細菌戦の系譜!!

2019-01-31 08:14:52 | Weblog
第20回『衛生学校記事』情報公開裁判
細菌戦部隊(731部隊と100部隊)パネル展を開催しませんか?
NO MORE 化学兵器
帝銀事件と登戸研究所
石垣島の自衛隊!!
カネミ油症問題
元731部隊軍医と強制不妊手術
731部隊・100部隊と戦後の流れ
細菌戦部隊員の戦後
731部隊の問題(1)
731部隊の問題(2)
731部隊の問題(3)


日本は、あの侵略戦争を反省して、憲法9条を作った!!
平和条約締結は「日本が大戦の結果認めること」 露外相
●日本国憲法第9条
1、日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。
2、前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。

日本の政治の常道【historyとは、彼(his)(権力者)の物語(story)】

・まずい事は隠す!!(=あったことを無かったことにする、=データ改ざんは当たり前)
・責任を下に押し付ける!!(=権力者は、責任を取らない)
統計不正聴取に厚労省官房長同席 中立性への疑念、更に


●ニュース
長女のダウン症疑いを理由に「中絶・不妊強制」 国提訴

社員の男性3人相次ぎ自殺、不動産会社で“半年間”に

厚労省、不正調査前提に予算計上か

【大竹まこと×金子勝×室井佑月】 2004年からだった厚生労働省・賃金データ改ざん! 日本のGDP疑惑


【大竹まこと×森永卓郎×倉田真由美】 やばい日本の製造業! 家電&国産スマホの財政危機


【大竹まこと×近藤誠×倉田真由美】 〈目から鱗の医療〉 がん手術・抗がん剤治療・早期発見は効果がない!


各地の県立高校などで相次ぐ「人骨」問題 6県16校、記録少なく

玉城デニー県知事・金秀グループの呉屋守将会長・屋良朝博さんが鳩山友紀夫と議論




【大竹まこと×森永卓郎×倉田真由美】 日立のイギリス原発輸出撤退の裏側! 日本に生まれる新ビジネスチャンス



竹田会長の記者会見は本当に「潔白主張」なのか
海外メディア「かえって疑惑深まった」 JOC竹田会長の会見

【大竹まこと×金子勝×室井佑月】 日立がイギリス原発輸出を断念! 世界に逆行する日本と経団連の責任


森友・加計問題 疑惑の核心/下 政治家、官邸官僚… 「安倍側用人」を覆う「黒い霧」

「水俣病は終わらない」公式確認から60年―私たちに託されたメッセージ

松本元死刑囚らの死刑執行文書、ほぼ全て黒塗りで開示

“旧優生保護法”強制的な不妊手術 事業として推進(18/04/27)


真相を解明していないからこうなるのだろう!!
オウム13人死刑で「上川陽子法相」一生SPつきの生活


731部隊員・長友浪男軍医少佐の戦中・戦後、甲第1855部隊考、他


国立公文書館で公開された留守名簿を巡る問題


中国の侵略被害者の証言を聞く集い2018 11.30

●お知らせ




京大の「731部隊」論文疑惑(上) 勝間田秀樹(京都支局)

731部隊将校の学位取り消しを 人体実験疑い論文で京大に



「特殊部隊731」
秋山 浩著 (三一書房 1956年6月30日 発行)

隊員は狙われている
軍用トラックには、国民服にかえた憲兵2人が同乗した。トラックで平房駅に至り、そこからガソリンカーに乗ってハルビンに向った。平房駅から、白い城のような部隊の偉容を眺めたのは、そのときが初めてだった。
車窓から見る沿線の風景は、いつも同じ地平線が取り囲む単調な眺めである。いったん、吉林街の連絡所に寄り、そこで憲兵と別れた。
露人墓地から東本願寺、秋林デパートと廻って松花江のほとりに出たのだが、市内電車は只乗りであった。昔の高い白系露人の車掌がにくにくし気に、私達がいい気になってぞろぞろ降りるのを見下ろす。おしまいに降りた者が一度、背中をこずかれて驚いたことがあったが、この只乗りはいささか後味の良くないものだった。
河のほとりで、私達はあまりのびのよくない芝草の上に腰を下ろした。川向うにオレンジ色のきれいな建物が見え、上流の方に彎曲した赤い鉄橋が見えた。小じんまりとした川べりのクラブからは、重い流れに、さざ波をたてるかのような軽快な音楽が聞こえてくる。
仲野雇員が、1本の樹木に手拭いを縛り付けて、
「これが見える範囲なら、自由に歩いてもよし」と言った。
そのとき、北島という独身の雇員、半ばふざけた調子で、
「仲野属殿、それでは自分はここでお別れします」
と笑いながら大袈裟な敬礼をした。


・陸軍軍医少佐 平澤正欣の学位授与授与の内容
(731資料センター会報28号より:西山勝夫「731部隊問題、克服への道」より)
1945年6月6日に京都大学医学部教授会で審査後纏められた平澤正欣論文要旨(国立公文書館学位授与記録より翻刻、京都大学公文書館の内容と同一)は以下の通り




京都大学は何を学位授与に値すると認定したか。【先人の見解と異なり「イヌノミ」もまた人類に対する「ペスト」媒介蚤なる新事実を発見せり】、人と獣(イヌ)、両方同じ媒体、「イヌノミ」により「ペスト」に感染すること、「ペスト」の人獣感染を新事実として評価しました。ネズミ、モルモットやサルで実験をやっていて、どうして人に感染したと言えるのでしょうか。
審査員の戸田元医学部長、木村医学部長は731部隊に教え子を送った人達です。彼らは、自らも陸軍軍医学校の嘱託研究員などを務め、戦後に戸田は金沢大学の学長、木村は名古屋市立大学学長になったことで知られています。
これらの論文を2014年から15年に検討し、15年3月の戦医研例会で紹介し、問題を、以下の4点にまとめました。
・実験対象がヒトであるにもかかわらず、「さる」と偽った
・当該対象者を治療することを目的とした実験ではなかった
・当該対象者の発症後も治療せずに死亡に至るまで経過を観察した
・死亡後の学位授与認可
・・・・・


「元満州中川村開拓団 私の敗戦回顧録」






日本は、日中戦争で国際法に違反して、毒ガス戦、細菌戦、無差別爆撃を行った。日本政府は、この事実をきちんと認めていない!!
●『日本の中国侵略と毒ガス兵器』 歩平著(山邊悠喜子、宮崎教四郎訳)明石書店より
第4章 科学はいかにして罪業となったか

様々な化学毒剤
研究所はこうした実験の際、大量のデータを残したはずである。しかし、現在まで保管されているものは少なく、関係者の回想の中に、こうした情況が断片的に明らかにされているだけである。
1928年から1929年の間、様々な動物に対しての致死実験(表10参照)を行なった後、一連の毒性指数(この指数は実験される動物の半数が死に至る中毒度CTである)の統計データを出した。

実験を主宰した秋山金正の回想によれば、多くの動物の表紙には毛があり、人とは異なるため、わざわざ動物の脱毛を行なってから実験を行なったという。その結果、イペリットとルイサイトは毛の抜けた動物に対する効力が最も大きいことが判明した。人を実験に使ったことがあるかどうかについて、彼らの回想では直接触れられていないが、ある資料によって、1933年に人体が催涙弾にどの位耐えられるかどうかという実験が行なわれ、時間別に人体が耐えられる空気中の毒ガス含有量(ミリグラム/立法メートル)のデータが得られたことが分かっている。そのデータは表11の通りである。



東京第二陸軍造兵廠曽根製造所
平成十二年八月六日、「平和のための戦争展 in 北九州2000」の企画で、旧軍施設の見学会が催されました。見学先は、「東京第二陸軍造兵廠曽根製造所」跡地です。それに参加したときの写真です。 
ここは、表向きは普通の爆弾製造工場とされていましたが、実際は、「東京第二陸軍造兵廠忠海製造所(広島県竹原市大久野島)」製の毒ガスを、「小倉陸軍造兵廠(福岡県北九州市小倉北区)」製の砲弾・爆弾に充填する化学兵器製造所でした。日本の製造した毒ガス弾の2割がここで充填されたと言われています。
●冷却室(ホスゲン・青酸の冷却、液化を行う施設)

屋上には特徴のある方形構造物が二つ並んでいます。前面には、排気筒が奇妙に接近して建てられています。 


●登戸研究所資料館



●特集 軍拡に走る安倍政権と学術①

15年戦争中の「医学犯罪」に目を閉ざさず、繰り返さないために
1、戦争における医学者・医師たちの犯罪

西山勝夫さん(滋賀医科大学名誉教授)に聞く
にしやま・かつお=滋賀医科大学名誉教授、 15年戦争と日本の医学医療研究会事務局長、「戦争と医の倫理」の検証を進める会代表世話人、軍学共同反対連絡会共同代表

4、ドイツではどのように向き合ったのか

■二ュルンぺルクにおける訴追
―ところで、医学の戦争への加担ということでは、世界で、とりわけドイツではどのように向き合ったのでしょうか。

ところが、私が2002年に、同書の著者と面談した際には、「世界医師会に西ドイツ医師会が加盟する際に約束した医師会会員へのジュネーブ宣言の配布は実行されずに放置されていた」「日本ではドイツが進んでいるかのように言われるが、遅々たるものだ」「ドイツ医学界の重職には元ナチ党員が多数を占めていた」「1994年には、ドイツ医師会会長歴(西山注:1973~1977年)があり、9年間務めていた世界医師会の財務理事(西山注:2010年7月、逝去)が辞任に追いやられたが、それはナチ親衛隊将校で戦争医学犯罪を犯したことが暴露されたから」「彼を推薦し、サポートし続けたドイツ医師会長が後任(西山注:1999年迄、以降名誉会長で現在に至る)」と聞きました。



昨年2018年12月に、『留守名簿 関東軍防疫給水部 満州第659部隊』2冊が発売されました!!(不二出版)



●「衛生学校記事」とはどんなものだろうか?
井上義弘【1904~1969(65歳)、石川県出身
1929年に台北医専卒、陸軍見習士官を経て1931年3等軍医、1948年軍医中佐、その間、陸軍軍医学校教官、陸軍医務局課員、シンガポールに設置された細菌戦部隊(南方軍防疫給水部9420部隊)に所属、戦後、第1復員省、厚生省復員局勤務、1953年復員局から保安庁に出向、陸上幕僚監部衛生課長、陸上自衛隊衛生学校第5代校長、陸上幕僚監部衛生監を歴任1960年退官。近代5種競技世界選手権大会(ブタペスト)に日本選手団長として参加中、1969年9月急逝。1969年日本体育協会近代5種・バイアスロン連合会副理事長となり、専門の体力医学の分野で活躍】
第4代衛生学校長であった金原が1957年12月突如転任になり、第5代の衛生学校長になったのが井上だ。両人とも戦時中の細菌戦部隊にかかわった人物である。それも金原は細菌戦部隊の指導的な立場にあった。それがアメリカの圧力か何かで、衛生学校長の職を転任になり、その後を井上が引き継いだ。
井上は、自衛隊に保管されていた731関連の資料を自宅に持ち帰り、保管していたが、ブタペストで急逝したため、何も知らない遺族がそれらの資料を廃棄してしまった。ところがそれが神田の古書店に行きつき、某大学の研究者の目に留まり、その大学で買い取った。そこで改めてその資料を検証すると、731部隊の毒ガス実験等の論文があった。某大学では、その買い取った731関連の資料や、731部隊のデータを使って書いた論文等は、以前はその大学研究者は許可を得て見ることができたが、今ではそれらを見ることができなくなっている。
又、京大の次に多くの医学者を731に送った東大も細菌戦に関する資料を公開せず問題になっている。
東京医大等の不正入試だけでなく、大学医学部の戦中の細菌戦関連の資料の隠蔽も今、大きな問題になっている。
※1955年に二木秀雄が精魂塔を多磨霊園に建立し、731部隊の戦友会「精魂会」が発足した。
1950年には日本ブラッドバンクが内藤良一(元731部隊員)らによって設立され、元731部隊員は復権に向けて動き出している。
南方軍防疫給水部(岡9420部隊)



復刊衛生学校記事1(2)(井上義弘)
1961年7月

昭和20年の頃

3、特殊爆弾から原子爆弾へ
8月9日には長崎も原爆の攻撃を受けた。
陸軍省医務局は特殊爆弾に関する情報を整理して8月11日衛生速報第79号を発行し、各軍及び直轄の衛生機関に広島爆撃の戦訓を伝えた。これには爆撃及び爆発の状況、爆風威力、防空壕の効果及び対策を書いた。
この火傷の項には
(1)皮膚の露出部は第2度の火傷を受け、襦袢等の薄い被服を着ている部分は水ホウを生じ、軍服と襦袢の重なった部分は軍服のみ焼け、皮膚には何等の損傷はない。
(2)火傷は爆心地に向かう側だけにあって、光線に対すると同様に、物のかげに遮蔽すれば防御し得る。爆心から3キロの所でも露出した部分は火傷する。
(3)一部には焼夷剤による火傷も混在しているようである。
と記載した。最後に本爆弾に関する情報として、ウラニウム(原子量235)をもってする「原子爆弾」なるものの如し、俘虜情報によれば、破壊効力は1発に対し6平方マイルにして、B29の2000機に匹敵するという。
爆発は敵機脱出後しばらくして起こるを以て念のため。と付記してある。今から見れば間違いでないかと思うところもあるが、何よりも早く対策を指導することが必要であった。






イタイイタイ病を究明した男 萩野昇

驚愕!御用医学者をさかのぼると、すぐに731部隊に行き着く

水俣病問題

小島三郎国立予防衛生研究所所長の過去

小泉親彦と宮川米次の絆

ヒロシマからフクシマへ

宮川正

「想定外」 と日本の統治—ヒロシマからフクシマへ—

ビキニ「死の灰」世界各地へ

自衛隊とサリン

相模海軍工廠・寒川と平塚にあった秘密毒ガス工場

日本の国家機密

兒嶋俊郎さんを偲ぶ



●昭和天皇の戦争責任を問う!!大嘗祭反対!!


●昭和天皇(ハーバード・ピックス著『昭和天皇』より)
第3部   陛下の戦争
1931(昭和6)年―1945 (昭和20)年

第7章 満州事変



1933年2月に発表した論文「世界の現状を改造せよ」で近衛は、人口増大と戦争についてマルサス主義に基づいて警鐘を鳴らしていた。その要旨は次のとおりである。

戦争の原因は、領土・資源の不公平な分配であり、現在の不合理な国際間の現状を調節しなければ、真の平和は達成できない。そのためには、少くとも「経済交通の自由」すなわち関税障壁の撤廃と資源の開放と、「移民の自由」という二大原則が認められねばならないが、これら条件が近い将来において実現される可能性が少ないので、「年々百万に近い人口の増加により国民としての経済生活を甚だしく圧迫せられている」日本としては、その実現を待つわけにはいかず、「止むを得ず今日を生きんが為の唯一の途として満蒙ヘの進展を選んだのである」。


小泉親彦と昭和天皇

近現代史を《憲法視点》から問う~「湘南社」の憲法論議~

近代天皇制の真髄は

福沢諭吉

神武と戦争




憲法9条を生かそう!!

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細菌戦の系譜!!

2019-01-30 11:43:23 | Weblog
第20回『衛生学校記事』情報公開裁判
細菌戦部隊(731部隊と100部隊)パネル展を開催しませんか?
NO MORE 化学兵器
帝銀事件と登戸研究所
石垣島の自衛隊!!
カネミ油症問題
第20回『衛生学校記事』情報公開裁判
第11回『化学学校記事』情報公開裁判
731部隊『留守名簿』(不二出版)2018年9月
京大 軍医博士論文の検証
731部隊『留守名簿』公開
ある元自衛官の回想 「化学学校の黒い霧」
731部隊と「要塞」遺跡を訪ねる

日本は、あの侵略戦争を反省して、憲法9条を作った!!
平和条約締結は「日本が大戦の結果認めること」 露外相
●日本国憲法第9条
1、日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。
2、前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。

日本の政治の常道
・まずい事は隠す!!(=あったことを無かったことにする、=データ改ざんは当たり前)
・責任を下に押し付ける!!(=権力者は、責任を取らない)
統計不正聴取に厚労省官房長同席 中立性への疑念、更に


●ニュース
米、陸上イージス2基の売却承認=日本に総額2350億円

「安倍、韓国外し」「韓国を丸ごと省く」 施政方針演説で言及なしに韓国各紙

不倫しまくる医者の夫が青ざめた、妻からの「離婚請求書」の壮絶中身

勤労統計不正 監察委聴取は3割のみ 国会答弁「急ぎ確認、誤る」


【大竹まこと×金子勝×室井佑月】 2004年からだった厚生労働省・賃金データ改ざん! 日本のGDP疑惑


【大竹まこと×森永卓郎×倉田真由美】 やばい日本の製造業! 家電&国産スマホの財政危機


【大竹まこと×近藤誠×倉田真由美】 〈目から鱗の医療〉 がん手術・抗がん剤治療・早期発見は効果がない!


各地の県立高校などで相次ぐ「人骨」問題 6県16校、記録少なく

玉城デニー県知事・金秀グループの呉屋守将会長・屋良朝博さんが鳩山友紀夫と議論




【大竹まこと×森永卓郎×倉田真由美】 日立のイギリス原発輸出撤退の裏側! 日本に生まれる新ビジネスチャンス



竹田会長の記者会見は本当に「潔白主張」なのか
海外メディア「かえって疑惑深まった」 JOC竹田会長の会見

【大竹まこと×金子勝×室井佑月】 日立がイギリス原発輸出を断念! 世界に逆行する日本と経団連の責任


森友・加計問題 疑惑の核心/下 政治家、官邸官僚… 「安倍側用人」を覆う「黒い霧」

「水俣病は終わらない」公式確認から60年―私たちに託されたメッセージ

松本元死刑囚らの死刑執行文書、ほぼ全て黒塗りで開示

“旧優生保護法”強制的な不妊手術 事業として推進(18/04/27)


真相を解明していないからこうなるのだろう!!
オウム13人死刑で「上川陽子法相」一生SPつきの生活


731部隊員・長友浪男軍医少佐の戦中・戦後、甲第1855部隊考、他


国立公文書館で公開された留守名簿を巡る問題


中国の侵略被害者の証言を聞く集い2018 11.30

●お知らせ




京大の「731部隊」論文疑惑(上) 勝間田秀樹(京都支局)

731部隊将校の学位取り消しを 人体実験疑い論文で京大に



「特殊部隊731」
秋山 浩著 (三一書房 1956年6月30日 発行)

隊員は狙われている
「手数のかかる奴だな。ほかにいないか!」
外出の楽しみを根こそぎ奪われてしまったような表情で、誰も微動だにしない。
「君たちにはまだ、部隊の魂が入っておらんな。万が一にも、間違いを起こしたらなどと考えるだけ、たるんでいるのだ。絶対に組の者から離脱をしませんと自信を持って答えられる者はいないのか?」
このような理屈をもてあそぶ者が、当時の上官には珍しくなかった。
入隊したばかりの教練の時間に、捧げ銃の練習を何度もさせられたあと、教官が、つかつかっと私の前にやって来た。そして何気ない風に手を伸ばして、私の銃をつかみ、引く様にした。
私は、貸せという意味だろうと思って手を離した。その瞬間、教官はにわかに開き直って怒鳴りつけた。
「軍人の魂である銃を、軽々しく手放す奴があるか!」
つまり、私達を、わなにかけたのである。その教官は中尉であったが、私はその時からその人に対する尊敬の念を失った。絶対服従を強いられる上官なればこそ、通る屁理屈なのだが、彼らはそれをむしろ得々として行うのである。
近江属に対して、私が内心軽蔑に似たものをもち始めたのはそのときからであった。


・陸軍軍医少佐 平澤正欣の学位授与授与の内容
(731資料センター会報28号より:西山勝夫「731部隊問題、克服への道」より)
1945年6月6日に京都大学医学部教授会で審査後纏められた平澤正欣論文要旨(国立公文書館学位授与記録より翻刻、京都大学公文書館の内容と同一)は以下の通り




京都大学は何を学位授与に値すると認定したか。【先人の見解と異なり「イヌノミ」もまた人類に対する「ペスト」媒介蚤なる新事実を発見せり】、人と獣(イヌ)、両方同じ媒体、「イヌノミ」により「ペスト」に感染すること、「ペスト」の人獣感染を新事実として評価しました。ネズミ、モルモットやサルで実験をやっていて、どうして人に感染したと言えるのでしょうか。
審査員の戸田元医学部長、木村医学部長は731部隊に教え子を送った人達です。彼らは、自らも陸軍軍医学校の嘱託研究員などを務め、戦後に戸田は金沢大学の学長、木村は名古屋市立大学学長になったことで知られています。
これらの論文を2014年から15年に検討し、15年3月の戦医研例会で紹介し、問題を、以下の4点にまとめました。
・実験対象がヒトであるにもかかわらず、「さる」と偽った
・当該対象者を治療することを目的とした実験ではなかった
・当該対象者の発症後も治療せずに死亡に至るまで経過を観察した
・死亡後の学位授与認可
・・・・・


「元満州中川村開拓団 私の敗戦回顧録」






日本は、日中戦争で国際法に違反して、毒ガス戦、細菌戦、無差別爆撃を行った。日本政府は、この事実をきちんと認めていない!!
●『日本の中国侵略と毒ガス兵器』 歩平著(山邊悠喜子、宮崎教四郎訳)明石書店より
第4章 科学はいかにして罪業となったか

様々な化学毒剤
それからは毒ガス工場で大量に製造すると同時に、台湾に新竹で研究所は高温条件下での実験も行なった。回想によれば、1928年に初めて実験が行なわれた際には、実験担当者の防毒衣の質が低く、より十分な実験を行なうことができなかったため、1931年に防毒衣を改良して、あらためて実験を行なっている。
ただし、説明を要するのは、陸軍科学研究所の実験は欧米各国の研究プロセスを単純に模倣したものではなかったということである。欧米が既に制式化していた毒剤について、研究所では実験後かなり大きな改良を加えた。例えば青酸ガスは早くから認定されていた毒剤であるが、この毒剤は保存の際に自然爆発が起きることがあり、非常に危険である。しかも当時はまだ有効な安定剤が無く、研究所では専門的にこの問題を研究し、1930年、ついに青山技師によって銅粉を用いて作る安定剤が開発された。この安定剤を加えると、青酸ガスを3~5年間安全に保存することができる。このほか、青山技師と近藤軍医正は青酸ガスの低温環境下の実験を主宰している際、この毒剤の低温時における効力を高める方法を発見した。


東京第二陸軍造兵廠曽根製造所
平成十二年八月六日、「平和のための戦争展 in 北九州2000」の企画で、旧軍施設の見学会が催されました。見学先は、「東京第二陸軍造兵廠曽根製造所」跡地です。それに参加したときの写真です。 
ここは、表向きは普通の爆弾製造工場とされていましたが、実際は、「東京第二陸軍造兵廠忠海製造所(広島県竹原市大久野島)」製の毒ガスを、「小倉陸軍造兵廠(福岡県北九州市小倉北区)」製の砲弾・爆弾に充填する化学兵器製造所でした。日本の製造した毒ガス弾の2割がここで充填されたと言われています。
●B2棟(ホスゲン・青酸の充填場、充填砲弾の一時留め置き場) 

背面を撮影しています。 


●登戸研究所関係略年表




●特集 軍拡に走る安倍政権と学術①

15年戦争中の「医学犯罪」に目を閉ざさず、繰り返さないために
1、戦争における医学者・医師たちの犯罪

西山勝夫さん(滋賀医科大学名誉教授)に聞く
にしやま・かつお=滋賀医科大学名誉教授、 15年戦争と日本の医学医療研究会事務局長、「戦争と医の倫理」の検証を進める会代表世話人、軍学共同反対連絡会共同代表

4、ドイツではどのように向き合ったのか

■二ュルンぺルクにおける訴追
―ところで、医学の戦争への加担ということでは、世界で、とりわけドイツではどのように向き合ったのでしょうか。

1947年米国主導で、ニュルンべルク国際軍事裁判における医師たちの訴追は「共同謀議」「戦争犯罪」「人道に反する罪」「犯罪組織への所属」の4点にわたって行われました。被告弁護側の抗弁・反論は、検察側のヒポクラテスの誓いなどを典拠にして断罪され、許容できる人体実験の条件が判決で示されました。これが「ニュルンべルク綱領」です。「ニュルンべルク綱領」は、前述のジュネーブ宣言や1949年10月にロンドンで開催された世界医師会第3回総会(1949年10月)で採択された国際医倫理綱領(2006年までに3回改訂、「医師の一般的な義務」の4項目には「医師は、患者や同僚医師を誠実に扱い、人格や能力に欠陥があったり、欺まん、またはごまかしをするような医師の摘発に努めるべきである」という規定がある)、1964年6月フィンランド、ヘルシンキで開催された第18回世界医師会総会で採択され、以後、人体実験に関する倫理規定の基本をなすヘルシンキ宣言(2013年までに9回改訂)の基礎となりました。



昨年2018年12月に、『留守名簿 関東軍防疫給水部 満州第659部隊』2冊が発売されました!!(不二出版)



●「衛生学校記事」とはどんなものだろうか?
井上義弘【1904~1969(65歳)、石川県出身
1929年に台北医専卒、陸軍見習士官を経て1931年3等軍医、1948年軍医中佐、その間、陸軍軍医学校教官、陸軍医務局課員、シンガポールに設置された細菌戦部隊(南方軍防疫給水部9420部隊)に所属、戦後、第1復員省、厚生省復員局勤務、1953年復員局から保安庁に出向、陸上幕僚監部衛生課長、陸上自衛隊衛生学校第5代校長、陸上幕僚監部衛生監を歴任1960年退官。近代5種競技世界選手権大会(ブタペスト)に日本選手団長として参加中、1969年9月急逝。1969年日本体育協会近代5種・バイアスロン連合会副理事長となり、専門の体力医学の分野で活躍】
第4代衛生学校長であった金原が1957年12月突如転任になり、第5代の衛生学校長になったのが井上だ。両人とも戦時中の細菌戦部隊にかかわった人物である。それも金原は細菌戦部隊の指導的な立場にあった。それがアメリカの圧力か何かで、衛生学校長の職を転任になり、その後を井上が引き継いだ。
井上は、自衛隊に保管されていた731関連の資料を自宅に持ち帰り、保管していたが、ブタペストで急逝したため、何も知らない遺族がそれらの資料を廃棄してしまった。ところがそれが神田の古書店に行きつき、某大学の研究者の目に留まり、その大学で買い取った。そこで改めてその資料を検証すると、731部隊の毒ガス実験等の論文があった。某大学では、その買い取った731関連の資料や、731部隊のデータを使って書いた論文等は、以前はその大学研究者は許可を得て見ることができたが、今ではそれらを見ることができなくなっている。
又、京大の次に多くの医学者を731に送った東大も細菌戦に関する資料を公開せず問題になっている。
東京医大等の不正入試だけでなく、大学医学部の戦中の細菌戦関連の資料の隠蔽も今、大きな問題になっている。
※1955年に二木秀雄が精魂塔を多磨霊園に建立し、731部隊の戦友会「精魂会」が発足した。
1950年には日本ブラッドバンクが内藤良一(元731部隊員)らによって設立され、元731部隊員は復権に向けて動き出している。
南方軍防疫給水部(岡9420部隊)



復刊衛生学校記事1(2)(井上義弘)
1961年7月

昭和20年の頃

3、特殊爆弾から原子爆弾へ
一行は航空事故のために遅れた8日午後広島に到着し、10日18時、2日間の調査結果を、船舶司令部参謀長依頼特別緊急電報で陸軍省医務局長へ報告した。

内容は次のようであった。
(1)爆弾威力(詳細は文)
a、爆発殺傷力及び建造物の破壊力はおおむね半径3キロに及ぶ
b、殺傷は爆発の時発生する特殊光線による火傷及び強力な爆風によるものと推定される。特殊光線は直接皮膚を燃焼し、レントゲンフィルムを感光させる。
c、一部の水中生息物(魚類)が死亡した。
d、防護は掩蓋壕内に退避するほか、地上では爆風と光線の死角内に伏するのがよい。
(2)陸軍病院の被害状況
a、広1病全焼、職員患者8割死亡
b、広2病本院全焼、職員患者約8割死傷
c、三滝分院倒壊、死亡1、負傷約200
d、江波分院一部倒壊、人の被害なし。
(3)レントゲン教官至急派遣されたい。






イタイイタイ病を究明した男 萩野昇

驚愕!御用医学者をさかのぼると、すぐに731部隊に行き着く

水俣病問題

小島三郎国立予防衛生研究所所長の過去

小泉親彦と宮川米次の絆

ヒロシマからフクシマへ

宮川正

「想定外」 と日本の統治—ヒロシマからフクシマへ—

ビキニ「死の灰」世界各地へ

自衛隊とサリン

相模海軍工廠・寒川と平塚にあった秘密毒ガス工場

日本の国家機密

兒嶋俊郎さんを偲ぶ



●昭和天皇の戦争責任を問う!!大嘗祭反対!!


●昭和天皇(ハーバード・ピックス著『昭和天皇』より)
第3部   陛下の戦争
1931(昭和6)年―1945 (昭和20)年

第7章 満州事変



引き続き、1932年2月8日、松岡洋右(元南満州鉄道会社理事)が「日満関係と満蒙外交史の一斑」と題し、御進講を行った。昭和天皇の下問に、松岡は生物学にたとえて日本と中国のように人種的に近似した民族間では親善を維持しにくいと、ややあいまいなことを強調した。「これは生物学の原理」であると、松岡は海洋生物学者である天皇に説明した。
宮中グループの会合に頻繁に加わっていた近衛は、行き詰まった日中関係の問題を白色人種と黄色人種との対立に置き換え、日本人は白人である敵に精神的に優越していると断言していた。近衛にとって、満州事変は「次第に日本の周辺を蔽わんとしつつある時に、此暗雲を貫く稲妻」であり、「仮令満州事変があの時あの形で起らなくとも、晩(おそ)かれ早かれ此の暗雲を掃ひのけて、日本の運命の道を切り拓かんとする何等かの企ては、必ず試みられたに違いない」と論じた。


小泉親彦と昭和天皇

近現代史を《憲法視点》から問う~「湘南社」の憲法論議~

近代天皇制の真髄は

福沢諭吉

神武と戦争




憲法9条を生かそう!!

 
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細菌戦の系譜!!

2019-01-29 09:37:28 | Weblog
第20回『衛生学校記事』情報公開裁判
細菌戦部隊(731部隊と100部隊)パネル展を開催しませんか?
NO MORE 化学兵器
帝銀事件と登戸研究所
石垣島の自衛隊!!
カネミ油症問題
第20回『衛生学校記事』情報公開裁判
第11回『化学学校記事』情報公開裁判
731部隊『留守名簿』(不二出版)2018年9月
京大 軍医博士論文の検証
731部隊『留守名簿』公開
ある元自衛官の回想 「化学学校の黒い霧」
731部隊と「要塞」遺跡を訪ねる

日本は、あの侵略戦争を反省して、憲法9条を作った!!
平和条約締結は「日本が大戦の結果認めること」 露外相
●日本国憲法第9条
1、日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。
2、前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。

日本の政治の常道
・まずい事は隠す!!(=あったことを無かったことにする、=データ改ざんは当たり前)
・責任を下に押し付ける!!(=権力者は、責任を取らない)
統計不正聴取に厚労省官房長同席 中立性への疑念、更に


●ニュース
(朝鮮日報日本語版) 安倍首相の施政方針演説から「韓国」消える

沖縄県民投票 全域実施へ

“元徴用工”韓国弁護士ら 4月末めどに追加訴訟へ(19/01/26)


【大竹まこと×金子勝×室井佑月】 2004年からだった厚生労働省・賃金データ改ざん! 日本のGDP疑惑


【大竹まこと×森永卓郎×倉田真由美】 やばい日本の製造業! 家電&国産スマホの財政危機


【大竹まこと×近藤誠×倉田真由美】 〈目から鱗の医療〉 がん手術・抗がん剤治療・早期発見は効果がない!


各地の県立高校などで相次ぐ「人骨」問題 6県16校、記録少なく

玉城デニー県知事・金秀グループの呉屋守将会長・屋良朝博さんが鳩山友紀夫と議論




【大竹まこと×森永卓郎×倉田真由美】 日立のイギリス原発輸出撤退の裏側! 日本に生まれる新ビジネスチャンス



竹田会長の記者会見は本当に「潔白主張」なのか
海外メディア「かえって疑惑深まった」 JOC竹田会長の会見

【大竹まこと×金子勝×室井佑月】 日立がイギリス原発輸出を断念! 世界に逆行する日本と経団連の責任


森友・加計問題 疑惑の核心/下 政治家、官邸官僚… 「安倍側用人」を覆う「黒い霧」

「水俣病は終わらない」公式確認から60年―私たちに託されたメッセージ

松本元死刑囚らの死刑執行文書、ほぼ全て黒塗りで開示

“旧優生保護法”強制的な不妊手術 事業として推進(18/04/27)


真相を解明していないからこうなるのだろう!!
オウム13人死刑で「上川陽子法相」一生SPつきの生活


731部隊員・長友浪男軍医少佐の戦中・戦後、甲第1855部隊考、他


国立公文書館で公開された留守名簿を巡る問題


中国の侵略被害者の証言を聞く集い2018 11.30

●お知らせ




京大の「731部隊」論文疑惑(上) 勝間田秀樹(京都支局)

731部隊将校の学位取り消しを 人体実験疑い論文で京大に



「特殊部隊731」
秋山 浩著 (三一書房 1956年6月30日 発行)

隊員は狙われている
林田もいたが、組が遠いので声をかけるわけにもいかない。行先は、ハルビンと決まっていた。
教習係長も帰り、いよいよ出発だと思っていたところが、近江属が突然、
「注目!」
と、声を張り上げて、私達が整列している前に進み出た。この人に対して、特に私達勤務に出ている者は好感を寄せていなかった。近江属は、自分の出入できない研究所に入っている私達を何かと目の敵にしているところがあった。
「外出の心構えについて、みなに質問する」
そう、前置きして、
「万が一、組の者から離れたなら、君たちはどうするか第2組の4番、言ってみろ」
指名されたのは浜中であった。同組の3番にいた私は、ひやりとした。
「はい。部隊連絡所に行って、連絡してもらうように、お願いします」
浜中は、どぎまぎしながら答えた。近江属に最初に殴られたのは浜中だったから、彼にとっては、苦手な相手なのである。
「連絡所は迷子の世話までやっておられない。他に、だれかあるか?」
「はい。その場から動かないようにして、戦友たちが探しに来てくれるのを待ってます」
3組の中から、答があった。


・陸軍軍医少佐 平澤正欣の学位授与授与の内容
(731資料センター会報28号より:西山勝夫「731部隊問題、克服への道」より)
1945年6月6日に京都大学医学部教授会で審査後纏められた平澤正欣論文要旨(国立公文書館学位授与記録より翻刻、京都大学公文書館の内容と同一)は以下の通り




京都大学は何を学位授与に値すると認定したか。【先人の見解と異なり「イヌノミ」もまた人類に対する「ペスト」媒介蚤なる新事実を発見せり】、人と獣(イヌ)、両方同じ媒体、「イヌノミ」により「ペスト」に感染すること、「ペスト」の人獣感染を新事実として評価しました。ネズミ、モルモットやサルで実験をやっていて、どうして人に感染したと言えるのでしょうか。
審査員の戸田元医学部長、木村医学部長は731部隊に教え子を送った人達です。彼らは、自らも陸軍軍医学校の嘱託研究員などを務め、戦後に戸田は金沢大学の学長、木村は名古屋市立大学学長になったことで知られています。
これらの論文を2014年から15年に検討し、15年3月の戦医研例会で紹介し、問題を、以下の4点にまとめました。
・実験対象がヒトであるにもかかわらず、「さる」と偽った
・当該対象者を治療することを目的とした実験ではなかった
・当該対象者の発症後も治療せずに死亡に至るまで経過を観察した
・死亡後の学位授与認可
・・・・・


「元満州中川村開拓団 私の敗戦回顧録」





日本は、日中戦争で国際法に違反して、毒ガス戦、細菌戦、無差別爆撃を行った。日本政府は、この事実をきちんと認めていない!!
●『日本の中国侵略と毒ガス兵器』 歩平著(山邊悠喜子、宮崎教四郎訳)明石書店より
第4章 科学はいかにして罪業となったか

様々な化学毒剤
イペリットは第1次世界大戦中大量に使用された毒剤で、先に挙げたイープルで最初にドイツ軍が用いたため、その地名からイペリットと名付けられたのである。またこれらの物質はあまり純粋でない場合にはカラシ油に似た匂いを発するため、マスタード・ガスとも呼ばれている。しかし陸軍科学研究所の第3部では単純にこの毒剤を導入しのではなく、日本の特殊な必要性に対応させるため、様々な実験を通じて改良を加えたのである。その主な目的は、こうした毒剤の高温及び低温の条件下における発毒性を高める事だった。例えば、北海道で零下20度の気温の下で低温実験を行なった結果、このような低温の下では、イペリットの発毒性が大幅に低下することが分かったが、この結論は日本にとって好ましからざるものだった。というのは、対ソ作戦である「北進」戦略を実施する場合は、いきおい寒冷気候地域における作戦を行なわなければならないからだ。低温という条件の下でも効力の大きな毒剤を開発するために、1930年、研究所は当時すでに日本に併合されていた朝鮮北部の山城山演習場で実験を行なった。その際の温度は零下30度。1933年12月には、日本に占領されていた中国東北地方のチチハルに場所を移してこの実験が行なわれた。気候条件はソ連により近い。1936年には、ついに凍結を防止できるイペリットを開発した。即ち、「きい1号丙」である。


東京第二陸軍造兵廠曽根製造所
平成十二年八月六日、「平和のための戦争展 in 北九州2000」の企画で、旧軍施設の見学会が催されました。見学先は、「東京第二陸軍造兵廠曽根製造所」跡地です。それに参加したときの写真です。 
ここは、表向きは普通の爆弾製造工場とされていましたが、実際は、「東京第二陸軍造兵廠忠海製造所(広島県竹原市大久野島)」製の毒ガスを、「小倉陸軍造兵廠(福岡県北九州市小倉北区)」製の砲弾・爆弾に充填する化学兵器製造所でした。日本の製造した毒ガス弾の2割がここで充填されたと言われています。
●B2棟(ホスゲン・青酸の充填場、充填砲弾の一時留め置き場) 

撮影できたのは、このような幅の狭い通路のような部分だけです。


●登戸研究所関係略年表
登戸研究所関係略年表 




●特集 軍拡に走る安倍政権と学術①

15年戦争中の「医学犯罪」に目を閉ざさず、繰り返さないために
1、戦争における医学者・医師たちの犯罪

西山勝夫さん(滋賀医科大学名誉教授)に聞く
にしやま・かつお=滋賀医科大学名誉教授、 15年戦争と日本の医学医療研究会事務局長、「戦争と医の倫理」の検証を進める会代表世話人、軍学共同反対連絡会共同代表

4、ドイツではどのように向き合ったのか

■二ュルンぺルクにおける訴追
―ところで、医学の戦争への加担ということでは、世界で、とりわけドイツではどのように向き合ったのでしょうか。

ナチス・ドイツ政権下における医学者・医師の非人道人体実験には、超高度(標高20000mに相当する低気圧)、低体温、マラリア、毒ガス、サルファ剤等の薬品、骨・筋肉・神経の再生および骨移植、海水飲用、流行性黄だん(肝炎)、断種、発疹チフスなど、毒物、焼夷弾治療、障害者の「安楽死」、仮病対策、電気ショック、子宮癌の早期診断法、双子の利用、肝臓移植、血液確定、敗血病などに関する実験がありました。これらがドイツでは裁かれました。


昨年2018年12月に、『留守名簿 関東軍防疫給水部 満州第659部隊』2冊が発売されました!!(不二出版)



●「衛生学校記事」とはどんなものだろうか?
井上義弘【1904~1969(65歳)、石川県出身
1929年に台北医専卒、陸軍見習士官を経て1931年3等軍医、1948年軍医中佐、その間、陸軍軍医学校教官、陸軍医務局課員、シンガポールに設置された細菌戦部隊(南方軍防疫給水部9420部隊)に所属、戦後、第1復員省、厚生省復員局勤務、1953年復員局から保安庁に出向、陸上幕僚監部衛生課長、陸上自衛隊衛生学校第5代校長、陸上幕僚監部衛生監を歴任1960年退官。近代5種競技世界選手権大会(ブタペスト)に日本選手団長として参加中、1969年9月急逝。1969年日本体育協会近代5種・バイアスロン連合会副理事長となり、専門の体力医学の分野で活躍】
第4代衛生学校長であった金原が1957年12月突如転任になり、第5代の衛生学校長になったのが井上だ。両人とも戦時中の細菌戦部隊にかかわった人物である。それも金原は細菌戦部隊の指導的な立場にあった。それがアメリカの圧力か何かで、衛生学校長の職を転任になり、その後を井上が引き継いだ。
井上は、自衛隊に保管されていた731関連の資料を自宅に持ち帰り、保管していたが、ブタペストで急逝したため、何も知らない遺族がそれらの資料を廃棄してしまった。ところがそれが神田の古書店に行きつき、某大学の研究者の目に留まり、その大学で買い取った。そこで改めてその資料を検証すると、731部隊の毒ガス実験等の論文があった。某大学では、その買い取った731関連の資料や、731部隊のデータを使って書いた論文等は、以前はその大学研究者は許可を得て見ることができたが、今ではそれらを見ることができなくなっている。
又、京大の次に多くの医学者を731に送った東大も細菌戦に関する資料を公開せず問題になっている。
東京医大等の不正入試だけでなく、大学医学部の戦中の細菌戦関連の資料の隠蔽も今、大きな問題になっている。
※1955年に二木秀雄が精魂塔を多磨霊園に建立し、731部隊の戦友会「精魂会」が発足した。
1950年には日本ブラッドバンクが内藤良一(元731部隊員)らによって設立され、元731部隊員は復権に向けて動き出している。
南方軍防疫給水部(岡9420部隊)



復刊衛生学校記事1(2)(井上義弘)
1961年7月

昭和20年の頃

3、特殊爆弾から原子爆弾へ
8月8日の新聞は大本営発表として、広島へ敵が新型爆弾を投下したことを知らせた。落下傘をつけて空中で破裂させたが、想像もつかない大爆発であったと書いてあった。実際に広島の惨害の第1報が東京へ到着したのは6日の午後であった。特殊の高性能をもった爆弾で、惨害が甚大であるとの報告を受けた陸軍の中央部では、7日の早朝米国のラジオが「原子爆弾」であると放送していることを知ったが、公式の調査によって確認するために、参謀本部第2部長の有末中将を長として、理研の仁科博士や陸軍軍医学校の関係者を広島に派遣した。陸軍軍医学校は委員の差出しによって、爆撃の惨害の程度を確認し、被害者の診療方針を決定し、防護対策を立てることに指示されていたので、以前から爆傷及び爆風傷について研究していた外科の島田、耳鼻科の成田、病理の山科、眼科の松永の諸教官を委員とし、ほかに助手1名を選定した。一行は航空事故のために遅れた8日午後広島に到着し、10日18時、2日間の調査結果を、船舶司令部参謀長依頼特別緊急電報で陸軍省医務局長へ報告した。





イタイイタイ病を究明した男 萩野昇

驚愕!御用医学者をさかのぼると、すぐに731部隊に行き着く

水俣病問題

小島三郎国立予防衛生研究所所長の過去

小泉親彦と宮川米次の絆

ヒロシマからフクシマへ

宮川正

「想定外」 と日本の統治—ヒロシマからフクシマへ—

ビキニ「死の灰」世界各地へ

自衛隊とサリン

相模海軍工廠・寒川と平塚にあった秘密毒ガス工場

日本の国家機密

兒嶋俊郎さんを偲ぶ



●昭和天皇の戦争責任を問う!!大嘗祭反対!!


●昭和天皇(ハーバード・ピックス著『昭和天皇』より)
第3部   陛下の戦争
1931(昭和6)年―1945 (昭和20)年

第7章 満州事変



こうして、世界資本主義の崩壊、金融・ブロック経済の出現、国内の政治的イデオロギー的対立は、満州における行動を正当化するため日本の指導者が唱道した考えの援軍となった。1932年1月28日、天皇ならびに側近に対する御進講のなかで、元陸軍大臣南次郎大将は、陸軍が満州に独立国家を創設したことを説明するために、国家の安全保障上の必要、資源、領土の不足を強調した。南は天皇に「日満共同経営」により、日本は「外国の経済封鎖に耐え」、「永遠に強国であり続ける」ことができると主張した。また、満州全土の掌握は、30年代末には7000万に達すると予想される急激な人口増大に対処する土地を供給することで、日本の「人口問題」をも解決するであろうと説明した。


小泉親彦と昭和天皇

近現代史を《憲法視点》から問う~「湘南社」の憲法論議~

近代天皇制の真髄は

福沢諭吉

神武と戦争




憲法9条を生かそう!!
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細菌戦の系譜!!

2019-01-28 11:02:01 | Weblog

第20回『衛生学校記事』情報公開裁判
細菌戦部隊(731部隊と100部隊)パネル展を開催しませんか?
NO MORE 化学兵器
帝銀事件と登戸研究所
石垣島の自衛隊!!
カネミ油症問題
第20回『衛生学校記事』情報公開裁判
第11回『化学学校記事』情報公開裁判
731部隊『留守名簿』(不二出版)2018年9月
京大 軍医博士論文の検証
731部隊『留守名簿』公開
ある元自衛官の回想 「化学学校の黒い霧」
731部隊と「要塞」遺跡を訪ねる

日本は、あの侵略戦争を反省して、憲法9条を作った!!
平和条約締結は「日本が大戦の結果認めること」 露外相
●日本国憲法第9条
1、日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。
2、前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。

日本の政治の常道
・まずい事は隠す!!(=あったことを無かったことにする、=データ改ざんは当たり前)
・責任を下に押し付ける!!(=権力者は、責任を取らない)
自民国対委員長、統計不正「さほど大きな問題はない」


●ニュース
日本はなんでアメリカに反発しない!!
中露北を念頭、米が日本に新レーダー配備検討

厚労省不正統計 「納得できない」85%

負担増めぐり交渉難航=トランプ氏意向に韓国反発-米軍駐留費


【大竹まこと×金子勝×室井佑月】 2004年からだった厚生労働省・賃金データ改ざん! 日本のGDP疑惑


【大竹まこと×森永卓郎×倉田真由美】 やばい日本の製造業! 家電&国産スマホの財政危機


【大竹まこと×近藤誠×倉田真由美】 〈目から鱗の医療〉 がん手術・抗がん剤治療・早期発見は効果がない!


各地の県立高校などで相次ぐ「人骨」問題 6県16校、記録少なく

1/17/19 伊藤惇夫


玉城デニー県知事・金秀グループの呉屋守将会長・屋良朝博さんが鳩山友紀夫と議論




【大竹まこと×森永卓郎×倉田真由美】 日立のイギリス原発輸出撤退の裏側! 日本に生まれる新ビジネスチャンス



竹田会長の記者会見は本当に「潔白主張」なのか
海外メディア「かえって疑惑深まった」 JOC竹田会長の会見

【大竹まこと×金子勝×室井佑月】 日立がイギリス原発輸出を断念! 世界に逆行する日本と経団連の責任


森友・加計問題 疑惑の核心/下 政治家、官邸官僚… 「安倍側用人」を覆う「黒い霧」

「水俣病は終わらない」公式確認から60年―私たちに託されたメッセージ

松本元死刑囚らの死刑執行文書、ほぼ全て黒塗りで開示

“旧優生保護法”強制的な不妊手術 事業として推進(18/04/27)


真相を解明していないからこうなるのだろう!!
オウム13人死刑で「上川陽子法相」一生SPつきの生活


731部隊員・長友浪男軍医少佐の戦中・戦後、甲第1855部隊考、他


国立公文書館で公開された留守名簿を巡る問題


中国の侵略被害者の証言を聞く集い2018 11.30

●お知らせ




京大の「731部隊」論文疑惑(上) 勝間田秀樹(京都支局)

731部隊将校の学位取り消しを 人体実験疑い論文で京大に



「特殊部隊731」
秋山 浩著 (三一書房 1956年6月30日 発行)

隊員は狙われている
入隊してから、2度目の外出の日であった。まだ、ふた月ぐらいしかたっていないのだが、週に半日の休みよりない、単調で厳しい日課の連続のせいで、その期間はことのほか長く思われた。
午前8時。この日の外出許可の出た30人は教育部宿舎前に集合した。
「あくまで指揮者の指図にしたがって行動すること。一歩外へ出れば、必ず外国のスパイが狙っているということを忘れてはならない。もし、相手が日本の兵隊であっても、憲兵だとしても、みだりにその呼びかけに応じてはいけない。わかったな」
教習係長の尾藤判任官は、そういって、一同を見回し、おおような動作で敬礼を受け檀をおりた。
個人行動は許されぬ建前から、私達は5人1組となってお互い連帯責任を負わされることになっていた。引率者は、3人だったが、私が親しめるのは仲野雇員だけで、北島、関根の2人は、他班の雇員だった。


・陸軍軍医少佐 平澤正欣の学位授与授与の内容
(731資料センター会報28号より:西山勝夫「731部隊問題、克服への道」より)
1945年6月6日に京都大学医学部教授会で審査後纏められた平澤正欣論文要旨(国立公文書館学位授与記録より翻刻、京都大学公文書館の内容と同一)は以下の通り




京都大学は何を学位授与に値すると認定したか。【先人の見解と異なり「イヌノミ」もまた人類に対する「ペスト」媒介蚤なる新事実を発見せり】、人と獣(イヌ)、両方同じ媒体、「イヌノミ」により「ペスト」に感染すること、「ペスト」の人獣感染を新事実として評価しました。ネズミ、モルモットやサルで実験をやっていて、どうして人に感染したと言えるのでしょうか。
審査員の戸田元医学部長、木村医学部長は731部隊に教え子を送った人達です。彼らは、自らも陸軍軍医学校の嘱託研究員などを務め、戦後に戸田は金沢大学の学長、木村は名古屋市立大学学長になったことで知られています。
これらの論文を2014年から15年に検討し、15年3月の戦医研例会で紹介し、問題を、以下の4点にまとめました。
・実験対象がヒトであるにもかかわらず、「さる」と偽った
・当該対象者を治療することを目的とした実験ではなかった
・当該対象者の発症後も治療せずに死亡に至るまで経過を観察した
・死亡後の学位授与認可
・・・・・


「元満州中川村開拓団 私の敗戦回顧録」




日本は、日中戦争で国際法に違反して、毒ガス戦、細菌戦、無差別爆撃を行った。日本政府は、この事実をきちんと認めていない!!
●『日本の中国侵略と毒ガス兵器』 歩平著(山邊悠喜子、宮崎教四郎訳)明石書店より
第4章 科学はいかにして罪業となったか

様々な化学毒剤
ホスゲンはドイツが最初に研究開発したもので、1915年からイギリス軍に対して用いた毒ガスである。12月19日の明け方、ベルギーのイープルで国防線に進攻したドイツ軍が赤いロケット砲を放ち、ホスゲンと塩素ガスの混じった毒ガスをイギリス軍の陣地に打ち込んだ。イギリス軍は手を打つひまもなく、毒ガスのために大いに戦闘力が損なわれた。勿論日本の陸軍研究所はこれに対して大いに関心を抱き、直ちに導入することを決定、日本本土の九州と北海道で何度も実験を行なった。記録によれば、1926年3月、九州の日出生台で実験した際には、ホスゲンを野戦砲弾に装入し、まず静止情況での破裂実験を行ない、動物を用いてその効力を測定、毒ガス捕集装置でその濃度を調べた。8月には、北海道の美瑛演習場で一個連隊の砲兵を集め、野戦砲にホスゲンを詰めて射撃を行なっており、当時、陸軍省の軍事首脳も演習場に赴いて視察している。1927年、富士裾野の演習場での陸軍教育総監部によるホスゲン弾の実験では、平均して1分間に1ヘクタールの面積で百発の砲弾が打ち込まれた。


東京第二陸軍造兵廠曽根製造所
平成十二年八月六日、「平和のための戦争展 in 北九州2000」の企画で、旧軍施設の見学会が催されました。見学先は、「東京第二陸軍造兵廠曽根製造所」跡地です。それに参加したときの写真です。 
ここは、表向きは普通の爆弾製造工場とされていましたが、実際は、「東京第二陸軍造兵廠忠海製造所(広島県竹原市大久野島)」製の毒ガスを、「小倉陸軍造兵廠(福岡県北九州市小倉北区)」製の砲弾・爆弾に充填する化学兵器製造所でした。日本の製造した毒ガス弾の2割がここで充填されたと言われています。
●B2棟(ホスゲン・青酸の充填場、充填砲弾の一時留め置き場) 

B2棟の正面です。 
見学通路は写真左側だったので、右側にあると思われる、充填場、留め置き場にされたと思われる大部屋は見れませんでした。 

●登戸研究所関係略年表
登戸研究所関係略年表 



●特集 軍拡に走る安倍政権と学術①

15年戦争中の「医学犯罪」に目を閉ざさず、繰り返さないために
1、戦争における医学者・医師たちの犯罪

西山勝夫さん(滋賀医科大学名誉教授)に聞く
にしやま・かつお=滋賀医科大学名誉教授、 15年戦争と日本の医学医療研究会事務局長、「戦争と医の倫理」の検証を進める会代表世話人、軍学共同反対連絡会共同代表

3、戦後、日本の戦争医学犯罪は裁かれなかったのか
■発足当時の学術会議における戦争医学犯罪の検証
―731部隊に属していた医師・医学者自身の特徴的な証言はあるのでしょうか。

敗戦直後から医学界・医療界の民主化に奔走した秋元寿恵夫医師は「これまで、40年近くになる長い間、第731部隊が犯した戦争犯罪については、問われれば答えるが、 あえて自分から何もいうまいという態度を取り続けてきた」としながら、1982年に自著『医の倫理を問う第731部隊の経験から』において、「血清学者として石井部隊に勤務した者が、今なお深い罪の意識を背負いながら、戦争と癒着した医学研究の恐ろしさを告発し、医の倫理とは何かを問う」ています。
湯浅謙医師による、中国太原の陸軍病院で行った生体解剖の証言は、極悪非道な医師の行為が731部隊だけではなかったことを明らかにしました。


昨年2018年12月に、『留守名簿 関東軍防疫給水部 満州第659部隊』2冊が発売されました!!(不二出版)



●「衛生学校記事」とはどんなものだろうか?
井上義弘【1904~1969(65歳)、石川県出身
1929年に台北医専卒、陸軍見習士官を経て1931年3等軍医、1948年軍医中佐、その間、陸軍軍医学校教官、陸軍医務局課員、シンガポールに設置された細菌戦部隊(南方軍防疫給水部9420部隊)に所属、戦後、第1復員省、厚生省復員局勤務、1953年復員局から保安庁に出向、陸上幕僚監部衛生課長、陸上自衛隊衛生学校第5代校長、陸上幕僚監部衛生監を歴任1960年退官。近代5種競技世界選手権大会(ブタペスト)に日本選手団長として参加中、1969年9月急逝。1969年日本体育協会近代5種・バイアスロン連合会副理事長となり、専門の体力医学の分野で活躍】
第4代衛生学校長であった金原が1957年12月突如転任になり、第5代の衛生学校長になったのが井上だ。両人とも戦時中の細菌戦部隊にかかわった人物である。それも金原は細菌戦部隊の指導的な立場にあった。それがアメリカの圧力か何かで、衛生学校長の職を転任になり、その後を井上が引き継いだ。
井上は、自衛隊に保管されていた731関連の資料を自宅に持ち帰り、保管していたが、ブタペストで急逝したため、何も知らない遺族がそれらの資料を廃棄してしまった。ところがそれが神田の古書店に行きつき、某大学の研究者の目に留まり、その大学で買い取った。そこで改めてその資料を検証すると、731部隊の毒ガス実験等の論文があった。某大学では、その買い取った731関連の資料や、731部隊のデータを使って書いた論文等は、以前はその大学研究者は許可を得て見ることができたが、今ではそれらを見ることができなくなっている。
又、京大の次に多くの医学者を731に送った東大も細菌戦に関する資料を公開せず問題になっている。
東京医大等の不正入試だけでなく、大学医学部の戦中の細菌戦関連の資料の隠蔽も今、大きな問題になっている。
※1955年に二木秀雄が精魂塔を多磨霊園に建立し、731部隊の戦友会「精魂会」が発足した。
1950年には日本ブラッドバンクが内藤良一(元731部隊員)らによって設立され、元731部隊員は復権に向けて動き出している。
南方軍防疫給水部(岡9420部隊)



復刊衛生学校記事1(2)(井上義弘)
1961年7月

昭和20年の頃

2、衛生の教育
陣地内に生息する場合の衛生、えんがい内の射撃及び爆発の身体に及ぼす影響並びにその他対策、低カロリー食を採る時には作業を如何にして能率化するか、陣地内伝染病の防あつ、赤痢対策、陣中細菌検査方法、砲爆撃下の陣地内における外科的処置、輸血、輸液、伝染病の診断治療、栄養失調症の治療、結核の排除などの標語を掲げてその徹底に努力したのであった。これ等の事柄は戦局の推移に応じて早くから研究を進めていたので巡回先の実状に沿った具体的な指導することができた。灼熱の陣地を次々と回った教官も張り切っていたし、部隊の軍医も真剣であった。指導したことがじゅん速に実施されるのでやりがいがあった。しかし栄養失調対策は手こずった。食べる物の生産の無い土地では、理屈も説明しても実行ができなかったから。海岸の部隊では夕食に小魚の一尾が付くことは楽しみであった。東京では生魚など思いもよらなかった。





イタイイタイ病を究明した男 萩野昇

●驚愕!御用医学者をさかのぼると、すぐに731部隊に行き着く

水俣病問題

小島三郎国立予防衛生研究所所長の過去

小泉親彦と宮川米次の絆

ヒロシマからフクシマへ

宮川正

「想定外」 と日本の統治—ヒロシマからフクシマへ—

ビキニ「死の灰」世界各地へ

自衛隊とサリン

相模海軍工廠・寒川と平塚にあった秘密毒ガス工場

日本の国家機密

兒嶋俊郎さんを偲ぶ



●昭和天皇の戦争責任を問う!!大嘗祭反対!!


●昭和天皇(ハーバード・ピックス著『昭和天皇』より)
第3部   陛下の戦争
1931(昭和6)年―1945 (昭和20)年

第7章 満州事変



日本の大陸膨張政策の支持者たちは、米英との別の摩擦を指摘していた。米英は恐慌への対応策がそれぞれ異なり、協調して対日政策をとることも実際には困難であったが、日本のジャーナリストは英米の政治家を単に国内では形骸化した民主主義を行う偽善者であり、国外では帝国主義的な現状維持を擁護するものとして好んで描いた。反対に、日本の膨張主義の支持者はたちまち、ドイツのナチス台頭は日本にとってよい前兆であるという議論を持ち出した。ドイツは、日本についで連盟を脱退し、英米ソにとって潜在的な敵国となった。さらに1933年、ナチス・ドイツもまた非常事態にあり、日本同様、民族的、文化的復興を目指していた。

小泉親彦と昭和天皇

近現代史を《憲法視点》から問う~「湘南社」の憲法論議~

近代天皇制の真髄は

福沢諭吉

神武と戦争




憲法9条を生かそう!!

コメント
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細菌戦の系譜!!

2019-01-27 10:39:40 | Weblog
第20回『衛生学校記事』情報公開裁判
細菌戦部隊(731部隊と100部隊)パネル展を開催しませんか?
戦争の加害パネル展(横浜)
防衛費の異常な増加に抗議!!
第20回『衛生学校記事』情報公開裁判
第11回『化学学校記事』情報公開裁判
731部隊の証言(第26回)(ビデオ学習会)
731部隊『留守名簿』(不二出版)2018年9月
京大 軍医博士論文の検証
731部隊『留守名簿』公開
ある元自衛官の回想 「化学学校の黒い霧」
第10回ビザ発給拒否・集会妨害国賠訴訟【9月21日(金)11:30~東京地裁415号室】
731部隊と「要塞」遺跡を訪ねる

日本は、あの侵略戦争を反省して、憲法9条を作った!!
平和条約締結は「日本が大戦の結果認めること」 露外相
●日本国憲法第9条
1、日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。
2、前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。

日本の政治の常道
・まずい事は隠す!!(=あったことを無かったことにする、=データ改ざんは当たり前)
・責任を下に押し付ける!!(=権力者は、責任を取らない)
自民国対委員長、統計不正「さほど大きな問題はない」

●NO MORE 化学兵器2018 基地公害と化学兵器被害の実態から見えてくるもの(2019年1月26日)
日本における遺棄毒ガス被害の現状(北宏一朗さん)


追跡 日米地位協定と基地公害「太平洋のゴミ捨て場」と呼ばれて ジョン・ミッチェルさん




●ニュース
【大竹まこと×金子勝×室井佑月】 2004年からだった厚生労働省・賃金データ改ざん! 日本のGDP疑惑


Monthly日刊ゲンダイ【1月号】ゲスト=孫崎享氏/日ロ首脳会談/北方領土/辺野古新基地/安倍首相/フェイク発言/日韓/徴用工/レーザー照射


各地の県立高校などで相次ぐ「人骨」問題 6県16校、記録少なく

1/17/19 伊藤惇夫


玉城デニー県知事・金秀グループの呉屋守将会長・屋良朝博さんが鳩山友紀夫と議論




【大竹まこと×森永卓郎×倉田真由美】 日立のイギリス原発輸出撤退の裏側! 日本に生まれる新ビジネスチャンス



竹田会長の記者会見は本当に「潔白主張」なのか
海外メディア「かえって疑惑深まった」 JOC竹田会長の会見

【大竹まこと×金子勝×室井佑月】 日立がイギリス原発輸出を断念! 世界に逆行する日本と経団連の責任


森友・加計問題 疑惑の核心/下 政治家、官邸官僚… 「安倍側用人」を覆う「黒い霧」

「水俣病は終わらない」公式確認から60年―私たちに託されたメッセージ

松本元死刑囚らの死刑執行文書、ほぼ全て黒塗りで開示

“旧優生保護法”強制的な不妊手術 事業として推進(18/04/27)


真相を解明していないからこうなるのだろう!!
オウム13人死刑で「上川陽子法相」一生SPつきの生活


731部隊員・長友浪男軍医少佐の戦中・戦後、甲第1855部隊考、他


国立公文書館で公開された留守名簿を巡る問題


中国の侵略被害者の証言を聞く集い2018 11.30

●お知らせ




京大の「731部隊」論文疑惑(上) 勝間田秀樹(京都支局)

731部隊将校の学位取り消しを 人体実験疑い論文で京大に



「特殊部隊731」
秋山 浩著 (三一書房 1956年6月30日 発行)

731の編成と生い立ち
赤レンガの建物で、濾過板の原料にする硅藻土(けいそうど)を焼く長い窯が印象に残っている。流れ作業によって、個人用、中隊用、部隊用など、大小さまざまの濾水機が出来上がってゆく。個人用というのは、小型消火器のようなもので、背負ったまま手押しポンプで押せば、ゴム管から直接飲料水が出るようになっている。中隊用というのは長さ2m近い筒状の主部に、操縦桿のようなハンドルが付いていて、それを動かすと、一方から汚水を吸い上げて他方から濾過清水が出る仕掛けである。この濾水機は、海水のほかはどんな泥水でも濾過できるほど優秀なもので、たった1つ、人体には無害な、あるヴィールスを通過させるだけと聞いた。
給水自動車は、それを大仕掛けにしたもので、もし敵に分捕られる恐れのあるときは、直ちにその場で焼却できるよう、なるべく木造にしてあった。飲料水に悩む大陸では、確かに重宝な兵器であったろう。
白紙から教え込まれた私達は、そのときも偉人の逸話を聞くような、敬虔な気持で、その話に耳を傾けた。私達の眼から見れば、全く神にも等しい存在だったのである。私達は、その時分まだ部隊長を間近かに見たことはなかった。一度、草色の立派な自動車に乗りお供の高級将校を従えて、行き過ぎるところを見送っただけであった。
私はその夜、宿舎に帰ってから、同室の者と夜更けまでこのことについて語り合ったものである。


・陸軍軍医少佐 平澤正欣の学位授与授与の内容
(731資料センター会報28号より:西山勝夫「731部隊問題、克服への道」より)
1945年6月6日に京都大学医学部教授会で審査後纏められた平澤正欣論文要旨(国立公文書館学位授与記録より翻刻、京都大学公文書館の内容と同一)は以下の通り




京都大学は何を学位授与に値すると認定したか。【先人の見解と異なり「イヌノミ」もまた人類に対する「ペスト」媒介蚤なる新事実を発見せり】、人と獣(イヌ)、両方同じ媒体、「イヌノミ」により「ペスト」に感染すること、「ペスト」の人獣感染を新事実として評価しました。ネズミ、モルモットやサルで実験をやっていて、どうして人に感染したと言えるのでしょうか。
審査員の戸田元医学部長、木村医学部長は731部隊に教え子を送った人達です。彼らは、自らも陸軍軍医学校の嘱託研究員などを務め、戦後に戸田は金沢大学の学長、木村は名古屋市立大学学長になったことで知られています。
これらの論文を2014年から15年に検討し、15年3月の戦医研例会で紹介し、問題を、以下の4点にまとめました。
・実験対象がヒトであるにもかかわらず、「さる」と偽った
・当該対象者を治療することを目的とした実験ではなかった
・当該対象者の発症後も治療せずに死亡に至るまで経過を観察した
・死亡後の学位授与認可
・・・・・


「元満州中川村開拓団 私の敗戦回顧録」




日本は、日中戦争で国際法に違反して、毒ガス戦、細菌戦、無差別爆撃を行った。日本政府は、この事実をきちんと認めていない!!
●『日本の中国侵略と毒ガス兵器』 歩平著(山邊悠喜子、宮崎教四郎訳)明石書店より
第4章 科学はいかにして罪業となったか

様々な化学毒剤
陸軍科学研究所が設立されると、直ちに第1次世界大戦時に使用されたりした各種の化学毒剤に関する資料の収集が始まった。欧米各国に調査のための人員を派遣した他、1925年からはドイツの毒ガス専門家マイツナ―を研究所に招聘した。マイツナ―は第1次世界大戦時、ドイツの化学戦技術センターに勤め、各種研究記録の整理を受け持っていたため、各種化学毒剤の情況についてよく知っていた。彼は研究所に着任すると、まずセミナーを開き、日本の研究者に化学戦の知識を伝授した。当時まだ化学戦の能力を備えていなかった日本にとっては、マイツナ―の着任は大いに視野を広めるもので、毎回のセミナーに、岸本部長はいずれも時間通り会場に着いた。彼は「3年以内に列強のレベルに追いつき、追い越す」と公言したほどだ。


東京第二陸軍造兵廠曽根製造所
平成十二年八月六日、「平和のための戦争展 in 北九州2000」の企画で、旧軍施設の見学会が催されました。見学先は、「東京第二陸軍造兵廠曽根製造所」跡地です。それに参加したときの写真です。 
ここは、表向きは普通の爆弾製造工場とされていましたが、実際は、「東京第二陸軍造兵廠忠海製造所(広島県竹原市大久野島)」製の毒ガスを、「小倉陸軍造兵廠(福岡県北九州市小倉北区)」製の砲弾・爆弾に充填する化学兵器製造所でした。日本の製造した毒ガス弾の2割がここで充填されたと言われています。

A2棟前から他の施設を見ています。左からA1棟、B1棟、冷却室と呼ばれる施設が見えています。また円筒形のものは「排気筒」です。地下に施設があるのでしょう。

●登戸研究所関係略年表
登戸研究所関係略年表 
1918年 大正7 11月    第1次世界大戦終結
1919年 大正8 4月     陸軍科学研究所(科研)設立
1922年 大正11 11月    科研、新宿戸山が原に移転
1927年 昭和2       科研に秘密戦資材研究室(篠田研究室)開設
1931年 昭和6 9月18日   満州事変始まる
1935年 昭和10 10月    昭和天皇、科研に行幸
1936年 昭和11 12月    科研、電波兵器(く号兵器)の開発着手
1937年 昭和12 7月7日   日中戦争始まる                                      
11月    参謀本部第8課(謀略課)設置、科研登戸実験場を開設                     "


●特集 軍拡に走る安倍政権と学術①

15年戦争中の「医学犯罪」に目を閉ざさず、繰り返さないために
1、戦争における医学者・医師たちの犯罪

西山勝夫さん(滋賀医科大学名誉教授)に聞く
にしやま・かつお=滋賀医科大学名誉教授、 15年戦争と日本の医学医療研究会事務局長、「戦争と医の倫理」の検証を進める会代表世話人、軍学共同反対連絡会共同代表

3、戦後、日本の戦争医学犯罪は裁かれなかったのか
■発足当時の学術会議における戦争医学犯罪の検証
―731部隊に属していた医師・医学者自身の特徴的な証言はあるのでしょうか。

731部隊に属していた医師で、当時のことを自著で表している者は少数です。吉村寿人元731部隊技師(京大医学部卒、戦後京都府立医大学長などを務める)は「私が属していた部隊に戦犯事項があったことが最近、森村誠一氏の『悪魔の飽食』に記載され、それがべストセラーになった為に国内の批判を浴びる様になった。<中略>個人の自由意志でその良心に従つて軍隊内で行動が出来ると考える事自体が間違つている。<中略>個人の良心によって行動の出来る様な軍隊が何処にあるだろうか。<中略>私が戦時中に属していた部隊において戦犯行為があったからとて、直接の指揮官でもない私が何故マスコミによって責められねばならないのか、全くのお門違い」などと弁明しています(『喜寿回顧』吉村先生喜寿記念行事会、1984年)。これは、ニュルンべルク裁判では退けられた、被告の弁明「医師たちは人体実験を行わなければ生命の危険にさらされたかもしれない」 「医師たちは命令に従っただけである」と同類にほかなりません。


昨年2018年12月に、『留守名簿 関東軍防疫給水部 満州第659部隊』2冊が発売されました!!(不二出版)



●「衛生学校記事」とはどんなものだろうか?
井上義弘【1904~1969(65歳)、石川県出身
1929年に台北医専卒、陸軍見習士官を経て1931年3等軍医、1948年軍医中佐、その間、陸軍軍医学校教官、陸軍医務局課員、シンガポールに設置された細菌戦部隊(南方軍防疫給水部9420部隊)に所属、戦後、第1復員省、厚生省復員局勤務、1953年復員局から保安庁に出向、陸上幕僚監部衛生課長、陸上自衛隊衛生学校第5代校長、陸上幕僚監部衛生監を歴任1960年退官。近代5種競技世界選手権大会(ブタペスト)に日本選手団長として参加中、1969年9月急逝。1969年日本体育協会近代5種・バイアスロン連合会副理事長となり、専門の体力医学の分野で活躍】
第4代衛生学校長であった金原が1957年12月突如転任になり、第5代の衛生学校長になったのが井上だ。両人とも戦時中の細菌戦部隊にかかわった人物である。それも金原は細菌戦部隊の指導的な立場にあった。それがアメリカの圧力か何かで、衛生学校長の職を転任になり、その後を井上が引き継いだ。
井上は、自衛隊に保管されていた731関連の資料を自宅に持ち帰り、保管していたが、ブタペストで急逝したため、何も知らない遺族がそれらの資料を廃棄してしまった。ところがそれが神田の古書店に行きつき、某大学の研究者の目に留まり、その大学で買い取った。そこで改めてその資料を検証すると、731部隊の毒ガス実験等の論文があった。某大学では、その買い取った731関連の資料や、731部隊のデータを使って書いた論文等は、以前はその大学研究者は許可を得て見ることができたが、今ではそれらを見ることができなくなっている。
又、京大の次に多くの医学者を731に送った東大も細菌戦に関する資料を公開せず問題になっている。
東京医大等の不正入試だけでなく、大学医学部の戦中の細菌戦関連の資料の隠蔽も今、大きな問題になっている。
※1955年に二木秀雄が精魂塔を多磨霊園に建立し、731部隊の戦友会「精魂会」が発足した。
1950年には日本ブラッドバンクが内藤良一(元731部隊員)らによって設立され、元731部隊員は復権に向けて動き出している。
南方軍防疫給水部(岡9420部隊)



復刊衛生学校記事1(2)(井上義弘)
1961年7月

昭和20年の頃

2、衛生の教育
当時の病院の指導方針の一端を20年6月17日臨時東京第3陸軍病院を視察した阿南陸軍大臣の訓示からうかがう事にしたい。

今や遂に驕敵を皇土に邀え撃たんとするの重大戦局に方りここに陸軍病院を視察をして諸官の壮容に接し日夜診療に敢闘しつつあるを実現し深くその労を多とす。惟うに現戦局下診療の主眼は一に入院患者の迅速なる戦列復帰に在り
諸官は宜しく至厳なる診療軍紀の下骨肉の至情を以てする合理的診療に依り患者の迅速なる戦力化に万遺憾なきを期すべし
斯るか故に軍の治療は傷と病とを癒するの外将兵の心気を回復善導することを忘却すべからず
診療成果の昂否は技能の練達に俟つの外病院管理の適正と収療従事者の必治の熱意とに依る所亦極めて大いなるを以て病院長の陣頭指揮の下情誼を基調とする団結を強化して益々決勝服務に透徹し以て陸軍病院の任務遂行に邁進すべし
右訓示す

戦局のひっぱくしてきた7月下旬には、陸軍軍医学校の教官は数名あてのチームを作って、諸方面に派遣された。






イタイイタイ病を究明した男 萩野昇

●驚愕!御用医学者をさかのぼると、すぐに731部隊に行き着く

水俣病問題

小島三郎国立予防衛生研究所所長の過去

小泉親彦と宮川米次の絆

ヒロシマからフクシマへ

宮川正

「想定外」 と日本の統治—ヒロシマからフクシマへ—

ビキニ「死の灰」世界各地へ

自衛隊とサリン

相模海軍工廠・寒川と平塚にあった秘密毒ガス工場

日本の国家機密

兒嶋俊郎さんを偲ぶ



●昭和天皇の戦争責任を問う!!大嘗祭反対!!


●昭和天皇(ハーバード・ピックス著『昭和天皇』より)
第3部   陛下の戦争
1931(昭和6)年―1945 (昭和20)年

第7章 満州事変



孤立主義のアメリカ合衆国では、大統領として一期めの職務についたフランクリン・ルーズベルトが、経済危機に対し異なる対策を取り入れた。ルーズベルト大統領は自由貿易を支持し、より低い関税による相互貿易協定をできるだけ多くの国に提案した。とりわけ、彼はアメリカ社会の最悪の状態を少しでも改善し、新しい方向性を打ち出すことにより、人々に希望を与えるよう努力した。しかし、ニューディール復興政策は、米国内における南部の黒人差別を放置し、西半球ならびにフィリピンにおける対日輸出を減少させる傾向を持っていた。
ソ連の中央集権的な計画経済は、民主主義を伴わない重工業化を象徴するものだった。1932年、ソビエトは最初の5ヵ年計画を完成させたのち、国際舞台に復帰した。それは軍用機、戦車の生産と「極東赤軍」―主に日本の大陸膨張に対抗する―の再建の開始でもあった。その強大な軍事力により、ソ連は日本の戦略的な野心の障壁となり、共産主義はイデオロギー的な脅威であると盛んに論じられていた。

小泉親彦と昭和天皇

近現代史を《憲法視点》から問う~「湘南社」の憲法論議~

近代天皇制の真髄は

福沢諭吉

神武と戦争




憲法9条を生かそう!!

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細菌戦の系譜!!

2019-01-26 09:33:17 | Weblog

第20回『衛生学校記事』情報公開裁判
細菌戦部隊(731部隊と100部隊)パネル展を開催しませんか?
戦争の加害パネル展(横浜)
防衛費の異常な増加に抗議!!
第20回『衛生学校記事』情報公開裁判
第11回『化学学校記事』情報公開裁判
731部隊の証言(第26回)(ビデオ学習会)
731部隊『留守名簿』(不二出版)2018年9月
京大 軍医博士論文の検証
731部隊『留守名簿』公開
ある元自衛官の回想 「化学学校の黒い霧」
第10回ビザ発給拒否・集会妨害国賠訴訟【9月21日(金)11:30~東京地裁415号室】
731部隊と「要塞」遺跡を訪ねる

日本は、あの侵略戦争を反省して、憲法9条を作った!!
平和条約締結は「日本が大戦の結果認めること」 露外相
●日本国憲法第9条
1、日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。
2、前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。

●ニュース
性的乱暴で5度逮捕の慶応大生ら全員不起訴 横浜地検

フジ報道に差別と批判の声 専務「誤解招きやすい表現」

県民投票「全県」に道筋 3択に懸念の声も 沖縄

各地の県立高校などで相次ぐ「人骨」問題 6県16校、記録少なく

1/17/19 伊藤惇夫


玉城デニー県知事・金秀グループの呉屋守将会長・屋良朝博さんが鳩山友紀夫と議論




【大竹まこと×森永卓郎×倉田真由美】 日立のイギリス原発輸出撤退の裏側! 日本に生まれる新ビジネスチャンス



竹田会長の記者会見は本当に「潔白主張」なのか
海外メディア「かえって疑惑深まった」 JOC竹田会長の会見

【大竹まこと×金子勝×室井佑月】 日立がイギリス原発輸出を断念! 世界に逆行する日本と経団連の責任


森友・加計問題 疑惑の核心/下 政治家、官邸官僚… 「安倍側用人」を覆う「黒い霧」

「水俣病は終わらない」公式確認から60年―私たちに託されたメッセージ

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“旧優生保護法”強制的な不妊手術 事業として推進(18/04/27)


真相を解明していないからこうなるのだろう!!
オウム13人死刑で「上川陽子法相」一生SPつきの生活


731部隊員・長友浪男軍医少佐の戦中・戦後、甲第1855部隊考、他


国立公文書館で公開された留守名簿を巡る問題


中国の侵略被害者の証言を聞く集い2018 11.30

●お知らせ




京大の「731部隊」論文疑惑(上) 勝間田秀樹(京都支局)

731部隊将校の学位取り消しを 人体実験疑い論文で京大に



「特殊部隊731」
秋山 浩著 (三一書房 1956年6月30日 発行)

731の編成と生い立ち
これは不潔になりがちな戦場につきものである蚤(ノミ)や虱(シラミ)の媒介によるものであるから、ノモンハンの場合にも、そうした疫病が発生しても少しも不思議はない。
「細菌戦の妙味は、そこにある」
ノモンハンでは建軍以来の苦戦を味わっただけに、関東軍首脳部は、身にしみて細菌戦の重要性を認識した。
防疫給水部は、水源地確保の功によって、軍司令官より衛生部隊としては、はじめての感状を与えられた。ただし、戦死した軍医は、一般には数名と発表された。
その後、現在の石井部隊長が長となり、17年に「731部隊」となったが、各国の諜報機関があまりにもうるさいので、20年5月に「満州台25202部隊」とあらためた。―
佐川技手の話は、さらに、石井部隊長の身辺へと移っていった。
「部隊長閣下は我が国の至宝である。医学博士・工学博士・理学博士と、3つの博士号と持っておられる。君たちが日常見聞している濾水機、培養タンクをはじめ、あの、(と第2部の方に視線をやって)給水自動車を発明された。給水自動車は、いまや、関東軍にはなくてはならぬ重要兵器となっている」
石井式濾水機や給水自動車については、私達は前から聞き知っていた。
教育期間中に、引率されて、ハルビン陸軍病院の近くにある、濾水機製作工場を見学したことがあった。


・陸軍軍医少佐 平澤正欣の学位授与授与の内容
(731資料センター会報28号より:西山勝夫「731部隊問題、克服への道」より)
1945年6月6日に京都大学医学部教授会で審査後纏められた平澤正欣論文要旨(国立公文書館学位授与記録より翻刻、京都大学公文書館の内容と同一)は以下の通り




京都大学は何を学位授与に値すると認定したか。【先人の見解と異なり「イヌノミ」もまた人類に対する「ペスト」媒介蚤なる新事実を発見せり】、人と獣(イヌ)、両方同じ媒体、「イヌノミ」により「ペスト」に感染すること、「ペスト」の人獣感染を新事実として評価しました。ネズミ、モルモットやサルで実験をやっていて、どうして人に感染したと言えるのでしょうか。
審査員の戸田元医学部長、木村医学部長は731部隊に教え子を送った人達です。彼らは、自らも陸軍軍医学校の嘱託研究員などを務め、戦後に戸田は金沢大学の学長、木村は名古屋市立大学学長になったことで知られています。
これらの論文を2014年から15年に検討し、15年3月の戦医研例会で紹介し、問題を、以下の4点にまとめました。
・実験対象がヒトであるにもかかわらず、「さる」と偽った
・当該対象者を治療することを目的とした実験ではなかった
・当該対象者の発症後も治療せずに死亡に至るまで経過を観察した
・死亡後の学位授与認可
・・・・・


「元満州中川村開拓団 私の敗戦回顧録」




日本は、日中戦争で国際法に違反して、毒ガス戦、細菌戦、無差別爆撃を行った。日本政府は、この事実をきちんと認めていない!!
●『日本の中国侵略と毒ガス兵器』 歩平著(山邊悠喜子、宮崎教四郎訳)明石書店より
第4章 科学はいかにして罪業となったか

前述したように、日本政府及び軍部は、陸軍科学研究所の第3部、そして後には陸軍技術研究所に対して大量の資金を投入し、化学戦遂行の希望を全面的にこの研究所に託した。そしてこの研究所も期待にたがわず、十分な資金と有利な条件を生かして、日本の化学戦の能力を無から有へ、小から大へと発展させ始めた。科学研究を行なうと銘打ったこれらの機関は、科学技術を駆使した兵器を次々に実験室から戦場へと送り出して、人類を大量に殺害し、科学を罪業に変えたのである。1931年から、化学毒剤と化学兵器は陸軍省によって認定、制式化された。1935年11月3日の「明治節」に、陸軍は全軍の新式兵器及び機材の展示を行ったが、その中に化学兵器も含まれていた。これらの兵器に対して、天皇は極めて大きな関心を示し、直々に視察に訪れて、各部隊長の報告を熱心に聞いた。これは勿論、科学が罪業となる過程への肯定であった。


東京第二陸軍造兵廠曽根製造所
平成十二年八月六日、「平和のための戦争展 in 北九州2000」の企画で、旧軍施設の見学会が催されました。見学先は、「東京第二陸軍造兵廠曽根製造所」跡地です。それに参加したときの写真です。 
ここは、表向きは普通の爆弾製造工場とされていましたが、実際は、「東京第二陸軍造兵廠忠海製造所(広島県竹原市大久野島)」製の毒ガスを、「小倉陸軍造兵廠(福岡県北九州市小倉北区)」製の砲弾・爆弾に充填する化学兵器製造所でした。日本の製造した毒ガス弾の2割がここで充填されたと言われています。
●A2棟(イペリット・ルイサイト混合物の充填作業場)

A2棟の内部を撮影しています。大きく二部屋に区切られています。 

●特集 軍拡に走る安倍政権と学術①

15年戦争中の「医学犯罪」に目を閉ざさず、繰り返さないために
1、戦争における医学者・医師たちの犯罪

西山勝夫さん(滋賀医科大学名誉教授)に聞く
にしやま・かつお=滋賀医科大学名誉教授、 15年戦争と日本の医学医療研究会事務局長、「戦争と医の倫理」の検証を進める会代表世話人、軍学共同反対連絡会共同代表

3、戦後、日本の戦争医学犯罪は裁かれなかったのか
■発足当時の学術会議における戦争医学犯罪の検証
―世界でも類例のない公選制で選ばれた日本の科学者の議会ともいわれる日本学術会議は1949年の「日本学術会議の発足にあたって科学者としての決意表明(声明)」で「これまでのわが国の科学者がとりきたった態度について強く反省し、今後は、 科学が文化国家ないし平和国家の基礎であるという確信の下に、わが国の平和的復興と人類の福祉増進のために貢献せんことを誓う」と述べています。そこでは、戦争医学犯罪についてはどのような反省がなされたのでしょうか。

1950年4月28日の第6回総会では「戦争を目的とする科学の研究には絶対従わない決意の表明」が採択されました。その時も「日本の科学者も戦争を感知せざるを得ない情勢に立ち至つている」という中段の提案は、彼らの口火で、「戦争が非常に近いと言うことはいったいどういう根拠があって言っておるのか」などの議論となり、削除されました。その2ヵ月後に朝鮮戦争が起こりました。
また、1952年の第13回総会では、「細菌兵器使用禁止に関するジュネーブ条約の批准を国会に申入れる」提案に対して、「現在日本では戦争を放棄しているのだから、戦時に問題になる条約を批准するのは筋違い」「4,50年も前に解決している問題でありまして、今日ほとんど実用になりません」などと反対し、賛成わずかで否決されています。

昨年2018年12月に、『留守名簿 関東軍防疫給水部 満州第659部隊』2冊が発売されました!!(不二出版)



●「衛生学校記事」とはどんなものだろうか?
井上義弘【1904~1969(65歳)、石川県出身
1929年に台北医専卒、陸軍見習士官を経て1931年3等軍医、1948年軍医中佐、その間、陸軍軍医学校教官、陸軍医務局課員、シンガポールに設置された細菌戦部隊(南方軍防疫給水部9420部隊)に所属、戦後、第1復員省、厚生省復員局勤務、1953年復員局から保安庁に出向、陸上幕僚監部衛生課長、陸上自衛隊衛生学校第5代校長、陸上幕僚監部衛生監を歴任1960年退官。近代5種競技世界選手権大会(ブタペスト)に日本選手団長として参加中、1969年9月急逝。1969年日本体育協会近代5種・バイアスロン連合会副理事長となり、専門の体力医学の分野で活躍】
第4代衛生学校長であった金原が1957年12月突如転任になり、第5代の衛生学校長になったのが井上だ。両人とも戦時中の細菌戦部隊にかかわった人物である。それも金原は細菌戦部隊の指導的な立場にあった。それがアメリカの圧力か何かで、衛生学校長の職を転任になり、その後を井上が引き継いだ。
井上は、自衛隊に保管されていた731関連の資料を自宅に持ち帰り、保管していたが、ブタペストで急逝したため、何も知らない遺族がそれらの資料を廃棄してしまった。ところがそれが神田の古書店に行きつき、某大学の研究者の目に留まり、その大学で買い取った。そこで改めてその資料を検証すると、731部隊の毒ガス実験等の論文があった。某大学では、その買い取った731関連の資料や、731部隊のデータを使って書いた論文等は、以前はその大学研究者は許可を得て見ることができたが、今ではそれらを見ることができなくなっている。
又、京大の次に多くの医学者を731に送った東大も細菌戦に関する資料を公開せず問題になっている。
東京医大等の不正入試だけでなく、大学医学部の戦中の細菌戦関連の資料の隠蔽も今、大きな問題になっている。
※1955年に二木秀雄が精魂塔を多磨霊園に建立し、731部隊の戦友会「精魂会」が発足した。
1950年には日本ブラッドバンクが内藤良一(元731部隊員)らによって設立され、元731部隊員は復権に向けて動き出している。
南方軍防疫給水部(岡9420部隊)



復刊衛生学校記事1(2)(井上義弘)
1961年7月

昭和20年の頃

2、衛生の教育
教育の項では、衛生部将校に補備教育による錬成を、兵科将校下士官に保育及び防疫に関する識能の向上を、そして兵に対しては救急法、止血法の徹底を強調した。治療については、迅速な回復を期するために、一層科学的合理的な診療を実施せよと要求し、また患者は発生した軍管区内で初療から最後の転帰までを取り扱ういわゆる独立した診療体系をとり、現地治癒主義を指示したのであった。指示の文章はいつも抽象的な字句を並べてあるので、勤務に慣れない速成の軍医には了解できない事柄も多く、師団の高級軍医は隷下部隊の衛生部員に一層具体的な説明と例示を行う必要があった。しかし各作戦区域の中核となる陸軍病院には、当時としては最新の機能を持つ器材を整備し、軍医も現役応召共に専門家を備えて、完璧な陣容を誇ったのであった。





イタイイタイ病を究明した男 萩野昇

●驚愕!御用医学者をさかのぼると、すぐに731部隊に行き着く

水俣病問題

小島三郎国立予防衛生研究所所長の過去

小泉親彦と宮川米次の絆

ヒロシマからフクシマへ

宮川正

「想定外」 と日本の統治—ヒロシマからフクシマへ—

ビキニ「死の灰」世界各地へ

自衛隊とサリン

相模海軍工廠・寒川と平塚にあった秘密毒ガス工場

日本の国家機密

兒嶋俊郎さんを偲ぶ



●昭和天皇の戦争責任を問う!!大嘗祭反対!!


●昭和天皇(ハーバード・ピックス著『昭和天皇』より)
第3部   陛下の戦争
1931(昭和6)年―1945 (昭和20)年

第7章 満州事変



アジア大陸での軍事的、経済的な膨張政策は、欧米列強への挑戦だった。この挑戦は国際環境の変化を受けて、より容易なものとなっていた。斎藤内閣が登場した当時、先進工業国であった西欧は日本とはまったく異なる国家制度や価値体系を特徴とするようになっていた。ドイツではヒトラーとナチスー―かつてヨーロッパで台頭したもののなかでもっとも革命的で、ニヒリスティックで人種差別的な運動―が、1933年1月、権力の座へと軍靴を踏み鳴らしていた。その公然たる意図は、ベルサイユ体制を破壊し、戦争に向けドイツの軍備を完成させることにあった。
イギリスでは保守党が中国市場の覇権をめぐり日本に厳しい敵対意識を持っていた。1932年にオタワで開催された大英帝国経済会議で、トーリー党は保護貿易主義に転換し、大英帝国内の国々に特恵的な関税障壁であるスターリングブロツクを設ける決議をした。



小泉親彦と昭和天皇

近現代史を《憲法視点》から問う~「湘南社」の憲法論議~

近代天皇制の真髄は

福沢諭吉

神武と戦争




憲法9条を生かそう!!


コメント
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細菌戦の系譜!!

2019-01-25 08:44:20 | Weblog

第20回『衛生学校記事』情報公開裁判
細菌戦部隊(731部隊と100部隊)パネル展を開催しませんか?
戦争の加害パネル展(横浜)
防衛費の異常な増加に抗議!!
第20回『衛生学校記事』情報公開裁判
第11a回『化学学校記事』情報公開裁判
731部隊の証言(第26回)(ビデオ学習会)
731部隊『留守名簿』(不二出版)2018年9月
京大 軍医博士論文の検証
731部隊『留守名簿』公開
ある元自衛官の回想 「化学学校の黒い霧」
第10回ビザ発給拒否・集会妨害国賠訴訟【9月21日(金)11:30~東京地裁415号室】
731部隊と「要塞」遺跡を訪ねる

日本は、あの侵略戦争を反省して、憲法9条を作った!!
平和条約締結は「日本が大戦の結果認めること」 露外相
●日本国憲法第9条
1、日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。
2、前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。

●ニュース
政府基幹統計、4割の22統計に間違い 抽出方法など

辺野古県民投票、全県で実施へ 3択を与野党合意

医学部問題、志願者減相次ぐ 東京医大は2割超か

インフル患者、愛知で最多記録更新 猛威続く


韓国で史上初となる前最高裁長官の逮捕 徴用工訴訟などに介入か


各地の県立高校などで相次ぐ「人骨」問題 6県16校、記録少なく

1/17/19 伊藤惇夫


玉城デニー県知事・金秀グループの呉屋守将会長・屋良朝博さんが鳩山友紀夫と議論




【大竹まこと×森永卓郎×倉田真由美】 日立のイギリス原発輸出撤退の裏側! 日本に生まれる新ビジネスチャンス



竹田会長の記者会見は本当に「潔白主張」なのか
海外メディア「かえって疑惑深まった」 JOC竹田会長の会見

【大竹まこと×金子勝×室井佑月】 日立がイギリス原発輸出を断念! 世界に逆行する日本と経団連の責任


森友・加計問題 疑惑の核心/下 政治家、官邸官僚… 「安倍側用人」を覆う「黒い霧」

「水俣病は終わらない」公式確認から60年―私たちに託されたメッセージ

松本元死刑囚らの死刑執行文書、ほぼ全て黒塗りで開示

“旧優生保護法”強制的な不妊手術 事業として推進(18/04/27)


真相を解明していないからこうなるのだろう!!
オウム13人死刑で「上川陽子法相」一生SPつきの生活


731部隊員・長友浪男軍医少佐の戦中・戦後、甲第1855部隊考、他


国立公文書館で公開された留守名簿を巡る問題


中国の侵略被害者の証言を聞く集い2018 11.30

●お知らせ




京大の「731部隊」論文疑惑(上) 勝間田秀樹(京都支局)

731部隊将校の学位取り消しを 人体実験疑い論文で京大に



「特殊部隊731」
秋山 浩著 (三一書房 1956年6月30日 発行)

731の編成と生い立ち
ところが、ノモンハン事件において、単なる予防だけではなく、逆にその研究を攻撃に利用することの効果に気付いたのである。
日本軍がソ連の機動部隊に押されて後退のやむなきにいたったとき、どうしても確保しておかなければならないのは水源地であった。水源地を押さえている限りは、戦いの主導権を握っておられるからだ。そしてそれは、給水部の任務であった。そこで、窮余の策として、ノモンハン地方一帯の水源であるハルハ河の上流から、チフス・コレラ・ペストなどの培養菌を敵側に撒布した。文字通りの決死的作業で、そのため30数名の軍医と軍属が戦死した。この中には、自分たちの撒布した病原菌によって罹病した者もあったらしいが大部分は、作業中に敵の銃火を浴びたものと思われる。
「こんなに大勢の軍医が一度に戦死するなどということは、通常あり得ない事である。そうだろう。前進々々、また前進の我が軍の場合、普通なら衛生部隊は追いついて行くのが精一杯なのだ」
と、佐川技手は気を持たせる口振りで強調した。
ノモンハンからボイル湖にかけて、ハルハ河の流域はたちまち疫病が発生し、それが大いに日本軍を有利にした。発疹チフスのたぐいは寒帯病の1つで、別名戦争チフスとも呼ばれ、必ずと言っていいほど戦争にはつきものであり、それがいつも勝敗に大なる影響を及ぼしている事は戦史に明らかである。


・陸軍軍医少佐 平澤正欣の学位授与授与の内容
(731資料センター会報28号より:西山勝夫「731部隊問題、克服への道」より)
1945年6月6日に京都大学医学部教授会で審査後纏められた平澤正欣論文要旨(国立公文書館学位授与記録より翻刻、京都大学公文書館の内容と同一)は以下の通り




京都大学は何を学位授与に値すると認定したか。【先人の見解と異なり「イヌノミ」もまた人類に対する「ペスト」媒介蚤なる新事実を発見せり】、人と獣(イヌ)、両方同じ媒体、「イヌノミ」により「ペスト」に感染すること、「ペスト」の人獣感染を新事実として評価しました。ネズミ、モルモットやサルで実験をやっていて、どうして人に感染したと言えるのでしょうか。
審査員の戸田元医学部長、木村医学部長は731部隊に教え子を送った人達です。彼らは、自らも陸軍軍医学校の嘱託研究員などを務め、戦後に戸田は金沢大学の学長、木村は名古屋市立大学学長になったことで知られています。
これらの論文を2014年から15年に検討し、15年3月の戦医研例会で紹介し、問題を、以下の4点にまとめました。
・実験対象がヒトであるにもかかわらず、「さる」と偽った
・当該対象者を治療することを目的とした実験ではなかった
・当該対象者の発症後も治療せずに死亡に至るまで経過を観察した
・死亡後の学位授与認可
・・・・・


「元満州中川村開拓団 私の敗戦回顧録」




日本は、日中戦争で国際法に違反して、毒ガス戦、細菌戦、無差別爆撃を行った。日本政府は、この事実をきちんと認めていない!!
●『日本の中国侵略と毒ガス兵器』 歩平著(山邊悠喜子、宮崎教四郎訳)明石書店より
第3章 毒ガスと毒ガス兵器の大規模生産

曽根の印象

「・・・だけど、中にはもう何もありませんよ。あれらの建物の中は空っぽですから何も機密を守る必要はないのですが、私は規定を実行しているだけです」
同行の日本の友人は、中に入ることができないというので私に気の毒そうに、「日本では規則規則で本当に融通がきかない、ましてや自衛隊は・・・・」と、言い訳をした。私は十分にこのようなことも理解できるし、友人たちの心遣いも分かるので、安心して皆さんが中をさんかんされるようにと、答えた。私は当直員と暇をつぶして皆を待つことにした。
友人たちが中に入ったので、私は門の外から中を覗った。こうしてみると、内部の傷みがはっきりと見えた。ドアや窓ガラスはもうとっくに無くなり、内部は黒々として不気味な口を開けている。各棟の入口の前には雑草が生い茂り、膝を没するほどだ。すでに短い冬の陽は斜めになって、建物や樹木、それに枯れ草の影を長く引いて、一幅の末日の絵を見るようだった。私は心の中で、願わくば戦争もこの悪魔の工場のように末日に向かえばよいのにと思った。


東京第二陸軍造兵廠曽根製造所
平成十二年八月六日、「平和のための戦争展 in 北九州2000」の企画で、旧軍施設の見学会が催されました。見学先は、「東京第二陸軍造兵廠曽根製造所」跡地です。それに参加したときの写真です。 
ここは、表向きは普通の爆弾製造工場とされていましたが、実際は、「東京第二陸軍造兵廠忠海製造所(広島県竹原市大久野島)」製の毒ガスを、「小倉陸軍造兵廠(福岡県北九州市小倉北区)」製の砲弾・爆弾に充填する化学兵器製造所でした。日本の製造した毒ガス弾の2割がここで充填されたと言われています。
●A2棟(イペリット・ルイサイト混合物の充填作業場)

左写真のような形状をしています。 
右写真はA2棟の側面から訓練所敷地を眺めたところです。A2棟の向こう側に見えるのは通称「B2棟」です。 


●特集 軍拡に走る安倍政権と学術①

15年戦争中の「医学犯罪」に目を閉ざさず、繰り返さないために
1、戦争における医学者・医師たちの犯罪

西山勝夫さん(滋賀医科大学名誉教授)に聞く
にしやま・かつお=滋賀医科大学名誉教授、 15年戦争と日本の医学医療研究会事務局長、「戦争と医の倫理」の検証を進める会代表世話人、軍学共同反対連絡会共同代表

3、戦後、日本の戦争医学犯罪は裁かれなかったのか
■発足当時の学術会議における戦争医学犯罪の検証
―世界でも類例のない公選制で選ばれた日本の科学者の議会ともいわれる日本学術会議は1949年の「日本学術会議の発足にあたって科学者としての決意表明(声明)」で「これまでのわが国の科学者がとりきたった態度について強く反省し、今後は、 科学が文化国家ないし平和国家の基礎であるという確信の下に、わが国の平和的復興と人類の福祉増進のために貢献せんことを誓う」と述べています。そこでは、戦争医学犯罪についてはどのような反省がなされたのでしょうか。

学術会議総会議事速記録を閲覧したところ、第1回総会で、国会議事録のような議事録を作成するという提案が否決され、以降の長きにわたって学術会議総会の公式の議事録が作成されていないこと、当初議事概要が作成されていたものの第8回以降途絶えたことが明らかになりました。
第1回総会の「日本学術会議の発足にあたって科学者としての決意表明(声明)」の審議経過では、731部隊関係の会員らが「これまでわが国の科学者がとりきたった態度について強く反省し」のくだりに「戦争中」あるいは「戦時中」を入れる提案に対し、「すでに国家が戦争になってしまったならば戦争に協力し、 科学者が国家のために尽くすということは、一面から言うと当然のことであります」「憲法によってすでに戦争を放棄し、将来戦争というものは、 われわれ国民にとっては全然問題外のことであって、将来戦争ということを考えてこういう声明をする必要はない」などと猛反対し、賛成少数で否決にいたっています。

昨年2018年12月に、『留守名簿 関東軍防疫給水部 満州第659部隊』2冊が発売されました!!(不二出版)



●「衛生学校記事」とはどんなものだろうか?
井上義弘【1904~1969(65歳)、石川県出身
1929年に台北医専卒、陸軍見習士官を経て1931年3等軍医、1948年軍医中佐、その間、陸軍軍医学校教官、陸軍医務局課員、シンガポールに設置された細菌戦部隊(南方軍防疫給水部9420部隊)に所属、戦後、第1復員省、厚生省復員局勤務、1953年復員局から保安庁に出向、陸上幕僚監部衛生課長、陸上自衛隊衛生学校第5代校長、陸上幕僚監部衛生監を歴任1960年退官。近代5種競技世界選手権大会(ブタペスト)に日本選手団長として参加中、1969年9月急逝。1969年日本体育協会近代5種・バイアスロン連合会副理事長となり、専門の体力医学の分野で活躍】
第4代衛生学校長であった金原が1957年12月突如転任になり、第5代の衛生学校長になったのが井上だ。両人とも戦時中の細菌戦部隊にかかわった人物である。それも金原は細菌戦部隊の指導的な立場にあった。それがアメリカの圧力か何かで、衛生学校長の職を転任になり、その後を井上が引き継いだ。
井上は、自衛隊に保管されていた731関連の資料を自宅に持ち帰り、保管していたが、ブタペストで急逝したため、何も知らない遺族がそれらの資料を廃棄してしまった。ところがそれが神田の古書店に行きつき、某大学の研究者の目に留まり、その大学で買い取った。そこで改めてその資料を検証すると、731部隊の毒ガス実験等の論文があった。某大学では、その買い取った731関連の資料や、731部隊のデータを使って書いた論文等は、以前はその大学研究者は許可を得て見ることができたが、今ではそれらを見ることができなくなっている。
又、京大の次に多くの医学者を731に送った東大も細菌戦に関する資料を公開せず問題になっている。
東京医大等の不正入試だけでなく、大学医学部の戦中の細菌戦関連の資料の隠蔽も今、大きな問題になっている。
※1955年に二木秀雄が精魂塔を多磨霊園に建立し、731部隊の戦友会「精魂会」が発足した。
1950年には日本ブラッドバンクが内藤良一(元731部隊員)らによって設立され、元731部隊員は復権に向けて動き出している。
南方軍防疫給水部(岡9420部隊)



復刊衛生学校記事1(2)(井上義弘)
1961年7月

昭和20年の頃

1、養衆の条件
ドウクツ陣地の火網な敵を水際に撃滅すると豪語する反面、栄養の不足と赤痢の発生、これに伴なう精神の脆弱化など、いわゆる人的戦力の減耗は、果たして本土作戦をすいこうしえたであろうか。神州不滅を信じ、肉弾特攻を本懐とするだけでは最後の勝利は得られなかったのではなかろうか。

2、衛生の教育
本土決戦計画が策定されると、大本営陸軍は昭和20年3月中旬、本土の各方面の参謀長及び関係閣僚を召集して、これを内示した。方面軍軍医部長会同も3月15、16日に東京で開かれ、陸軍省医務局長(野戦衛生長官)は本土作戦の特質、教育、保育、防疫、診療、衛生材料、方向等について詳細な指示を与えた。今後は、何でも中央に頼っていたそれまでのやり方と異なり、日本本土においても、各軍管区毎の独立自給の方針に応じた衛生義務を行う事となった。





イタイイタイ病を究明した男 萩野昇

●驚愕!御用医学者をさかのぼると、すぐに731部隊に行き着く

水俣病問題

小島三郎国立予防衛生研究所所長の過去

小泉親彦と宮川米次の絆

ヒロシマからフクシマへ

宮川正

「想定外」 と日本の統治—ヒロシマからフクシマへ—

ビキニ「死の灰」世界各地へ

自衛隊とサリン

相模海軍工廠・寒川と平塚にあった秘密毒ガス工場

日本の国家機密

兒嶋俊郎さんを偲ぶ



●昭和天皇の戦争責任を問う!!大嘗祭反対!!


●昭和天皇(ハーバード・ピックス著『昭和天皇』より)
第3部   陛下の戦争
1931(昭和6)年―1945 (昭和20)年

第7章 満州事変




斎藤首相も同様に近視眼的だった。2月21日、貴族院秘密会で連盟に関する報告を行った際、斎藤は天皇と同様、連盟脱退の短期的影響など、些細なことかりに気を取らていだ。具体的にいえば、連盟とアメリカが南洋諸島の信託統治権を引き続き日本に認めるか否かといった問題である。読者は天皇が脱退の長期的な影響について彼に訊ねたと思うかもしれないが、しかし、そのようなことを示す証拠はいっさいない。
対外政策の新機軸は、日本人の自分自身と外部の世界に対する認識方法に変化をもたらした。古い支配エリートは世界恐慌の最悪の局面において民衆に希望と勇気を与えることに失敗した。国民は軍を支持することで対応したが、少なくとも軍部は民衆の窮状と不満を理解し、それを救おうとしていると思われていた。ひとたび国民が反中国、反欧米の排外主義に屈し、満州事変を認めてしまうと、軍部を阻む可能性は宮中グループだけに残された。天皇とその側近が毅然としていれば、アジア・モンロー主義―欧米からアジアを守る権利が日本にはあるという主張を表明したもの―への移行は、逆転していたかもしれない。しかし、宮中グループとその周辺もまた国際問題を敵対的な人種問題と見なす傾向にあり、どの路線をとるべきかをめぐり意見の一致がなく、そもそも日和見的だった。結局、彼らは軍部と協調したのである。



小泉親彦と昭和天皇

近現代史を《憲法視点》から問う~「湘南社」の憲法論議~

近代天皇制の真髄は

福沢諭吉

神武と戦争




憲法9条を生かそう!!


コメント
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細菌戦の系譜!!

2019-01-24 09:42:27 | Weblog
第20回『衛生学校記事』情報公開裁判
細菌戦部隊(731部隊と100部隊)パネル展を開催しませんか?
戦争の加害パネル展(横浜)
防衛費の異常な増加に抗議!!
第20回『衛生学校記事』情報公開裁判
第11a回『化学学校記事』情報公開裁判
731部隊の証言(第26回)(ビデオ学習会)
731部隊『留守名簿』(不二出版)2018年9月
京大 軍医博士論文の検証
731部隊『留守名簿』公開
ある元自衛官の回想 「化学学校の黒い霧」
第10回ビザ発給拒否・集会妨害国賠訴訟【9月21日(金)11:30~東京地裁415号室】
731部隊と「要塞」遺跡を訪ねる

日本は、あの侵略戦争を反省して、憲法9条を作った!!
平和条約締結は「日本が大戦の結果認めること」 露外相
●日本国憲法第9条
1、日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。
2、前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。

●ニュース
各地の県立高校などで相次ぐ「人骨」問題 6県16校、記録少なく

1/17/19 伊藤惇夫


玉城デニー県知事・金秀グループの呉屋守将会長・屋良朝博さんが鳩山友紀夫と議論



自民、日韓防衛協力の見直し論も レーダー照射問題

東京医大は赤字転落…助成金回復、早くて5年後

【大竹まこと×森永卓郎×倉田真由美】 日立のイギリス原発輸出撤退の裏側! 日本に生まれる新ビジネスチャンス



竹田会長の記者会見は本当に「潔白主張」なのか
海外メディア「かえって疑惑深まった」 JOC竹田会長の会見

【大竹まこと×金子勝×室井佑月】 日立がイギリス原発輸出を断念! 世界に逆行する日本と経団連の責任


森友・加計問題 疑惑の核心/下 政治家、官邸官僚… 「安倍側用人」を覆う「黒い霧」

「水俣病は終わらない」公式確認から60年―私たちに託されたメッセージ

松本元死刑囚らの死刑執行文書、ほぼ全て黒塗りで開示

“旧優生保護法”強制的な不妊手術 事業として推進(18/04/27)


真相を解明していないからこうなるのだろう!!
オウム13人死刑で「上川陽子法相」一生SPつきの生活


731部隊員・長友浪男軍医少佐の戦中・戦後、甲第1855部隊考、他


国立公文書館で公開された留守名簿を巡る問題


中国の侵略被害者の証言を聞く集い2018 11.30

●お知らせ




京大の「731部隊」論文疑惑(上) 勝間田秀樹(京都支局)

731部隊将校の学位取り消しを 人体実験疑い論文で京大に



「特殊部隊731」
秋山 浩著 (三一書房 1956年6月30日 発行)

731の編成と生い立ち
そう言って佐川技手は、ドイツの細菌研究所が、無傷のままソ連に占領されたため、ドイツと資料交換をしていた我が部隊の研究進度がわかり、ソ連はますます躍起となって強引な探索の手をのべているいることがわかったからだと説明した。
「ドイツのほか、アメリカもソ連も細菌戦の研究をやっているが、実際に使用しうる細菌爆弾を完成しているのは我が国だけだ。したがって諸君も、最後の勝利の鍵を握っている部隊の一員として、大いに自覚と誇りを持って軍機を守ってもらいたい。・・・・・今日は、ついでだから、我が部隊の沿革秘話というのを話して聞かせる」
私達新人3人と、私達よりわずかに半年ぐらい早い傭人が2人、佐川技手を囲んで腰を下ろした。
話は、こうである。
―昭和14年のノモンハン事件の頃までは、関東軍防疫給水部といって、現第1部長菊地中将が長であった。
関東軍治安下の満州各地において兵士たちを悩ました伝染性の地方病と飲料水対策が当初の主な任務であった。普通、黒河熱、孫呉(ソンゴ)熱などと呼ばれている原因不明の発熱は、地方によって症状が異なる上に、ヴィールスの正体を究明しえぬうち、いつの間にか自然に治癒してゆくので、便宜上その地名をふしたのである。


・陸軍軍医少佐 平澤正欣の学位授与授与の内容
(731資料センター会報28号より:西山勝夫「731部隊問題、克服への道」より)
1945年6月6日に京都大学医学部教授会で審査後纏められた平澤正欣論文要旨(国立公文書館学位授与記録より翻刻、京都大学公文書館の内容と同一)は以下の通り




京都大学は何を学位授与に値すると認定したか。【先人の見解と異なり「イヌノミ」もまた人類に対する「ペスト」媒介蚤なる新事実を発見せり】、人と獣(イヌ)、両方同じ媒体、「イヌノミ」により「ペスト」に感染すること、「ペスト」の人獣感染を新事実として評価しました。ネズミ、モルモットやサルで実験をやっていて、どうして人に感染したと言えるのでしょうか。
審査員の戸田元医学部長、木村医学部長は731部隊に教え子を送った人達です。彼らは、自らも陸軍軍医学校の嘱託研究員などを務め、戦後に戸田は金沢大学の学長、木村は名古屋市立大学学長になったことで知られています。
これらの論文を2014年から15年に検討し、15年3月の戦医研例会で紹介し、問題を、以下の4点にまとめました。
・実験対象がヒトであるにもかかわらず、「さる」と偽った
・当該対象者を治療することを目的とした実験ではなかった
・当該対象者の発症後も治療せずに死亡に至るまで経過を観察した
・死亡後の学位授与認可
・・・・・


「元満州中川村開拓団 私の敗戦回顧録」





日本は、日中戦争で国際法に違反して、毒ガス戦、細菌戦、無差別爆撃を行った。日本政府は、この事実をきちんと認めていない!!
●『日本の中国侵略と毒ガス兵器』 歩平著(山邊悠喜子、宮崎教四郎訳)明石書店より
第3章 毒ガスと毒ガス兵器の大規模生産

曽根の印象

だが、現在この訓練場はほとんど使われていない。いつもは彼1人が当直として勤務しているだけで、訓練のある時は小倉の隊本部から人が来るそうだ。彼は当直室の黒板に書いてある訓練の日程表を指しながら説明したが、実際、訓練は何回もなかった。私たちが意外に思ったのはこの部屋の造りや設備の古臭さ、まるで何十年か前のままのようであったことだ。塗料のはげかかった3つ引き出しのある机が1つあるだけで、机には鍵がついており、机の上にはこれも古くて黒い電話が置いてある。壁に貼ってある地図は墨と絵の具で簡単に描かれている。目の前にあるこれらの様子は、何年か前に訪問した事のある、遅れた農村を思い出させた。当直の人はさらに続ける。ここは確かにいつも使っているわけではないが、やはり自衛隊に所属しているので対外的に開放していないし、特に外国人の参観は許されないと念を押した。


東京第二陸軍造兵廠曽根製造所
平成十二年八月六日、「平和のための戦争展 in 北九州2000」の企画で、旧軍施設の見学会が催されました。見学先は、「東京第二陸軍造兵廠曽根製造所」跡地です。それに参加したときの写真です。 
ここは、表向きは普通の爆弾製造工場とされていましたが、実際は、「東京第二陸軍造兵廠忠海製造所(広島県竹原市大久野島)」製の毒ガスを、「小倉陸軍造兵廠(福岡県北九州市小倉北区)」製の砲弾・爆弾に充填する化学兵器製造所でした。日本の製造した毒ガス弾の2割がここで充填されたと言われています。

うっかり通用口を撮影し忘れました。入ってすぐに自衛官によるチェックがあったので、その周辺の撮影を躊躇ってしまいました。中に入ってすぐに、枯れ池がありましたが、当時のものでしょうか?また、建物があった跡のような場所もあちこちにあります。


●特集 軍拡に走る安倍政権と学術①

15年戦争中の「医学犯罪」に目を閉ざさず、繰り返さないために
1、戦争における医学者・医師たちの犯罪

西山勝夫さん(滋賀医科大学名誉教授)に聞く
にしやま・かつお=滋賀医科大学名誉教授、 15年戦争と日本の医学医療研究会事務局長、「戦争と医の倫理」の検証を進める会代表世話人、軍学共同反対連絡会共同代表

3、戦後、日本の戦争医学犯罪は裁かれなかったのか
■発足当時の学術会議における戦争医学犯罪の検証
―世界でも類例のない公選制で選ばれた日本の科学者の議会ともいわれる日本学術会議は1949年の「日本学術会議の発足にあたって科学者としての決意表明(声明)」で「これまでのわが国の科学者がとりきたった態度について強く反省し、今後は、 科学が文化国家ないし平和国家の基礎であるという確信の下に、わが国の平和的復興と人類の福祉増進のために貢献せんことを誓う」と述べています。そこでは、戦争医学犯罪についてはどのような反省がなされたのでしょうか。

日本学術会議は日本の科学者の内外に対する代表機関として、新たに7分野に分類された全国の科学者の分野ごとの無記名投票により選出される210 人の会員で構成されることなどが日本学術会議法(1949年7月10日制定)で規定されていました。
昨年着手した創立の頃の日本学術会議に関わる調査では、敗戦後の平和と民主主義を希求する情勢のなかで、日本学術会議でも学術体制の平和的・民主的改革を求める努力がなされたのですが、それに対して731部隊関係者らが異議を強硬に主張していたことが見えてきました。


昨年2018年12月に、『留守名簿 関東軍防疫給水部 満州第659部隊』2冊が発売されました!!(不二出版)



●「衛生学校記事」とはどんなものだろうか?
井上義弘【1904~1969(65歳)、石川県出身
1929年に台北医専卒、陸軍見習士官を経て1931年3等軍医、1948年軍医中佐、その間、陸軍軍医学校教官、陸軍医務局課員、シンガポールに設置された細菌戦部隊(南方軍防疫給水部9420部隊)に所属、戦後、第1復員省、厚生省復員局勤務、1953年復員局から保安庁に出向、陸上幕僚監部衛生課長、陸上自衛隊衛生学校第5代校長、陸上幕僚監部衛生監を歴任1960年退官。近代5種競技世界選手権大会(ブタペスト)に日本選手団長として参加中、1969年9月急逝。1969年日本体育協会近代5種・バイアスロン連合会副理事長となり、専門の体力医学の分野で活躍】
第4代衛生学校長であった金原が1957年12月突如転任になり、第5代の衛生学校長になったのが井上だ。両人とも戦時中の細菌戦部隊にかかわった人物である。それも金原は細菌戦部隊の指導的な立場にあった。それがアメリカの圧力か何かで、衛生学校長の職を転任になり、その後を井上が引き継いだ。
井上は、自衛隊に保管されていた731関連の資料を自宅に持ち帰り、保管していたが、ブタペストで急逝したため、何も知らない遺族がそれらの資料を廃棄してしまった。ところがそれが神田の古書店に行きつき、某大学の研究者の目に留まり、その大学で買い取った。そこで改めてその資料を検証すると、731部隊の毒ガス実験等の論文があった。某大学では、その買い取った731関連の資料や、731部隊のデータを使って書いた論文等は、以前はその大学研究者は許可を得て見ることができたが、今ではそれらを見ることができなくなっている。
又、京大の次に多くの医学者を731に送った東大も細菌戦に関する資料を公開せず問題になっている。
東京医大等の不正入試だけでなく、大学医学部の戦中の細菌戦関連の資料の隠蔽も今、大きな問題になっている。
※1955年に二木秀雄が精魂塔を多磨霊園に建立し、731部隊の戦友会「精魂会」が発足した。
1950年には日本ブラッドバンクが内藤良一(元731部隊員)らによって設立され、元731部隊員は復権に向けて動き出している。


復刊衛生学校記事1(2)(井上義弘)
1961年7月

昭和20年の頃

1、養衆の条件
食糧が戦争の遂行と戦力の維持に大きく影響することは、昔からわかりきっている事であったが、この種栄養失聴患者の発生には、国民の栄養形式も大きな関係あったのであろう。生産も消費も無理な統制を受けた食糧は逐次日本人の生活と遊離していった。
一方南九州の海岸から山の中まで隙間なく配備された兵士の間から発生した赤痢は、瞬く間に九州全土に広がり、四国、東海、関東の部隊でもこれに応ずるようにショウケツをきわめた。暑さに向かい、ハエが飛び回っても殺虫剤の補給は無く、治療薬品も不足して、今までの赤痢よりも死亡が多かった。日本内地の軍隊でこんなに赤痢の流行したのは初めて、連隊長で赤痢によって死亡した者もあった。





イタイイタイ病を究明した男 萩野昇

●驚愕!御用医学者をさかのぼると、すぐに731部隊に行き着く

水俣病問題

小島三郎国立予防衛生研究所所長の過去

小泉親彦と宮川米次の絆

ヒロシマからフクシマへ

宮川正

「想定外」 と日本の統治—ヒロシマからフクシマへ—

ビキニ「死の灰」世界各地へ

自衛隊とサリン

相模海軍工廠・寒川と平塚にあった秘密毒ガス工場

日本の国家機密

兒嶋俊郎さんを偲ぶ



●昭和天皇の戦争責任を問う!!大嘗祭反対!!


●昭和天皇(ハーバード・ピックス著『昭和天皇』より)
第3部   陛下の戦争
1931(昭和6)年―1945 (昭和20)年

第7章 満州事変



とりわけ牧野はそのような懸念に陥りやすく、アジアに対するモンロー主義の唱道に直面すると、英米協調路線に対する支持をたちまち、放棄してしまった。軍部と衝突するよりは、むしろ、ベルサイユ=ワシントン条約体制に長いこと寄せてきたみずからの信頼を捨てたのである。牧野はみずからが設立に助力した連盟を脱退するという昭和天皇の決定を支持したのだった。ある意味で、天皇と牧野は政治の頂点にあって変節の10年における最初の転向者となったのであった。
天皇や側近が、陸軍の大陸政策に代案を示すことで連盟脱退を回避しようとしたことを示す文書は存在しない。陸軍の勇敢な行為に陶酔した民衆の反応に影響され、あるいは天皇は賭けに出ることを決意したのかもしれない。外交的孤立を招くことはほとんど、あるいはまったく問題とされることなく、彼は内閣の決定を承認した。手に負えなくなった陸軍と良い関係を維持することは、当時の天皇にとって国際親善よりも重要だった。彼には、国際的な孤立が内閣と軍部との間の内部的、構造的な亀裂を修復する手段にはならないことがわかっていなかった。天皇が大元帥の大権を行使すればするほど、その亀裂は広がるかりだったのである。




小泉親彦と昭和天皇

近現代史を《憲法視点》から問う~「湘南社」の憲法論議~

近代天皇制の真髄は

福沢諭吉

神武と戦争




憲法9条を生かそう!!

コメント
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細菌戦の系譜!!

2019-01-23 10:19:58 | Weblog
第20回『衛生学校記事』情報公開裁判
細菌戦部隊(731部隊と100部隊)パネル展を開催しませんか?
戦争の加害パネル展(横浜)
防衛費の異常な増加に抗議!!
第20回『衛生学校記事』情報公開裁判
第11a回『化学学校記事』情報公開裁判
731部隊の証言(第26回)(ビデオ学習会)
731部隊『留守名簿』(不二出版)2018年9月
京大 軍医博士論文の検証
731部隊『留守名簿』公開
ある元自衛官の回想 「化学学校の黒い霧」
第10回ビザ発給拒否・集会妨害国賠訴訟【9月21日(金)11:30~東京地裁415号室】
731部隊と「要塞」遺跡を訪ねる

日本は、あの侵略戦争を反省して、憲法9条を作った!!
平和条約締結は「日本が大戦の結果認めること」 露外相
●日本国憲法第9条
1、日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。
2、前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。

●ニュース
玉城デニー県知事・金秀グループの呉屋守将会長・屋良朝博さんが鳩山友紀夫と議論



自民、日韓防衛協力の見直し論も レーダー照射問題

東京医大は赤字転落…助成金回復、早くて5年後

【大竹まこと×森永卓郎×倉田真由美】 日立のイギリス原発輸出撤退の裏側! 日本に生まれる新ビジネスチャンス


厚労省幹部ら処分 勤労統計不正、違反を認定



竹田会長の記者会見は本当に「潔白主張」なのか
海外メディア「かえって疑惑深まった」 JOC竹田会長の会見

【大竹まこと×金子勝×室井佑月】 日立がイギリス原発輸出を断念! 世界に逆行する日本と経団連の責任


森友・加計問題 疑惑の核心/下 政治家、官邸官僚… 「安倍側用人」を覆う「黒い霧」

「水俣病は終わらない」公式確認から60年―私たちに託されたメッセージ

松本元死刑囚らの死刑執行文書、ほぼ全て黒塗りで開示

“旧優生保護法”強制的な不妊手術 事業として推進(18/04/27)


真相を解明していないからこうなるのだろう!!
オウム13人死刑で「上川陽子法相」一生SPつきの生活


731部隊員・長友浪男軍医少佐の戦中・戦後、甲第1855部隊考、他


国立公文書館で公開された留守名簿を巡る問題


中国の侵略被害者の証言を聞く集い2018 11.30

●お知らせ




京大の「731部隊」論文疑惑(上) 勝間田秀樹(京都支局)

731部隊将校の学位取り消しを 人体実験疑い論文で京大に



「特殊部隊731」
秋山 浩著 (三一書房 1956年6月30日 発行)

731の編成と生い立ち
軍属も、細菌学に関係ある医学博士は日本中のほとんどが集められたといわれるほどで、将官待遇が十数人、佐官待遇は30人を超えるだろうとのことだった。部隊総員は2000人以上だという。また、「731」と呼びならされているこの部隊こそ、軍医の出世街道で、ここを通らなければ軍医関係で顔が利かず、大成は望めないという話も聞いたことがある。
しかし私は、自分が実際培養に携わっている細菌が爆弾となって、いかなる偉力を発揮しうるものかは、その時分まだ聞いていなかった。それを知るまでには、なお相当の期間が必要だったのである。
*     *     *     *     *     *
6月も半ばに近い、ある日の夕刻であった。
「部隊通告があったから、君たちにも伝えておく」
と言って、佐川技手が1枚の紙片を片手に入ってきた。
“隊員はますます防諜の心構えを強化し、一そう職務に勉励すべし”
そんな主旨のものだった。
「なぜ、この通達が出されたのか、それについて一言伝えておく・・・・」



・陸軍軍医少佐 平澤正欣の学位授与授与の内容
(731資料センター会報28号より:西山勝夫「731部隊問題、克服への道」より)
1945年6月6日に京都大学医学部教授会で審査後纏められた平澤正欣論文要旨(国立公文書館学位授与記録より翻刻、京都大学公文書館の内容と同一)は以下の通り




京都大学は何を学位授与に値すると認定したか。【先人の見解と異なり「イヌノミ」もまた人類に対する「ペスト」媒介蚤なる新事実を発見せり】、人と獣(イヌ)、両方同じ媒体、「イヌノミ」により「ペスト」に感染すること、「ペスト」の人獣感染を新事実として評価しました。ネズミ、モルモットやサルで実験をやっていて、どうして人に感染したと言えるのでしょうか。
審査員の戸田元医学部長、木村医学部長は731部隊に教え子を送った人達です。彼らは、自らも陸軍軍医学校の嘱託研究員などを務め、戦後に戸田は金沢大学の学長、木村は名古屋市立大学学長になったことで知られています。
これらの論文を2014年から15年に検討し、15年3月の戦医研例会で紹介し、問題を、以下の4点にまとめました。
・実験対象がヒトであるにもかかわらず、「さる」と偽った
・当該対象者を治療することを目的とした実験ではなかった
・当該対象者の発症後も治療せずに死亡に至るまで経過を観察した
・死亡後の学位授与認可
・・・・・


「元満州中川村開拓団 私の敗戦回顧録」





日本は、日中戦争で国際法に違反して、毒ガス戦、細菌戦、無差別爆撃を行った。日本政府は、この事実をきちんと認めていない!!
●『日本の中国侵略と毒ガス兵器』 歩平著(山邊悠喜子、宮崎教四郎訳)明石書店より
第3章 毒ガスと毒ガス兵器の大規模生産

曽根の印象

まだ、鉄条網の門の上に釘付けになっている門札のほうが様になっている。しかも、上に書いてある字は特に人の目を引く、漢字で。『部外者立ち入り禁止』と大書してある。このように閑散とした所をなぜこれほどまでに秘密にするのか?私はこれを見て、たとえこの訓練場の歴史を全然知らない人でも、この看板を見れば何となくおかしいと思うだろうに・・・と、心の中でつぶやいた。
正門に一番近い部屋は、門番の当直室だろう。警察犬が飛び出してきて、私達「招かれざる客」に吠え立てたが、もし鎖に繋がれていなかったらどうなったか?当直の人が中から出てきて私達に対応したので、この警察犬はやっと端の方へ身を引いたが、まだ警戒心は解かないようだ。当直は40歳前後の人で、略式の軍服を着ており、襟章も肩章もなかった。彼は私達に、この訓練場は自衛隊に属し、小倉駐屯部隊が管理しており、彼自身も自衛隊の隊員であると、説明した。


東京第二陸軍造兵廠曽根製造所
平成十二年八月六日、「平和のための戦争展 in 北九州2000」の企画で、旧軍施設の見学会が催されました。見学先は、「東京第二陸軍造兵廠曽根製造所」跡地です。それに参加したときの写真です。 
ここは、表向きは普通の爆弾製造工場とされていましたが、実際は、「東京第二陸軍造兵廠忠海製造所(広島県竹原市大久野島)」製の毒ガスを、「小倉陸軍造兵廠(福岡県北九州市小倉北区)」製の砲弾・爆弾に充填する化学兵器製造所でした。日本の製造した毒ガス弾の2割がここで充填されたと言われています。



敷地の内部に、当時の建物が密集して残っています。右側に二棟、正面に一棟、そして左側に三棟が見えています。 
右側手前から正面奥に向かい、そして左側奥から戻る順路で見学しました。自衛官同伴です。 


●特集 軍拡に走る安倍政権と学術①

15年戦争中の「医学犯罪」に目を閉ざさず、繰り返さないために
1、戦争における医学者・医師たちの犯罪

西山勝夫さん(滋賀医科大学名誉教授)に聞く
にしやま・かつお=滋賀医科大学名誉教授、 15年戦争と日本の医学医療研究会事務局長、「戦争と医の倫理」の検証を進める会代表世話人、軍学共同反対連絡会共同代表

3、戦後、日本の戦争医学犯罪は裁かれなかったのか
■隠蔽・極秘取引・タブー・無視と検証・克服
―これらのことについて、戦後の医学界・医療界、医学者・医師はどのように向き合ってきたのでしょうか。団体の動きや、個人の発言などもふくめて紹介してください。

世界医師会は、権力に屈して医師の使命に背反したナチ医学の過ちを繰り返すまいということで、1948年9月にスイス、ジュネーブで開催された世界医師会第2回総会で採択したジュネーブ宣言 (2006年までに5回改訂) では「私は、たとえいかなる脅迫があろうと、生命の始まりから人命を最大限に尊重し続ける。また、人間性の法理に反して医学の知識を用いることはしない」を明示しました。日本医師会も1951年に「医師の倫理」を定めたのですが、「医師は、正しい医事国策に協力すべきである」という、ジュネーブ宣言とは程遠い規定が盛り込まれていました(2000年に「医の倫理綱領」に改定)。
その後、731部隊関係者の多くが役員になり、戦中開発した技術の応用で起業(朝鮮戦争勃発5カ月後の1950年11月)した「日本ブラッドバンク」(1964年に「ミドリ十字」に社名変更)は、血液製剤による肝炎や薬害エイズの問題を惹き起こしました。


昨年2018年12月に、『留守名簿 関東軍防疫給水部 満州第659部隊』2冊が発売されました!!(不二出版)



●「衛生学校記事」とはどんなものだろうか?
井上義弘【1904~1969(65歳)、石川県出身
1929年に台北医専卒、陸軍見習士官を経て1931年3等軍医、1948年軍医中佐、その間、陸軍軍医学校教官、陸軍医務局課員、シンガポールに設置された細菌戦部隊(南方軍防疫給水部9420部隊)に所属、戦後、第1復員省、厚生省復員局勤務、1953年復員局から保安庁に出向、陸上幕僚監部衛生課長、陸上自衛隊衛生学校第5代校長、陸上幕僚監部衛生監を歴任1960年退官。近代5種競技世界選手権大会(ブタペスト)に日本選手団長として参加中、1969年9月急逝。1969年日本体育協会近代5種・バイアスロン連合会副理事長となり、専門の体力医学の分野で活躍】
第4代衛生学校長であった金原が1957年12月突如転任になり、第5代の衛生学校長になったのが井上だ。両人とも戦時中の細菌戦部隊にかかわった人物である。それも金原は細菌戦部隊の指導的な立場にあった。それがアメリカの圧力か何かで、衛生学校長の職を転任になり、その後を井上が引き継いだ。
井上は、自衛隊に保管されていた731関連の資料を自宅に持ち帰り、保管していたが、ブタペストで急逝したため、何も知らない遺族がそれらの資料を廃棄してしまった。ところがそれが神田の古書店に行きつき、某大学の研究者の目に留まり、その大学で買い取った。そこで改めてその資料を検証すると、731部隊の毒ガス実験等の論文があった。某大学では、その買い取った731関連の資料や、731部隊のデータを使って書いた論文等は、以前はその大学研究者は許可を得て見ることができたが、今ではそれらを見ることができなくなっている。
又、京大の次に多くの医学者を731に送った東大も細菌戦に関する資料を公開せず問題になっている。
東京医大等の不正入試だけでなく、大学医学部の戦中の細菌戦関連の資料の隠蔽も今、大きな問題になっている。
※1955年に二木秀雄が精魂塔を多磨霊園に建立し、731部隊の戦友会「精魂会」が発足した。
1950年には日本ブラッドバンクが内藤良一(元731部隊員)らによって設立され、元731部隊員は復権に向けて動き出している。


復刊衛生学校記事1(2)(井上義弘)
1961年7月

昭和20年の頃

1、養衆の条件
昭和20年3月23日付、憲兵司令官から陸軍大臣へ報告した中に、はなはだしく給食量の少ない部隊として、中部第31部隊2400カロリー、決第6668部隊2368カロリー等があげてある。決部隊は機動力の優秀な決戦兵団として御殿場付近に駐留していたのであるが、前記の部隊すなわち山砲兵第93連隊は栄養失調の発生で一躍有名になったのであった。この報告には、市場で陸軍、海軍、軍需工場の三者が魚菜の買付競走を行う事や、統制の関係、牛豚の密殺等について書き、次いで「入隊兵の体位低下と、下級幹部の保育並びに内務指導の不適切に基因する過労、睡眠不足、食事分配の不公平、馬糧、残飯その他調理品の盗食は、近来まれなる寒気の来襲と相まってますます患者の発生を助成せしめたり。」といい、「食糧不足による犯罪非行多発し、一部においては軍の威信をしてあり。本事象にかんがみ、軍は軍隊内部の緊粛、特に下級幹部の保育に関する識能の向上を図ると共に、自給態勢をいよいよ強化し、反面地方側を啓もうして『軍隊のみは飽食しあり』との誤れる通念を一掃せしめ・・・・」意見を述べている。





イタイイタイ病を究明した男 萩野昇

●驚愕!御用医学者をさかのぼると、すぐに731部隊に行き着く

水俣病問題

小島三郎国立予防衛生研究所所長の過去

小泉親彦と宮川米次の絆

ヒロシマからフクシマへ

宮川正

「想定外」 と日本の統治—ヒロシマからフクシマへ—

ビキニ「死の灰」世界各地へ

自衛隊とサリン

相模海軍工廠・寒川と平塚にあった秘密毒ガス工場

日本の国家機密

兒嶋俊郎さんを偲ぶ



●昭和天皇の戦争責任を問う!!大嘗祭反対!!


●昭和天皇(ハーバード・ピックス著『昭和天皇』より)
第3部   陛下の戦争
1931(昭和6)年―1945 (昭和20)年

第7章 満州事変



興味深いことに、内閣が連盟脱退を決めたその同じ日に、牧野は日記に次のように記した。
連盟脱退問題は其意味を十分に玩味せず、只脱退に依り大に目的を達したる如く、脱退が恰も目的なるが如く思ひ込み、其目的達成に狂奔の言論界の現状、帝国人心の軽徴〔佻〕を示すものにして、前途の為め憂慮に堪へず。時日経過の後は必ず悟るところあるを信ず。

牧野は満州事変への支持を生みだしたメディアの役割をさらに拡大することができたが、反国際連盟の宣伝に無批判な民衆の反応について彼の判断は誤っていなかった。多くの人は右へ、左へ、あるいは180度違う方向に簡単に影響を受けてしまう。しかし、牧野自身や天皇はどうだったのだろうか。膨張政策の信念、軍を統制するため天皇の権威をどのように用いるかという点についての見解の不一致、社会不安の懸念、宮廷が軍事的拡張政策に宥和的な態度をとったのはこのような背景からであった。




小泉親彦と昭和天皇

近現代史を《憲法視点》から問う~「湘南社」の憲法論議~

近代天皇制の真髄は

福沢諭吉

神武と戦争




憲法9条を生かそう!!

コメント
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細菌戦の系譜!!

2019-01-23 10:17:29 | Weblog
第20回『衛生学校記事』情報公開裁判
細菌戦部隊(731部隊と100部隊)パネル展を開催しませんか?
戦争の加害パネル展(横浜)
防衛費の異常な増加に抗議!!
第20回『衛生学校記事』情報公開裁判
第11a回『化学学校記事』情報公開裁判
731部隊の証言(第26回)(ビデオ学習会)
731部隊『留守名簿』(不二出版)2018年9月
京大 軍医博士論文の検証
731部隊『留守名簿』公開
ある元自衛官の回想 「化学学校の黒い霧」
第10回ビザ発給拒否・集会妨害国賠訴訟【9月21日(金)11:30~東京地裁415号室】
731部隊と「要塞」遺跡を訪ねる

日本は、あの侵略戦争を反省して、憲法9条を作った!!
平和条約締結は「日本が大戦の結果認めること」 露外相
●日本国憲法第9条
1、日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。
2、前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。

●ニュース
勤労統計不正で厚労省が陳謝 「裏切られた」の声も(19/01/17)



竹田会長の記者会見は本当に「潔白主張」なのか
海外メディア「かえって疑惑深まった」 JOC竹田会長の会見

【大竹まこと×金子勝×室井佑月】 日立がイギリス原発輸出を断念! 世界に逆行する日本と経団連の責任


森友・加計問題 疑惑の核心/下 政治家、官邸官僚… 「安倍側用人」を覆う「黒い霧」

厚労省、勤労統計の不正調査問題 追加支給2015万人に拡大…総額800億円に


辺野古県民投票求めたハンスト終了 105時間、医師がストップ

「水俣病は終わらない」公式確認から60年―私たちに託されたメッセージ

松本元死刑囚らの死刑執行文書、ほぼ全て黒塗りで開示

“旧優生保護法”強制的な不妊手術 事業として推進(18/04/27)


真相を解明していないからこうなるのだろう!!
オウム13人死刑で「上川陽子法相」一生SPつきの生活


731部隊員・長友浪男軍医少佐の戦中・戦後、甲第1855部隊考、他


国立公文書館で公開された留守名簿を巡る問題


中国の侵略被害者の証言を聞く集い2018 11.30

●お知らせ




京大の「731部隊」論文疑惑(上) 勝間田秀樹(京都支局)

731部隊将校の学位取り消しを 人体実験疑い論文で京大に



「特殊部隊731」
秋山 浩著 (三一書房 1956年6月30日 発行)

731の編成と生い立ち
部隊の編成は、第1部、第2部、第3部、及び総務部、教育部に分かれていた。第1部は、ペスト・コレラ・チフス・ジフテリア・結核・ガス壊疽・破傷風・馬鼻疽等、あらゆる伝染性病原菌の利用と予防法を研究する。第2部が細菌爆弾や濾水機の製作と、細菌戦実施の際の気象条件の研究に当る。そして第3部は、朝比奈班と言って、麦角病・豆類立枯病・玉蜀黍黒穂病等の対農作物攻撃用細菌の研究であった。そのほか、輸送機7機を持つ飛行班が第2部に属していた。
来住野と森島は、気象班につめていたが、気象観測のほか、随時、使役にだされて部内を転々しているのだという。
さらに、総務部にいる浜中の話によると、ハイラル・ノンコウ・黒河・牡丹江などに研究支所、安達に野外実験所があるとのことだった。
また、第2部の分派として北鮮の山中に地下工場があり、殺人光線と原子爆弾の研究が進められているという噂があった。日本が特殊な新兵器を完成しつつあるという噂は、内地でもしばしば耳にしたのだったから、私はいよいよそれを信じる気持になっていた。
「すごいんだぜ。部隊の予算はな、1000万円なんだそうだ。1つの部隊で、こんなに金を使っているのは、ほかにないんだとさ」
浜中は、聞きかじってきたことを、得々としてしゃべったことがある。
もっとも、部隊とはいえ、軍医中将が3人、少将が5人か6人、大佐が10人ほど、中佐・少佐が20数人、尉官、見習士官となると約300人もいるといわれた。



・陸軍軍医少佐 平澤正欣の学位授与授与の内容
(731資料センター会報28号より:西山勝夫「731部隊問題、克服への道」より)
1945年6月6日に京都大学医学部教授会で審査後纏められた平澤正欣論文要旨(国立公文書館学位授与記録より翻刻、京都大学公文書館の内容と同一)は以下の通り




京都大学は何を学位授与に値すると認定したか。【先人の見解と異なり「イヌノミ」もまた人類に対する「ペスト」媒介蚤なる新事実を発見せり】、人と獣(イヌ)、両方同じ媒体、「イヌノミ」により「ペスト」に感染すること、「ペスト」の人獣感染を新事実として評価しました。ネズミ、モルモットやサルで実験をやっていて、どうして人に感染したと言えるのでしょうか。
審査員の戸田元医学部長、木村医学部長は731部隊に教え子を送った人達です。彼らは、自らも陸軍軍医学校の嘱託研究員などを務め、戦後に戸田は金沢大学の学長、木村は名古屋市立大学学長になったことで知られています。
これらの論文を2014年から15年に検討し、15年3月の戦医研例会で紹介し、問題を、以下の4点にまとめました。
・実験対象がヒトであるにもかかわらず、「さる」と偽った
・当該対象者を治療することを目的とした実験ではなかった
・当該対象者の発症後も治療せずに死亡に至るまで経過を観察した
・死亡後の学位授与認可
・・・・・


「元満州中川村開拓団 私の敗戦回顧録」




日本は、日中戦争で国際法に違反して、毒ガス戦、細菌戦、無差別爆撃を行った。日本政府は、この事実をきちんと認めていない!!
●『日本の中国侵略と毒ガス兵器』 歩平著(山邊悠喜子、宮崎教四郎訳)明石書店より
第3章 毒ガスと毒ガス兵器の大規模生産

曽根の印象

私は疑問を岡田老人に向けた。「当時工室で仕事をしていたとき、危険は感じなかったのですか?」と。
「とても危険でした。そのときの毒ガス填実の設備はとてもお粗末で、つまり、旧入管で毒剤で吸って砲弾のなかに入れるのだから、入れる過程でいつも残留毒剤が外に漏れ出る。何回も拭き取るのだが、やはり完全に拭き取ることはできない。工室のなかはいつも毒ガスの臭いがたちこめ、防毒マスク被っていてもかなり苦しいから、作業で被害を受けなかった者はいない。だから私達は被害者のための組織を作ったのです」
塀に沿って約200mほど行くと、窪地に口が開いた所がある。ここが正門の位置だ。門柱には地色を塗ってない木の門札がかかっている。黒い墨で『陸上自衛隊曽根訓練場』と、書かれているが、、字とその門札といいなんと貧弱なことか。



●特集 軍拡に走る安倍政権と学術①

15年戦争中の「医学犯罪」に目を閉ざさず、繰り返さないために
1、戦争における医学者・医師たちの犯罪

西山勝夫さん(滋賀医科大学名誉教授)に聞く
にしやま・かつお=滋賀医科大学名誉教授、 15年戦争と日本の医学医療研究会事務局長、「戦争と医の倫理」の検証を進める会代表世話人、軍学共同反対連絡会共同代表

3、戦後、日本の戦争医学犯罪は裁かれなかったのか
■隠蔽・極秘取引・タブー・無視と検証・克服
―これらのことについて、戦後の医学界・医療界、医学者・医師はどのように向き合ってきたのでしょうか。団体の動きや、個人の発言などもふくめて紹介してください。

日本医師会は、日本医師会年次代議員会(1949年3月30日)で「日本の医師を代表する日本医師会は、この機会に、戦時中に敵国人に対して加えられた残虐行為を公然と非難し、また断言され、そして時として生じたことが周知とされる患者の残虐行為を糾弾するものである」 という声明文を決議して世界医師会(第1回総会、1947年9月18日)への加盟が認められました。しかし、日本医師会は731部隊問題については声明文の決議で解決済みとして、自ら検証をすることを怠り、現在に至っています。


昨年2018年12月に、『留守名簿 関東軍防疫給水部 満州第659部隊』2冊が発売されました!!(不二出版)



●「衛生学校記事」とはどんなものだろうか?
井上義弘【1904~1969(65歳)、石川県出身
1929年に台北医専卒、陸軍見習士官を経て1931年3等軍医、1948年軍医中佐、その間、陸軍軍医学校教官、陸軍医務局課員、シンガポールに設置された細菌戦部隊(南方軍防疫給水部9420部隊)に所属、戦後、第1復員省、厚生省復員局勤務、1953年復員局から保安庁に出向、陸上幕僚監部衛生課長、陸上自衛隊衛生学校第5代校長、陸上幕僚監部衛生監を歴任1960年退官。近代5種競技世界選手権大会(ブタペスト)に日本選手団長として参加中、1969年9月急逝。1969年日本体育協会近代5種・バイアスロン連合会副理事長となり、専門の体力医学の分野で活躍】
第4代衛生学校長であった金原が1957年12月突如転任になり、第5代の衛生学校長になったのが井上だ。両人とも戦時中の細菌戦部隊にかかわった人物である。それも金原は細菌戦部隊の指導的な立場にあった。それがアメリカの圧力か何かで、衛生学校長の職を転任になり、その後を井上が引き継いだ。
井上は、自衛隊に保管されていた731関連の資料を自宅に持ち帰り、保管していたが、ブタペストで急逝したため、何も知らない遺族がそれらの資料を廃棄してしまった。ところがそれが神田の古書店に行きつき、某大学の研究者の目に留まり、その大学で買い取った。そこで改めてその資料を検証すると、731部隊の毒ガス実験等の論文があった。某大学では、その買い取った731関連の資料や、731部隊のデータを使って書いた論文等は、以前はその大学研究者は許可を得て見ることができたが、今ではそれらを見ることができなくなっている。
又、京大の次に多くの医学者を731に送った東大も細菌戦に関する資料を公開せず問題になっている。
東京医大等の不正入試だけでなく、大学医学部の戦中の細菌戦関連の資料の隠蔽も今、大きな問題になっている。
※1955年に二木秀雄が精魂塔を多磨霊園に建立し、731部隊の戦友会「精魂会」が発足した。
1950年には日本ブラッドバンクが内藤良一(元731部隊員)らによって設立され、元731部隊員は復権に向けて動き出している。


復刊衛生学校記事1(2)(井上義弘)
1961年7月

昭和20年の頃

1、養衆の条件
昭和20年2月までに、栄養失調症の発生を報告した内地部隊の大部分は野戦師団であった。その中でも馬を扱う部隊に多く、かつ主として初年兵であった。栄養失調の最もはなはだしい部隊では、月例身体検査の平均体重が次表のような推移を示したものがあり、背筋力86㎏(一般の約60%)、握力右18、左15㎏(一般の約40%)で、40㎏のものを持ち上げる事すら不可能であったと報告された。






イタイイタイ病を究明した男 萩野昇

●驚愕!御用医学者をさかのぼると、すぐに731部隊に行き着く

水俣病問題

小島三郎国立予防衛生研究所所長の過去

小泉親彦と宮川米次の絆

ヒロシマからフクシマへ

宮川正

「想定外」 と日本の統治—ヒロシマからフクシマへ—

ビキニ「死の灰」世界各地へ

自衛隊とサリン

相模海軍工廠・寒川と平塚にあった秘密毒ガス工場

日本の国家機密

兒嶋俊郎さんを偲ぶ



●昭和天皇の戦争責任を問う!!大嘗祭反対!!


●昭和天皇(ハーバード・ピックス著『昭和天皇』より)
第3部   陛下の戦争
1931(昭和6)年―1945 (昭和20)年

第7章 満州事変



天皇はこの機に詔書を渙発した。天皇と牧野に相談して外務省亜細亜局長谷正之が起草した詔書は、「文武互に其の職分に恪循(かくじゅん)〔つつしみ従う〕し衆庶各其の業務に淬励(さいれい)〔つとめはげむ〕嚮(むか)ふ所正を履(ふ)み行ふ所中を執り協戮(きょうりく)邁往〔協力通進〕以て此の世局に処し」と、軍部にはあまり効き目のない説諭を含んでいた。しかし、そこに込められた真の趣旨は、満州問題をめぐる見解の相違が政府の連盟脱退を余儀なくさせたと断言することだった。それにもかかわらず、詔書は脱退が「連盟の根本精神」に反するものではなく、日本は「人類の福祉のために」引き続き尽くすものであると宣言した。明らかに否定すべき行動を、本質的に肯定的かつ好意的に表現したのであり、詔書はあらゆることをないまぜにした言葉の寄せ集めとなったのである。これは初期の実例であるが、間もなく通常のやり方となっていった。つまり、相反する行動を組み合わせることで解決の見込みのない内部対立を隠蔽し、実際、何の同意にも至ってないのに、一致を見たように当たりさわりなく、要するに盲目的に断定するようなやり方である。



小泉親彦と昭和天皇

近現代史を《憲法視点》から問う~「湘南社」の憲法論議~

近代天皇制の真髄は

福沢諭吉

神武と戦争




憲法9条を生かそう!!

 
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