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この世の地獄!731部隊・南京大虐殺

2009-09-30 06:38:02 | Weblog

「ノブの日記」のタグをクリックお願いします!!


「マルタ」・「アジアの犠牲者」は叫んでいる!!

「日の丸」・「君が代」反対!!

新しい日本!!

「世襲の天皇制から選ばれし大統領制へ!」

(昭和天皇の戦争責任を問う。)


●「外国のジャーナリストたちに向かって証拠資料を用いて話すと、彼らはほとんど決まって、なぜ日本政府は731部隊の存在とその蛮行を認めないのか、と筆者にただしてくる。それは筆者自身にとっての疑問でもあるが、多くの場合、次のように答えてきた。敗戦直後、日米合同で731部隊隠しが行われたことが最大の原因である、と。それによって日本は、人体実験や生物兵器使用の事実を歴史の表舞台から下ろすことができた。他方アメリカは、石井のネットワークでの人体実験によるデータを独占することができた。この日米の密約が1986年には破綻したことは第一章で述べたが、おそらく密約がなくても、日本は残念ながら石井機関の蛮行を隠そうとしただろう。それでも日米の密約は、アメリカという共犯者得させることで、犯罪隠しににおいて日本の精神的負担を軽減するという役割を果たしたと言えよう。
 日本の戦争犯罪隠しにおいて、精神的負担軽減のための大きな支柱となったもう1つの存在がある。それは昭和天皇の存在だ。筆者がこれまでに会って話を聞いてきた、石井のネットワークで研究していた医学者たちが異口同音に口にしたのが、「天皇の名誉」という言葉だった。彼らの気持ちの中の論理では、石井のネットワークの研究者たちは天皇のため、あるいは国のために科学研究を行っていた。それゆえ本来なら決して行わない蛮行を、自らに「天皇のため」「国のため」と正当化し、実行した。つまり彼らは、「天皇のために蛮行を行った」と自らを納得させていた。それだから、天皇が、国が認めていない自らの犯罪を語ることは、お上の名誉を傷つけることになるわけだ。
 国を、そして天皇を守るために、日本は敗戦直後の日米の密約にしがみついてきた。その結果として、この日本では、石井のネットワークが行った人体実験や生物戦の犠牲者の発掘調査や補償は何もされていない。おそらくこれは、日本という国の持つ、1つの強固な構造からくる。それは、基本的に個人は国家より下位に位置する、決して対等ではないという構造だ。その結果、平和条約等による他の国家への賠償は行っても、個人に対して補償しないという態度がとられることになる。そのためには、国として過去の犯罪の事実を、またそれについての責任を認めるわけにはいかないのだ。あるいは、この論の順序は逆かもしれない。すなわち、犯罪を、責任を認めたくないから、個人を相手としないということなのかもしれない。
 こんなことを思い始めたのは、昨今の戦時補償問題が一向に進まないという現実からだ。・・・・」
(『731部隊』の“戦後日本”より常石敬一著:講談社現代新書:1995年)

※日本の敗戦直前、天皇は国体護持に執着するあまり、停戦を遅らせてしまった。そのため、日本国内では、原爆をはじめ空襲などによって多くの死者を出した。
 また、戦後昭和天皇は、占領軍の最高司令官マッカーサーと取引して、国体(天皇制)を維持することに腐心した。
 戦前・戦中と大元帥として大日本帝国に君臨し、戦争を指揮していた最高責任者は、敗戦と同時に、戦争責任をすべて東条はじめ軍部に押し付けてしまった。
 731部隊にも何人かの皇族が行き来し、実際731に係わっていた皇族もいた。東条も足を運び、大元帥昭和天皇の耳にも731についての情報は入っていたはずである。それ故、敗戦直前、ソ連が参戦するや否や、軍部・天皇はいち早く証拠隠滅をはかり、731部隊を日本へ戻した。これも戦争犯罪がばれると、天皇にもその責任が問われることになるからだ。
 731部隊幹部はアメリカと密約し、731部隊員の戦犯免責と引き換えに731で得た研究成果をアメリカに売り渡した。その結果、東京裁判では取り上げられず、国民も長いこと731のことを知らなかった。
 密約の存在は1986年に破綻したが、日本政府は常石氏によれば731の存在と蛮行を認めていないという。(1995年現在)現在の政府の見解は私には分からない。(ただ今問い合わせ中)

 これも天皇制を守るために。(ノブ)



●731部隊とはどんな部隊であったのだろうか?元731部隊員の告白記を見ていこう。越 定男著(元関東軍第731部隊第3部本部付運輸班員)『日の丸は紅い泪(なみだ)に』(発行所:教育史料出版会)と言う本を見てみたいと思う。

 越定男(こし・さだお)・・・1918年3月長野市に生まれる。
1934年工業高校機械科を卒業。1939年に満州に渡る、第642部隊に入隊。1941年第731部隊(石井部隊)に入隊。以後4年間細菌班をはじめ運輸班などに勤務。1945年8月敗戦により引き揚げ、9月長野に着く。戦後第731部隊員としての経歴を隠しながら苦難の日々を送り、現在に至る。

●私達日本人は、南京大虐殺の「この事実を・・・」を謙虚に読むべきだと思う。
南京でどんなことが起こっていたのかをもっと日本人は知る必要があると思う。
今でも多くの被害者の方々はPTSDに悩んでいる!!


731部隊

『日の丸は紅い泪に』
(越定男著:教育史料出版会)より

Ⅴ 朝日のぼる
メスをにぎる私(赤沢証言)
 赤沢さんの証言は次に恐るべき核心に迫っていく。

 退庁時間の午後5時に間に合わないと、解剖は翌日まわしになるので、研究成果をどうしても見たいという場合は、居残り申請をして5時以降に執刀した。このように時間が追われている中では、生体解剖のおそれも出てくるわけである。
 しかし、ほとんどは研究班が殺してきたものであった。なかにはクロロホルムの臭いがするものがいて「注射したな」とすぐ分かることができた。クロロホルムの臭いのするマルタは、開いてみると、血も黒ずんでいるし、臓器も生のきれいな色をしていて、心臓などはピクピク動いている。
 4年間のうちに、こういうケースが2,3回あった。このことを生体解剖といえばいえるかもしれない。マルタは材料であり、確実に死を宣言されており、それに各研究班が細菌の効果を調べる点からも、いきの良い標本を必要とする状況にあったことは事実である。
 解剖の目的は何か、ここが大事である。専門の医学には、3つの所見がそろっていなければならない。臨床所見、解剖所見、病理所見である。もっとも重視されるものは病理所見である。
 病理班が解剖後、徹底的に組織検定する。臓器は、20リットルの円筒形のガラス鉢に入れる。ごちゃまぜにするのではなく、ふわけして入れる。ミルツ(脾臓)、甲状腺、脳などは別にする。ホルマリンにつけたものを取り出して、水洗い、脱水をし、更に無精アルコール、キシロール、ベンゾールを通してあとは蝋で固めるのである。この固めたものをミクロトームにする。ミクロトームとは、1ミリの切片を千枚、すなわち千分の1に特別な機械で切断することをいう。さらに、ミクロトームしたものを、蝋をとって染色する、菌染色をギムザといった。日本の薬品ではどうもよく染まらない。ドイツのバイエル、ウリュウベルなどの薬品を使わざるを得ないこともしばしばであった。
 こうして、顕微鏡でのぞき、グリコーゲンがどれだけ不足だとか、蛋白がどうだとか調べて記録をしていく。(明日に続く)

※これでは、まさしく生体解剖だ!医学的に解剖するのではなく、人を物として扱い徹底的に解剖してその組織を調べる。
 731にいると人間の倫理的なものや道徳的なものが一切排除されて、人の体を機械をいじるように、検査した!!組織の恐いところである!!(ノブ)


日本軍細菌戦部隊

日本陸軍軍医学校(東京)
関東軍第731部隊(ハルピン)・・・関東軍各師団防疫給水部
華北方面軍甲1855部隊(北京)・・・華北方面軍各師団防疫給水部
華中方面軍栄1644部隊(南京)・・・華中方面軍各師団防疫給水部
華南方面軍波8604部隊(広州)・・・華南方面軍各師団防疫給水部
南方方面軍岡9420部隊(シンガポール)・・・南方方面軍各師団防疫給水部
関東軍第100部隊(長春)

   
516部隊

   
731部隊

  
  
731部隊は天皇の直接命令によってつくられた。


  
化学兵器CAREみらい基金ブログ

  
大久野島(毒ガス島)

  
中国人戦争被害者の要求を支える会

  
中帰連

  
ハイナンネット
 
  
南京への道:史実を守る会

  
根津公子さんのページ
  

南京大虐殺     

「この事実を・・・・」

(「南京大虐殺」生存者証言集:侵華日軍南京大遇難同胞紀念館/編 加藤 実/訳) (発行:ストーク、発売:星雲社、定価2000+税)

2、日本軍の狂暴な個人的虐殺

父や母の被害

姜根福(男、54歳)の証言
 
 中国侵略日本軍が南京で大虐殺をした時、私たち一家は元々は8人で、父と母に姉2人と弟3人でした(本当はまだ大きい姉がいたのですが、家がすごく貧しかったので、ずっと前に人にやってしまったのです)。家中で元々壊れた船に住まっていましたが、日本軍を避けて隠れるため、父が私たちをしばらく田舎へ連れて行って隠しました。私たちは船を三汊河の方向へ漕いで行きました。石梁柱まで行ったら、小さな船で水が漏ってきて、続けて漕いでいけなくなり、船を捨てて岸に上がるしかなく、土手沿いに前へ歩いて行きました。岸辺に十何軒も割りに良い家屋があり、住民はみんな逃げてしまっていましたが、そこは日本軍に見つかりやすいので、私たちも住めませんでした。少しでも隠すために、父が姉2人を連れ、母が私たち兄弟4人を連れて、芦葦の茂っている所に別々に隠れ込むのに、百メートルほどの間隔を置いて、互いに呼応できるようにしました。母は乳が出ないため、小さい弟はひもじくてたまらなく、泣いて乳を欲しがりました。(明日に続く)

※子どもを連れての逃亡は大変であった。(ノブ)




憲法9条

「Imagine9」【合同出版】より

想像してごらん、

戦争にそなえるより

戦争をふせぐ世界を。


Imagine,

A world that instead 

of preparing for war,

prevents war.


コスタリカは1949年の憲法で軍隊をなくしました。
コスタリカのように武器を持たない国が 国際的に大きな強みを
発揮する事があります。
なぜなら、コスタリカは軍隊を持たない分、教育に力を入れ、人づくりをしているからです。
若者たちは、紛争が起きたとき、武力ではなく交渉や対話によって
解決できるということを、一人ひとりが子どものころからしっかりと学んでいます。
(コスタリカ/男性)


第九条【戦争放棄、軍備及び交戦権の否認】

1 日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。

2 前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。


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この世の地獄!731部隊・南京大虐殺

2009-09-29 13:11:49 | Weblog

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「世襲の天皇制から選ばれし大統領制へ!」

(昭和天皇の戦争責任を問う。)


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 日本の戦争犯罪隠しにおいて、精神的負担軽減のための大きな支柱となったもう1つの存在がある。それは昭和天皇の存在だ。筆者がこれまでに会って話を聞いてきた、石井のネットワークで研究していた医学者たちが異口同音に口にしたのが、「天皇の名誉」という言葉だった。彼らの気持ちの中の論理では、石井のネットワークの研究者たちは天皇のため、あるいは国のために科学研究を行っていた。それゆえ本来なら決して行わない蛮行を、自らに「天皇のため」「国のため」と正当化し、実行した。つまり彼らは、「天皇のために蛮行を行った」と自らを納得させていた。それだから、天皇が、国が認めていない自らの犯罪を語ることは、お上の名誉を傷つけることになるわけだ。
 国を、そして天皇を守るために、日本は敗戦直後の日米の密約にしがみついてきた。その結果として、この日本では、石井のネットワークが行った人体実験や生物戦の犠牲者の発掘調査や補償は何もされていない。おそらくこれは、日本という国の持つ、1つの強固な構造からくる。それは、基本的に個人は国家より下位に位置する、決して対等ではないという構造だ。その結果、平和条約等による他の国家への賠償は行っても、個人に対して補償しないという態度がとられることになる。そのためには、国として過去の犯罪の事実を、またそれについての責任を認めるわけにはいかないのだ。あるいは、この論の順序は逆かもしれない。すなわち、犯罪を、責任を認めたくないから、個人を相手としないということなのかもしれない。
 こんなことを思い始めたのは、昨今の戦時補償問題が一向に進まないという現実からだ。・・・・」
(『731部隊』の“戦後日本”より常石敬一著:講談社現代新書:1995年)

※日本の敗戦直前、天皇は国体護持に執着するあまり、停戦を遅らせてしまった。そのため、日本国内では、原爆をはじめ空襲などによって多くの死者を出した。
 また、戦後昭和天皇は、占領軍の最高司令官マッカーサーと取引して、国体(天皇制)を維持することに腐心した。
 戦前・戦中と大元帥として大日本帝国に君臨し、戦争を指揮していた最高責任者は、敗戦と同時に、戦争責任をすべて東条はじめ軍部に押し付けてしまった。
 731部隊にも何人かの皇族が行き来し、実際731に係わっていた皇族もいた。東条も足を運び、大元帥昭和天皇の耳にも731についての情報は入っていたはずである。それ故、敗戦直前、ソ連が参戦するや否や、軍部・天皇はいち早く証拠隠滅をはかり、731部隊を日本へ戻した。これも戦争犯罪がばれると、天皇にもその責任が問われることになるからだ。
 731部隊幹部はアメリカと密約し、731部隊員の戦犯免責と引き換えに731で得た研究成果をアメリカに売り渡した。その結果、東京裁判では取り上げられず、国民も長いこと731のことを知らなかった。
 密約の存在は1986年に破綻したが、日本政府は常石氏によれば731の存在と蛮行を認めていないという。(1995年現在)現在の政府の見解は私には分からない。(ただ今問い合わせ中)

 これも天皇制を守るために。(ノブ)



●731部隊とはどんな部隊であったのだろうか?元731部隊員の告白記を見ていこう。越 定男著(元関東軍第731部隊第3部本部付運輸班員)『日の丸は紅い泪(なみだ)に』(発行所:教育史料出版会)と言う本を見てみたいと思う。

 越定男(こし・さだお)・・・1918年3月長野市に生まれる。
1934年工業高校機械科を卒業。1939年に満州に渡る、第642部隊に入隊。1941年第731部隊(石井部隊)に入隊。以後4年間細菌班をはじめ運輸班などに勤務。1945年8月敗戦により引き揚げ、9月長野に着く。戦後第731部隊員としての経歴を隠しながら苦難の日々を送り、現在に至る。

●私達日本人は、南京大虐殺の「この事実を・・・」を謙虚に読むべきだと思う。
南京でどんなことが起こっていたのかをもっと日本人は知る必要があると思う。
今でも多くの被害者の方々はPTSDに悩んでいる!!


731部隊

『日の丸は紅い泪に』
(越定男著:教育史料出版会)より

Ⅴ 朝日のぼる
メスをにぎる私(赤沢証言)
 赤沢さんの証言は次に恐るべき核心に迫っていく。

 二木班での2年間は、勉強と研究につぐ日々であった。それこそあらゆる勉強をさせられた。ドイツ語、フランス語、内科学、外科学等々とみっちりしぼられた。私の助手の少年隊員は、ハルピン医大へ俸給つきで研究に行って、戦後立派な医者になっている。今考えてみても、当時の731部隊の研究レベルは、相当高いものだったように思える。
 昭和16年からは、病理班に移った。ここは血液の分析、あらゆる細胞組織の研究、たとえばルンゲ(肺臓)、レーベル(肝臓)、ミルツ(脾臓)、ダルン(腸)など一切を研究していた。この頃から私は、とことん病理研究を極めてやろうという、意欲が湧き上がってきた。そして、陸軍技手に任官した時から、解剖学を学び、学科と実地の双方を並行して学びことになった。。
 私は、実際に執刀を命ぜられメスを握ることになった。初めてメスを握り、のど元から一直線にメスを入れ、臍部でかわし、さらに、下腹部からホルデン(睾丸)まで一気に切り裂いた時は、緊張しあぶら汗がが流れた。肋骨を外し、すべて臓器を取り出し並べる。記録者はどこにブルデン(出血)しているか、どこが腫脹しているか、一つひとつ克明に確かめ、記録する。
 私が扱ったものは、すべて死亡したもので、それを解剖したのだ。しかし、息を引き取ってから24時間待つという一般の原則は守れなかった。まだ、暖かみの残るものだった。特に破傷風で死亡したものは、死後6時間経過すると解剖の価値がなくなってしまうので、研究班の強い要請もあって、息が止まれば直ちに死斑、死硬も出ぬうちに解剖した。(明日に続く)

※今の常識では考えられない死の判定を行い、解剖を行っていたのではないか?人間を物として扱い、自分の研究のために、(当時は戦争に勝つためにか分からないが、もちろん組織内での競争もあったろう。)夢中になってメスを握ったという感じだ!!人体の構造・働きを調べるために、生体実験で苦しんで死んだマルタ(被験者)をまた、死後?(まだ私は生きていたと思うが)また、徹底的に切り刻んだという印象を持つ。731で行われていたことは、人間の倫理観・道徳観が全く排除され、人間をモルモット同様に扱った悪魔の所業だった。 いったんその組織に入れば、強い上下関係から、有無を言わせず命令され、最初は多少躊躇しただろうが、研究者もだんだんいろいろなことを自発的に疑問も持たずに出来るようになったのではないか?(ノブ)


日本軍細菌戦部隊

日本陸軍軍医学校(東京)
関東軍第731部隊(ハルピン)・・・関東軍各師団防疫給水部
華北方面軍甲1855部隊(北京)・・・華北方面軍各師団防疫給水部
華中方面軍栄1644部隊(南京)・・・華中方面軍各師団防疫給水部
華南方面軍波8604部隊(広州)・・・華南方面軍各師団防疫給水部
南方方面軍岡9420部隊(シンガポール)・・・南方方面軍各師団防疫給水部
関東軍第100部隊(長春)

   
516部隊

   
731部隊

  
  
731部隊は天皇の直接命令によってつくられた。


  
化学兵器CAREみらい基金ブログ

  
大久野島(毒ガス島)

  
中国人戦争被害者の要求を支える会

  
中帰連

  
ハイナンネット
 
  
南京への道:史実を守る会

  
根津公子さんのページ
  

南京大虐殺     

「この事実を・・・・」

(「南京大虐殺」生存者証言集:侵華日軍南京大遇難同胞紀念館/編 加藤 実/訳) (発行:ストーク、発売:星雲社、定価2000+税)

2、日本軍の狂暴な個人的虐殺

父や母の被害

馬忠山(男、69歳)の証言
 身に寸鉄も帯びていない無辜の民である父と3番目の叔父と3番目の兄とをむごい手を使い、銃剣で3人を活きながらに突いて突いて突き殺しました。それから尚も火を放ち家をすっかり焼き尽くしました。家と続いていた十何軒かの人の家も焼かれてしまいました。その時私は田舎に疎開していて、そんな災難が我が家に降りかかっていたとは知りませんでした。1938年の2月に1番上の兄が江寧県から南京に帰って初めて、隣の人たちから事の次第を細かく聞いて分かったのでした。回族の人たちの埋葬隊の助けを得て、1番上の兄が父たち3人の遺骨を雨花台の南の花神廟に埋葬したのです。  1938年の4月に、我が家でよそに疎開していた者たちは南京に戻りました。旧あった家は焼き尽くされていたので旧のところには戻れず、親切な回族の同郷の人たちに助けられて、大香炉にあったある回族の人の空き家に住まわせてもらうしかありませんでした。
 こうして、我が家の家族3人と家財産のすべてが、凶悪な日本軍の手によって葬り去られたのです。我が家が受けたような苦しみは、その時南京の人民が受けた日本の賊の猛り狂った焼き払い、殺害し、強姦し、かすめ奪ったさまの縮図に過ぎません。(蒋宝霞と劉維玉が記録)
 

※何で女を逃がしたからといって殺されるのだろうか?血気にはやる日本軍は邪魔するものは容赦なく殺したようだ。
 南京に至るまでにたくさんの戦闘をし、たくさんの戦友が死んでいったことも感情を高ぶらせる原因になったようだ。殺された方はたまったものではない!!(ノブ)




憲法9条

「Imagine9」【合同出版】より

想像してごらん、

女性たちが

平和をつくる世界を。


Imagine,

A world where women

create peace.


戦争は、子どもや夫が戦いにいくことを女性が認めない限り起こりません。
女たちは、一歩前へ踏み出し、男たちを含むあらゆる人間の産みの親として、
地球とそこに生きるすべてのものたちの世話役として、破壊をやめさせる責任を果たす事ができます。(アメリカ/先住民女性)


第九条【戦争放棄、軍備及び交戦権の否認】

1 日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。

2 前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。


「ノブの日記」のタグをクリックお願いします!!







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この世の地獄!731部隊・南京大虐殺

2009-09-28 07:46:05 | Weblog

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「日の丸」・「君が代」反対!!

新しい日本!!

「世襲の天皇制から選ばれし大統領制へ!」

(昭和天皇の戦争責任を問う。)


●「外国のジャーナリストたちに向かって証拠資料を用いて話すと、彼らはほとんど決まって、なぜ日本政府は731部隊の存在とその蛮行を認めないのか、と筆者にただしてくる。それは筆者自身にとっての疑問でもあるが、多くの場合、次のように答えてきた。敗戦直後、日米合同で731部隊隠しが行われたことが最大の原因である、と。それによって日本は、人体実験や生物兵器使用の事実を歴史の表舞台から下ろすことができた。他方アメリカは、石井のネットワークでの人体実験によるデータを独占することができた。この日米の密約が1986年には破綻したことは第一章で述べたが、おそらく密約がなくても、日本は残念ながら石井機関の蛮行を隠そうとしただろう。それでも日米の密約は、アメリカという共犯者得させることで、犯罪隠しににおいて日本の精神的負担を軽減するという役割を果たしたと言えよう。
 日本の戦争犯罪隠しにおいて、精神的負担軽減のための大きな支柱となったもう1つの存在がある。それは昭和天皇の存在だ。筆者がこれまでに会って話を聞いてきた、石井のネットワークで研究していた医学者たちが異口同音に口にしたのが、「天皇の名誉」という言葉だった。彼らの気持ちの中の論理では、石井のネットワークの研究者たちは天皇のため、あるいは国のために科学研究を行っていた。それゆえ本来なら決して行わない蛮行を、自らに「天皇のため」「国のため」と正当化し、実行した。つまり彼らは、「天皇のために蛮行を行った」と自らを納得させていた。それだから、天皇が、国が認めていない自らの犯罪を語ることは、お上の名誉を傷つけることになるわけだ。
 国を、そして天皇を守るために、日本は敗戦直後の日米の密約にしがみついてきた。その結果として、この日本では、石井のネットワークが行った人体実験や生物戦の犠牲者の発掘調査や補償は何もされていない。おそらくこれは、日本という国の持つ、1つの強固な構造からくる。それは、基本的に個人は国家より下位に位置する、決して対等ではないという構造だ。その結果、平和条約等による他の国家への賠償は行っても、個人に対して補償しないという態度がとられることになる。そのためには、国として過去の犯罪の事実を、またそれについての責任を認めるわけにはいかないのだ。あるいは、この論の順序は逆かもしれない。すなわち、犯罪を、責任を認めたくないから、個人を相手としないということなのかもしれない。
 こんなことを思い始めたのは、昨今の戦時補償問題が一向に進まないという現実からだ。・・・・」
(『731部隊』の“戦後日本”より常石敬一著:講談社現代新書:1995年)

※日本の敗戦直前、天皇は国体護持に執着するあまり、停戦を遅らせてしまった。そのため、日本国内では、原爆をはじめ空襲などによって、多数の死者が出た。
 また、戦後は、占領軍の最高司令官マッカーサーと取引して、天皇制を維持するのに腐心した。
 戦前・戦中と大元帥として大日本帝国に君臨し、戦争を指揮していた最高責任者は、敗戦と同時に、戦争責任をすべて東条はじめ軍部に押し付けてしまった。
 731部隊にも何人かの皇族が行き来し、実際731に係わっていた皇族もいた。東条も足を運び、大元帥昭和天皇も731についての情報は察知していたに違いない。だから、敗戦直前のソ連が参戦するや否や、いち早く証拠隠滅をはかり、逃亡した。これも戦争犯罪がばれると、天皇にとってその責任が問われることになるから。アメリカと密約し、国民の前には戦後731の問題が公表されなかった。密約の存在は1986年に破綻したが、日本政府は常石氏によれば731の存在と蛮行を認めていない。(1995年現在)。現在の政府の見解は私には分からない。
 これも天皇制を守るために。(ノブ)


●731部隊とはどんな部隊であったのだろうか?元731部隊員の告白記を見ていこう。越 定男著(元関東軍第731部隊第3部本部付運輸班員)『日の丸は紅い泪(なみだ)に』(発行所:教育史料出版会)と言う本を見てみたいと思う。

 越定男(こし・さだお)・・・1918年3月長野市に生まれる。
1934年工業高校機械科を卒業。1939年に満州に渡る、第642部隊に入隊。1941年第731部隊(石井部隊)に入隊。以後4年間細菌班をはじめ運輸班などに勤務。1945年8月敗戦により引き揚げ、9月長野に着く。戦後第731部隊員としての経歴を隠しながら苦難の日々を送り、現在に至る。

●私達日本人は、南京大虐殺の「この事実を・・・」を謙虚に読むべきだと思う。
南京でどんなことが起こっていたのかをもっと日本人は知る必要があると思う。
今でも多くの被害者の方々はPTSDに悩んでいる!!


731部隊

『日の丸は紅い泪に』
(越定男著:教育史料出版会)より

Ⅴ 朝日のぼる
梅毒菌と狂犬病菌の開発(赤沢証言)
 そこでは他にいろいろな菌を培養し、保持していた。私の任務は、スピロヘーター(梅毒菌)、トリコモナス、狂犬病菌などを保持することであった。
 スピロヘーターにも4種類あり、私はネズミにつくスピロヘーターを主として扱った。トリコモナスは原虫であり、主として膣にとりつくものを扱っていた。レプラ菌も私たちの班で扱っていて、培養基としては、寒天のほかウシンスキー、ベスレドカという液体が使われ、私は1週間ごとに菌や原虫を植えかえる仕事をしていた。
 当時中国人のマルタには、結核患者が多かったが、こうした患者から、咳痰分離を行ない、硫酸でも死なない結核菌の抗酸性を利用しつつ、新しい強力な結核菌を製造することに成功した。
 また、私は、技師の指導のもとに、ニンニクからオキソレジンという精分を抽出することにも成功した。これは後に、そのパテントを技師が売ってしまったため、戦後「オキソ」と呼ばれる薬品に発展していったものである。(明日に続く)

※直接的な表現にはなってはいないが、梅毒や狂犬病菌・結核菌などの菌を使って、人体実験をしていたのではないか?
 いろいろな菌を使って、人体実験をし、成果を上げていたと思われる。(ノブ)

日本軍細菌戦部隊

日本陸軍軍医学校(東京)
関東軍第731部隊(ハルピン)・・・関東軍各師団防疫給水部
華北方面軍甲1855部隊(北京)・・・華北方面軍各師団防疫給水部
華中方面軍栄1644部隊(南京)・・・華中方面軍各師団防疫給水部
華南方面軍波8604部隊(広州)・・・華南方面軍各師団防疫給水部
南方方面軍岡9420部隊(シンガポール)・・・南方方面軍各師団防疫給水部
関東軍第100部隊(長春)

   
516部隊

   
731部隊

  
  
731部隊は天皇の直接命令によってつくられた。


  
化学兵器CAREみらい基金ブログ

  
大久野島(毒ガス島)

  
中国人戦争被害者の要求を支える会

  
中帰連

  
ハイナンネット
 
  
南京への道:史実を守る会

  
根津公子さんのページ
  

南京大虐殺     

「この事実を・・・・」

(「南京大虐殺」生存者証言集:侵華日軍南京大遇難同胞紀念館/編 加藤 実/訳) (発行:ストーク、発売:星雲社、定価2000+税)

2、日本軍の狂暴な個人的虐殺

父や母の被害

馬忠山(男、69歳)の証言
 抗日戦争の前は、家は中華門外の雨花路98号でした。父と1番上の兄と3番目の兄とはイスラム教の教法師で、2番目の兄は埠頭で仕事をし、私は小さな雑貨店をして生活していました。日本の軍隊がやってくる1が月ほど前に、私は母と3人の姉、1番上の兄、2番目の兄、妹1人とについて、江寧県水荊墅の親戚の家に避難し、家にはただ老いた父の馬明春と、3番目の叔父の馬明慶と3番目の兄の馬忠華が残って留守番をしていただけでした。
 日本軍が入って来てすぐ始めた世にも悲惨な大虐殺は、家があった雨花路で真っ先にやられたのでした。12月14日に、父たちが家でぼんやりしていた所に、突然隣で豆腐屋をしていた寡婦が1人あたふたと走り込んで来て、日本兵が数人で自分を侮辱しようとしたと訴えました。父はすぐ情況が分かり、大急ぎで裏門まで連れて行き、逃してやりました。同時に表門から日本兵が数人どっとやって来て、すさまじい剣幕でたった今逃げて行った女を探し出そうとしました。有無を言わさず内も外も探しまくりましたが、見つかるわけがありません。面目なしでかっとなった日本兵は、父たちが女を逃がしたとみて、怒りをこちらにぶつけて来ました。(明日に続く)
 

※南京での悲惨な虐殺は、残った家族に大きな傷を与えた。今日からは「父や母の被害」について書いていきます。(ノブ)


憲法9条

「Imagine9」【合同出版】より

想像してごらん、

基地をなくして緑と海を

取りもどしていく世界を。


Imagine,

A world that gets rid of 

military bases and reclaims 

the forests and the oceans.



森に抱かれ、海にはぐくまれ、
人とともに生きる北限のジュゴン。
乱獲があり、戦争があり、今わずかに
生き残ったジュゴンのすむこの海に、
また、新しく米軍基地がつくられようとしています。

おばぁは言います。「この海があったから、子どもたちを養い、孫を大学までやる事ができた。
この海は命の海。
この海をこわして、沖縄の明日はないよ・・・・」
(沖縄/女性)
 



第九条【戦争放棄、軍備及び交戦権の否認】

1 日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。

2 前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない


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この世の地獄!731部隊・南京大虐殺

2009-09-27 07:02:18 | Weblog

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「日の丸」・「君が代」反対!!

新しい日本!!

「世襲の天皇制から選ばれし大統領制へ!」

(昭和天皇の戦争責任を問う。)


●「外国のジャーナリストたちに向かって証拠資料を用いて話すと、彼らはほとんど決まって、なぜ日本政府は731部隊の存在とその蛮行を認めないのか、と筆者にただしてくる。それは筆者自身にとっての疑問でもあるが、多くの場合、次のように答えてきた。敗戦直後、日米合同で731部隊隠しが行われたことが最大の原因である、と。それによって日本は、人体実験や生物兵器使用の事実を歴史の表舞台から下ろすことができた。他方アメリカは、石井のネットワークでの人体実験によるデータを独占することができた。この日米の密約が1986年には破綻したことは第一章で述べたが、おそらく密約がなくても、日本は残念ながら石井機関の蛮行を隠そうとしただろう。それでも日米の密約は、アメリカという共犯者得させることで、犯罪隠しににおいて日本の精神的負担を軽減するという役割を果たしたと言えよう。
 日本の戦争犯罪隠しにおいて、精神的負担軽減のための大きな支柱となったもう1つの存在がある。それは昭和天皇の存在だ。筆者がこれまでに会って話を聞いてきた、石井のネットワークで研究していた医学者たちが異口同音に口にしたのが、「天皇の名誉」という言葉だった。彼らの気持ちの中の論理では、石井のネットワークの研究者たちは天皇のため、あるいは国のために科学研究を行っていた。それゆえ本来なら決して行わない蛮行を、自らに「天皇のため」「国のため」と正当化し、実行した。つまり彼らは、「天皇のために蛮行を行った」と自らを納得させていた。それだから、天皇が、国が認めていない自らの犯罪を語ることは、お上の名誉を傷つけることになるわけだ。
 国を、そして天皇を守るために、日本は敗戦直後の日米の密約にしがみついてきた。その結果として、この日本では、石井のネットワークが行った人体実験や生物戦の犠牲者の発掘調査や補償は何もされていない。おそらくこれは、日本という国の持つ、1つの強固な構造からくる。それは、基本的に個人は国家より下位に位置する、決して対等ではないという構造だ。その結果、平和条約等による他の国家への賠償は行っても、個人に対して補償しないという態度がとられることになる。そのためには、国として過去の犯罪の事実を、またそれについての責任を認めるわけにはいかないのだ。あるいは、この論の順序は逆かもしれない。すなわち、犯罪を、責任を認めたくないから、個人を相手としないということなのかもしれない。
 こんなことを思い始めたのは、昨今の戦時補償問題が一向に進まないという現実からだ。・・・・」
(『731部隊』の“戦後日本”より常石敬一著:講談社現代新書:1995年)
※日本の敗戦直前、天皇は国体護持に執着するあまり、停戦を遅らせてしまった。そのため、日本国内では、原爆をはじめ空襲などによって、多数の死者が出た。
 また、戦後は、占領軍の最高司令官マッカーサーと取引して、天皇制を維持するのに腐心した。
 戦前・戦中と大元帥として大日本帝国に君臨し、戦争を指揮していた最高責任者は、敗戦と同時に、戦争責任をすべて東条はじめ軍部に押し付けてしまった。
 731部隊にも何人かの皇族が行き来し、実際731に係わっていた皇族もいた。東条も足を運び、大元帥昭和天皇も731についての情報は察知していたに違いない。だから、敗戦直前のソ連が参戦するや否や、いち早く証拠隠滅をはかり、逃亡した。これも戦争犯罪がばれると、天皇にとってその責任が問われることになるから。アメリカと密約し、国民の前には戦後731の問題が公表されなかった。密約の存在は1986年に破綻したが、日本政府は常石氏によれば731の存在と蛮行を認めていない。(1995年現在)。現在の政府の見解は私には分からない。
 これも天皇制を守るために。(ノブ)



●731部隊とはどんな部隊であったのだろうか?元731部隊員の告白記を見ていこう。越 定男著(元関東軍第731部隊第3部本部付運輸班員)『日の丸は紅い泪(なみだ)に』(発行所:教育史料出版会)と言う本を見てみたいと思う。

 越定男(こし・さだお)・・・1918年3月長野市に生まれる。
1934年工業高校機械科を卒業。1939年に満州に渡る、第642部隊に入隊。1941年第731部隊(石井部隊)に入隊。以後4年間細菌班をはじめ運輸班などに勤務。1945年8月敗戦により引き揚げ、9月長野に着く。戦後第731部隊員としての経歴を隠しながら苦難の日々を送り、現在に至る。

●私達日本人は、南京大虐殺の「この事実を・・・」を謙虚に読むべきだと思う。
南京でどんなことが起こっていたのかをもっと日本人は知る必要があると思う。
今でも多くの被害者の方々はPTSDに悩んでいる!!


731部隊

『日の丸は紅い泪に』
(越定男著:教育史料出版会)より

Ⅴ 朝日のぼる
梅毒菌と狂犬病菌の開発(赤沢証言)
 私は、昭和12年7月勃発の支那事変直後、召集され、編入されたところは北支派遣軍情報部であった。与えられた任務は、測量と謀略であった。私たちは支那服を着て中国人を装い、敵地にまぎれこみ、敵が毒を井戸に投げ込み、退却していったものを、水質検査して標識を掲げたり、敵の数、兵器の種類を調べ、伝令をとばして司令部に報告した。
 1年間つとめた後、軍の属官として司令部に残るようにすすめられたが、公用の荷に資料をつめて、参謀本部へ渡るという任務もあったので内地へ帰った。両親も健在であったので、古里へ帰ることにした。ところが帰ってみると、同年輩の予備役の者はすべて召集されていて、1人も残っていなかった。動員令は徹底しており、秘境といわれる山奥にも、もれなく確実な手をのばしていたのである。ちょうどその頃、関東軍の軍属を募集していた。ここに入れば召集の心配はないからどうだ、と先輩や教官にすすめられ、当時は731の影も知らず、私は軍属に志願した。
 こうして、昭和13年暮から14年にかけて3ヶ月間、東京の牛込の軍医学校で勉強することになった。軍医学校には、関東軍防疫給水部が併設されており、ここに入れられて石井式濾水器の製法、操作などを勉強させられた。
 その後、ハルピン医科大学にある大陸化学院に配属となり、ここから第731部隊、当時の加茂部隊へ廻されたのである。そして私は加茂部隊第1部、菊地少将指揮のもとの二木班に配属になった。二木班は、結核菌を主とした治療を主にしていた班であった。しかし、即効性のない結核菌では化学兵器にはならない。(明日に続く)

※731部隊は、優秀な人材を各地から集めた。教官がすすめたとあるが、これは大学の医学部でも同じであった。教え子に731に行くことをすすめていた。ほとんどの教官はそこで何が行われていたか知っていた。だまされて731に行った者もあるだろう!!このように国・軍・大学・その他の学校等が731をバックアップしていた。(ノブ)


日本軍細菌戦部隊

日本陸軍軍医学校(東京)
関東軍第731部隊(ハルピン)・・・関東軍各師団防疫給水部
華北方面軍甲1855部隊(北京)・・・華北方面軍各師団防疫給水部
華中方面軍栄1644部隊(南京)・・・華中方面軍各師団防疫給水部
華南方面軍波8604部隊(広州)・・・華南方面軍各師団防疫給水部
南方方面軍岡9420部隊(シンガポール)・・・南方方面軍各師団防疫給水部
関東軍第100部隊(長春)

   
516部隊

   
731部隊

  
  
731部隊は天皇の直接命令によってつくられた。


  
化学兵器CAREみらい基金ブログ

  
大久野島(毒ガス島)

  
中国人戦争被害者の要求を支える会

  
中帰連

  
ハイナンネット
 
  
南京への道:史実を守る会

  
根津公子さんのページ
  

南京大虐殺     

「この事実を・・・・」

(「南京大虐殺」生存者証言集:侵華日軍南京大遇難同胞紀念館/編 加藤 実/訳) (発行:ストーク、発売:星雲社、定価2000+税)

2、日本軍の狂暴な個人的虐殺

本人の受けた害

劉松松(男、78歳)の証言
 
 日本軍が南京を占領した時、私は人力車をひくのをなりわいとしていました。1937年の12月15日に、私は日本軍に人夫とされ中華門軍師巷の駐屯地まで捕まって行きましたが、その中に2人捕まって来ていたのが、働けないために、日本兵になぐられ頭が割れ血が流れていました。日本軍は私に車をひかせて江寧の秣陵関へ行かせようとし、ちょうど冬で雪が降っていたのですが、私に裸足のまま背嚢の弾を引きずって行かせようとしました。中華門から道々数え切れないほどの死体が路上に横たわっていて、それは歩きにくかったです。車輪が時々死体の上にかかってしまい、ほんとに見るに忍びないすさまじさでした。その中で1人80歳くらいのお年寄りが日本軍に地に突っつき倒されるのが見えました。臘月20何日かに、私が秣陵関から戻って来た時、路上の死体の中に白衣庵の陳小二と楊武とが見えましたが、2人とも罪無くして日本軍に殺害されたもので、この2人の屍は馬巷口の太平缶の中にあります。鴿子橋でも、無数の死体が通りに横たわっていました。それに私はこの眼で見たのですが、鼓楼の頭条巷に大きな死人坑が12あって、埋まっているのはみんな日本軍に殺害された中国人なのです。(沈崇峰と王佩如が記録) 
 

※南京での悲惨な虐殺の光景が浮かび上がってくる。
 日本政府は南京大虐殺の事実は認めている。虐殺数についてはいろいろな説があるが。
 海外で作られた「南京大虐殺」に関連する映画を日本で上映しようとすると、右翼はすぐに妨害する事態となる。もっと冷静にこの問題を考えられないかとも思う。
 海外で作られた「南京大虐殺」の映画をせめて見られるような状況にならないものか?
 議論がいろいろと深まると思うが!!(ノブ)




憲法9条

「Imagine9」【合同出版】より

想像してごらん、

武器を使わせない世界を。

Imagine,

A world that doesn’t

let weapons be used.



 憲法9条はどんな軍隊より、どんな核兵器よりも大きな力をもっています。なぜなら、核兵器はけっして平和をもたらさないからです。
それはこれまでの歴史が証明しています。
 核兵器はこれまでに何十万人もの人々の命を奪い、国を破壊してきましたが、世界はまだ暴力と戦争だらけです。(アメリカ/男性 )




第九条【戦争放棄、軍備及び交戦権の否認】

1 日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。

2 前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。


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この世の地獄!731部隊・南京大虐殺

2009-09-26 08:38:24 | Weblog

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新しい日本!!

「世襲の天皇制から選ばれし大統領制へ!」

(昭和天皇の戦争責任を問う。)


●「外国のジャーナリストたちに向かって証拠資料を用いて話すと、彼らはほとんど決まって、なぜ日本政府は731部隊の存在とその蛮行を認めないのか、と筆者にただしてくる。それは筆者自身にとっての疑問でもあるが、多くの場合、次のように答えてきた。敗戦直後、日米合同で731部隊隠しが行われたことが最大の原因である、と。それによって日本は、人体実験や生物兵器使用の事実を歴史の表舞台から下ろすことができた。他方アメリカは、石井のネットワークでの人体実験によるデータを独占することができた。この日米の密約が1986年には破綻したことは第一章で述べたが、おそらく密約がなくても、日本は残念ながら石井機関の蛮行を隠そうとしただろう。それでも日米の密約は、アメリカという共犯者得させることで、犯罪隠しににおいて日本の精神的負担を軽減するという役割を果たしたと言えよう。
 日本の戦争犯罪隠しにおいて、精神的負担軽減のための大きな支柱となったもう1つの存在がある。それは昭和天皇の存在だ。筆者がこれまでに会って話を聞いてきた、石井のネットワークで研究していた医学者たちが異口同音に口にしたのが、「天皇の名誉」という言葉だった。彼らの気持ちの中の論理では、石井のネットワークの研究者たちは天皇のため、あるいは国のために科学研究を行っていた。それゆえ本来なら決して行わない蛮行を、自らに「天皇のため」「国のため」と正当化し、実行した。つまり彼らは、「天皇のために蛮行を行った」と自らを納得させていた。それだから、天皇が、国が認めていない自らの犯罪を語ることは、お上の名誉を傷つけることになるわけだ。
 国を、そして天皇を守るために、日本は敗戦直後の日米の密約にしがみついてきた。その結果として、この日本では、石井のネットワークが行った人体実験や生物戦の犠牲者の発掘調査や補償は何もされていない。おそらくこれは、日本という国の持つ、1つの強固な構造からくる。それは、基本的に個人は国家より下位に位置する、決して対等ではないという構造だ。その結果、平和条約等による他の国家への賠償は行っても、個人に対して補償しないという態度がとられることになる。そのためには、国として過去の犯罪の事実を、またそれについての責任を認めるわけにはいかないのだ。あるいは、この論の順序は逆かもしれない。すなわち、犯罪を、責任を認めたくないから、個人を相手としないということなのかもしれない。
 こんなことを思い始めたのは、昨今の戦時補償問題が一向に進まないという現実からだ。・・・・」
(『731部隊』の“戦後日本”より常石敬一著:講談社現代新書:1995年)
※日本の敗戦直前、天皇は国体護持に執着するあまり、停戦を遅らせてしまった。そのため、日本国内では、原爆をはじめ空襲などによって、多数の死者が出た。
 また、戦後は、占領軍の最高司令官マッカーサーと取引して、天皇制を維持するのに腐心した。
 戦前・戦中と大元帥として大日本帝国に君臨し、戦争を指揮していた最高責任者は、敗戦と同時に、戦争責任をすべて東条はじめ軍部に押し付けてしまった。
 731部隊にも何人かの皇族が行き来し、実際731に係わっていた皇族もいた。東条も足を運び、大元帥昭和天皇も731についての情報は察知していたに違いない。だから、敗戦直前のソ連が参戦するや否や、いち早く証拠隠滅をはかり、逃亡した。これも戦争犯罪がばれると、天皇にとってその責任が問われることになるから。アメリカと密約し、国民の前には戦後731の問題が公表されなかった。密約の存在は1986年に破綻したが、日本政府は常石氏によれば731の存在と蛮行を認めていない。(1995年現在)。現在の政府の見解は私には分からない。
 これも天皇制を守るために。(ノブ)



●731部隊とはどんな部隊であったのだろうか?元731部隊員の告白記を見ていこう。越 定男著(元関東軍第731部隊第3部本部付運輸班員)『日の丸は紅い泪(なみだ)に』(発行所:教育史料出版会)と言う本を見てみたいと思う。

 越定男(こし・さだお)・・・1918年3月長野市に生まれる。
1934年工業高校機械科を卒業。1939年に満州に渡る、第642部隊に入隊。1941年第731部隊(石井部隊)に入隊。以後4年間細菌班をはじめ運輸班などに勤務。1945年8月敗戦により引き揚げ、9月長野に着く。戦後第731部隊員としての経歴を隠しながら苦難の日々を送り、現在に至る。

●私達日本人は、南京大虐殺の「この事実を・・・」を謙虚に読むべきだと思う。
南京でどんなことが起こっていたのかをもっと日本人は知る必要があると思う。
今でも多くの被害者の方々はPTSDに悩んでいる!!


731部隊

『日の丸は紅い泪に』
(越定男著:教育史料出版会)より

Ⅴ 朝日のぼる
梅毒菌と狂犬病菌の開発(A証言)
 私は次に、信州の山奥に住む、元731部隊病理班出身のAさんを訪ねた。
 Aさんは奥さんに先立たれて、子どもは都会へ出て、今独りで暮らしているのに、家の中はきれいに片付いていた。「軍隊生活のおかげで、こういうことには慣れているだに」と言って2,3の手作りの料理もつくってくれた。老人の孤独感はあまり感じられなかった。 
 4年間も解剖に当り、一時はとことん病理研究をきわめてやろうと決意したAさんである。Aさんの助手をつとめた者は、今、大病院の院長であるとのことであった。
 Aさんはなぜ、医者の道を進まなかったのだろうか。Aさんが信州の秘境の古里に残り、こつこつと父祖伝来の山林や畑を守り抜いて来た背景には、やはり重苦しい731部隊の癒しがたい記憶があったのではなかろうか。今農業という自然の恵みの中での生活が、Aさんの心を休めてきたのではないだろうか。
 以下、Aさんは語る。(明日に続く)

※731の隊員のみならず軍隊に出征した人でも良心の呵責に悩んだ人は多いと思う。軍隊生活の残虐性に耐えられないで自殺した人もいただろう。片や、軍隊生活の残虐性を戦争だったから仕方がないと割り切って、戦後臆面もなく世間の表社会で活躍した人もいた。
 731の上級の隊員たちの大部分は医学界や製薬会社、研究所で臆面もなく活躍したことには全く驚く!!
 また、隊員全員は①731の軍歴を隠せ②一切の公職につくべからず③隊員相互の連絡を禁ずー以上3か条の命令を受けた。
 下級隊員は、戦後731の戦犯の免責になったことも知らず、③以外を遵守し、なかなか適当な職業につけなかったし、軍人恩給も申請しない人が多かった。中には、家庭内がめちゃくちゃになった例もあったし、また、枕元にマルタの亡霊が出て、うなされた人もいた。(ノブ)

日本軍細菌戦部隊

日本陸軍軍医学校(東京)
関東軍第731部隊(ハルピン)・・・関東軍各師団防疫給水部
華北方面軍甲1855部隊(北京)・・・華北方面軍各師団防疫給水部
華中方面軍栄1644部隊(南京)・・・華中方面軍各師団防疫給水部
華南方面軍波8604部隊(広州)・・・華南方面軍各師団防疫給水部
南方方面軍岡9420部隊(シンガポール)・・・南方方面軍各師団防疫給水部
関東軍第100部隊(長春)

   
516部隊

   
731部隊

  
  
731部隊は天皇の直接命令によってつくられた。


  
化学兵器CAREみらい基金ブログ

  
大久野島(毒ガス島)

  
中国人戦争被害者の要求を支える会

  
中帰連

  
ハイナンネット
 
  
南京への道:史実を守る会

  
根津公子さんのページ
  

南京大虐殺     

「この事実を・・・・」

(「南京大虐殺」生存者証言集:侵華日軍南京大遇難同胞紀念館/編 加藤 実/訳) (発行:ストーク、発売:星雲社、定価2000+税)

2、日本軍の狂暴な個人的虐殺

本人の受けた害

熊華福(男、68歳)の証言
 
 1938年の3月に、中華門を入って来た時、脱帽しなかったため、城門をまもっていた日本兵に、こん棒で頭を何回もむごくなぐられ、頭の右側に口が1つ開き、鮮血がほとばしり出ましたが、日本兵はなぐりつけた後やっと私を放って城門を入らせました。(高学奎が記録)

※日本軍の暴力によって傷ついた人もたくさんいただろう!!(ノブ)

憲法9条

「Imagine9」【合同出版】より

想像してごらん、

おたがいに戦争しないと

約束した世界を。

Imagine,

A world that promises

not to fight wars with each other.


戦争して平和を取り戻すんだという意見があります。
でも、イラクを見てください。ブッシュ大統領はサダム・フセインを倒すといって実行しましたが、平和にすることはできませんでした。戦争が起きると、もっと多くの人が犠牲になるだけなのです。暴力や武力では平和はつくれないことを、今のイラクは証明しています。(ケニア/男性)


第九条【戦争放棄、軍備及び交戦権の否認】

1 日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。

2 前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。


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この世の

2009-09-25 11:18:15 | Weblog

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新しい日本!!

「世襲の天皇制から選ばれし大統領制へ!」

(昭和天皇の戦争責任を問う。)


●「外国のジャーナリストたちに向かって証拠資料を用いて話すと、彼らはほとんど決まって、なぜ日本政府は731部隊の存在とその蛮行を認めないのか、と筆者にただしてくる。それは筆者自身にとっての疑問でもあるが、多くの場合、次のように答えてきた。敗戦直後、日米合同で731部隊隠しが行われたことが最大の原因である、と。それによって日本は、人体実験や生物兵器使用の事実を歴史の表舞台から下ろすことができた。他方アメリカは、石井のネットワークでの人体実験によるデータを独占することができた。この日米の密約が1986年には破綻したことは第一章で述べたが、おそらく密約がなくても、日本は残念ながら石井機関の蛮行を隠そうとしただろう。それでも日米の密約は、アメリカという共犯者得させることで、犯罪隠しににおいて日本の精神的負担を軽減するという役割を果たしたと言えよう。
 日本の戦争犯罪隠しにおいて、精神的負担軽減のための大きな支柱となったもう1つの存在がある。それは昭和天皇の存在だ。筆者がこれまでに会って話を聞いてきた、石井のネットワークで研究していた医学者たちが異口同音に口にしたのが、「天皇の名誉」という言葉だった。彼らの気持ちの中の論理では、石井のネットワークの研究者たちは天皇のため、あるいは国のために科学研究を行っていた。それゆえ本来なら決して行わない蛮行を、自らに「天皇のため」「国のため」と正当化し、実行した。つまり彼らは、「天皇のために蛮行を行った」と自らを納得させていた。それだから、天皇が、国が認めていない自らの犯罪を語ることは、お上の名誉を傷つけることになるわけだ。
 国を、そして天皇を守るために、日本は敗戦直後の日米の密約にしがみついてきた。その結果として、この日本では、石井のネットワークが行った人体実験や生物戦の犠牲者の発掘調査や補償は何もされていない。おそらくこれは、日本という国の持つ、1つの強固な構造からくる。それは、基本的に個人は国家より下位に位置する、決して対等ではないという構造だ。その結果、平和条約等による他の国家への賠償は行っても、個人に対して補償しないという態度がとられることになる。そのためには、国として過去の犯罪の事実を、またそれについての責任を認めるわけにはいかないのだ。あるいは、この論の順序は逆かもしれない。すなわち、犯罪を、責任を認めたくないから、個人を相手としないということなのかもしれない。
 こんなことを思い始めたのは、昨今の戦時補償問題が一向に進まないという現実からだ。・・・・」
(『731部隊』の“戦後日本”より常石敬一著:講談社現代新書:1995年)
※日本の敗戦直前、天皇は国体護持に執着するあまり、停戦を遅らせてしまった。そのため、日本国内では、原爆をはじめ空襲などによって、多数の死者が出た。
 また、戦後は、占領軍の最高司令官マッカーサーと取引して、天皇制を維持するのに腐心した。
 戦前・戦中と大元帥として大日本帝国に君臨し、戦争を指揮していた最高責任者は、敗戦と同時に、戦争責任をすべて東条はじめ軍部に押し付けてしまった。
 731部隊にも何人かの皇族が行き来し、実際731に係わっていた皇族もいた。東条も足を運び、大元帥昭和天皇も731についての情報は察知していたに違いない。だから、敗戦直前のソ連が参戦するや否や、いち早く証拠隠滅をはかり、逃亡した。これも戦争犯罪がばれると、天皇にとってその責任が問われることになるから。アメリカと密約し、国民の前には戦後731の問題が公表されなかった。密約の存在は1986年に破綻したが、日本政府は常石氏によれば731の存在と蛮行を認めていない。(1995年現在)。現在の政府の見解は私には分からない。ただ今問い合わせ中!
 これも天皇制を守るために。(ノブ)



●731部隊とはどんな部隊であったのだろうか?元731部隊員の告白記を見ていこう。越 定男著(元関東軍第731部隊第3部本部付運輸班員)『日の丸は紅い泪(なみだ)に』(発行所:教育史料出版会)と言う本を見てみたいと思う。

 越定男(こし・さだお)・・・1918年3月長野市に生まれる。
1934年工業高校機械科を卒業。1939年に満州に渡る、第642部隊に入隊。1941年第731部隊(石井部隊)に入隊。以後4年間細菌班をはじめ運輸班などに勤務。1945年8月敗戦により引き揚げ、9月長野に着く。戦後第731部隊員としての経歴を隠しながら苦難の日々を送り、現在に至る。

●私達日本人は、南京大虐殺の「この事実を・・・」を謙虚に読むべきだと思う。
南京でどんなことが起こっていたのかをもっと日本人は知る必要があると思う。
今でも多くの被害者の方々はPTSDに悩んでいる!!


731部隊

『日の丸は紅い泪に』
(越定男著:教育史料出版会)より

Ⅴ 朝日のぼる
ロ号棟の中(T.K証言)
  ロ号棟マルタ小屋こそ秘密の極点であり、これへの出入りは厳重を極めた。もちろん内部の写真は禁じられていたし、大体731部隊へ入るには、身分証明書を衛兵所に出さねばならないが、ロ号棟へ入るには、写真づきの特別証明書を警備班に提示しなければならなかった。
 私はもちろん、予防注射を受けて細菌製造にかかっていたのだが、免疫にならないうちに、乳鉢攪拌か何かの時に生菌を吸収してしまい、自らチブス菌に冒されてしまったことがあった。40度の高い熱が1週間続き、意識不明に陥ってしまった。気が付いたときは、南棟療養所のベッドの上にいた。1ヶ月ほど経て、原隊に戻ってみると、南方へ防疫給水部員として派遣を命じられた。しかし、有田少佐がまだ病み上がりで、南方派遣に耐えられないと上層部にかけ合ってくれて、行かないですんだ。
 もし、あのまま命令通り南方に派遣されていたら、再び帰ってくることはできなかったと思う。
 あの時、南方の防疫給水部に派遣された兵士はすべて戦死している。
 発疹チブスワクチンの大量生産の厳命が下りたのは、昭和20年3月頃であったと思う。軍属の細君たちが、24,5人も駆り出されて、梱包、皿洗い、レッテル貼りに使われた。各部隊からの請求はひっきりなしで、私は1ヶ月に2度くらいの率で、ワクチンを荷造りし、少年隊にかつがせて各部隊を廻り、用法、免疫の発熱の処理など、こまごまとした指導をして歩いた。
 私は、戦争がいよいよ最後の段階を迎えていることを察知した。日ソ戦争間近しを読み取った。戦闘状態に入れば不潔になる。それに備えて軍は予防注射を急いでいたのであった。(明日に続く)

※ロ号棟の特設監獄(マルタ小屋)に入るのが厳しかったことが分かる。731部隊とは、日本最精鋭の関東軍の極秘部隊であり世界最大規模の細菌戦部隊で、中で人体実験が行なわれ細菌兵器・生物兵器の開発が進められていたのだから。
 細菌戦の実施研究をもっぱらとする731は、部隊の性格上、毎年多数の伝染病患者を出していた。 ハルピン市・浜江(ひんこう)駅付近に通称「南棟」と呼ばれた病院があった。そこは731の専属の病院であった。伝染病に罹患した隊員はここで療養した。
 余談になるが、1945年の部隊の撤退の時にはここに収容されていた40人余りの日本人隊員は、軍医の指示によって、散薬が配られた。
 【「これを飲んで・・・ぐっすり眠るようにね」。看護婦たちは1人1人の「保菌者」に声をかけた。散薬は青酸カリであった。】(「悪魔」と「人」の間】(下里正樹著:日本機関紙出版センター)
 撤退時、保菌者で列車に乗ることが出来なかった者も、マルタ全員も殺された。
 また、敗戦前に予防接種を急いでいたということは、中国で大規模な細菌戦を実行しようとしていたのではないか?
 南方の防疫給水部とはシンガポールにあった。(ノブ)

日本軍細菌戦部隊

日本陸軍軍医学校(東京)
関東軍第731部隊(ハルピン)・・・関東軍各師団防疫給水部
華北方面軍甲1855部隊(北京)・・・華北方面軍各師団防疫給水部
華中方面軍栄1644部隊(南京)・・・華中方面軍各師団防疫給水部
華南方面軍波8604部隊(広州)・・・華南方面軍各師団防疫給水部
南方方面軍岡9420部隊(シンガポール)・・・南方方面軍各師団防疫給水部
関東軍第100部隊(長春)

   
516部隊

   
731部隊

  
  
731部隊は天皇の直接命令によってつくられた。


  
化学兵器CAREみらい基金ブログ

  
大久野島(毒ガス島)

  
中国人戦争被害者の要求を支える会

  
中帰連

  
ハイナンネット
 
  
南京への道:史実を守る会

  
根津公子さんのページ
  

南京大虐殺     

「この事実を・・・・」

(「南京大虐殺」生存者証言集:侵華日軍南京大遇難同胞紀念館/編 加藤 実/訳) (発行:ストーク、発売:星雲社、定価2000+税)

2、日本軍の狂暴な個人的虐殺

本人の受けた害

陶玉如(女、66歳)の証言

1937年の冬に、夜が明けたばかりの頃、私と伯父といとこの娘と夫の兄の王家全との4人で、一緒に米などの品物をかついで難民区まで行くつもりでした。高家酒館(今の沈挙人巷)まで来たら、日本軍の飛行機が爆弾を落とし、伯父といとこの娘と夫の兄はみんな爆死してしまい、爆弾の破片が1つ私の頭に飛んできて鮮血がほとばしりましたが、やがて金陵女子大学のヴォートリンさんに鼓楼医院へ連れて行かれて直してもらい、12日して帰って来ました。今私は頭のてっぺんに深い傷が1つあり、しょっちゅう激痛が走ります。その時爆死した人はたくさんで、ある人の頭は破裂してぐしゃぐしゃになり、ある人の太ももはちぎれてすっ飛んでいました。難民区で、夫が日本軍に捕まって行き苦役をさせられましたが、後に放たれて戻って来ました。(王瑞屏と魏福仲が記録)

 
※日本軍は中国の諸都市を空爆していた。アメリカ軍による日本に対しての空襲の悲惨さはよく耳にするが、中国では日本軍による空襲で多くの人々が亡くなっていた。また、中国人をクーリーとして苦役に従事させていたことも見逃せない!!(ノブ)

憲法9条

「Imagine9」【合同出版】より

想像してごらん、

武器をつくったり

売ったりしない世界を。


Imagine,

A world that doesn't

make or sell weapons.


紛争が続くアフリカでは、子どもたちまで武器を持ち、命を落としています。
その武器はヨーロッパやアメリカから売りつけられています。
アフリカの私たちは、殺しあう必要もないのに買わされているのです。
 だから、9条はアフリカにこそ必要だと思います。
9条があれば、これ以上アフリカに武器を持ち込ませないようにできるのです。(ケニア/男性)



第九条【戦争放棄、軍備及び交戦権の否認】

1 日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。

2 前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。


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この世の地獄!731部隊・南京大虐殺

2009-09-24 06:43:01 | Weblog

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「日の丸」・「君が代」反対!!

新しい日本!!

「世襲の天皇制から選ばれし大統領制へ!」

(昭和天皇の戦争責任を問う。)


●731部隊とはどんな部隊であったのだろうか?元731部隊員の告白記を見ていこう。越 定男著(元関東軍第731部隊第3部本部付運輸班員)『日の丸は紅い泪(なみだ)に』(発行所:教育史料出版会)と言う本を見てみたいと思う。

 越定男(こし・さだお)・・・1918年3月長野市に生まれる。
1934年工業高校機械科を卒業。1939年に満州に渡る、第642部隊に入隊。1941年第731部隊(石井部隊)に入隊。以後4年間細菌班をはじめ運輸班などに勤務。1945年8月敗戦により引き揚げ、9月長野に着く。戦後第731部隊員としての経歴を隠しながら苦難の日々を送り、現在に至る。

●私達日本人は、南京大虐殺の「この事実を・・・」を謙虚に読むべきだと思う。
南京でどんなことが起こっていたのかをもっと日本人は知る必要があると思う。
今でも多くの被害者の方々はPTSDに悩んでいる!!


731部隊

『日の丸は紅い泪に』
(越定男著:教育史料出版会)より

Ⅴ 朝日のぼる
※記事が前後してしてすみません!!掲載をするのを忘れていました!あしからず!!

発疹チブス専門班(T.K証言)
 私は昭和18年3月、軍の命令で、北支から第731部隊へ転属になった。軍属雇員であった越さんとは違い、現役の伍長として赴任したのである。
 まず、ハルピンの南棟の事務室で手続きをとり、迎えに来たトラックに乗って731入り、北支から11人の移動であった。私たちは衛生兵であったので、胸に深緑の印をつけていたが、係の人が「その印は外せ」と厳しい眼でいった。その時私は、これは何かあるなと直感した。
 731部隊の他にも、北支、南支など、幾つかの所に防疫給水部は設けられていた。その名の通り病気、特に伝染病の予防、中国の硬水を軟水にする仕事。そして検便、消毒などに当たっていたが、それは表看板で、細菌戦に関する作戦も知っていたので、その関東軍防疫給水部本部第731部隊の仕事内容は、おおむね察知していた。
 しかし事実は想像を超えるものがあった。入隊と同時に2週間、教育部で防諜教育、つまり、スパイ防止機密保持の特別教育を受けた。同時に、部隊業務の内容について説明を受け、その後テストをされた。その結果、北支から移ってきた11名の衛生兵のうち、6名はハイラル、孫呉、林口、牡丹江などに配属され、5名は731部隊に残った。
 私は、731の第4部細菌製造太田大佐指揮のうち、有田少佐の班に入った。有田班は発疹チブス専門であった。有田班の構成は有田課長、専任の曹長1人、技手1人、あとは軍属雇員で30名ぐらいの編成であった。(明日に続く)

※731の活動が活発になるにつれて、いろいろな所から人を集めている様子が分かる。ここで注目すべきは秘密裏に行なわれていた細菌戦の内容が、同じ中国で戦っていた他の部隊でもうすうす知っていたと言うことである。いろいろ類推すれば、731の建物を建てた建設会社、ボイラーを納めた会社などもうすうす何が行なわていたのか知っていたのではないか?戦後みんな口を閉ざしてしまった。
と言うか箝口令(かんこうれい)が出されていたのだろう。
 皇族であった竹田宮は、関東軍の首席主計官として、細菌戦の関連施設に割り当てられるお金を扱い、また、平房や他の支部施設を訪問する許可を与えるかどうかを決定する権限を持っていた。三笠宮をはじめとする皇族の人々も、首相で陸軍大将であった東条英樹も何回か施設に来ている。これらのことから、もちろんその報告は大元帥であった、昭和天皇の耳にも入っているはずである。
 731部隊は当時世界最大の、また、世界最新鋭の細菌戦部隊で総勢が2600人にのぼらんとする施設だった。
 (厚生省の調査記録では1945年1月1日現在で、将校133名、準士官、下士官、兵=1152名、文官=265名、雇員、庸人=1996名、嘱託=13名、計3559名・・・現地で雇用した中国人農民や臨時雇用の形で勤務した隊員家族を含む数字であろうか。)【〈悪魔の飽食〉ノート】:森村誠一著:晩聲社】
 戦後、石井隊長をはじめ上層部は、いち早く米軍と取引をして戦犯訴追をまぬかれていたのであった。と言うより、占領統治のため最高司令官マッカーサーは昭和天皇の力を借りたかった。
GHQが日本軍の戦争犯罪をいろいろ調べていくうちに731部隊の存在に突き当たった。
時間がたつに連れて、ソ連がその問題で騒ぎ出した。
 そこで石井隊長をはじめ上層部は細菌戦データをアメリカ側に引き渡すことと交換に、GHQに対して自らの戦犯免責を求めた。アメリカは、細菌戦データに25万円支払い、それを本国に持ち帰り、利用した。
 また、一方で、GHQは731と大元帥天皇との係わりを意識して、日本にとって都合の悪い資料、細菌戦データは全部米軍が買い取って、極東裁判では全く日本国民の耳に入らないようにして、天皇を戦犯免責にしたのではないか?(ノブ)

日本軍細菌戦部隊

日本陸軍軍医学校(東京)
関東軍第731部隊(ハルピン)・・・関東軍各師団防疫給水部
華北方面軍甲1855部隊(北京)・・・華北方面軍各師団防疫給水部
華中方面軍栄1644部隊(南京)・・・華中方面軍各師団防疫給水部
華南方面軍波8604部隊(広州)・・・華南方面軍各師団防疫給水部
南方方面軍岡9420部隊(シンガポール)・・・南方方面軍各師団防疫給水部
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516部隊

   
731部隊

  
  
731部隊は天皇の直接命令によってつくられた。


  
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中帰連

  
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南京大虐殺     

「この事実を・・・・」

(「南京大虐殺」生存者証言集:侵華日軍南京大遇難同胞紀念館/編 加藤 実/訳) (発行:ストーク、発売:星雲社、定価2000+税)

2、日本軍の狂暴な個人的虐殺

本人の受けた害

李広炎(男、71歳)の証言

 家は今の柚荘隊で、1937年の12月(農暦臘月)に、私たち家中で家の事をやっていたら、突然日本軍が2人捜査しに家に来て、何も得るところがなく行ってしまいました。出て行って何歩もしないで、家で飼っていた犬が1匹見知らぬ奴と見て、その日本軍に吠え掛かって行きズボンに噛み付いたので、日本軍は主人に八つ当たりし、私を捕まえることになったのですが、その時私は25歳でした。彼らは銃の狙いを私につけ、右手が引き金にかかり、弾が真ん中にこめられていました。これはまずいと見て、かかって行き銃をつかんで下へひっくり返しましたが、弾は出ないで、やがて日本軍は私を連行し、今の三宮隊の大きな土手まで来ましたが、上の娘の李秀英と姪の李秀珍とが道々ずっと泣き止まず、日本軍は子ども2人が後ろをずっと追って来るのを見て、私を放ったのでした。

 
※詳しい様子がよく分からないが、よく助かったと思う。日本軍に逆らえば、その場で銃の弾が出なければ、銃剣とか日本刀で殺された場合もあっただろう。よく子どもも助かったとおもう。(ノブ)

憲法9条

「Imagine9」【合同出版】より

はじめに


 戦争のない世界なんて、夢ものがたりでしょうか。
いいえ。戦争は、人がつくり出すものです。だから、人は、戦争のない世界をつくり出すこともできるのです。
 世界の人たちは、長い歴史の中で、戦争のない世界をつくるために、がんがえ、行動してきました。
戦争で傷つき、苦しんできたからこそ、もうこんなことはくりかえしてはならないとかんがえたのです。
 日本は憲法9条で「戦争はもうしない。だから軍隊はもたない」と決めました。世界の多くの人たちは今、「自分たちも」と9条をえらび始めています。
 それなのに、私たち日本に生きる者が見失ってはいけません。9条を失うことは、日本だけでなく、世界にとっての損失だからです。
 世界中の国が憲法9条をもったらどんな世界になるでしょう。この本ではそのことを想像してみてください。



第九条【戦争放棄、軍備及び交戦権の否認】

1 日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。

2 前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。


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この世の地獄!731部隊・南京大虐殺

2009-09-23 18:42:11 | Weblog

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「日の丸」・「君が代」反対!!

新しい日本!!

「世襲の天皇制から選ばれし大統領制へ!」

(昭和天皇の戦争責任を問う。)


●「外国のジャーナリストたちに向かって証拠資料を用いて話すと、彼らはほとんど決まって、なぜ日本政府は731部隊の存在とその蛮行を認めないのか、と筆者にただしてくる。それは筆者自身にとっての疑問でもあるが、多くの場合、次のように答えてきた。敗戦直後、日米合同で731部隊隠しが行われたことが最大の原因である、と。それによって日本は、人体実験や生物兵器使用の事実を歴史の表舞台から下ろすことができた。他方アメリカは、石井のネットワークでの人体実験によるデータを独占することができた。この日米の密約が1986年には破綻したことは第一章で述べたが、おそらく密約がなくても、日本は残念ながら石井機関の蛮行を隠そうとしただろう。それでも日米の密約は、アメリカという共犯者得させることで、犯罪隠しににおいて日本の精神的負担を軽減するという役割を果たしたと言えよう。
 日本の戦争犯罪隠しにおいて、精神的負担軽減のための大きな支柱となったもう1つの存在がある。それは昭和天皇の存在だ。筆者がこれまでに会って話を聞いてきた、石井のネットワークで研究していた医学者たちが異口同音に口にしたのが、「天皇の名誉」という言葉だった。彼らの気持ちの中の論理では、石井のネットワークの研究者たちは天皇のため、あるいは国のために科学研究を行っていた。それゆえ本来なら決して行わない蛮行を、自らに「天皇のため」「国のため」と正当化し、実行した。つまり彼らは、「天皇のために蛮行を行った」と自らを納得させていた。それだから、天皇が、国が認めていない自らの犯罪を語ることは、お上の名誉を傷つけることになるわけだ。
 国を、そして天皇を守るために、日本は敗戦直後の日米の密約にしがみついてきた。その結果として、この日本では、石井のネットワークが行った人体実験や生物戦の犠牲者の発掘調査や補償は何もされていない。おそらくこれは、日本という国の持つ、1つの強固な構造からくる。それは、基本的に個人は国家より下位に位置する、決して対等ではないという構造だ。その結果、平和条約等による他の国家への賠償は行っても、個人に対して補償しないという態度がとられることになる。そのためには、国として過去の犯罪の事実を、またそれについての責任を認めるわけにはいかないのだ。あるいは、この論の順序は逆かもしれない。すなわち、犯罪を、責任を認めたくないから、個人を相手としないということなのかもしれない。
 こんなことを思い始めたのは、昨今の戦時補償問題が一向に進まないという現実からだ。・・・・」
(『731部隊』の“戦後日本”より常石敬一著:講談社現代新書:1995年)
※日本の敗戦直前、天皇は国体護持に執着するあまり、停戦を遅らせてしまった。そのため、日本国内では、原爆をはじめ空襲などによって、多数の死者が出た。
 また、戦後は、占領軍の最高司令官マッカーサーと取引して、天皇制を維持するのに腐心した。
 戦前・戦中と大元帥として大日本帝国に君臨し、戦争を指揮していた最高責任者は、敗戦と同時に、戦争責任をすべて東条はじめ軍部に押し付けてしまった。
 731部隊にも何人かの皇族が行き来し、実際731に係わっていた皇族もいた。東条も足を運び、大元帥昭和天皇も731についての情報は察知していたに違いない。だから、敗戦直前のソ連が参戦するや否や、いち早く証拠隠滅をはかり、逃亡した。これも戦争犯罪がばれると、天皇にとってその責任が問われることになるから。アメリカと密約し、国民の前には戦後731の問題が公表されなかった。密約の存在は1986年に破綻したが、日本政府は常石氏によれば731の存在と蛮行を認めていない。(1995年現在)。現在の政府の見解は私には分からない。
 これも天皇制を守るために。(ノブ)



●731部隊とはどんな部隊であったのだろうか?元731部隊員の告白記を見ていこう。越 定男著(元関東軍第731部隊第3部本部付運輸班員)『日の丸は紅い泪(なみだ)に』(発行所:教育史料出版会)と言う本を見てみたいと思う。

 越定男(こし・さだお)・・・1918年3月長野市に生まれる。
1934年工業高校機械科を卒業。1939年に満州に渡る、第642部隊に入隊。1941年第731部隊(石井部隊)に入隊。以後4年間細菌班をはじめ運輸班などに勤務。1945年8月敗戦により引き揚げ、9月長野に着く。戦後第731部隊員としての経歴を隠しながら苦難の日々を送り、現在に至る。

●私達日本人は、南京大虐殺の「この事実を・・・」を謙虚に読むべきだと思う。
南京でどんなことが起こっていたのかをもっと日本人は知る必要があると思う。
今でも多くの被害者の方々はPTSDに悩んでいる!!


731部隊

『日の丸は紅い泪に』
(越定男著:教育史料出版会)より

Ⅴ 朝日のぼる
ロ号棟の中(T.K証言)
 T.Kさんの証言は続く。

ある時、私が手を取ると、あとの2人が逆に私の手をつかみ、中に引っ張り入れようとした。私はその時ばかりはぞっとして冷汗をかいた。もちろん、特別班員の威嚇で、すぐ手を離したが、あの時の驚きは今も忘れることができない。一般的にはマルタは、足錠をかけられていて観念しており、トロンとした眼でこちらのなすままにしている方が多かった。なかには、特別班がいないのを目ざとく見つけて「タイジン、エンタ、シンジョ」(煙草をくれ)という中国人もいた。私は、軍用煙草「誉」に火をつけて、内緒で1本差し入れてやった。うれしそうにしていたが、その時はマルタであることを忘れて、「同じ人間でありながら・・・・」とふとあわれに思ったものである。
 マルタを書類上で見ると、多くが「スパイ容疑」で、あとは「殺人」「盗難」などとそれぞれ罪状が書き込んであった。しかし、誰もそれを文字通り信ずる者はなかった。特務機関、憲兵の手でどうにでもなるのだから。今考えると、真の愛国者や善良な市民であったのかもしれない。
 生体実験で絶命したのは、すぐに解剖に廻した。私の班では、生体解剖はなかったが、しかし生き残った者は、次々により強度な細菌の実験材料にされて、結局はすべて殺されてしまったのである。
 言葉が通じて重宝に使われていたマルタでも、せいぜいその寿命は1年半か2年であった。しかし、ほとんどは生存について何の展望もなく、ただ独房に入れられて、次々と実験の材料にされていた。
 実験の間には、栄養たっぷりのうまいものを食わされ、まるまる肥らされている。その光景を考えてみれば、豚の飼育と同じであり、残酷極まりない所業であった。(明日に続く)

※マルタは次から次へと実験材料にされ、殺された。そして最後に解剖されるか、死ぬ前に生体解剖された。『「悪魔」と「人」の間』(下里正樹著:日本機関紙出版センター)にはこう書いてある。
【731部隊の医学者らは、部隊に送り込まれてくる「丸太」を1本2本と数え、3ランクに選別した。
 Aランクは健康で五体そろった「丸太」である。これにペスト菌をはじめ各種細菌のミスト(霧)をあびせ、注射し、飲用させ、あるいは菌を塗った鉄片を腕に埋め込む。
 ほとんどの「丸太」はこの段階で死亡するが、なかには侵入してきた細菌と体内のリンパ液が猛烈な闘争の結果、細菌に対し免疫を獲得する「丸太」が現れた。
 731の医学者たちは、これを次のランクに落とし、凍傷実験の対象に用いた。いわばBランクの「丸太」は、防寒帽衣を着けたうえ、手足だけを露出させられ、真冬の屋外に連れ出される。
 部隊の置かれていたハルピン市郊外は、冬場は極寒の地である。気温は零下35度から40度にもなる。
 極寒の大気の中で、「丸太」の露出した四肢はみるみる硬直し、筋肉がどす黒く変色、壊死(えし)をはじめる。凍傷が進行するのである。
 実験中、731隊員らは、こん棒で「丸太」の手足をなぐった。なぐって「痛い」と言えば、まだ「丸太」の皮膚神経、筋肉組織は活きている。だが、力いっぱいこん棒を打ち下ろしても、うんともすんとも声を発しなければ、完全に凍傷が進行した証拠である。無感覚の四肢が完成したというわけだ。
 731部隊で凍傷実験を行なったのは、日本生理学界の重鎮として知られる吉村寿人(ひさと)博士をキャップとする吉村班であった。
 凍傷完了の「丸太」の四肢を、屋内に用意した各種温度の水槽(湯槽)に浸す。
「熱い湯に浸すと、マルタの凍傷部位の筋肉が湯槽の中でごっそりぬけ落ち、湯の中に白骨の腕、手指がむき出しになった・・・・」
 と吉村班員の1人は回想している。
 四肢白骨の「丸太」をそのままにしておけば死亡するので、731医学者らは、その四肢を切断した。
 こうして凍傷実験をくぐりぬけた、手足のない「丸太」は、最後のランクに落とされる。いわばCランクの人間モルモットである。
 手足のないダルマ「丸太」は、毒ガスの実験室に送りこまれた。野原の中に組み立てられた電話ボックスぐらいの大きさのチャンバー(組み立て式実験室)が、彼の最後の死に場所となったのである。】(ノブ)

日本軍細菌戦部隊

日本陸軍軍医学校(東京)
関東軍第731部隊(ハルピン)・・・関東軍各師団防疫給水部
華北方面軍甲1855部隊(北京)・・・華北方面軍各師団防疫給水部
華中方面軍栄1644部隊(南京)・・・華中方面軍各師団防疫給水部
華南方面軍波8604部隊(広州)・・・華南方面軍各師団防疫給水部
南方方面軍岡9420部隊(シンガポール)・・・南方方面軍各師団防疫給水部
関東軍第100部隊(長春)

   
516部隊

   
731部隊

  
  
731部隊は天皇の直接命令によってつくられた。


  
化学兵器CAREみらい基金ブログ

  
大久野島(毒ガス島)

  
中国人戦争被害者の要求を支える会

  
中帰連

  
ハイナンネット
 
  
南京への道:史実を守る会

  
根津公子さんのページ
  

南京大虐殺     

「この事実を・・・・」

(「南京大虐殺」生存者証言集:侵華日軍南京大遇難同胞紀念館/編 加藤 実/訳) (発行:ストーク、発売:星雲社、定価2000+税)

2、日本軍の狂暴な個人的虐殺

本人の受けた害

張趙氏(女、69歳)の証言

 1937年に、日本軍が間もなく入ってくると言う時、家は管家橋6号でした。ある日の午前中、日本軍が大砲を1発撃ってきて、我が家の建物のそばに落ち、小さい娘がその場で爆死し、4歳の息子も負傷していて、私が駆けつけ息子を抱き起こし鼓楼医院へ連れて行こうとしましたが、私もかかとにすでに弾の破片があなを開けていて、血がどくどく流れていました。あの時は息子を助けたい切なる想いで、痛いのも分からずに、痛みをこらえて隣の人たちと一緒に、息子を手当しに鼓楼医院へ届けたのですが、終いには出血多量で、息子も爆死したのでした。私はかかとに今でも傷痕があり、曇った日にはまだ痛むのです。日本軍が我が家にもたらした災難は、私は終生忘れることができません。
(戴碧玉と呉興海が記録)

※南京に日本が攻め入った時に、大砲が用いられたのであろう。日本軍が南京に攻め入る前には空から日本軍機による空襲が何日もあった。大砲や空襲で亡くなった方も大勢いるのではないか?
(ノブ)

憲法9条

「Imagine9」【合同出版】より

想像してごらん、

軍隊のお金をみんなの

暮らしのために使う世界を。


Imagine,

A world that spends

money not on armies,

but on people's lives.


アメリカでは、イラク戦争に年間およそ1兆円も税金をつぎ込んでいます。それなのに、ハリケーンから自国民を守ることさえできませんでした。
日本が9条をなくして大きな軍隊を持てば、きっと税金は戦争の用意に回され、日本の人々の生活は苦しくなるでしょう。
そして、貧困に苦しむアフリカの人々への支援も減らされてしまうのではないでしょうか。
(ケニア/男性)


第九条【戦争放棄、軍備及び交戦権の否認】

1 日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。

2 前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。


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この世の地獄!731部隊・南京大虐殺

2009-09-22 08:33:25 | Weblog

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新しい日本!!

「世襲の天皇制から選ばれし大統領制へ!」

(昭和天皇の戦争責任を問う。)


●「外国のジャーナリストたちに向かって証拠資料を用いて話すと、彼らはほとんど決まって、なぜ日本政府は731部隊の存在とその蛮行を認めないのか、と筆者にただしてくる。それは筆者自身にとっての疑問でもあるが、多くの場合、次のように答えてきた。敗戦直後、日米合同で731部隊隠しが行われたことが最大の原因である、と。それによって日本は、人体実験や生物兵器使用の事実を歴史の表舞台から下ろすことができた。他方アメリカは、石井のネットワークでの人体実験によるデータを独占することができた。この日米の密約が1986年には破綻したことは第一章で述べたが、おそらく密約がなくても、日本は残念ながら石井機関の蛮行を隠そうとしただろう。それでも日米の密約は、アメリカという共犯者得させることで、犯罪隠しににおいて日本の精神的負担を軽減するという役割を果たしたと言えよう。
 日本の戦争犯罪隠しにおいて、精神的負担軽減のための大きな支柱となったもう1つの存在がある。それは昭和天皇の存在だ。筆者がこれまでに会って話を聞いてきた、石井のネットワークで研究していた医学者たちが異口同音に口にしたのが、「天皇の名誉」という言葉だった。彼らの気持ちの中の論理では、石井のネットワークの研究者たちは天皇のため、あるいは国のために科学研究を行っていた。それゆえ本来なら決して行わない蛮行を、自らに「天皇のため」「国のため」と正当化し、実行した。つまり彼らは、「天皇のために蛮行を行った」と自らを納得させていた。それだから、天皇が、国が認めていない自らの犯罪を語ることは、お上の名誉を傷つけることになるわけだ。
 国を、そして天皇を守るために、日本は敗戦直後の日米の密約にしがみついてきた。その結果として、この日本では、石井のネットワークが行った人体実験や生物戦の犠牲者の発掘調査や補償は何もされていない。おそらくこれは、日本という国の持つ、1つの強固な構造からくる。それは、基本的に個人は国家より下位に位置する、決して対等ではないという構造だ。その結果、平和条約等による他の国家への賠償は行っても、個人に対して補償しないという態度がとられることになる。そのためには、国として過去の犯罪の事実を、またそれについての責任を認めるわけにはいかないのだ。あるいは、この論の順序は逆かもしれない。すなわち、犯罪を、責任を認めたくないから、個人を相手としないということなのかもしれない。
 こんなことを思い始めたのは、昨今の戦時補償問題が一向に進まないという現実からだ。・・・・」
(『731部隊』の“戦後日本”より常石敬一著:講談社現代新書:1995年)
※日本の敗戦直前、天皇は国体護持に執着するあまり、停戦を遅らせてしまった。そのため、日本国内では、原爆をはじめ空襲などによって、多数の死者が出た。
 また、戦後は、占領軍の最高司令官マッカーサーと取引して、天皇制を維持するのに腐心した。
 戦前・戦中と大元帥として大日本帝国に君臨し、戦争を指揮していた最高責任者は、敗戦と同時に、戦争責任をすべて東条はじめ軍部に押し付けてしまった。
 731部隊にも何人かの皇族が行き来し、実際731に係わっていた皇族もいた。東条も足を運び、大元帥昭和天皇も731についての情報は察知していたに違いない。だから、敗戦直前のソ連が参戦するや否や、いち早く証拠隠滅をはかり、逃亡した。これも戦争犯罪がばれると、天皇にとってその責任が問われることになるから。アメリカと密約し、国民の前には戦後731の問題が公表されなかった。密約の存在は1986年に破綻したが、日本政府は常石氏によれば731の存在と蛮行を認めていない。(1995年現在)。現在の政府の見解は私には分からない。(ただいま、問い合わせ中)
 これも天皇制を守るために。(ノブ)



●731部隊とはどんな部隊であったのだろうか?元731部隊員の告白記を見ていこう。越 定男著(元関東軍第731部隊第3部本部付運輸班員)『日の丸は紅い泪(なみだ)に』(発行所:教育史料出版会)と言う本を見てみたいと思う。

 越定男(こし・さだお)・・・1918年3月長野市に生まれる。
1934年工業高校機械科を卒業。1939年に満州に渡る、第642部隊に入隊。1941年第731部隊(石井部隊)に入隊。以後4年間細菌班をはじめ運輸班などに勤務。1945年8月敗戦により引き揚げ、9月長野に着く。戦後第731部隊員としての経歴を隠しながら苦難の日々を送り、現在に至る。

●私達日本人は、南京大虐殺の「この事実を・・・」を謙虚に読むべきだと思う。
南京でどんなことが起こっていたのかをもっと日本人は知る必要があると思う。
今でも多くの被害者の方々はPTSDに悩んでいる!!

731部隊

『日の丸は紅い泪に』
(越定男著:教育史料出版会)より

Ⅴ 朝日のぼる
ロ号棟の中(T.K証言)
 T.Kさんの証言は続く。

私は専任曹長転属の後をうけて、庶務主任という任務につき、雇員の勤務評定やら給与申請のほかに、衛生材料の注文請求、マルタ請求という仕事をした。課長の要請をうけると、マルタを管理している特別班に出向いて、マルタを2本とか3本と要請する。特別班は心得ていて「どれでも、見てくんなして」と書類のつづりを渡す。私は要請に応じて、身長、体重、年齢、健康度などを調べて選び、その書類を持ってきて担当者と再度話し合い、担当者の注文を確かめて最終的に決定する。
 「新しいものをよこせ」というのは、今まで何の細菌にも汚染されていない新入りのマルタを指す。「古くともそろっていればよい」というのは、いろいろ細菌実験の材料にされたものでも、正常な健康体に戻っていればよいという意味である。まさにマルタは実験材料なのである。
 ここの実験では、マルタは普通3本を必要とした。1本はワクチンを一切使わないで、後の2本はワクチンの量を替えて生菌を注射する。
 たとえば、1本のマルタには0.5ccの液を注射し、1週間経て、1.0ccを打つとか、他の1本には量を多くして、1.0cc2度注射するとかして、1ヶ月ほど経て、マルタ3本に一斉に発疹チブスの生菌を注射する。こうするとはっきり3つのデータがそろう。それぞれ潜伏期間と、ワクチン液効果を測るのである。
 これらの注射はマルタ小屋ロ号棟へ、私たち有田班が直接出向いて行なう。それぞれの独房には、30センチ四方の食事の差出口がついている。私たちは廊下にいて、マルタに腕を出させ、注射を打ったり、脈を計ったり、体温を計ったりする。体温を計る場合は体温計を与えて自分で計らせる。特別班の者が、拳銃をつけて警備していることもあって、大抵のマルタは素直に命じられた通りに手をさしのべる。朝、昼、晩と定期的に3回廻って様子をみる。いわば定期巡回検診である。中にはチブスにおかされて、真っ赤な顔をした者がいたり、うめいたりしている者も出てくる。(明日に続く)

※日本の優秀な医学者を集めていた施設で行なわれていた人体実験である。戦争になるとこのように敵を倒す最新兵器を作るために、手段を選ばず何でもするようになるのではないか?倫理・道徳というものは無くなり、ひたすら強い兵器を作るために、冷静に人体実験をし、自分の行為はお国のためしているんだと思っていたのか?戦後731に従事した医学者からは反省の弁はほとんど聞かれなかったという。(ノブ)



日本軍細菌戦部隊

日本陸軍軍医学校(東京)
関東軍第731部隊(ハルピン)・・・関東軍各師団防疫給水部
華北方面軍甲1855部隊(北京)・・・華北方面軍各師団防疫給水部
華中方面軍栄1644部隊(南京)・・・華中方面軍各師団防疫給水部
華南方面軍波8604部隊(広州)・・・華南方面軍各師団防疫給水部
南方方面軍岡9420部隊(シンガポール)・・・南方方面軍各師団防疫給水部
関東軍第100部隊(長春)

   
516部隊

   
731部隊

  
  
731部隊は天皇の直接命令によってつくられた。


  
化学兵器CAREみらい基金ブログ

  
大久野島(毒ガス島)

  
中国人戦争被害者の要求を支える会

  
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南京への道:史実を守る会

  
根津公子さんのページ
  

南京大虐殺     

「この事実を・・・・」

(「南京大虐殺」生存者証言集:侵華日軍南京大遇難同胞紀念館/編 加藤 実/訳) (発行:ストーク、発売:星雲社、定価2000+税)

2、日本軍の狂暴な個人的虐殺

本人の受けた害

徐文煥(男、74歳)の証言

 1937年の冬に、日本軍が入って来てから、私は難を逃れ華僑路の難民区の2階に隠れましたが、その時私は27歳でした。ある日日本軍が来て、私たち男を全部駆り立てて、婦女を建物の中に留めてみんな強姦した後、彼女たちを銃剣で殺しました。私とその他の人みんなで70人余りが、日本軍に捕まって行き、南京から蕪湖まで物を運ばされました。道の半ばまで行った所、麒麟(きりん)門の付近で、5人逃げましたが、すぐ捕まり、その5人が私たちの面前で強いてひざまずかせられ、、銃剣で1人1人残忍にも刺し殺されたのですが、それは私がこの眼で見た惨状でした。(王振中と劉升孝が記録)
 

※日本軍でも強姦は厳禁であったが、それは守られなかった。罪がばれないように、強姦した後、口封じのために殺すことはよくあったようだ。銃剣を使っても多くの中国人が犠牲になった。(ノブ)

憲法9条

「Imagine9」【合同出版】より

想像してごらん

世界から戦争のなくなった

平和な世界を。


Imagine,

A peaceful world 

without war.


でも、どうやったら

そんな世界が

やってくるのかな

一つひとつ考えてみよう。


But,how can 

such a world be made?

let's think about it.


第九条【戦争放棄、軍備及び交戦権の否認】

1 日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。

2 前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。


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この世の地獄!731部隊・南京大虐殺

2009-09-21 11:39:51 | Weblog

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「日の丸」・「君が代」反対!!

新しい日本!!

「世襲の天皇制から選ばれし大統領制へ!」

(昭和天皇の戦争責任を問う。)


●731部隊とはどんな部隊であったのだろうか?元731部隊員の告白記を見ていこう。越 定男著(元関東軍第731部隊第3部本部付運輸班員)『日の丸は紅い泪(なみだ)に』(発行所:教育史料出版会)と言う本を見てみたいと思う。

 越定男(こし・さだお)・・・1918年3月長野市に生まれる。
1934年工業高校機械科を卒業。1939年に満州に渡る、第642部隊に入隊。1941年第731部隊(石井部隊)に入隊。以後4年間細菌班をはじめ運輸班などに勤務。1945年8月敗戦により引き揚げ、9月長野に着く。戦後第731部隊員としての経歴を隠しながら苦難の日々を送り、現在に至る。

●私達日本人は、南京大虐殺の「この事実を・・・」を謙虚に読むべきだと思う。
南京でどんなことが起こっていたのかをもっと日本人は知る必要があると思う。
今でも多くの被害者の方々はPTSDに悩んでいる!!


731部隊

『日の丸は紅い泪に』
(越定男著:教育史料出版会)より

Ⅴ 朝日のぼる
発疹チブス専門班(T.K証言)
 さっそく有田少佐から1週間にわたる細菌学、チブス菌についての詰め込み教育を受けた。ついていくのは困難であったが、23歳の若さで頑張り、何とか理解できたと思う。作業内容は発疹チブスワクチンの製造であったが、戦争状況悪化の中で、とにかく効力のあるものをたくさんつくれということであった。
 はじめ、有精卵を孵化器(ふかき)に入れて、卵から鶏の形になりかけたところで臓器を取り出し、チブスの生菌を注射し、感染させ、その感染臓器を乳汁に入れ、ホルマリンを加えて菌を殺し、さらに幾つかの行程を経て、ワクチンをつくるのである。しかし、これだと臓器が小さいので、大量のワクチンはつくれない。だから、鶏卵からハツカネズミ、大黒ネズミという白い大きなネズミ、畑リスなどを次々に使って、大量生産を進めていった。
 目標は、兵士が絶対に発疹チブスにかからぬワクチンをつくることにあるので、それぞれの過程で、マルタを試験的に使わねばならない。材料には事欠かないというわけである。
 当時の731部隊の隊長は、北野政次少将に替わっていた。北野少将のあと、再び石井隊長になるのだが、北野少将は満州医科大の教授だったので、優秀な教え子を引っ張ってきた。有田少将のもとには、渡辺少尉ほか研究者が3人となり、研究は大いに進んだようだ。(明日に続く)

※731の活動が活発になるにつれて、いろいろな所から人を集めている様子が分かる。このように満州医科大をはじめ、戦前の京都帝国大学医学部から輩出した医学者たちを中核として、多くの病理、薬理、細菌学の学者、研究者、助手を集めた。(ノブ)


日本軍細菌戦部隊

日本陸軍軍医学校(東京)
関東軍第731部隊(ハルピン)・・・関東軍各師団防疫給水部
華北方面軍甲1855部隊(北京)・・・華北方面軍各師団防疫給水部
華中方面軍栄1644部隊(南京)・・・華中方面軍各師団防疫給水部
華南方面軍波8604部隊(広州)・・・華南方面軍各師団防疫給水部
南方方面軍岡9420部隊(シンガポール)・・・南方方面軍各師団防疫給水部
関東軍第100部隊(長春)

   
516部隊

   
731部隊

  
  
731部隊は天皇の直接命令によってつくられた。


  
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大久野島(毒ガス島)

  
中国人戦争被害者の要求を支える会

  
中帰連

  
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南京への道:史実を守る会

  
根津公子さんのページ
  

南京大虐殺     

「この事実を・・・・」

(「南京大虐殺」生存者証言集:侵華日軍南京大遇難同胞紀念館/編 加藤 実/訳) (発行:ストーク、発売:星雲社、定価2000+税)

2、日本軍の狂暴な個人的虐殺

本人の受けた害

郭聚林(男、74歳)の証言

 解放前は、家は柴を売って生計を立てていました。1937年には私は28歳で、冬月の初めのある日、街へ出て柴を売っていると、日本軍に出遭い、礼をしなかったため、いわれもなくむごくなぐられたのを覚えています。
 冬月15日の日に、周老二が日本軍に捕まって行き、担ぎ人夫にさせられましたが、ある場所まで担いで行った後いわれもなく日本軍に発砲されて撃ち殺され、死んだのはやっと20歳の時でした。 

 
※南京陥落後の日本軍は、ちょっとしたことでなぐったり、発砲して撃ち殺していたことが分かる。
無理な強行軍で南京を陥落させ、徹底した掃蕩作戦を行なっていた。南京に平和をもたらしたのではなく、南京市民を恐怖を与え続けた。(ノブ)


憲法9条

「Imagine9」【合同出版】より

MESSAGE(メッセージ)


環境が豊かで、平和で公正な世界。
日本の憲法9条は、そんな世界を願う私たちを励ましてくれます。

人々は、夢を見てきました。
人間の権利が守られ、植民地や奴隷制がなくなることを夢見て、一歩ずつ、一つずつ、実現してきました。

あともどりせず、前に進みましょう。
戦争のない世界へ。
すべての国が憲法9条をもつ世界へ。




 

第九条【戦争放棄、軍備及び交戦権の否認】

1 日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。

2 前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。


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