする人々の主張はすべて、疑似科学や単なる読み物レベルの俗論に過ぎない、ということが白日の下に晒されてきました。

 しかし、事件はなかったとする勢力が沈黙することはなく、それどころか、事件について公の場で触れることそのものにまで、攻撃の手を伸ばしてきました。

 事件を描いた「南京1937」は、その上映が右翼によって暴力的に妨害され、上映する劇場のスクリーンは、右翼によって切り裂かれました。

日本の大手映画会社によって、日露戦争や太平洋戦争の映画が次々と作られる中にあっても、日本軍による中国大陸での残虐行為を描いた映画はほんのわずかしかなく、南京大虐殺を描く映画は皆無、という状態です。

 この間、諸外国では南京大虐殺をテーマにした映画が数多く制作され、公開されているのに、事件の当事者である日本の国内では、南京を描く映画は作られていないのです。

 映画【靖国】の上映に至るまでの経緯を振り返るとき、このような状況は「暴力と、それを恐れるが故の自粛」によってもたらされる、言論の自由の危機だとはっきりいえます。これは、断じて容認することはできません。

 そこで私たちは、映画配給会社がやらないのなら私たちがやってしまおうと決意し、南京大虐殺をテーマとする映画を集めて映画祭を開催することにしました。
 ぜひお越しください。

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FAX:020-4624-2381
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