The Blueswalk の Blues&Jazz的日々

ブルースとジャズのレコード・CD批評
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ROCKIN' in RHYTHM   ~The Monkees~

2012-01-21 22:25:05 | 変態ベース

ROCKIN' in RHYTHM
~The Monkees~
           By 変態ベース
 失礼な、なにがそんなに可笑しいの? Blueswalkさんにプッとふかれてしまった。ノンジャズの日に私が選んだのは“モンキーズ”。ちょっと軟弱だけれど、笑うことはないでしょうが。自分だって聴いてきたくせに。
皆様、洋楽の初体験はいつ頃?どんな音楽だったのだろう?私が小学生から中学生にかけては、テレビで「ザ・ヒットパレード」や「シャボン玉ホリディ」のような音楽バラエティが花盛りだった。ザ・ピーナッツ、クレイジー・キャッツ、布施 明等の歌うポップス調のナンバーには、ベテラン歌手のムード歌謡とはまた違った、リズミカルでソフィスティケートされた爽やかさが感じられた。グループサウンズが流行したのもその少し後だ。彼等の出現は、勿論ビートルズやローリングストーンズのようなロックグループの台頭に刺激されたものだ。さらにヴェンチャーズ、寺内タケシとブルージーンズ等、エレキブームの火付け役の登場。加山雄三主演の「エレキの若大将」が製作されたのもこのあおりを受けたものだ。そこに折からのフォークブームが重なり、高校時代は猫も杓子もギターを片手にみたいな時代だった。さてそんな和製ポップスが形成される過程で、我々はモンキーズと出会ったのだ。最近、テレビCFに忌野清志郎が歌う「デイドリーム・ ビリーバー」が使われていた。私と同世代の方(会員で言えばBlueswalkさんやK.T.さん)だったら、懐かしく彼等のことを想い出したのではないだろうか。


モンキーズが結成されたのは、60年代の中頃。当時はすでにビートルズ全盛の時代。デヴュー以来、シングル盤や映画「ヤア!ヤア!ヤア!」「ヘルプ」の大ヒットで、世界中にビートルズ旋風が吹き荒れた。やがてショービジネスの総本山アメリカからも外貨をむしり取り、女王陛下からはうやうやしく勲章を賜ったのだ。(後にジョン レノンはその勲章を突き返してしまったが)そんな悔しい状況を、指をくわえて眺めているような米音楽業界ではない。早速ビートルズに対抗すべくニュースターをデヴューさせるプランが練られた。その結果、オーディションを経てかり集められた若者たちがモンキーズであった。業界が狙ったのは、ヒットチューンを量産するアイドルグループだった。ポップス界のヒットメイカー、ニール ダイヤモンドやキャロル キングの作品を与え、当初はその目論見がものの見事に的中した。同時に製作されたテレビ用の帯番組は日本でも放映された。ちょうど私が中学生の頃と記憶している。モンキーズの番組が始まると、私はいつもテレビにかじりついていた。「モンキーズのテーマ」「恋の終列車」「素敵なヴァレリ」彼等が歌う曲には、日本の歌謡曲にはないカラッとした陽気さがあった。モンキーズのナンバーが、洋楽に親しむきっかけになったのだ。いつも彼等のヒット曲が頭の中でリフレインしていた。しかし中学生のガキにはとてもレコードを買えるほどのお小遣いがない。仕方がないので、おもちゃのようなマイクをテレビのスピーカーに押しあてて、お天気屋のテープレコーダーに彼等の歌を録音したのだ。(このレコーダー、録音のレバーを押してもその日の気分でうまく回ってくれない、それはもう厄介なテープレコーダーだった。それでも彼らの音楽を聴く手段はそれしかなかったので、唯一の頼みの綱だった)信じられないが、その雑音だらけのテープを宝物のように毎日聴いていたのだ。それから少したって、姉が友人からモンキーズのLPを借りてきてくれた。それはもう夢のような出来ごとだった。
しかしそのお仕着せのプロデュースとハードなスケジュールがやがて軋轢を生み、短期間のうちにグループは崩壊に向かった。ベースのピーター トークがドロップアウトし、ギターのマイク ネスミスも自分のバンドを結成するために独立した。思えば奇妙なグループだった。マイク ネスミス以外、楽器の経験者がいない。特訓したってそんなに簡単に楽器なんかマスターできない。そんな輩をよくオーディションで合格させたものだ。彼等はそのままコンサートツアーで海外にも遠征した。その途上彼等は日本にも立ち寄った。一体どんなステージだったのだろう。素人みたいな演奏して帰ったのかな。それでも笑ってはいけない。彼らこそ私の洋楽事始め。モンキーズに出会っていなかったら、ジャズとの巡り合いもなかったかもしれないのだ。

2011 BEST
一昨年あたりから私は少しヘンなのだ。なに言ってるの、あなたズーッと前からヘンだったじゃない。いやいやそういう意味ではなくて、音楽の嗜好が変ってしまったということを申し上げたいのだ。つまりこの一年ほどクラシックのCDばっかり聴いているものだから、自分でも一体どうなってしまったんだろうと戸惑っているのだ。最近、ジャズがちっとも面白くなくて、長いスランプに陥っていた。そういうことは以前にも再々あったけれど、たいてい時間がたつと復活していたものだ。ところが今回のスランプはいっこうに出口が見えない。それどころか、クラシックのCDを聴いていたらこれがとても居心地良い。本当はクラシックの方が向いているのではないかとか、あるまじきことを考えだしたからやっぱりヘンなのだ。
そんな状態なので、昨年を振り返っても感銘を受けたジャズが思い浮かばない。敢えて上げるとすれば、久詰氏に観せて頂いたトニー ウィリアムスのDVDだろうか。この映像は、彼の最後のクインテットを収録したものだ。VSOPを経て8ビート路線から、4ビートジャズに回帰したウィリアムス。このクインテットは是非とも聴きたかったグループのひとつだが、ウィリアムスの急逝により叶わぬ夢となってしまった。その空白を埋めてくれるのがこのDVDだ。彼等のライヴ盤は東京BNにおけるCDが発売されている。但しこの作品だらだらとソロが長くしまりがなかった。それに対しこのDVDはスタジオで収録されたものらしく、最初からビデオ作品化することを念頭に置いていたようだ。そのためか普段の演奏より短く切り詰められ、よりコンパクトな演奏になっている。トニー ウィリアムスはやかましいからダメ。そんな人にはお勧めできないけれど、ハードな4ビートが好きな人には観て頂きたい作品だ。☆☆☆☆☆

師走 2011 
12月10日(土)、ディアロードのオープニングライヴがあった。KJSからはTKさん、FJさん、OKさんが参加し、あの狭い空間に20名くらいはいただろうか、いい雰囲気でイヴェントを迎えることが出来た。JR放出駅を降りるとすぐ向かい。4階までの狭い階段が難点だが、ジャズ喫茶のオープンスペースは明るく見晴らしも良好。当日はオーナー一家(夫婦と娘2人)総出動で応対していたが、思いのほかの繁盛にてんてこ舞いといった様子だった。平日もこれだけお客さんが入ればよいのだが、たぶん翌日はまた閑古鳥状態に戻ったのでは。演奏はヴォーカルとテナー、ギター、ベースの4人編成。アマチュアくさいけれど、ギターの人(熊谷有真さん)はかなり秀逸だった。テナーサックスの方がリーダーらしいが、実はディアロードの改装工事に携わった水道工事屋さんだとか。工事中にこの店がジャズ喫茶であることを知り、それが御縁で今回のライヴ企画に話が広がったようだ。いろんな出会いがあるものだ。
ディアロードには機会があれば立ち寄りたいと思っている(ちょっと遠いけれど)。ジャズ喫茶受難のこのご時世に、せっかくオープンしたからには、もう少し宣伝にも力を入れて、それ見たことかと後ろ指さされないよう頑張ってもらいたいものだ。微力ながら応援したい。


昨年はKDさんとIKさんに参加して頂いた。お二人ともジャズの経験も豊富で、また面白い話を伺うこともできるだろう。今後KJSの活動がもっと盛況で楽しくなることを期待したい。しかし乍ご存知のように、会を離れる方もおられるわけで、長い目で見ると会員数は差し引き減少傾向にあることは間違いない。言うのは簡単だが、やはり例会には常時15名程度参加することが望ましいと思う。(もちろん参加人数が多すぎても時間的制約もあり運営が難しいのだが)
新しい会員を迎えることはこちらも楽しみに感じるところだ。もちろん会の空気にそぐわない人が応募することもあるわけで、多少なりともリスクは伴う。しかしジャズのようにポピュラーな人気を得ない音楽は、知己や仲間が出来にくいものだ。そういう意味でもKJSの存在は大変貴重なものである。今後の当会の発展を見据えて、今年も随時新規会員は募るべきだろう。会の発展に関して、何か良い知恵があれば提案頂きたいものだ。

12月17日(土)今年最後のライヴは、枝 信夫氏主催による演奏会だ。場所は遊音堂。と言ってもお聞き覚えないだろう。野田阪神下車、徒歩数分。スタンウェイ フルコンサートピアノが売り物のミニホールだ。元々クラシック専用のピアノレンタルサロンなのだが、昨年からジャズの演奏会も開くようになったのだ。今回のメンバーは、唐口 一之(tp)、杉山 悟史(p)、枝 信夫(b)、北岡 進(ds)。唐口さんは関西で最も多忙なトランペッター。古くからライヴ活動をやってこられたので、ご存知の方も多いだろう。トランペットの語り口はマイルドでベテランらしく落ち着いている。おしゃべりも滑らかで、休憩時間は観客席に入って皆さんとの会話を楽しんでおられた。
今回特に驚いたのは、ピアノの杉山さん。まだ20代の新進気鋭のピアニストである。名前も聞き初めだし、もちろん演奏を聴くのも初めてだ。この人近い将来ブレイクするのでは。そんな予感がする(私の予感はあまり的中しないが)。この人はかなり巧い。関西在住の若手の中でも抜き出ているように思った。曲もよく知っているようだし(あたり前のことだが)、ベテラン相手にレスポンスもよく、フレーズもよくこなれている。曲想によって演奏スタイルが多少ばらつくが、若手にはありがちなことだ。徐々に自分のスタイルも固まっていくことだろう。こういう有望株が引き抜かれて東京に行ってしまうのだ。名前を記憶にとどめておこう。