四十八茶百鼡―しじゅうはっちゃひやくねず(み)―幼い日に耳から入ってすりこまれたこの口調のいい言葉が、江戸の庶民が開拓した茶と鼡色に関わる言葉と知ったのは、かなり後のことでした。
女学生のころ、”城ヶ島の雨“を口ずさみながら、”利休鼡の雨“って、どんな雨かと、漠然とお抹茶がかった灰色の雨を思い浮かべていました。
江戸幕府は、町人たちの贅沢に手を焼いて、次々に奢侈禁止令を出して、庶民の生活を縛りました。しかし台頭する力は、表面的には“おふれ”に従いながら、禁じられるからこその反発で、さまざまな工夫を凝らしました。あるときは表からは見えない裏に、禁じられた紅絹(もみ)や、紫の派手な色や舶来のものを使い、贅を尽くした「裏優り」うらまさりの趣向で鬱憤を晴らしました。
役者を描いた浮世絵にみる茶の種々相に、江戸の粋が集約されているのを感じます。この歌舞伎役者の影響から庶民の間では茶が流行色になっていたようです。
四十八茶といっても数えてみたわけではありませんが、要するに多数を意味しての48だったのでしょうが、もしかすると実際にはもっと多くの色が用いられていたのかもしれません。
、
ねずみ色は灰色とも呼びますが、こちらは木を燃した後の灰の色からでしょうし、ねずみのほうは、鼠の毛の色からでしょう。百鼠と聞いただけで、おぞましいのですが、この百匹のなかには、桜鼠や柳鼠、浮き草鼠、呉竹鼠、紅消鼠に銀鼠、深川鼠、湊ねずみ、千草鼠、はては鴨川鼠や淀川鼠といった上方のもいます。小町鼠までいますから、美人コンテストもやれそうです。
もっとも中には、どぶ鼠や、素鼠も混じっていますが。
微妙な色合いにそれぞれ名前をつけて使い分けるところに、江戸時代に生きた人々の美意識が窺えるというものでしょう。
画像は山口県立萩美術館 浦上記念館所蔵 勝川春章 五世市川団十郎
女学生のころ、”城ヶ島の雨“を口ずさみながら、”利休鼡の雨“って、どんな雨かと、漠然とお抹茶がかった灰色の雨を思い浮かべていました。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/06/98/f26a11f5e5c91e97a8a66845f43e7b26.jpg)
役者を描いた浮世絵にみる茶の種々相に、江戸の粋が集約されているのを感じます。この歌舞伎役者の影響から庶民の間では茶が流行色になっていたようです。
四十八茶といっても数えてみたわけではありませんが、要するに多数を意味しての48だったのでしょうが、もしかすると実際にはもっと多くの色が用いられていたのかもしれません。
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ねずみ色は灰色とも呼びますが、こちらは木を燃した後の灰の色からでしょうし、ねずみのほうは、鼠の毛の色からでしょう。百鼠と聞いただけで、おぞましいのですが、この百匹のなかには、桜鼠や柳鼠、浮き草鼠、呉竹鼠、紅消鼠に銀鼠、深川鼠、湊ねずみ、千草鼠、はては鴨川鼠や淀川鼠といった上方のもいます。小町鼠までいますから、美人コンテストもやれそうです。
もっとも中には、どぶ鼠や、素鼠も混じっていますが。
微妙な色合いにそれぞれ名前をつけて使い分けるところに、江戸時代に生きた人々の美意識が窺えるというものでしょう。
画像は山口県立萩美術館 浦上記念館所蔵 勝川春章 五世市川団十郎
人生いろいろ、数もいろいろですね。
7・5・3から、三十三間堂、伊呂波47文字、そしてお釈迦様にちなんだ48誓願、世をわたる48手。四国八十八ヶ所と百に至るまでさまざまで。
四十八茶も、果てしもなく拡がりを見せ、ついには無茶苦茶になり、境も定かでなくなります。
社会人一年生の時、背広一着を親父が祝いに買ってやるから、そう、別誂え=order madeでした。
指定されたテーラーに出向き、寸法を測った後、
生地見本を眺め綺麗な茶系統のモノを希望したら、
ご主人曰く”ボクにはこの茶は似合わないからよしなさい・・”と。何故か?の理由を説明されないまま地味な紺にしましたが。(当時は素直だったし。)
その後、何十年間、ご主人の言葉の意味を知る努力をしてきましたが、定年前に分かりました。
茶の背広が似合うのは容姿端麗と色白である者だと。
隠居後はアドバイスに逆らい、替上着も靴も茶にして
自己満足に浸っています。
顔の黒いのは変らなねど、髪は100%白だから。
長年の夢を果たしたアル男の物語。
さすが渚1号さん。人生の年輪が重なると、白も黒も関係なしです。
ただ、内なる蓄積された歴史が現れ出るわけで、端麗か否かも意味を持たず、ひたすら、味わいは自己責任になります。
個性も、中身もない容姿端麗ほど寒々しい残酷なものはありません。
きっと、ゴルフやけの引き締まったお顔に白髪なら、渋い茶がお似合いの紳士でいらっしゃると推察申し上げています。せいぜい四十八茶のいろいろをお楽しみくださいませ。
江戸を探索しても、桃山をたどっても。
世界遺産とは驚きですが、自分でも”化石”化しつつあり、ときに言葉の通じない世界に取り残された嘆きを感じています。
今は昔、の話が多く、ブログで憂さ晴らしをしているところがあります。
傘寿までの発信と自分で決めていますので、いましばらくお付き合いくださいませ。
懐かしく苣木=エゴノキの蒙を啓いていただいた日を思い返しました。
白雲木の花は知りませんでした。今朝、画像を検索してみたら、葉がエゴノキとは違って大きくて、花も立派ですね。大木となって咲き盛るとまさしく白雲たなびく状態でしょう。一度見てみたいものです。
今は、庭の梅花空木が、高い香りで存在を示し、みかんも雨にぬれて、かぐわしく白から発信しています。
http://www2.kid.ne.jp/teien/sikihukei/20070505.html
ただし、5月5日の情報なので、現在の様子はお問合せの上どうぞ。
近くで見ることができるのですね。
ご親切な情報、ありがとうございました。
まだ若木のようですが、エゴノキ同様、すぐ大きくなりそうですから、成長を楽しみに時折訪れる機会に観察しましょう。
雲かと見まがうころまで見届けるのは無理でしょうが。