206年から始めさせていただいたこちらのblog。。
震災の日のことを書かせていただいた記事を今改めてもう一度開いて見ました。
震災とぼっかけ
私は17日が近づいてくると、気分が滅入ってしまうのですが、
私の娘たちも同じことを言います。
うちの家族だけではなく、
神戸の人たちにとって17日は複雑な思いが詰まった一日で
だから年が明けると新年を祝う傍らで、
思い出したくない17日のことを否応にも思い出さねばならず、
話したくないのに、傍にいる誰かに震災の話を伝えてしまい、
伝えながら、
脳裏に浮かぶ当時の悲惨な出来事を回顧しては涙が溢れたりするのではないでしょうか・・・。
大将の叔父は、震災の時に自宅が全壊しました。
幸い家族みんなは無事で、震災後は自宅跡地に建った市営住宅で過ごしていましたが、
震災の当時は、叔父の住んでいた地域の周りは出火し、自宅の周りは火の海と化していました。
近くにガソリンスタンドがあったため、そちらに飛び火をするともっと大惨事になるとのことで
木造住宅等の家事には、なかなか消火活動が行き届かなかった様でした。
そんな様を目の当たりにした叔父は、避難することを忘れてしまうほどの憤りと
自分一人ではどうすることもできない無力に、その場から離れることが出来なかったそうです。
叔父が1・17の日の事を思い出す時は、とても悲しい目をしていました。
あの日、あの時、ただ茫然と赤い炎を見ているしかできなかった
無力な自分を責めている様な目をしていました。
その叔父の命日は1月17日。
私達神戸の人達にとって、忘れることができないその日を命日に選んだ叔父の、
明日の17日は7回忌にあたります。。
もしかすると、叔父は、
忘れたいだろうけれど忘れたらアカン、
1・17を心に刻んで、亡くなった方の分まで頑張れ!
と、言いたかったではないか・・・と、ふと今思いました。。