日本は、日中戦争で国際法に違反して、細菌戦、毒ガス戦、無差別爆撃を行った。日本政府は、この事実をきちんと認めていない!!
●『細菌戦部隊』
731研究会編 1996年9月(核時代51年)初版発行
『細菌戦部隊』
731研究会編
序ー 731部隊がいかにして作られ、またいかにして歴史の闇に葬られたのか?
1925(大正14)年、生物化学兵器の使用を禁止するジュネーブ議定書が締結された(日本はこの時批准していない)。731部隊の創設者となる石井四郎はこのことにヒントを得て関東軍防疫給水部の設立を思いついたと言われる。陸軍の中にあって後陣の下位の位置に甘んじていた軍医の立場を、なんとか上位に押し上げたいという野心を抱いていた彼は、細菌兵器の研究、準備をもってそれを実現しようとしたのである。1928年の春から2年間、石井はワルシャワ、モスクワ、パリ、ベルリン、アメリカと、各国の医学研究所を視察して回った。
日本軍政下香港(1997.7.27)
●『論争731部隊』
松村高夫編
核時代49(1994)年4月発行
第2 731部隊に関する研究状況
二 1983(昭和58)年以前の731部隊に関する研究状況
2 1970年代及び1980年代初期の研究状況
(1)『悪魔の飽食』について
森村誠一『悪魔の飽食』は、日本、アメリカ、中国の取材を通じて、731部隊の実態の解明を深めていき、81年から83年にかけて毎年1回ずつ刊行され、最終的には3部作となったものである。即ち、1981年に『悪魔の飽食』が731部隊の旧部隊員30名以上の聞き取り、『ハバロフスク公判書類』、北野政次等の医学学術論文等の既刊文献にもとづいて書かれ、続いて82年に『続・悪魔の飽食』が主としてアメリカ側資料(キャンプ・デトリック〈後にフォート・デトリックと改称〉に保管されていた『トンプソン・レポート』など)の発掘にもとづいて書かれ、さらに83年に『悪魔の飽食・第3部』が主として中国(ハルビン、平房、長春)での現地調査にもとづいて書かれた。
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