「もののあはれ」の物語

古き世のうたびとたちへ寄せる思いと折に触れての雑感です。

椎の葉の雨

2007年05月10日 | 季節のうつろい
 夜来の雨は上がったはずなのに、また雨音を聞いたと思って雨戸を繰りました。
椎の落葉が、五月の風に乗って降りしきる音とすぐわかりました。

 片付けに何度この落ち葉を運ぶことかと、一瞬のたじろぎの後、こうした,椎の葉が衣更えで脱ぎ捨てる葉音を、雨と聞くことができる仕合せは、今の世の中では贅沢で貴重なものと思い極めることにしました。
 かすかな乾いた音が、風の気配に混じって降り注いでいます。

 五月はものみな、時の勢いを得て、まっすぐに伸び上がってゆく、活気に溢れた命の盛んな月ですが、さわやかに静かな命の引き継ぎもおこなわれているのです。

 坪庭の金明竹も、今しも成長する若竹に、竹の秋の挨拶の声を掛けては、こちらは細身の葉を音もなくひらり舞わせて落ちてきます。

 周りの樹木が、緑の明度、彩度をたがえながらも、いっせいに緑に賑わい立つなか、地を柴染めに、丁子色にと、古葉で染めるものもあるのです。

 庭仕事に一段落が訪れるころは、梅の実が熟して、今度は梅仕事が始まります。


    椎落葉石畳から隣まで 作者不詳
  
    開けたてに軋む裏戸や竹の秋   唐沢静男
    手も入れぬ庭やふたりの竹の秋  藤井昌治

 今の私の思いをうまく言い表した句に出会えました。竹の秋の季語は、それだけで十分に情趣を表す語、素人が扱える季語ではなさそうです。