The Blueswalk の Blues&Jazz的日々

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夏は熱いジャム・セッション

2010-08-08 21:09:45 | Jazz
夏は熱いジャム・セッション
                                                                             By The Blueswalk
 連日35℃を超える猛暑日で大変な暑さの中全くやる気の無い日々を過ごしている。“茹だるような暑さ”とはこういうことを云うんでしょう。感覚的には、夜の方が暑いんだけれど、これは夜になると各家庭でクーラーをつけるため、その屋外機からの熱で逆に暑くなっているんじゃないかと思われる。こんな人間のエゴによりますます地球温暖化が進んでいってしまうと我々の孫子の時代はどうなってしまうんだろうか? 俺には関係ないなどと云っているわけにも行くまい。せめて自分だけでもクーラーを我慢して扇風機で乗り切ろうと思うのだが、一度クーラーをつけたら癖になって中々この誘惑から逃れることが出来ないでいる今日この頃である。この暑さの所為?で、うちのマンションンの中庭の蝉は真夜中の12時~2時ごろになってもシャーシャー泣きわめいている。うーん、蝉まで狂ってきたか??  こんなことだから、8月の会報も予定のテーマはあるものの全く書く気が起こらずに、ついつい締め切り間際になってこんなテーマで夏を乗り越そうと思った次第である。
 この暑さを吹き飛ばすには自分自身が熱くならないとどうにもならない。そうなると、“夏はジャム・セッションに限る”となってくる。ジャム・セッションとくれば、ノーマン・グランツ・プレゼンツのJATP(Jazz at the Philharmonic)しかない。このノーマン・グランツなる人、ジャズ好きが昂じてジャズの興行師として1944年からこのJATPコンサートを主宰し、その録音をレコードとして売るために1954年に自分の名前を取った「ノーグラン」を立ち上げる。その後、1957年には「ヴァーヴ」、1973年には「パブロ」と矢継ぎ早にレコード会社を設立し、雪達磨式に膨れ上がらせたカタログを頃を見計らってすべてを売り払い、スイスで悠々自適な生活を満喫した金満家である。なんと、うらやましい人生であることか。元来、ジャム・セッションなどというのはミントンズ・プレイハウスなどで行われていたように、アフター・アワーズに仲間が寄り集まって憂さ晴らしや本当にやりたいことのために実験的に行われていたのをレコード商売に結びつけたのだ。それまで、ジャズのライヴ・レコードなんてこの世に存在しなかったのだからこの発想は画期的であったと言っていいだろう。
 さて、JATPである。多分、日本では『‘40年代のJATP』、『‘50年代のJATP』、『JATP in TOKYO』の3セット(それぞれ3枚ずつ)が手に入るはずである。
で、何といっても、『‘40年代のJATP』。レスター・ヤング、チャーリー・パーカー、ディジー・ガレスピーなどなど、綺羅星のごときスターたちのオンパレードである。しかも、1曲10~15分の長尺でほぼ全員がソロを取ったライヴなのだから盛り上がらない方がおかしい。そして、このJATP御用達テナー奏者フリップ・フィリップス、イリノイ・ジャケーによる“パーディド”に於ける大ブロー大会は一つの伝説となっている。こういう場合は、大きな音を出せる奏者の勝ちである。レスター・ヤングのような繊細で流麗な音色を得意としている奏者にとってはブが悪い。だから、“デリカシーの無いやつらと一緒にやりたくない”のかどうかは判らないがほとんどこの二人とは共演していないのである。しかしちょっとやり過ぎの感無きにしも非ずだが、お祭りなんだからこれぐらいは大目に見てやりたいというのが僕の意見である。だから僕はこのレコードでは真っ先に“パーディド”を聴く。汗かきながら、大音量で聞くと爽快感この上ないのだ。makotyanさんのオーディオで聴くとさらに昂揚するだろうなぁ。さらにぐぐっと冷えたビールでもあれば最高なのだが。
 『‘50年代のJATP』はメンバーの多少の遷り変わりはあるが、ややこじんまりまとまった感じがある。『‘40年代~』が余りにも豪奢すぎたので比較するのもかわいそうではあるが・・・
ここでの聴き物は何といっても、ピアノのオスカー・ピーターソンだ。豪快にスウィングし、フロントを煽りまくるそのバイタリティには恐れ入る。こういうのは、冷房の効いたコンサート・ホールでしか聴けないビル・エバンスやキース・ジャレットには出来ない隔絶した世界だ。このJATPでの活躍によってその名が世界的に認められるようになったのだから、JATPの申し子と言ってよく、ほとんど全編に出ており、ピーターソン・ファンには垂涎のアイテムであるはずだ。
 『JATP in TOKYO』は1953年のJATP唯一の日本公演の模様を収めたものだ。フィルハーモニック・オーディトリアムでもないのにJATPとはこれ如何に? なんて、どうでもいいか。上記2セットを持っていれば十分とも云えるが、ここでのトピックは、エラ・フィッツジェラルドの参加で、一段と華やかになったということだろう。顔に似合わずと言ったら大変失礼だが、澄み切った、張りがあり伸びやかな歌唱はまさに全盛期の“歌姫”ここにありと言っていい。お得意のスキャットも満載である。
 他にもジャム・セッション・レコードを用意したのであるが、ノーマン・グランツ繋がりで最後まで押して行く事とする。
『ノーマン・グランツ・ジャズ・コンサート#1』は、JATPと平行してノーマン・グランツが自分のレコード会社「ノーグラン」用にJATPの焼きなおし(JATPの名前でコンサートを行い、レコードにはJATPの名前を入れない)コンサート・ライヴ・レコードである。だから、役者も当時(1950年)のJATPのメンバーが殆どである。商売根性丸出しこの上ない代物ではある。がしかし、中身が大変なのだ。これまでのJATPはオールスターによる寄せ集め集合体だったのを、ここでは「チャーリー・パーカー・ウィズ・ストリングス」、「オスカー・ピーターソン・デュオ」、「コールマン・ホーキンス・カルテット」など、手を変え、品を変えした工夫の後が見られるのだ。何と言ってもチャーリー・パーカー・ウィズ・ストリングスなんて、JATPでは考えられない組み合わせなのだから貴重なことこの上ない。
 スタジオ録音版のジャム・セッションがこの『ノーマン・グランツ・ジャム・セッション』シリーズである。1952年以降、数枚に渡って作成されている。#1はチャーリー・パーカーはいつもながらブリリアントな演奏を聴かせてくれているが、聴き物は2人のエリントニアン、ジョニー・ホッジスとベン・ウエブスターだろう。スタジオ録音でありながら、流石に大御所のことだけあって、ライヴかと思わせるような乗りのよさとスウィング感を味わうことが出来る。#4はカウント・ベイシーとフレディ・グリーンのリズム陣にスタン・ゲッツ、ワーデル・グレイといったテナーが入った珍しい組み合わせのセッションである。ワーデル・グレイは当時レスター・ヤング以降の最もスウィングするテナー・マンであると評判になっていただけのパフォーマンスを披露している。ウォームなゲッツとスマートなグレイの対比を楽しむのもいい。このシリーズは多分レコードで#7ぐらいまであったと思われるが、僕はこの2枚あれば十分である。
それにしても、いつも思うことであるが、この時代のジャズ・マンというのはブルースであれバラードであれどんなタイプの曲にも即座に対応できたんだなと感心すること頻りである。他流試合が盛んだったこの頃でしか味わえないジャズ遺産である。