細菌戦の系譜!!

2022-09-11 10:35:10 | Weblog

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 



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飯田市はなぜ、歴史をきちんと伝えないのか??
 

 

 731部隊元隊員の証言、飯田市平和祈念館が展示せず 市教委「事実関係に議論」

2022/08/17 11:59

 


 

 


元隊員が持ち帰った医療器具などが並ぶ飯田市平和祈念館の731部隊の展示。
元隊員の証言は紹介されていない

 

 

 戦争の悲惨さや平和の大切さを後世に伝えるため今年5月にオープンした飯田市平和祈念館で、関東軍防疫給水部(731部隊)の証言などを印刷したパネル展示が取りやめられたことが16日、市教育委員会などへの取材で分かった。住民有志でつくる市平和資料収集委員会が展示を求めていたが、市教委は事実関係が確定していないなどとして見送った。現在、展示は市出身の元隊員から寄せられた医療器具や人体解剖の医学書など十数点だけとなっている。

 

 取りやめた理由について、市教委生涯学習・スポーツ課は取材に「部隊の事実関係を巡ってはさまざまな議論がある。証言などを伝えたいという思いは理解しているが、公の施設としての展示は難しい」としている。

 

 市平和祈念館の展示は「戦争の恐ろしさ」「戦時下のくらし」など五つのテーマに分かれている。祈念館設置に向け、同委員会はこれまでに市教委と協力して戦時中の資料を集め、展示内容についても話し合ってきた。

 

 同委員会は「戦争の被害だけでなく、加害の歴史も伝えないといけない」と、731部隊が細菌兵器の開発を進め、捕虜となった中国人やロシア人に対して人体実験をしてきた―などとする説明文を作成。県内出身の元隊員4人の証言も文章にまとめた。市教委に証言などをパネル展示するよう求め、議論も重ねた。

 

 だが、市教委は遺品の展示のみにとどめている。同委代表の吉沢章さん(73)=飯田市=は「県内の元隊員らの証言を通じて地域と部隊との関わりを明らかにし、戦争の姿を伝えたかったのに」と割り切れない思いでいる。

 

          ◇

【731部隊】 生物・細菌兵器の研究開発のため、1936(昭和11)年に編成された旧陸軍の特殊部隊。旧満州(現中国東北部)のハルビン近郊で秘密裏に中国、ロシア人らの政治犯や捕虜に非人道的な人体実験を繰り返し、多数を殺害したとされる。ペストやチフスなどの細菌を研究し、日中戦争で実際に使ったとされる。

久保田昇さんが熱く語る元731部隊員の証言(以下のビデオ:30分辺りから)

飯田市平和祈念館資料室

■731部隊の証言展示取りやめ パネル展示予定だった宮田村の清水さん「これでは伝わらない」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

731部隊の証言展示取りやめ パネル展示予定だった宮田村の清水さん「これでは伝わらない」

2022/08/17 11:58
731部隊の少年隊に所属し、飯田市平和祈念館での証言の展示を打診されていた清水さん。入隊時の写真の拡大コピーも用意していた=7月12日、宮田村
 
731部隊を巡っては2002年、中国人被害者らが起こした国家賠償請求訴訟で東京地裁が戦時中に生物兵器の開発、研究を行い、細菌戦を行っていたなどと認定した。一方、03年に当時首相だった小泉純一郎氏は国会で、細菌戦を示す資料は「現時点で確認されていない」と答弁。部隊については終戦直後に文書が処分された経緯もあり、専門家からは貴重な歴史的証言の展示を見合わせた市教委の姿勢を疑問視する声が出ている。
 「自分たちの証言が紹介されなければ、部隊の事実が伝わらない」。戦時中、731部隊の少年隊に所属していた清水英男さん(92)=上伊那郡宮田村=はそう訴える。飯田市平和祈念館の開館前、市資料収集委員会から証言のパネル展示を打診され、了承。まだ14歳だった入隊時の集合写真も自費で拡大コピーし、展示用に用意した。
 清水さんは国民学校高等科を卒業後、731部隊の少年隊に配属された。主に見習い技術員として病原菌の基礎知識などを学び、「マルタ」と呼ばれた中国人やロシア人の捕虜の人体実験後の標本を見たこともある。日本の敗戦間近に「マルタ小屋」で多数の人骨を拾って・・・・
 
信濃毎日8月18日(斜面)


 
 
 
 
今年(2022年)4月2日に開かれた日本医学会記念事業では、「過去の過ちに学ぶ」で、731部隊のことが取り上げられた
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細菌戦の系譜!!

2022-09-11 10:32:54 | Weblog

731部隊に関しては、11.シンポジウム:未来への提言「4. 医療倫理・研究倫理の深化」のところで、以下のスライドが出てきて、わずかですが触れられます。

第25回戦争遺跡保存全国シンポジウム広島大会

第1分科会

 

大久野島戦争遺跡保存活動の歩みと今後の課題

『鹿島海軍航空隊跡地』の未来について

四国西南部の特攻基地ー第132震洋隊・土佐清水越基地跡を中心に

22日のフィールドワーク

平和記念公園と周辺の被爆遺跡を巡るコース

番外編

 

大久野島遺跡巡り

 

似島(広島県)

 
 
関連動画
 
 
 
 
 
 
 

日本は、なぜ、核兵器禁止条約締約国会議に参加しない??

 
戦前・戦後直後と同じ、トップは無責任!!
国が原発推進していて、事故があったら責任ないなんて全くおかしい??
責任を全部下に押し付けるのは、BC級戦犯裁判、226事件と酷似だ!!

何をやっているのかさっぱり分からない??


それまで原子力を利用していたものの脱原発を表明する国が現れ、米国で新規建設のプロジェクトがなくなるなど、世界各国の原発利用は停滞することとなりました。(資源エネルギー庁のHPより)
 

 
世界には、核実験、原爆、原発労働者、ウラン鉱山の採掘者等で被ばくした人はたくさんいる!!
それが、次世代・次々世代に影響するとなると大変な数になる!!反原発!!
 
 
 
 
戦争では、何も解決しない!!即時停戦を!!
世界の食糧危機!!、世界の環境破壊!!生態系の激変!!貧困、虐殺、レイプ、人間不信!!

На войне ничего не решить! !! Немедленное прекращение огня! !!
Мировой продовольственный кризис! !! , Всемирное разрушение окружающей среды! !! Кардинальные изменения в экосистеме! !! Нищета, резня, насилие, человеконенавистничество! !!
 
У війні нічого не вирішиться! !! Негайне припинення вогню! !!
Світова продовольча криза! !! , Знищення навколишнього середовища світу! !! Різкі зміни в екосистемі! !! Бідність, бійня, зґвалтування, мізантропія! !!
 
Nothing will be solved in the war! !! Immediate ceasefire! !!
World food crisis! !! , World environmental destruction! !! A drastic change in the ecosystem! !! Poverty, slaughter, rape, misanthropy! !!
 
 

 

ウクライナに平和を!!
 
日本は、戦争の反省をしているのだろうか??
過去最大の防衛予算 歯止めなき膨張許されぬ
 
 
関連パネル展

731部隊全景

 

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細菌戦の系譜!!

2022-09-11 10:28:25 | Weblog
戦争を停止する道を探れないのか??
 

 

No War!!Stop War!!
Нет войне!!Стоп Война!!
 
 
 
憲法9条を持つ日本はもっと停戦に向けて前向きに動いてほしい!!
 
War in the 21st century? ?? In the 21st century, a world without war!!

Война в 21 веке? ?? В 21 веке мир без войн!!
 
21世紀に戦争??21世紀こそ、戦争のない世界に!!
 
 

 
 
 
 
 
大元帥・現人神・昭和天皇と皇族の戦争責任を問う。
日本は戦争を起こしたことを全く謝罪しなくていいのだろか??
 
重慶無差別爆撃

機上の大西瀧治郎

 

 

 
 

京都大学出版会(2022年4月10日発行)
 
もしかすると中国人の人骨も京都大学にはあるのでは??
丹羽雅雄弁護士の話:遺骨という問題は非常に大きな問題なんですよ。死者の尊厳ですからね。死者の尊厳ということは、生きている人の尊厳につながっているんですよね。当時の帝国大学は色々な人骨研究をやっていますからね。そうすると恐らく朝鮮半島の御遺骨の問題も当然あるはずです。リストにありますからね。
それから、台湾もあるだろうし、東南アジアもあるだろうし、そういう風に広がっていく可能性があるんですね。遺骨の問題は先住民の大きな長い歴史の中で国際的にも重要な問題になっていると・・・
 
 
 
遺骨収集には、清野謙次の影響が強くあった。清野は731部隊長石井四郎の強力な支援者だった。(病理解剖の最高顧問)
 
 

 
 
 

 
 
昨年のパネル展

 

 

 

 

2021年 パネル展「731部隊 戦前・戦後の医学」アンケート
 
11月17日(水)
・とてもよかった。じっくり見ようとすると時間が必要。
・非常に中身の濃い御話で良かった。(森川聖詩講演)
(40代、市内)
 
 
 


 
 
 

 





原告たちのあまりに理不尽な被害

『JUSTICE 中国人戦後補償裁判の記録』(中国人戦争被害賠償請求事件弁護団 編著、高文研)評者:根岸恵子

 

 

 
                


 
 
 

自衛隊における731部隊の記述

 

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細菌戦の系譜!!

2022-09-11 10:27:37 | Weblog

「部外秘 参考資料 CBR講習資料」11頁 作成日時不詳 陸上幕僚監部化学科より

d旧日本軍の細菌戦活動

旧日本軍の石井部隊は又の名を関東軍防疫、給水、731部隊、加茂部隊、特25204部隊と呼ばれた。細菌戦闘専門の特殊部隊であった。隊の設立は昭和6(1931)年で満州の研究所完成は昭和10(1935)年である。日本軍細菌戦部隊の本拠は満州ハルビン郊外濱江省(ひんこうしょう)双城県平房の4階建近代建築でその中で遮断隔離の生活をしていた。設備は爆撃機(細菌撒布用)10機、1000kwタービン発電機2台である。この本部の元に、孫呉、海拉爾(ハイラル)、牡丹江、林口、大連の5支部があり、大連のものは大連研究所または松林機関とも言われていた。他の部課は細菌の攻撃方法、容器散布方法、防疫問題を研究していた。最も力を入れたのはヒタツリ菌(注:脾脱疽菌)であった。この菌を粉末にして榴散弾の70g位の鉛製弾子に混ぜ、これを砲弾内に詰め、炸薬が爆発すると弾子が飛散して人馬に感染さすようになっている。実験場所は731部隊研究所から北に300(?)㎞ばかりのアンダ飛行場を使用した。そして砲弾が爆発しても菌の40%は生きていること及び培養器に飛ばされた菌は確実に付着する事、負傷者は発病することが確認されている。1938年中国廬山の戦闘で日本軍が毒ガス、ホスゲンを使用したという2,3の細菌記録がある。この記録を持つ731部隊は1945年8月9日午前6時ハルビンの工兵、歩兵、砲兵によって徹底的に破壊され付属設備は地上から姿を消した。ソ連の対日参戦による退却の結果である」

 

長岡大学 研究論叢 第16号より(2018年8月)

・・・731部隊に関する概要が正確に記述されており、更に1938年に毒ガスを作戦で使用したことまで記している。これは化学学校の教育部長が、特殊課程の学生に講義した内容である。内容は事実であると確認して行ったと考えるほかはない。戦後自衛隊は731部隊の実態とその活動を把握した上で、何ら反省することなく自衛官に「教育」してきたのである。また教科書裁判では日本政府は長きにわたり731部隊の活動の事実認定さえ回避してきたが、陸上自衛隊の内部教育資料にも明記されるほど、自衛隊幹部周知の事実だったのであり、日本政府は一貫して内外に虚偽の主張をしてきたと言える。

 

『日本医学百年史』1957年1月1日の731部隊の記述

 

 

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
日本医学界では731部隊の反省は戦後全くなされていないが、以下の書に731の記述が記されている。
『日本医学百年史』第4章 戦時体制下の医学 全体主義思想p236

 

 

「このようにして日本の医師の戦争政策への積極的な協力が行われていったのであるが、直接的な戦闘行為への協力の中で極めて非人道的な、目を覆わざるを得ないものに、細菌戦の準備があった。細菌戦の準備と実行を持った特殊部隊は、昭和10年(1935)夏、石井四郎を部隊長に満洲で編成され「関東軍防疫給水部」と称せられた。

昭和17年頃に「第731部隊」に昇格し、その研究、実験、製造は急に活発になった。(昭和14年のノモンハン事件に参加し、感状をもらっている)この部隊は細菌の製造、兵器としての細菌の利用、人体実験等を行い、施設として、常備爆撃機10機、1000kw発電機2台、隊員及び家族約6000名、年間研究費予算8000千円以上と言われている。

勿論、この部隊に多くの医学者が参加した。このことから、科学者としての責任の問題と同時に戦争責任が問題になってくる。

 

 細菌戦準備への医学者の参加は、戦争責任の最も極端な場合として提起したわけであるが、このことの深い反省の上に戦後の再建も始められる必要があったし、現在でもなお問題とされねばならない。」

 

 
第3章 生物戦の愚かな第1歩は、日本の731部隊からはじまった
 

 

 

 
 
 

 
パネル展「731部隊 戦前・戦後の医学」
 医学と人権を考える―
1948年京都・島根 ジフテリア予防接種禍事件(その1) 
栗原 敦

~田井中克人さんの父親の「備忘録」より~ 

『克人ジフテリア注射』

<田井中克人さん>
「この事件が現在起きていたらどうなっていたのか。そう考えると、昭和23年(1948年)当時、『人間の命が軽く扱われていた』という思いを強くした。それゆえに、今受けた生を大切にしたい。行動を起こし、人に出会うたび、その思いを強くしている」 

 戦後間もない混乱の時期に、短い生涯を閉じた子どもたちの命はそんなに軽いものだったのでしょうか。歴史の中に埋もれてしまった悲惨な薬害事件に、今再び、光が当てられようとしています。[次号につづく]
 
 
 
 
 
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細菌戦の系譜!!

2022-09-11 10:26:05 | Weblog

東大医学部放射線科・宮川正教授は退官記念講義で731部隊員だったことを暴露・追及された

 
 
 

 

 
小津安二郎も毒ガス部隊だった
 

 

森友・加計問題などで公文書改ざん、事実の隠蔽などが問題になっているが、敗戦時の証拠隠滅、文書焼却、事実の隠蔽は、その比ではない!今も
続く歴史改ざん!!     
※30年経過したら、すべての情報を公開せよ!!

 

 
     

 

 

●今の日本人は、まさかと思うかもしれない。

 

 
日本政府は、真摯に過去に向き合い、生物兵器を作ったことを謝罪し、今のこの難局に、立ち向かうべきだ!!

 

 

東大医学部を卒業、将来を期待される医学者でありながら、731部隊の恐ろしい体験から、そしてその731部隊に参加したという罪の意識から、戦後医学者の道を捨ててしまった男、秋元寿恵夫

元731部隊員(第十課 血清班班長)秋元寿恵夫の言葉

「もしもバイオテクノロジーが軍事研究の魔の手に捕らえられた時の行き先がどうなるのかの危険性は、「ひょっとしたら人間の知能などを変える」どころか、さらには人類にとって取り返しのつかない害悪をもたらす生物兵器の出現につながっていくかもしれないのである。」

 
1939年 731部隊 ノモンハン戦争にて細菌戦(チフス菌、コレラ菌、赤痢菌)を行う
*1940年は皇紀2600年(神武が即位して2600年??)東京オリンピックや万博が開催される予定であったが、戦争の為中止!!
1940年 6月4日  731部隊、農安大賚・農安で細菌戦(ペスト菌)を行う
10月 4日   731部隊、衢州で細菌戦(ペスト菌)を行う
10月27日  731部隊、寧波で細菌戦(ペスト菌)を行う
1941年11月4日  731部隊、湖南省常徳で細菌戦(ペスト菌)を行
1942年17月 100部隊は、ハイラルの北約120キロのソ連国境で行なった「三河演習」で鼻疽菌の生存期間を測定、炭疽菌の土壌への浸透力の調査した 
8月  731部隊、湖南省江山、常山、衢県、麗水、江西省広信、広豊、玉山で細菌戦(ペスト、コレラ、チフス)を行う
1943年12月  100部隊第2部に細菌戦準備の第6科を設置
 

 

 

 
 

 

戦争犯罪と戦争責任を考える(帝銀事件捜査から)山田朗
(『日中友好新聞』2022年2月15日号より)

 この事件は、冤罪の可能性が高いことが長らく多くの識者によって指摘されてきたが、現在でも再審請求を続けている平沢弁護団が所蔵する捜査資料『甲斐捜査手記』の分析から、非常に重要なことが浮かび上がってきた。

 それは、帝銀事件捜査陣は、旧日本陸軍の秘密戦部隊(731部隊・登戸研究所、毒ガス研究をしていた六研、中野学校など)の実態を詳細に明らかにしていたが、米軍はそれらの部隊が行なった人体実験データを入手するために、731部隊をはじめとする部隊関係者の多くを免責・保護し、さらには関係者に捜査当局にも旧軍の秘密を話さないように約束させたということである。

 

 
 

 
 
 

 

 

 

 





 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

1929年11月7日昭和天皇陸軍軍医学校視察

 

 731部隊は、石井四郎が、細菌戦の司令塔ではなかった。誰が裏で司令塔になっていたのだろうか?小泉親彦陸軍軍医総監、宮川米次第5代東大伝研所長、大元帥昭和天皇等がバックにいた。

 

 

 

 

 

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細菌戦の系譜!!

2022-09-11 10:22:08 | Weblog

●日本政府は、新宿戸山の軍医学校跡地(現国立感染症センター)から見つかった人骨の身元調査を早急にして、遺族に返還し、きちんと謝罪すべきだ!!

 

731部隊被害者遺族の訴え!!        

 

 

・東大伝研とは戦前、どんなことをやっていた機関なのか?

・1934年6月、宮川米次と阿部俊男は何をしに満洲国へ行ったのか?

・満洲衛生技術廠とは、一体何をやっていたところなのか??

・東大伝研は731部隊と連携を図っていなかったのか??

・伝研で毒ガスの講演?毒ガスへの対処法も考えることになるのか??

・小島三郎の渡満では、満洲衛生技術廠や大連衛生研究所にもいったのだろうか?

・1933年頃から細菌兵器開発の一環として、「満洲」の背蔭河では人体実験が行なわれているが、そこでも赤痢菌の研究が行なわれていたのだろうか?35年の川崎市の爆発赤痢は、人為的に行なわれたものなのか?それとも自然流行なのか?

・1936年5月に浜松一中で大福餅事件、37年9月に大牟田で爆発赤痢事件が起きているが、これなども細菌兵器研究の一環として軍医学校や伝研の関与による仕掛けられたものか、自然に発生したものか究明する必要がある。

・河本禎助も毒ガスの研究をしていた。

 

実験医学雑報20巻 第3号(1936年)

 

河本禎助君追悼の辞

 

  本日は河本君の公人或いは私人としての経験なり事業なりまた功労逸話なりについては、他の方々が種々お述べなられると思いますから、私は唯々人間としての河本君について私の見ました所を述べまして、追悼の意を表したいと思います。

 君は寔に特徴の多い人でありました。もし特徴のない人を平凡人というならば、君は正に非凡の人でありました。概括的に申しますと、君は静の人でなく動の人であり、積極進取の人でありました。退いて守るのでなくて進んで攻むる―之が多くの場合に於て君の事に処する態度であったと思います。而して人と事を共に致します際に於きまして、難きを捨てて易きに就こうとするのが一般人の常であります。私は伝染病研究所に於て又日本医学会極東医学会或いは体育運動関係に於て許多の実例を見ております。

 

昭和11年2月22日

東京帝国大学総長 長與又郎

 

 

翌年の1936年5月10日には、浜松一中で大福餅の食中毒事件、1937年9月25日には大牟田

で爆発赤痢事件が発生している?防疫研究室との関係はないのか??
 

浜一中大福餅事件

                浜松一中の慰霊碑

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

大牟田の慰霊碑(裏)

 

(碑文)

「時維(ときにこれ)昭和12年9月25日恰も支那事変勃発して3月全市を挙げて銃後の遂行に邁進せる秋(とき)、青天の霹靂の如く突如として我が12万市民は古今を絶する悪疫の魔手に掩われたり。ここに大産業都市として殷賑を極めたる本市は忽にして阿鼻叫喚の巷ト化し官民必死の防疫にも拘らず竟(つい)に一万数千の罹患者を出し七百十二名の精魂を奪はる・・・・・」

 

<三池の冬1997 その2>より

わたしの笹林公園探検の目的は、その隣の隣の慰霊碑であった。さてこれは何の慰霊碑であるか。ここに戦前戦中史の大きな謎が隠されている。(中略)

この慰霊碑は、炭坑事故の慰霊碑でもなく、戦没者の慰霊碑でもありません。1937(昭和)12年に突然大牟田で発生した集団赤痢事件の被害者の慰霊碑なのです。慰霊碑には、一万数千の罹患者を出し、七百十二名の精魂(生命)を奪ったと記されています。この集団赤痢事件がなぜ起こったかについての真相は、いまだ闇に包まれています。しかし、中国戦線に向けて三池(三井)染料が内密に作っていた化学兵器工場で爆発事故が発生し、この事故を隠蔽するために清里の水源地に赤痢菌をまいたという重大な仮説が提起されています。三池染料はわたしの祖父の職場でありました。その祖父は7年前に亡くなりました。この当時のことをもっと聞いておけばと悔いが残ります。近々、この仮説を実証する資料を、受けとることになっていますので、またそのときご報告します。

 

大牟田「爆発赤痢」事件


北宏一郎

 

いわゆる「大牟田爆発赤痢事件」の真相
 
1937年9月25日、三井鉱山、三井染料工業所に於ける毒ガス爆発事故による市民の大量殺人(死亡712人)と軍機を盾に、それを隠蔽する為に「赤痢予防錠」を市民に飲用させた(人体実験)罹患者2万人以上という恐るべき国家犯罪そのものです。
事件発生から80年、歴史の闇に隠された真相の解明の為、この事件のポイントを詳しく見ていきます。
 
 
軍、内務省、県、市の動き
 
  27日(月)福岡県衛生課、トラックに大量の赤痢予防錠を市民に配布始まる。
      「9月27日より10月5日に至るまでの間、99976人分(市人口の86.3%)を配布して、
これが服用を奨励したり。(大牟田市伝染病院、若宮病院長黒木郁夫論文、日本伝染病学会、昭和17年4,20)
      ◎九大・東大などの大学研究班は27日夕方より大牟田に入る。
  28日(火)大牟田市火葬場火災(あまりの死者の多さにボイラー過熱)
  29日(水)「大牟田 悪疫の恐怖 150名死亡す」東京朝日、初めて記事化。
  30日(木)久留米憲兵隊、市役所内に憲兵分駐所設置。
 
10月19日   内務省防疫官 小島三郎(東京帝大教授)
       「水道水が、いわゆる爆発赤痢の原因」と声明。
        大阪朝日新聞10月19日号で報道。
 

 
 

 

 



 
 

 
 

 
科研を視察する昭和天皇(中央)。久村所長が先導している(元科研職員の小野田悦郎さん提供)
 
 
 
 

 

 

 

 

 

 

  伝染病研究所の写真は、『傳染病研究所』小高健著より 

   





 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
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細菌戦の系譜!!

2022-09-11 09:57:58 | Weblog
 
 
 
 
 
この新型コロナウィルスがどこで作られたかは分からないが、細菌戦の系譜をたどると、日本は、戦時中、1925年のジュネーブ議定書を無視して、中国で細菌を製造し、細菌戦を行なった。戦後、731部隊での研究データをアメリカに渡し、731部隊員は全員戦犯免責され、アメリカは生物戦の研究を本格的に始めた。
日本政府は、中国で行った細菌戦や生体実験の事実を、(日本の裁判所は事実認
 定をしている)未だに隠し続け、その事実を認めていない。勿論謝罪もしない。
 日本軍が中国に遺棄してきた生物兵器は戦後、どのようになったのだろうか?
 この新型コロナウィルスに影響しているのだろうか?
 今、日本人は過去に犯した戦争犯罪を直視し、きちんと歴史事実に向き合う時で
 はないのか?
 
 

 

 

 

●細菌戦裁判資料集シリーズ・第8集(2002年10月31日)
 
「731細菌戦裁判・第1審判決特集号」の発行にあたって 
 
本書第8集は、細菌戦裁判の第1審判決(東京地方裁判所民事第18部)の後、開催された判決報告集会、記者会見、意見交換会等での発言を編集したものです。

 

 
 
第6部

資料・731部隊細菌戦裁判

第1審判決全文

原告らの主張 (別紙3)

第6部

資料・731部隊細菌戦裁判

第1審判決全文

原告らの主張 (別紙3)

日本軍による中国への細菌戦の実行(事実論)

第2部 被告の細菌戦に関する責任(法律論)

第2 国際慣習法の過去の戦争犯罪行為への適用による謝罪及び損害賠償請求

 12 結び

 
第3 中国法に基く謝罪及び損害賠償請求

2 被告の主張に対する反論

 被告は、本件事案に法例11条を適用することは誤りであると主張しているが、被告の主張は誤りである。

(2)相互保証主義と国家賠償法の性格

 被告は、国家賠償法6条の相互保証主義を援用して、公権力の行使に基く損害賠償義務の領域が民法の領域と異なり、国の利害に直接関係する領域を構成することを示すと主張している。しかし、相互保証主義をとることが、直ちに国の利害に直接関係する領域を構成することになるわけではない(特許法25条、意匠法68条3項等)。又、国家賠償法6条は憲法17条や同前文に抵触するとの有力な説もあり、国家賠償法における相互保証主義自体時代遅れであると指摘されるようになっている。さらに、同法4条が同法の基本法が民法であることを明記しているのである。したがって、国家賠償法が予定する法律関係の性質は私法関係というべきである。

 
 
731部隊員が多く入った国立予防衛生研究所現・国立感染症研究所)や自衛隊などでの生物兵器の開発・研究も行われているのではないか?

 

 
 
●日本政府は、731部隊の罪業を、公開せず、秘匿し、戦後全く無反省である!!最高責任者の昭和天皇も戦犯免責された!!

 

安倍晋三は何でこんな行動がとれるのだ??無反省のまま、ずっと生き延びられるのか??

 

 

 

           
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
2013年5月12日、安倍晋三は宮城県東松島市の航空自衛隊基地を訪問して、機体番号が‘731’であるアクロバット飛行団訓練機の操縦席に座りサムズアップして写真に収まった。

 

           

 

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
731部隊全景(中国に於いて人体実験を繰り返し、細菌兵器を開発し、中国各地で細菌戦を行なった。)

 

 

 

 

 

 日本の中国東北侵略から91年

●『1931 満州鞍山守備兵 斉藤準太郎の日記』

 



 

 

 

 

 

 

 

 

 



三月四日

晴 風なし 零下十度 巡察あり炭坑  東大河往復 午後5時半 午後八時迄 満期至二百七拾日也

あの時は若かったのだ。そして無闇に文といふものに引き付けられて あたりを見ることを忘れていたのだ。月の姿に憧れ わが身を嘆くような自分のその時の姿をー今は場所が変わった故でもあるまいが やはり人間が現実性を帯びて来たのだろう 然し 所こそ変わるが月にもその輝きも少しも変わりはないはずだ。

 歳の故だろう帰途また同じような考えを巡察中には思ふのだが 此の果てしない陸の本線から離れてある山稜の一隅に 日本の力で築いたこの電機の光が一つの不思議 驚異に見えて仕方がない

 

 

「ずっと父が嫌いだった」

 

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細菌戦の系譜!!

2022-09-11 09:56:21 | Weblog
軍都広島での物語
原爆詩集
峠三吉
・・・一九四五年八月六日、広島に、九日、長崎に投下された原子爆弾によって命を奪われた人、また現在にいたるまで死の恐怖と苦痛にさいなまれつつある人、そして生きている限り憂悶と悲しみを消すよしもない人、さらに全世界の原子爆弾を憎悪する人々に捧ぐ。

 

 

黒眼鏡をとると瞼がめくれこんで癒着した傷痕(きずあと)のあいだから

にじみ出る涙があった

あの収容所で、()りついた血をしめらせ

顔いっぱいに巻いた白布を一枚(ずつ)ほどき最後のガーゼをめくると

ひとつの臓腑であった両眼が、そのままのかたちで()えてうすいしずくをしみ出し

失った妻子のことをいう指先が手巾(ハンケチ)をさぐって(ふる)えていた




 

 

 

 

 

 

 
 
 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

  日本は、日中戦争で国際法に違反して、細菌戦、毒ガス戦、無差別爆撃を行った。日本政府は、この事実をきちんと認めていない!!

 

●『細菌戦部隊』

731研究会編   1996年9月(核時代51年)初版発行

『細菌戦部隊』

731研究会編

はじめに

 本書『細菌戦部隊―731部隊員が見たもの』では、様々な細菌戦部隊に配置された20人あまりの元隊員による実体験記録のご協力を頂いた。加害体験を語ることは決して安易な気持ちでできるものではない。苦悩を抱え彷徨する思いを抱えながらもここに実名(一部仮名)で証言してくださった方々の意思に、深い感銘を抱く。証言は細菌戦部隊の実相を紐解く糸口になると同時に、過去を直視することの意義と責任を、そして過去を直視することなくしては過去の過ちを克服することができないことを、戦後世代・戦無世代に教えてくれる。

 

 

日本軍政下香港(1997.7.27)

 

●『論争731部隊』
松村高夫編
核時代49(1994)年4月発行
 
第1 本件検定経過について
 
第2 731部隊に関する研究状況
 
二 1983(昭和58)年以前の731部隊に関する研究状況
 
1 731部隊の基礎資料ー「ハバロフスク公判書類」と関連文献
 
『ハバロフスク公判書類』は、他の全ての史料と同様に厳密な史料批判が必要であることは言うまでもないが、依然として731部隊の実態を解明するための基礎的史料である。その後の研究により、アメリカ側の調査資料、中国側の調査資料、日本側の資料や旧部隊員からの聞き取り等との相互論証関係・相互に支え合う関係が明らかになっており(後に詳述する)、ハバロフスク裁判が非公開であった(市民に公開されていたのが事実)とか、『公判書類』(日本語版)には奥付がないとかいった類の主張をして、そこに記録された731部隊の実態を否定する様な見解(秦証言第9項、第16項、第168項)は、通用しないものである。
 

 














 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

消せない記憶「元軍医たちの謝罪の旅」

 

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細菌戦の系譜!!

2022-09-11 09:55:36 | Weblog

●毒ガス戦

『毒ガス戦と日本軍』

吉見義明  (2004年発行)

Ⅰ 第1次世界大戦の衝撃 1915―1930


2 毒ガス使用禁止国際条約への対応

 

ヴェルサイユ平和条約

 その第1歩は1919年に締結されたヴェルサイユ平和条約であった。その第171条には「窒息性、毒性、その他の瓦斯及び之に類似する一切の液体、材料又は考案はその使用を禁止せられあるに因り、ドイツ国内に於て之を製造し又は輸入することを厳禁す」とある。これは直接的にはドイツの再軍備を制限するための規定の一部である。しかし、その条文の前半の宣言的規定(「その使用を禁止せられある」まで)は、あらゆる有毒ガスの戦争での使用を禁止する国際慣習法の存在を改めて確認したものとみなすことができる、極めて重要なものであった。

 

 
 
 
 

 

 

海軍の相模海軍工廠跡を訪ねて(2022年4月9日)



 

 

 

 

 

 

 
日本は海軍も毒ガスを製造し、本土決戦に備
えていた!!
 



 

 

 
略史
昭和 5年  海軍火薬廠用地の一部割愛を受け、海軍科学研究部化学兵器研究室が平塚出張所を開設
昭和 8年  平塚出張所に一号・二号・三号特薬兵器の製造実験工場を建設
昭和 9年  海軍技術研究所化学研究部として独立
昭和12年  特薬庫、火薬庫、爆発円筒及び特殊化兵研究室などを建設。総敷地面積は124,000平方メートルに
昭和17年  相模海軍工廠(寒川町)の新設と同時に、化学研究部が相模海軍工廠化学実験部になる
昭和20年  終戦、廃廠
 第一次世界大戦後、日本は化学兵器の調査研究と技術開発に着手、大正11年に艦政本部内に担当部署が設置され、翌12年には海軍技術研究所となり化学兵器の研究と技術開発を開始。
相模海軍工廠では士官・常用工・徴用工員・女子挺身隊員・勤労動員学徒等3,500人余りが従事し、主として化学兵器・火工兵器の研究開発・製造が行われた。
海軍では毒ガスを攻撃用よりは防御用とすると認識が強く、相模海軍工廠では防毒マスクの生産が主力だった。(相模海軍工廠より)
 
 

 

 

 

 
 
*A事案区域とは、環境省が平成 15 年に実施した<昭和 48 年の「旧軍毒ガス弾等の 全国調査」フォローアップ調査※1>において終戦時における旧軍の化学兵器に関連する情報を集約した結果を踏まえ設定したA事案(毒ガス弾等の存在に関する情報の確実性が高く、かつ、地域も特定されている事案)に該当する区域のことです。具体的には、以下の3区域となります(図1参照)。 
①旧相模海軍工廠跡地(神奈川県寒川町内) 
②旧相模海軍工廠化学実験部跡地(神奈川県平塚市内) 
③ 旧陸軍習志野学校跡地(千葉県習志野市・船橋市内)

 

 
 
 

 

 
 

 

 

 

 
 

 

 

 

・『日本の中国侵略と毒ガス兵器』 歩平著(山邊悠喜子、宮崎教四郎訳)明石書店 1995年発行)

第12章 癒しがたい傷

付記・忠海病院及び行武正刀院長訪問記

忠海は、広島県竹原市のそばにある小さな町で、大久野島と海を隔てて向かい合っている。実際のところ、大久野島の後方「基地」でもある。基地というのは、大久野島の現在の全ての生活用品がほとんどみな忠海から来る、という理由からではなく、又今、大久野島で働いている人もほとんどが忠海から来る、という理由からだけでもない。さらにもう1つ、より深い意味があるのだ。ここのある忠海病院は今、大久野島の毒ガス工場で働いていた被害者全ての治療センターである。まさにこれゆえに、小さな町にある病院が広く名を知られるようになったのだ。

 

 

SNSで人気「ウサギの島」が背負った〝毒ガスの歴史〟大久野島を歩く

 

加害の歴史」北九州市の毒ガス工場 第二次世界大戦で旧陸軍が使用



 



 
 
 

 

 

 

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細菌戦の系譜!!

2022-09-11 09:54:17 | Weblog

 

 
 
●『三光』     中国帰還者連絡会編
日本鬼子(リーベンクイズ)

 

核時代39年(1984年)5月初版発行

糧穀の略奪

(冷酷非情な取り立て)

 

引地 章(ひきじあきら)

警察署長 警正

(略歴)

学歴 高等小学校卒業

所属 旧満国 図們警察署

年齢 54歳

 

 引地は内心うれしかったが、故意に渋い顔を作って、小声で、「時が時だ、よく注意してやらないと困るじゃないか」と、言いながら、こそこそとトラックから降りて乗車席に帰り、無言のまま、何食わぬ顔で呉科長と並んで腰を下ろした。
 やっとトラックは勢いよく走り出した。もう四辺は暗く、ヘッドライトの光だけが南大橋の、依蘭県郊外の大道を照らし、城門さして走っている。
 
 1943年1月、県民が、収穫物のほとんどを強奪され、飢えと寒さで死にかかっているとき、依蘭県公署の日本人官舎は、三味線入りで、飲めや歌えのドンチャン騒ぎをしていた。彼らの正月である。早川と引地の家の玄関には、こもかぶりの四斗樽が据えてあった。県整備委員会は、県民に対する配給物資を二割天引きしているので、何でも自由にできるのである。川魚は泥臭いと言って、肴は鯛に鮪、獣肉は神様に対して穢れになるからと、引地の家の倉庫の中には、猪15頭、鹿2頭、雉子200羽が積み込んだままになっており、米と果物も山とあった。だが、約10日間の酔いがさめると、早川も引地も、盗人が昼寝から覚めたように、慌てだした。出荷は、やっと70%を少し突破しただけだからである。
 
 
2018年12月に、『留守名簿 関東軍防疫給水部 満州第659部隊』2冊が発売されました!!(不二出版)

 

 

 

    

 

 

    

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
●日米安保条約・自衛隊を問う!!
自衛隊は、防護のためと言って、旧日本軍の細菌兵器・毒ガス兵器使用の反省・謝罪もないまま新たな生物兵器・化学兵器を作っているのだろうか??憲法9条を持ち、生物兵器・化学兵器禁止条約を批准しているにも関わらず!!
 

 

 

●情報公開裁判
なぜここまでして、国は衛生学校や化学学校で作っていた機関誌を公開しないのだろうか?

 

 
日本の国家機密』(現代評論社刊 1972年初版発行)

藤井治夫著

第2篇  自衛隊の機密

第3章 防衛力整備

3 防衛基盤の整備

第3編

主要極秘文書

1、三矢研究

〈解説〉

 研究は基礎研究と状況下の研究に区分されている。前者は1~4まであり、後者は第Ⅰ動~第7動に分けられた。第3動以下が市ヶ谷で実施されている。これを通じて24の研究問題が出され、それぞれについて答解が出されている。

 

  1957(昭和32)年7月『衛生学校第1号』発刊

 

 

 

第4代衛生学校長

 

『衛生学校記事』を発刊したときの、衛生学校長金原節三とはどんな人物なのだろうか?

金原節三(1901~1976)

陸軍省医事課長時代(1941.11~43.8)に731部隊から報告を受けていた。「陸軍省業務日誌摘録」

厚生省東海北陸医務出張所から衛生学校へ 1955.8.1

 

 

 

金原節三と細菌戦

 

金原の略歴を見ると、昭和16年11月に陸軍省医務局医事課長になっていて、17年に8月に軍医大佐になっている。

 

細菌戦資料センターの会報には、次のような記載がある。「陸軍省医務局医事課長だった金原節三元軍医大佐が、1955年に陸上自衛隊に入隊した。細菌戦部隊を指導していたのは、陸軍参謀本部、陸軍省医務局衛生課そして陸軍省医務局医事課である。金原は、「金原業務日誌摘録」に細菌戦部隊からの報告を記録している。

 

金原節三と武見太郎

 

金原と戦後日本医師会会長になり、医師会、薬剤師会、歯科医師会に大きな影響を及ぼした武見太郎は、軍隊内の先輩・後輩関係にあった。『金原節三資料目録』(陸上自衛隊衛生学校)の巻頭言は、日本医師会長武見太郎が書いている。

 

※彰古館には、自衛隊関係の資料も保管している!!

 

『軍事史研究』2010年9月

軍事史関係史料館探訪(56)

陸上自衛隊衛生学校 医学情報史料室 彰古館

喜多義人

 

収蔵品の多くは、旧陸軍軍医学校由来の品々と医学文献であり、『大東亜戦争陸軍衛生史』編纂の際に寄贈された史料も所蔵されている。また、衛生学校にかつて開設されていた同校戦史室が収集した戦史史料、戦後の警察予備隊から保安隊を経て陸上自衛隊に至る草創期の衛生科部隊の行動史、研究報告なども含まれている。

 

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