細菌戦の系譜!!

2020-05-31 10:26:31 | Weblog

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第5回「戦争の加害」パネル展in横浜
細菌(生物)戦争
『BCGと人体実験』 美馬聡昭著
731部隊 ペスト研究、攻撃用か(1988年朝日新聞)
防疫研究室と昭和天皇の関係
1940年と2020年の東京オリンピック
『ウサギと化学兵器』いのうえせつこ著
731部隊と国立感染症研究所の問題!!
731部隊・細菌戦資料センター総会のご案内
731部隊の罪業
731部隊 行動示す新資料・埋もれた公文書
情報公開裁判「化学学校記事」「衛生学校記事」
武蔵村山の国立感染症研究所問題!!
731部隊・100部隊展

 

●今の日本人は、まさかと思うかもしれない。

今、世界中で猛威を振るっている新型コロナウィルス。これは、細菌戦(生物戦)ではないのか?
過去に、日本が中国で行なった細菌戦のように。(以下は現在分かっている細菌戦)

1939年 731部隊 ノモンハン戦争にて細菌戦(チフス菌、コレラ菌、赤痢菌)を行う
*1940年は皇紀2600年(神武が即位して2600年??)東京オリンピックや万博が開催される予定であったが、戦争の為中止!!
1940年 6月4日   731部隊、農安大賚・農安で細菌戦(ペスト菌)を行う
10月 4日   731部隊、衢州で細菌戦(ペスト菌)を行う
10月27日   731部隊、寧波で細菌戦(ペスト菌)を行う
1941年11月4日    731部隊、湖南省常徳で細菌戦(ペスト菌)を行
1942年17月        100部隊は、ハイラルの北約120キロのソ連国境で行なった「三河演習」で鼻疽菌の生存期間を測定、炭疽菌の土 壌への浸透力の調査した 
8月       731部隊、湖南省江山、常山、衢県、麗水、江西省広信、広豊、玉山で細菌戦(ペスト、コレラ、チフス)を行う
1943年12月       100部隊第2部に細菌戦準備の第6科を設置

【コロナは生物兵器か】人工のコロナウイルスショックによる文明の転換点 船瀬俊介氏が語る

米軍300人が新型コロナの感染が広がる前に武漢にいたという。
新型コロナウィルスを撒いたのは??

石井四郎が、細菌戦の主犯であったのか?小泉親彦陸軍軍医総監、宮川米治第5代東大伝研所長は関与していないのか??大元帥昭和天皇の関与は?

検証・中国に於ける生体実験
東京帝大医学部の犯罪   美馬聡昭著  桐書房(2013年)
はじめに

1931年に始まる中国での大規模で計画的な生体実験は、石井四郎の個人的な力でなされてきたというのが今までの定説であったが、これは間違いであることを、文献的に明らかにすることができたと考えている。
中国での生体実験を企画、立案、実行に移したのは、小泉親彦(陸軍軍医総監、厚生大臣)と宮川米次(第5代伝染病研究所所長、「同仁会」副会長)である、石井四郎は、彼らの単なる傀儡であたと言える。
中国での生体実験は、日本国の命運をかけた機密の国家プロジェクトであったと理解すべきである。これを証明するための文書は、今も破棄されず現存する可能性もある。
伝染病研究所の写真は、『傳染病研究所』小高健著より

 

この新型コロナウィルスがどこで作られたかは分からないが、細菌戦の系譜をたどると、
日本は、戦時中、1925年のジュネーブ議定書を無視して、中国で細菌を製造し、細菌戦を行なった。戦後、731部隊での研究データをアメリカに渡し、731部隊員は全員戦犯免責され、アメリカは生物戦の研究を本格的に始めた。
日本政府は、中国で行った細菌戦や生体実験の事を、(日本の裁判所は事実認定をしている)未だに隠し続け、事実も認めていない。勿論謝罪もしない。日本軍が中国に遺棄してきた生物兵器は戦後、どのようになったのだろうか?
この新型コロナウィルスに影響しているのだろうか?
今、日本人は過去に犯した戦争犯罪を直視し、きちんと歴史事実に向き合う時ではないのか?

 

今回の新型コロナウイルスは、日本軍が遺棄してきたものが影響しているのか、それともどこかで作られたのか?それとも動物を介して新たに自然発生したのか?

作ったとすれば、アメリカが作ったのか、それとも、日本軍の細菌戦に苦しんだ中国が作ったのか、はたまた、ロシアかそれとも日本(又は日米共同)が作ったのか?よくわからないが、世界各国で生物戦の研究がなされていることは確かであろう。

生物兵器禁止条約の署名を日本は1972年にして、この条約は、1975年に発効されたが、日本がこの条約を批准したのは、1982年。なんでこんなに時間がかかったのか?批准されてからも、細菌(生物)兵器は、極秘裏にアメリカ、中国、ロシア、日本などで研究開発しているのだろう??

中国もロシアもアメリカも細菌戦の事は厳しく裁かなかった!!

埋もれた細菌戦調査書

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●細菌戦裁判

資料集シリーズ・第8集(2002年10月31日)

「731細菌戦裁判・第1審判決特集号」の発行にあたって 

本書第8集は、細菌戦裁判の第1審判決(東京地方裁判所民事第18部)の後、開催された判決報告集会、記者会見、意見交換会等での発言を編集したものです。

弁護団声明

団長 弁護士 土屋公献

日本軍が犯した細菌戦は最も非人間的な戦争犯罪である。日本政府は既に半世紀以上にわたり細菌戦犯罪の責任から逃げ回ってきた。本判決は、細菌戦の責任を何1つ取ろうとしない日本の政治姿勢を司法的に追認した。まさに侵略戦争の容認につながる反動的な判決であり絶対に許すことができない。平和を願う私達は、本判決が果たす悪質な役割を直視して反撃に立ち上がるものである。


●731部隊員が多く入った国立予防衛生研究所(現・国立感染症研究所)や自衛隊などでの生物兵器の開発・研究も行われているのではないか?

731部隊の行なった細菌戦

東大伝染病研究所は、1947年に主に検査・製造に関わる部門などを厚生省所管の国立予防衛生研究所(現・国立感染症研究所)として分離し、1967年に伝染病研究所を改組して医科学研究所が設置された。

国立予防衛生研究所所長と731部隊員の繋がり(教えてげんさんより

(所長が731部隊員であれば、元隊員もたくさん入るだろう)

戦争中細菌戦部隊及び組織に属していて、戦後、国立予防衛生研究所に関係した人です。

*朝比奈正二郎  (当時)731部隊第1部第9課(水棲昆虫)長。発疹チフスワクチン製造
(戦後)国立予防衛生研究所 名誉所長
*小林六造    (当時)京大教授、防疫研究室嘱託
(戦後)国立予防衛生研究所 初代所長
*小島三郎    (当時)東大伝染病研究所教授、栄1644部隊所属 サルモネラ菌の研究
(戦後)国立予防衛生研究所 第2代所長
文部省百日咳研究班員
*小宮義孝    (当時)華中衛生研究所(栄1644部隊関連)
(戦後)国立予防衛生研究所第4代所長
*柳沢謙     (当時)陸軍軍医学校防疫研究室で嘱託として結核研究 凍結乾燥BCG
(戦後)国立予防衛生研究所 第5代所長
*福見秀雄    (当時)陸軍軍医学校防疫研究室  インフルエンザ
(戦後)国立予防衛生研究所 第6代所長
文部省百日咳研究班員
(注)1951年、国立東京第一病院に入院中の乳児たちに、
両親に告知や許可を受けずに大腸菌を飲ませる実験を行なった
*村田良介      (当時)1644部隊
(戦後)国立予防衛生研究所 第7代所長
*倉内喜八郎   (当時)731部隊細菌戦研究班
(戦後)永寿病院院長
【コロナウイルス・4/17追記】永寿総合病院でメガクラスター発生、160人以上が感染・20人死亡、屋形船から感染拡大

・・・・・・・自衛隊に入った731部隊員・・増田美保、近喰秀大、神子謙、金原節三、井上義弘、中黒秀外之、園口忠男、高橋三郎、佐伯実、木村直正など 
コロナウイルス「PCR検査」を遅らせた“戦犯”は?〈週刊朝日〉

 

帝国陸海軍の「亡霊」が支配する新型コロナ「専門家会議」に物申す(下)


それともロシアや中国などが研究しているだろうか?
新型肺炎、米メディアが報じた「研究所が発生源」説

 

生物兵器禁止条約が1975年に発効されたにもかかわらず、その裏でどんなことが起こっているのだろうか??

免責された731部隊員は、戦後、ABCC(原爆傷害調査委員会)に全面協力し、原爆被爆者を治療するのではなく、放射能の人体に対する影響を追跡した。そして日本は、アメリカの非人道的な原爆投下を問うこと全くなく、原子力の平和利用に突っ走った。

新型コロナは「パンデミック」 WHOが表明

●日本政府は、731部隊の罪業を、公開せず、秘匿し、戦後全く無反省である!!最高責任者の昭和天皇も戦犯免責された!!
安倍晋三は何でこんな行動がとれるのだ??無反省のまま、ずっと生き延びられるのか??
安倍首相の731戦闘機試乗 「止まらない挑発」の非難

2013年5月12日、安倍晋三は宮城県東松島市の航空自衛隊基地を訪問して、機体番号が‘731’であるアクロバット飛行団訓練機の操縦席に座りサムズアップして写真に収まった。

731部隊全景(中国に於いて人体実験を繰り返し、細菌兵器を開発し、中国各地で細菌戦を行なった。)


旧満洲第731部隊軍医将校の学位授与の検証を求めます!

731部隊新発見公文書の中身とは 細菌研究を明記

核兵器、生物兵器、化学兵器廃絶!! 戦力不保持!!安倍政権打倒!!どこの研究所で新型コロナウィルスが誕生したのだろうか??

●ニュース

戦争責任を取らぬまま、そのまま在位した昭和天皇、その後の天皇も日本の侵略戦争の謝罪をしていない!!

このウィルスは自然発生なのか?どこの研究所がこんなウィルスを開発したのか??それとも日本軍が遺棄した生物兵器が影響しているのだろうか?

もし人工的につくられたのであれば、どこで製造されたのだろうか?アメリカか?それとも中国?、日本?・・・


731部隊が建物を爆破して日本に逃走した後、その近くの村でペストが流行した。100部隊の逃走した時は、鼻疽菌などに汚染された馬を放ってきた。

中国各地に日本軍の細菌戦研究所が存在したのだから、その施設が遺棄した生物兵器はその後どうなっているのか?

中国の細菌戦被害地では、今でも毎年鼠を捕獲してペストの検疫を行っている。日本軍の遺棄した生物兵器がその後も生きていて、いま中国で広がっている新型コロナウィルスや豚熱に影響はしていないのだろうか?遺棄毒ガス弾が多くの中国人を苦しめているように。

なぜ天皇はコロナ禍にビデオメッセージを発しないのか、皇室記者の考え

新型コロナ、世界の感染者600万人に AFP集計

全国で地震連発「昭和の南海地震直前に酷似」と専門家が警告

「検察は相当な覚悟で進めている」河井克行・案里夫妻の選挙をめぐる疑惑、自民党本部関係者も聴取で捜査大詰めか

日本人が知らない、コロナパンデミック長期化「3つのシナリオ」

大竹まことゴールデンラジオ・金子勝・2020-05-29(文化放送)


●パネル展「日中戦争―その実相に迫る!」感想(2020年2月8日~13日)


2.万人坑や毒ガス等、今までも見ていますが、あらためて感ずるところ大です。村瀬さんの写真、取り上げられたり処分されずに良く保管していたことに驚きもするし敬意を表します。大変ですが毎年こうした展示を続けてくれることに大きな意義があると思っています。(60、市内、折込み・知人)

●映画「ひろしま」アンケート(1月13日 横浜)
( )は性別・年代・住まい・情報

25、感想を述べるのが難しい。ドキュメンタリーなのかドラマなのか、被爆しての直後は映画で表すような状況だったろうと思いを巡らせながら見ました。映画の後の講演で内容の理解を深めることができた。又、長年にわたり歴史を残し伝える活動を続けられてことに敬意を表したい。
(男性・70代・大和市・ウェブ)

 

日本は、日中戦争で国際法に違反して、細菌戦、毒ガス戦、無差別爆撃を行った。日本政府は、この事実をきちんと認めていない!!

●細菌戦
【真相】(unit731) 

・『石井細菌戦部隊―極秘任務を遂行した隊員たちの証言』
郡司陽子編(1982年11月30日初刷:徳間書店)

Ⅲ ペスト攻撃班、恐怖の実戦秘録
―第2部5課(攻撃・実戦担当)K・S
マニラで細菌戦の予備訓練を受ける

8月10日朝、私は5課課長に呼ばれた。課長の所に行くと、「直ちに7棟・8棟へ行って『丸太』処理にあたるように」と命令された。
我々5課からも何人かが「丸太」処理に出た。7棟・8棟に着くと、すでに他の班からの隊員たちが集まっていた。その数は、総勢40人ほどではなかったかと思う。指揮は細谷(石井)剛男特別班班長がとっていたのではなかったかと思うが、今となっては、判然としない。

・『証言 人体実験(731部隊とその周辺)』

中央档案館、中国第2歴史档案館、吉林省社会科学院編
江田憲治、兒嶋俊郎、松村高夫編訳
二 大規模な細菌生産と残虐非道な人体実験

山下昇供述書(1952年5~6月)

問:細菌輸送の状況を述べよ。
答:2度めは1944年4月(はっきり覚えていない)で、上海に運んだあと、防腐(無菌状態にすること)部隊(細菌の散布、防腐にあたる部隊で、上海からかなり離れた山の中にあった)に2か月滞在し、防腐についての授業を受けた。3度めはペスト、ジフテリア、腸チフス菌各1箱を南京に届けた。通常は受付まで届ければよかった。

原注:山下昇。1938年3月来華。1941年5月、ハルピン市関東軍経理部雇員。43年1月、関東軍軍医部に入り幹部候補生となる。43年5月、ハルピン731部隊に配属され甲種幹部候補生となる。44年8月、見習士官兼「A」隊1分隊隊長。以上の731部隊に関する状況は、山下昇が52年5月から6月にかけて数回供述した内容をつなげて整理したものである。


●毒ガス戦

・『日本軍の毒ガス兵器』  松野誠也著
第1章 毒ガス兵器の研究と開発

2 日本陸軍、毒ガス研究に着手
このように、1917年から20年は、毒ガス兵器という新兵器の登場に対応する取り組みが陸軍内でなされた時期【第1期】であった。以下、日本陸軍の毒ガス兵器開発を検討しながらその時期区分も設定したい。分かりやすさを考え、あらかじめそれを示しておくと次の通りである。
【第1期:1917年から20年まで】
第1次世界大戦で登場した毒ガス兵器に対応する取り組みが陸軍内になされた時期。
【第2期:1921年から25年中旬まで】
新設された陸軍科学研究所において、欧米諸国の文献資料などに基づいて毒ガスの基礎研究がなされ、研究体制が整備された時期。
【第3期:1925年下旬から30年まで】
ドイツ軍のノウ・ハウを吸収した上での毒ガス研究が行なわれ、各種毒ガス兵器が制式化(兵器として正式に採用すること)されるとともに毒ガス製造工場が設置された時期。また、毒ガス兵器を初めて実戦で使用した。

・『日本の中国侵略と毒ガス兵器』 歩平著(山邊悠喜子、宮崎教四郎訳)明石書店 1995年発行)

第12章 癒しがたい傷
毒ガスの焼却

当時、鼻をつく匂いがバリ港の上空にたちこめ、人々は防毒マスクを着けなければならなかった。しかしながら、海中には船が損壊したため海に落ちた人がたくさんおり、この人たちは逃れるすべがなく、毒液が自分の身体を取り巻くに任せるしかなかった。これらの人達はやっと岸に上がった際、初めてひどい損害を負っていることに気づいたのである。失明した者もいれば、皮膚に重い火傷を負った者もいた。医者は大部分の者の生命を救うことができなかった。この結果、1000名以上の連合軍負傷者が死亡し、1000名以上ののバリ市民が命を落とした。負傷した者はもっと多い。

日本軍の毒ガス戦と遺棄毒ガス問題



●『三光』     中国帰還者連絡会編
日本鬼子(リーベンクイズ)

軍医の野天解剖
小美野義利

戦務班長 憲兵曹長
〈旧部隊名〉
関東軍特別警備隊2大隊本部

「軍医殿、息が切れてから20分もなるのに、そんな馬鹿なことがあるもんですか」と無理に怒鳴るように叫んだ。「僕もそう思うんだ・・・・しかし、確かにまだ生きているんだ、それ」と、切り取った心臓を掌(てのひら)の上にのせてつき出した。「オッ、確かに動いている」14の眼は恐怖におののいている。朝鮮や東北に20年も侵略憲兵として生きてきて、多くの人々の血がにじみこんでいる小林少尉の顔も、どす黒く全く血の気が無い。7人は目に見えぬ中国人の反抗と圧力をひしひしと感じながら、声も立てず、憑かれたようにそれを見つめていた。

●日米安保条約・自衛隊を問う!!
自衛隊は、防護のためと言って、旧日本軍の細菌兵器・毒ガス兵器使用の反省・謝罪もないまま新たな生物兵器・化学兵器を作っているのだろうか??憲法9条を持ち、生物兵器・化学兵器禁止条約を批准しているにも関わらず!!

日本の毒ガス

沖縄・南西諸島が軍事要塞化している現実はおかしくないか??

「琉球処分」から140 今の沖縄を考える


●情報公開裁判
なぜここまでして、国は衛生学校や化学学校で作っていた機関誌を公開しないのだろうか?

・731部隊関連の「情報公開裁判」に関する報告

和田千代子(731細菌戦部隊の実態を明らかにする会事務局長)

第4 私達の情報公開裁判闘争の目的

このような経過を経て、自衛隊の中には対生物戦の専門部隊が、2007年に創設された「陸上自衛隊中央即応集団」隷下の衛生部隊として編制されました。
また、2015年に改訂された新「日米防衛協力のための指針(ガイドライン)」で、「作戦支援活動」として「CBRN(化学・生物・放射能・核)防護」が重視されています。このような背景の下で自衛隊が米軍と結託して北朝鮮や中国に対して謀略的な生物戦を実戦展開する危険性が指摘されています。


・次回『衛生学校記事』情報公開裁判(第26回)東京地裁419号法廷
緊急事態宣言が出たため、4月の裁判は延期になりました。

・化学学校記事」情報公開裁判 (第16回)延期です!!
次回 2020年6月3日(水)11:30~ 東京地裁522号廷の予定でしたが、
新型コロナウィルスの影響の為、延期になりました!!

第4代衛生学校長だった金原節三が亡くなってから、遺族が、当時の防衛庁に寄贈した金原節三資料の中に13点の『衛生学校記事』が含まれている。それがいまだに未開示であり、その行方が防衛省は分からないという。

1995年に防衛研究所に衛生学校から金原資料の全部を移管した。翌年1996年には、その資料の中で旧軍資料の価値の高いものを、防衛研究所に残して、あとは衛生学校に戻した。

『金原文庫』はいつまで、衛生学校の彰古館に開設されていたのであろうか?その中に果たして『衛生学校記事』があったのか?また、金原資料はキチンと整理をされていたのだろうか?金原資料の中には『特殊武器衛生』というものもある。防衛省は、金原資料をすべて開示すべきである。

1957(昭和32)年7月『衛生学校第1号』発刊

第4代衛生学校長

『衛生学校記事』を発刊したときの、衛生学校長金原節三とはどんな人物なのだろうか?

●『BC兵器』久保綾三著(1969年)
※以下の記述から、自衛隊では、いま世界で流行している新型コロナウィルスなどの生物兵器の研究も大分以前からやっているといるのではないかと思われる。

Ⅲ 日本における生物・化学兵器の歩み

1、 生物・化学兵器の開発の歩み

自衛隊員が語る旧軍技術研究

「陸軍習志野学校教官を命課されたのは、昭和18年3月初めで、ガス係将校の主任教官を命ぜられた。主任教官と言えば、教育計画を自ら作り、それを受持ち教官との調整をなし、高級教官の決裁を受けて、自ら教育を担当するのが主任教官であった。課目の教育を依頼するのは、先にちょっと述べたように、資材教官(技師)の資材教育、気象教官の局地気象(ガス気象)ぐらいなもので、じ余の課目は一切自ら担当した。従って、学生の入港後10日~2週間ぐらいは、他の教官が担当し、じ後は一切、主任教官が朝から晩まで、夜間演習を含んで、野営訓練まで、連日教育の連続である。

●昭和天皇(ハーバード・ピックス著『昭和天皇』より)吉田裕監修 2001年ピュリッツァー賞受賞

※昭和天皇は、平和主義者でもなんでもなかった。好戦的であり、常に軍部に色々と指示を出していた!!

戦後補償問題に国家無答責という天皇主権の明治憲法下の原則を適用するな!!

第12章大元帥の試練


ソロモン中部、北部に於ける防衛線全域の戦況が次第に悪化するに従い、昭和天皇は、海軍に決戦を行い、戦争の主導権を再び獲得し、多くの島々にいる守備隊のすべてが孤立しないように補給を行うことを要求し続けた。3月3日、ラエに対する海軍の増強計画が失敗〔「ダンビールの悲劇」のこと。制空権がない状況下、第51師団の輸送を強行、ダンビール海峡にて米軍機の攻撃により船団が全滅〕した旨の上奏に際し、天皇は「何故直ぐに『マダン』へ決心を変へて上陸しなかったのか 此度のことは失敗であると言えば失敗であるがこの後に於ける成功の基にもなるならば却って将来の為には良い教訓にもなると思ふ 将来安心の出来る様にやって呉れ」と所感を述べた。「やって呉れ」とは、戦意に満ちた大元帥を象徴する言葉となった。

小泉親彦と昭和天皇
憲法9条を生かそう!!

731部隊員が戦犯免責され、ABCC(原爆傷害調査委員会)に協力した。その結果、アメリカの原爆投下を日本政府は問うことは無く、また被爆者は、ABCCに治療されることもなかった。そして日米安保条約の下、核兵器の廃絶に日本政府は後ろ向きである!!

日本には多くの被爆者がいるのに、日本政府はなぜ核兵器禁止条約に署名しない?

地球の温暖化や異常気象の最大の原因は、今までの2000回以上の核実験や原発事故などの放射能汚染で地球が壊れてきているからではないのか??米の原爆投下責任と核実験をしてきた国の責任を問う!!

●『二酸化炭素温暖化説の崩壊』広瀬隆(集英社新書)

第1章 二酸化炭素温暖化論が地球を破壊する

温暖化の為ハリケーンや台風が増えている?

その北上する線上にできたのが、四川省を襲った巨大地震の断裂帯である。なぜ地震学者が、海底の異変(マグマ)と、サイクロンや台風との関連に注目しないのか、私には不思議でならない。地球が地震の激動期に入って、大地を揺るがす地震が怖くないのだろうか。地震の危険性については、8月刊行の『原子炉時限爆弾~大地震におびえる日本列島』(広瀬隆著、ダイアモンド社)をぜひお読みいただきたい。

●核実験(ウキペディアより)

若くして白血病で亡くなった夏目雅子、本田美奈子、また五輪候補選手だったスイマーが白血病になったのは、放射能の影響ではないのか?

月の砂漠の犠牲者 夏目雅子と本田美奈子
核兵器禁止条約
経緯
1996年4月、「モデル核兵器禁止条約」(Model Nuclear Weapons Covention, mNWC)という名で、核兵器の廃絶を求める法律家、科学者、軍縮の専門家、医師及び活動家らが参加する以下の3つの国際NGOから構成されるコンソーシアムによって起草された。目的は、核軍縮の可能性を「法的、技術的、政治的要件に沿って検証する」ことであった。
International Network of Engineers and Scientists Against Proliferation、INESAP(拡散に反対する国際科学技術者ネットワーク)
International Association of Lawyers Against Nuclear Arms、IALANA(国際反核法律家協会)
International Physicians for the Prevention of Nuclear War、IPPNW(核戦争防止国際医師会議)
1997年11月、mNWC(UN Doc. A/C.1/52/7)がコスタリカ政府により国際連合事務総長に届けられ、国際連合の加盟国に配布された。
Treaty on the Prohibition of Nuclear Weapons - Wikisource


水素爆弾の恐怖・ビキニ環礁 (アメリカ)

「北朝鮮の核実験の威力」と「史上最強の核兵器"ツァーリ・ボンバ"の破壊力」【核兵器】


●核なき世界へ!!Toward a Nuclear-Free Future


●核融合もすべきではない!!
20170303 小出裕章先生にきいてみた!!〜土岐市核融合科学研究所 重水素実験について

●1954年3月1日第5福竜丸他1000隻もの船が被曝!核兵器廃絶!!

なぜ、日本は広島・長崎・ビキニ・JCO臨界事故・福島と5度も被爆しているにに、日本医学界は「脱原発!!」と叫ばない!!

原爆投下された直後、日本は自らが原爆調査をして、731部隊(人体実験や細菌戦)の事もあるので、アメリカの心証を良くしようと考えた。そして科学者を総動員して原爆調査(被爆者を救済するための調査ではなく、原爆の威力調査)を181冊の調査書にまとめて、英訳し、アメリカに渡した。その後、731部隊員は、731で研究したデータを渡し、戦犯免責を受けた。原爆調査書は被爆者の治療には全く生かされず、日本の医学界は、原爆の放射能被害については、何も言及しなかった。そればかりか、その後のアメリカの原爆・水爆実験も批判せず、その被害を過小評価した。そして日本政府が、原子力の平和利用として原発を推進する政策にも、大きく加担している。

XII) 731部隊、広島長崎、チェルノブイリ、福島より

・・・第二次世界大戦中、日本軍は3000人もの医師たちが関わったとされる731部隊により、妊婦や子供まで含めた人体実験が行いました。極東裁判では捕虜虐待死の容疑で死刑に処された軍医幹部もいる中、731部隊関連者は訴追されませんでした。戦後、「研究データを米軍に提供すること」、さらにはなんと、「広島・長崎の研究に協力すること」を引き換えに免責されたのでした。

2010年のNHKの番組で、「(米国への研究データの提供のほかに)原爆調査への協力を731部隊の免責のカードとして使った」という元陸軍軍医の証言がありました。

封印された原爆報告書

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水爆実験
水爆実験ブラボーで被爆したのは第5福竜丸1隻ではなく、延べ1000隻近くの漁船が被爆した!!

核兵器廃絶
徳仁・日本政府・日本医学界は、731部隊のことを謝罪し、戦争被害者の救済、戦争をしない政策にお金をかけるべきだ!
「731部隊・100部隊・毒ガス戦」パネル展 2019年4月29日~5月3日
「日本はなぜ戦争責任問題を解決できないのか 」 田中利幸さん
日本はなぜ戦争責任問題を解決できないのか
水俣病

731部隊(unit731)
昭和天皇の戦争責任を問う!!天皇制反対!!

 

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細菌戦の系譜!!

2020-05-30 09:31:17 | Weblog

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過去に、日本が中国で行なった細菌戦のように。(以下は現在分かっている細菌戦)

1939年 731部隊 ノモンハン戦争にて細菌戦(チフス菌、コレラ菌、赤痢菌)を行う
*1940年は皇紀2600年(神武が即位して2600年??)東京オリンピックや万博が開催される予定であったが、戦争の為中止!!
1940年 6月4日   731部隊、農安大賚・農安で細菌戦(ペスト菌)を行う
10月 4日   731部隊、衢州で細菌戦(ペスト菌)を行う
10月27日   731部隊、寧波で細菌戦(ペスト菌)を行う
1941年11月4日    731部隊、湖南省常徳で細菌戦(ペスト菌)を行
1942年17月        100部隊は、ハイラルの北約120キロのソ連国境で行なった「三河演習」で鼻疽菌の生存期間を測定、炭疽菌の土 壌への浸透力の調査した 
8月       731部隊、湖南省江山、常山、衢県、麗水、江西省広信、広豊、玉山で細菌戦(ペスト、コレラ、チフス)を行う
1943年12月       100部隊第2部に細菌戦準備の第6科を設置

【コロナは生物兵器か】人工のコロナウイルスショックによる文明の転換点 船瀬俊介氏が語る

米軍300人が新型コロナの感染が広がる前に武漢にいたという。
新型コロナウィルスを撒いたのは??

石井四郎が、細菌戦の主犯であったのか?小泉親彦陸軍軍医総監、宮川米治第5代東大伝研所長は関与していないのか??大元帥昭和天皇の関与は?

検証・中国に於ける生体実験
東京帝大医学部の犯罪   美馬聡昭著  桐書房(2013年)
はじめに

背陰河、満州国衛生技術廠で、我が国の結核問題解決のために生体実験の犠牲となった中国人は、7000名を超える大規模なものであった。
一方1938年春からは、結核の生体実験とは別に、731部隊を中心とする細菌兵器の開発、細菌戦の実践が行なわれた。同時期に「同仁会」中国支部を隠れ蓑にして、防疫給水部による細菌製剤づくりが、生体実験を伴って始まった。


この新型コロナウィルスがどこで作られたかは分からないが、細菌戦の系譜をたどると、
日本は、戦時中、1925年のジュネーブ議定書を無視して、中国で細菌を製造し、細菌戦を行なった。戦後、731部隊での研究データをアメリカに渡し、731部隊員は全員戦犯免責され、アメリカは生物戦の研究を本格的に始めた。
日本政府は、中国で行った細菌戦や生体実験の事を、(日本の裁判所は事実認定をしている)未だに隠し続け、事実も認めていない。勿論謝罪もしない。日本軍が中国に遺棄してきた生物兵器は戦後、どのようになったのだろうか?
この新型コロナウィルスに影響しているのだろうか?
今、日本人は過去に犯した戦争犯罪を直視し、きちんと歴史事実に向き合う時ではないのか?

 

今回の新型コロナウイルスは、日本軍が遺棄してきたものが影響しているのか、それともどこかで作られたのか?それとも動物を介して新たに自然発生したのか?

作ったとすれば、アメリカが作ったのか、それとも、日本軍の細菌戦に苦しんだ中国が作ったのか、はたまた、ロシアかそれとも日本(又は日米共同)が作ったのか?よくわからないが、世界各国で生物戦の研究がなされていることは確かであろう。

生物兵器禁止条約の署名を日本は1972年にして、この条約は、1975年に発効されたが、日本がこの条約を批准したのは、1982年。なんでこんなに時間がかかったのか?批准されてからも、細菌(生物)兵器は、極秘裏にアメリカ、中国、ロシア、日本などで研究開発しているのだろう??

中国もロシアもアメリカも細菌戦の事は厳しく裁かなかった!!

埋もれた細菌戦調査書

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●細菌戦裁判

資料集シリーズ・第8集(2002年10月31日)

「731細菌戦裁判・第1審判決特集号」の発行にあたって 

本書第8集は、細菌戦裁判の第1審判決(東京地方裁判所民事第18部)の後、開催された判決報告集会、記者会見、意見交換会等での発言を編集したものです。

弁護団声明

団長 弁護士 土屋公献

5、今日、世界は戦争の危機が覆われている。20世紀の末葉から湾岸戦争、コソボ戦争、2001年10月以降のアフガニスタン戦争など、世界の各地で戦争が続いている。現在では、米国の対イラク、さらにイランや北朝鮮を狙った帝国主義的侵略戦争の危機が急速に深まっている。
小泉内閣は2001年10月テロ対策特別措置法を制定して海上自衛隊をインド洋に派遣しアフガニスタン戦争に参戦した。さらに今年中に有事立法を法制化を強行し、イラク侵略戦争への国民動員を狙っている。

●731部隊員が多く入った国立予防衛生研究所(現・国立感染症研究所)や自衛隊などでの生物兵器の開発・研究も行われているのではないか?

731部隊の行なった細菌戦

東大伝染病研究所は、1947年に主に検査・製造に関わる部門などを厚生省所管の国立予防衛生研究所(現・国立感染症研究所)として分離し、1967年に伝染病研究所を改組して医科学研究所が設置された。

国立予防衛生研究所所長と731部隊員の繋がり(教えてげんさんより

(所長が731部隊員であれば、元隊員もたくさん入るだろう)

戦争中細菌戦部隊及び組織に属していて、戦後、国立予防衛生研究所に関係した人です。

*朝比奈正二郎  (当時)731部隊第1部第9課(水棲昆虫)長。発疹チフスワクチン製造
(戦後)国立予防衛生研究所 名誉所長
*小林六造    (当時)京大教授、防疫研究室嘱託
(戦後)国立予防衛生研究所 初代所長
*小島三郎    (当時)東大伝染病研究所教授、栄1644部隊所属 サルモネラ菌の研究
(戦後)国立予防衛生研究所 第2代所長
文部省百日咳研究班員
*小宮義孝    (当時)華中衛生研究所(栄1644部隊関連)
(戦後)国立予防衛生研究所第4代所長
*柳沢謙     (当時)陸軍軍医学校防疫研究室で嘱託として結核研究 凍結乾燥BCG
(戦後)国立予防衛生研究所 第5代所長
*福見秀雄    (当時)陸軍軍医学校防疫研究室  インフルエンザ
(戦後)国立予防衛生研究所 第6代所長
文部省百日咳研究班員
(注)1951年、国立東京第一病院に入院中の乳児たちに、
両親に告知や許可を受けずに大腸菌を飲ませる実験を行なった
*村田良介      (当時)1644部隊
(戦後)国立予防衛生研究所 第7代所長
*倉内喜八郎   (当時)731部隊細菌戦研究班
(戦後)永寿病院院長
【コロナウイルス・4/17追記】永寿総合病院でメガクラスター発生、160人以上が感染・20人死亡、屋形船から感染拡大

・・・・・・・自衛隊に入った731部隊員・・増田美保、近喰秀大、神子謙、金原節三、井上義弘、中黒秀外之、園口忠男、高橋三郎、佐伯実、木村直正など 
コロナウイルス「PCR検査」を遅らせた“戦犯”は?〈週刊朝日〉

 

帝国陸海軍の「亡霊」が支配する新型コロナ「専門家会議」に物申す(下)


それともロシアや中国などが研究しているだろうか?
新型肺炎、米メディアが報じた「研究所が発生源」説

 

生物兵器禁止条約が1975年に発効されたにもかかわらず、その裏でどんなことが起こっているのだろうか??

免責された731部隊員は、戦後、ABCC(原爆傷害調査委員会)に全面協力し、原爆被爆者を治療するのではなく、放射能の人体に対する影響を追跡した。そして日本は、アメリカの非人道的な原爆投下を問うこと全くなく、原子力の平和利用に突っ走った。

新型コロナは「パンデミック」 WHOが表明

●日本政府は、731部隊の罪業を、公開せず、秘匿し、戦後全く無反省である!!最高責任者の昭和天皇も戦犯免責された!!
安倍晋三は何でこんな行動がとれるのだ??無反省のまま、ずっと生き延びられるのか??
安倍首相の731戦闘機試乗 「止まらない挑発」の非難

2013年5月12日、安倍晋三は宮城県東松島市の航空自衛隊基地を訪問して、機体番号が‘731’であるアクロバット飛行団訓練機の操縦席に座りサムズアップして写真に収まった。

731部隊全景(中国に於いて人体実験を繰り返し、細菌兵器を開発し、中国各地で細菌戦を行なった。)


旧満洲第731部隊軍医将校の学位授与の検証を求めます!

 

731部隊新発見公文書の中身とは 細菌研究を明記

 

核兵器、生物兵器、化学兵器廃絶!! 戦力不保持!!安倍政権打倒!!

どこの研究所で新型コロナウィルスが誕生したのだろうか??

●ニュース

戦争責任を取らぬまま、そのまま在位した昭和天皇、その後の天皇も日本の侵略戦争の謝罪をしていない!!

このウィルスは自然発生なのか?どこの研究所がこんなウィルスを開発したのか??それとも日本軍が遺棄した生物兵器が影響しているのだろうか?

もし人工的につくられたのであれば、どこで製造されたのだろうか?アメリカか?それとも中国?、日本?・・・


731部隊が建物を爆破して日本に逃走した後、その近くの村でペストが流行した。100部隊の逃走した時は、鼻疽菌などに汚染された馬を放ってきた。

中国各地に日本軍の細菌戦研究所が存在したのだから、その施設が遺棄した生物兵器はその後どうなっているのか?

中国の細菌戦被害地では、今でも毎年鼠を捕獲してペストの検疫を行っている。日本軍の遺棄した生物兵器がその後も生きていて、いま中国で広がっている新型コロナウィルスや豚熱に影響はしていないのだろうか?遺棄毒ガス弾が多くの中国人を苦しめているように。

なぜ天皇はコロナ禍にビデオメッセージを発しないのか、皇室記者の考え

給付金業務、97%を電通に再委託 不透明な769億円

森大臣「胸が張り裂ける思い」賭け麻雀問題で訓示

コロナ専門家会議“議事録なし”、野党「検証できない」批判強める

新型コロナ 国内で262件のクラスターを確認、厚労省

「新たな日常」スタート遠のく 感染者急増の北九州市民はいま

米、WHOとの関係解消 トランプ氏が表明

黒人暴行死で白人元警官逮捕 殺人容疑、デモ続く 米ミネソタ

トランプ米大統領、香港の優遇措置撤廃を指示 国家安全法巡り

河井前法相の秘書辞職 公選法違反事件で起訴後に

新型コロナで先行き不安 適用拡大、中小企業に重荷 年金改革法成立

大竹まことゴールデンラジオ・金子勝・2020-05-29(文化放送)


●パネル展「日中戦争―その実相に迫る!」感想(2020年2月8日~13日)
1.印象的なのは、全てです。村瀬写真:人間らしい表情から、心打たれる写真ばかりです。他、731部隊、100部隊、毒ガス、万人坑:知らない事ばかりで、本当に勉強になりました。来て良かったです。時間が足りず、ビデオ上映など、見られませんでした。(女、40、藤沢、知人)

●映画「ひろしま」アンケート(1月13日 横浜)
( )は性別・年代・住まい・情報

24、若い人にももっと見てもらいたいが、なかなか難しい。老人は金を出し、席を埋めることだけでもすればよい。
(男性・70代・藤沢市・チラシ・東京新聞)

日本は、日中戦争で国際法に違反して、細菌戦、毒ガス戦、無差別爆撃を行った。日本政府は、この事実をきちんと認めていない!!

●細菌戦
【真相】(unit731) 

・『石井細菌戦部隊―極秘任務を遂行した隊員たちの証言』
郡司陽子編(1982年11月30日初刷:徳間書店)

Ⅲ ペスト攻撃班、恐怖の実戦秘録
―第2部5課(攻撃・実戦担当)K・S
マニラで細菌戦の予備訓練を受ける

8月8日、ソ連は対日戦線を布告し、9日午前0時を期して満州になだれ込んできた。5課も、部隊の朝鮮方面への転進にあたって、すべての資料・器材を処分することになった。
あわただしい処理作業が続く中で、私の任務は、第2部関係の写真を焼却することであった。攻撃・実戦担当の第2部に保管されている、種々の記録写真は、絶対に湮滅(いんめつ)されねばならなかった。
厖大な量の写真は、リュックサックに詰めて、ボイラー室に運び、焼却された。私は一杯になったリュックサックを背負って、2回も3回も、2部とボイラー室の間を往復せねばならなかった。終日、焼却に追われて過ごした。その後、ハルピンの方角が明るくなった。ソ連機が照明弾を投下したとのことで、いよいよかという緊張感に包まれた。

・『証言 人体実験(731部隊とその周辺)』

中央档案館、中国第2歴史档案館、吉林省社会科学院編
江田憲治、兒嶋俊郎、松村高夫編訳
二 大規模な細菌生産と残虐非道な人体実験

山下昇供述書(1952年5~6月)

問:同部隊の任務は何か。

答:
問:細菌輸送の状況を述べよ。
答:731部隊には50数か所の細菌輸送地点があった。主なところは安達、長春、瀋陽、白城子、南新京、ハイラル、黒河、孫呉で、山海関以南では天津、青島、南京、上海、杭州である。これらの町の受け渡し地点はいずれも郊外にあった。
私が初めて細菌を輸送したのは1944年1月で、ハルピンから飛行機で天津、南京、上海、杭州へ飛んだ。


●毒ガス戦

・『日本軍の毒ガス兵器』  松野誠也著
第1章 毒ガス兵器の研究と開発

2 日本陸軍、毒ガス研究に着手
1920(大正9)年12月、「臨時毒瓦斯調査委員」の目的は概ね達したことが確認され、今後は常設期間が研究を引き継ぐことになった(「委員」は24年6月30日に解散)。既にその前年に陸軍は、第1次世界大戦の兵器技術の進歩に対応するために陸軍技術本部を設置して、そのもとに陸軍科学研究所(現在の東京都新宿区)をおいて兵器研究体制を強化していたのである

・『日本の中国侵略と毒ガス兵器』 歩平著(山邊悠喜子、宮崎教四郎訳)明石書店 1995年発行)

第12章 癒しがたい傷
毒ガスの焼却

ところが、4日目の夕方、100機のドイツ爆撃機が突然飛来し、港に停泊していた連合軍の船舶に対して無差別攻撃を行なった。これは真珠湾事件以来連合軍が初めて見舞われた手痛い打撃であった。ハーベイ号も難を免れることはできず、「重傷」を負った。船の上で火が燃え上がり、継いで爆発が起きた。最も深刻だったのは、この船が爆発した際、イペリットタンクも破壊され、毒液が大量流失を招いたことである。汚染の範囲をできるだけ小さくするため、大尉は船長と共に人々を指揮して貨物船に穴を開けて沈めた。しかし貨物船が海底に沈む際、漏れ出した毒液が海面の油と混ざり、大きな毒ガス汚染源を形成した。

日本軍の毒ガス戦と遺棄毒ガス問題


●『三光』     中国帰還者連絡会編
日本鬼子(リーベンクイズ)

軍医の野天解剖
小美野義利

戦務班長 憲兵曹長
〈旧部隊名〉
関東軍特別警備隊2大隊本部

咳一つしない、不気味な静けさの中にグチャグチャと内臓の動く音だけが聞こえる。ゴムの手袋が、はたと
止まった。同時に軍医のうわずった甲高い声が震えながら、「生きている」と叫んだ。小美野はドキーッと
して、思わず穴の中をのぞき込んだ。
だが、血の海と化した穴の中には、2つの惨死体と骸骨が4つ青白い月の光に照らし出されて転がっている
だけだ。ゾーッとした小美野の耳に、「生きているなんて馬鹿な」と、おろおろした小林少尉の声が聞こえ
てきた。突然、「アハハ・・・・」うつろな笑いを太田曹長が上げた。

●日米安保条約・自衛隊を問う!!
自衛隊は、防護のためと言って、旧日本軍の細菌兵器・毒ガス兵器使用の反省・謝罪もないまま新たな生物兵器・化学兵器を作っているのだろうか??憲法9条を持ち、生物兵器・化学兵器禁止条約を批准しているにも関わらず!!

日本の毒ガス

沖縄・南西諸島が軍事要塞化している現実はおかしくないか??

「琉球処分」から140 今の沖縄を考える


●情報公開裁判
なぜここまでして、国は衛生学校や化学学校で作っていた機関誌を公開しないのだろうか?

・731部隊関連の「情報公開裁判」に関する報告

和田千代子(731細菌戦部隊の実態を明らかにする会事務局長)

第4 私達の情報公開裁判闘争の目的

2002年1月、防衛庁は、「生物兵器対処に係る基本的考え方」として、生物兵器対処に取り組むべき施策の全体像及び方向性を示すとともに、各種の施策を一体的・体系的に推進するための指針として取りまとめました。
他方で、自衛隊は、中期防衛力整備計画(2001年度ないし2005年度)においては、NBC【核兵器(nuclear weapon)、生物兵器(biological weapon)、化学兵器(chemical weapon)】攻撃に足して探知・防御・除染・防疫・救出・治療等の面で効果的に対処し得るよう、人員、装備面等の面で機能の充実を図ることを計画しました。

・次回『衛生学校記事』情報公開裁判(第26回)東京地裁419号法廷
緊急事態宣言が出たため、4月の裁判は延期になりました。

・化学学校記事」情報公開裁判 (第16回)延期です!!
次回 2020年6月3日(水)11:30~ 東京地裁522号廷の予定でしたが、
新型コロナウィルスの影響の為、延期になりました!!

第4代衛生学校長だった金原節三が亡くなってから、遺族が、当時の防衛庁に寄贈した金原節三資料の中に13点の『衛生学校記事』が含まれている。それがいまだに未開示であり、その行方が防衛省は分からないという。

1995年に防衛研究所に衛生学校から金原資料の全部を移管した。翌年1996年には、その資料の中で旧軍資料の価値の高いものを、防衛研究所に残して、あとは衛生学校に戻した。

『金原文庫』はいつまで、衛生学校の彰古館に開設されていたのであろうか?その中に果たして『衛生学校記事』があったのか?また、金原資料はキチンと整理をされていたのだろうか?金原資料の中には『特殊武器衛生』というものもある。防衛省は、金原資料をすべて開示すべきである。

1957(昭和32)年7月『衛生学校第1号』発刊

第4代衛生学校長

『衛生学校記事』を発刊したときの、衛生学校長金原節三とはどんな人物なのだろうか?

金原節三と細菌戦

金原の略歴を見ると、昭和16年11月に陸軍省医務局医事課長になっていて、17年に8月に軍医大佐になっている。

細菌戦資料センターの会報には、次のような記載がある。「陸軍省医務局医事課長だった金原節三元軍医大佐が、1955年に陸上自衛隊に入隊した。細菌戦部隊を指導していたのは、陸軍参謀本部、陸軍省医務局衛生課そして陸軍省医務局医事課である。金原は、「金原業務日誌摘録」に細菌戦部隊からの報告を記録している。

※彰古館には、自衛隊関係の資料も保管している!!

『軍事史研究』2010年9月
軍事史関係史料館探訪(56)
陸上自衛隊衛生学校 医学情報史料室 彰古館
喜多義人

収蔵品の多くは、旧陸軍軍医学校由来の品々と医学文献であり、『大東亜戦争陸軍衛生史』編纂の際に寄贈された史料も所蔵されている。また、衛生学校にかつて開設されていた同校戦史室が収集した戦史史料、戦後の警察予備隊から保安隊を経て陸上自衛隊に至る草創期の衛生科部隊の行動史、研究報告なども含まれている。

●『BC兵器』久保綾三著(1969年)
※以下の記述から、自衛隊では、いま世界で流行している新型コロナウィルスなどの生物兵器の研究も大分以前からやっているといるのではないかと思われる。

Ⅲ 日本における生物・化学兵器の歩み

1、 生物・化学兵器の開発の歩み

自衛隊員が語る旧軍技術研究

」島田は旧軍の時代、毒ガスを、「しろ」とか「みどり」と呼んでいたと言い、その教育は徹底した現地現物主義で、「除毒点を構成し終わって、資材除毒所に行き、完防を脱ぐ」と、「上衣の袖口から汗がドサッと流れる。長靴を脱ぐと、これまたざっと流れる」ようだったと書いているが、その教育状況は今から考えると大変に興味深いものがある。
しろ・・・・ 煙
みどり・・・ クルツアセトフェノン
ちゃ・・・・ 青酸
あか・・・・ アダムサイト ジフェニル塩化砒素
きい1号・・・イペリット
きい2号・・・イペリットとルイサイトの混合
あお・・・・ ホスゲン
その他
ちび・・・対TK肉迫攻撃用のもので、硬質ガラスに青酸と銅粉を入れたもの。

●昭和天皇(ハーバード・ピックス著『昭和天皇』より)吉田裕監修 2001年ピュリッツァー賞受賞

※昭和天皇は、平和主義者でもなんでもなかった。好戦的であり、常に軍部に色々と指示を出していた!!

戦後補償問題に国家無答責という天皇主権の明治憲法下の原則を適用するな!!

第12章大元帥の試練


数週間後の2月中旬、昭和天皇はムンダ、コロンバンガラの基地からガダルカナルを砲爆撃するように永野軍令部総長に要求した。天皇は「ムンダ、コロンバンガラからガ島攻撃を実施しますと総長が奏上したが、その後いっこうにやらんではないか」と問いただしたのである。大本営は、まもなく、中部、北部ソロモンに於ける長期の防衛戦に関する具体的な作戦計画の草案を作成した。アメリカ軍は7月初旬、ニュージョージア島へ上陸し、約1万名の日本軍守備隊は天皇に忠誠を尽くし、約3ヶ月、米軍の攻撃に持ちこたえた。その後、大きな島で日本が押さえているのはブーゲンビルだけとなった。


小泉親彦と昭和天皇
憲法9条を生かそう!!

731部隊員が戦犯免責され、ABCC(原爆傷害調査委員会)に協力した。その結果、アメリカの原爆投下を日本政府は問うことは無く、また被爆者は、ABCCに治療されることもなかった。そして日米安保条約の下、核兵器の廃絶に日本政府は後ろ向きである!!

日本には多くの被爆者がいるのに、日本政府はなぜ核兵器禁止条約に署名しない?

地球の温暖化や異常気象の最大の原因は、今までの2000回以上の核実験や原発事故などの放射能汚染で地球が壊れてきているからではないのか??米の原爆投下責任と核実験をしてきた国の責任を問う!!

●『二酸化炭素温暖化説の崩壊』広瀬隆(集英社新書)

第1章 二酸化炭素温暖化論が地球を破壊する

温暖化の為ハリケーンや台風が増えている?

ミャンマーを襲う巨大サイクロンの発生源は、インドの東側にあるベンガル湾である。そこは同時、2004年のスマトラ島沖巨大地震の震源域でもある。私が大地震を恐れた理由は、7000万年ほど前に、インド亜大陸が、現在オーストラリアのある辺りから北上してユーラシア大陸に激突して今のように大陸と一体化し、その巨大な力でエベレストなどのヒマラヤ山脈を作った地球の造山運動にある。

●核実験(ウキペディアより)

若くして白血病で亡くなった夏目雅子、本田美奈子、また五輪候補選手だったスイマーが白血病になったのは、放射能の影響ではないのか?月の砂漠の犠牲者 夏目雅子と本田美奈子
核兵器禁止条約
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
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核兵器禁止条約
Treaty on the Prohibition of Nuclear Weapons
250 px
締約国
署名国
種類 軍備管理、 核軍縮
署名 2017年9月20日
署名場所 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国、ニューヨーク
捺印 2017年7月7日
発効 未発効
現況 50ヵ国が批准し、それから90日後に発効する
署名国 81
締約国 35[1]
寄託者 国際連合事務総長
言語 アラビア語、中国語、英語、フランス語、ロシア語、スペイン語
Treaty on the Prohibition of Nuclear Weapons - Wikisource

水素爆弾の恐怖・ビキニ環礁 (アメリカ)

「北朝鮮の核実験の威力」と「史上最強の核兵器"ツァーリ・ボンバ"の破壊力」【核兵器】


●核なき世界へ!!Toward a Nuclear-Free Future

●核融合もすべきではない!!
20170303 小出裕章先生にきいてみた!!〜土岐市核融合科学研究所 重水素実験について

日本政府・自衛隊は情報を公開せよ!!(情報開示!!)

今年も8月12日がくる──。33年前 520人が犠牲になった日航機墜落、遺物の化学分析で判明した事実とは?

中曽根元総理が知る日航機墜落事故の真実とは?墓場まで発言の真意を調査!

ここの研究所は、どんなことをやっているのだろうか??

国立感染症研究所村山庁舎(武蔵村山)

●1954年3月1日第5福竜丸他1000隻もの船が被曝!核兵器廃絶!!

なぜ、日本は広島・長崎・ビキニ・JCO臨界事故・福島と5度も被爆しているにに、日本医学界は「脱原発!!」と叫ばない!!

原爆投下された直後、日本は自らが原爆調査をして、731部隊(人体実験や細菌戦)の事もあるので、アメリカの心証を良くしようと考えた。そして科学者を総動員して原爆調査(被爆者を救済するための調査ではなく、原爆の威力調査)を181冊の調査書にまとめて、英訳し、アメリカに渡した。その後、731部隊員は、731で研究したデータを渡し、戦犯免責を受けた。原爆調査書は被爆者の治療には全く生かされず、日本の医学界は、原爆の放射能被害については、何も言及しなかった。そればかりか、その後のアメリカの原爆・水爆実験も批判せず、その被害を過小評価した。そして日本政府が、原子力の平和利用として原発を推進する政策にも、大きく加担している。

XII) 731部隊、広島長崎、チェルノブイリ、福島より

・・・第二次世界大戦中、日本軍は3000人もの医師たちが関わったとされる731部隊により、妊婦や子供まで含めた人体実験が行いました。極東裁判では捕虜虐待死の容疑で死刑に処された軍医幹部もいる中、731部隊関連者は訴追されませんでした。戦後、「研究データを米軍に提供すること」、さらにはなんと、「広島・長崎の研究に協力すること」を引き換えに免責されたのでした。

2010年のNHKの番組で、「(米国への研究データの提供のほかに)原爆調査への協力を731部隊の免責のカードとして使った」という元陸軍軍医の証言がありました。

封印された原爆報告書

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水爆実験
水爆実験ブラボーで被爆したのは第5福竜丸1隻ではなく、延べ1000隻近くの漁船が被爆した!!

核兵器廃絶
徳仁・日本政府・日本医学界は、731部隊のことを謝罪し、戦争被害者の救済、戦争をしない政策にお金をかけるべきだ!
「731部隊・100部隊・毒ガス戦」パネル展 2019年4月29日~5月3日
「日本はなぜ戦争責任問題を解決できないのか 」 田中利幸さん
日本はなぜ戦争責任問題を解決できないのか
水俣病

昭和天皇の戦争責任を問う!!天皇制反対!!

 

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細菌戦の系譜!!

2020-05-29 09:03:02 | Weblog

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第5回「戦争の加害」パネル展in横浜
細菌(生物)戦争
『BCGと人体実験』 美馬聡昭著
731部隊 ペスト研究、攻撃用か(1988年朝日新聞)
防疫研究室と昭和天皇の関係
1940年と2020年の東京オリンピック
『ウサギと化学兵器』いのうえせつこ著
731部隊と国立感染症研究所の問題!!
731部隊・細菌戦資料センター総会のご案内
731部隊の罪業
731部隊 行動示す新資料・埋もれた公文書
情報公開裁判「化学学校記事」「衛生学校記事」
武蔵村山の国立感染症研究所問題!!
731部隊・100部隊展

●今の日本人は、まさかと思うかもしれない。

今、世界中で猛威を振るっている新型コロナウィルス。これは、細菌戦(生物戦)ではないのか?
過去に、日本が中国で行なった細菌戦のように。(以下は現在分かっている細菌戦)

1939年 731部隊 ノモンハン戦争にて細菌戦(チフス菌、コレラ菌、赤痢菌)を行う
*1940年は皇紀2600年(神武が即位して2600年??)東京オリンピックや万博が開催される予定であったが、戦争の為中止!!
1940年 6月4日   731部隊、農安大賚・農安で細菌戦(ペスト菌)を行う
10月 4日   731部隊、衢州で細菌戦(ペスト菌)を行う
10月27日   731部隊、寧波で細菌戦(ペスト菌)を行う
1941年11月4日    731部隊、湖南省常徳で細菌戦(ペスト菌)を行
1942年17月        100部隊は、ハイラルの北約120キロのソ連国境で行なった「三河演習」で鼻疽菌の生存期間を測定、炭疽菌の土 壌への浸透力の調査した 
8月       731部隊、湖南省江山、常山、衢県、麗水、江西省広信、広豊、玉山で細菌戦(ペスト、コレラ、チフス)を行う
1943年12月       100部隊第2部に細菌戦準備の第6科を設置

【コロナは生物兵器か】人工のコロナウイルスショックによる文明の転換点 船瀬俊介氏が語る

米軍300人が新型コロナの感染が広がる前に武漢にいたという。
新型コロナウィルスを撒いたのは??

石井四郎が、細菌戦の主犯であったのか?小泉親彦陸軍軍医総監、宮川米治第5代東大伝研所長は関与していないのか??大元帥昭和天皇の関与は?

検証・中国に於ける生体実験
東京帝大医学部の犯罪   美馬聡昭著  桐書房(2013年)
はじめに

その後、結核の生体実験は、1934年10月にできた満州国衛生技術廠(新京、長春)、別名満洲伝研へと引き継がれ、終戦直前まで、結核予防のための生体実験が繰り返された。ここでは液状のBCGワクチンから、凍結乾燥ワクチンの製造が行なわれ、乾燥ワクチンの効果及び経過観察が行なわれた。
戦後実施されたBCG接種の接種法も決定された。戦後誰もが経験したことのある、年1回のツベルクリン反応検査と、その結果ツベルクリン反応陰性者、擬陽性者に、BCGの再接種を行なうという医学的根拠が、生体実験で実証されたのである。


この新型コロナウィルスがどこで作られたかは分からないが、細菌戦の系譜をたどると、
日本は、戦時中、1925年のジュネーブ議定書を無視して、中国で細菌を製造し、細菌戦を行なった。戦後、731部隊での研究データをアメリカに渡し、731部隊員は全員戦犯免責され、アメリカは生物戦の研究を本格的に始めた。
日本政府は、中国で行った細菌戦や生体実験の事を、(日本の裁判所は事実認定をしている)未だに隠し続け、事実も認めていない。勿論謝罪もしない。日本軍が中国に遺棄してきた生物兵器は戦後、どのようになったのだろうか?
この新型コロナウィルスに影響しているのだろうか?
今、日本人は過去に犯した戦争犯罪を直視し、きちんと歴史事実に向き合う時ではないのか?

 

今回の新型コロナウイルスは、日本軍が遺棄してきたものが影響しているのか、それともどこかで作られたのか?それとも動物を介して新たに自然発生したのか?

作ったとすれば、アメリカが作ったのか、それとも、日本軍の細菌戦に苦しんだ中国が作ったのか、はたまた、ロシアかそれとも日本(又は日米共同)が作ったのか?よくわからないが、世界各国で生物戦の研究がなされていることは確かであろう。

生物兵器禁止条約の署名を日本は1972年にして、この条約は、1975年に発効されたが、日本がこの条約を批准したのは、1982年。なんでこんなに時間がかかったのか?批准されてからも、細菌(生物)兵器は、極秘裏にアメリカ、中国、ロシア、日本などで研究開発しているのだろう??

中国もロシアもアメリカも細菌戦の事は厳しく裁かなかった!!

埋もれた細菌戦調査書

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●細菌戦裁判

資料集シリーズ・第8集(2002年10月31日)

「731細菌戦裁判・第1審判決特集号」の発行にあたって 

本書第8集は、細菌戦裁判の第1審判決(東京地方裁判所民事第18部)の後、開催された判決報告集会、記者会見、意見交換会等での発言を編集したものです。

弁護団声明

団長 弁護士 土屋公献

このように日中共同声明で処理されたのは、中国の国家としての戦争賠償問題だけであって、中国人戦争被害者が個人として持っている損害賠償請求権は何ら制限を受けない。本判決が日中共同声明等にまで言及してかくも無理な解釈を施した点は本判決の破綻性を如実に示している。私達弁護団は、裁判所の法理論を必ず打ち破ることが出来ると確信している。

●731部隊員が多く入った国立予防衛生研究所(現・国立感染症研究所)や自衛隊などでの生物兵器の開発・研究も行われているのではないか?

731部隊の行なった細菌戦

東大伝染病研究所は、1947年に主に検査・製造に関わる部門などを厚生省所管の国立予防衛生研究所(現・国立感染症研究所)として分離し、1967年に伝染病研究所を改組して医科学研究所が設置された。

国立予防衛生研究所所長と731部隊員の繋がり(教えてげんさんより

(所長が731部隊員であれば、元隊員もたくさん入るだろう)

戦争中細菌戦部隊及び組織に属していて、戦後、国立予防衛生研究所に関係した人です。

*朝比奈正二郎  (当時)731部隊第1部第9課(水棲昆虫)長。発疹チフスワクチン製造
(戦後)国立予防衛生研究所 名誉所長
*小林六造    (当時)京大教授、防疫研究室嘱託
(戦後)国立予防衛生研究所 初代所長
*小島三郎    (当時)東大伝染病研究所教授、栄1644部隊所属 サルモネラ菌の研究
(戦後)国立予防衛生研究所 第2代所長
文部省百日咳研究班員
*小宮義孝    (当時)華中衛生研究所(栄1644部隊関連)
(戦後)国立予防衛生研究所第4代所長
*柳沢謙     (当時)陸軍軍医学校防疫研究室で嘱託として結核研究 凍結乾燥BCG
(戦後)国立予防衛生研究所 第5代所長
*福見秀雄    (当時)陸軍軍医学校防疫研究室  インフルエンザ
(戦後)国立予防衛生研究所 第6代所長
文部省百日咳研究班員
(注)1951年、国立東京第一病院に入院中の乳児たちに、
両親に告知や許可を受けずに大腸菌を飲ませる実験を行なった
*村田良介      (当時)1644部隊
(戦後)国立予防衛生研究所 第7代所長
*倉内喜八郎   (当時)731部隊細菌戦研究班
(戦後)永寿病院院長
【コロナウイルス・4/17追記】永寿総合病院でメガクラスター発生、160人以上が感染・20人死亡、屋形船から感染拡大

・・・・・・・自衛隊に入った731部隊員・・増田美保、近喰秀大、神子謙、金原節三、井上義弘、中黒秀外之、園口忠男、高橋三郎、佐伯実、木村直正など 
コロナウイルス「PCR検査」を遅らせた“戦犯”は?〈週刊朝日〉

 

帝国陸海軍の「亡霊」が支配する新型コロナ「専門家会議」に物申す(下)


それともロシアや中国などが研究しているだろうか?
新型肺炎、米メディアが報じた「研究所が発生源」説

 

生物兵器禁止条約が1975年に発効されたにもかかわらず、その裏でどんなことが起こっているのだろうか??

免責された731部隊員は、戦後、ABCC(原爆傷害調査委員会)に全面協力し、原爆被爆者を治療するのではなく、放射能の人体に対する影響を追跡した。そして日本は、アメリカの非人道的な原爆投下を問うこと全くなく、原子力の平和利用に突っ走った。

新型コロナは「パンデミック」 WHOが表明

●日本政府は、731部隊の罪業を、公開せず、秘匿し、戦後全く無反省である!!最高責任者の昭和天皇も戦犯免責された!!
安倍晋三は何でこんな行動がとれるのだ??無反省のまま、ずっと生き延びられるのか??
安倍首相の731戦闘機試乗 「止まらない挑発」の非難

2013年5月12日、安倍晋三は宮城県東松島市の航空自衛隊基地を訪問して、機体番号が‘731’であるアクロバット飛行団訓練機の操縦席に座りサムズアップして写真に収まった。

731部隊全景(中国に於いて人体実験を繰り返し、細菌兵器を開発し、中国各地で細菌戦を行なった。)


旧満洲第731部隊軍医将校の学位授与の検証を求めます!

 

731部隊新発見公文書の中身とは 細菌研究を明記

 

核兵器、生物兵器、化学兵器廃絶!! 戦力不保持!!安倍政権打倒!!

どこの研究所で新型コロナウィルスが誕生したのだろうか??

●ニュース

戦争責任を取らぬまま、そのまま在位した昭和天皇、その後の天皇も日本の侵略戦争の謝罪をしていない!!

このウィルスは自然発生なのか?どこの研究所がこんなウィルスを開発したのか??それとも日本軍が遺棄した生物兵器が影響しているのだろうか?

もし人工的につくられたのであれば、どこで製造されたのだろうか?アメリカか?それとも中国?、日本?・・・


731部隊が建物を爆破して日本に逃走した後、その近くの村でペストが流行した。100部隊の逃走した時は、鼻疽菌などに汚染された馬を放ってきた。

中国各地に日本軍の細菌戦研究所が存在したのだから、その施設が遺棄した生物兵器はその後どうなっているのか?

中国の細菌戦被害地では、今でも毎年鼠を捕獲してペストの検疫を行っている。日本軍の遺棄した生物兵器がその後も生きていて、いま中国で広がっている新型コロナウィルスや豚熱に影響はしていないのだろうか?遺棄毒ガス弾が多くの中国人を苦しめているように。

なぜ天皇はコロナ禍にビデオメッセージを発しないのか、皇室記者の考え

北九州市“第2波”警戒強まる 新たに21人 6日間で43人

東京の武蔵野中央病院、9人感染 クラスターが発生か

神奈川で8人感染、3人死亡 経路不明多数

自民党本部元幹部を任意聴取 複数人、案里氏選挙に関与 河井前法相の買収疑惑・検察当局

自殺した近畿財務局職員の遺書公開…そもそも「森友学園問題」はどう始まったのか〈dot.〉

大竹まことゴールデンラジオ・金子勝・2020-05-22(文化放送)



●パネル展「日中戦争―その実相に迫る!」感想(2020年2月8日~13日)


16. 印象に残るのは、万人坑、毒ガスに被害、映像。写真を見てあらためて日本が中国で行ったことそして毒ガス兵器の実態、今も続いて遺棄毒ガス。虐殺の万人坑など、大変痛ましく、しかし歴史の事実としてしることの重要なことを感じます。若い人たちにもぜひ見てほしいと思います。映像も大変良かった。アメリカのしたたかさを知りました。いつもありがとうございます。たいへんですが、毎年続けることの大切さを学びました。(女、60、市内、記事)

●映画「ひろしま」アンケート(1月13日 横浜)
( )は性別・年代・住まい・情報

23、映画「ひろしま」を見られて本当に良かったです。火災により家の下敷きになった家族を助けられない場面は心が痛みました。阪神淡路大震災でも同じ場面がありましたが、地震は天災、原爆は人災です。戦争がなければ起こらなかったのですから、なおさら心が痛みました。
又、教師が子どもたちの生死を確かめるシーンも本当に悲しかったです。あの場面が実際にあちこちで、家族間でもあったのでしょう。本当に実際にあったつらい場面でした。
大根の種をまいて芽が出た―みんなの希望になったのでしょうね。
私も友人が広島におり、広島米を送ってくれます。また、友人にこの映画をみたことを知らせます。
又、小学校で教育支援をしており、「平和学習コーナー」の掲示板をもらっているので、そこにチラシを掲示し、この映画のことを知らせます。
(女性・70代・市内・朝日新聞)

 

日本は、日中戦争で国際法に違反して、細菌戦、毒ガス戦、無差別爆撃を行った。日本政府は、この事実をきちんと認めていない!!

●細菌戦
【真相】(unit731) 

・『石井細菌戦部隊―極秘任務を遂行した隊員たちの証言』
郡司陽子編(1982年11月30日初刷:徳間書店)

Ⅲ ペスト攻撃班、恐怖の実戦秘録
―第2部5課(攻撃・実戦担当)K・S
マニラで細菌戦の予備訓練を受ける

昭和20年に入っても、私は、相変わらず、1週間は安達実験場、次の1週間は5課内勤という毎日を送っていた。
7月の末いつものように安達へ行き、8月1日に帰ってきた時、私は一風変わった、耳慣れないサイレンの音を聞いた。将校集合のサイレンだということであった。
やがて将校集合から5課に帰ってきた将校たちの様子がおかしい。みんなガックリと首をうなだれている。顔色も心もち蒼ざめている。私は「日本が敗けた(ママ)」と直感した。

・『証言 人体実験(731部隊とその周辺)』

中央档案館、中国第2歴史档案館、吉林省社会科学院編
江田憲治、兒嶋俊郎、松村高夫編訳
二 大規模な細菌生産と残虐非道な人体実験

山下昇供述書(1952年5~6月)

問:同部隊の任務は何か。

答:
実験で死んだ人は運び出されて焼かれた。まだ息があるのに運ばれて焼却されることもあった。焼却場の大煙突は毎日煙をあげていた。
外科では解剖も行った。実験で死んだ人を解剖する場合、軍医たちが死者の頭、腕、足を切除したあと、我々がそれらを解剖して細菌の作用を研究した。731部隊では死んだ人も生きている人も解剖した。私は仕事ができ、手術の腕もよかったので見習士官に昇進し、軍刀軍帯賞をもらった。

●毒ガス戦

・『日本軍の毒ガス兵器』  松野誠也著
第1章 毒ガス兵器の研究と開発
1、第1次世界大戦と毒ガス戦
毒ガス戦の幕開け

2 日本陸軍、毒ガス研究に着手
「委員」は、液体塩素、塩化ベンジル(催涙性ガス)、クロルピクリン(催涙窒息性ガス)などを製造し、イペリットの合成にも成功した。また、ガス弾の試作や野外試験を行ない、塩化ベンジルを「カ号」(軽い意味)・臭素うぃ「オ号」(重いの意味)と称して仮採用した。さらに1919(大正8)3月6日にはイペリットの製造法研究報告と「生物的試験」の第1回報告を提出している。(以上、陸軍科学研究所第3部『本邦化学兵器沿革史』。日本陸軍は早い時期に毒ガスの合成に成功したことが分かる。また、委員に加わった小泉一刀軍医が自ら人体実験を行なって有効性を確認した第2防毒覆面(ガスマスク)が採用されてシベリアへ送られたが、シベリアでは毒ガス戦は起きなかった。

・『日本の中国侵略と毒ガス兵器』 歩平著(山邊悠喜子、宮崎教四郎訳)明石書店 1995年発行)

第12章 癒しがたい傷
毒ガスの焼却

それは1943年11月の事だった。アメリカ軍ベクストラム大尉は、100トンの糜爛性毒剤イペリットを貨物船ジョン・ハーベイ号に載せ、アメリカのバルチモアから連合軍の補給基地ーイタリア島南部に位置するアドリア海の湊バリヘ運べ都の命令を受けた。この件は当然ながら秘密であり、大尉は荷物の内容を船長に告げはしなかった。このため港の管理部門も普通の貨物と思って、普通の貨物船と同様、遠くの埠頭に停泊させて荷卸を待たせた。

日本軍の毒ガス戦と遺棄毒ガス問題

●『三光』     中国帰還者連絡会編

日本鬼子(リーベンクイズ)

軍医の野天解剖
小美野義利

戦務班長 憲兵曹長
〈旧部隊名〉
関東軍特別警備隊2大隊本部

むっとするような血生ぐさい臭いに、6人は思わず軍医の顔とゴム手袋の上にのせられた肺臓とを見比べた。先のツンととがった略帽の下に片頬をひきつるように薄笑いする青い顔は、人間の形相ではない。血の通ったけだものである。
「ゴクッ」と生つばを呑んだ桐原が、「野郎、先刻まであんなに暴れていやがったが、こうなったらさっぱりだ」と、うわずった大声で叫んだ。「もっとほかのところを見せてください軍医殿」と、小美野は虚勢を張って叫んだが、その声はかすれて喉の奥に引っかかっていた。
軍医はその肺臓を血の穴にポンと投げ捨てると、また血みどろのゴム手袋で腹の中をかきまわし始めた。

●日米安保条約・自衛隊を問う!!

自衛隊は、防護のためと言って、旧日本軍の細菌兵器・毒ガス兵器使用の反省・謝罪もないまま新たな生物兵器・化学兵器を作っているのだろうか??憲法9条を持ち、生物兵器・化学兵器禁止条約を批准しているにも関わらず!!

日本の毒ガス

沖縄・南西諸島が軍事要塞化している現実はおかしくないか??

「琉球処分」から140 今の沖縄を考える


●情報公開裁判

なぜここまでして、国は衛生学校や化学学校で作っていた機関誌を公開しないのだろうか?

・731部隊関連の「情報公開裁判」に関する報告

和田千代子(731細菌戦部隊の実態を明らかにする会事務局長)

第4 私達の情報公開裁判闘争の目的

最近の自衛隊の生物戦に関する動きを見ると、2000年5月より、自衛隊は部外有識者からなる「生物兵器への対処に関する懇談会」を開始し、翌2001年4月には防衛庁長官に「生物兵器への対処に関する懇談報告書」が提出されました。
これらを踏まえ、同年5月防衛庁は庁内に「生物兵器対処に係る連絡会議」を設置し、運用面の観点から生物兵器対処に係る基本的考え方を整理し施策のの全体像を示す検討を開始しました。


・次回『衛生学校記事』情報公開裁判(第26回)東京地裁419号法廷

緊急事態宣言が出たため、4月の裁判は延期になりました。

・化学学校記事」情報公開裁判 (第16回)延期です!!

次回 2020年6月3日(水)11:30~ 東京地裁522号廷の予定でしたが、

新型コロナウィルスの影響の為、延期になりました!!

第4代衛生学校長だった金原節三が亡くなってから、遺族が、当時の防衛庁に寄贈した金原節三資料の中に13点の『衛生学校記事』が含まれている。それがいまだに未開示であり、その行方が防衛省は分からないという。

1995年に防衛研究所に衛生学校から金原資料の全部を移管した。翌年1996年には、その資料の中で旧軍資料の価値の高いものを、防衛研究所に残して、あとは衛生学校に戻した。

『金原文庫』はいつまで、衛生学校の彰古館に開設されていたのであろうか?その中に果たして『衛生学校記事』があったのか?また、金原資料はキチンと整理をされていたのだろうか?金原資料の中には『特殊武器衛生』というものもある。防衛省は、金原資料をすべて開示すべきである。

1957(昭和32)年7月『衛生学校第1号』発刊

第4代衛生学校長

『衛生学校記事』を発刊したときの、衛生学校長金原節三とはどんな人物なのだろうか?

金原節三(1901~1976)

陸軍省医事課長時代(1941.11~43.8)に731部隊から報告を受けていた。「陸軍省業務日誌摘録」

厚生省東海北陸医務出張所から衛生学校へ 1955.8.1

金原節三と細菌戦

金原の略歴を見ると、昭和16年11月に陸軍省医務局医事課長になっていて、17年に8月に軍医大佐になっている。

細菌戦資料センターの会報には、次のような記載がある。「陸軍省医務局医事課長だった金原節三元軍医大佐が、1955年に陸上自衛隊に入隊した。細菌戦部隊を指導していたのは、陸軍参謀本部、陸軍省医務局衛生課そして陸軍省医務局医事課である。金原は、「金原業務日誌摘録」に細菌戦部隊からの報告を記録している。

●『BC兵器』久保綾三著(1969年)

※以下の記述から、自衛隊では、いま世界で流行している新型コロナウィルスなどの生物兵器の研究も大分以前からやっているといるのではないかと思われる。

Ⅲ 日本における生物・化学兵器の歩み

1、 生物・化学兵器の開発の歩み

自衛隊員が語る旧軍技術研究

小官は戦車隊(第19師団、軽装甲車訓練場)から入校し、戦車学校にも入校していた関係上、消(散)毒車、除毒車、除毒車、除毒機の操法は、得意であり、当時山根中尉(片村中尉)、杉山少尉、いずれも化校で総務課長、管理課長をやられた方とは同期であり、演習の余暇を利用しては、操縦訓練を教えてやった。教室(実験室も含む)で教官から教えてもらうのは、資材(実毒の意味)の一部と戦術ぐらいのもので、他の課目の大部分は、雨が降ろうが、風が吹こうが、野外で実施、実物体験主義、理論よりも実物(実毒)に親炙、体で覚えるいわゆる体得するのが、習校の教育方針のようにうかがえた。」

●昭和天皇(ハーバード・ピックス著『昭和天皇』より)吉田裕監修 2001年ピュリッツァー賞受賞

※昭和天皇は、平和主義者でもなんでもなかった。好戦的であり、常に軍部に色々と指示を出していた!!

戦後補償問題に国家無答責という天皇主権の明治憲法下の原則を適用するな!!

第12章大元帥の試練


アメリカのガダルカナル奪取により、太平洋における日本の攻勢の過度な拡大に終止符が打たれた。いまや、戦争は長期化と守勢の局面に入った。それにもかかわらず、依然、大本営は太平洋の防衛線の大幅な縮小を先送りにしていた。アメリカ軍、オーストラリア軍、ニュージーランド軍は、ニューギニアのラエ、サラモア、フィンシュハーフェンの各地で増強された日本軍と対峙し、密林で戦闘を繰り広げた。しかし、連合軍は、日本軍が占領した拠点を強化する前に、防戦へと日本を追い込んだ。昭和天皇と統帥部長は、図上で検討したうえで、ニューギニア、ソロモンの残された戦略拠点の強化を決定した。東京の参謀本部は、輸送、空軍力、食糧、火砲、弾薬の不足のみならず、この地域での作戦は地勢、気候から見
ても困難であることを知っていた。昭和天皇もまたこれをかすかに、抽象的にではあるが知っていた。1943年1月26日になっても、昭和天皇はニュージョージア島ムンダ飛行場 (ガダルカナルから約290キロ)からのいかなる撤退にも反対していた。その理由は、それがほんの3週間前に同意した防御線からの後退を意味していたからである。永野軍令部総長は、海軍がムンダを防衛する意図であることを改めて天皇に確言したが、永野は、すでに1943年1月初旬以来、アメリカ海軍の砲撃下にあるムンダの確保は、あきらめた方よいのではないかと、それとなく天皇に奏上していた。


小泉親彦と昭和天皇
憲法9条を生かそう!!

731部隊員が戦犯免責され、ABCC(原爆傷害調査委員会)に協力した。その結果、アメリカの原爆投下を日本政府は問うことは無く、また被爆者は、ABCCに治療されることもなかった。そして日米安保条約の下、核兵器の廃絶に日本政府は後ろ向きである!!

日本には多くの被爆者がいるのに、日本政府はなぜ核兵器禁止条約に署名しない?

地球の温暖化や異常気象の最大の原因は、今までの2000回以上の核実験や原発事故などの放射能汚染で地球が壊れてきているからではないのか??米の原爆投下責任と核実験をしてきた国の責任を問う!!

●『二酸化炭素温暖化説の崩壊』広瀬隆(集英社新書)

第1章 二酸化炭素温暖化論が地球を破壊する

温暖化の為ハリケーンや台風が増えている?

私の直感は、全くの素人考えだが、悲しいことに的中した。人間は、深海に潜って1時期の海底を調べることはできても、今後も永遠に、深い海底を恒常的に調べることができないのである。
そのため、2008年5月2日~3日にミャンマーを巨大サイクロンが襲って、10万人を超える死者が出た時も、私はまたその一帯での大地震を予感しなければならなかった。案の定、その直後の5月12日(北京オリンピック前)に中国四川省でマグニチュード8という巨大地震が起こり、死者・行方不明者8万人以上の大被害が出た。

●核実験(ウキペディアより)

若くして白血病で亡くなった夏目雅子、本田美奈子、また五輪候補選手だったスイマーが白血病になったのは、放射能の影響ではないのか?

月の砂漠の犠牲者 夏目雅子と本田美奈子
放射能の影響
核実験により多量の放射性物質が、放射性降下物(いわゆる「死の灰」・「黒い雨」)として、広範囲に拡散をする事で大気汚染・土壌汚染・海洋汚染・生物汚染を引き起こす。このため短期・長期の様々な影響がある。
核実験が行われるようになって以降、北部大西洋の中層でも放射性同位体比が上昇している。これは海洋表層に散布された放射性元素が海洋大循環によって沈み込んだためである。
核実験で放射性同位元素の炭素14が大気中に散布されたため、放射性炭素年代測定法による年代測定は、1950年頃以降を特定するための年代測定としては、従来の手順では使えなくなった。

水素爆弾の恐怖・ビキニ環礁 (アメリカ)

「北朝鮮の核実験の威力」と「史上最強の核兵器"ツァーリ・ボンバ"の破壊力」【核兵器】

●核なき世界へ!!Toward a Nuclear-Free Future


●核融合もすべきではない!!
20170303 小出裕章先生にきいてみた!!〜土岐市核融合科学研究所 重水素実験について

日本政府・自衛隊は情報を公開せよ!!(情報開示!!)

今年も8月12日がくる──。33年前 520人が犠牲になった日航機墜落、遺物の化学分析で判明した事実とは?

中曽根元総理が知る日航機墜落事故の真実とは?墓場まで発言の真意を調査!

ここの研究所は、どんなことをやっているのだろうか??

国立感染症研究所村山庁舎(武蔵村山)

●1954年3月1日第5福竜丸他1000隻もの船が被曝!核兵器廃絶!!

なぜ、日本は広島・長崎・ビキニ・JCO臨界事故・福島と5度も被爆しているにに、日本医学界は「脱原発!!」と叫ばない!!

原爆投下された直後、日本は自らが原爆調査をして、731部隊(人体実験や細菌戦)の事もあるので、アメリカの心証を良くしようと考えた。そして科学者を総動員して原爆調査(被爆者を救済するための調査ではなく、原爆の威力調査)を181冊の調査書にまとめて、英訳し、アメリカに渡した。その後、731部隊員は、731で研究したデータを渡し、戦犯免責を受けた。原爆調査書は被爆者の治療には全く生かされず、日本の医学界は、原爆の放射能被害については、何も言及しなかった。そればかりか、その後のアメリカの原爆・水爆実験も批判せず、その被害を過小評価した。そして日本政府が、原子力の平和利用として原発を推進する政策にも、大きく加担している。

XII) 731部隊、広島長崎、チェルノブイリ、福島より

・・・第二次世界大戦中、日本軍は3000人もの医師たちが関わったとされる731部隊により、妊婦や子供まで含めた人体実験が行いました。極東裁判では捕虜虐待死の容疑で死刑に処された軍医幹部もいる中、731部隊関連者は訴追されませんでした。戦後、「研究データを米軍に提供すること」、さらにはなんと、「広島・長崎の研究に協力すること」を引き換えに免責されたのでした。

 

2010年のNHKの番組で、「(米国への研究データの提供のほかに)原爆調査への協力を731部隊の免責のカードとして使った」という元陸軍軍医の証言がありました。

封印された原爆報告書

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水爆実験

水爆実験ブラボーで被爆したのは第5福竜丸1隻ではなく、延べ1000隻近くの漁船が被爆した!!

核兵器廃絶

徳仁・日本政府・日本医学界は、731部隊のことを謝罪し、戦争被害者の救済、戦争をしない政策にお金をかけるべきだ!

「731部隊・100部隊・毒ガス戦」パネル展 2019年4月29日~5月3日
「日本はなぜ戦争責任問題を解決できないのか 」 田中利幸さん
日本はなぜ戦争責任問題を解決できないのか

水俣病


731部隊(unit731)

昭和天皇の戦争責任を問う!!天皇制反対!!

 

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細菌戦の系譜!!

2020-05-28 10:52:27 | Weblog

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第5回「戦争の加害」パネル展in横浜
細菌(生物)戦争
『BCGと人体実験』 美馬聡昭著
731部隊 ペスト研究、攻撃用か(1988年朝日新聞)
防疫研究室と昭和天皇の関係
1940年と2020年の東京オリンピック
『ウサギと化学兵器』いのうえせつこ著
731部隊と国立感染症研究所の問題!!
731部隊・細菌戦資料センター総会のご案内
731部隊の罪業
731部隊 行動示す新資料・埋もれた公文書
情報公開裁判「化学学校記事」「衛生学校記事」
武蔵村山の国立感染症研究所問題!!
731部隊・100部隊展

 

●今の日本人は、まさかと思うかもしれない。

今、世界中で猛威を振るっている新型コロナウィルス。これは、細菌戦(生物戦)ではないのか?
過去に、日本が中国で行なった細菌戦のように。(以下は現在分かっている細菌戦)

 

 

1939年 731部隊 ノモンハン戦争にて細菌戦(チフス菌、コレラ菌、赤痢菌)を行う
*1940年は皇紀2600年(神武が即位して2600年??)東京オリンピックや万博が開催される予定であったが、戦争の為中止!!
1940年 6月4日   731部隊、農安大賚・農安で細菌戦(ペスト菌)を行う
10月 4日   731部隊、衢州で細菌戦(ペスト菌)を行う
10月27日   731部隊、寧波で細菌戦(ペスト菌)を行う
1941年11月4日    731部隊、湖南省常徳で細菌戦(ペスト菌)を行
1942年17月        100部隊は、ハイラルの北約120キロのソ連国境で行なった「三河演習」で鼻疽菌の生存期間を測定、炭疽菌の土 壌への浸透力の調査した 
8月       731部隊、湖南省江山、常山、衢県、麗水、江西省広信、広豊、玉山で細菌戦(ペスト、コレラ、チフス)を行う
1943年12月       100部隊第2部に細菌戦準備の第6科を設置

【コロナは生物兵器か】人工のコロナウイルスショックによる文明の転換点 船瀬俊介氏が語る

 

米軍300人が新型コロナの感染が広がる前に武漢にいたという。

新型コロナウィルスを撒いたのは??

石井四郎が、細菌戦の主犯であったのか?小泉親彦陸軍軍医総監、宮川米治第5代東大伝研所長は関与していないのか??大元帥昭和天皇の関与は?

検証・中国に於ける生体実験
東京帝大医学部の犯罪   美馬聡昭著  桐書房(2013年)
はじめに

私は、この訴訟の資料収集の中で1993年秋、戦前の国民病肺結核解決の為、中国で生体実験が行われていたという医学的事実を発見した。結核予防のための生体実験は、1931年春からハルピン郊外の背陰河(ハイインガ)で始まった。ここでは結核菌の人に対する致死量の検討、ツベルクリン反応検査の判定基準の作成、BCGが結核菌に先祖返りしないことの確認、BCG接種量と結核予防効果の関係、BCG未接種者と既接種者の長期予後(2年間)についての観察が、他民族(主に中国人)の生体実験で行われた。背陰河では、感染症の最先端の研究(日本脳炎、第4性病)も、生体実験で行われていた。そこでは、世界的研究成果もあった。


この新型コロナウィルスがどこで作られたかは分からないが、細菌戦の系譜をたどると、
日本は、戦時中、1925年のジュネーブ議定書を無視して、中国で細菌を製造し、細菌戦を行なった。戦後、731部隊での研究データをアメリカに渡し、731部隊員は全員戦犯免責され、アメリカは生物戦の研究を本格的に始めた。
日本政府は、中国で行った細菌戦や生体実験の事を、(日本の裁判所は事実認定をしている)未だに隠し続け、事実も認めていない。勿論謝罪もしない。日本軍が中国に遺棄してきた生物兵器は戦後、どのようになったのだろうか?
この新型コロナウィルスに影響しているのだろうか?
今、日本人は過去に犯した戦争犯罪を直視し、きちんと歴史事実に向き合う時ではないのか?

 

今回の新型コロナウイルスは、日本軍が遺棄してきたものが影響しているのか、それともどこかで作られたのか?それとも動物を介して新たに自然発生したのか?

作ったとすれば、アメリカが作ったのか、それとも、日本軍の細菌戦に苦しんだ中国が作ったのか、はたまた、ロシアかそれとも日本(又は日米共同)が作ったのか?よくわからないが、世界各国で生物戦の研究がなされていることは確かであろう。

生物兵器禁止条約の署名を日本は1972年にして、この条約は、1975年に発効されたが、日本がこの条約を批准したのは、1982年。なんでこんなに時間がかかったのか?批准されてからも、細菌(生物)兵器は、極秘裏にアメリカ、中国、ロシア、日本などで研究開発しているのだろう??

中国もロシアもアメリカも細菌戦の事は厳しく裁かなかった!!

埋もれた細菌戦調査書

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●細菌戦裁判

資料集シリーズ・第8集(2002年10月31日)

「731細菌戦裁判・第1審判決特集号」の発行にあたって 

本書第8集は、細菌戦裁判の第1審判決(東京地方裁判所民事第18部)の後、開催された判決報告集会、記者会見、意見交換会等での発言を編集したものです。

弁護団声明

団長 弁護士 土屋公献

本判決の以上の認定は、細菌戦に関する国際人道法上の基本的な枠組みを提供するものであり、決定的に重要な意義を持っている。
ところが本判決は、日中共同声明及び日中平和友好条約によって、被告の国家責任は賠償請求の放棄で決着したものと認定した。これは極めて乱暴な議論である。例えば、1995年3月の全国人民代表者大会で当時の銭其琛副首相兼外相は「日中共同声明で放棄したのは国家間の賠償であって、個人の賠償請求は含まれず、補償請求は国民の権利であり、政府は干渉するべきではない」旨の見解を示している。同種の見解は中国政府が繰り返し表明している。

●731部隊員が多く入った国立予防衛生研究所(現・国立感染症研究所)や自衛隊などでの生物兵器の開発・研究も行われているのではないか?

731部隊の行なった細菌戦

東大伝染病研究所は、1947年に主に検査・製造に関わる部門などを厚生省所管の国立予防衛生研究所(現・国立感染症研究所)として分離し、1967年に伝染病研究所を改組して医科学研究所が設置された。

国立予防衛生研究所所長と731部隊員の繋がり(教えてげんさんより

(所長が731部隊員であれば、元隊員もたくさん入るだろう)

戦争中細菌戦部隊及び組織に属していて、戦後、国立予防衛生研究所に関係した人です。

 

*朝比奈正二郎  (当時)731部隊第1部第9課(水棲昆虫)長。発疹チフスワクチン製造
(戦後)国立予防衛生研究所 名誉所長
*小林六造    (当時)京大教授、防疫研究室嘱託
(戦後)国立予防衛生研究所 初代所長
*小島三郎    (当時)東大伝染病研究所教授、栄1644部隊所属 サルモネラ菌の研究
(戦後)国立予防衛生研究所 第2代所長
文部省百日咳研究班員
*小宮義孝    (当時)華中衛生研究所(栄1644部隊関連)
(戦後)国立予防衛生研究所第4代所長
*柳沢謙     (当時)陸軍軍医学校防疫研究室で嘱託として結核研究 凍結乾燥BCG
(戦後)国立予防衛生研究所 第5代所長
*福見秀雄    (当時)陸軍軍医学校防疫研究室  インフルエンザ
(戦後)国立予防衛生研究所 第6代所長
文部省百日咳研究班員
(注)1951年、国立東京第一病院に入院中の乳児たちに、
両親に告知や許可を受けずに大腸菌を飲ませる実験を行なった
*村田良介      (当時)1644部隊
(戦後)国立予防衛生研究所 第7代所長
*倉内喜八郎   (当時)731部隊細菌戦研究班
(戦後)永寿病院院長
【コロナウイルス・4/17追記】永寿総合病院でメガクラスター発生、160人以上が感染・20人死亡、屋形船から感染拡大

 

・・・・・・・自衛隊に入った731部隊員・・増田美保、近喰秀大、神子謙、金原節三、井上義弘、中黒秀外之、園口忠男、高橋三郎、佐伯実、木村直正など 
コロナウイルス「PCR検査」を遅らせた“戦犯”は?〈週刊朝日〉

 

帝国陸海軍の「亡霊」が支配する新型コロナ「専門家会議」に物申す(下)


それともロシアや中国などが研究しているだろうか?

新型肺炎、米メディアが報じた「研究所が発生源」説

 

生物兵器禁止条約が1975年に発効されたにもかかわらず、その裏でどんなことが起こっているのだろうか??

免責された731部隊員は、戦後、ABCC(原爆傷害調査委員会)に全面協力し、原爆被爆者を治療するのではなく、放射能の人体に対する影響を追跡した。そして日本は、アメリカの非人道的な原爆投下を問うこと全くなく、原子力の平和利用に突っ走った。

新型コロナは「パンデミック」 WHOが表明

●日本政府は、731部隊の罪業を、公開せず、秘匿し、戦後全く無反省である!!最高責任者の昭和天皇も戦犯免責された!!

安倍晋三は何でこんな行動がとれるのだ??無反省のまま、ずっと生き延びられるのか??

安倍首相の731戦闘機試乗 「止まらない挑発」の非難

2013年5月12日、安倍晋三は宮城県東松島市の航空自衛隊基地を訪問して、機体番号が‘731’であるアクロバット飛行団訓練機の操縦席に座りサムズアップして写真に収まった。

731部隊全景(中国に於いて人体実験を繰り返し、細菌兵器を開発し、中国各地で細菌戦を行なった。)


旧満洲第731部隊軍医将校の学位授与の検証を求めます!

 

731部隊新発見公文書の中身とは 細菌研究を明記

 

核兵器、生物兵器、化学兵器廃絶!! 戦力不保持!!安倍政権打倒!!

どこの研究所で新型コロナウィルスが誕生したのだろうか??

●ニュース

戦争責任を取らぬまま、そのまま在位した昭和天皇、その後の天皇も日本の侵略戦争の謝罪をしていない!!

このウィルスは自然発生なのか?どこの研究所がこんなウィルスを開発したのか??それとも日本軍が遺棄した生物兵器が影響しているのだろうか?

もし人工的につくられたのであれば、どこで製造されたのだろうか?アメリカか?それとも中国?、日本?・・・


731部隊が建物を爆破して日本に逃走した後、その近くの村でペストが流行した。100部隊の逃走した時は、鼻疽菌などに汚染された馬を放ってきた。

中国各地に日本軍の細菌戦研究所が存在したのだから、その施設が遺棄した生物兵器はその後どうなっているのか?

中国の細菌戦被害地では、今でも毎年鼠を捕獲してペストの検疫を行っている。日本軍の遺棄した生物兵器がその後も生きていて、いま中国で広がっている新型コロナウィルスや豚熱に影響はしていないのだろうか?遺棄毒ガス弾が多くの中国人を苦しめているように。

なぜ天皇はコロナ禍にビデオメッセージを発しないのか、皇室記者の考え


米の新型コロナ死者10万人突破、一日平均では鈍化傾向


WHO、寄付集めへ財団設立 米拠出停止とは「無関係」

検察、自民党本部関係者を聴取 河井案里氏側への1.5億円で

「第2波」警戒、北九州で8人感染

黒川氏処分、決めたのは内閣?検事総長? 森法相また迷走

「桜を見る会」めぐる首相告発を不受理 東京地検

黒川氏訓告、自衛官は懲戒 賭けマージャン、処分不公平?

大竹まことゴールデンラジオ・金子勝・2020-05-22(文化放送)

●パネル展「日中戦争―その実相に迫る!」感想(2020年2月8日~13日)

15. 全て印象に残った。現実なんですな、残念。こうならない世の中にしていかないと…。小さな子には見せられない。高校生には知って欲しい。(男、50、藤沢、偶然)

●映画「ひろしま」アンケート(1月13日 横浜)

( )は性別・年代・住まい・情報

22、長い間上映されてこなくて残念でした。今回初めて見れて良かったです。
(女性、70代、市内、友人)

日本は、日中戦争で国際法に違反して、細菌戦、毒ガス戦、無差別爆撃を行った。日本政府は、この事実をきちんと認めていない!!

●細菌戦

【真相】(unit731) 

・『石井細菌戦部隊―極秘任務を遂行した隊員たちの証言』

郡司陽子編(1982年11月30日初刷:徳間書店)

Ⅲ ペスト攻撃班、恐怖の実戦秘録

―第2部5課(攻撃・実戦担当)K・S

マニラで細菌戦の予備訓練を受ける

私の知っている例は、若い兵隊であった。この兵隊は、細菌実験について、素人であった。彼は、安達実験場の我々に、甘味品を届けにやって来た直後、コロッとペストに感染して死んでしまった。
「奴、死んじゃったそうだ、かわいそうになあ」という程度の話題にしかならないほど、細菌による隊員の死亡は、珍しいものではなくなっていた。この兵隊は、「戦死扱い」になったと聞いた。
我々の身体から、消毒臭が消えることはなかった。変なもので、私は今でも病院などに行ってクレゾールの臭いを嗅ぐのが、楽しみにさえ思えるほどである。当然ハルピンに外出してもすぐ正体はわかってしまう。しかし酒保で「5課だ」と言うと、1升の酒を注文しても2升にしてくれるようなこともあった。一種の恐れと労わりの混じった眼で見られていたのである。

・『証言 人体実験(731部隊とその周辺)』

中央档案館、中国第2歴史档案館、吉林省社会科学院編
江田憲治、兒嶋俊郎、松村高夫編訳
二 大規模な細菌生産と残虐非道な人体実験

山下昇供述書(1952年5~6月)

問:同部隊の任務は何か。

答:

 我々は助手で、菌注入と注射の数量は軍医が決め、その指示に従って実行するだけだった。どんな菌を使用しているのかも知らされなかったが、後で発病状況からどんな菌か分かった。我々の隊で使用したのは、ペスト菌、腸チフス菌、ジフテリア菌が多かった。これらの人々は実験に使われてから3日で死ぬ者もあり、7日で死ぬ者もあったが、これは菌の毒力や性質が異なるためだった。すべての被実験者が死ぬとは限らず、死ななかった者は監獄に送り返され、次の実験に使われた。>

●毒ガス戦

・『日本軍の毒ガス兵器』  松野誠也著
第1章 毒ガス兵器の研究と開発
1、第1次世界大戦と毒ガス戦
毒ガス戦の幕開け

2 日本陸軍、毒ガス研究に着手

1917年の社会主義革命でロシア帝国が倒れると、その影響を恐れたイギリス・フランス・アメリカなどが軍隊を派遣して革命に干渉した。日本政府はこれに同調し、同年8月2日にシベリアへの派兵を決定するが、旧ロシア軍は大戦で毒ガス戦の経験があることから、日本軍でも毒ガスやガスマスクを用意しようというのである。

 

・『日本の中国侵略と毒ガス兵器』 歩平著(山邊悠喜子、宮崎教四郎訳)明石書店 1995年発行)

第12章 癒しがたい傷
毒ガスの焼却

これが後世に対して永遠に責任を負う根本的な方法でもある。しかしながら、誰がこの仕事を指揮するのか。また誰がそれらの複雑な処理施設の建設の為に資金を出すのか。戦争が終わったばかりのあの頃、国際的にはこの問題はあまり注目されなかった。根本から徹底的に焼却する方法はたやすいことではなかった。だが、長期にわたって置きっぱなしにするのも適当ではない。一旦事故が起きたら、後の結果は想像に堪えないものがある。アメリカ人はこのことについて深刻な体験を有していた。彼らにとって3年前に起きたことは今なお記憶に生々しいものであった。

日本軍の毒ガス戦と遺棄毒ガス問題

●『三光』     中国帰還者連絡会編

日本鬼子(リーベンクイズ)

軍医の野天解剖

小美野義利

戦務班長 憲兵曹長

〈旧部隊名〉

関東軍特別警備隊2大隊本部

 

小美野は血刀を乳の上にブスーッと突き立て、小笠原の誘導するメスに従って、ブスブスと腹部に向けて斬
り下ろした。続いて反対側から切り下げた後、小笠原軍医は、白いゴム手袋をはめると、腹部をずたずたに
切り始めた。
もう夕陽は沈んで暗闇があたりに迫っていた。土倉の用意してきたロウソクの灯に照らし出された6人の顔はどす黒く、ピクピク痙攣し、ひきつっている。切り開いた肋骨に手をかけた軍医は、めりめりとそれを引きはがした。骨の下から血だらけの内臓が、ロウソクの明かりにニューッと浮かび出た。軍医は無造作に両手を突っ込み、しばらくその中をかき回していたが、赤黒い血の塊りのような物を取り出して、血走った眼の前に、「これが肺臓だ」と突き出した。

 

●日米安保条約・自衛隊を問う!!

自衛隊は、防護のためと言って、旧日本軍の細菌兵器・毒ガス兵器使用の反省・謝罪もないまま新たな生物兵器・化学兵器を作ってもいいのだろうか??憲法9条を持ち、生物兵器・化学兵器禁止条約を批准しているにも関わらず!!

日本の毒ガス

 

沖縄・南西諸島が軍事要塞化している現実はおかしくないか??

「琉球処分」から140 今の沖縄を考える

 

●情報公開裁判

なぜここまでして、国は衛生学校や化学学校で作っていた機関誌を公開しないのだろうか?

 

・731部隊関連の「情報公開裁判」に関する報告

和田千代子(731細菌戦部隊の実態を明らかにする会事務局長)

 

第4 私達の情報公開裁判闘争の目的

 

こうしたは背景の下で、既に1960年代の自衛隊の中では、「CBR(Chemicai,Biological,Radioactive 化学・生物・放射能)戦」を準備することの重要性が公然と強調されていました(この点は、冒頭に紹介した奈須さんの「衛生学校における生物戦隊の創設とその挫折?」に詳しいので是非ご参照ください)。


・次回『衛生学校記事』情報公開裁判(第26回)東京地裁419号法廷

緊急事態宣言が出たため、4月の裁判は延期になりました。

 

・化学学校記事」情報公開裁判 (第16回)延期です!!

次回 2020年6月3日(水)11:30~ 東京地裁522号廷の予定でしたが、

新型コロナウィルスの影響の為、延期になりました!!

 

 

第4代衛生学校長だった金原節三が亡くなってから、遺族が、当時の防衛庁に寄贈した金原節三資料の中に13点の『衛生学校記事』が含まれている。それがいまだに未開示であり、その行方が防衛省は分からないという。

1995年に防衛研究所に衛生学校から金原資料の全部を移管した。翌年1996年には、その資料の中で旧軍資料の価値の高いものを、防衛研究所に残して、あとは衛生学校に戻した。

『金原文庫』はいつまで、衛生学校の彰古館に開設されていたのであろうか?その中に果たして『衛生学校記事』があったのか?また、金原資料はキチンと整理をされていたのだろうか?金原資料の中には『特殊武器衛生』というものもある。防衛省は、金原資料をすべて開示すべきである。

 

1957(昭和32)年7月『衛生学校第1号』発刊

第4代衛生学校長

『衛生学校記事』を発刊したときの、衛生学校長金原節三とはどんな人物なのだろうか?

金原節三(1901~1976)

陸軍省医事課長時代(1941.11~43.8)に731部隊から報告を受けていた。「陸軍省業務日誌摘録」

厚生省東海北陸医務出張所から衛生学校へ 1955.8.1

 

●『BC兵器』久保綾三著(1969年)

※以下の記述から、自衛隊では、いま世界で流行している新型コロナウィルスなどの生物兵器の研究も大分以前からやっているといるのではないかと思われる。

 

Ⅲ 日本における生物・化学兵器の歩み

1、 生物・化学兵器の開発の歩み

自衛隊員が語る旧軍技術研究

この杉田論文は、生物剤(ペスト)を中心としたものであるが、1962年当時の陸幕化学課長島田典天1佐は、同誌に「ある訓練の思い出の若干」と題する記事を載せている。記事によれば、島田はかつて毒ガス部隊の少佐であった。
「小官ん、陸軍習志野学校、制毒学生(兵種学生)として入校したのは、昭和15年3月である。入校期間は6か月で、各種の実毒を体験し、散毒し、除毒し、ぺとぺととするイペリットの中で戦闘行動をし、又制(散)毒車の操縦訓練、甲号(乙号)除毒車、除毒機(駄馬編成用)散毒器の操縦法をやり、王城寺ヶ原、習志野原、金丸原演習場と野営訓練をやり、最後には制毒隊の総合訓練をやり、やっと卒業した。

●昭和天皇(ハーバード・ピックス著『昭和天皇』より)吉田裕監修 2001年ピュリッツァー賞受賞

 

※昭和天皇は、平和主義者でもなんでもなかった。好戦的であり、常に軍部に色々と指示を出していた!!

戦後補償問題に国家無答責という天皇主権の明治憲法下の原則を適用するな!!

第12章大元帥の試練

 

1943年元日、新任の参謀本部作戦部長綾部橘樹(きつじゅ)中将は、ガダルカナル撤退の昭和天皇の命令を伝えるため、ラバウルへと飛んだ。天皇の方針により統帥部は次に、〔中部〕ソロモン諸島北部のニュージョージア島、サンタ・イサベラ島、そしてニューギニアを背骨のように横断するスタンレー山脈北部の戦略拠点を確保する計画を立てた。戦闘の焦点がニューギニアに移ることとなった。海軍がニュージョージア島、サンタ・イサベラ島、そして中部ソロモンの他の小さな島々の防衛を担当し、陸軍がブカ島、ブーゲンビル島、ショートランド島を含むソロモン諸島北部の防衛を担当することとなった。首相兼陸相の東条英機は、この作戦変更を実行するように統帥部に重圧をかけなければならなった。昭和天皇は、司令官らの新たな攻勢計画に満足してはいなかったが、これを許し、ガダルカナル島に生き残っていた将兵(最盛時約3万名いた兵力は、約1万1000名あまりとなりその多くが負傷していた)の撤退を裁可した。その後、天皇がその進行をつぶさに見ていたこの困難な撤退作戦を海軍は1943年2月7日、完了した。
                 "

小泉親彦と昭和天皇

憲法9条を生かそう!!

731部隊員が戦犯免責され、ABCC(原爆傷害調査委員会)に協力した。その結果、アメリカの原爆投下を日本政府は問うことは無く、また被爆者は、ABCCに治療されることもなかった。そして日米安保条約の下、核兵器の廃絶に日本政府は後ろ向きである!!

日本には多くの被爆者がいるのに、日本政府はなぜ核兵器禁止条約に署名しない?

地球の温暖化や異常気象の最大の原因は、今までの2000回以上の核実験や原発事故などの放射能汚染で地球が壊れてきているからではないのか??米の原爆投下責任と核実験をしてきた国の責任を問う!!

●『二酸化炭素温暖化説の崩壊』広瀬隆(集英社新書)

第1章 二酸化炭素温暖化論が地球を破壊する

 

温暖化の為ハリケーンや台風が増えている?

 

台風の日本上陸数は、全く気まぐれで何ら規則性がない。2004年の異常については、どの学者も指摘していないことがある。私が台風の発生源であるフィリピン海の海水温を調べたところ、夏からかなりの異常分布が認められたので、海底でマグマが噴出しているために台風が急増したのではないか、ひょっとして大地震が起こる兆候ではないかと、一人一抹の不安を抱いていた。案の定、その年末の12月26日にフィリピン海に連なるオーストラリア・プレートが動いて、インドネシアのスマトラ島沖で巨大地震津波が起こり。死者・行方不明が30万人近い被害が出た。


●核実験(ウキペディアより)

若くして白血病で亡くなった夏目雅子、本田美奈子、また五輪候補選手だったスイマーが白血病になったのは、放射能の影響ではないのか?

月の砂漠の犠牲者 夏目雅子と本田美奈子

核実験の禁止
大気圏内で行う核実験は、大気中に放射性物質が飛散することになるため、これを禁止する国際条約が締結されることになった。1963年に、核実験を地下に限定する大気圏内、宇宙空間及び水中における核兵器実験を禁止する条約(通称部分的核実験禁止条約:PTBT) が締結され、同年中に発効した。この条約には100ヶ国以上が調印しており、アメリカ合衆国及びソ連も批准している。フランスや中華人民共和国は署名していないが、後には大気圏内核実験を取りやめた。PTBT自体は、実験の規模や回数を制限していない。アメリカ合衆国とソ連は1974年に地下核実験制限条約(TTBT)を締結、1976年には平和目的地下核爆発制限条約を締結し、地下核実験における核出力を150ktに制限し、相互に検証することに合意したが、これらの条約の発効は冷戦終結後の1990年までずれ込んだ。
地下核実験も禁止対象とする包括的核実験禁止条約 (CTBT) が提案され、1996年より署名が開始された。この条約は、発効の条件とされた特定の44カ国全てにおける批准が実現されておらず、2011年時点では有効な条約にはなっていない。また、臨界前核実験も CTBT では禁止されていない。


水素爆弾の恐怖・ビキニ環礁 (アメリカ)

 

「北朝鮮の核実験の威力」と「史上最強の核兵器"ツァーリ・ボンバ"の破壊力」【核兵器】

●核なき世界へ!!

Toward a Nuclear-Free Future

●核融合もすべきではない!!

20170303 小出裕章先生にきいてみた!!〜土岐市核融合科学研究所 重水素実験について

日本政府・自衛隊は情報を公開せよ!!(情報開示!!)

今年も8月12日がくる──。33年前 520人が犠牲になった日航機墜落、遺物の化学分析で判明した事実とは?

 

中曽根元総理が知る日航機墜落事故の真実とは?墓場まで発言の真意を調査!

 

ここの研究所は、どんなことをやっているのだろうか??

国立感染症研究所村山庁舎(武蔵村山)

 

 

●1954年3月1日第5福竜丸他1000隻もの船が被曝!核兵器廃絶!!

なぜ、日本は広島・長崎・ビキニ・JCO臨界事故・福島と5度も被爆しているにに、日本医学界は「脱原発!!」と叫ばない!!

原爆投下された直後、日本は自らが原爆調査をして、731部隊(人体実験や細菌戦)の事もあるので、アメリカの心証を良くしようと考えた。そして科学者を総動員して原爆調査(被爆者を救済するための調査ではなく、原爆の威力調査)を181冊の調査書にまとめて、英訳し、アメリカに渡した。その後、731部隊員は、731で研究したデータを渡し、戦犯免責を受けた。原爆調査書は被爆者の治療には全く生かされず、日本の医学界は、原爆の放射能被害については、何も言及しなかった。そればかりか、その後のアメリカの原爆・水爆実験も批判せず、その被害を過小評価した。そして日本政府が、原子力の平和利用として原発を推進する政策にも、大きく加担している。

 

XII) 731部隊、広島長崎、チェルノブイリ、福島より

・・・第二次世界大戦中、日本軍は3000人もの医師たちが関わったとされる731部隊により、妊婦や子供まで含めた人体実験が行いました。極東裁判では捕虜虐待死の容疑で死刑に処された軍医幹部もいる中、731部隊関連者は訴追されませんでした。戦後、「研究データを米軍に提供すること」、さらにはなんと、「広島・長崎の研究に協力すること」を引き換えに免責されたのでした。

 

2010年のNHKの番組で、「(米国への研究データの提供のほかに)原爆調査への協力を731部隊の免責のカードとして使った」という元陸軍軍医の証言がありました。

封印された原爆報告書

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水爆実験

水爆実験ブラボーで被爆したのは第5福竜丸1隻ではなく、延べ1000隻近くの漁船が被爆した!!

核兵器廃絶

 

徳仁・日本政府・日本医学界は、731部隊のことを謝罪し、戦争被害者の救済、戦争をしない政策にお金をかけるべきだ!

 

「731部隊・100部隊・毒ガス戦」パネル展 2019年4月29日~5月3日

「日本はなぜ戦争責任問題を解決できないのか 」 田中利幸さん

日本はなぜ戦争責任問題を解決できないのか

水俣病

731部隊(unit731)

昭和天皇の戦争責任を問う!!天皇制反対!!

 

 

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細菌戦の系譜!!

2020-05-27 10:25:29 | Weblog

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『ウサギと化学兵器』いのうえせつこ著
731部隊と国立感染症研究所の問題!!
731部隊・細菌戦資料センター総会のご案内
731部隊の罪業
731部隊 行動示す新資料・埋もれた公文書
情報公開裁判「化学学校記事」「衛生学校記事」
武蔵村山の国立感染症研究所問題!!
731部隊・100部隊展

●今の日本人は、まさかと思うかもしれない。
今、世界中で猛威を振るっている新型コロナウィルス。これは、細菌戦(生物戦)ではないのか?
過去に、日本が中国で行なった細菌戦のように。(以下は現在分かっている細菌戦)


1939年 731部隊 ノモンハン戦争にて細菌戦(チフス菌、コレラ菌、赤痢菌)を行う
*1940年は皇紀2600年(神武が即位して2600年??)東京オリンピックや万博が開催される予定であったが、戦争の為中止!!
1940年 6月4日   731部隊、農安大賚・農安で細菌戦(ペスト菌)を行う
10月 4日   731部隊、衢州で細菌戦(ペスト菌)を行う
10月27日   731部隊、寧波で細菌戦(ペスト菌)を行う
1941年11月4日    731部隊、湖南省常徳で細菌戦(ペスト菌)を行
1942年17月        100部隊は、ハイラルの北約120キロのソ連国境で行なった「三河演習」で鼻疽菌の生存期間を測定、炭疽菌の土 壌への浸透力の調査した 
8月       731部隊、湖南省江山、常山、衢県、麗水、江西省広信、広豊、玉山で細菌戦(ペスト、コレラ、チフス)を行う
1943年12月       100部隊第2部に細菌戦準備の第6科を設置
【コロナは生物兵器か】人工のコロナウイルスショックによる文明の転換点 船瀬俊介氏が語る

米軍300人が新型コロナの感染が広がる前に武漢にいたという。
新型コロナウィルスを撒いたのは??

石井四郎が、細菌戦の主犯であったのか?小泉親彦陸軍軍医総監、宮川米治第5代東大伝研所長は関与していないのか??大元帥昭和天皇の関与は?
検証・中国に於ける生体実験
東京帝大医学部の犯罪   美馬聡昭著  桐書房(2013年)
はじめに

団塊の世代を中心に広がり国民病となったB型肝炎が、針も注射器も換えないずさんな集団予防接種が原因であったことを立証するため、1989年6月30日国・厚生省を相手に原告5人を立て、蝦夷地札幌からB型肝炎訴訟を起こした。訴訟は長期に及んだが、2006年6月16日最高裁判決が出て、原告5人全てに対して国の損害賠償が認められ、完全勝訴に終わった。この間17年の歳月が流れていた。


この新型コロナウィルスがどこで作られたかは分からないが、細菌戦の系譜をたどると、
日本は、戦時中、1925年のジュネーブ議定書を無視して、中国で細菌を製造し、細菌戦を行なった。戦後、731部隊での研究データをアメリカに渡し、731部隊員は全員戦犯免責され、アメリカは生物戦の研究を本格的に始めた。
日本政府は、中国で行った細菌戦や生体実験の事を、(日本の裁判所は事実認定をしている)未だに隠し続け、事実も認めていない。勿論謝罪もしない。日本軍が中国に遺棄してきた生物兵器は戦後、どのようになったのだろうか?
この新型コロナウィルスに影響しているのだろうか?
今、日本人は過去に犯した戦争犯罪を直視し、きちんと歴史事実に向き合う時ではないのか?

今回の新型コロナウイルスは、日本軍が遺棄してきたものが影響しているのか、それともどこかで作られたのか?それとも動物を介して新たに自然発生したのか?
作ったとすれば、アメリカが作ったのか、それとも、日本軍の細菌戦に苦しんだ中国が作ったのか、はたまた、ロシアかそれとも日本(又は日米共同)が作ったのか?よくわからないが、世界各国で生物戦の研究がなされていることは確かであろう。
生物兵器禁止条約の署名を日本は1972年にして、この条約は、1975年に発効されたが、日本がこの条約を批准したのは、1982年。なんでこんなに時間がかかったのか?批准されてからも、細菌(生物)兵器は、極秘裏にアメリカ、中国、ロシア、日本などで研究開発しているのだろう??

中国もロシアもアメリカも細菌戦の事は厳しく裁かなかった!!
埋もれた細菌戦調査書
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●細菌戦裁判
資料集シリーズ・第8集(2002年10月31日)
「731細菌戦裁判・第1審判決特集号」の発行にあたって 
本書第8集は、細菌戦裁判の第1審判決(東京地方裁判所民事第18部)の後、開催された判決報告集会、記者会見、意見交換会等での発言を編集したものです。
弁護団声明
団長 弁護士 土屋公献

第2に、本判決は、ジュネーブ・ガス議定書のような条約ないしそれを介して成立する国際慣習法による害的手段の禁止もハーグ陸戦規則23条1項にいう「特別ノ条約ヲ以テ定メタル禁止」に該当すると解されるところ、本細菌戦の当時既にハーグ陸戦条約の内容は国際慣習法として成立していたものと認められるので、本件細菌戦を行なった日本にはハーグ陸戦条約3条の規定を内容とする国際慣習法による国家責任が生じていた旨を認定した。

●731部隊員が多く入った国立予防衛生研究所(現・国立感染症研究所)や自衛隊などでの生物兵器の開発・研究も行われているのではないか?
731部隊の行なった細菌戦

東大伝染病研究所は、1947年に主に検査・製造に関わる部門などを厚生省所管の国立予防衛生研究所(現・国立感染症研究所)として分離し、1967年に伝染病研究所を改組して医科学研究所が設置された。
国立予防衛生研究所所長と731部隊員の繋がり(教えてげんさんより
(所長が731部隊員であれば、元隊員もたくさん入るだろう)
戦争中細菌戦部隊及び組織に属していて、戦後、国立予防衛生研究所に関係した人です。

*朝比奈正二郎  (当時)731部隊第1部第9課(水棲昆虫)長。発疹チフスワクチン製造
(戦後)国立予防衛生研究所 名誉所長
*小林六造    (当時)京大教授、防疫研究室嘱託
(戦後)国立予防衛生研究所 初代所長
*小島三郎    (当時)東大伝染病研究所教授、栄1644部隊所属 サルモネラ菌の研究
(戦後)国立予防衛生研究所 第2代所長
文部省百日咳研究班員
*小宮義孝    (当時)華中衛生研究所(栄1644部隊関連)
(戦後)国立予防衛生研究所第4代所長
*柳沢謙     (当時)陸軍軍医学校防疫研究室で嘱託として結核研究 凍結乾燥BCG
(戦後)国立予防衛生研究所 第5代所長
*福見秀雄    (当時)陸軍軍医学校防疫研究室  インフルエンザ
(戦後)国立予防衛生研究所 第6代所長
文部省百日咳研究班員
(注)1951年、国立東京第一病院に入院中の乳児たちに、
両親に告知や許可を受けずに大腸菌を飲ませる実験を行なった
*村田良介      (当時)1644部隊
(戦後)国立予防衛生研究所 第7代所長

*倉内喜八郎   (当時)731部隊細菌戦研究班
(戦後)永寿病院院長
【コロナウイルス・4/17追記】永寿総合病院でメガクラスター発生、160人以上が感染・20人死亡、屋形船から感染拡大

・・・・・・・
自衛隊に入った731部隊員・・増田美保、近喰秀大、神子謙、金原節三、井上義弘、中黒秀外之、園口忠男、高橋三郎、佐伯実、木村直正など 
コロナウイルス「PCR検査」を遅らせた“戦犯”は?〈週刊朝日〉

帝国陸海軍の「亡霊」が支配する新型コロナ「専門家会議」に物申す(下)


それともロシアや中国などが研究しているだろうか?
新型肺炎、米メディアが報じた「研究所が発生源」説

生物兵器禁止条約が1975年に発効されたにもかかわらず、その裏でどんなことが起こっているのだろうか??
免責された731部隊員は、戦後、ABCC(原爆傷害調査委員会)に全面協力し、原爆被爆者を治療するのではなく、放射能の人体に対する影響を追跡した。そして日本は、アメリカの非人道的な原爆投下を問うこと全くなく、原子力の平和利用に突っ走った。

新型コロナは「パンデミック」 WHOが表明



●日本政府は、731部隊の罪業を、公開せず、秘匿し、戦後全く無反省である!!最高責任者の昭和天皇も戦犯免責された!!
安倍晋三は何でこんな行動がとれるのだ??無反省のまま、ずっと生き延びられるのか??
安倍首相の731戦闘機試乗 「止まらない挑発」の非難
2013年5月12日、安倍晋三は宮城県東松島市の航空自衛隊基地を訪問して、機体番号が‘731’であるアクロバット飛行団訓練機の操縦席に座りサムズアップして写真に収まった。

731部隊全景(中国に於いて人体実験を繰り返し、細菌兵器を開発し、中国各地で細菌戦を行なった。)


旧満洲第731部隊軍医将校の学位授与の検証を求めます!

731部隊新発見公文書の中身とは 細菌研究を明記


核兵器、生物兵器、化学兵器廃絶!! 戦力不保持!!安倍政権打倒!!
どこの研究所で新型コロナウィルスが誕生したのだろうか??
●ニュース
戦争責任を取らぬまま、そのまま在位した昭和天皇、その後の天皇も日本の侵略戦争の謝罪をしていない!!
このウィルスは自然発生なのか?どこの研究所がこんなウィルスを開発したのか??それとも日本軍が遺棄した生物兵器が影響しているのだろうか?
もし人工的につくられたのであれば、どこで製造されたのだろうか?アメリカか?それとも中国?、日本?・・・


731部隊が建物を爆破して日本に逃走した後、その近くの村でペストが流行した。100部隊の逃走した時は、鼻疽菌などに汚染された馬を放ってきた。
中国各地に日本軍の細菌戦研究所が存在したのだから、その施設が遺棄した生物兵器はその後どうなっているのか?
中国の細菌戦被害地では、今でも毎年鼠を捕獲してペストの検疫を行っている。日本軍の遺棄した生物兵器がその後も生きていて、いま中国で広がっている新型コロナウィルスや豚熱に影響はしていないのだろうか?遺棄毒ガス弾が多くの中国人を苦しめているように。

なぜ天皇はコロナ禍にビデオメッセージを発しないのか、皇室記者の考え


安倍首相発言に中国反発 「発生源を政治問題化」


このままでは本当にまずい!真剣に危惧した医療崩壊

黒川前検事長に賭博罪で告発状 市民団体、東京地検に提出

政府、黒川氏処分は法務省判断 「官邸が関与」野党追及

新型コロナ「第2波」に備えた医療体制を 日本医師会長

取材中に集団暴行され「文春砲」のお世話になった元朝日新聞記者の告白「マスコミとネタ元の距離感」とは

黒川氏処分、決めたのは誰 答弁迷走、首相は関与否定

自殺した近畿財務局職員の遺書公開…そもそも「森友学園問題」はどう始まったのか〈dot.〉

福島原発、見えぬ「トリチウム水処分」のゆくえ

チェルノブイリ原発付近で森林火災が発生 放射線量が上昇したとの報告も

戦闘機は必要なのだろうか???
.com/politics/news/200315/plt2003150004-n1.html">河野防衛相、F35A視察 空自三沢基地

大竹まことゴールデンラジオ・金子勝・2020-05-22(文化放送)


●パネル展「日中戦争―その実相に迫る!」感想(2020年2月8日~13日)

14. 印象的なのは、100部隊。今回の展示は全部村瀬氏の写真展と思っていた。別な資料、本で見たものあと写真があったがそれも村瀬氏撮影なのか?(男、70、市外、チラシ)

●映画「ひろしま」アンケート(1月13日 横浜)
( )は性別・年代・住まい・情報
21、何度も見るべきと思いました。若い方が!!ありがとうございました。
(男性、60代、寒川、朝日新聞)

日本は、日中戦争で国際法に違反して、細菌戦、毒ガス戦、無差別爆撃を行った。日本政府は、この事実をきちんと認めていない!!
●細菌戦
【真相】(unit731) 
・『石井細菌戦部隊―極秘任務を遂行した隊員たちの証言』
郡司陽子編(1982年11月30日初刷:徳間書店)

Ⅲ ペスト攻撃班、恐怖の実戦秘録
―第2部5課(攻撃・実戦担当)K・S
マニラで細菌戦の予備訓練を受ける

しかし、部隊全体では、かなり細菌による犠牲者が出た。ペスト以外にも種々の細菌実験をしているのだから、無理のない話しであった。「今夜、某々班の某々のお通夜があるから、各課2名あて出席するように」という通知がよくきた。私は、部隊にいる時は、そうした隊員のお通夜によく出た。まるで5課のお通夜要員のようであった。月に3、4回は、お通夜があったと思う。

・『証言 人体実験(731部隊とその周辺)』
中央档案館、中国第2歴史档案館、吉林省社会科学院編
江田憲治、兒嶋俊郎、松村高夫編訳

二 大規模な細菌生産と残虐非道な人体実験

山下昇供述書(1952年5~6月)

問:同部隊の任務は何か。
答:対内的には訓練生の教育、対外的には細菌実験や輸送業務に参加することだった。
731部隊の監獄に監禁されていたのは中国人、ソ連人、朝鮮人で、これらの人々は細菌実験に使われた。実験には2つの方法があった。ひとつは口の中に細菌を注ぎ込む方法で、もう1つは皮下注射であった。実験するときは人を縛り上げ、細菌を水に混ぜて口に注いだ。我々の隊では毎日、10ないし20人を使って実験を行なったので、注入法を使ったものは400人余り、皮下注射をしたものは250人余りになる。被実験者の中にはソ連人がいたが、一番多かったのは中国人で、朝鮮人は区別がつかなかった。被実験者の中には女も5,6人いた。彼らの大多数は捕虜で、年齢は19歳から40歳くらいだった。
●毒ガス戦
・『日本軍の毒ガス兵器』  松野誠也著
第1章 毒ガス兵器の研究と開発
1、第1次世界大戦と毒ガス戦
毒ガス戦の幕開け

2 日本陸軍、毒ガス研究に着手
陸軍は、1917(大正6)年10月に、兵器研究を担当する陸軍技術審査部に毒ガスの研究を命じ、また、陸軍軍医学校(兵士の治療や衛生を担当する軍医の養成学校)の小泉親彦(ちかひこ)1等軍医(後の初代厚生大臣)の進言で、同年9月に同校の軍陣衛生学教室内に化学兵器研究室が設置された。
さらに1918(大正7)年5月9日には、陸軍の各方面の主任者を委員とする「臨時毒瓦斯(がす)調査委員)」が設置された(陸軍省兵器局器材課起案「臨時毒ガス調査委員設置の件」吉見義明/松野誠也編・解説『毒ガス戦関係資料Ⅱ』資料1。以下、『資料Ⅱ』と略し、資料番号を付す)。この「委員」を設置した直接的な理由は、日本軍がシベリアへ軍隊を派遣しようと考えたからである。

・『日本の中国侵略と毒ガス兵器』 歩平著(山邊悠喜子、宮崎教四郎訳)明石書店 1995年発行)
第12章 癒しがたい傷
毒ガスの焼却
村上初一さんが言ったように、労働者として、仕事の過程で必要な保護施設があり、管理も大変厳重であったのに、なおあんなに多くの被害者が出たのだから、これほど多くの毒ガスが武器として製造され戦場で使われたなら、何らの防御装備もない軍隊や市民に対して、どれほど多大な被害を引き起こしただろうか、ということである。
島に残された毒剤をどう処理するか。当時これは難題であった。理論的に言って、化学毒剤に対する処理で、科学的かつ信頼できる方法は、これを無害にしてしまうことである。




日本軍の毒ガス戦と遺棄毒ガス問題

●『三光』     中国帰還者連絡会編
日本鬼子(リーベンクイズ)
軍医の野天解剖
小美野義利
戦務班長 憲兵曹長
〈旧部隊名〉
関東軍特別警備隊2大隊本部

一息つくと、ぴかぴか光る鋭い目で軍医を睨み、「鬼子、日本鬼子!」鋭く叫び、毛髪が1本1本、逆立っている。憲兵4人は青白い顔を見合わせ、ゾーッとした顔つきで立ちすくんでいた。
中国人は、ぴくぴく体を痙攣させていたが、全く動かなくなった。小笠原軍医は、メスで胸から腹を裂こうとしたが、大型メスを忘れてきたので、ちょっとためらい、小美野に「おい、刀でここを裂いてくれ」と言いながら、メスでぴたぴたと胸を叩いた。

●日米安保条約・自衛隊を問う!!
自衛隊は、防護のためと言って、旧日本軍の細菌兵器・毒ガス兵器使用の反省・謝罪もないまま新たな生物兵器・化学兵器を作ってもいいのだろうか??憲法9条を持ち、生物兵器・化学兵器禁止条約を批准しているにも関わらず!!
日本の毒ガス

沖縄・南西諸島が軍事要塞化している現実はおかしくないか??
「琉球処分」から140 今の沖縄を考える


●情報公開裁判
なぜここまでして、国は衛生学校や化学学校で作っていた機関誌を公開しないのだろうか?

・731部隊関連の「情報公開裁判」に関する報告
和田千代子(731細菌戦部隊の実態を明らかにする会事務局長)

第4 私達の情報公開裁判闘争の目的

現に、陸上自衛隊衛生学校の金原節三学校長は、1957年に発刊した『衛生学校記事』第1号掲載の学校長訓示の中で次のように述べていました。
即ち、「対特殊武器衛生につきましては、これが将来戦衛生勤務における極めて重要な要素」になる旨を述べていました。
このように自衛隊は、生物戦(細菌戦)を想定した軍事的な準備の重要性を認識し、戦前の日本軍731部隊の実績の継承を意図していたことが明確になっています。
他方、陸上自衛隊化学学校は1959年から『化学学校記事』を刊行し、毒ガス戦部隊を設ける準備を行なっていました。

・次回『衛生学校記事』情報公開裁判(第26回)
緊急事態宣言が出たため、4月の裁判は延期になりました。東京地裁419号法廷


・化学学校記事」情報公開裁判 (第16回)延期です!!
次回 2020年6月3日(水)11:30~ 東京地裁522号廷の予定でしたが、
新型コロナウィルスの影響の為、延期になりました!!



第4代衛生学校長だった金原節三が亡くなってから、遺族が、当時の防衛庁に寄贈した金原節三資料の中に13点の『衛生学校記事』が含まれている。それがいまだに未開示であり、その行方が防衛省は分からないという。
1995年に防衛研究所に衛生学校から金原資料の全部を移管した。翌年1996年には、その資料の中で旧軍資料の価値の高いものを、防衛研究所に残して、あとは衛生学校に戻した。
『金原文庫』はいつまで、衛生学校の彰古館に開設されていたのであろうか?その中に果たして『衛生学校記事』があったのか?また、金原資料はキチンと整理をされていたのだろうか?金原資料の中には『特殊武器衛生』というものもある。防衛省は、金原資料をすべて開示すべきである。

1957(昭和32)年7月『衛生学校第1号』発刊

●『BC兵器』久保綾三著(1969年)
※以下の記述から、自衛隊では、いま世界で流行している新型コロナウィルスなどの生物兵器の研究も大分以前からやっているといるのではないかと思われる。

Ⅲ 日本における生物・化学兵器の歩み
1、 生物・化学兵器の開発の歩み
自衛隊員が語る旧軍技術研究
「-日本は1931(昭和6)年満洲に細菌戦遂行のため〈731〉部隊を編成した。研究所、部隊は逐次整備され1935(昭和10)年には、ねずみ2000匹を使用してノミを飼育し、ペスト菌の培養量だけでも毎日10㎏に及んだ。
1938年  華中戦線     細菌大量使用
1939年  ノモンハン    細菌大量使用
1940年  重慶爆撃     ペスト菌、コレラ菌使用
1941年  湖南省      細菌作戦
1943年  華中、華北    細菌作戦
その戦績は、衛生部隊としてかつてない大きな成果をあげたとして感謝状36回授与に見られる」
陸上自衛隊『化学恰好記事』(第12号)に掲載された杉田論文にはこのように述べている。

●昭和天皇(ハーバード・ピックス著『昭和天皇』より)吉田裕監修 2001年ピュリッツァー賞受賞

※昭和天皇は、平和主義者でもなんでもなかった。好戦的であり、常に軍部に色々と指示を出していた!!
戦後補償問題に国家無答責という天皇主権の明治憲法下の原則を適用するな!!
第12章大元帥の試練


こうして天皇の意を受けて大本営御前会議が、1942年12月31日に開かれた。統帥部は、ガ島奪還を断念し、1月末に部隊の撤退を開始することを報告した。昭和天皇はこの決定を裁可したが、「ただガダルカナル島攻略をやめただけでは承知しがたい。どこかで攻勢にでなければならない」と主張した。これに対して、杉山参謀総長は「ニューギニア方面で攻勢をとり士気を盛り返します」と奉答した。ニューギニアでの新たな攻勢に希望をつなぐことで、またしても昭和天皇と統帥部は、太平洋における防衛戦への戦略的移行を遅らせたのであった。
                "

小泉親彦と昭和天皇

憲法9条を生かそう!!



731部隊員が戦犯免責され、ABCC(原爆傷害調査委員会)に協力した。その結果、アメリカの原爆投下を日本政府は問うことは無く、また被爆者は、ABCCに治療されることもなかった。そして日米安保条約の下、核兵器の廃絶に日本政府は後ろ向きである!!
日本には多くの被爆者がいるのに、日本政府はなぜ核兵器禁止条約に署名しない?
地球の温暖化や異常気象の最大の原因は、今までの2000回以上の核実験や原発事故などの放射能汚染で地球が壊れてきているからではないのか??米の原爆投下責任と核実験をしてきた国の責任を問う!!
●『二酸化炭素温暖化説の崩壊』広瀬隆(集英社新書)
第1章 二酸化炭素温暖化論が地球を破壊する

温暖化の為ハリケーンや台風が増えている?

我々高齢者は、昔の台風がどれほど大災害をもたらしたかを知っている。台風被害者の悲劇を環境保護運動家が騒ぎ、それをIPCC集団が悪用することが習いとなっているが、環境保護運動はそれでいいのだろうか。若い世代は特に、現代の大人を信用せず、自分たちが知らない古い資料に目を通してから、物事を考える必要がある。


●核実験(ウキペディアより)
若くして白血病で亡くなった夏目雅子、本田美奈子、また五輪候補選手だったスイマーが白血病になったのは、放射能の影響ではないのか?
月の砂漠の犠牲者 夏目雅子と本田美奈子
核実験の探知
東西冷戦中には、アメリカ合衆国が地下核実験の探知を目的として世界中に地震計を設置した。おもにソビエト連邦が実施した地下核実験によって生じる地震波をとらえた。いっぽう、核実験実施国も自然地震と見せかけるために巧妙な核実験を行った。たとえば爆弾を並べて短時間に順に爆発させていき断層破壊と偽ったり、2発の爆弾を短時間に続けて爆発させ自然地震特有のpP波に似た波を発生させたりしていた。
このような経緯で設置された地震計は、現在では純粋に地震学の分野で大きく活用されている(たとえば地震波トモグラフィー)。
なお、地震計による核実験探知については、ブルース・A・ボルト著『地下核実験探知』に詳しく記してある。

水素爆弾の恐怖・ビキニ環礁 (アメリカ)

「北朝鮮の核実験の威力」と「史上最強の核兵器"ツァーリ・ボンバ"の破壊力」【核兵器】


●核なき世界へ!!
Toward a Nuclear-Free Future


●核融合もすべきではない!!
20170303 小出裕章先生にきいてみた!!〜土岐市核融合科学研究所 重水素実験について

日本政府・自衛隊は情報を公開せよ!!(情報開示!!)
今年も8月12日がくる──。33年前 520人が犠牲になった日航機墜落、遺物の化学分析で判明した事実とは?

中曽根元総理が知る日航機墜落事故の真実とは?墓場まで発言の真意を調査!

ここの研究所は、どんなことをやっているのだろうか??
国立感染症研究所村山庁舎(武蔵村山)


●1954年3月1日第5福竜丸他1000隻もの船が被曝!核兵器廃絶!!
なぜ、日本は広島・長崎・ビキニ・JCO臨界事故・福島と5度も被爆しているにに、日本医学界は「脱原発!!」と叫ばない!!
原爆投下された直後、日本は自らが原爆調査をして、731部隊(人体実験や細菌戦)の事もあるので、アメリカの心証を良くしようと考えた。そして科学者を総動員して原爆調査(被爆者を救済するための調査ではなく、原爆の威力調査)を181冊の調査書にまとめて、英訳し、アメリカに渡した。その後、731部隊員は、731で研究したデータを渡し、戦犯免責を受けた。原爆調査書は被爆者の治療には全く生かされず、日本の医学界は、原爆の放射能被害については、何も言及しなかった。そればかりか、その後のアメリカの原爆・水爆実験も批判せず、その被害を過小評価した。そして日本政府が、原子力の平和利用として原発を推進する政策にも、大きく加担している。

XII) 731部隊、広島長崎、チェルノブイリ、福島より
・・・第二次世界大戦中、日本軍は3000人もの医師たちが関わったとされる731部隊により、妊婦や子供まで含めた人体実験が行いました。極東裁判では捕虜虐待死の容疑で死刑に処された軍医幹部もいる中、731部隊関連者は訴追されませんでした。戦後、「研究データを米軍に提供すること」、さらにはなんと、「広島・長崎の研究に協力すること」を引き換えに免責されたのでした。

2010年のNHKの番組で、「(米国への研究データの提供のほかに)原爆調査への協力を731部隊の免責のカードとして使った」という元陸軍軍医の証言がありました。
封印された原爆報告書
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水爆実験
水爆実験ブラボーで被爆したのは第5福竜丸1隻ではなく、延べ1000隻近くの漁船が被爆した!!

 

核兵器廃絶

徳仁・日本政府・日本医学界は、731部隊のことを謝罪し、戦争被害者の救済、戦争をしない政策にお金をかけるべきだ!

「731部隊・100部隊・毒ガス戦」パネル展 2019年4月29日~5月3日
「日本はなぜ戦争責任問題を解決できないのか 」 田中利幸さん
日本はなぜ戦争責任問題を解決できないのか
水俣病


731部隊(unit731)


昭和天皇の戦争責任を問う!!天皇制反対!!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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細菌戦の系譜!!

2020-05-26 08:34:00 | Weblog

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細菌(生物)戦争
『BCGと人体実験』 美馬聡昭著
731部隊 ペスト研究、攻撃用か(1988年朝日新聞)
防疫研究室と昭和天皇の関係
1940年と2020年の東京オリンピック
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武蔵村山の国立感染症研究所問題!!
731部隊・100部隊展

●今の日本人は、まさかと思うかもしれない。
今、世界中で猛威を振るっている新型コロナウィルス。これは、細菌戦(生物戦)ではないのか?
過去に、日本が中国で行なった細菌戦のように。(以下は現在分かっている細菌戦)


1939年 731部隊 ノモンハン戦争にて細菌戦(チフス菌、コレラ菌、赤痢菌)を行う
*1940年は皇紀2600年(神武が即位して2600年??)東京オリンピックや万博が開催される予定であったが、戦争の為中止!!
1940年 6月4日   731部隊、農安大賚・農安で細菌戦(ペスト菌)を行う
10月 4日   731部隊、衢州で細菌戦(ペスト菌)を行う
10月27日   731部隊、寧波で細菌戦(ペスト菌)を行う
1941年11月4日    731部隊、湖南省常徳で細菌戦(ペスト菌)を行
1942年17月        100部隊は、ハイラルの北約120キロのソ連国境で行なった「三河演習」で鼻疽菌の生存期間を測定、炭疽菌の土 壌への浸透力の調査した 
8月       731部隊、湖南省江山、常山、衢県、麗水、江西省広信、広豊、玉山で細菌戦(ペスト、コレラ、チフス)を行う
1943年12月       100部隊第2部に細菌戦準備の第6科を設置
【コロナは生物兵器か】人工のコロナウイルスショックによる文明の転換点 船瀬俊介氏が語る

米軍300人が新型コロナの感染が広がる前に武漢にいたという。
新型コロナウィルスを撒いたのは??

石井四郎が、細菌戦の主犯であったのか?小泉親彦陸軍軍医総監、宮川米治第5代東大伝研所長は関与していないのか??大元帥昭和天皇の関与は?
検証・中国に於ける生体実験
東京帝大医学部の犯罪   美馬聡昭著  桐書房(2013年)
戦前の中国人を実験動物としてきた中心部隊は、伝染病研究所(現医科学研究所)の研究者であり、現在もこの研究所は東大総長の管理下にある。
過去の問題を闇から闇へと葬ってはいけない。
日本の医学が正当に発展していくためには、これらの歴史的事実を正確に検証する必要がある。
背陰河、満州国立衛生技術廠、731部隊や「同仁会」中国支部には数多くの医師が参加し、各大学の学長や医学部長、医学部教授になって活躍している。
彼らは、戦後アメリカとの取引によって免罪されたかもしれないが、彼らの犯罪は我が国医学史の中で正確に語り続けられなければならない。


この新型コロナウィルスがどこで作られたかは分からないが、細菌戦の系譜をたどると、
日本は、戦時中、1925年のジュネーブ議定書を無視して、中国で細菌を製造し、細菌戦を行なった。戦後、731部隊での研究データをアメリカに渡し、731部隊員は全員戦犯免責され、アメリカは生物戦の研究を本格的に始めた。
日本政府は、中国で行った細菌戦や生体実験の事を、(日本の裁判所は事実認定をしている)未だに隠し続け、事実も認めていない。勿論謝罪もしない。日本軍が中国に遺棄してきた生物兵器は戦後、どのようになったのだろうか?
この新型コロナウィルスに影響しているのだろうか?
今、日本人は過去に犯した戦争犯罪を直視し、きちんと歴史事実に向き合う時ではないのか?

今回の新型コロナウイルスは、日本軍が遺棄してきたものが影響しているのか、それともどこかで作られたのか?それとも動物を介して新たに自然発生したのか?
作ったとすれば、アメリカが作ったのか、それとも、日本軍の細菌戦に苦しんだ中国が作ったのか、はたまた、ロシアかそれとも日本(又は日米共同)が作ったのか?よくわからないが、世界各国で生物戦の研究がなされていることは確かであろう。
生物兵器禁止条約の署名を日本は1972年にして、この条約は、1975年に発効されたが、日本がこの条約を批准したのは、1982年。なんでこんなに時間がかかったのか?批准されてからも、細菌(生物)兵器は、極秘裏にアメリカ、中国、ロシア、日本などで研究開発しているのだろう??

中国もロシアもアメリカも細菌戦の事は厳しく裁かなかった!!
埋もれた細菌戦調査書
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●細菌戦裁判
資料集シリーズ・第8集(2002年10月31日)
「731細菌戦裁判・第1審判決特集号」の発行にあたって 
本書第8集は、細菌戦裁判の第1審判決(東京地方裁判所民事第18部)の後、開催された判決報告集会、記者会見、意見交換会等での発言を編集したものです。
弁護団声明
団長 弁護士 土屋公献
4、次に、本判決は、法律解釈で、日本軍が行なった本件細菌戦についてハーグ陸戦条約の3条の規定を内容とする国際慣習法による国家責任が成立することを認定した。これは次の2段階で認定されている。
第1に、本判決は、旧日本軍が中国各地で行なった本件細菌戦はジュネーブ・ガス議定書が禁止する「細菌学的戦争手段の使用」に当たるが、本件細菌戦の当時既に同議定書を内容とする国際慣習法が成立するに至っていたものと認められるので、本件細菌戦はジュネーブ・ガス議定書を内容とする国際慣習法に違反する旨を認定した。


●731部隊員が多く入った国立予防衛生研究所(現・国立感染症研究所)や自衛隊などでの生物兵器の開発・研究も行われているのではないか?
731部隊の行なった細菌戦

東大伝染病研究所は、1947年に主に検査・製造に関わる部門などを厚生省所管の国立予防衛生研究所(現・国立感染症研究所)として分離し、1967年に伝染病研究所を改組して医科学研究所が設置された。
国立予防衛生研究所所長と731部隊員の繋がり(教えてげんさんより
(所長が731部隊員であれば、元隊員もたくさん入るだろう)
戦争中細菌戦部隊及び組織に属していて、戦後、国立予防衛生研究所に関係した人です。

*朝比奈正二郎  (当時)731部隊第1部第9課(水棲昆虫)長。発疹チフスワクチン製造
(戦後)国立予防衛生研究所 名誉所長
*小林六造    (当時)京大教授、防疫研究室嘱託
(戦後)国立予防衛生研究所 初代所長
*小島三郎    (当時)東大伝染病研究所教授、栄1644部隊所属 サルモネラ菌の研究
(戦後)国立予防衛生研究所 第2代所長
文部省百日咳研究班員
*小宮義孝    (当時)華中衛生研究所(栄1644部隊関連)
(戦後)国立予防衛生研究所第4代所長
*柳沢謙     (当時)陸軍軍医学校防疫研究室で嘱託として結核研究 凍結乾燥BCG
(戦後)国立予防衛生研究所 第5代所長
*福見秀雄    (当時)陸軍軍医学校防疫研究室  インフルエンザ
(戦後)国立予防衛生研究所 第6代所長
文部省百日咳研究班員
(注)1951年、国立東京第一病院に入院中の乳児たちに、
両親に告知や許可を受けずに大腸菌を飲ませる実験を行なった
*村田良介      (当時)1644部隊
(戦後)国立予防衛生研究所 第7代所長

*倉内喜八郎   (当時)731部隊細菌戦研究班
(戦後)永寿病院院長
【コロナウイルス・4/17追記】永寿総合病院でメガクラスター発生、160人以上が感染・20人死亡、屋形船から感染拡大

・・・・・・・
自衛隊に入った731部隊員・・増田美保、近喰秀大、神子謙、金原節三、井上義弘、中黒秀外之、園口忠男、高橋三郎、佐伯実、木村直正など 
コロナウイルス「PCR検査」を遅らせた“戦犯”は?〈週刊朝日〉

帝国陸海軍の「亡霊」が支配する新型コロナ「専門家会議」に物申す(下)


それともロシアや中国などが研究しているだろうか?
新型肺炎、米メディアが報じた「研究所が発生源」説

生物兵器禁止条約が1975年に発効されたにもかかわらず、その裏でどんなことが起こっているのだろうか??
免責された731部隊員は、戦後、ABCC(原爆傷害調査委員会)に全面協力し、原爆被爆者を治療するのではなく、放射能の人体に対する影響を追跡した。そして日本は、アメリカの非人道的な原爆投下を問うこと全くなく、原子力の平和利用に突っ走った。

新型コロナは「パンデミック」 WHOが表明



●日本政府は、731部隊の罪業を、公開せず、秘匿し、戦後全く無反省である!!最高責任者の昭和天皇も戦犯免責された!!
安倍晋三は何でこんな行動がとれるのだ??無反省のまま、ずっと生き延びられるのか??
安倍首相の731戦闘機試乗 「止まらない挑発」の非難
2013年5月12日、安倍晋三は宮城県東松島市の航空自衛隊基地を訪問して、機体番号が‘731’であるアクロバット飛行団訓練機の操縦席に座りサムズアップして写真に収まった。

731部隊全景(中国に於いて人体実験を繰り返し、細菌兵器を開発し、中国各地で細菌戦を行なった。)


旧満洲第731部隊軍医将校の学位授与の検証を求めます!

731部隊新発見公文書の中身とは 細菌研究を明記


核兵器、生物兵器、化学兵器廃絶!! 戦力不保持!!安倍政権打倒!!
どこの研究所で新型コロナウィルスが誕生したのだろうか??
●ニュース
戦争責任を取らぬまま、そのまま在位した昭和天皇、その後の天皇も日本の侵略戦争の謝罪をしていない!!
このウィルスは自然発生なのか?どこの研究所がこんなウィルスを開発したのか??それとも日本軍が遺棄した生物兵器が影響しているのだろうか?
もし人工的につくられたのであれば、どこで製造されたのだろうか?アメリカか?それとも中国?、日本?・・・


731部隊が建物を爆破して日本に逃走した後、その近くの村でペストが流行した。100部隊の逃走した時は、鼻疽菌などに汚染された馬を放ってきた。
中国各地に日本軍の細菌戦研究所が存在したのだから、その施設が遺棄した生物兵器はその後どうなっているのか?
中国の細菌戦被害地では、今でも毎年鼠を捕獲してペストの検疫を行っている。日本軍の遺棄した生物兵器がその後も生きていて、いま中国で広がっている新型コロナウィルスや豚熱に影響はしていないのだろうか?遺棄毒ガス弾が多くの中国人を苦しめているように。

なぜ天皇はコロナ禍にビデオメッセージを発しないのか、皇室記者の考え

法務省「黒川氏は懲戒相当」 官邸側と調整後、訓告に

黒川氏ら4人の常習賭博容疑、弁護士4人が東京地検に告発状を郵送

緊急事態宣言を全面解除

米国のビーチが混雑、欧州も観光再開目指す 進む制限緩和 新型コロナ

 


自殺した近畿財務局職員の遺書公開…そもそも「森友学園問題」はどう始まったのか〈dot.〉

福島原発、見えぬ「トリチウム水処分」のゆくえ

チェルノブイリ原発付近で森林火災が発生 放射線量が上昇したとの報告も


戦闘機は必要なのだろうか???
.com/politics/news/200315/plt2003150004-n1.html">河野防衛相、F35A視察 空自三沢基地

大竹まことゴールデンラジオ・金子勝・2020-05-22(文化放送)



●パネル展「日中戦争―その実相に迫る!」感想(2020年2月8日~13日)

13.  全て印象に残った。すべての戦争の悲惨さや、…を思い出させた。戦争体験:東京~栃木爆撃等、中気飛行隊からの飛行 、B29攻撃で。今回講演は聞けなかったがビデオを見ました。神奈川県の他の市へも広めると良い。(男、80、横須賀、記事)

●映画「ひろしま」アンケート(1月13日 横浜)
( )は性別・年代・住まい・情報
20、実際に体験された方の体験を忠実に再現されたとのこと、納得の迫力です。NHKTVで観ましたが、大きな画面で、たくさんの人と共有したく見せていただきました。ラストシーン、亡くなった生徒たち、子供たち、町の人々がゆっくり立ち上がり、こちらを見据えて歩く様子は私たちに“2度と戦争を起こしてはダメ!”と強く叫んでいるように思えました。
この映画を作って、守り続けてくださったことに感謝です。帰って家族や友人に伝えますね。
森川さんのお話もよかったです。
金縛りに負けないよう、しっかり踏ん張りますね。
(女性、50代、相模原、ウェブ、友人)

日本は、日中戦争で国際法に違反して、細菌戦、毒ガス戦、無差別爆撃を行った。日本政府は、この事実をきちんと認めていない!!
●細菌戦
【真相】(unit731) 
・『石井細菌戦部隊―極秘任務を遂行した隊員たちの証言』
郡司陽子編(1982年11月30日初刷:徳間書店)

Ⅲ ペスト攻撃班、恐怖の実戦秘録
―第2部5課(攻撃・実戦担当)K・S
マニラで細菌戦の予備訓練を受ける

また、1ccのペスト菌を10個の試験管に取り分けるような場合、先ずピペットで菌を吸い上げる。時々、勢い余って、菌が口内に入ってしまうのである。飲み込むことはなかったが、その場合には、直ちに口内をアルコールでうがいするのである。
5課では幸いペスト菌にやられた者はいなかった。ただ、どういうわけか、T少佐が炭疸菌にやられたことがあった。炭疸菌は100度Cで3回煮沸しても死なないから厄介な物である。少佐は、鼠蹊部(そけいぶ)がこぶし大に腫れあがり、高熱を発して、強い痛みを訴えていた。一命はとり止めたものの、回復にかなりの期間を要したと記憶している。

・『証言 人体実験(731部隊とその周辺)』
中央档案館、中国第2歴史档案館、吉林省社会科学院編
江田憲治、兒嶋俊郎、松村高夫編訳

二 大規模な細菌生産と残虐非道な人体実験

山下昇供述書(1952年5~6月)

問:731部隊にいた時の状況を述べよ。
答:1943年1月、私は関東軍軍医部への参加を志願し、4か月後にハルピン平房の731部隊に配属され、細菌に関する知識を学び、細菌培養の仕事をした。その後上官の命令で、外科で細菌実験と輸送業務を行なうことになった。外科で1年余り仕事をしたが、あまり多くの人を殺したため、それ以上続けるのが嫌になり、1944年の夏、中野、渡辺と一緒に逃亡した。山海関の食堂で食事をしているところを憲兵に逮捕され、山海関憲兵隊に2か月拘留されて、更にハルピン憲兵隊の1か月拘留された後、731部隊に送り返された。731部隊では絶えず逃亡があったが、逃げおおせた者はいなかった。私は731部隊に戻ってから曹長となり、6大隊1中隊1分隊長(見習士官少尉候補生)を務めた。分隊には30人余りいた。



●毒ガス戦
・『日本軍の毒ガス兵器』  松野誠也著
第1章 毒ガス兵器の研究と開発
1、第1次世界大戦と毒ガス戦
毒ガス戦の幕開け

2 日本陸軍、毒ガス研究に着手
欧米列強に追従した毒ガス研究の開始
総力戦として戦われた第1次世界大戦が日本陸軍に与えたインパクトは大きかった。多くの新兵器の登場と、欧米諸国との軍需生産力の圧倒的な格差に対し、軍部は深刻な焦りの意識を抱き始めた。第1次世界大戦で日本は連合国側に参加したが、ヨーロッパでの地上戦には関わらなかたので、毒ガス戦には遭遇しなかった。しかし、毒ガスという新兵器が猛威を振るっている事態を受けて、欧米列強に後れを取ってはならないとしてその研究を着手する。

・『日本の中国侵略と毒ガス兵器』 歩平著(山邊悠喜子、宮崎教四郎訳)明石書店 1995年発行)
第12章 癒しがたい傷
毒ガスの焼却
ウィリアムスの命令により、島の労働者たちは次々に呼び戻され、各地に分散していた毒ガス缶を集め始めた。もともと、こうした毒剤は労働者たちの手で1㎏、また1㎏と製造されたものだったが、一体どのくらい製造されたのか、労働者たちにもはっきりわからず、山のように積まれた毒ガスを見て、彼らですらびっくりしたのだった。外地に運んだのは計算に入れず、島に残ったものだけでも2千数百トンあったから、労働者たちが元から毒ガスに対してある程度の恐れを抱いていたとしたら、今では彼らの中の多くの者が、既に単純な恐怖からさらに踏み込んだ思考へと移っている。




日本軍の毒ガス戦と遺棄毒ガス問題

●『三光』     中国帰還者連絡会編
日本鬼子(リーベンクイズ)
軍医の野天解剖
小美野義利
戦務班長 憲兵曹長
〈旧部隊名〉
関東軍特別警備隊2大隊本部

土倉は白い粉末の毒薬を注ぎ込んだ。男の苦しみは頂点に達し、全身をくねらせ痛む腹と胸を押さえようとして腕を持っていこうと必死に反転するが、力むたびにかえって麻縄は腕首に深く食い込み、紫色のはれ上がったところから血がにじみ出てきた。軍医は薄い唇に冷たい笑いを浮かべて男を見守り、時計を見比べている。25秒、30秒、・・・・男はググーッとこみ上げてきたと思うと、カーッと血を吐いた。

●日米安保条約・自衛隊を問う!!
自衛隊は、防護のためと言って、旧日本軍の細菌兵器・毒ガス兵器使用の反省・謝罪もないまま新たな生物兵器・化学兵器を作ってもいいのだろうか??憲法9条を持ち、生物兵器・化学兵器禁止条約を批准しているにも関わらず!!
日本の毒ガス

沖縄・南西諸島が軍事要塞化している現実はおかしくないか??
「琉球処分」から140 今の沖縄を考える


●情報公開裁判
なぜここまでして、国は衛生学校や化学学校で作っていた機関誌を公開しないのだろうか?

・731部隊関連の「情報公開裁判」に関する報告
和田千代子(731細菌戦部隊の実態を明らかにする会事務局長)

第4 私達の情報公開裁判闘争の目的

ところで日本は1951年9月に締結されたサンフランシスコ対日講和条約に基づいて翌1952年4月に“主権回復”。その後同年中に「保安隊」が設立され、2年後の1954年に「自衛隊」が発足しました。その自衛隊は、発足当初から旧日本軍の731部隊の元幹部隊員を自衛隊に入れて細菌戦部隊が持っていた技術や知見を秘密裏に軍事情報として積極的に収集しました。

・次回『衛生学校記事』情報公開裁判(第26回)
緊急事態宣言が出たため、4月の裁判は延期になりました。東京地裁419号法廷

・化学学校記事」情報公開裁判 (第16回)
次回 2020年6月3日(水)11:30~ 東京地裁522号廷



第4代衛生学校長だった金原節三が亡くなってから、遺族が、当時の防衛庁に寄贈した金原節三資料の中に13点の『衛生学校記事』が含まれている。それがいまだに未開示であり、その行方が防衛省は分からないという。
1995年に防衛研究所に衛生学校から金原資料の全部を移管した。翌年1996年には、その資料の中で旧軍資料の価値の高いものを、防衛研究所に残して、あとは衛生学校に戻した。
『金原文庫』はいつまで、衛生学校の彰古館に開設されていたのであろうか?その中に果たして『衛生学校記事』があったのか?また、金原資料はキチンと整理をされていたのだろうか?金原資料の中には『特殊武器衛生』というものもある。防衛省は、金原資料をすべて開示すべきである。

1957(昭和32)年7月『衛生学校第1号』発刊


●『BC兵器』久保綾三著(1969年)
※以下の記述から、自衛隊では、いま世界で流行している新型コロナウィルスなどの生物兵器の研究も大分以前からやっているといるのではないかと思われる。

Ⅲ 日本における生物・化学兵器の歩み
1、 生物・化学兵器の開発の歩み
爆発赤痢事件
“塚本メモ”の中の欄外で「特に秘」と書かれた部分に「10月25日、憲兵の言によれば、赤痢菌弾を三井染料工業所において目下、海軍関係8割、陸軍関係2割、製作しつつあり。戦地使用中なること。なお赤痢菌弾の件は小倉工廠調査の結果なる旨聴取せり」(メモ:原文をカタカナ表記→ひらがな表記に)とある。塚本さんの必死の努力にもかかわらず、爆発赤痢の秘密は遂に国家権力の厚い壁の彼方に閉ざされたままである。


●昭和天皇(ハーバード・ピックス著『昭和天皇』より)吉田裕監修 2001年ピュリッツァー賞受賞

※昭和天皇は、平和主義者でもなんでもなかった。好戦的であり、常に軍部に色々と指示を出していた!!
戦後補償問題に国家無答責という天皇主権の明治憲法下の原則を適用するな!!
第12章大元帥の試練


消耗戦の莫大な損害は、天皇みずからが避けたいと願いながらも、結局は、みずからが招いたものであった。この損害に絶望した昭和天皇は、1942年12月12日、伊勢神宮参拝のため2日間の特別な行幸を行った。12月28日、天皇は蓮沼蕃(しげる)侍従武官長に、ちょうど両統帥部長により行われた1942年の戦況報告とその計画に不満があるとして次のように述べた。両統帥部長は、ガ島からの撤退計画の提出を約していたが、「如何にして敵を屈服させるかの方途如何が知りたい点である。事態はまことに重大である。ついてはこの問題は大本営会議を開くべきであると考える。このためには年末も年始もない、自分は何時でも出席するつもりである」。
小泉親彦と昭和天皇

憲法9条を生かそう!!



731部隊員が戦犯免責され、ABCC(原爆傷害調査委員会)に協力した。その結果、アメリカの原爆投下を日本政府は問うことは無く、また被爆者は、ABCCに治療されることもなかった。そして日米安保条約の下、核兵器の廃絶に日本政府は後ろ向きである!!
日本には多くの被爆者がいるのに、日本政府はなぜ核兵器禁止条約に署名しない?
地球の温暖化や異常気象の最大の原因は、今までの2000回以上の核実験や原発事故などの放射能汚染で地球が壊れてきているからではないのか??米の原爆投下責任と核実験をしてきた国の責任を問う!!
●『二酸化炭素温暖化説の崩壊』広瀬隆(集英社新書)
第1章 二酸化炭素温暖化論が地球を破壊する

温暖化の為ハリケーンや台風が増えている?

日本でも、2004年に史上最多の台風10個が上陸して、2酸化炭素のせいだと大騒ぎする人間がぞろぞろ出てきた。だが、その後益々2酸化炭素が増加されながら、2008年は逆に台風上陸ゼロの年となった。そのため雨も少なく、秋の紅葉は映えなかった。騒いだ人間に、この事実についての科学的解説を聞かせてもらいたい。【図38】のように、台風の発生数は、むしろやや減少の傾向にある。

●核実験(ウキペディアより)
若くして白血病で亡くなった夏目雅子、本田美奈子、また五輪候補選手だったスイマーが白血病になったのは、放射能の影響ではないのか?
月の砂漠の犠牲者 夏目雅子と本田美奈子
朝鮮民主主義人民共和国
詳細は「北朝鮮の核実験 (2006年)」、「北朝鮮の核実験 (2009年)」、「北朝鮮の核実験 (2013年)」、「北朝鮮の核実験 (2016年1月)」、「北朝鮮の核実験 (2016年9月)」、および「北朝鮮の核実験 (2017年)」を参照
1986年3月、アメリカの偵察衛星が北朝鮮の核施設のある寧辺を撮影、高性能爆発実験の痕跡を示す幾つかの円筒状のクレーターを発見。
2006年10月9日 咸鏡北道吉州郡豊渓里で初の核実験。
2009年5月25日 咸鏡北道吉州郡豊渓里で2回目の核実験。
2013年2月12日 咸鏡北道吉州郡豊渓里で3回目の核実験[8]。
2016年1月6日 咸鏡北道吉州郡豊渓里で初の水爆実験。しかしこの実験の水素爆弾というのは疑わしい見方も多い。
2016年9月9日 5回目の核実験。
2017年9月3日 6回目の核実験。北朝鮮は「水爆実験」と主張している。

水素爆弾の恐怖・ビキニ環礁 (アメリカ)

「北朝鮮の核実験の威力」と「史上最強の核兵器"ツァーリ・ボンバ"の破壊力」【核兵器】


●核なき世界へ!!
Toward a Nuclear-Free Future


●核融合もすべきではない!!
20170303 小出裕章先生にきいてみた!!〜土岐市核融合科学研究所 重水素実験について

日本政府・自衛隊は情報を公開せよ!!(情報開示!!)
今年も8月12日がくる──。33年前 520人が犠牲になった日航機墜落、遺物の化学分析で判明した事実とは?

中曽根元総理が知る日航機墜落事故の真実とは?墓場まで発言の真意を調査!

ここの研究所は、どんなことをやっているのだろうか??
国立感染症研究所村山庁舎(武蔵村山)


●1954年3月1日第5福竜丸他1000隻もの船が被曝!核兵器廃絶!!
なぜ、日本は広島・長崎・ビキニ・JCO臨界事故・福島と5度も被爆しているにに、日本医学界は「脱原発!!」と叫ばない!!
原爆投下された直後、日本は自らが原爆調査をして、731部隊(人体実験や細菌戦)の事もあるので、アメリカの心証を良くしようと考えた。そして科学者を総動員して原爆調査(被爆者を救済するための調査ではなく、原爆の威力調査)を181冊の調査書にまとめて、英訳し、アメリカに渡した。その後、731部隊員は、731で研究したデータを渡し、戦犯免責を受けた。原爆調査書は被爆者の治療には全く生かされず、日本の医学界は、原爆の放射能被害については、何も言及しなかった。そればかりか、その後のアメリカの原爆・水爆実験も批判せず、その被害を過小評価した。そして日本政府が、原子力の平和利用として原発を推進する政策にも、大きく加担している。

XII) 731部隊、広島長崎、チェルノブイリ、福島より
・・・第二次世界大戦中、日本軍は3000人もの医師たちが関わったとされる731部隊により、妊婦や子供まで含めた人体実験が行いました。極東裁判では捕虜虐待死の容疑で死刑に処された軍医幹部もいる中、731部隊関連者は訴追されませんでした。戦後、「研究データを米軍に提供すること」、さらにはなんと、「広島・長崎の研究に協力すること」を引き換えに免責されたのでした。

2010年のNHKの番組で、「(米国への研究データの提供のほかに)原爆調査への協力を731部隊の免責のカードとして使った」という元陸軍軍医の証言がありました。
封印された原爆報告書
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水爆実験
水爆実験ブラボーで被爆したのは第5福竜丸1隻ではなく、延べ1000隻近くの漁船が被爆した!!

核兵器廃絶

徳仁・日本政府・日本医学界は、731部隊のことを謝罪し、戦争被害者の救済、戦争をしない政策にお金をかけるべきだ!

「731部隊・100部隊・毒ガス戦」パネル展 2019年4月29日~5月3日
「日本はなぜ戦争責任問題を解決できないのか 」 田中利幸さん
日本はなぜ戦争責任問題を解決できないのか
水俣病


731部隊(unit731)


昭和天皇の戦争責任を問う!!天皇制反対!!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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細菌戦の系譜!!

2020-05-25 09:01:58 | Weblog

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細菌(生物)戦争
『BCGと人体実験』 美馬聡昭著
731部隊 ペスト研究、攻撃用か(1988年朝日新聞)
防疫研究室と昭和天皇の関係
1940年と2020年の東京オリンピック
『ウサギと化学兵器』いのうえせつこ著
731部隊と国立感染症研究所の問題!!
731部隊・細菌戦資料センター総会のご案内
731部隊の罪業
731部隊 行動示す新資料・埋もれた公文書
情報公開裁判「化学学校記事」「衛生学校記事」
武蔵村山の国立感染症研究所問題!!
731部隊・100部隊展

●今の日本人は、まさかと思うかもしれない。
今、世界中で猛威を振るっている新型コロナウィルス。これは、細菌戦(生物戦)ではないのか?
過去に、日本が中国で行なった細菌戦のように。(以下は現在分かっている細菌戦)


1939年 731部隊 ノモンハン戦争にて細菌戦(チフス菌、コレラ菌、赤痢菌)を行う
*1940年は皇紀2600年(神武が即位して2600年??)東京オリンピックや万博が開催される予定であったが、戦争の為中止!!
1940年 6月4日   731部隊、農安大賚・農安で細菌戦(ペスト菌)を行う
10月 4日   731部隊、衢州で細菌戦(ペスト菌)を行う
10月27日   731部隊、寧波で細菌戦(ペスト菌)を行う
1941年11月4日    731部隊、湖南省常徳で細菌戦(ペスト菌)を行
1942年17月        100部隊は、ハイラルの北約120キロのソ連国境で行なった「三河演習」で鼻疽菌の生存期間を測定、炭疽菌の土 壌への浸透力の調査した 
8月       731部隊、湖南省江山、常山、衢県、麗水、江西省広信、広豊、玉山で細菌戦(ペスト、コレラ、チフス)を行う
1943年12月       100部隊第2部に細菌戦準備の第6科を設置
【コロナは生物兵器か】人工のコロナウイルスショックによる文明の転換点 船瀬俊介氏が語る

米軍300人が新型コロナの感染が広がる前に武漢にいたという。
新型コロナウィルスを撒いたのは??

石井四郎が、細菌戦の主犯であったのか?小泉親彦陸軍軍医総監、宮川米治第5代東大伝研所長は関与していないのか??大元帥昭和天皇の関与は?


この新型コロナウィルスがどこで作られたかは分からないが、細菌戦の系譜をたどると、
日本は、戦時中、1925年のジュネーブ議定書を無視して、中国で細菌を製造し、細菌戦を行なった。戦後、731部隊での研究データをアメリカに渡し、731部隊員は全員戦犯免責され、アメリカは生物戦の研究を本格的に始めた。
日本政府は、中国で行った細菌戦や生体実験の事を、(日本の裁判所は事実認定をしている)未だに隠し続け、事実も認めていない。勿論謝罪もしない。日本軍が中国に遺棄してきた生物兵器は戦後、どのようになったのだろうか?
この新型コロナウィルスに影響しているのだろうか?
今、日本人は過去に犯した戦争犯罪を直視し、きちんと歴史事実に向き合う時ではないのか?

今回の新型コロナウイルスは、日本軍が遺棄してきたものが影響しているのか、それともどこかで作られたのか?それとも動物を介して新たに自然発生したのか?
作ったとすれば、アメリカが作ったのか、それとも、日本軍の細菌戦に苦しんだ中国が作ったのか、はたまた、ロシアかそれとも日本(又は日米共同)が作ったのか?よくわからないが、世界各国で生物戦の研究がなされていることは確かであろう。
生物兵器禁止条約の署名を日本は1972年にして、この条約は、1975年に発効されたが、日本がこの条約を批准したのは、1982年。なんでこんなに時間がかかったのか?批准されてからも、細菌(生物)兵器は、極秘裏にアメリカ、中国、ロシア、日本などで研究開発しているのだろう??

中国もロシアもアメリカも細菌戦の事は厳しく裁かなかった!!
埋もれた細菌戦調査書
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●細菌戦裁判
資料集シリーズ・第8集(2002年10月31日)
「731細菌戦裁判・第1審判決特集号」の発行にあたって 
本書第8集は、細菌戦裁判の第1審判決(東京地方裁判所民事第18部)の後、開催された判決報告集会、記者会見、意見交換会等での発言を編集したものです。
弁護団声明
団長 弁護士 土屋公献
このように本判決は、原告らが主張した細菌戦に関する基本的な歴史事実をほぼ全面的に認定した。
本判決が行なった細菌戦の事実認定は、被告の責任を認めさせる大前提であり、控訴審の裁判官に被告の国家責任を認めさせる原動力となると確信する。


●731部隊員が多く入った国立予防衛生研究所(現・国立感染症研究所)や自衛隊などでの生物兵器の開発・研究も行われているのではないか?
731部隊の行なった細菌戦

東大伝染病研究所は、1947年に主に検査・製造に関わる部門などを厚生省所管の国立予防衛生研究所(現・国立感染症研究所)として分離し、1967年に伝染病研究所を改組して医科学研究所が設置された。
国立予防衛生研究所所長と731部隊員の繋がり(教えてげんさんより
(所長が731部隊員であれば、元隊員もたくさん入るだろう)
戦争中細菌戦部隊及び組織に属していて、戦後、国立予防衛生研究所に関係した人です。

*朝比奈正二郎  (当時)731部隊第1部第9課(水棲昆虫)長。発疹チフスワクチン製造
(戦後)国立予防衛生研究所 名誉所長
*小林六造    (当時)京大教授、防疫研究室嘱託
(戦後)国立予防衛生研究所 初代所長
*小島三郎    (当時)東大伝染病研究所教授、栄1644部隊所属 サルモネラ菌の研究
(戦後)国立予防衛生研究所 第2代所長
文部省百日咳研究班員
*小宮義孝    (当時)華中衛生研究所(栄1644部隊関連)
(戦後)国立予防衛生研究所第4代所長
*柳沢謙     (当時)陸軍軍医学校防疫研究室で嘱託として結核研究 凍結乾燥BCG
(戦後)国立予防衛生研究所 第5代所長
*福見秀雄    (当時)陸軍軍医学校防疫研究室  インフルエンザ
(戦後)国立予防衛生研究所 第6代所長
文部省百日咳研究班員
(注)1951年、国立東京第一病院に入院中の乳児たちに、
両親に告知や許可を受けずに大腸菌を飲ませる実験を行なった
*村田良介      (当時)1644部隊
(戦後)国立予防衛生研究所 第7代所長

*倉内喜八郎   (当時)731部隊細菌戦研究班
(戦後)永寿病院院長
【コロナウイルス・4/17追記】永寿総合病院でメガクラスター発生、160人以上が感染・20人死亡、屋形船から感染拡大

・・・・・・・
自衛隊に入った731部隊員・・増田美保、近喰秀大、神子謙、金原節三、井上義弘、中黒秀外之、園口忠男、高橋三郎、佐伯実、木村直正など 
コロナウイルス「PCR検査」を遅らせた“戦犯”は?〈週刊朝日〉

帝国陸海軍の「亡霊」が支配する新型コロナ「専門家会議」に物申す(下)


それともロシアや中国などが研究しているだろうか?
新型肺炎、米メディアが報じた「研究所が発生源」説

生物兵器禁止条約が1975年に発効されたにもかかわらず、その裏でどんなことが起こっているのだろうか??
免責された731部隊員は、戦後、ABCC(原爆傷害調査委員会)に全面協力し、原爆被爆者を治療するのではなく、放射能の人体に対する影響を追跡した。そして日本は、アメリカの非人道的な原爆投下を問うこと全くなく、原子力の平和利用に突っ走った。

新型コロナは「パンデミック」 WHOが表明



●日本政府は、731部隊の罪業を、公開せず、秘匿し、戦後全く無反省である!!最高責任者の昭和天皇も戦犯免責された!!
安倍晋三は何でこんな行動がとれるのだ??無反省のまま、ずっと生き延びられるのか??
安倍首相の731戦闘機試乗 「止まらない挑発」の非難
2013年5月12日、安倍晋三は宮城県東松島市の航空自衛隊基地を訪問して、機体番号が‘731’であるアクロバット飛行団訓練機の操縦席に座りサムズアップして写真に収まった。

731部隊全景(中国に於いて人体実験を繰り返し、細菌兵器を開発し、中国各地で細菌戦を行なった。)


旧満洲第731部隊軍医将校の学位授与の検証を求めます!

731部隊新発見公文書の中身とは 細菌研究を明記


核兵器、生物兵器、化学兵器廃絶!! 戦力不保持!!安倍政権打倒!!
どこの研究所で新型コロナウィルスが誕生したのだろうか??
●ニュース
戦争責任を取らぬまま、そのまま在位した昭和天皇、その後の天皇も日本の侵略戦争の謝罪をしていない!!
このウィルスは自然発生なのか?どこの研究所がこんなウィルスを開発したのか??それとも日本軍が遺棄した生物兵器が影響しているのだろうか?
もし人工的につくられたのであれば、どこで製造されたのだろうか?アメリカか?それとも中国?、日本?・・・


731部隊が建物を爆破して日本に逃走した後、その近くの村でペストが流行した。100部隊の逃走した時は、鼻疽菌などに汚染された馬を放ってきた。
中国各地に日本軍の細菌戦研究所が存在したのだから、その施設が遺棄した生物兵器はその後どうなっているのか?
中国の細菌戦被害地では、今でも毎年鼠を捕獲してペストの検疫を行っている。日本軍の遺棄した生物兵器がその後も生きていて、いま中国で広がっている新型コロナウィルスや豚熱に影響はしていないのだろうか?遺棄毒ガス弾が多くの中国人を苦しめているように。

なぜ天皇はコロナ禍にビデオメッセージを発しないのか、皇室記者の考え

黒川氏処分、首相官邸が実質決定 法務省は懲戒と判断、軽い訓告に

緊急事態宣言を全国で解除へ きょう5都道県を諮問

新型コロナの感染再拡大、「心配している」が9割超

NYタイムズ、1面にコロナ死者1000人の氏名を掲載

内閣支持率29%、発足以来最低に 朝日新聞世論調査

 

自殺した近畿財務局職員の遺書公開…そもそも「森友学園問題」はどう始まったのか〈dot.〉

福島原発、見えぬ「トリチウム水処分」のゆくえ

チェルノブイリ原発付近で森林火災が発生 放射線量が上昇したとの報告も


戦闘機は必要なのだろうか???
.com/politics/news/200315/plt2003150004-n1.html">河野防衛相、F35A視察 空自三沢基地

自衛隊とオウムのサリン製造の関係は??情報が漏れていたのでは??
地下鉄サリン事件から25年…「オウム」の跡を訪ねて 熊本・旧波野村

大竹まことゴールデンラジオ・金子勝・2020-05-22(文化放送)



●パネル展「日中戦争―その実相に迫る!」感想(2020年2月8日~13日)

12. 全て印象に残った。(男、80、市内、記事)

●映画「ひろしま」アンケート(1月13日 横浜)
( )は性別・年代・住まい・情報
19、本当に素晴らしい映画だと思います。何より、上映してくださり、ありがとうございます!!
何十年経っても、この映画が訴えたいこと、伝えていきたいことは、変わることなく、多くの人々の心に突き刺さっていくものだと思います。そして何としてでも“核兵器をなくしたい”ということを世界に伝え続けていく大きな力を持っている作品であると思います。この映画が多くの人々の力によって作られ、現在も存在し、これからも、ずっと広がっていくであろうことが、すごいことであり、素晴らしいことであると思います。これからもどんどん広がっていったらよいと思っています。
私自身、核兵器を廃絶し、日本国憲法の平和原則を大切にし、生かしていくために、できる限りのことをし続けていきたいと思っております。2度と教え子を戦場に送らぬために。
多くの被爆者の方々、どうぞ長生きされてください。この映画が永遠に伝え続けられていくことを切に願っております。小林さん、森川さんのお話お聴き出来て、よかったです。ありがとうございます。これからもお元気で、ご活躍を!!
皆様、ありがとうございます!!浜教組で、取り組んでくださって、本当に良かったです。おかげで来れました。ありがとうございます。
(男性・50代・市内・チラシ)

日本は、日中戦争で国際法に違反して、細菌戦、毒ガス戦、無差別爆撃を行った。日本政府は、この事実をきちんと認めていない!!
●細菌戦
【真相】(unit731) 
・『石井細菌戦部隊―極秘任務を遂行した隊員たちの証言』
郡司陽子編(1982年11月30日初刷:徳間書店)

Ⅲ ペスト攻撃班、恐怖の実戦秘録
―第2部5課(攻撃・実戦担当)K・S
マニラで細菌戦の予備訓練を受ける

しかしながら、5課で実験している時には、事故が不可避的に起きた。一例をあげれば、ペスト蚤に刺されるのである。その場合には、あわてずに、刺された個所を手早く切開し、ヨウチンを塗った。万年筆みたいなものに入れられ、ペン先状の所からヨウチンが出てくるように工夫された物が、そのために備えられていた。
*第5課はペスト菌担当で班長は高橋正彦であった。

・『証言 人体実験(731部隊とその周辺)』
中央档案館、中国第2歴史档案館、吉林省社会科学院編
江田憲治、兒嶋俊郎、松村高夫編訳

二 大規模な細菌生産と残虐非道な人体実験

山内豊紀自筆供述書(1951年11月4日)

ガス壊疽の実験について
3、目黒少佐から次の事を聞いた。石井部隊特別班7棟の2階に監禁されている人が暴動を起こしたことがあって、警備員の武器を奪い、各室の中国人もこれに呼応した。石井四郎は毒ガスの使用を命じ、7棟の中国人全員を殺した。石井部隊はこのために関東軍司令部の叱責を受けた。
4、細菌弾研究室(弾研と呼ばれた)は、山口嘱託を主任として各種砲弾を研究していた。私は見習をしたことがあるが、主に自製砲弾の炸裂状況、実験破片の状況、火薬の適不適などを調査していた。
(1)119-1、第171-86頁)


●毒ガス戦
・『日本軍の毒ガス兵器』  松野誠也著
第1章 毒ガス兵器の研究と開発
1、第1次世界大戦と毒ガス戦
毒ガス戦の幕開け

化学工業が発達していたドイツは、毒ガス戦では連合国軍より優位に立ったが、連合国軍側も直ちに毒ガスの正体を突き止めて使用した。こうして毒ガス戦は相互の使用で激しさを増したのである。大戦末期の18年3月からドイツ軍は西部戦線で大攻勢をかけたが、このときに大戦での毒ガス戦は「最高潮」に達し、毒ガスで不意に攻撃を加えれば守りの堅い陣地も容易に突破することができることを実証したという(参謀本部編『戦史叢書第6号 瓦斯戦史』)
しかし、ドイツ軍最後の大攻勢は失敗に終わり、大戦は1918(大正7)11月にドイツが降伏して終結した。ここに凄惨な毒ガス戦もようやく終了したのである。

・『日本の中国侵略と毒ガス兵器』 歩平著(山邊悠喜子、宮崎教四郎訳)明石書店 1995年発行)
第12章 癒しがたい傷
毒ガスの焼却
まもなく、オーストラリア軍を主体とするイギリス連防の軍隊が島へやって来て、島の全ての設備や物資を抑えた。しかしながら、毒ガスの処理については、技術などの原因から、一向に進まなかった。2年目の5月になって、連合軍司令部から派遣されたアメリカ軍の少佐ウィリアムスが指揮監督にあたり、毒ガスの処理がようやく進展し始めた。





日本軍の毒ガス戦と遺棄毒ガス問題

●『三光』     中国帰還者連絡会編
日本鬼子(リーベンクイズ)
軍医の野天解剖
小美野義利
戦務班長 憲兵曹長
〈旧部隊名〉
関東軍特別警備隊2大隊本部

男は、「ウーム、ウム」と怒りと苦しみに唇をわなわなひきつらせて、だんだん蒼白になっていく。冷たい蛇のような眼でジーッと見ていた小笠原軍医は土倉曹長に目配せすると、小美野に口をあけさせるように言い、白い紙包みを持って顔におおいかぶせた。小美野は歯をかみしめて開かない口に棒をさし込み、無理矢理こじあけた。

●日米安保条約・自衛隊を問う!!
自衛隊は、防護のためと言って、旧日本軍の細菌兵器・毒ガス兵器使用の反省・謝罪もないまま新たな生物兵器・化学兵器を作ってもいいのだろうか??憲法9条を持ち、生物兵器・化学兵器禁止条約を批准しているにも関わらず!!
日本の毒ガス

沖縄・南西諸島が軍事要塞化している現実はおかしくないか??
「琉球処分」から140 今の沖縄を考える


●情報公開裁判
なぜここまでして、国は衛生学校や化学学校で作っていた機関誌を公開しないのだろうか?

・731部隊関連の「情報公開裁判」に関する報告
和田千代子(731細菌戦部隊の実態を明らかにする会事務局長)

第4 私達の情報公開裁判闘争の目的

日本の侵略戦争の残虐さを象徴する「731部隊」問題について、戦後1950年代から国会で繰り返し取り上げられてきました。
しかし現在まで日本政府は「731部隊等の部隊の存在は認める。だが同部隊が細菌戦部隊であったことを裏付ける証拠は見つかっていない」と強弁し続けています。
このように日本政府は、731部隊が細菌戦部隊であることを裏付ける証拠を隠蔽して731部隊の加害行為の被害者に対する謝罪を拒んできました。

・次回『衛生学校記事』情報公開裁判(第26回)
緊急事態宣言が出たため、4月の裁判は延期になりました。東京地裁419号法廷

・化学学校記事」情報公開裁判 (第16回)
次回 2020年6月3日(水)11:30~ 東京地裁522号廷



第4代衛生学校長だった金原節三が亡くなってから、遺族が、当時の防衛庁に寄贈した金原節三資料の中に13点の『衛生学校記事』が含まれている。それがいまだに未開示であり、その行方が防衛省は分からないという。
1995年に防衛研究所に衛生学校から金原資料の全部を移管した。翌年1996年には、その資料の中で旧軍資料の価値の高いものを、防衛研究所に残して、あとは衛生学校に戻した。
『金原文庫』はいつまで、衛生学校の彰古館に開設されていたのであろうか?その中に果たして『衛生学校記事』があったのか?また、金原資料はキチンと整理をされていたのだろうか?金原資料の中には『特殊武器衛生』というものもある。防衛省は、金原資料をすべて開示すべきである。

1957(昭和32)年7月『衛生学校第1号』発刊

●『BC兵器』久保綾三著(1969年)
※以下の記述から、自衛隊では、いま世界で流行している新型コロナウィルスなどの生物兵器の研究も大分以前からやっているといるのではないかと思われる。

Ⅲ 日本における生物・化学兵器の歩み
1、 生物・化学兵器の開発の歩み
爆発赤痢事件

集団赤痢の病原は、大牟田市の清里第3水源井であるという当時の調査団の報告に対する挑戦は「水道水をもって罹患原因と認め得ざる理由」という塚本さんの秘メモをもとにして現在まで続けられている。当の塚本さんは、①水道水から赤痢菌が検出されなかったこと、②水道汚染の決め手とされた水源井番人の子ども田中広稔ちゃん(1936年2月生まれ)は、赤痢患者ではなく単なる消化不良であることが後日明らかになったこと、③水道水を飲用している全家庭から赤痢患者が出ていないし、三井三池染料工業所(戦時中、毒ガスを製造していたと言われる工場である)の周辺の住宅街のみに赤痢患者が集団発生していた、④しかもこの工場で赤痢の集団発生前後にしきりに爆発事故があり、その負傷者23名が直ちに羽犬塚電線病院へ極秘裏に運び込まれていることがわかった。などの自らの追跡調査の資料を基に爆発赤痢の原因追及に生涯を捧げた。


●昭和天皇(ハーバード・ピックス著『昭和天皇』より)吉田裕監修 2001年ピュリッツァー賞受賞

※昭和天皇は、平和主義者でもなんでもなかった。好戦的であり、常に軍部に色々と指示を出していた!!
戦後補償問題に国家無答責という天皇主権の明治憲法下の原則を適用するな!!
第12章大元帥の試練


帝国海軍は、軍艦、輸送船の損失に加え、1942年8月から1943年2月初旬の最後の撤退にいたる約半年のガ島攻防戦で航空機892機と1882名の熟練パイロットを失った。山田朗によると、「これはミッドウェー海戦における航空機喪失数の二2.5倍、搭乗員喪失数の実に15倍」に相当した。
             "


小泉親彦と昭和天皇

憲法9条を生かそう!!



731部隊員が戦犯免責され、ABCC(原爆傷害調査委員会)に協力した。その結果、アメリカの原爆投下を日本政府は問うことは無く、また被爆者は、ABCCに治療されることもなかった。そして日米安保条約の下、核兵器の廃絶に日本政府は後ろ向きである!!
日本には多くの被爆者がいるのに、日本政府はなぜ核兵器禁止条約に署名しない?
地球の温暖化や異常気象の最大の原因は、今までの2000回以上の核実験や原発事故などの放射能汚染で地球が壊れてきているからではないのか??米の原爆投下責任と核実験をしてきた国の責任を問う!!
●『二酸化炭素温暖化説の崩壊』広瀬隆(集英社新書)
第1章 二酸化炭素温暖化論が地球を破壊する

温暖化の為ハリケーンや台風が増えている?

次は、温暖化教の学者がシミュレーションで人類を恫喝するのにしばしば使われるハリケーンや台風の増加である。1900年以降にアメリカに甚大な被害を与えた巨大ハリケーンの発生年を、その規模と死者で示すと、【図35】の通りです。2005年にハリケーン・カトリーナがアメリカ南部を襲って大被害を出し、これもCO₂温暖化教に利用されてきたが、これは、実は半世紀も大規模ハリケーンの被害が無かったために、ブッシュ政権の無策が被害を大きくした一面もあって大きなニュースとなっただけである。等級で分類される巨大ハリケーンのほとんどが戦前に発生したものである。

●核実験(ウキペディアより)
若くして白血病で亡くなった夏目雅子、本田美奈子、また五輪候補選手だったスイマーが白血病になったのは、放射能の影響ではないのか?
月の砂漠の犠牲者 夏目雅子と本田美奈子
パキスタン
詳細は「パキスタンの核実験 (1998年)」を参照
1998年5月28日・30日 チャガイで初の原爆実験。5月30日の原爆実験はプルトニウム型である事が判明しており、北朝鮮の代理核実験である可能性が高い。

水素爆弾の恐怖・ビキニ環礁 (アメリカ)

「北朝鮮の核実験の威力」と「史上最強の核兵器"ツァーリ・ボンバ"の破壊力」【核兵器】


●核なき世界へ!!
Toward a Nuclear-Free Future


●核融合もすべきではない!!
20170303 小出裕章先生にきいてみた!!〜土岐市核融合科学研究所 重水素実験について

日本政府・自衛隊は情報を公開せよ!!(情報開示!!)
今年も8月12日がくる──。33年前 520人が犠牲になった日航機墜落、遺物の化学分析で判明した事実とは?

中曽根元総理が知る日航機墜落事故の真実とは?墓場まで発言の真意を調査!

ここの研究所は、どんなことをやっているのだろうか??
国立感染症研究所村山庁舎(武蔵村山)


●1954年3月1日第5福竜丸他1000隻もの船が被曝!核兵器廃絶!!
なぜ、日本は広島・長崎・ビキニ・JCO臨界事故・福島と5度も被爆しているにに、日本医学界は「脱原発!!」と叫ばない!!
原爆投下された直後、日本は自らが原爆調査をして、731部隊(人体実験や細菌戦)の事もあるので、アメリカの心証を良くしようと考えた。そして科学者を総動員して原爆調査(被爆者を救済するための調査ではなく、原爆の威力調査)を181冊の調査書にまとめて、英訳し、アメリカに渡した。その後、731部隊員は、731で研究したデータを渡し、戦犯免責を受けた。原爆調査書は被爆者の治療には全く生かされず、日本の医学界は、原爆の放射能被害については、何も言及しなかった。そればかりか、その後のアメリカの原爆・水爆実験も批判せず、その被害を過小評価した。そして日本政府が、原子力の平和利用として原発を推進する政策にも、大きく加担している。

XII) 731部隊、広島長崎、チェルノブイリ、福島より
・・・第二次世界大戦中、日本軍は3000人もの医師たちが関わったとされる731部隊により、妊婦や子供まで含めた人体実験が行いました。極東裁判では捕虜虐待死の容疑で死刑に処された軍医幹部もいる中、731部隊関連者は訴追されませんでした。戦後、「研究データを米軍に提供すること」、さらにはなんと、「広島・長崎の研究に協力すること」を引き換えに免責されたのでした。

2010年のNHKの番組で、「(米国への研究データの提供のほかに)原爆調査への協力を731部隊の免責のカードとして使った」という元陸軍軍医の証言がありました。
封印された原爆報告書
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水爆実験
水爆実験ブラボーで被爆したのは第5福竜丸1隻ではなく、延べ1000隻近くの漁船が被爆した!!

核兵器廃絶

徳仁・日本政府・日本医学界は、731部隊のことを謝罪し、戦争被害者の救済、戦争をしない政策にお金をかけるべきだ!

「731部隊・100部隊・毒ガス戦」パネル展 2019年4月29日~5月3日
「日本はなぜ戦争責任問題を解決できないのか 」 田中利幸さん
日本はなぜ戦争責任問題を解決できないのか
水俣病


731部隊(unit731)


昭和天皇の戦争責任を問う!!天皇制反対!!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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細菌戦の系譜!!

2020-05-24 14:07:38 | Weblog

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細菌(生物)戦争
『BCGと人体実験』 美馬聡昭著
731部隊 ペスト研究、攻撃用か(1988年朝日新聞)
防疫研究室と昭和天皇の関係
1940年と2020年の東京オリンピック
『ウサギと化学兵器』いのうえせつこ著
731部隊と国立感染症研究所の問題!!
731部隊・細菌戦資料センター総会のご案内
731部隊の罪業
731部隊 行動示す新資料・埋もれた公文書
情報公開裁判「化学学校記事」「衛生学校記事」
武蔵村山の国立感染症研究所問題!!
731部隊・100部隊展

●今の日本人は、まさかと思うかもしれない。
今、世界中で猛威を振るっている新型コロナウィルス。これは、細菌戦(生物戦)ではないのか?
過去に、日本が中国で行なった細菌戦のように。(以下は現在分かっている細菌戦)


1939年 731部隊 ノモンハン戦争にて細菌戦(チフス菌、コレラ菌、赤痢菌)を行う
*1940年は皇紀2600年(神武が即位して2600年??)東京オリンピックや万博が開催される予定であったが、戦争の為中止!!
1940年 6月4日   731部隊、農安大賚・農安で細菌戦(ペスト菌)を行う
10月 4日   731部隊、衢州で細菌戦(ペスト菌)を行う
10月27日   731部隊、寧波で細菌戦(ペスト菌)を行う
1941年11月4日    731部隊、湖南省常徳で細菌戦(ペスト菌)を行
1942年17月        100部隊は、ハイラルの北約120キロのソ連国境で行なった「三河演習」で鼻疽菌の生存期間を測定、炭疽菌の土 壌への浸透力の調査した 
8月       731部隊、湖南省江山、常山、衢県、麗水、江西省広信、広豊、玉山で細菌戦(ペスト、コレラ、チフス)を行う
1943年12月       100部隊第2部に細菌戦準備の第6科を設置
【コロナは生物兵器か】人工のコロナウイルスショックによる文明の転換点 船瀬俊介氏が語る

米軍300人が新型コロナの感染が広がる前に武漢にいたという。
新型コロナウィルスを撒いたのは??

石井四郎が、細菌戦の主犯であったのか?小泉親彦陸軍軍医総監、宮川米治第5代東大伝研所長は関与していないのか??大元帥昭和天皇の関与は?


この新型コロナウィルスがどこで作られたかは分からないが、細菌戦の系譜をたどると、
日本は、戦時中、1925年のジュネーブ議定書を無視して、中国で細菌を製造し、細菌戦を行なった。戦後、731部隊での研究データをアメリカに渡し、731部隊員は全員戦犯免責され、アメリカは生物戦の研究を本格的に始めた。
日本政府は、中国で行った細菌戦や生体実験の事を、(日本の裁判所は事実認定をしている)未だに隠し続け、事実も認めていない。勿論謝罪もしない。日本軍が中国に遺棄してきた生物兵器は戦後、どのようになったのだろうか?
この新型コロナウィルスに影響しているのだろうか?
今、日本人は過去に犯した戦争犯罪を直視し、きちんと歴史事実に向き合う時ではないのか?

今回の新型コロナウイルスは、日本軍が遺棄してきたものが影響しているのか、それともどこかで作られたのか?それとも動物を介して新たに自然発生したのか?
作ったとすれば、アメリカが作ったのか、それとも、日本軍の細菌戦に苦しんだ中国が作ったのか、はたまた、ロシアかそれとも日本(又は日米共同)が作ったのか?よくわからないが、世界各国で生物戦の研究がなされていることは確かであろう。
生物兵器禁止条約の署名を日本は1972年にして、この条約は、1975年に発効されたが、日本がこの条約を批准したのは、1982年。なんでこんなに時間がかかったのか?批准されてからも、細菌(生物)兵器は、極秘裏にアメリカ、中国、ロシア、日本などで研究開発しているのだろう??

中国もロシアもアメリカも細菌戦の事は厳しく裁かなかった!!
埋もれた細菌戦調査書
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●細菌戦裁判
資料集シリーズ・第8集(2002年10月31日)
「731細菌戦裁判・第1審判決特集号」の発行にあたって 
本書第8集は、細菌戦裁判の第1審判決(東京地方裁判所民事第18部)の後、開催された判決報告集会、記者会見、意見交換会等での発言を編集したものです。
弁護団声明
団長 弁護士 土屋公献
3、原告団と弁護団は持てる総力を出して第1審の裁判闘争を闘った。私達は、来たる控訴審で原告らの請求を認めさせるための重大な手掛かりを本判決で獲得した。
まず本判決は、事実関係で日本軍による細菌戦の事実を裁判所としては初めて認定した。即ち、①陸軍中央の指令により、731部隊や1644部隊等が1940年から1942年にかけて中国各地でペスト菌やコレラ菌を用いて細菌戦を行なったこと、②原告らが提訴した衢州(くしゅう)、寧波(にんぽー)、常徳、江山(こうざん)には直接に細菌戦が実施された結果、ペストやコレラが流行したこと、③また原告らが提訴した義烏(ぎう)、東陽、崇山村(すうざんそん)、塔下洲(とうかす)には、、衢州の細菌戦によるペスト流行が伝播した結果、ペストが流行したこと、④原告らが提訴した8か所だけでも細菌戦による犠牲者として1万人を超える死者を出していること、⑤180名の原告らの被害については、陳述書や法廷での原告本人陳述により細菌戦による被害があることが認められること、などの事実を認定した。

●731部隊員が多く入った国立予防衛生研究所(現・国立感染症研究所)や自衛隊などでの生物兵器の開発・研究も行われているのではないか?
731部隊の行なった細菌戦

東大伝染病研究所は、1947年に主に検査・製造に関わる部門などを厚生省所管の国立予防衛生研究所(現・国立感染症研究所)として分離し、1967年に伝染病研究所を改組して医科学研究所が設置された。
国立予防衛生研究所所長と731部隊員の繋がり(教えてげんさんより
(所長が731部隊員であれば、元隊員もたくさん入るだろう)
戦争中細菌戦部隊及び組織に属していて、戦後、国立予防衛生研究所に関係した人です。

*朝比奈正二郎  (当時)731部隊第1部第9課(水棲昆虫)長。発疹チフスワクチン製造
(戦後)国立予防衛生研究所 名誉所長
*小林六造    (当時)京大教授、防疫研究室嘱託
(戦後)国立予防衛生研究所 初代所長
*小島三郎    (当時)東大伝染病研究所教授、栄1644部隊所属 サルモネラ菌の研究
(戦後)国立予防衛生研究所 第2代所長
文部省百日咳研究班員
*小宮義孝    (当時)華中衛生研究所(栄1644部隊関連)
(戦後)国立予防衛生研究所第4代所長
*柳沢謙     (当時)陸軍軍医学校防疫研究室で嘱託として結核研究 凍結乾燥BCG
(戦後)国立予防衛生研究所 第5代所長
*福見秀雄    (当時)陸軍軍医学校防疫研究室  インフルエンザ
(戦後)国立予防衛生研究所 第6代所長
文部省百日咳研究班員
(注)1951年、国立東京第一病院に入院中の乳児たちに、
両親に告知や許可を受けずに大腸菌を飲ませる実験を行なった
*村田良介      (当時)1644部隊
(戦後)国立予防衛生研究所 第7代所長

*倉内喜八郎   (当時)731部隊細菌戦研究班
(戦後)永寿病院院長
【コロナウイルス・4/17追記】永寿総合病院でメガクラスター発生、160人以上が感染・20人死亡、屋形船から感染拡大

・・・・・・・
自衛隊に入った731部隊員・・増田美保、近喰秀大、神子謙、金原節三、井上義弘、中黒秀外之、園口忠男、高橋三郎、佐伯実、木村直正など 
コロナウイルス「PCR検査」を遅らせた“戦犯”は?〈週刊朝日〉

帝国陸海軍の「亡霊」が支配する新型コロナ「専門家会議」に物申す(下)


それともロシアや中国などが研究しているだろうか?
新型肺炎、米メディアが報じた「研究所が発生源」説

生物兵器禁止条約が1975年に発効されたにもかかわらず、その裏でどんなことが起こっているのだろうか??
免責された731部隊員は、戦後、ABCC(原爆傷害調査委員会)に全面協力し、原爆被爆者を治療するのではなく、放射能の人体に対する影響を追跡した。そして日本は、アメリカの非人道的な原爆投下を問うこと全くなく、原子力の平和利用に突っ走った。

新型コロナは「パンデミック」 WHOが表明



●日本政府は、731部隊の罪業を、公開せず、秘匿し、戦後全く無反省である!!最高責任者の昭和天皇も戦犯免責された!!
安倍晋三は何でこんな行動がとれるのだ??無反省のまま、ずっと生き延びられるのか??
安倍首相の731戦闘機試乗 「止まらない挑発」の非難
2013年5月12日、安倍晋三は宮城県東松島市の航空自衛隊基地を訪問して、機体番号が‘731’であるアクロバット飛行団訓練機の操縦席に座りサムズアップして写真に収まった。

731部隊全景(中国に於いて人体実験を繰り返し、細菌兵器を開発し、中国各地で細菌戦を行なった。)


旧満洲第731部隊軍医将校の学位授与の検証を求めます!

731部隊新発見公文書の中身とは 細菌研究を明記


核兵器、生物兵器、化学兵器廃絶!! 戦力不保持!!安倍政権打倒!!
どこの研究所で新型コロナウィルスが誕生したのだろうか??
●ニュース
戦争責任を取らぬまま、そのまま在位した昭和天皇、その後の天皇も日本の侵略戦争の謝罪をしていない!!
このウィルスは自然発生なのか?どこの研究所がこんなウィルスを開発したのか??それとも日本軍が遺棄した生物兵器が影響しているのだろうか?
もし人工的につくられたのであれば、どこで製造されたのだろうか?アメリカか?それとも中国?、日本?・・・


731部隊が建物を爆破して日本に逃走した後、その近くの村でペストが流行した。100部隊の逃走した時は、鼻疽菌などに汚染された馬を放ってきた。
中国各地に日本軍の細菌戦研究所が存在したのだから、その施設が遺棄した生物兵器はその後どうなっているのか?
中国の細菌戦被害地では、今でも毎年鼠を捕獲してペストの検疫を行っている。日本軍の遺棄した生物兵器がその後も生きていて、いま中国で広がっている新型コロナウィルスや豚熱に影響はしていないのだろうか?遺棄毒ガス弾が多くの中国人を苦しめているように。

なぜ天皇はコロナ禍にビデオメッセージを発しないのか、皇室記者の考え

「安倍1強」政権に末期感 与党内、自民から公然と異論 公明も「信用されない」


なぜ福島原発事故の原因は「地震」ではなく「津波」とされたのか?

12歳少女がつづる 1世紀前のスペイン風邪日記

内閣支持率27%に急落 黒川氏「懲戒免職にすべきだ」52% 毎日新聞世論調査

 

自殺した近畿財務局職員の遺書公開…そもそも「森友学園問題」はどう始まったのか〈dot.〉

大竹まことゴールデンラジオ・金子勝・2020-05-22(文化放送)



●パネル展「日中戦争―その実相に迫る!」感想(2020年2月8日~13日)

11. 万人坑が印象に残った。(女、70、折込み

●映画「ひろしま」アンケート(1月13日 横浜)
( )は性別・年代・住まい・情報
18、良かったです。多くの人に観てもらいたいです。
(男性・60代・市内・朝日新聞)

日本は、日中戦争で国際法に違反して、細菌戦、毒ガス戦、無差別爆撃を行った。日本政府は、この事実をきちんと認めていない!!
●細菌戦
【真相】(unit731) 
・『石井細菌戦部隊―極秘任務を遂行した隊員たちの証言』
郡司陽子編(1982年11月30日初刷:徳間書店)

Ⅲ ペスト攻撃班、恐怖の実戦秘録
―第2部5課(攻撃・実戦担当)K・S
マニラで細菌戦の予備訓練を受ける

5課のように日常的に細菌を扱っていると、細菌を扱う要領がわかってくる。過度に敏感になったら動きが取れなくなるし、かといって気を緩めるとやられてしまう。冷静に現実的に対処するということである。
もちろん我々は、免疫注射を定期的に打ってはいた。朝夕、クレゾール風呂にも入った。しかしそれだけでは十分ではない。細菌に対する注意を習慣にまでもっていかなければならないのである。たとえば、煙草のすいさしを机や台の上に置くとき、吸い口を絶対に机や台の上に置かない。普通と反対である。だから、しょっちゅう、机や台は、焦げていた。宿舎でもどこでもその癖が出て、あちこち焦がし、よく怒られたものである。
また、安達実験場で、無聊(ぶりょう)にまかせて雞やノロ(鹿)を射ちに行くことがあった。しかし、決して、その肉は食べなかった。

*第5課はペスト菌担当で班長は高橋正彦であった。

・『証言 人体実験(731部隊とその周辺)』
中央档案館、中国第2歴史档案館、吉林省社会科学院編
江田憲治、兒嶋俊郎、松村高夫編訳

二 大規模な細菌生産と残虐非道な人体実験

山内豊紀自筆供述書(1951年11月4日)

ガス壊疽の実験について
1、我々は大連に到着ののちに技師となり、高等官食堂で昼食をとっていたが、その時二木技師から次の事を聞いた。当時、ガス壊疽菌の液体を石井式爆弾の中に詰め、中国人を1か所に固定し、彼らに向けて砲撃したあと、負傷者がガス壊疽に感染したかどうかを検査した。
2、高等官食堂において、ハルピンから来た某少佐(名前は覚えていない)が上映した人体実験映画を見たことがある。それはガス壊疽治療における血清の効果に関するものだったと記憶している。

●毒ガス戦
・『日本軍の毒ガス兵器』  松野誠也著
第1章 毒ガス兵器の研究と開発
1、第1次世界大戦と毒ガス戦
毒ガス戦の幕開け
さらにドイツ軍は、皮膚や呼吸器を冒して激痛と共に爛(ただ)れさせ、兵士を戦闘不能・死亡させるというびらん性毒ガスを開発した。このガスを防御するためには、ガスマスクのほかに、全身を覆うゴム引きの防毒服を着なければならない。ドイツ軍はこれをガス弾に詰めて1917(大正6)年7月12日にイープルで初めて使用した。多数の犠牲者を出したことに衝撃を受けたフランス軍は、その地名からこのガスをイペリットと名付けた。(英米ではこのガスを芥子(からし)の臭いがすることからマスタード・ガスと呼び、ドイツでは開発に関わった科学者の名前からロストと呼んだ)。

・『日本の中国侵略と毒ガス兵器』 歩平著(山邊悠喜子、宮崎教四郎訳)明石書店 1995年発行)
第12章 癒しがたい傷
毒ガスの焼却
マッカーサーをはじめとする連合軍最高司令部は、日本が軍需生産の目的を隠蔽しようともくろんでいることに気づくと、直ちにこれに対応する「降伏文書」及び陸海軍「一般名令第1号」を定め、日本軍が適宜管理・保管しなければならず、損壊、焼却してはならない施設・物資の範囲を明確に規定した。特に強調されたものとしては、製造工場、加工工場、研究所、実験所、技術的に重要な項目(資料、特許、設計、図面、発明)があった。文書はさらに、一切の武器・弾薬および戦争用具の製造・分配を直ちに停止する様求めている。この命令が通達されるに伴い、大久野島の工場焼却は活動停止せざるを得なかった。シアン化水素酸工場を除いて、他の工場は全く手をつけない状態でそこに残された。




日本軍の毒ガス戦と遺棄毒ガス問題

●『三光』     中国帰還者連絡会編
日本鬼子(リーベンクイズ)
軍医の野天解剖
小美野義利
戦務班長 憲兵曹長
〈旧部隊名〉
関東軍特別警備隊2大隊本部

「手向かいするか」
吠(ほ)えながら小美野は、おどりかかり首を締めつけた。桐原は投げ出してあった竹刀を拾うと、「これでも食らえ」と睾丸(こうがん)めがけてパシッとなぐりつけた。中国人は「ウッ」と低くうめき、急に体を丸くして苦痛に堪えているようだった。小笠原軍医の合図で小美野、桐原、山垣内、太田の4人がはじかれたように飛んで行き、押えつけた。まくりあげられた右腕の静脈に、銀色に光った毒針が突き刺された。小笠原軍医の細い指は小刻みに震えながら押していく。3秒、5秒、・・・・毒素はたちまち体内に浸透していった。

●日米安保条約・自衛隊を問う!!
自衛隊は、防護のためと言って、旧日本軍の細菌兵器・毒ガス兵器使用の反省・謝罪もないまま新たな生物兵器・化学兵器を作ってもいいのだろうか??憲法9条を持ち、生物兵器・化学兵器禁止条約を批准しているにも関わらず!!
日本の毒ガス

沖縄・南西諸島が軍事要塞化している現実はおかしくないか??
「琉球処分」から140 今の沖縄を考える


●情報公開裁判
なぜここまでして、国は衛生学校や化学学校で作っていた機関誌を公開しないのだろうか?

・731部隊関連の「情報公開裁判」に関する報告
和田千代子(731細菌戦部隊の実態を明らかにする会事務局長)

第3『化学学校記事』裁判の問題点と争点

裁判になっても不誠実な態度をまだまだ続けようと言うのです。許せません!!
私達は、これに対し“『化学学校記事』第16号の編集・執筆者は、化学学校の校長、副校長、研究部員なので、『化学学校記事』第16号の編集・執筆の関係者と化学学校の20年史、40年史である『20年のあゆみ』『40年のあゆみ』に掲載されている1973年から1995年3月の間の化学学校の校長、副校長、研究部の役職員の名前を挙げて聞き取り調査を行なうべきだ”と求めています(末尾年譜参照)
ところが、つい最近被告は「本件訴訟の争点と関連性がない」等と開き直って私達の要請に誠実に応じようとしません。

・次回『衛生学校記事』情報公開裁判(第26回)
緊急事態宣言が出たため、4月の裁判は延期になりました。東京地裁419号法廷

・化学学校記事」情報公開裁判 (第16回)
次回 2020年6月3日(水)11:30~ 東京地裁522号廷



第4代衛生学校長だった金原節三が亡くなってから、遺族が、当時の防衛庁に寄贈した金原節三資料の中に13点の『衛生学校記事』が含まれている。それがいまだに未開示であり、その行方が防衛省は分からないという。
1995年に防衛研究所に衛生学校から金原資料の全部を移管した。翌年1996年には、その資料の中で旧軍資料の価値の高いものを、防衛研究所に残して、あとは衛生学校に戻した。
『金原文庫』はいつまで、衛生学校の彰古館に開設されていたのであろうか?その中に果たして『衛生学校記事』があったのか?また、金原資料はキチンと整理をされていたのだろうか?金原資料の中には『特殊武器衛生』というものもある。防衛省は、金原資料をすべて開示すべきである。

1957(昭和32)年7月『衛生学校第1号』発刊

第4代衛生学校長
『衛生学校記事』を発刊したときの、衛生学校長金原節三とはどんな人物なのだろうか?
金原節三(1901~1976)
陸軍省医事課長時代(1941.11~43.8)に731部隊から報告を受けていた。「陸軍省業務日誌摘録」
厚生省東海北陸医務出張所から衛生学校へ 1955.8.1

●『BC兵器』久保綾三著(1969年)
※以下の記述から、自衛隊では、いま世界で流行している新型コロナウィルスなどの生物兵器の研究も大分以前からやっているといるのではないかと思われる。

Ⅲ 日本における生物・化学兵器の歩み
1、 生物・化学兵器の開発の歩み
爆発赤痢事件

大牟田市の公園に建てられている慰霊碑には、次のような碑文が刻まれている。
「時維昭和12年9月25日恰も(あたかも)支那事件勃発して3月全市を挙げて銃後任務の遂行に邁進せる秋(とき)晴天の霹靂(へきれき)の如く突如として我が12万市民は古今を絶する悪疫の魔手に掩われたりここに昨日まで大産業都市として殷(いん)しんを極めたる本市はたちまちにして阿鼻叫喚の巷と化し官民必死の防疫にも拘わらずついに1万数千の罹患者を出し712名の精魂を奪わる追憶すれば当時の惨状未だ髣髴(ほうふつ)として眼前に在り愛隣痛惜の情切々として暗涙転禁じ難し乃(すなわち)ここに慰霊の為建碑の工を起こせし所以(ゆえん)なり後世この碑を仰ぐ者永(とこし)えにこれ等疫病者の冥福を祈りこれの惨禍をして転禍為福の資たらしめば建碑の業亦徒爾(とじ)ならずせん爾云
引責辞職を強いられた塚本水道課長の真実を求める尊い、しかし苦しい闘いがこの時から始まるのである。
●昭和天皇(ハーバード・ピックス著『昭和天皇』より)吉田裕監修 2001年ピュリッツァー賞受賞

※昭和天皇は、平和主義者でもなんでもなかった。好戦的であり、常に軍部に色々と指示を出していた!!
戦後補償問題に国家無答責という天皇主権の明治憲法下の原則を適用するな!!
第12章大元帥の試練


相次ぐ人的、物的消耗からガダルカナル撤退の決定が下された。しかし、それは船舶や欠乏した原材料の配分をめぐり陸海両軍が激しく対立する新たな局面の始まりであった。日本の艦船の損害は、アメリカ海軍の損害にほぼ匹敵していた。1941年12月8日の開戦から1942年9月末の間に帝国海軍が喪失した輸送船は、月平均13.5隻、月に約6万1000tであった。これに対して、1942年10月から11月にかけて行われたガ島周辺での2ヵ月の攻防戦で59隻、総計32万4000トンの輸送船を失っていた。沈没した船舶の大半は兵員、兵器、補給物資を満載した輸送船だった。その結果、東南アジアの原材料の輸送に当てていた船舶を、部隊や兵器の輸送に転用するべきか否かをめぐり、陸軍省と参謀本部の間で対立が生じた。
小泉親彦と昭和天皇

憲法9条を生かそう!!



731部隊員が戦犯免責され、ABCC(原爆傷害調査委員会)に協力した。その結果、アメリカの原爆投下を日本政府は問うことは無く、また被爆者は、ABCCに治療されることもなかった。そして日米安保条約の下、核兵器の廃絶に日本政府は後ろ向きである!!
日本には多くの被爆者がいるのに、日本政府はなぜ核兵器禁止条約に署名しない?
地球の温暖化や異常気象の最大の原因は、今までの2000回以上の核実験や原発事故などの放射能汚染で地球が壊れてきているからではないのか??米の原爆投下責任と核実験をしてきた国の責任を問う!!
●『二酸化炭素温暖化説の崩壊』広瀬隆(集英社新書)
第1章 二酸化炭素温暖化論が地球を破壊する

温暖化で山火事が起こる?

戦後すぐの1951年にディズニーの古典的名画「バンビ」が日本で公開され、小学生が皆映画館でこれを見た。小鹿が母と別れて苦難の中で成長する様が山火事と共に描かれていたが、人間がどれほど動物を苦しめるかを訴えていた。この原作が書かれたのは、1923年である。

●核実験(ウキペディアより)
若くして白血病で亡くなった夏目雅子、本田美奈子、また五輪候補選手だったスイマーが白血病になったのは、放射能の影響ではないのか?
月の砂漠の犠牲者 夏目雅子と本田美奈子
インド
詳細は「インドの核実験 (1974年)」および「インドの核実験 (1998年)」を参照
1974年5月18日 ラジャスタン州ポカラン砂漠で初の原爆実験。
1998年5月11日・13日 熱核反応装置(水爆に相当)実験に成功。

水素爆弾の恐怖・ビキニ環礁 (アメリカ)

「北朝鮮の核実験の威力」と「史上最強の核兵器"ツァーリ・ボンバ"の破壊力」【核兵器】


●核なき世界へ!!
Toward a Nuclear-Free Future


●核融合もすべきではない!!
20170303 小出裕章先生にきいてみた!!〜土岐市核融合科学研究所 重水素実験について

日本政府・自衛隊は情報を公開せよ!!(情報開示!!)
今年も8月12日がくる──。33年前 520人が犠牲になった日航機墜落、遺物の化学分析で判明した事実とは?

中曽根元総理が知る日航機墜落事故の真実とは?墓場まで発言の真意を調査!

ここの研究所は、どんなことをやっているのだろうか??
国立感染症研究所村山庁舎(武蔵村山)


●1954年3月1日第5福竜丸他1000隻もの船が被曝!核兵器廃絶!!
なぜ、日本は広島・長崎・ビキニ・JCO臨界事故・福島と5度も被爆しているにに、日本医学界は「脱原発!!」と叫ばない!!
原爆投下された直後、日本は自らが原爆調査をして、731部隊(人体実験や細菌戦)の事もあるので、アメリカの心証を良くしようと考えた。そして科学者を総動員して原爆調査(被爆者を救済するための調査ではなく、原爆の威力調査)を181冊の調査書にまとめて、英訳し、アメリカに渡した。その後、731部隊員は、731で研究したデータを渡し、戦犯免責を受けた。原爆調査書は被爆者の治療には全く生かされず、日本の医学界は、原爆の放射能被害については、何も言及しなかった。そればかりか、その後のアメリカの原爆・水爆実験も批判せず、その被害を過小評価した。そして日本政府が、原子力の平和利用として原発を推進する政策にも、大きく加担している。

XII) 731部隊、広島長崎、チェルノブイリ、福島より
・・・第二次世界大戦中、日本軍は3000人もの医師たちが関わったとされる731部隊により、妊婦や子供まで含めた人体実験が行いました。極東裁判では捕虜虐待死の容疑で死刑に処された軍医幹部もいる中、731部隊関連者は訴追されませんでした。戦後、「研究データを米軍に提供すること」、さらにはなんと、「広島・長崎の研究に協力すること」を引き換えに免責されたのでした。

2010年のNHKの番組で、「(米国への研究データの提供のほかに)原爆調査への協力を731部隊の免責のカードとして使った」という元陸軍軍医の証言がありました。
封印された原爆報告書
<iframe frameborder="0" width="480" height="270" src="https://www.dailymotion.com/embed/video/x4c228q" allowfullscreen allow="autoplay"></iframe>

水爆実験
水爆実験ブラボーで被爆したのは第5福竜丸1隻ではなく、延べ1000隻近くの漁船が被爆した!!

核兵器廃絶

徳仁・日本政府・日本医学界は、731部隊のことを謝罪し、戦争被害者の救済、戦争をしない政策にお金をかけるべきだ!

「731部隊・100部隊・毒ガス戦」パネル展 2019年4月29日~5月3日
「日本はなぜ戦争責任問題を解決できないのか 」 田中利幸さん
日本はなぜ戦争責任問題を解決できないのか
水俣病


731部隊(unit731)


昭和天皇の戦争責任を問う!!天皇制反対!!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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細菌戦の系譜!!

2020-05-23 10:50:25 | Weblog

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細菌(生物)戦争
『BCGと人体実験』 美馬聡昭著
731部隊 ペスト研究、攻撃用か(1988年朝日新聞)
防疫研究室と昭和天皇の関係
1940年と2020年の東京オリンピック
『ウサギと化学兵器』いのうえせつこ著
731部隊と国立感染症研究所の問題!!
731部隊・細菌戦資料センター総会のご案内
731部隊の罪業
731部隊 行動示す新資料・埋もれた公文書
情報公開裁判「化学学校記事」「衛生学校記事」
武蔵村山の国立感染症研究所問題!!
731部隊・100部隊展

●今の日本人は、まさかと思うかもしれない。
今、世界中で猛威を振るっている新型コロナウィルス。これは、細菌戦(生物戦)ではないのか?
過去に、日本が中国で行なった細菌戦のように。(以下は現在分かっている細菌戦)


1939年 731部隊 ノモンハン戦争にて細菌戦(チフス菌、コレラ菌、赤痢菌)を行う
*1940年は皇紀2600年(神武が即位して2600年??)東京オリンピックや万博が開催される予定であったが、戦争の為中止!!
1940年 6月4日   731部隊、農安大賚・農安で細菌戦(ペスト菌)を行う
10月 4日   731部隊、衢州で細菌戦(ペスト菌)を行う
10月27日   731部隊、寧波で細菌戦(ペスト菌)を行う
1941年11月4日    731部隊、湖南省常徳で細菌戦(ペスト菌)を行
1942年17月        100部隊は、ハイラルの北約120キロのソ連国境で行なった「三河演習」で鼻疽菌の生存期間を測定、炭疽菌の土 壌への浸透力の調査した 
8月       731部隊、湖南省江山、常山、衢県、麗水、江西省広信、広豊、玉山で細菌戦(ペスト、コレラ、チフス)を行う
1943年12月       100部隊第2部に細菌戦準備の第6科を設置
【コロナは生物兵器か】人工のコロナウイルスショックによる文明の転換点 船瀬俊介氏が語る

米軍300人が新型コロナの感染が広がる前に武漢にいたという。
新型コロナウィルスを撒いたのは??


この新型コロナウィルスがどこで作られたかは分からないが、細菌戦の系譜をたどると、
日本は、戦時中、1925年のジュネーブ議定書を無視して、中国で細菌を製造し、細菌戦を行なった。戦後、731部隊での研究データをアメリカに渡し、731部隊員は全員戦犯免責され、アメリカは生物戦の研究を本格的に始めた。
日本政府は、中国で行った細菌戦や生体実験の事を、(日本の裁判所は事実認定をしている)未だに隠し続け、事実も認めていない。勿論謝罪もしない。日本軍が中国に遺棄してきた生物兵器は戦後、どのようになったのだろうか?
この新型コロナウィルスに影響しているのだろうか?
今、日本人は過去に犯した戦争犯罪を直視し、きちんと歴史事実に向き合う時ではないのか?

今回の新型コロナウイルスは、日本軍が遺棄してきたものが影響しているのか、それともどこかで作られたのか?それとも動物を介して新たに自然発生したのか?
作ったとすれば、アメリカが作ったのか、それとも、日本軍の細菌戦に苦しんだ中国が作ったのか、はたまた、ロシアかそれとも日本(又は日米共同)が作ったのか?よくわからないが、世界各国で生物戦の研究がなされていることは確かであろう。
生物兵器禁止条約の署名を日本は1972年にして、この条約は、1975年に発効されたが、日本がこの条約を批准したのは、1982年。なんでこんなに時間がかかったのか?批准されてからも、細菌(生物)兵器は、極秘裏にアメリカ、中国、ロシア、日本などで研究開発しているのだろう??

中国もロシアもアメリカも細菌戦の事は厳しく裁かなかった!!
埋もれた細菌戦調査書
<iframe frameborder="0" width="640" height="360" src="https://www.dailymotion.com/embed/video/x7u1s67" allowfullscreen allow="autoplay"></iframe>


●細菌戦裁判
資料集シリーズ・第8集(2002年10月31日)
「731細菌戦裁判・第1審判決特集号」の発行にあたって 
本書第8集は、細菌戦裁判の第1審判決(東京地方裁判所民事第18部)の後、開催された判決報告集会、記者会見、意見交換会等での発言を編集したものです。
弁護団声明
団長 弁護士 土屋公献
細菌戦という戦争犯罪は人間の尊厳を破壊する残虐行為に他ならない。人間の尊厳とその回復を基調とする法理論こそが、戦争廃絶への道を切り開く。したがって戦争賠償の理論は、個人の権利主体性を基軸に構築されなければならない。裁判所が採る理論は、国際人道法が戦争違法化を根本に据えてきた時代の趨勢に逆行するものであり、戦争を克服する法理論への道を閉ざすものである。
私達弁護団は、細菌戦裁判闘争の中でこそ、従来裁判所が戦争賠償問題に関して踏襲してきたこのような古い法理論の壁を打ち破る突破口を開けると確信している。

●731部隊員が多く入った国立予防衛生研究所(現・国立感染症研究所)や自衛隊などでの生物兵器の開発・研究も行われているのではないか?
731部隊の行なった細菌戦

東大伝染病研究所は、1947年に主に検査・製造に関わる部門などを厚生省所管の国立予防衛生研究所(現・国立感染症研究所)として分離し、1967年に伝染病研究所を改組して医科学研究所が設置された。
国立予防衛生研究所所長と731部隊員の繋がり(教えてげんさんより
(所長が731部隊員であれば、元隊員もたくさん入るだろう)
戦争中細菌戦部隊及び組織に属していて、戦後、国立予防衛生研究所に関係した人です。

*朝比奈正二郎  (当時)731部隊第1部第9課(水棲昆虫)長。発疹チフスワクチン製造
(戦後)国立予防衛生研究所 名誉所長
*小林六造    (当時)京大教授、防疫研究室嘱託
(戦後)国立予防衛生研究所 初代所長
*小島三郎    (当時)東大伝染病研究所教授、栄1644部隊所属 サルモネラ菌の研究
(戦後)国立予防衛生研究所 第2代所長
文部省百日咳研究班員
*小宮義孝    (当時)華中衛生研究所(栄1644部隊関連)
(戦後)国立予防衛生研究所第4代所長
*柳沢謙     (当時)陸軍軍医学校防疫研究室で嘱託として結核研究 凍結乾燥BCG
(戦後)国立予防衛生研究所 第5代所長
*福見秀雄    (当時)陸軍軍医学校防疫研究室  インフルエンザ
(戦後)国立予防衛生研究所 第6代所長
文部省百日咳研究班員
(注)1951年、国立東京第一病院に入院中の乳児たちに、
両親に告知や許可を受けずに大腸菌を飲ませる実験を行なった
*村田良介      (当時)1644部隊
(戦後)国立予防衛生研究所 第7代所長

*倉内喜八郎   (当時)731部隊細菌戦研究班
(戦後)永寿病院院長
【コロナウイルス・4/17追記】永寿総合病院でメガクラスター発生、160人以上が感染・20人死亡、屋形船から感染拡大

・・・・・・・
自衛隊に入った731部隊員・・増田美保、近喰秀大、神子謙、金原節三、井上義弘、中黒秀外之、園口忠男、高橋三郎、佐伯実、木村直正など 
コロナウイルス「PCR検査」を遅らせた“戦犯”は?〈週刊朝日〉

帝国陸海軍の「亡霊」が支配する新型コロナ「専門家会議」に物申す(下)


それともロシアや中国などが研究しているだろうか?
新型肺炎、米メディアが報じた「研究所が発生源」説

生物兵器禁止条約が1975年に発効されたにもかかわらず、その裏でどんなことが起こっているのだろうか??
免責された731部隊員は、戦後、ABCC(原爆傷害調査委員会)に全面協力し、原爆被爆者を治療するのではなく、放射能の人体に対する影響を追跡した。そして日本は、アメリカの非人道的な原爆投下を問うこと全くなく、原子力の平和利用に突っ走った。

新型コロナは「パンデミック」 WHOが表明



●日本政府は、731部隊の罪業を、公開せず、秘匿し、戦後全く無反省である!!最高責任者の昭和天皇も戦犯免責された!!
安倍晋三は何でこんな行動がとれるのだ??無反省のまま、ずっと生き延びられるのか??
安倍首相の731戦闘機試乗 「止まらない挑発」の非難
2013年5月12日、安倍晋三は宮城県東松島市の航空自衛隊基地を訪問して、機体番号が‘731’であるアクロバット飛行団訓練機の操縦席に座りサムズアップして写真に収まった。

731部隊全景(中国に於いて人体実験を繰り返し、細菌兵器を開発し、中国各地で細菌戦を行なった。)


旧満洲第731部隊軍医将校の学位授与の検証を求めます!

731部隊新発見公文書の中身とは 細菌研究を明記


核兵器、生物兵器、化学兵器廃絶!! 戦力不保持!!安倍政権打倒!!
どこの研究所で新型コロナウィルスが誕生したのだろうか??
●ニュース
戦争責任を取らぬまま、そのまま在位した昭和天皇、その後の天皇も日本の侵略戦争の謝罪をしていない!!
このウィルスは自然発生なのか?どこの研究所がこんなウィルスを開発したのか??それとも日本軍が遺棄した生物兵器が影響しているのだろうか?
もし人工的につくられたのであれば、どこで製造されたのだろうか?アメリカか?それとも中国?、日本?・・・


731部隊が建物を爆破して日本に逃走した後、その近くの村でペストが流行した。100部隊の逃走した時は、鼻疽菌などに汚染された馬を放ってきた。
中国各地に日本軍の細菌戦研究所が存在したのだから、その施設が遺棄した生物兵器はその後どうなっているのか?
中国の細菌戦被害地では、今でも毎年鼠を捕獲してペストの検疫を行っている。日本軍の遺棄した生物兵器がその後も生きていて、いま中国で広がっている新型コロナウィルスや豚熱に影響はしていないのだろうか?遺棄毒ガス弾が多くの中国人を苦しめているように。
重慶爆撃を考える集会

なぜ天皇はコロナ禍にビデオメッセージを発しないのか、皇室記者の考え

南米、コロナ流行の「新たな中心地」に WHO

アルゼンチンが債務不履行 9回目、6年ぶり

陸上イージス施設への給水無理? 地元「水足りない」

東京湾で続く不気味な揺れ…コロナ禍のさなか首都直下地震の足音

金子勝氏「バブル崩壊と違うコロナ不況は歴史的危機」

「参考になる」「この通りやれるか…」文科省3密回避マニュアル 教育現場、評価と戸惑い

黒川検事長、賭けマージャン3年前から…「点ピン」レートでやり取り1万~2万円

 

自殺した近畿財務局職員の遺書公開…そもそも「森友学園問題」はどう始まったのか〈dot.〉

福島原発、見えぬ「トリチウム水処分」のゆくえ

チェルノブイリ原発付近で森林火災が発生 放射線量が上昇したとの報告も


戦闘機は必要なのだろうか???
.com/politics/news/200315/plt2003150004-n1.html">河野防衛相、F35A視察 空自三沢基地

大竹まことゴールデンラジオ・金子勝・2020-05-15(文化放送)


●パネル展「日中戦争―その実相に迫る!」感想(2020年2月8日~13日)

10. 強制連行、虐殺、毒ガスすべて、印象的。中国の国に戦争を仕掛け、滅ぼしたこと、本当に申し訳ない思い。謝っても謝りきれない。自分の身だったらと思うと死んでも死にきれない。ありがとうございました。(女、60、市内、折込み)

●映画「ひろしま」アンケート(1月13日 横浜)

( )は性別・年代・住まい・情報
17、重みのある映画、映像が縦長?残念です。出来たらお友達の映画館でやって頂けたら嬉しいです。
(女性・70代・市内・講演会)

日本は、日中戦争で国際法に違反して、細菌戦、毒ガス戦、無差別爆撃を行った。日本政府は、この事実をきちんと認めていない!!
●細菌戦
【真相】(unit731) 
・『石井細菌戦部隊―極秘任務を遂行した隊員たちの証言』
郡司陽子編(1982年11月30日初刷:徳間書店)

Ⅲ ペスト攻撃班、恐怖の実戦秘録
―第2部5課(攻撃・実戦担当)K・S
マニラで細菌戦の予備訓練を受ける

こうした「実戦」出動は、私に関する限り1回だけであったが、何回かは行なわれたはずである。5課では、この「実戦」出動に備えて、中国人に変装する訓練さえ行なわれたのであった。
その際、特にくどいほど注意されたのは、顔の洗い方である。どんなにうまく中国語が話せても、あるいはどんなにうまく中国人に変装しても、顔の洗い方でバレてしまうと言うのである。ふつう日本人は両手で洗うが、中国人は片手で顔を洗う。うっかりしていると、無意識のうちに、日本人の習性が現われてしまう。しかし、顔の洗い方1つが、まかり間違えば命にかかわる重大事である。みんな真剣に中国式の洗顔法を習得したのであった。

*第5課はペスト菌担当で班長は高橋正彦であった。

・『証言 人体実験(731部隊とその周辺)』
中央档案館、中国第2歴史档案館、吉林省社会科学院編
江田憲治、兒嶋俊郎、松村高夫編訳

二 大規模な細菌生産と残虐非道な人体実験

山内豊紀自筆供述書(1951年11月4日)

このほか石井部隊の人体実験は、我々の班で行なったもの以外に、私の知るところでは次のようなものがあった。
凍傷、耐寒実験について。
我々の研究室の小窓から、寒い冬の日に実験を受けている人が見えた。吉村博士(生理学専門家)は6名の中国人に一定の重荷を背負わせ、一定の時間内に一定の距離を往復させ、どんなに寒くても夏服しか着用させなかった。見ていると、彼らは日増しにやせ衰え、徐々に凍傷に冒されて、1人1人減っていった。12月上旬になると1人もいなくなったので、死亡したに違いない。

●毒ガス戦
・『日本軍の毒ガス兵器』  松野誠也著
第1章 毒ガス兵器の研究と開発
1、第1次世界大戦と毒ガス戦
毒ガス戦の幕開け
窒息性毒ガスに対してガスマスク(防毒面)が開発され防御が可能になると、新たな性質を持つ毒ガスが登場した。ドイツ軍はジフェニルクロロアルシンとジフェニルシアンアルシンというくしゃみ性・嘔吐性ガスを開発したが、これらは常温で固体で、これを充填したガス弾が着弾して爆発する時に生じる熱によって非常に細かい粒子となる。これを吸い込むと激しい苦悶状態に陥り、回復までに30-40分かかるとされるが、このガスはこれまでの防毒面では防御することができなかった。このガスを使用して、苦悶する兵士が防毒面を脱いだところを見計らって、窒息性ガスで攻撃するという戦法が採用された。

・『日本の中国侵略と毒ガス兵器』 歩平著(山邊悠喜子、宮崎教四郎訳)明石書店 1995年発行)
第12章 癒しがたい傷
毒ガスの焼却
こうして、甘い餌と威嚇によって、どうにかこうにかこの工場を取り壊したのである。ところが、これが、労働者たちの不安を一層掻き立てることになった。多くの労働者たちはこの時、自分が島で働いたことを証明できるすべての証拠を、同時に焼却してしまったのである。こうすれば自分もこの罪深い島との関係から抜け出せると思ったのだったが、この島との関係は一生かかっても断ち切れないものだということには思い至らなかったし、又思い至ることは不可能だった。





日本軍の毒ガス戦と遺棄毒ガス問題

●『三光』     中国帰還者連絡会編
日本鬼子(リーベンクイズ)
軍医の野天解剖
小美野義利
戦務班長 憲兵曹長
〈旧部隊名〉
関東軍特別警備隊2大隊本部

山垣内に押さえられている35、6歳の中国人は、ボロボロに引き裂かれた上衣から赤銅色の厚い肩をブルブル震わせ、怒りをむき出しにしていた。小笠原軍医は今度は俺の番だと言わんばかりに、血でグシャグシャになった地面を見ていたが、小美野に、「ここへ草を敷いてくれ」と、言いつけた。桐原と小美野は草を敷き詰めた。土倉衛生曹長が注射器を持って立ち上がった。
「ここへ寝かせてくれ」小笠原軍医は眼鏡をずり上げながら、山垣内と小美野に眼を走らせた。2人が「こっちへ来い」と怒鳴り、押しても引いても中国人の足は土にめり込んだように動かない。太田曹長は「歩け」とうなりながら、刀の峰ですねをなぐりつけた。不意に後ろから叩かれた中国人は横倒しになった。桐原と山垣内は足首をつかみ、ずるずると引きずったが、怒った中国人にポンと腹を蹴られた桐原は血海の穴に落ちそうになり、「ギャーッ」と悲鳴をあげた。

●日米安保条約・自衛隊を問う!!
自衛隊は、防護のためと言って、旧日本軍の細菌兵器・毒ガス兵器使用の反省・謝罪もないまま新たな生物兵器・化学兵器を作ってもいいのだろうか??憲法9条を持ち、生物兵器・化学兵器禁止条約を批准しているにも関わらず!!
日本の毒ガス

沖縄・南西諸島が軍事要塞化している現実はおかしくないか??
「琉球処分」から140 今の沖縄を考える


●情報公開裁判
なぜここまでして、国は衛生学校や化学学校で作っていた機関誌を公開しないのだろうか?

・731部隊関連の「情報公開裁判」に関する報告
和田千代子(731細菌戦部隊の実態を明らかにする会事務局長)

第3『化学学校記事』裁判の問題点と争点

私達は、被告国の主張を覆す証拠として、上記の藤井治夫氏が収集した資料の保管者から提供を受けて『化学学校記事』16号(1970年発行)の写しを法廷に証拠として提出しました。
しかし被告は、『化学恰好記事』16号が1970年1月に発効された事実を指摘されながら、不合理にも認否を拒否し続けました。
私達が被告の不誠実な訴訟態度を強く批判した結果、ようやく被告は2020年2月の準備書面で、『化学学校記事』第16号に関与した人物1名に接触し、『化学学校記事』16号の発行の事実を初めて認めました。しかし、その一方で「高齢であって体調面にも大きな不安があることから陳述書作成に協力を得られなかった」と弁明し『化学学校記事』がいつまで発行されていたのかを調査しようとしません。


・次回『衛生学校記事』情報公開裁判(第26回)
緊急事態宣言が出たため、4月の裁判は延期になりました。東京地裁419号法廷

・化学学校記事」情報公開裁判 (第16回)
次回 2020年6月3日(水)11:30~ 東京地裁522号廷



第4代衛生学校長だった金原節三が亡くなってから、遺族が、当時の防衛庁に寄贈した金原節三資料の中に13点の『衛生学校記事』が含まれている。それがいまだに未開示であり、その行方が防衛省は分からないという。
1995年に防衛研究所に衛生学校から金原資料の全部を移管した。翌年1996年には、その資料の中で旧軍資料の価値の高いものを、防衛研究所に残して、あとは衛生学校に戻した。
『金原文庫』はいつまで、衛生学校の彰古館に開設されていたのであろうか?その中に果たして『衛生学校記事』があったのか?また、金原資料はキチンと整理をされていたのだろうか?金原資料の中には『特殊武器衛生』というものもある。防衛省は、金原資料をすべて開示すべきである。

1957(昭和32)年7月『衛生学校第1号』発刊

●『BC兵器』久保綾三著(1969年)
※以下の記述から、自衛隊では、いま世界で流行している新型コロナウィルスなどの生物兵器の研究も大分以前からやっているといるのではないかと思われる。

Ⅲ 日本における生物・化学兵器の歩み
1、 生物・化学兵器の開発の歩み
爆発赤痢事件

爆発赤痢事件というのは、文字通り、爆発的に発生した集団赤痢事件、12332名が発病、712人の死者を出しいる。当時、この事件の調査団(内務省予防局防疫課、県衛生課、医学陣、陸軍省医務局、久留米12師団軍医部によって編成)は、約50日間にわたって調査を行ない、「水道汚染以外には到底考えられない」との結論を出した。このため当時大牟田市の水道課長であった塚本久光さん(1950年9月、50歳で逝去)は、引責辞職を強いられた。
●昭和天皇(ハーバード・ピックス著『昭和天皇』より)吉田裕監修 2001年ピュリッツァー賞受賞

※昭和天皇は、平和主義者でもなんでもなかった。好戦的であり、常に軍部に色々と指示を出していた!!
戦後補償問題に国家無答責という天皇主権の明治憲法下の原則を適用するな!!
第12章大元帥の試練


当時、天皇はソロモン作戦と、ヨーロッパの戦況を懸念していた。このころになると、欧州戦線も枢軸側に不利となり、このため陸軍は5号作戦の準備を中止した。しかし、ラバウルの第8方面軍司令部では、海軍に対する不信が根強く、また参謀将校の多くは自尊心が強いためにガダルカナル撤退の必要性を公然と認めることができなかった。まして、敗退を利用して陸軍全体を再編することなどできなかった。

小泉親彦と昭和天皇

憲法9条を生かそう!!



731部隊員が戦犯免責され、ABCC(原爆傷害調査委員会)に協力した。その結果、アメリカの原爆投下を日本政府は問うことは無く、また被爆者は、ABCCに治療されることもなかった。そして日米安保条約の下、核兵器の廃絶に日本政府は後ろ向きである!!
日本には多くの被爆者がいるのに、日本政府はなぜ核兵器禁止条約に署名しない?
地球の温暖化や異常気象の最大の原因は、今までの2000回以上の核実験や原発事故などの放射能汚染で地球が壊れてきているからではないのか??米の原爆投下責任と核実験をしてきた国の責任を問う!!
●『二酸化炭素温暖化説の崩壊』広瀬隆(集英社新書)
第1章 二酸化炭素温暖化論が地球を破壊する

南極の氷と氷河は大丈夫か

炭酸ガスの身になるべきだ。罪もないのに、これだけ悪者にされて、かわいそうだ。IPCCの会議が終わると、皆ビールで乾杯しているが、あれは、炭酸ガスがぶくぶく出ている飲み物だというのに。

温暖化で山火事が起こる?

2009年2月にオーストラリア南部で森林火災が発生し、数百の人命と数千の家屋が失われ、オーストラリア史上最大の森林火災による災害となった。そのため、旱魃(かんばつ)や猛暑が原因だと騒がれたが、最大の原因は、人口増加で住宅地域が広がり、自然な森林の内部にまで人間が進出していったことにあった。また、先住民のアポリジニが数万年という長い歳月にわたって続けてきた野焼き(ブッシュファイア)が、西欧環境保護団体のヒステリックな「自然破壊」という反対運動のためにできなくなり、長年、森林が手入れされずに放置されていたことが、延焼を拡大した原因であった。


●核実験(ウキペディアより)
若くして白血病で亡くなった夏目雅子、本田美奈子、また五輪候補選手だったスイマーが白血病になったのは、放射能の影響ではないのか?
月の砂漠の犠牲者 夏目雅子と本田美奈子
インド
詳細は「インドの核実験 (1974年)」および「インドの核実験 (1998年)」を参照
1974年5月18日 ラジャスタン州ポカラン砂漠で初の原爆実験。
1998年5月11日・13日 熱核反応装置(水爆に相当)実験に成功。

水素爆弾の恐怖・ビキニ環礁 (アメリカ)

「北朝鮮の核実験の威力」と「史上最強の核兵器"ツァーリ・ボンバ"の破壊力」【核兵器】


●核なき世界へ!!
Toward a Nuclear-Free Future


●核融合もすべきではない!!
20170303 小出裕章先生にきいてみた!!〜土岐市核融合科学研究所 重水素実験について

日本政府・自衛隊は情報を公開せよ!!(情報開示!!)
今年も8月12日がくる──。33年前 520人が犠牲になった日航機墜落、遺物の化学分析で判明した事実とは?

中曽根元総理が知る日航機墜落事故の真実とは?墓場まで発言の真意を調査!

ここの研究所は、どんなことをやっているのだろうか??
国立感染症研究所村山庁舎(武蔵村山)


●1954年3月1日第5福竜丸他1000隻もの船が被曝!核兵器廃絶!!
なぜ、日本は広島・長崎・ビキニ・JCO臨界事故・福島と5度も被爆しているにに、日本医学界は「脱原発!!」と叫ばない!!
原爆投下された直後、日本は自らが原爆調査をして、731部隊(人体実験や細菌戦)の事もあるので、アメリカの心証を良くしようと考えた。そして科学者を総動員して原爆調査(被爆者を救済するための調査ではなく、原爆の威力調査)を181冊の調査書にまとめて、英訳し、アメリカに渡した。その後、731部隊員は、731で研究したデータを渡し、戦犯免責を受けた。原爆調査書は被爆者の治療には全く生かされず、日本の医学界は、原爆の放射能被害については、何も言及しなかった。そればかりか、その後のアメリカの原爆・水爆実験も批判せず、その被害を過小評価した。そして日本政府が、原子力の平和利用として原発を推進する政策にも、大きく加担している。

XII) 731部隊、広島長崎、チェルノブイリ、福島より
・・・第二次世界大戦中、日本軍は3000人もの医師たちが関わったとされる731部隊により、妊婦や子供まで含めた人体実験が行いました。極東裁判では捕虜虐待死の容疑で死刑に処された軍医幹部もいる中、731部隊関連者は訴追されませんでした。戦後、「研究データを米軍に提供すること」、さらにはなんと、「広島・長崎の研究に協力すること」を引き換えに免責されたのでした。

2010年のNHKの番組で、「(米国への研究データの提供のほかに)原爆調査への協力を731部隊の免責のカードとして使った」という元陸軍軍医の証言がありました。
封印された原爆報告書
<iframe frameborder="0" width="480" height="270" src="https://www.dailymotion.com/embed/video/x4c228q" allowfullscreen allow="autoplay"></iframe>

水爆実験
水爆実験ブラボーで被爆したのは第5福竜丸1隻ではなく、延べ1000隻近くの漁船が被爆した!!

核兵器廃絶

徳仁・日本政府・日本医学界は、731部隊のことを謝罪し、戦争被害者の救済、戦争をしない政策にお金をかけるべきだ!

「731部隊・100部隊・毒ガス戦」パネル展 2019年4月29日~5月3日
「日本はなぜ戦争責任問題を解決できないのか 」 田中利幸さん
日本はなぜ戦争責任問題を解決できないのか
水俣病


731部隊(unit731)


昭和天皇の戦争責任を問う!!天皇制反対!!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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細菌戦の系譜!!

2020-05-22 10:23:00 | Weblog

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細菌(生物)戦争
『BCGと人体実験』 美馬聡昭著
731部隊 ペスト研究、攻撃用か(1988年朝日新聞)
防疫研究室と昭和天皇の関係
1940年と2020年の東京オリンピック
『ウサギと化学兵器』いのうえせつこ著
731部隊と国立感染症研究所の問題!!
731部隊・細菌戦資料センター総会のご案内
731部隊の罪業
731部隊 行動示す新資料・埋もれた公文書
情報公開裁判「化学学校記事」「衛生学校記事」
武蔵村山の国立感染症研究所問題!!
731部隊・100部隊展

●今の日本人は、まさかと思うかもしれない。
今、世界中で猛威を振るっている新型コロナウィルス。これは、細菌戦(生物戦)ではないのか?
過去に、日本が中国で行なった細菌戦のように。(以下は現在分かっている細菌戦)


1939年 731部隊 ノモンハン戦争にて細菌戦(チフス菌、コレラ菌、赤痢菌)を行う
*1940年は皇紀2600年(神武が即位して2600年??)東京オリンピックや万博が開催される予定であったが、戦争の為中止!!
1940年 6月4日   731部隊、農安大賚・農安で細菌戦(ペスト菌)を行う
10月 4日   731部隊、衢州で細菌戦(ペスト菌)を行う
10月27日   731部隊、寧波で細菌戦(ペスト菌)を行う
1941年11月4日    731部隊、湖南省常徳で細菌戦(ペスト菌)を行
1942年17月        100部隊は、ハイラルの北約120キロのソ連国境で行なった「三河演習」で鼻疽菌の生存期間を測定、炭疽菌の土 壌への浸透力の調査した 
8月       731部隊、湖南省江山、常山、衢県、麗水、江西省広信、広豊、玉山で細菌戦(ペスト、コレラ、チフス)を行う
1943年12月       100部隊第2部に細菌戦準備の第6科を設置
【コロナは生物兵器か】人工のコロナウイルスショックによる文明の転換点 船瀬俊介氏が語る

米軍300人が新型コロナの感染が広がる前に武漢にいたという。
新型コロナウィルスを撒いたのは??


この新型コロナウィルスがどこで作られたかは分からないが、細菌戦の系譜をたどると、
日本は、戦時中、1925年のジュネーブ議定書を無視して、中国で細菌を製造し、細菌戦を行なった。戦後、731部隊での研究データをアメリカに渡し、731部隊員は全員戦犯免責され、アメリカは生物戦の研究を本格的に始めた。
日本政府は、中国で行った細菌戦や生体実験の事を、(日本の裁判所は事実認定をしている)未だに隠し続け、事実も認めていない。勿論謝罪もしない。日本軍が中国に遺棄してきた生物兵器は戦後、どのようになったのだろうか?
この新型コロナウィルスに影響しているのだろうか?
今、日本人は過去に犯した戦争犯罪を直視し、きちんと歴史事実に向き合う時ではないのか?

今回の新型コロナウイルスは、日本軍が遺棄してきたものが影響しているのか、それともどこかで作られたのか?それとも動物を介して新たに自然発生したのか?
作ったとすれば、アメリカが作ったのか、それとも、日本軍の細菌戦に苦しんだ中国が作ったのか、はたまた、ロシアかそれとも日本(又は日米共同)が作ったのか?よくわからないが、世界各国で生物戦の研究がなされていることは確かであろう。
生物兵器禁止条約の署名を日本は1972年にして、この条約は、1975年に発効されたが、日本がこの条約を批准したのは、1982年。なんでこんなに時間がかかったのか?批准されてからも、細菌(生物)兵器は、極秘裏にアメリカ、中国、ロシア、日本などで研究開発しているのだろう??

中国もロシアもアメリカも細菌戦の事は厳しく裁かなかった!!
埋もれた細菌戦調査書
<iframe frameborder="0" width="640" height="360" src="https://www.dailymotion.com/embed/video/x7u1s67" allowfullscreen allow="autoplay"></iframe>


●細菌戦裁判
資料集シリーズ・第8集(2002年10月31日)
「731細菌戦裁判・第1審判決特集号」の発行にあたって 
本書第8集は、細菌戦裁判の第1審判決(東京地方裁判所民事第18部)の後、開催された判決報告集会、記者会見、意見交換会等での発言を編集したものです。
弁護団声明
団長 弁護士 土屋公献
このように細菌戦は、すさまじい被害を中国と中国民衆にもたらした。しかも日本は細菌戦の証拠を隠蔽し、細菌戦実行の事実を敗戦後も一貫して否定してきた。極東国際軍事裁判では秘密裏にアメリカに細菌戦情報を提供して細菌戦部隊幹部ほか軍部中枢及び天皇に細菌戦の戦争責任が波及するのを食い止めようとした。日本が細菌戦に関して採ってきた行動は、かくも不正義なものであった。
換言すれば、細菌戦に関する被告日本国の不正義さはもはや明々白々なのである。にもかかわらず細菌戦に関する日本の国家責任を追及できないような法理論は、正義と公平の理念に真向から反するものである。一片の価値も認めることはできない。

●731部隊員が多く入った国立予防衛生研究所(現・国立感染症研究所)や自衛隊などでの生物兵器の開発・研究も行われているのではないか?
731部隊の行なった細菌戦

東大伝染病研究所は、1947年に主に検査・製造に関わる部門などを厚生省所管の国立予防衛生研究所(現・国立感染症研究所)として分離し、1967年に伝染病研究所を改組して医科学研究所が設置された。
国立予防衛生研究所所長と731部隊員の繋がり(教えてげんさんより
(所長が731部隊員であれば、元隊員もたくさん入るだろう)
戦争中細菌戦部隊及び組織に属していて、戦後、国立予防衛生研究所に関係した人です。

*朝比奈正二郎  (当時)731部隊第1部第9課(水棲昆虫)長。発疹チフスワクチン製造
(戦後)国立予防衛生研究所 名誉所長
*小林六造    (当時)京大教授、防疫研究室嘱託
(戦後)国立予防衛生研究所 初代所長
*小島三郎    (当時)東大伝染病研究所教授、栄1644部隊所属 サルモネラ菌の研究
(戦後)国立予防衛生研究所 第2代所長
文部省百日咳研究班員
*小宮義孝    (当時)華中衛生研究所(栄1644部隊関連)
(戦後)国立予防衛生研究所第4代所長
*柳沢謙     (当時)陸軍軍医学校防疫研究室で嘱託として結核研究 凍結乾燥BCG
(戦後)国立予防衛生研究所 第5代所長
*福見秀雄    (当時)陸軍軍医学校防疫研究室  インフルエンザ
(戦後)国立予防衛生研究所 第6代所長
文部省百日咳研究班員
(注)1951年、国立東京第一病院に入院中の乳児たちに、
両親に告知や許可を受けずに大腸菌を飲ませる実験を行なった
*村田良介      (当時)1644部隊
(戦後)国立予防衛生研究所 第7代所長

*倉内喜八郎   (当時)731部隊細菌戦研究班
(戦後)永寿病院院長
【コロナウイルス・4/17追記】永寿総合病院でメガクラスター発生、160人以上が感染・20人死亡、屋形船から感染拡大

・・・・・・・
自衛隊に入った731部隊員・・増田美保、近喰秀大、神子謙、金原節三、井上義弘、中黒秀外之、園口忠男、高橋三郎、佐伯実、木村直正など 
コロナウイルス「PCR検査」を遅らせた“戦犯”は?〈週刊朝日〉

帝国陸海軍の「亡霊」が支配する新型コロナ「専門家会議」に物申す(下)


それともロシアや中国などが研究しているだろうか?
新型肺炎、米メディアが報じた「研究所が発生源」説

生物兵器禁止条約が1975年に発効されたにもかかわらず、その裏でどんなことが起こっているのだろうか??
免責された731部隊員は、戦後、ABCC(原爆傷害調査委員会)に全面協力し、原爆被爆者を治療するのではなく、放射能の人体に対する影響を追跡した。そして日本は、アメリカの非人道的な原爆投下を問うこと全くなく、原子力の平和利用に突っ走った。

新型コロナは「パンデミック」 WHOが表明



●日本政府は、731部隊の罪業を、公開せず、秘匿し、戦後全く無反省である!!最高責任者の昭和天皇も戦犯免責された!!
安倍晋三は何でこんな行動がとれるのだ??無反省のまま、ずっと生き延びられるのか??
安倍首相の731戦闘機試乗 「止まらない挑発」の非難
2013年5月12日、安倍晋三は宮城県東松島市の航空自衛隊基地を訪問して、機体番号が‘731’であるアクロバット飛行団訓練機の操縦席に座りサムズアップして写真に収まった。

731部隊全景(中国に於いて人体実験を繰り返し、細菌兵器を開発し、中国各地で細菌戦を行なった。)


旧満洲第731部隊軍医将校の学位授与の検証を求めます!

731部隊新発見公文書の中身とは 細菌研究を明記


核兵器、生物兵器、化学兵器廃絶!! 戦力不保持!!安倍政権打倒!!
どこの研究所で新型コロナウィルスが誕生したのだろうか??
●ニュース
戦争責任を取らぬまま、そのまま在位した昭和天皇、その後の天皇も日本の侵略戦争の謝罪をしていない!!
このウィルスは自然発生なのか?どこの研究所がこんなウィルスを開発したのか??それとも日本軍が遺棄した生物兵器が影響しているのだろうか?
もし人工的につくられたのであれば、どこで製造されたのだろうか?アメリカか?それとも中国?、日本?・・・


731部隊が建物を爆破して日本に逃走した後、その近くの村でペストが流行した。100部隊の逃走した時は、鼻疽菌などに汚染された馬を放ってきた。
中国各地に日本軍の細菌戦研究所が存在したのだから、その施設が遺棄した生物兵器はその後どうなっているのか?
中国の細菌戦被害地では、今でも毎年鼠を捕獲してペストの検疫を行っている。日本軍の遺棄した生物兵器がその後も生きていて、いま中国で広がっている新型コロナウィルスや豚熱に影響はしていないのだろうか?遺棄毒ガス弾が多くの中国人を苦しめているように。
重慶爆撃を考える集会

なぜ天皇はコロナ禍にビデオメッセージを発しないのか、皇室記者の考え

コロナ死者、世界で33万人超す 再び2日で1万人増に

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神奈川で13人感染2人死亡 幼児3人も陽性

大竹まことゴールデンラジオ・金子勝・2020-05-15(文化放送)


●パネル展「日中戦争―その実相に迫る!」感想(2020年2月8日~13日)

9. 印象的なのは、村瀬写真、万人坑・写真は訴える力がある。(男、70、市外、ネット)


●映画「ひろしま」アンケート(1月13日 横浜)

( )は性別・年代・住まい・情報
16、圧倒的な熱量を感じました。山田五十鈴さんの鬼気迫る演技以上の演技に吸い込まれました。全国の学校での上映がなされると平和を考えるきっかけになると思います。今の状況と重なる点もあるので平和教育は必須であると思います。
(女性・60代・板橋区・フェイスブック)

日本は、日中戦争で国際法に違反して、細菌戦、毒ガス戦、無差別爆撃を行った。日本政府は、この事実をきちんと認めていない!!
●細菌戦
【真相】(unit731) 
・『石井細菌戦部隊―極秘任務を遂行した隊員たちの証言』
郡司陽子編(1982年11月30日初刷:徳間書店)

Ⅲ ペスト攻撃班、恐怖の実戦秘録
―第2部5課(攻撃・実戦担当)K・S
マニラで細菌戦の予備訓練を受ける

それから2、3日の間、我々はその連絡所で息を殺していた。かわりに同行した情報専門の隊員が、町に出て行く。中国語に堪能で中国服を着たその隊員は、我々が見ても中国人そのものであった。町へ出たその情報員は、毎日、町の様子を探っては、報告を行なった。
3日ほどたつと、「どうもだんだん変になってきたぞ。原因不明の伝染病が出たという噂だ」という報告がもたらされた。我々は、それを確認すると、大急ぎでその町を引き揚げた。うかうかしていると、こっちが危ないのである。P(ペスト)の攻撃については、我々の側も防御が整っていなかった。

*第5課はペスト菌担当で班長は高橋正彦であった。

・『証言 人体実験(731部隊とその周辺)』
中央档案館、中国第2歴史档案館、吉林省社会科学院編
江田憲治、兒嶋俊郎、松村高夫編訳

二 大規模な細菌生産と残虐非道な人体実験

山内豊紀自筆供述書(1951年11月4日)

その結果、菌体中に雑菌が多くなり、生産単位が低く、製品の生産時期が遅れてしまった。渡辺博士は石井四郎から電話で厳しく叱責された。博士は辞職を決意し、その日の夜長春に向けて出発したが、翌日の朝、長春のヤマトホテルの前で交通事故に遭って死亡した。渡辺博士の死について、私は多くの疑問を抱いており、石井四郎に殺されたのではないかと思っている。石井四郎の性格からすれば、部下に対しどんな残酷な手段をとっても不思議ではない。

●毒ガス戦
・『日本軍の毒ガス兵器』  松野誠也著
第1章 毒ガス兵器の研究と開発
1、第1次世界大戦と毒ガス戦
毒ガス戦の幕開け
連合国軍は塩素に対する防毒面(ガスマスク)を用意するとともに、同年9月以降ドイツ軍に対して塩素ガス攻撃を開始した。さらにフランス軍は16年2月から、吸入すると肺水腫を起こして窒息死するホスゲンを砲弾に詰めて使用、ドイツ軍はこれに対抗して同年6月から同じ窒息性ガスのジホスゲンを使用している。

・『日本の中国侵略と毒ガス兵器』 歩平著(山邊悠喜子、宮崎教四郎訳)明石書店 1995年発行)
第12章 癒しがたい傷
毒ガスの焼却
もしも平常時であったなら、労働者たちは命令を受け取ると、必ずいささかの猶予もなく断固として執行するはずであった。しかし、既に日本敗戦の報を聞き、不安におののいているところであった労働者たちは、軍隊や政府の為に働きたいとは思わなかった。このため、命令に従って工場を焼却する仕事に加わる者は数えるほどしかいなかった。これは以前だったら決して見られなかった現象である。やって来た者が少なかったため、職員は予定通りに任務を果たすことができず、焦って焼却業務に参加する労働者の労賃を倍増するよう命じた。また、もし予定通りこの工場を破壊しなければ、連合軍がやって来て、労働者たちを拘禁するぞと脅した。



日本軍の毒ガス戦と遺棄毒ガス問題

●『三光』     中国帰還者連絡会編
日本鬼子(リーベンクイズ)
軍医の野天解剖
小美野義利
戦務班長 憲兵曹長
〈旧部隊名〉
関東軍特別警備隊2大隊本部

中国人は穴の中の青年の死体に折り重なるように落ち込んだが、まだ斬れ落ちていない首が逆さになってスースーと息が洩れるたびに赤黒い血がどくどくと流れ出し、のぞき込んだ小美野を、カーッと睨みつけている。血のかかった骸骨が不気味に並んでいる。
「ギャーッ」小美野は悲鳴を上げ、何かを払いのけるように夢中で手を振ったが、逆さになった首がグーッと大きく自分の方へのしかかってきているような気がしてならない。
「エーイ執念深い奴だ」
わめきながら足下の石を拾い上げると、気が狂ったように斬り口めがけて投げつけた。そばで太田、桐原が、「野郎、今晩とっつかれるぞ」と、ニタニタして顔を見合わせていた。

●日米安保条約・自衛隊を問う!!
自衛隊は、防護のためと言って、旧日本軍の細菌兵器・毒ガス兵器使用の反省・謝罪もないまま新たな生物兵器・化学兵器を作ってもいいのだろうか??憲法9条を持ち、生物兵器・化学兵器禁止条約を批准しているにも関わらず!!
日本の毒ガス

沖縄・南西諸島が軍事要塞化している現実はおかしくないか??
「琉球処分」から140 今の沖縄を考える


●情報公開裁判
なぜここまでして、国は衛生学校や化学学校で作っていた機関誌を公開しないのだろうか?

・731部隊関連の「情報公開裁判」に関する報告
和田千代子(731細菌戦部隊の実態を明らかにする会事務局長)

第3『化学学校記事』裁判の問題点と争点

この点に関連し、故藤井治夫氏(軍事評論家)は、自身の著書の中で次のように述べていました。
即ち、「防衛庁図書館(国立国会図書館防衛庁分館)の毎年度の『図書目録』を見ていると、公刊資料が次々に姿を消しているのがわかる。68年度と69年度を比較してみよう。定期刊行物で目録に収録されなくなったのは、陸上自衛隊の『幹部学校記事』、『航空自衛隊幹部学校記事』をはじめ、陸自の『富士学校記事』『化学学校記事』、『会計記事』、『施設学校記事』、『衛生学校記事』、『武器』、『高射』、『通信電子』、『輸送』などで、いずれも月刊ないし季刊の公刊雑誌である。その多くはアメリカは勿論、韓国、台湾や、西ヨーロッパ諸国の軍隊にまで送付されているのである。目録から消えたばかりか、現物も図書館に置かれていない。教範類も完全になくなり、『防衛庁法規類集』さえ置かれなくなった。近頃では、陸海空自衛隊の『公報』さえも消えてしまった。書棚はガラガラで、戦記読物や大衆小説が並んでいるにすぎない。」(『日本の国家機密』(現代評論社、1972年10月、76頁)と指摘していました。

・次回『衛生学校記事』情報公開裁判(第26回)
緊急事態宣言が出たため、4月の裁判は延期になりました。東京地裁419号法廷

・化学学校記事」情報公開裁判 (第16回)
次回 2020年6月3日(水)11:30~ 東京地裁522号廷



第4代衛生学校長だった金原節三が亡くなってから、遺族が、当時の防衛庁に寄贈した金原節三資料の中に13点の『衛生学校記事』が含まれている。それがいまだに未開示であり、その行方が防衛省は分からないという。
1995年に防衛研究所に衛生学校から金原資料の全部を移管した。翌年1996年には、その資料の中で旧軍資料の価値の高いものを、防衛研究所に残して、あとは衛生学校に戻した。
『金原文庫』はいつまで、衛生学校の彰古館に開設されていたのであろうか?その中に果たして『衛生学校記事』があったのか?また、金原資料はキチンと整理をされていたのだろうか?金原資料の中には『特殊武器衛生』というものもある。防衛省は、金原資料をすべて開示すべきである。

1957(昭和32)年7月『衛生学校第1号』発刊

第4代衛生学校長
『衛生学校記事』を発刊したときの、衛生学校長金原節三とはどんな人物なのだろうか?
金原節三(1901~1976)
陸軍省医事課長時代(1941.11~43.8)に731部隊から報告を受けていた。「陸軍省業務日誌摘録」
厚生省東海北陸医務出張所から衛生学校へ 1955.8.1

 

●『BC兵器』久保綾三著(1969年)
※以下の記述から、自衛隊では、いま世界で流行している新型コロナウィルスなどの生物兵器の研究も大分以前からやっているといるのではないかと思われる。

Ⅲ 日本における生物・化学兵器の歩み
1、 生物・化学兵器の開発の歩み
正体つかめぬ生物兵器

日本では、1931年満洲に細菌作戦遂行のため731部隊が編成された。「石井部隊」と言われるこの細菌部隊は、1935年にはネズミ2000匹を使い、ノミを飼ってペスト菌を培養した記録がある。石井部隊の細菌作戦は後述するように諸外国に類例を見ないほどの残忍さであった。
福岡県大牟田市で起こった「爆発赤痢事件」(日中戦争が始まった年の1937年9月25日発生)は、現在でもその原因が謎とされているのだが、これは明らかに「細菌爆弾」の誤爆による惨事であろうと言われている。 


●昭和天皇(ハーバード・ピックス著『昭和天皇』より)吉田裕監修 2001年ピュリッツァー賞受賞

※昭和天皇は、平和主義者でもなんでもなかった。好戦的であり、常に軍部に色々と指示を出していた!!
戦後補償問題に国家無答責という天皇主権の明治憲法下の原則を適用するな!!
第12章大元帥の試練


天皇は、1942年の秋、前線部隊へ自身の気持ちを伝えたが、中でも南西太平洋での海戦を取り上げ海軍の成功を嘉賞(かしょう)した。このため、海軍はガダルカナル作戦の中止を奏請することが著しく困難となった。昭和天皇は、同様の圧力を陸軍にも加え、ガダルカナルの部隊に勅語で、「朕が信倚(しんい)に副(そ)はんことを期せよ」と述べ、暗に部隊が天皇の期待に応えていることを示した。しかし、1942年11月にいたり、天皇と東条はガダルカナル奪還が不可能であることを、そしてガダルカナル放棄は必ずしも、ソロモン戦線全体の崩壊を意味しないことを悟った。実際、ガダルカナルを放棄すればそれ以外の戦略拠点での作戦は、容易となったであろう。

小泉親彦と昭和天皇

憲法9条を生かそう!!



731部隊員が戦犯免責され、ABCC(原爆傷害調査委員会)に協力した。その結果、アメリカの原爆投下を日本政府は問うことは無く、また被爆者は、ABCCに治療されることもなかった。そして日米安保条約の下、核兵器の廃絶に日本政府は後ろ向きである!!
日本には多くの被爆者がいるのに、日本政府はなぜ核兵器禁止条約に署名しない?
地球の温暖化や異常気象の最大の原因は、今までの2000回以上の核実験や原発事故などの放射能汚染で地球が壊れてきているからではないのか??米の原爆投下責任と核実験をしてきた国の責任を問う!!
●『二酸化炭素温暖化説の崩壊』広瀬隆(集英社新書)
第1章 二酸化炭素温暖化論が地球を破壊する

南極の氷と氷河は大丈夫か

炭酸ガスの身になるべきだ。罪もないのに、これだけ悪者にされて、かわいそうだ。IPCCの会議が終わると、皆ビールで乾杯しているが、あれは、炭酸ガスがぶくぶく出ている飲み物だというのに。

温暖化で山火事が起こる?

1871年は明治4年、日本ではまだチョンマゲの時代にあり、後年の石油王ロックフェラーが小さなスタンダード石油を創業した翌年に当り、人類が石油時代の第1歩を踏み出した大昔である。つまり人為的な二酸化炭素の排出は無関係である、
最近の例を引けば、2003年に温暖化の兆候と大々的に報道されたカリフォルニア州の山火事は、それらより1桁小さい74万エーカーの焼失だった。しかも原因は放火であったのに、日本の新聞はとテレビはその部分を小声でしか報じなかった。


●核実験(ウキペディアより)
若くして白血病で亡くなった夏目雅子、本田美奈子、また五輪候補選手だったスイマーが白血病になったのは、放射能の影響ではないのか?
月の砂漠の犠牲者 夏目雅子と本田美奈子
中華人民共和国

中国初の核爆弾(模型)
1964年10月16日 初の核実験「596 (核実験)」。
1967年6月17日 初の水爆実験。
詳細は「中国の核実験」を参照
水素爆弾の恐怖・ビキニ環礁 (アメリカ)

「北朝鮮の核実験の威力」と「史上最強の核兵器"ツァーリ・ボンバ"の破壊力」【核兵器】


●核なき世界へ!!
Toward a Nuclear-Free Future


●核融合もすべきではない!!
20170303 小出裕章先生にきいてみた!!〜土岐市核融合科学研究所 重水素実験について

日本政府・自衛隊は情報を公開せよ!!(情報開示!!)
今年も8月12日がくる──。33年前 520人が犠牲になった日航機墜落、遺物の化学分析で判明した事実とは?

中曽根元総理が知る日航機墜落事故の真実とは?墓場まで発言の真意を調査!

ここの研究所は、どんなことをやっているのだろうか??
国立感染症研究所村山庁舎(武蔵村山)


●1954年3月1日第5福竜丸他1000隻もの船が被曝!核兵器廃絶!!
なぜ、日本は広島・長崎・ビキニ・JCO臨界事故・福島と5度も被爆しているにに、日本医学界は「脱原発!!」と叫ばない!!
原爆投下された直後、日本は自らが原爆調査をして、731部隊(人体実験や細菌戦)の事もあるので、アメリカの心証を良くしようと考えた。そして科学者を総動員して原爆調査(被爆者を救済するための調査ではなく、原爆の威力調査)を181冊の調査書にまとめて、英訳し、アメリカに渡した。その後、731部隊員は、731で研究したデータを渡し、戦犯免責を受けた。原爆調査書は被爆者の治療には全く生かされず、日本の医学界は、原爆の放射能被害については、何も言及しなかった。そればかりか、その後のアメリカの原爆・水爆実験も批判せず、その被害を過小評価した。そして日本政府が、原子力の平和利用として原発を推進する政策にも、大きく加担している。

XII) 731部隊、広島長崎、チェルノブイリ、福島より
・・・第二次世界大戦中、日本軍は3000人もの医師たちが関わったとされる731部隊により、妊婦や子供まで含めた人体実験が行いました。極東裁判では捕虜虐待死の容疑で死刑に処された軍医幹部もいる中、731部隊関連者は訴追されませんでした。戦後、「研究データを米軍に提供すること」、さらにはなんと、「広島・長崎の研究に協力すること」を引き換えに免責されたのでした。

2010年のNHKの番組で、「(米国への研究データの提供のほかに)原爆調査への協力を731部隊の免責のカードとして使った」という元陸軍軍医の証言がありました。
封印された原爆報告書
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水爆実験
水爆実験ブラボーで被爆したのは第5福竜丸1隻ではなく、延べ1000隻近くの漁船が被爆した!!

核兵器廃絶

徳仁・日本政府・日本医学界は、731部隊のことを謝罪し、戦争被害者の救済、戦争をしない政策にお金をかけるべきだ!

「731部隊・100部隊・毒ガス戦」パネル展 2019年4月29日~5月3日
「日本はなぜ戦争責任問題を解決できないのか 」 田中利幸さん
日本はなぜ戦争責任問題を解決できないのか
水俣病


731部隊(unit731)


昭和天皇の戦争責任を問う!!天皇制反対!!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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