The Blueswalk の Blues&Jazz的日々

ブルースとジャズのレコード・CD批評
ときたまロックとクラシックも
 
[TOP]へ戻るには上のタイトルをクリック

Gettin’ Together / Art Pepper

2011-12-27 23:01:48 | 変態ベース

Gettin’ Together / Art Pepper
     ~ 名盤になりそこねた一枚
                                                           By 変態ベース
 ソニー ロリンズは今も現役で演奏している。つまり半世紀以上を第一線で活躍したわけだ。しかし60年代を境にして彼も調子を崩してしまったように思う。RCAへの復帰作『The Bridge / 橋』は、それ以前のアルバムと比べて明らかに内容が変質(劣化)しているように感じる。要するに、彼の絶頂期はデヴュー後の僅か10年余りということなのだ。


1950年代に好調を持続したアート ペッパーも60年代に入って、突然何かが変わり始めた『Getting’ Together』(60年2月29日録音)は、マイルス デイヴィス クインテットのリズムセクションと共演したアルバムだ。しかし57年の名作『Meets the Rhythm Section』の二番煎じみたいな企画がわざわいし、巷の評判は芳しくない。

  
 『Getting’ Together』の直前、59年5月に録音されたペッパー最後の傑作(と私は思っているのだが)『+Eleven』は快調そのものだった。『Modern Jazz Classics』のサブタイトルが示すとおり、パーカー、モンク等モダンジャズのオリジナル曲がふんだんに盛り込まれたこの賑やかなセッションは、泉のように湧き上がるフレーズとペッパーならではの色気とダンディズムを発散していた。バラードにおける泣き節も健在。編曲も楽しく全く非の打ちようがないアルバムだ。
 ところが翌年の『Getting’ Together』になると、どこがどうのと具体的な指摘は難しいのだが、明らかに演奏からナイーブさや彼独特の陰り、それともっと細かな集中力が低下している。平均作の水準は保っているが、ペッパーのアルバムという点を勘案すれば並み以下。はっきり言って平凡なアルト吹きとでもいうか、血眼になって追いかけるような存在ではなくなってしまったところが寂しい。それに続く『Smack Up』『Intensity』(ともに60年録音)は更に精彩を欠く。途中のブランク(医療刑務所に閉じ込められていた)を挟んで70~80年代のペッパーに至っては、全くの別人のようだ。(尤もGalaxyへの録音は、別人と割り切ってしまえば それなりに面白いのだが)

  
 評論家の岩浪洋三氏は、復帰後つまり80年代のペッパーの信奉者だ。晩年のペッパーを批判することは、ペッパーの経歴をひいては人生そのものまで否定することだと御立腹だった。しかしそんなことに憤慨するなど、何をかいわんや、的外れもいいところだ。ペッパーが衰えてしまったことは、疑いようもない事実だ。それを庇護したところで、なにがどうなるというのだ。
ジャズマンが、場数を踏み、円熟味を増し、演奏も充実するという論理には一点の曇りもない。しかし、思い出してほしい。ジャズマンの多くが代表作・名盤を録音したのは、たいてい彼等が20~30代の気力、体力ともに充実していた時期なのだ。年齢を重ねて得るものもあるが、同時に失うものもある。早い話、イマジネイションが枯れてしまったとか、アップテンポについていけなくなったとか。演奏という行為はどこかスポーツと似ている。基礎体力や反射神経が低下すると、パフォーマンスに対する持続力、集中力もへこんでしまう。それを考えると、年季の入った者よりピカピカの新人の方が、優れた演奏を残すことも考えられるのだ。

 『Getting’ Together』のペッパーはまだ34歳だった。ペッパーに関しては、気力、体力が衰えていたとは考えにくい。しかしかつてのような情熱が希薄になったことは明らかだ。スタンダードナンバーのSoftly,as in a Morning Sunriseを聴いてみても、どこが悪いと言って別に普通の演奏なのだが、ペッパーが普通では物足りない。彼がよく演奏するバラードDianeもまるで魂が抜けたみたいだ。以前ならもっと燃え上がるような見せ場が随所にあった。テーマひとつとっても、何処かに聴かせ処を作ったものだ。それが熱が冷めてしまったように淡々と吹いているのだ。この変化は一体何処からきたのだろう。私にはペッパーが単純に下手になったというより、それまでの演奏にマンネリズムを感じ、違う方向に歩み始めたあかしと考える方が合点がいく。
 時代背景は激動の60年代。モード、フリー等、ジャズ内部の変化は急速だった。ペッパーがその影響で揺らいでいたことは事実だ。受刑中のペッパーが一番関心を寄せていたのはコルトレーンだったという。晩年のライヴに10分を超す長大な演奏が多いのもその影響だろう。しかし元々すぐれた短編作家だったペッパーには、集中力を切らさずそんな長い演奏を吹き通す能力は乏しい。
 ペッパー、ロリンズ、エヴァンス。生真面目でナイーブな人ほど考え込むものだ。自分の演奏に疑問を感じ、或いは自信を失い、ドラスティックな変化を求める。しかし皮肉なことにそれは必ずしもファンの期待とは一致していない。彼本来の魅力や「らしさ」さえ切り捨ててしまう危険が伴うからだ。マイルスもまた変化し続けた。しかしマイルスはどんなにスタイルが変っても、決して「らしさ」を失わなかった。アート ペッパーは迷い苦しんだあげく、別の道程を選択した。私には彼の選択が納得できない。彼は自分が思っているほど器用な人間ではないからだ。さりとて50年代のスタイルを変えずにいたら、それが正解だったという確信もないのだが。



最新の画像もっと見る