「もののあはれ」の物語

古き世のうたびとたちへ寄せる思いと折に触れての雑感です。

MIHO・MUSEUM

2006年12月13日 | みやびの世界
 秋季特別展「青山二郎の眼」のパンフレットには、”白州正子の物語も、小林秀雄の骨董も、この男からはじまった。”と記されています。
 もう少し引用します。
 ”希代の目利きといわれた青山二郎は、昭和の文芸サロン「青山学院」の中心人物で、柳宋悦の民芸運動の設立に参画し、小林秀雄、白州正子の骨董の師でもありました。
 その眼に適った中国陶磁や朝鮮白磁の名品、また青山旧蔵の酒器や、小林秀雄、白州正子、北大路魯山人らゆかりの人々の旧蔵品、自身が手がけた装幀作品など約200点を展観し、美の探究者青山二郎の眼にせまります。”とあります。
 2時間ゆっくり回って、例によって、1点だけもらえるとしたらと、思案して、弟は青山が晩年、マンションのベランダで水を打って育てていたという信楽の大甕、私は迷った末、やはり図録のケースになっている光悦の”山月蒔絵文庫”にしました。このところ木彫でお地藏さんを彫っている妹は木喰の地蔵菩薩像が気に入っていました。

 数ある展示品の中には、これがどうしてと首をかしげるものもありました。青山二郎が、「これが手に入るなら、電話ボックスで暮らしても構わないほど欲しい」と執着した磁州窯の梅瓶「自働電話函」は、絵に流れる線の伸びやかな美しさはあっても家屋敷と交換するほどの物とはどうしても思えませんでした。黒織部の茶碗「夕だすき」も、デザインの斬新さはさることながら、自分のものとして持ってみたら、飽きるのではと、思ってしまいました。

 山月蒔絵文庫とどちらにしようかと迷った李朝の白磁面取瓶の乳白色のやわらかな色合いと、上にかかった釉薬の垂れ、口辺の釉薬、首から肩への傾きと面取りのバランスもすべて無理がなく、魯山人の絵瀬戸の鉢も、縦じまのバランスが、絶妙でした。さすが青山二郎と、溜息が出るようなものが並んでいました。

 特設展を出て、南館に回り、常設展示の収蔵品、古代ギリシャや、殷、周の遥か紀元前の中国のものに驚きの目を見張ってMIHOを後にしました。
 


 白釉黒梅瓶「自働電話函」   信楽大甕 室町時代


 白磁面取瓶 李朝17世紀  絵瀬戸鉢 魯山人


 山月蒔絵文庫 本阿弥光悦   黒織部「夕だすき」