「もののあはれ」の物語

古き世のうたびとたちへ寄せる思いと折に触れての雑感です。

江戸の色

2007年05月13日 | みやびの世界
 四十八茶百鼡―しじゅうはっちゃひやくねず(み)―幼い日に耳から入ってすりこまれたこの口調のいい言葉が、江戸の庶民が開拓した茶と鼡色に関わる言葉と知ったのは、かなり後のことでした。
 女学生のころ、”城ヶ島の雨“を口ずさみながら、”利休鼡の雨“って、どんな雨かと、漠然とお抹茶がかった灰色の雨を思い浮かべていました。

 江戸幕府は、町人たちの贅沢に手を焼いて、次々に奢侈禁止令を出して、庶民の生活を縛りました。しかし台頭する力は、表面的には“おふれ”に従いながら、禁じられるからこその反発で、さまざまな工夫を凝らしました。あるときは表からは見えない裏に、禁じられた紅絹(もみ)や、紫の派手な色や舶来のものを使い、贅を尽くした「裏優り」うらまさりの趣向で鬱憤を晴らしました。

 役者を描いた浮世絵にみる茶の種々相に、江戸の粋が集約されているのを感じます。この歌舞伎役者の影響から庶民の間では茶が流行色になっていたようです。

 四十八茶といっても数えてみたわけではありませんが、要するに多数を意味しての48だったのでしょうが、もしかすると実際にはもっと多くの色が用いられていたのかもしれません。

 ねずみ色は灰色とも呼びますが、こちらは木を燃した後の灰の色からでしょうし、ねずみのほうは、鼠の毛の色からでしょう。百鼠と聞いただけで、おぞましいのですが、この百匹のなかには、桜鼠や柳鼠、浮き草鼠、呉竹鼠、紅消鼠に銀鼠、深川鼠、湊ねずみ、千草鼠、はては鴨川鼠や淀川鼠といった上方のもいます。小町鼠までいますから、美人コンテストもやれそうです。
 もっとも中には、どぶ鼠や、素鼠も混じっていますが。

 微妙な色合いにそれぞれ名前をつけて使い分けるところに、江戸時代に生きた人々の美意識が窺えるというものでしょう。

 画像は山口県立萩美術館 浦上記念館所蔵  勝川春章 五世市川団十郎