「部外秘 参考資料 CBR講習資料」11頁 作成日時不詳 陸上幕僚監部化学科より
d旧日本軍の細菌戦活動
旧日本軍の石井部隊は又の名を関東軍防疫、給水、731部隊、加茂部隊、特25204部隊と呼ばれた。細菌戦闘専門の特殊部隊であった。隊の設立は昭和6(1931)年で満州の研究所完成は昭和10(1935)年である。日本軍細菌戦部隊の本拠は満州ハルビン郊外濱江省(ひんこうしょう)双城県平房の4階建近代建築でその中で遮断隔離の生活をしていた。設備は爆撃機(細菌撒布用)10機、1000kwタービン発電機2台である。この本部の元に、孫呉、海拉爾(ハイラル)、牡丹江、林口、大連の5支部があり、大連のものは大連研究所または松林機関とも言われていた。他の部課は細菌の攻撃方法、容器散布方法、防疫問題を研究していた。最も力を入れたのはヒタツリ菌(注:脾脱疽菌)であった。この菌を粉末にして榴散弾の70g位の鉛製弾子に混ぜ、これを砲弾内に詰め、炸薬が爆発すると弾子が飛散して人馬に感染さすようになっている。実験場所は731部隊研究所から北に300(?)㎞ばかりのアンダ飛行場を使用した。そして砲弾が爆発しても菌の40%は生きていること及び培養器に飛ばされた菌は確実に付着する事、負傷者は発病することが確認されている。1938年中国廬山の戦闘で日本軍が毒ガス、ホスゲンを使用したという2,3の細菌記録がある。この記録を持つ731部隊は1945年8月9日午前6時ハルビンの工兵、歩兵、砲兵によって徹底的に破壊され付属設備は地上から姿を消した。ソ連の対日参戦による退却の結果である」
長岡大学 研究論叢 第16号より(2018年8月)
・・・731部隊に関する概要が正確に記述されており、更に1938年に毒ガスを作戦で使用したことまで記している。これは化学学校の教育部長が、特殊課程の学生に講義した内容である。内容は事実であると確認して行ったと考えるほかはない。戦後自衛隊は731部隊の実態とその活動を把握した上で、何ら反省することなく自衛官に「教育」してきたのである。また教科書裁判では日本政府は長きにわたり731部隊の活動の事実認定さえ回避してきたが、陸上自衛隊の内部教育資料にも明記されるほど、自衛隊幹部周知の事実だったのであり、日本政府は一貫して内外に虚偽の主張をしてきたと言える。
「このようにして日本の医師の戦争政策への積極的な協力が行われていったのであるが、直接的な戦闘行為への協力の中で極めて非人道的な、目を覆わざるを得ないものに、細菌戦の準備があった。細菌戦の準備と実行を持った特殊部隊は、昭和10年(1935)夏、石井四郎を部隊長に満洲で編成され「関東軍防疫給水部」と称せられた。
昭和17年頃に「第731部隊」に昇格し、その研究、実験、製造は急に活発になった。(昭和14年のノモンハン事件に参加し、感状をもらっている)この部隊は細菌の製造、兵器としての細菌の利用、人体実験等を行い、施設として、常備爆撃機10機、1000kw発電機2台、隊員及び家族訳6000名、年間研究費予算8000千円以上と言われている。
勿論、この部隊に多くの医学者が参加した。このことから、科学者としての責任の問題と同時に戦争責任が問題になってくる。
細菌戦準備への医学者の参加は、戦争責任の最も極端な場合として提起したわけであるが、このことの深い反省の上に戦後の再建も始められる必要があったし、現在でもなお問題とされねばならない。」
731部隊の史実を語り継ぐ連続学習会第1回
731部隊と人権ー裁判から考える
731部隊の史実を語り継ぐ連続学習会第2回
(以下、パネル展の内容)
2020「731部隊 戦前・戦後の医学ー医学と人権を考える」 1
2020「731部隊 戦前・戦後の医学ー医学と人権を考える」2
2020「731部隊 戦前・戦後の医学ー医学と人権を考える」3
隠された毒ガス兵器
『従軍日記』 小津安二郎
森友・加計問題などで公文書改ざん、事実の隠蔽などが問題になっているが、敗戦時の証拠隠滅、文書焼却、事実の隠蔽は、その比ではない!今も
続く歴史改ざん!!
「公文書管理を考える」(4) 磯田道史・国際日本文化研究センター准教授
新宿・謎の人骨100体・731部隊【歴史解説】
1989年7月22日、新宿で謎の人骨が大量に発見された
歴史改ざん(「風を読む」)
●今の日本人は、まさかと思うかもしれない。
今、世界中で猛威を振るっている新型コロナウィルス。これは、細菌戦(生物戦)ではないのか?
過去に、日本が中国で行なった細菌戦のように。(以下は現在分かっている細菌戦)
日本政府・日本医学界が、真摯に過去に向き合い、生物兵器を作ったことを謝罪し、今のこの難局に立ち向かわない限り、オリンピック開催はないであろう。
東大医学部を卒業、将来を期待される医学者でありながら、731部隊の恐ろしい体験から、そしてその731部隊に参加したという罪の意識から、戦後医学者の道を捨ててしまった男、秋元寿恵夫
元731部隊員(第十課 血清班班長)秋元寿恵夫の言葉
「もしもバイオテクノロジーが軍事研究の魔の手に捕らえられた時の行き先がどうなるのかの危険性は、「ひょっとしたら人間の知能などを変える」どころか、さらには人類にとって取り返しのつかない害悪をもたらす生物兵器の出現につながっていくかもしれないのである。」
1939年 731部隊 ノモンハン戦争にて細菌戦(チフス菌、コレラ菌、赤痢菌)を行う
*1940年は皇紀2600年(神武が即位して2600年??)東京オリンピックや万博が開催される予定であったが、戦争の為中止!!
1940年 6月4日 731部隊、農安大賚・農安で細菌戦(ペスト菌)を行う
10月 4日 731部隊、衢州で細菌戦(ペスト菌)を行う
10月27日 731部隊、寧波で細菌戦(ペスト菌)を行う
1941年11月4日 731部隊、湖南省常徳で細菌戦(ペスト菌)を行
1942年17月 100部隊は、ハイラルの北約120キロのソ連国境で行なった「三河演習」で鼻疽菌の生存期間を測定、炭疽菌の土 壌への浸透力の調査した
8月 731部隊、湖南省江山、常山、衢県、麗水、江西省広信、広豊、玉山で細菌戦(ペスト、コレラ、チフス)を行う
1943年12月 100部隊第2部に細菌戦準備の第6科を設置
10分で学びなおす 「731部隊」より(『週刊現代』より)
1929年11月7日昭和天皇陸軍軍医学校視察
731部隊は、石井四郎が、細菌戦の司令塔ではなかった。誰が裏で司令塔になっていたのだろうか?小泉親彦陸軍軍医総監、宮川米次第5代東大伝研所長、大元帥昭和天皇等がバックにいた。
NHKスペシャル 「731部隊の真実~エリート医学者と人体実験~」 2017年8月13日
●日本政府は、新宿戸山の軍医学校跡地(現国立感染症センター)から見つかった人骨の身元調査を早急にして、遺族に返還し、きちんと謝罪すべきだ!!
実験医学雑誌第14巻雑報
14巻4号(1930(昭和5)年
雑報
◎学術集談会開催
3月20日(木)午後1時より所内講堂に於いて学術集談会を開催。演題下の7題である。
南京鼠腹腔液中に出現する鼠咬症Spirochaetaの研究、追加特にAgglomeration現象について
鯛瀬國一
2.血液並びに腹腔液中に出現せる本Spの運命は血液中にては感染当所かなり多数出現するも漸次減少し2-4か月を経過すれば数視野、数Ⅰ0視野に1匹これを発見するが予期により発見し得ざる事あるも全経過を通じ完全に消失する事なし。腹腔液中の出現経過はあるネズミに於いては出現最頂に達したるのち斃死に至るまで出現数に異動を来さざるも、ある鼠に於いては甚だ動揺を来す事あり。
されど長時日を経過し南京鼠の老衰の域に達したるものにては大抵多数のSp出現を来すを常とし余等は最も長き観察350Hにて斃死せるものにては1視野50匹以上を算したり。
即ち本Sp感染南京鼠は自然治療は考へ得られざるなり。
伝染病研究所の写真は、『傳染病研究所』小高健著より
日本政府は、中国で行った細菌戦や生体実験の事実を、(日本の裁判所は事実認定をしている)未だに隠し続け、その事実を認めていない。勿論謝罪もしない。日本軍が中国に遺棄してきた生物兵器は戦後、どのようになったのだろうか?
この新型コロナウィルスに影響しているのだろうか?
今、日本人は過去に犯した戦争犯罪を直視し、きちんと歴史事実に向き合う時ではないのか?
●細菌戦裁判資料集シリーズ・第8集(2002年10月31日)
「731細菌戦裁判・第1審判決特集号」の発行にあたって
本書第8集は、細菌戦裁判の第1審判決(東京地方裁判所民事第18部)の後、開催された判決報告集会、記者会見、意見交換会等での発言を編集したものです。
第3部
第1審判決に対する中国の各界の支援の声
4章 中国各地の研究者、支援者から
21世紀に向けて歴史の負の遺産を解決しよう
歩平(黒龍江省社会科学院副院長)
中日関係の歴史研究者として、私はこの訴訟は単なる賠償問題、被害者個人の利益に関わるだけの問題ではないと考えます。私は、裁判所がより高い視点から未来の中日関係の発展を重んじ、21世紀という立場から歴史的問題を考え、判断しなければならない使命を帯びていると思います。
周知のように、中日間の歴史問題は、絶えず両国の関係に影響を与える重要な要素でした。中日関係の発展とアジア及び世界平和を求める人達は、戦争の残した傷跡を徹底的に取り除き、中日間の戦争被害者の賠償問題と歴史認識問題を正しく処理し、新しい国際関係を打ち立てることを望んでいます。
731部隊員が多く入った国立予防衛生研究所(現・国立感染症研究所)や自衛隊などでの生物兵器の開発・研究も行われているのではないか?
●日本政府は、731部隊の罪業を、公開せず、秘匿し、戦後全く無反省である!!最高責任者の昭和天皇も戦犯免責された!!
安倍晋三は何でこんな行動がとれるのだ??無反省のまま、ずっと生き延びられるのか??
安倍首相の731戦闘機試乗 「止まらない挑発」の非難
五月五日
午前六時半起床す 衛生勤務 雨 風あり 花一朝にて消ゆ 人生の命又はかなし 都落ちの悲しさを見る。涙を以っ心からご同情する 兄弟よ小供よ 御丈夫でね。
雨だ 五月雨ではないが内地式に何となくぴったり来ない 何分冷えるからやりきれない。八度と云ふ温度では大したことなさぞうだが 吐く息が白く見えるんだから。少しは冷たい譯には譯だが 近頃風が非常に猛烈故 あんなに咲き誇った花が見事といってもよい位に散ってしまい 見苦しい残骸を残しているが なんとなくセンチメンタル?花も可愛そうなものだ。
Ⅳ 人間の威厳について
それは僕にとって、最も重要な選択の問題となった。僕は若い兵士の行為に感動しながら、その反面、一体自分の死を賭けてまで守り抜かねばならぬ重要事が、この世の中にあるのだろうか。とエゴイスティクに生命を愛している不安な子どもらしく疑ったのである。この世界の新参者で、まだ何一つ成し遂げていなかった僕は、自己の死を言いようもなく恐ろしいものに感じていた。もし、僕が、一つの秘密を打ち明けねば殺されてしまう、というような選択を強いられたなら、僕は不甲斐なくどのような秘密でも打ち明けるだろう。死を賭して迄なお屈伏しないこと、死に至るまで抵抗すること、それが可能な人間に、僕はいつなれるのだろうか?
唯一の戦争被爆国 日本政府は核兵器禁止条約に署名・批准してください!
日本は、日中戦争で国際法に違反して、細菌戦、毒ガス戦、無差別爆撃を行った。日本政府は、この事実をきちんと認めていない!!
●『細菌戦部隊』
731研究会編 1996年9月(核時代51年)初版発行
Ⅰ 731部隊
終生の重荷
脳裏にこびりついて離れない断末魔の形相
千田英男(ちだ ひでお)
731部隊・教育部
〈略歴〉
1917年生まれ
1942年 731部隊入隊
教育部付き衛生兵教育
吉村班、植村班、教育部庶務を歴任
■この証言は戦争体験を記録する会(宮城県)編『雲はかえらず』所収「終生の重荷」(1974年)より転載したもの
生体実験
昭和17(1942)年春の事だった。入営依頼住み慣れた東満国境の部隊から関東軍防疫給水部に転勤になった時、私に与えられた職務は教育部付きとして各支部に配属される衛生兵の教育だった。それが終了した後、第1部吉村班に出向ということになった。
ここは主として凍傷に関する研究を担当していて、私が行った時、たまたま喝病〔原文ママ〕の生体実験が行われている最中だった。それまでこの部隊は防疫給水、特に濾水機の製造補給が主な任務と聞いていた私には、初めて接する部隊の隠された側面にただ驚くばかりであった。堅牢なガラス張りの箱に全裸の人間を入れ、下から蒸気を注入して人工的に喝病にかかりやすい気象条件を作り出して罹患させ、臨床的、病理的に観察し、その病因を究明するためのものだった。
●『証言 人体実験(731部隊とその周辺)』
中央档案館、中国第2歴史档案館、吉林省社会科学院編
江田憲治、兒嶋俊郎、松村高夫編訳
六 第731部隊の各支隊
1 関東軍第100部隊
鈴木元之供述書(1954年9月3日)
〔中略〕
1942年4月から10月、技術向上のため、日本軍100部隊で専門に家畜細菌についての訓練を受けた。この間、我々受講生は内蒙古比爾特及び比爾特帕烏斯旗地区へ実習に行かされた。
細菌検査活動に参加し、共同で羊の口蹄疫を2万頭余り検査し、およそ12%は病状が重く、私はその内2000頭余りを検査した。大体240頭余りが病気に罹っていたので、偽政府に没収して殺害するよう提案した。
1942年8月、松江省扶余、農安両県で人のペストと家畜の鼻疽病を調査した時、ペストの死亡者は370人余りに達したと聞いた。これは私達が行く前に起こったことで、これらの死後の死体処理については、直接関与していないので知らない。当時我々は4つの村の家畜の検査を行っており、2000頭余りのラバと馬に鼻疽病が発生していた。私は検査によって開放性鼻疽のラバと馬約27頭を発見し、現地の偽政府に没収するよう提案した。聞いたところでは、没収後、病気の家畜は日本軍100部隊に渡され、解剖実験が行なわれたということである。
(1)119-2、749、1、第5号
●毒ガス戦
・『日本軍の毒ガス兵器』 松野誠也著
第4章
毒ガス使用禁止をめぐる国際的な動向と日本軍の対応
4 欧米列強の毒ガス準備
イタリアとドイツの毒ガス
服部は、エチオピア軍の抵抗が激しく、すぐに勝利できると楽観していたイタリア軍が予想以上の苦戦に陥り、これを打開するために空爆を行なったが効果が少なかったので、イタリア軍は航空機からの毒ガス攻撃を行い、これにエチオピア軍が大打撃を受けた事を目の当たりにし、その状況を報告している。毒ガスは、その装備や防毒資材を持たない軍隊に対して使用すると激烈な威力を発揮し、その抗戦能力を弱めることをイタリア軍の毒ガス戦は示したのである。日本軍が日中戦争で毒ガス戦を行う以前に、この様な事例が存在していたことは注目される。日本軍はこの毒ガス戦から何を学んだのであろうか
・『日本の中国侵略と毒ガス兵器』 歩平著(山邊悠喜子、宮崎教四郎訳)明石書店 1995年発行)
第4章 科学はいかにして罪業となったか
様々な化学毒剤
それからは毒ガス工場で大量に製造すると同時に、台湾に新竹で研究所は高温条件下での実験も行なった。回想によれば、1928年に初めて実験が行なわれた際には、実験担当者の防毒衣の質が低く、より十分な実験を行なうことができなかったため、1931年に防毒衣を改良して、あらためて実験を行なっている。
ただし、説明を要するのは、陸軍科学研究所の実験は欧米各国の研究プロセスを単純に模倣したものではなかったということである。欧米が既に制式化していた毒剤について、研究所では実験後かなり大きな改良を加えた。例えば青酸ガスは早くから認定されていた毒剤であるが、この毒剤は保存の際に自然爆発が起きることがあり、非常に危険である。しかも当時はまだ有効な安定剤が無く、研究所では専門的にこの問題を研究し、1930年、ついに青山技師によって銅粉を用いて作る安定剤が開発された。この安定剤を加えると、青酸ガスを3~5年間安全に保存することができる。このほか、青山技師と近藤軍医正は青酸ガスの低温環境下の実験を主宰している際、この毒剤の低温時における効力を高める方法を発見した。
●『三光』 中国帰還者連絡会編
日本鬼子(リーベンクイズ)
戦争に正義はない
森村誠一
戦争―人間同士のーにおける人間として守らなければならない最小限のルールすら守られないのが、侵略戦争の実態である。この実録の証言者は、今はいずれもごく普通の善良なる小市民として法と秩序を守ってつつましく暮らしている。この同じ人物が本実録で語られる様な非道を犯したとは到底信じられない。証言者は戦争の中で犯した過ちを告白することによって、犠牲となった人々に謝罪し、2度とこの非道を繰り返すまじとの誓いを胸に刻んだ。
2018年12月に、『留守名簿 関東軍防疫給水部 満州第659部隊』2冊が発売されました!!(不二出版)
●日米安保条約・自衛隊を問う!!
自衛隊は、防護のためと言って、旧日本軍の細菌兵器・毒ガス兵器使用の反省・謝罪もないまま新たな生物兵器・化学兵器を作っているのだろうか??憲法9条を持ち、生物兵器・化学兵器禁止条約を批准しているにも関わらず!!
日本の毒ガス
在日米海軍厚木基地(大和、綾瀬市)で米陸軍が化学、生物、放射線、核(CBRN)の対応訓練を予定していることに対し、厚木基地爆音防止期成同盟(爆同)など関連4団体が4日、同基地正門前で抗議集会を開き、訓練の中止を訴えた。
訓練実施は1月28日に、日米合同委員会で合意。防衛省南関東防衛局が大和、綾瀬市に連絡した内容によると、訓練場所は、同基地を共同使用する海上自衛隊が管理する区域内にある滑走路南端の約2万平方メートル。今月5日から9月30日まで使用することで合意した。
米側は訓練への参加部隊に関し米本土所属と説明しているが、参加人員や日程については知らせていない。危険物の持ち込みや騒音の発生はないなどの情報提供にとどまっている。
CBRNへの対応訓練は同基地で過去に例がなく、周辺住民に不安が広がっている。
今月4日には同基地正門前に爆同など住民団体から約60人が集まり「危険な訓練をやめろ」などと声を上げた。爆同の石郷岡忠男委員長は「昨秋には迎撃ミサイル訓練があった。米空母艦載機部隊の移駐後に空いた施設を使った新たな訓練場になることを危惧している」と強調。基地司令官宛てに、基地の機能強化につながる運用などに抗議する要請書を提出した。
●情報公開裁判
なぜここまでして、国は衛生学校や化学学校で作っていた機関誌を公開しないのだろうか?
●「衛生学校記事」情報公開裁判(第27回) 4月23日(金)14:00~103号法廷
●『化学学校記事』 情報公開裁判(第18回)5月26日(水)11:00~703号法廷
◎「衛生学校記事」「化学学校記事」その他自衛隊に関する
情報をお持ちの方は下記のアドレスまでご連絡ください。
連絡先:exhibition731@yahoo.co.jp
『日本の国家機密』(現代評論社刊 初版発行)
藤井治夫著
第一章 国家機密と軍国主義
1、戦後日本の機密保護体制
占領ではじまり安保で強化
行政管理庁では53年7月27日、「秘密文書取扱要領」なるものを定めたとして、中央部内の課長以上に送付したという。だが、それは規則番号も制定年月日もない変則的なものであったし、一般職員には知らされなかった。こうした得体のしれない「内規」により、のちに出版物によって官僚機構の腐敗を弾劾した公務員が不当な免職処分を受けたのであった。いわゆる『不正者の天国』事件である(高田茂登男『国家の秘密とは何か』140ページ参照)。
1957(昭和32)年7月『衛生学校第1号』発刊
●『BC兵器』久保綾三著(1969年)
※以下の記述から、自衛隊では、いま世界で流行している新型コロナウィルスなどの生物兵器の研究も大分以前からやっているといるのではないかと思われる。
Ⅲ 自衛隊における人体実験の疑念
生体実験の事実
むろん、この細菌性集団中毒の発生について、作意があったとは言わないが、園口、時岡論文が、「たまたま集団食中毒が発生した」という、「たまたま」という言葉の背景について考える必要があることを指摘しておこう。なぜならば、この研究実験はいくつかの偶然が積み重なることによって成立しているという、実験報告としては決定的な脆弱性を持っているからである。
●昭和天皇の戦争責任を問う!!
天皇万歳に浮かれる無責任国家 田中利幸より
重要なことは、アメリカが、日本占領支配のために、裕仁の戦争責任を隠蔽してまでも、彼の天皇としての「権威」を政治的に利用したことである。つまり、私たちが本当に問わなければならないのは、「絶対的権力を保持していた国家元首の戦争犯罪・責任の免罪・免罪の上に制定された民主憲法が、果たしてどこまで真に民主主義的であるのか?」ということである。
●昭和天皇(ハーバード・ピックス著『昭和天皇』より)
吉田裕監修
※昭和天皇は、平和主義者でもなんでもなかった。好戦的であり、常に軍部に色々と指示を出していた!!
戦後補償問題に国家無答責という天皇主権の明治憲法下の原則を適用するな!!
第4部 内省なきその人生
1945(昭和20)年―1989(昭和64) 年
第15章東京裁判
Ⅰ
フェラーズは、約40人の日本の戦争指導者に対して個人的に尋間を行った。のちにもっとも重要なA級戦犯として告発されることになる多数の者が含まれていた。尋間は主として東京の巣鴨プリズンでふたりの通訳を介して、1945年9月22日から翌46年3月6日までの5ヵ月間行われた。フェラーズの活動は、すべての主要戦犯容疑者にGHQ側の特別な関心事について注意を喚起し、天皇が起訴を免れるような筋書きづくりへの調整を行うことを可能にした。このように、検察官たちが戦犯容疑者を裁く際に使用する証拠を収集していたとき、フェラーズは無意識のうちに容疑者たちを支援していたのである。検察陣はほどなく、どの日本の戦争指導者たちも事実上、同じ考えを述べていることに気がついた。すなわち天皇は、戦争を終わらせるために、みずから英断を下したというのである。そして、このテーマこそ(検察官には知られていなかったが)、自身の対日心理作戦の実効性を明らかにしたいと望むフェラーズの目標と一致していたのである。
日本国憲法9条
第9条【戦争の放棄、戦力及び交戦権の否認】
①、日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、
国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、
国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。
②.前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、
これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。
RENUNCIATION OF WAR Article 9.
Aspiring sincerely to an international peace based on justice and order, the Japanese people forever renounce war as a sovereign right of the nation
and the threat or use of force as means of settling international disputes.
In order to accomplish the aim of
the preceding paragraph, land, sea, and air forces, as well as other war potential, will never be maintained.
The right of belligerency of the state will not be recognized.
731部隊員が戦犯免責され、ABCC(原爆傷害調査委員会)に協力した。その結果、アメリカの原爆投下を日本政府は問うことは無く、また被爆者は、ABCCに治療されることもなかった。そして日米安保条約の下、核兵器の廃絶に日本政府は後ろ向きである!
日本には多くの被爆者がいるのに、日本政府はなぜ核兵器禁止条約に署名しない?
●地球の異常気象の最大の原因は、今までの2000回以上の核実験や原発事故などの放射能汚染で地球が壊れてきているからではないのか??米の原爆投下責任と核実験をしてきた国の責任を問う!!
※私が考える、今の異常気象の要因は
1、1940年代から60年代にかけて大規模に行われた、核実験による環境破壊の影響
2、都市化したコンクリート(アスファルト)ジャングルによるヒート・アイランド現象
3、その結果による、交通機関(電車・バス・乗用車・航空機・船舶)やオフィス・住居などの冷暖房による排熱
4、自動車社会の排ガス
5、原子力発電による温排水の排出・・などに拠っているのではないか?
●核実験(ウキペディアより)
若くして白血病で亡くなった夏目雅子、本田美奈子、また五輪候補選手だったスイマーが白血病になったのは、放射能の影響ではないのか?
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
署名国・批准国
2021年1月22日現在の署名国と批准国。
署名国 署名日 批准日 (締約日)
ブルネイ 2018年9月26日
カーボベルデ 2017年9月20日
カンボジア 2019年1月9日 2021年1月22日
中央アフリカ共和国 2017年9月20日
チリ 2017年9月20日
水素爆弾の恐怖・ビキニ環礁 (アメリカ)
「北朝鮮の核実験の威力」と「史上最強の核兵器"ツァーリ・ボンバ"の破壊力」【核兵器】
●核なき世界へ!!Toward a Nuclear-Free Future
●核融合もすべきではない!!
20170303 小出裕章先生にきいてみた!!〜土岐市核融合科学研究所 重水素実験について
なぜ、日本は広島・長崎・ビキニ・JCO臨界事故・福島と5度も被爆しているにに、日本医学界は「脱原発!!」と叫ばない!!
XII) 731部隊、広島長崎、チェルノブイリ、福島より
封印された原爆報告書
水爆実験
JCOの臨界事故
福島第1原発事故
●核兵器廃絶
徳仁・日本政府・日本医学界は、731部隊のことを謝罪し、戦争被害者の救済、戦争をしない政策にお金をかけるべきだ!
●日本はなぜ戦争責任問題を解決できないのか
水俣病
●731部隊(unit731)
●昭和天皇の戦争責任を問う!!天皇制反対!
「部外秘 参考資料 CBR講習資料」11頁 作成日時不詳 陸上幕僚監部化学科より
d旧日本軍の細菌戦活動
旧日本軍の石井部隊は又の名を関東軍防疫、給水、731部隊、加茂部隊、特25204部隊と呼ばれた。細菌戦闘専門の特殊部隊であった。隊の設立は昭和6(1931)年で満州の研究所完成は昭和10(1935)年である。日本軍細菌戦部隊の本拠は満州ハルビン郊外濱江省(ひんこうしょう)双城県平房の4階建近代建築でその中で遮断隔離の生活をしていた。設備は爆撃機(細菌撒布用)10機、1000kwタービン発電機2台である。この本部の元に、孫呉、海拉爾(ハイラル)、牡丹江、林口、大連の5支部があり、大連のものは大連研究所または松林機関とも言われていた。他の部課は細菌の攻撃方法、容器散布方法、防疫問題を研究していた。最も力を入れたのはヒタツリ菌(注:脾脱疽菌)であった。この菌を粉末にして榴散弾の70g位の鉛製弾子に混ぜ、これを砲弾内に詰め、炸薬が爆発すると弾子が飛散して人馬に感染さすようになっている。実験場所は731部隊研究所から北に300(?)㎞ばかりのアンダ飛行場を使用した。そして砲弾が爆発しても菌の40%は生きていること及び培養器に飛ばされた菌は確実に付着する事、負傷者は発病することが確認されている。1938年中国廬山の戦闘で日本軍が毒ガス、ホスゲンを使用したという2,3の細菌記録がある。この記録を持つ731部隊は1945年8月9日午前6時ハルビンの工兵、歩兵、砲兵によって徹底的に破壊され付属設備は地上から姿を消した。ソ連の対日参戦による退却の結果である」
長岡大学 研究論叢 第16号より(2018年8月)
・・・731部隊に関する概要が正確に記述されており、更に1938年に毒ガスを作戦で使用したことまで記している。これは化学学校の教育部長が、特殊課程の学生に講義した内容である。内容は事実であると確認して行ったと考えるほかはない。戦後自衛隊は731部隊の実態とその活動を把握した上で、何ら反省することなく自衛官に「教育」してきたのである。また教科書裁判では日本政府は長きにわたり731部隊の活動の事実認定さえ回避してきたが、陸上自衛隊の内部教育資料にも明記されるほど、自衛隊幹部周知の事実だったのであり、日本政府は一貫して内外に虚偽の主張をしてきたと言える。
「このようにして日本の医師の戦争政策への積極的な協力が行われていったのであるが、直接的な戦闘行為への協力の中で極めて非人道的な、目を覆わざるを得ないものに、細菌戦の準備があった。細菌戦の準備と実行を持った特殊部隊は、昭和10年(1935)夏、石井四郎を部隊長に満洲で編成され「関東軍防疫給水部」と称せられた。
昭和17年頃に「第731部隊」に昇格し、その研究、実験、製造は急に活発になった。(昭和14年のノモンハン事件に参加し、感状をもらっている)この部隊は細菌の製造、兵器としての細菌の利用、人体実験等を行い、施設として、常備爆撃機10機、1000kw発電機2台、隊員及び家族訳6000名、年間研究費予算8000千円以上と言われている。
勿論、この部隊に多くの医学者が参加した。このことから、科学者としての責任の問題と同時に戦争責任が問題になってくる。
細菌戦準備への医学者の参加は、戦争責任の最も極端な場合として提起したわけであるが、このことの深い反省の上に戦後の再建も始められる必要があったし、現在でもなお問題とされねばならない。」
731部隊の史実を語り継ぐ連続学習会第1回
731部隊と人権ー裁判から考える
731部隊の史実を語り継ぐ連続学習会第2回
(以下、パネル展の内容)
知らなかった「ビキニ事件」
高松高裁判決
太平洋各被災支援センター記事より
原告が高齢化する中で国家賠償訴訟は厳しいたたかいですが、ビキニ被災者の救済のために引き続き頑張っていきたいと思います。
2019年12月12日、ビキニ核被災での国家賠償請求訴訟に対する高松控訴審判決は、「国が意図的に隠し続けた証拠がない」などとして、控訴を却下しました。しかし地裁に続き第5福竜丸以外の元マグロ船員の被ばくを認め、「長年にわたり顧みられなかった漁船員の救済の必要性については、立法府及び行政府に一層の検討を期待するほかない」と示唆しました。1審に比べて、論点整理されていますが、政府寄りの判決内容が見られます。最高裁に上告すれば、さらに厳しく救済の道を断たれる判決が出る可能性があります。
高齢で病身の原告6名(被災船員5名、遺族1名)が提訴中に死亡し、残る被災船員のほとんどが癌などの手術後、療養中であり、出廷も困難です。一日も早い救済を実現していく上で、上告せず判決内容をいかし、船員保険法の適用による労災申請の提訴を3月に予定しました。厚生労働委員会の公開審理では船員保険部を追い詰めています。追加申請の3名に貨物船「弥彦丸」山本船医の遺族がおられ、ビキニ事件直後の船員の入院記録と「放射性物質による急性白血球減退症の疑い」の診断がされています。
現在、弁護団づくりを準備中であり、支援組織を野党共闘なみの国会議員・県議・民主団体・漁業関係者などに参加要請中です。3月中・下旬に高知で結成、提訴、記者会見を準備します。改めて全国の支援と参加をよろしくお願いいたします。
宮川正教授は退官記念講義で731部員だったことを暴露されたよ
2020「731部隊 戦前・戦後の医学ー医学と人権を考える」 1
2020「731部隊 戦前・戦後の医学ー医学と人権を考える」2
2020「731部隊 戦前・戦後の医学ー医学と人権を考える」3
隠された毒ガス兵器
『従軍日記』 小津安二郎
森友・加計問題などで公文書改ざん、事実の隠蔽などが問題になっているが、敗戦時の証拠隠滅、文書焼却、事実の隠蔽は、その比ではない!今も
続く歴史改ざん!!
「公文書管理を考える」(4) 磯田道史・国際日本文化研究センター准教授
新宿・謎の人骨100体・731部隊【歴史解説】
1989年7月22日、新宿で謎の人骨が大量に発見された
歴史改ざん(「風を読む」)
●今の日本人は、まさかと思うかもしれない。
今、世界中で猛威を振るっている新型コロナウィルス。これは、細菌戦(生物戦)ではないのか?
過去に、日本が中国で行なった細菌戦のように。(以下は現在分かっている細菌戦)
日本政府・日本医学界が、真摯に過去に向き合い、生物兵器を作ったことを謝罪し、今のこの難局に立ち向かわない限り、オリンピック開催はないであろう。
東大医学部を卒業、将来を期待される医学者でありながら、731部隊の恐ろしい体験から、そしてその731部隊に参加したという罪の意識から、戦後医学者の道を捨ててしまった男、秋元寿恵夫
元731部隊員(第十課 血清班班長)秋元寿恵夫の言葉
「もしもバイオテクノロジーが軍事研究の魔の手に捕らえられた時の行き先がどうなるのかの危険性は、「ひょっとしたら人間の知能などを変える」どころか、さらには人類にとって取り返しのつかない害悪をもたらす生物兵器の出現につながっていくかもしれないのである。」
1939年 731部隊 ノモンハン戦争にて細菌戦(チフス菌、コレラ菌、赤痢菌)を行う
*1940年は皇紀2600年(神武が即位して2600年??)東京オリンピックや万博が開催される予定であったが、戦争の為中止!!
1940年 6月4日 731部隊、農安大賚・農安で細菌戦(ペスト菌)を行う
10月 4日 731部隊、衢州で細菌戦(ペスト菌)を行う
10月27日 731部隊、寧波で細菌戦(ペスト菌)を行う
1941年11月4日 731部隊、湖南省常徳で細菌戦(ペスト菌)を行
1942年17月 100部隊は、ハイラルの北約120キロのソ連国境で行なった「三河演習」で鼻疽菌の生存期間を測定、炭疽菌の土 壌への浸透力の調査した
8月 731部隊、湖南省江山、常山、衢県、麗水、江西省広信、広豊、玉山で細菌戦(ペスト、コレラ、チフス)を行う
1943年12月 100部隊第2部に細菌戦準備の第6科を設置
10分で学びなおす 「731部隊」より(『週刊現代』より)
1929年11月7日昭和天皇陸軍軍医学校視察
731部隊は、石井四郎が、細菌戦の司令塔ではなかった。誰が裏で司令塔になっていたのだろうか?小泉親彦陸軍軍医総監、宮川米次第5代東大伝研所長、大元帥昭和天皇等がバックにいた。
NHKスペシャル 「731部隊の真実~エリート医学者と人体実験~」 2017年8月13日
●日本政府は、新宿戸山の軍医学校跡地(現国立感染症センター)から見つかった人骨の身元調査を早急にして、遺族に返還し、きちんと謝罪すべきだ!!
実験医学雑誌第14巻雑報
14巻4号(1930(昭和5)年
雑報
◎学術集談会開催
3月20日(木)午後1時より所内講堂に於いて学術集談会を開催。演題下の7題である。
南京鼠腹腔液中に出現する鼠咬症Spirochaetaの研究、追加特にAgglomeration現象について
鯛瀬國一
この実験成績を基礎として感染南京鼠血液並びに腹腔液中のSp出現関係につき考察を行えば次の如し。
1、接種部位異なる場合にてもSpha常に腹腔液を最良の生息場所とし殆ど限局性に多数出現し普通1視野10-50匹或いはそれ以上看視し得る事あるに反し血液にては出現最頂にある場合にても5.6匹を数える程度なり。