こんな女将の独り言(神戸福原ぼっかけ「あーちゃん」お店blog)

神戸は福原で細々と営んでいる「ぼっかけうどん」のお店「あーちゃん」の女将がうだうだと日々のあれこれを語ります(笑)

☆・・あーちゃんニュース!・・☆

  ★いよいよお待ちかね!ぼっかけかす汁開始★ 今年は早くも猛暑の頃から「かす汁まだ?!」の問い合わせがあり、10月に突入するや、毎日問い合わせが殺到する事態に^0^; 金時人参や霜の降りた冬大根・・、まだまだ冬野菜が入手できる状態ではありませんが、かす汁ファンのお客様の要望に応えるべく、「ぼっかけかす汁」開始させていただくことになりました(^0^)ノでも、本当に美味しくなるのはまだまだこれからです!!

27年。。

2022年01月17日 | Weblog
当時、長女は小学一年生でした。

新年が明けて

書き初めが、入選して

三宮のそごうに展示されると聞いて

姑がすごく喜んでくれて

家族でそごうに

行く予定になっていたのが

1月の17日でした。。

でも、あの震災が

世の中の人々の思い出も

人生も笑顔も見慣れた風景までも

なにもかもを奪っていきました。。

だから毎年1月になると

気持ちが憂鬱になります。

神戸で被災した人なら

誰もが同じ気持ちになっていると思います。

先日も、店をかたずけながら

大将と、大将の身内の親類が

被災で亡くなった話をしたところでした。

長女が四歳の時に

嘔吐下痢症(ロタウイルス)による

脱水で入院したことがあり、

丁度、その時に

同じ部屋に入院してきた女の子が、

大将の義兄の親戚の身内で、

娘が入院している間は

女の子のお母さんとは

親しくさせていただいたこともあったのに

あの震災で

娘さんもお母さんも

亡くなられてしまったのです。。

生きていれば結婚もして、

子供に恵まれた人生を

歩んでいたかもしれませんよね。。


震災前になると、

毎年色んなことを思い出します。

避難した、

当時住んでいた近くの

病院に避難した時に見た

悲惨な光景、、

家屋の下敷きになり

戸板で運ばれてきた人が

身内の名前を呼びながら亡くなっていったり

家族が泣き叫ぶ中で息を引き取る瞬間、、

私にはあの時の光景は地獄絵図で

神様に、

どうかこれは夢でありますようにと

何度もお願いしていたことを覚えています


そんなことを

思いだしながら過ごしたお店に

若いカップルがご来店。。

宵の口に、閉店は何時ですかと

問い合わせの電話をくれたお客様で、

席につくなり大将に

ぼく、◯◯です!

と、名前を聞いてすぐに解りました(*⌒∇⌒*)

そのかたは、

娘が入院していた時に

同室だった女の子のお母さんの甥っ子で、

幼い頃にはよくお店に来てくださっていたこともあり、

長いこと会ってなかったので

大将は忘れていたみたいだけど😅

私は覚えていましたよ👍️(笑)

その人の祖母が自慢のお孫さんでしたから

お名前で直ぐに解りました😀

◯◯さん、

ご来店ありがとうございます
(^.^)(-.-)(__)

疎遠になりがちな世の中で

思い出してくれたことを感謝します🧡


















































コメント (2)
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