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The Blueswalk の Blues&Jazz的日々

ブルースとジャズのレコード・CD批評
ときたまロックとクラシックも
 
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この夏 2011

2011-12-18 21:21:10 | 変態ベース

この夏 2011
                                              By 変態 ベース
 地下鉄に乗ると、イヤホンをしている人をよく見掛ける。あんなにやかましい車内で、よく音楽なんか聴けるものだと感心するが、今のヘッドホンプレイヤーよく出来ていて、周囲の騒音なんか屁のカッパ、充分音楽が楽しめる仕組みになっているらしい。見渡すと、若い人に混じってけっこう年輩の方も(そんなことを言う私の方が年上かもしれないが)いらっしゃる。さていったい何を聴いておられるのか、おせっかいながらいつも気になる。
 「もしもし、お楽しみのところ大変恐縮ですが、今どのような音楽をお聴きで?.....えっ、ジャズですか いやー趣味が合いますなあ 実はわたくしこういう会に所属しておりまして.....」差し出す名刺は持ち合わせていないが、こんな風にトントン拍子に話の輪が広がるとメンバー集めも楽なんだが。
この暑い最中に、イヤホンのようなものをつけるのがどうしても駄目だ。汗をかいた首筋に、イヤホンのコードがペチャペチャと触れるあの感覚が苦手なのだ。そんな私も若い頃はウォークマンを使っていたな。初代カセットウォークマンが登場したのは1979年のことだ。手持ちのカセットテープをアウトドアで楽しめる。手軽で操作も簡単。これは画期的だという訳で、世の音楽好きはこぞってウォークマンに飛びついたものだ。その後、MDウォークマンも使ったが、あれは音質も良かったし使い勝手が良く便利だった。CDウォークマン(ディスクマンと言うらしい)は、今も手元にあって自宅用に重宝している。iPodはすぐれものだと聞いているが、未だに購入の予定はない。首ペチャペチャが苦手なことと、若い頃のように屋外でも聴きたいという衝動がなくなったことが最大の理由だ。
 そう言えば変なモノを思い出した。昔、ソニーの商品カタログのうしろの方に載っていたのだが、それはLPレコード用携帯プレイヤーのように見えたのだ。LPウォークマン?あれは本当にそんな商品だったのか。だとすれば超が付くくらいの珍品だ。いくらウォークマンが当たったからと言って、肩からレコードをぶら提げて聴くなんて現実的ではない。それも天下のソニーが真面目に考えたのなんてお笑いネタになりそうだ。レコードが疵だらけになりそうだし、だいたいまともに聴けるのか。インターネットで調べても、手掛かりすらつかめない。話題に上った記憶もないし、売れた痕跡もない。何れにしてもすぐに廃品になったことは確かだ。

 さてこの夏の椿事とでも言おうか、我ながら驚きと共に大変嬉しく感じたことがある。それは、マーラーが聴けるようになったことだ。マーラー? そう、あの十九世紀最後の大作曲家にして、高名な指揮者でもあったグスタフ マーラーのことだ。もうかれこれ十年ばかり前の話になるだろうか。なんばにあった中古CD店 ビッグピンクで、クラウディオ アバド指揮によるマーラー交響曲全集を見つけたのは。しかしマーラーなんてまともに聴いたことがなかったし、どうしたものかと思案に暮れていたのだ。それがある日煮え切らない決断心に蹴りを入れ、ついにそのセットを買ってしまったのだ。随分迷った挙句の衝動買い?だったが、こんな時こそお宝を引き当てたという予感がある。持って帰って取るものも取り敢えず聴いてみた。もちろん、マーラーのマの字も知らない。だから第一印象は果たせるかな、「なんだこりゃ 意味わかんねー だいたい 交響曲のくせして何で歌が入っているの その上どの曲も死ぬほど長いし ベートーヴェンやシューベルトのシンフォニーと似ても似つかない ああ、俺としたことがなんて粗相をこいてしまったのだ」それ以来、このセットはCDラックのおもし、つまり豚に真珠状況におちいってしまったのだ。
それでも何故か売り飛ばそうという気持ちは起こらなかった。それはこの音楽を嫌いだと思ったのではなく、相変わらず「意味わかんねー」状況のまま進展がなかったからだ。つまり嫌いなものは傍に置いておくのも鬱陶しいが、わかんねーものはひょっとして「わかっちまったぜ」みたいな時が来るかもしれない。そんな淡い期待感みたいなものが、このおもしセットにはへばり付いていたわけだ。それに何と言ってもわかんねーのまま手放すのは余りにも悔しい。おまけにほとんど聴いてない訳だから全く元が取れてない。

 それまでマーラーのシンフォニーで普通に聴けたのは第一番の『巨人』だけだ。それがどうしたことだろう、封印が解けたみたいに音楽が向こうからスーッと私の中に入ってきたのだ。このところクラシックを聴く機会が増えていたので、体の方も受け入れ態勢が整っていたのかもしれない。馴染んでしまえばどうってことないのだが、何故あれほど拒否反応を示したのだろう。つくづく音楽なんて解からないものだと思う。身構えると、中々打ち解けられないこともあるし、意識していない方がすんなりいくこともある。マーラーも難しく考えすぎると駄目みたい。今でも楽曲の長いのは少々もてあまし気味だが。
先だってナハトムジーク用に入手したポータブルオーディオも大いに役に立っている。ただ、寝転がって聴いていると、たいてい第一楽章が終わらぬうちに寝息を立てている。通勤の車中でかけることもあるが、ダイナミックレンジの広い交響曲、マーラーの作品は特に弱音部の再生が難しい。そんな意味では、音のクオリティは落ちるが、イヤホンで音量を調節しながら聴くのが一番理に適っているように思う。
 「吊革にぶら下がっている、おとうさん。余計なお世話かもしれませんが、今なにをお聴きです?.....えっ、マーラー、本当ですか、気が合いますね、実はわたくしも.....」


Live from Tokyo

2011-12-11 11:55:37 | 変態ベース

Live from Tokyo
Thad Jones~Mel Lewis & The Jazz Orchestra
                                                                    By 変態ベース
 Jazz Japan誌 Vol.11の特集記事『愛すべきB級グルメ的ジャズ』では、サド ジョーンズが採り上げられていた。ジョーンズがB級かどうかはさて置き(ブルーノートのミュージシャンがこの特集に取り上げられることが多いのはどうしてなのよ)、その記事の中でライヴアルバム『Thad Jones~Mel Lewis & The Jazz Orchestra ・ Live in Tokyo』にふれて、そのコンサートの全貌が聴きたいという一行が目を惹いた。このオーケストラにとって2回目の日本公演は1974年の春に行われた。その2年前の初来日は、プロモーターのチョンボも重なって、まともなコンサートが開けなかった。それだけに、74年のツアーが成功裏に終わったことは誠に喜ばしいことだ。本アルバムに収録されている曲は、3月12日東京芝郵便貯金ホールと、13日東京都市センターホールの演目から編集されたものだ。両日の録音はDENONによって行われたが、前述の全貌とは編集にもれた残りテープのことを指す。
 彼等の来日コンサートの模様は、FM大阪でもオンエアーされた。私はたまたまその放送を聴いていたのだが、エネルギッシュで迫力満点の演奏に深く感銘を受けたものだ。このツアーに帯同した歌手ディー・ディー・ブリッジウォーターが、オーケストラをバックに歌う豪快なBye Bye Blackbirdにも強いインパクトを受けた。日本で制作された彼女の初リーダー作『Afro Blue』は、前述の『Live in Tokyo』と合わせ買い求めた。それ以来、私はこのオーケストラの大ファンである。とにかく出来得る限りこのオーケストラの演奏を聴きたい。海賊盤も見つければ後先考えず買ってしまう。ジャズオーケストラの中でも彼等は別格の存在。もし埋もれている音源が見つかれば、可能な限り発掘してほしい。Bye Bye Blackbirdは、今もきっと放送局の棚のどこかで埃をかぶっていることだろう。カセットに録り損ねたあの日の演奏を、願わくばもう一度聴きたいものだが、それは叶わぬ夢というものだ。
 残りテープの存在については、以前から取り沙汰されていた。当然のことながら、私もその話題がすごく気に掛かっていたひとりなのだ。日本ではエリントンやベイシーの話で盛り上がっても、サド~メルには関心が薄い。アンサンブルより各メンバーのソロを中心に演奏を組み立てるコンボ的なスタイルが、巷のビッグ バンドファンの嗜好から幾分ずれているからだろう。ジョーンズが亡くなり、一時期メル ルイスがバンドを継承していた。そのルイスも亡くなって、とうとう名物オーケストラも潰えたかに思われた。しかし本国における彼等の人気(特にミュージシャンの間での)は依然として根強いものがある。ニューヨークにはその遺志を継ぐ「Vanguard Jazz Orchestra」があって、今尚地道に活動しているからだ。多分CDで3~4枚になると思われる74年の東京公演のテープ。何とか日の目を拝ませてほしいと願っているが、厳しいだろうなそんな売れそうにないモノ。

 50年代中頃、サド ジョーンズはブルーノートにアルバムを録音する傍ら、カウント ベイシー オーケストラのアレンジャー兼ソロイストとして活躍をした。しかしいつかは自分の楽団を持ちたいという希望を抱いていたのだ。ジョーンズの編曲はジャズ界の至宝だ。彼等のオーケストラはよくモダンベイシーと評される。それはジョーンズの編曲が伝統的なジャズサウンドに立脚しつつ、より不協度の高いアレンジを特徴としているからだ。誰かとちったかなと勘違いしそうな濁ったハーモニーと、舌を噛みそうな複雑なリズム。聴き込むにつれて、それがグルーヴィーに感じられるようになるから、ジャズって音楽は不思議だ。
 トランペッターとしてのジョーンズは既によく知られている。自分のオーケストラを主宰するようになってからは、コルネットやフリューゲルを使うことが多くなった。コルネットはトランペットに比べると角のない柔らかい音がするが、それがジョーンズの個性に合っていると思う。ステージの脇に立ち、巨体を揺すりながら指揮を取る光景はバンドの呼び物のひとつ。目でも聴衆を楽しませてくれたのだ。ソロの機会はなるべくオーケストラのメンバーに譲った。若い連中にも華を持たせようという親心だ。
 才覚のある者なら誰でも、ベテラン、ルーキーを問わずバンドのリハーサルに参加できた。ローランド ハナやペッパー アダムスのような重鎮には、特別枠が用意されていたかもしれないが、その他は席の奪い合いだ。ジョン ファディスみたいに保守的な奴もいれば、ビリー ハーパーのようなフリーキーテナーも合格(彼等も日本に来た頃は、無名の新人だった)。 
 一般論としてオーケストラの構成は、黒人或いは白人のどちらかに偏るものだ。それは人種間のいさかいと言うより、殆んどはバンドカラーに起因するものなのだ。サド~メル オーケストラは、混成バンドとしては数少ない成功例である。リーダーがそれぞれの分担を果たし、お互いを尊重していたから成しえたのだ。

 メル ルイスはスタン ケントンやベニー グッドマンのオーケストラで長いキャリアを積み、60年代の半ばになってようやく、念願のバンドを旧知のジョーンズと共に結成することが出来た。ルイスはグッドマンのグループにいた頃、親分の品行の悪さを告発したことがある。相手が雇い主であれどんな大物であれ、仁義にもとるやつは許しちゃおかねえ。オーケストラの面子はオセロみたいだが、白黒つけるところははっきりさせる。子分どもの信頼が篤いのも、彼の人徳と公平な采配ゆえであろう。
ルイスの真骨頂は、出しゃばらずオーケストラを軽快にスイングさせる技にある。サドのこってりと、ルイスのあっさり。豚骨と塩ぐらいの差はあるが両方おいしい。絶妙の好一対を成す。彼のタイコは、モダンというより中間派的な味付けがある。オーケストラのドラマーは、バディー リッチやルイ べルソンのように派手な人に注目が行ってしまう。しかし耳の肥えたジャズファンには尚更のこと、ルイスの渋いサポートに着目してほしいものだ。
 サド~メルは活動期間が長くなかったので、作品数も限られている。さればこそ、全貌の解明に固執しているのだ。もっとジャズピープルの会話にのぼること祈りつつ、ビッグニュースが飛び込んでくるのを待っている。


ミニコンポ

2011-12-04 10:52:42 | 変態ベース

ミニコンポ                              

                                                                    By 変態ベース
 先日、ミニコンポを購入した。オンキョウのCD/FMチューナーアンプCR-D2とスピーカーD-308Mがそれだ。我家では、オーディオ装置の隣にパソコンが置いてあるのだが、このパソコンがしばしば家族間で取り合いになっていた。特に最近、次男が大学に通うようになってからというもの、スカイプによる友達との通話が増えて、夜はパソコンを占有する時間が長くなった。私としては夕食後のひと時を、ゆっくりと音楽を聴きながら過ごしたいのだけれど、残念なことに私の音楽が彼のチャットの妨げになっているらしいのだ。こちらも気を遣ってヘッドホーンを使っていたけれど、気温も上昇するとさすがにそんな酔狂な真似は続かない。たまに大音声で(私は控えめに聴いているつもりなのだが)鳴らすと、すかさずクレームが飛んでくる。このようなトラブルは数年前から繰り返されてきたのだ。オーディオを布団の敷いてある所に持って行こうということも考えたが、「あんなジャマなもの」とかみさんに一蹴された。その頃から寝ながら聴ける手頃なコンポをという思いが膨らんできたのだ。
 音楽の楽しみ方は、ひとそれぞれである。KJSにはラジカセやパソコンで楽しんでいる方もおられるが、私はどうしてもそういう聴き方が我慢できないのだ。若い頃から、ロックコンサートやジャズ喫茶の大音量に慣らされてしまったせいか、音楽は出来るだけ大きな音で聴きたいという先入観が抜けない。通勤車中のカーステレオも音が大きい。パトカーのサイレンにも気が付かないほどだ。そう言えば小さい頃からテレビの音声もやけにでかかった。辛いもの好きな人は、どんどん香辛料を入れなければ物足りなくなる。呑兵衛は、酩酊状態までいかないと呑んだ気になれない。私の場合、小さい音では聴いたような気がしない。却ってフラストレーションが溜まるというものだ。それがたたってか、定期健診では聴力に異常ありという診断を毎年のように頂いている。うちの母も耳が遠く、遺伝的にも聴力には不安を抱えている。しかしそれでもショボイ音楽だけは御免こうむりたい。

 寝床の横に置いたミニコンポだが、アンプはCDプレーヤーとFMチューナーを内蔵しているが極めてコンパクトな設計。ボリューム以外の調整つまみ類も簡略化されている。幅205mmは通常のアンプの約半分。但し、スリープタイマーが付いていて時間がくると電源が落ちる。聴きながら寝入ってしまうケースが多々ある私には嬉しい機能だ(アナログプレイヤーなんか翌朝まで回り続けていたこともしばしば)。最近のシステムコンポやラジカセを見て回ると、たいていUSB端子やi-Pod入力なんかがついているが、私には用がない。基本的にCDさえ聴ければ良い。本当はFMも必要ないのだ。無駄な装備を省いた分、しっかりしたものを選びたい。本機の選定はその辺りが決め手だった。
スピーカーは、3cmリングツイーターと10cmモノコックコーンのウーファー。縦241mm、横136mm、奥行き154mmの超小型システムだ。元々がAVホームシアター用のサブスピーカーなのだが、ずっしりと重たく作りは頑丈だ。もうワンサイズコンパクトな108シリーズもあったが、さすがに低音がきびしい。試聴室であれこれ聴き比べると、だんだん上級機に目が移るが、上を見ればきりがない。一本8千円の買い物が、コストパフォーマンス的に果たして高かったのか安かったのか判らないけれど、ここらで手を打つことにした。

 寝ている部屋にコンポを持ち込みたかった理由はもうひとつもある。実は、寝ている部屋の裏にちゃんこ料理屋があるのだ。周りは閑静な?住宅地だというのに、どういう訳かそのど真ん中、それもよりによってうちの真裏にこのちゃんこ屋はあって、宴会シーズンともなるとこれがまた喧しいのだ。たいてい私が就寝する11時頃まで、酷い時には日付が変わる頃まで騒いでいるからよけいに腹が立つ。ちゃんこ屋のおやじさんに遺恨はないが、ここは何らかの対抗手段を打たねばならない。そこで宴会の日には、ちゃんこ屋目掛けて大音量の音楽を一発ぶちかまそうというのが、ここ数年私が温めてきた計画である(これって威力業務妨害に相当するのだろうか)。小手調べはオーネット コールマン。それで効き目がない時は、レッド ツェッペリン。最後の締めはストラヴィンスキーの『春の祭典』。今年の冬は決戦だ。

 さて、肝心のセッティングだが、スピーカーを取り付ける位置が決まらない。壁掛け用のスピーカーなのだが、部屋の3面が箪笥と押入れ。唯一取り付けられる壁面はちゃんこ屋側。そちらの壁は窓があってその上にクーラーが付いている。クーラーの横に設置するしかスペースがないが、私の寝ている位置からは急角度で、ちょうど頭の上から音が降り注いでくるようなポジションだ。もっと低いところ(窓の下あたり)がベストなのだが、そこだとかみさんの寝ている布団の真横で、起き上がった拍子に頭をぶつけることになりそうだ。そんな訳で未だに自分の枕元にアンプとスピーカーが転がっている。寝ながら音楽を聴こうという魂胆が間違っているのか。はてさて布団とミニコンポを抱えて、放浪の旅に出るべきか。



ROCKIN' in RHYTHM

2011-09-19 17:43:27 | 変態ベース

ROCKIN' in RHYTHM
                                                     By 変態ベース

Fragile ~  Close To The Edge
 KJSの会員にはクラシックの隠れファンもいらっしゃるようだが、驚いてはいけない、何を隠そうこの私も少しはクラシックを嗜むのだ。クラシック歴(そんなご大層なものではないが)は、さかのぼることジャズを聴き始めたころと重なるので、キャリアだけはそこそこ長い。但し皆様ご推察の通り、ほんの冷やかし程度のリスナーなので、あの指揮者がどうの、この演奏家がこうのと、いっちょ前の口が叩けるほどは解っていない。
 私が最初に好きになったのは、ストラヴィンスキーのバレエ音楽『春の祭典』だ。近代音楽の傑作とされるが、複雑なリズムと不協和音が特徴的だ。どう考えても、初心者が手を出すような代物ではないように思える。しかし好きになってしまえばアバタもエクボ。あのエネルギッシュな響きが、頭からこびりついて離れない。最初に聴いたレコードはバーンスタイン指揮、ニューヨークフィルハーモニーの演奏だった。それ以降もブーレーズ、カラヤン、ショルティ等々を聴き比べたが、それぞれ微妙に楽器の響きやテンポが異なっていて面白い。クラシックの楽しみを垣間見たような気がしたものだ。あのまま順風満帆にクラシックにのめり込んでいれば、私も今頃は一端のクラシックファンとなり、或いはKJSの皆様ともお会いする機会がなかったかもしれない。そんな運命のいたずらを、ため息交じりに残念がる方がいらっしゃらないことを、心から祈るばかりである。
 さてストラヴィンスキー以降も、気が向けばちょろちょろレコードを手にしていたわけだが、そもそもクラシック(ついでにジャズも)に興味を持つようになったのは、イエス/Yesというロックグループとの出会いがきっかけだった。イエスは、キング クリムゾンやピンク フロイドと肩を並べる、イギリスの代表的プログレシブ ロックバンドだ。プログレシブ(Progressive)には、先進的、前衛的という意味がある。つまり従来のロックが、ジャズやクラシック等々の影響を受け、どちらかと云えば技巧的で、ポピュラリティーよりアルバムのトーナリティやアーティスティックな面に重きを置く、ちょっと進んだコンセプトを持つグループの総称である。それまではローリング ストーンズ、レッド ツェッペリン等の所謂ハードロック系のバンドにしか関心がなかったけれど、イエスを聴く機会を得て自分のミュージックライフが大きく展開していったのだ。


 『Fragile/こわれもの』を聴いたのは、高校生の頃だった。『Fragile』は彼等の4枚目のアルバムで、イエスの名前をロックファンの間に知らしめた重要な作品だ。Roundabout、Heart of Sunriseといった彼等の代表曲に、各メンバーのソロナンバーをちりばめた快作だ。キーボードプレイヤーにリック ウェイクマンが加入し、サウンドも大きく変貌を遂げた。ステージ上でもウェイクマンはひときわ目を引く。グランドピアノ、ハモンドオルガンの上にシンセサイザーやメロトロンを積み上げ、キーボード類に囲まれた風情はさながらワンマンオーケストラのごとく、シンフォニックサウンドの要となっている。因みにメロトロンと云うのは、ストリングスの録音テープが鍵盤を押さえることで再生する仕組みになっている。高価で複雑、運搬調整に手間がかかり、ツアー中にトラブルを起こしたらこんな厄介なものはない。ストリングス以外にもフルート、コーラス(混声)が切り替え選択できる。巨大なテープ再生機であり、果たして楽器と呼べる代物かどうか怪しいものだ。ミュージシャンのユニオンからは仕事を侵害されるとの理由からクレームが付き、訴訟沙汰にまで発展したらしい。
 話がそれた。イエスのクラシカルな部分、つまりオーケストラ的な音空間を支配するのがリック ウェイクマンだとしたら、ジャズ的な側面(イエスの音楽はそんなにジャズっぽくないと感じる人もいるようだが)をリードするのが、ドラマーのビル ブラフォードである。ブラフォードは小さい頃からジャズに興味を示していたという。イギリスの音楽業界は、ロックとジャズの境目が曖昧で、相互間の交流も盛んである。つまりロック系ドラマーにもジャズの素養を持った人が少なくないってことだ。ブラフォードもそんな訳で当初はジャズミュージシャンを志していたのだが、募集に応じてアンダーソン等に合流したのだ。その素質はこのアルバムを聴けば解って頂けると思う。特に難曲Heart of Sunriseでは、彼のジャージーなセンスが随所に感じ取れるはずだ。


 ブラフォードはロックドラマーとしては独創的である。クリアーなシンバルレガートと変則的なスネア奏法は、ジャズドラミングを研究した成果が窺える。最高傑作の誉れ高い5作目『Close To The Edge/危機』を最後に、彼はキングクリムゾンに引き抜かれてしまった。それは、イエスの音楽に方向性の違いと限界を感じてしまった結果と思う。彼の脱退と共に、イエスの音楽も急速にポテンシャルを失いこわれてしまったのではないだろうか。私は彼の演奏を聴いてジャズに強く惹かれるようになった。ある時期、彼に心酔していたと言っても過言ではない。初来日の時、ドラマーがアラン ホワイトに代わっていたのには、本当に落胆した。ブラフォードの抜けたイエスに対し、私は急速に興味を失ってしまった。しかし彼のドラミングの才能も、イエスと共に開花・熟成したことを忘れてはならない。彼の演奏が最もセンシティヴだったのは、イエスに加わっていた数年だったと私は思っている。特に『Fragile』以降の頭脳的なドラミングは他に比類する人物が浮かばない。そんなブラフォードも六十歳を機に、早々と演奏活動から身を引いてしまった。以前なら、大慌てしたようなニュースだが、平然と受け止めてしまった自分に少し驚いている。

 クリス スクワイアはイエス結成以来のメンバーで、分裂解散後もイエスの名義を繋ぎグループを統率している。ベースギターを弾きながら複雑なコーラスも担当する。大変難しいパートをいとも簡単にこなす優秀なプレーヤーだ。リッケンバッカーのベースギターが彼のトレードマークだ。ディストーションの利いたトーンで、まるで2本目のリードギターのように、ステージ狭しと弾きまくる。その一端はソロナンバーFishで窺い知ることが出来る。深海から湧き上がってくるような不思議なサウンドは、すべて彼のベースから生み出されたものだ。因みにフィッシュと云うのは彼のニックネーム。5人の中では最もストレートなハードロッカーぶりを披露する。


 ロックギタリストと云う人種は、たいていボディーの平べったいソリッドギターを使うものだ。ギブソンのレスポールやフェンダーのストラトキャスターといった名器がそれだ。スティーヴ ハウは、珍しくフルアコースティックボディのギターを愛用する。彼はジャズからクラシックまで幅広くトレーニングをしてきたが、その影響でギターもフルアコに慣れてしまったのだろう。ハウは3枚目の作品『The Yes Album』から、グループに加入した。彼のバーサタイルなプレイは、間違いなくイエスの重層的な構成に貢献している。ソロナンバーMood For A Dayではフラメンコタッチの演奏を披露する。South Side Of The Skyのオブリガートは、ダイナミックで並のギタリストには真似できない。凄腕のテクニシャンという称賛と、センスが悪い、ヘタクソだという悪口が交錯して、世間の評価はマチマチだ。確かに聴いていてルーツのさかのぼれない、最もロッカーらしくないロックギタリストだ。
フレディー マーキュリーが亡くなった後、ポール ロジャースを入れてクイーンが再結成されたと聞いた時は耳を疑った。そんなクイーンなんてあり得ないだろうというのが感想だったからだ。同様にジョン アンダーソン抜きのイエスもあり得ないだろうと思っていたが、最近のツアーでは彼に代役を立てて回ったというから驚きだ。ハスキーで声に独特の透明感がある。声量はないし、シャウトするタイプではない。少なくともハードロックには向いていないと思う。しかしイエスの成功は彼のユニークさに頼るところが大きいはずだ。思索的で自然愛好志向が強く、シーシェパードのようなテロリストではないが、優しくクジラを殺してはいけないよと説くタイプ。もちろん原発のような自然の摂理に反するものには、基本的にネガティヴな姿勢を貫く、と自由気儘にアンダーソンの人物像を想像してみたが、本当はどんな人なのかよく知らない。哲学的でイエスの精神的支柱となる人物だが、グループの中で一番浮いているようにも思える。でも彼の代わりはどうしても考えられない。アンダーソンが抜けたらイエスではなくなるだろう。

 『Close To The Edge』はイエスの最高傑作で、プログレの名作として彼等の名前を決定的なものにした。私もこのアルバムには完全にノックアウトされたひとりなのだ。あまりにも上質で気品があって、ロックビートのイージーリスニングみたいな悪口も囁かれる。クリムゾンファンのイエスに対する上から目線は、おおむねそんな優等生面に対する当てこすりなのだ。しかしイエスファンは、そんなやっかみを取り合わないことにしている。
奇跡のような演奏は、傑出した五人のミュージシャンが結束したからなし得たことだ。A面一曲、B面二曲からなるこのコンセプトアルバムは、歌詞カードの対訳を読んでも哲学的で何を歌っているのか実のところさっぱり解らない。シンフォニックロックの最高峰として完成度が高く、テクニカル面でもメンタル面でも、グループがぎりぎりまで張りつめたピークの状態にあったことは間違いない。それに対し、編曲が複雑かつ精緻で、ロックの演奏としては余りにも制約も多く、技術的には金縛り、がんじがらめの酸欠状態にあったことも確かだ。ブラフォードの脱退も、そんな閉塞的状況を克服できなかったからだ。

 

 『Fragile』『Close To The Edge』の成功は、皮肉なことにライヴでの彼等をも、身動きできない状態にしていた。それはこれらのアルバムを崇拝するファンが、ステージでもアルバムの音楽がそっくりそのまま再現されることを期待していたからだ。グループの誰もがその無言の圧力をひしひしと混じていたに違いない。しかしこのアルバムの音楽はスタジオでリハーサルとダビングを繰り返し出来上がったものである。いかに五人がテクニシャンで優れたミュージシャンだったとしても所詮は生身の人間、アルバムそのままを再現することは不可能である。(またそのようなこと ――つまりアルバムを完璧に再現することに―― 全精力を注ぎ込むことが音楽本来の目的であるかと云えば、疑問を感じるのだが。)


そんな彼等のステージを捉えたアルバムが、LPにして3枚組の大作『Yessongs』である。イントロ部分、彼等がステージに登場する場面では、会場にストラヴィンスキーの『火の鳥』が流れる。御察しの通り私がストラヴィンスキーに興味を覚えるようになったのは、このレコードを聴いたからである。
 アルバムの評判は概ね好評のようだ。野性的でストレートなロックビートを取り戻したと、巷では評価されているようだが、私には粗悪な駄作にしか思えない。確かにドラマーのアラン ホワイトは、短い期間で複雑な曲をよくコピーしているし、リズム感も安定している。しかし、ブラフォードの精密さを期待すると、裏切られた気分になるのはどうしようもない。救いはブラフォードの叩いた演奏が、このアルバムに数曲収録されていることだ。特にPerpetual Changeは録音もクリアーで、ギターソロからドラムソロに至るプレイも溌剌としている。これこそロック本来のパワーと即興性を兼ね備えた名演だと思う。このテイクを聴いてから、他にも彼が入っていた頃のライヴテープが残されているのではと期待しているのだが、今まで発表された記憶がない。


 『Tales From Topographic Oceans/ 海洋地形学の物語』は壮大な駄作だ。『Close To The Edge』を聴いた人は、首を長くしてこの作品を待ち望んだものだ。LP二枚組、各面に一曲ずつを配した超大作のふれ込みに、発売前から期待が膨れ上がり話題を呼んだが、これだけものの見事に期待を裏切ってくれたレコードも珍しい。退屈で内容がなく、曲を練った痕跡もなし。レトルトのスープを水で薄めて過ぎ、やけくそで手当たりしだい調味料を放り込んで、訳の分らない味付けになってしまったとでも言うか。前作が超傑作だっただけに、メンバーのプレッシャーも大変だったことは想像がつく。急に売れ出して、ゆっくり音楽を吟味推敲する時間もなっかたのでは。イエスも終わったな。ダメ出しになった記念すべきアルバムだ。
今もイエスはメンバーを補強して演奏活動を行っている。しかし残念なことに過去のヒット曲と栄光にあやかった、メモリアルバンドのようになってしまった。往年のイエスファンとしては何とも歯がゆい話である。

 

 


極秘事項につき

2011-06-28 22:20:08 | 変態ベース

極秘事項につき
                                                    By 変態ベース
 近年は、DVDソフトの数も急増して、雑誌のレヴューではいくつもの作品が紹介されるようになった。新録から発掘映像至るまでクオリティも様々で、中には観ていられないような不鮮明で粗悪なDVDもあるような。しかし、自分好みのミュージシャンの貴重な映像には、やはり大いに好奇心をそそられるところだ。かつてのLD全盛時代から、私は映像ものを積極的に購入することはなかった。ソフトが高価なうえ、一回観たらそれでおしまいみたいなもったいない感があって、気乗りしなかったのだ。でも優れた映像作品は、やはり何度も繰り返し観たくなるものだ。


 トニー ウィリアムスのライヴ映像『In New York』。これはウィリアムスが晩年に組んだクインテットの映像だ。このクインテットは、彼が結成したグループ中で、最もストレートなフォービートを演奏した。それまでの彼の遍歴からすると、このようなけれんみのない演奏が聴けるものとは想像していなかった。「瓢箪から駒」と言ってはウィリアムスに失礼だが、私にとってこのクインテットは本当にうれしい誤算だった。キース ジャレットのアメリカンカルテットと共に、もっともナマを観たかったグループ。それがトニー ウィリアムスのクインテットなのだ。
 クインテットのDVDは、この作品以外にも海賊盤程度のお粗末な映像がある。それに比べて『In New York』の内容は比較にならないくらい素晴らしい。演奏場所はTVスタジオ。通常のライヴではなく、あらかじめ録画用にセットされたものらしい。各曲ともコンパクトにまとめられているのはそのせいだ。東京ブルーノートのライヴアルバム(CD)は、けっこうだらだらと冗長なプレイでいただけなかったが、この作品はきりっと引き締まったプレイがうれしい。メンバーはウォレス ルーニー(Tp)、ビリー ピアース(Ts)、マルグリュー ミラー(P)、アイラ コールマン(B)、トニー ウィリアムス(Ds)。曲目もウィリアムスが書いたクインテットのオリジナルで占められている。ウィリアムスの作曲はオリジナリティがあって好ましい作品が多いのだが、馴染みのない人には取っつきにくい面があるだろう。またどのナンバーも豪快で強烈なインパクトを与える反面、なんて荒っぽいプレイなんだと、眉をひそめる人がいるかもしれない。思いっきりハチャメチャで、爆風のようなドラミング。こんなプレイを新人ドラマーがやったら、間違いなくブーイングの嵐だろう。トニー ウィリアムスだからこそ許されるプレイなのだ。ハードな4ビートが好きな方には要チェック。必見、必聴。

 ケニー ギャレット カルテットの東京ブルーノートライヴは、テレビで放映されたものらしい。衛星やケーブルテレビでは、盛んにこのような録画を流しているみたいだが、残念ながら我が家は地デジ以外に受信していない。エアチェックをしてみたい気持ちはあるのだが、さてどんなものだろう。以前、WOW WOWと契約していた時も、せっせと映画を録り溜めしたが、積み上げるだけで結局観る機会を逸した。たまに人様から観せて頂くのが、新鮮でよいのかもしれない。
ケニー ギャレット(As)、大西 順子(P)、クリストファー トーマス(B)、ブライアン ブレイド(Ds)。何年前のライヴか判らないが、大西がブレイクする直前の演奏ということだ。ギャレットのアルトは鋭利な刃物のようだ。音色が軽いのでやわな奴だと思ってしまうかもしれない。でもそれは全くの勘違いだ。本セッションではやや抑え気味に吹いているが騙されてはいけない。ギャレットはフュージョン系のアルバムもあるみたいだが聴いたことがない。やはりハードなジャズをガンガンやるのが似合っている。
大西のピアノも冴えわたっている。憎らしいくらい男性的?なピアノを弾く人だ。相変わらずステージでは素気ない人だ。

コロシアム(Colosseum)は、ジョン ハイズマン(Ds)が結成したイギリスのロックバンドだ。ジャズ~ブルース寄りのハードなプレイを身上とするグループで、クリームやキングクリムゾンの陰に隠れて知名度は低いが、実力は彼等を凌ぐものがある。71年の解散前の『Live』は、ジャズもロックも含め世にある全てのライヴ盤の中でも、最も傑出したアルバムだろう。その後曲折を経て、彼等が再結成した時の演奏が、『Reunion Concert Cologne 1994』としてCD/DVDのカップリングで発表された。みんな外見は爺さんになってしまったがまだまだ血気盛ん。リーダーのハイズマン以下、ギターのクレム クレンプソン、サックスのディック ヘクストールスミスも全く衰えを感じさせない。クリス ファーローの野太いヴォーカルも健在だ。ブリティッシュロックファン必見のDVDだ。

 川嶋 哲郎は原~大坂クインテットの頃から注目されていたが、今や名実ともにテナーの第一人者となった。ソニー ロリンズ直系のストレートな演奏が持ち味だ。滔々と湧き出てくるフレーズは、全く破綻なく滑らかだ。同業者がやる気を喪失するのもうなずける。数年前には、無伴奏のソロアルバムを数枚リリースしたが、見事なプレイを展開した。海外ではエリック アレキサンダーに人気が集中しているようだが、私には彼の良さがイマイチ解らない。実力的にも川嶋の方が数段上手、世界的に見渡してもナンバーワンクラスと思うが如何なものだろう。高槻でも彼の演奏は2回聴いたが、もっとまともなコンサートに行ってみたいものだ。
『Days of Bird』はチャーリー パーカーにちなんだアルバムだ。バードに縁の曲、愛奏曲がずらりと並んでいる。1曲目を聴いてまず感じたことは、なんてスケベな人なんだってこと。テナーから漂ってくるコケティッシュな色気がムンムン溢れ、何とも艶っぽいムードが漂っているのだ。洗練されたロリンズといった感じか。敢えてイチャモンをつければ、吹きすぎってことになるだろうが、汲めども尽きぬエモーションの泉を、本人も抑制できぬ状態なのでは。彼は天才タイプなのだろうな。


Empathy / Bill Evans ~ 名盤になりそこねた一枚

2011-05-29 17:30:19 | 変態ベース

Empathy / Bill Evans
~ 名盤になりそこねた一枚
                                                      By 変態ベース
ビル エヴァンスという人は本当に駄作を作らないミュージシャンである。少なくとも正規の録音に限っては、これはとても聴けたものじゃないといった類いの作品は思い浮かばない。しかし彼のアルバムは、殆んどが似たようなトリオのフォーマットである。どのアルバムも内容は平均的に良好なのだが、裏返して考えるとずば抜けた作品が少ないことも確かなのだ。『Portrait in Jazz』や『Waltz for Debby』のような超有名盤以外のアルバム。それらの録音にも隠れた佳作秀作が多い。しかしそれらは押し並べてインパクトが薄く、特にスコット ラファロが亡くなった直後の諸作、それもエディー ゴメスがレギュラーに座るまでの期間は、一番割りを食らっている。


ヴァーヴのレコーディングはその最たるものだ。『Trio 65』なんて私が最も親しんだレコードのひとつだが、今ひとつ人気がない。アルバム全体の雰囲気も明るいし、エヴァンスのソロも快調そのものだ。しかしアルバムが出た当時の評判は散々だったとか。何せラファロ~モチアンを従えた「丁々発止のインタープレイ」の記憶があせぬまま、けっこう「普通」のピアノトリオを演じてしまったものだから、曰くエヴァンスは「後退」しただの「堕落」しただのと、ケチョンケチョンにこき下ろされたのだ。今でこそこのアルバムも再評価され、かような暴言が浴びせられることもなくなった。しかし60年代の空気や気運は、今とはずいぶん異なっていた。時代が時代であっただけに容赦はなかったのだ。

ヴァーヴへの初録音『Empathy』なんかも、全く評価されなかったのでは。だいたいそんなレコードあったかな?みたいな極めて地味で影の薄い作品だからお気の毒としか言いようがない。このアルバムは、ビル エヴァンスとシェリー マンのコ・リーダーってことになっている。ベースにウエストコーストの名手モンティ バドウィグを迎え、エヴァンスのレコーディングとしては珍しいメンツがそろったわけだが、如何せん少し華やかさに欠ける。しかしプロディユースはクリード テイラー、エンジニアはルディ ヴァン ゲルダーなので一切手抜きなんてなかったはずである。
オープニングのThe Washington Twistはアーヴィン ヴァーリンの作品。コミカルな感じのブルースだ。ああなんて軽快で楽しい演奏なんだろう。何が何でも「丁々発止のインタープレイ」しか容認できない向きには、これも「堕落」の象徴的演奏にしか聴こえないのだろうか。固定観念に縛られると、たかだか音楽すら素直に楽しめなくなる。
Danny Boyはエヴァンスの愛奏曲だ。メランコリックな旋律を聴いているうちに、何だかしんみりと感傷的な気分になってしまう。それでなくても年々、涙腺がしまりなくなって困っているところだ。アルバムの中では最も人気のありそうな演奏だ。
Let’s Go Back to the Waltzもバーリンのナンバーだが、あまり記憶がない。出だし部分はお得意のワルツ。華麗に軽やかに幸せな気分にさせてくれる。途中からテンポを上げてスインギーになる辺りが心憎い演出だ。歯切れの良いマンのブラシワークが絶妙だ。このアルバムのハイライトだろう。
実を言うと、シェリー マンのようなタイプのドラマーは必ずしも私の好みではない。必要以上に演奏に絡みすぎるのが、耳触りに感じられるからだ。それではタイムキーパーに徹するような、人畜無害なドラマーが良いかといえばそうとも言い切れない。願わくば、(エヴァンスのトリオに限ったことではないが)、あまり出しゃばらないタイプのベースとドラムスが気持ち良く聴けるように思う。
B面の一曲目は、With a Song in My Heart。ロジャース&ハートの有名な曲だ。ベースとドラムスのイントロに導かれてテーマが現れる。ベース、ピアノ、ドラムスの順番でソロを回す。9分余りの長い演奏になっているが、コーダに付け加えられたルバートの部分が意味不明。全く蛇足である。
ゴードン ジェンキンスの名曲Goodbyeは、ベニー グッドマンの十八番だった。沈鬱で悲しみに満ちた旋律が印象的なナンバーだが、エヴァンスの演奏はきりっとドライなところが好ましい。
締め括りはフランク ロッサーのI Believe in You。微妙に有名なようなそうでないような曲が多いのも、このアルバムの印象をマイナーにしている要因だとしたら、実に勿体ない話である。しかし演奏の中身は充実しているから、安心して聴いて頂きたい。

以上6曲、トータル35分ほどの短いレコードだが、同じくシェリー マンと共演した『A Simple Matter of Conviction』とカップリングした2inー1cdが出回っている。こちらの方がお買い得な感じもするが、真剣に聴くにはやはりバラバラのアルバムが良いと思う。


Live From The Village Vanguard Bill Evans

2011-05-08 14:46:11 | 変態ベース

Live From The Village Vanguard
Bill Evans
                              By 変態ベース
 ビル エヴァンスが亡くなったのは、1980年9月15日のことだ。早いものであれからもう既に三十年の歳月が流れたわけだ。その頃は私もまだ二十代の半ばだったけれど、彼の訃報に少なからずショックを受けたことを思い出す。エヴァンスは亡くなる直前にニューヨークへ戻り、折りしもファット チューズデイに出演中だった。手はむくみ頬の肉も落ち、痛々しいまでにやつれた姿であったと伝えられる。周囲は一刻も早く医者に行くよう諌めたが、本人は全く聞く耳を持たずそれを拒み続けた。出演の3日目容態が急変し、病院に担ぎ込まれた時には、手の施しようもなかった。治療の甲斐もなくその数日後には息を引き取ったのである。享年五十一歳。どうして優秀な人間ほど生き急ぐのか、私のような凡人には思いもよらない。長年の悪癖だった薬物依存と不養生。そして前年の兄ハリー エヴァンスの自殺。何がビルを追い詰めたのか全ては憶測の中。彼の死もまた緩慢な自殺だったとささやかれる所以である。

 80年6月、ヴィレッジ ヴァンガードに出演した時の演奏は、ワーナーブラザースにより収録された。既にこの時も体調は万全ではなかった云われる。その後ヨーロッパツアーを敢行し、アメリカに帰国後はサンフランシスコのキーストーン コーナーに出演した。(この時の演奏は後に『Consecration』というアルバムで発表された)休む間もなくニューヨークに取って返し、前述のファット チューズデイ出演となったのである。
 さてワーナーに収録された最後のヴァンガード セッションは、ボックスセット『Turn Out The Stars』として発売された。6月4日から8日までのステージを、6枚のCDに集めたものだ。ベースのマーク ジョンソンは、エディ ゴメスの後釜として77年からこのトリオに加わった。それまで参加していたウディ― ハーマンオーケストラを辞して、エヴァンスのオーディションに応募したのだ。当時、ジョンソンは全く無名の存在だったが、自己のベースディザイアーなどその後の活躍はご承知のとおりである。技巧的にも大変優れているが、ソロに於けるメロディックセンスも素晴らしいものがある。けっこう若い人かと思い込んでいたが、実は私と同年代なのだ。
 ジョー ラバーバラはフィリー ジョー ジョーンズの後任として79年から参加した。兄のパット ラバーバラはテナープレイヤーだ。エルヴィン ジョーンズのグループで日本に来たことがある。今はエンリコ ピエラヌンツィー等のグループのほか、活躍の機会も多いようだ。タイムセンスの正確なソロイストでもある。このふたりが参加したスタジオ録音は、79年8月の『We Will Meet Again』のみだ。但しこのアルバムはサックスとトランペットが入っており、純然たるトリオの作品ではない。しかし、『Turn Out The Stars』のほかに非公式のものも含めると、このトリオのライヴ音源は相当な数にのぼる。如何に貪欲に演奏活動を強行していたかが伺える。本来ならベッドに縛り付けておかなければならないほどの重病人が、身の程知らずにもほどがある。
 エヴァンスはユーモアを好む人であった。その人柄は演奏にも反映されていた。しかし晩年のパフォーマンスには、そのような余裕は感じられない。衰えゆく体力を気力で鼓舞するがごとく、思い詰めたような悲壮感が漂ってくる。特にこれらの録音はタッチも荒く、粗暴に感じられるテイクもあった。以前のエヴァンスには有りえない演奏だ。それは60年代から、ややもすれば保守的だった自らのスタイルに立ち向かうような行動だった。残された時間が差し迫っていると悟っていたのだろうか。『Turn Out The Stars』のライナーにもあるように、エヴァンスは自らに変革と新たな成長を課していたのだ。
 「私はどちらかと言えば融通がきかなくなっていた。音楽を活性化するチャンスが少なくなり、そのためにあまり成長できなかったのだ。」いつもうつむき加減だった彼の視線が、急に前方に標準を当てたようだ。しかし私のように保守的なファンには、耳の痛い話である。必ずしもそのような変革を彼に求めていなかったことが私の本心であり、そのギャップが今更ながら皮肉に感じられるのだ。


 その心境を象徴するように、エヴァンスは最後のヴァンガードのステージに新しいレパートリーを用意してのぞんだ。Tiffany, Your Story, Knit For Mary F, Yet Ne’er Broken, I Do It For Your Love等の新作がそれだ。それに加えMy Romance, Nardis 等の往年の愛奏曲は、大胆な手が加えられた。これらの旧譜は、過去と決別するかのようにテンポが速く荒々しくなった。また、MASH, Like Someone in Love, Days of Wine & Rosesで転調を繰り返すパターンも、それまで聴けなかった手法だ。新生エヴァンス トリオは完成を目前に、あわただしくその幕を閉じたのだ。


Live From The Village Vanguard Bill Evans

2011-04-17 11:02:31 | 変態ベース

Live From The Village Vanguard
Bill Evans
                                                                     By 変態ベース
ビル エヴァンスのトリオは、エディー ゴメスとマーティ モレルの在籍した頃が一番長くて安定していた。70年代の初め頃、タキシードを身にまとい、長い髪を振り乱して演奏する彼等の姿は、お世辞を言えばクラシックの名演奏家のように見えなくもなかったが、冷静な判断を下すならば、如何にもむさくるしくて薄汚く、私はピンカラトリオのイメージがダブって拭
えない。
まあ演奏の好し悪しは外見とは関係ないので、風体は大目に見て聴くことに専念しよう。彼等のトリオがヴィレッジ ヴァンガードに登場したのは、1974年1月11、12日のことである。この日の演奏は『Since We Met』『Re:Person I Knew』の2枚のアルバムに分けて発表された。その辺りの経緯は何となくリヴァーサイドの名盤『Waltz for Debby』『Sunday at the Village Vanguard』を連想させる。エヴァンスのヴィレッジ ヴァンガード贔屓は世間によく知られている。毎年このライヴハウスで数回の演奏をこなし、それはニューヨークに戻った際の恒例行事のようになっていた。しかしヴァンガードのライヴ録音も度重なると、どうも二番煎じみたいで印象も薄くなる。だからと言って、内容まで薄いなんてことは決してあり得ないので、何卒ご安心して聴いて頂きたい。


先に発売されたのは、『Since We Met』だ。ミディアム~スローテンポの似たような曲が並び、全体的に穏やかなイメージを受けるアルバムである。しかし似たような速さの曲が続くと、どんな音楽でも一本調子になってしまう。エヴァンスというミュージシャンは、意識してファーストテンポの演奏を避けていたきらいがある。それは速いフレーズの中には、微妙な感情や繊細なニュアンスを込めることが出来ないと、考えていたからではないだろうか。
またそれとは対照的に、エヴァンスのワルツ好きは病的なところがある。特に『Since We Met』では、表題曲をはじめワルツもしくはワルツのパートを含むナンバーは四曲。実にアルバムの楽曲の半数を占める。その他のアルバムでも、ワルツは必ずと言いていいほど何曲か登場する。しかしながら彼のワルツは、たくさん聴かされても嫌にならないから不思議だ(少なくとも私は全く苦にならないが)

エヴァンスがもっとも信頼を置いたベーシストは、やはりスコット ラファロだったと思う。彼を失ったエヴァンスの落胆ぶりが尋常ではなかったからだ。そんなラファロの後任を務めることは、どんなベーシストにとってもそれなりの決断を迫られることだったに違いない。しかしエディー ゴメスはその穴をうまく修復し、エヴァンスの信頼を勝ち取ったのだ。数ある共演者の中でも最も長期に亘りパートナーを組んだ事実が、そのことを証明している。ゴメスはプエルトリコ出身で、若くしてニューヨークに進出した。名門ジュリアード音楽院にベースを学び、次席の成績で卒業をした。因みにその時の主席は、クラシックの名演奏家ゲイリー カーであったという噂だ。演奏のスピードと安定感。音の粒ぞろいと音程の正確さ。いずれをとっても超一流。彼の右に出る人物はそうそう見つかるものではない。但しテクニックに依存しすぎて、時たまソロが荒っぽくなることがある。テクニシャンであるがゆえの難点だ。
楽器にはそれぞれの特性を生かした役割分担というものがあるはずだ。いかに優れたベーシストであっても、所詮ピアノのような楽器(それもエヴァンスのように極度の集中力が必要なプレイヤー)と対等に会話を交わしたり、渡り合うなんてことは困難の極みである。しかしエヴァンスは自分の音楽をより完璧なものにするために、無謀にもそんなハイレベルの技術と感性をベーシストに要求していた。インタープレイを否定するものではないとしても、エヴァンスの理想は高すぎたように感じられる。たとえばもう少し控え目なベーシストがレギュラーを務めていても、トリオの演奏が色褪せることは無かったのではと私は思うのだ。

『Re:Person I Knew』のほうが少し変化に富んでいる。タイトルナンバーは、よく取り上げられるエヴァンスのオリジナルだ。この不可解なタイトルはプロデューサーの、Orrin Keepnews(オリン キープニューズ)の名前のアナグラム(文字の並べ替え)である。
T.T.T.はTwelve Tone Tuneの意味。シェーンベルグの12音技法を取り入れたものかどうかは知らないが、確かにどこか無調に聴こえる。コーラスごとに三人がソロを取る。ゴメスがねを上げたといわれるナンバー。これまた高いスキルなくしては演奏できない代物だ。プロのミュージシャンと云えどもおちおちしてはいられない。

いつも疑問に感じるのはこの両アルバムの録音状態だ。同じロケーションのはずだが、何となく録音レベルに差異を感じる。特に『Since We Met』の方が、ノイズが気になる。私の耳がおかしいのか、ターンテーブルが悪いのか、回転むらを起こしているふうに聴こえて仕方がない。マイルストーンはリヴァーサイドのプロデューサーだったオリン キープニューズが立ち上げたレーベルだが、全般的に録音の程度はよろしくない。機材が古いのだろうか。それともエンジニアのセンスの問題か。それを考えるとルディー ヴァン ゲルダーやはり優れた手腕の持ち主だった。


Coltrane Time / John Coltrane

2011-02-26 11:00:28 | 変態ベース

Coltrane Time / John Coltrane 
~ 名盤になりそこねた一枚
                                                                    By  変態ベース

長くジャズに親しんできたつもりだが、いつも聴きそびれては、すれ違いを繰り返してきたアルバムがある。ジョン コルトレーンの『Coltrane Time』もそんな一枚なのだ。先ごろEMI傘下のアルバムを低価格でそろえた『JAZZ名盤999Best & More』が発売されたが、そのシリーズにもこの作品が入っていた。今回を逃しては、ひょっとして生涯このアルバムとは御縁がないのではと予感めいたものを感じたので、早々に手に入れた次第である。
この録音、元をただせばセシル テイラーのリーダー作品として制作されたものである。当初のタイトルは『Hard Driving Jazz』。疾走するスポーツカーを正面から捉えたブレ気味の写真が印象的だった。原盤はユナイテッド アーティスツ(UA)。元々、映画会社が設立したレーベルなのでサウンドトラックがメインだったが、やがてジャズやポピュラーも録音するようになった。それがEMIに吸収され、現在はキャピトルレコードが音源を保有している。CDの解説によると、1955年にトランジションレーベルを立ち上げた、トム ウィルソンというジャズマニアがこのアルバムの制作にかかわっているらしい。トランジションは知る人ぞ知るマイナーレーベルで、セシル テイラーはこのレーベルで初アルバム『Jazz Advance』を録音した。プロデューサーのウィルソン氏はよほどテイラーにご執心だったらしく、UAレーベルに転職してからもテイラーを追い続け、再びレコードを作ってしまったのだ。このアルバムが再発された際に、リーダーの名義がコルトレーンに変わり、タイトルも新たに『Coltrane Time』と命名されたのである。セシル テイラーには気の毒だけど、そのほうが売りやすいからというが理由みたいだ。
セシル テイラーはフリージャズの代名詞のようなミュージシャンである。テイラーの演奏から感じることは、先鋭的で凶暴な怒気のようなものだ。とにもかくにもミュージシャンとして活動していたから良かったものの、一般人として市井に紛れ込んでいたら、それこそテロリストか犯罪者にでもなったんじゃないかと思わせるくらい、この人の演奏から立ち上る気配は危険そのものだ。また無機質で人間的な暖かみが希薄に感じられるので、たくさん聴くと刺々しい気分になってしまう(以前、前園さんがテイラーのピアノは現代音楽的だと書いておられたが、それもまた言い得て妙だ)


テイラーのピアノは、デヴューの頃(1955年)から既にこわれていた。定速ビートは堅持しながらも、和音も旋律もメチャメチャ。それでも初期のテイラーはまだ伝統的なスタイルに軸足を置き、いかにしてジャズを変革するか、いかに音楽を壊していくかに腐心していたのである。このアルバムの演奏も明らかにその延長線上にある。但しこれ以後のテイラーは、急速に変形していく。リズムも何もかもぶち壊してしまったからだ。

このアルバムの注目点は何と言っても人選の奇抜さだろう。当時(1958年)、マイルスの下で実績を積み上げていたコルトレーンと、ニュージャズの旗頭として耳目を集めつつあったテイラーの顔合わせということだけでも充分話題性に富んでいる。そこにハードバップ期を生き抜いてきたベテラントランペッター ケニー ドーハムの参加。一体どんなクオリティーの音楽がデリバリーされるのか興味が尽きない。状況的には是非とも耳を通しておかなければと、ジャズファンを誘惑するアルバムのはずなのだが、巷の反応は思ったより冷淡だ。この作品、いまひとつ盛り上がらないのはどうしてだろう。


原因のひとつはやはりドーハムではないか。コルトレーンとテイラーの共演は、時代の要請から人々の視線が集まるのも当然だった。しかしドーハムはこの新しい流れに歩み寄る気配が全くない。(もちろん、彼のように自己のスタイルを確立した人には、それも無理からぬことではあるが)ドーハムとテイラーの相性は水と油。トランペットソロのうしろでガンガンと不協和音を叩き込むテイラーに対し、全く反応せずマイペースを通すドーハムのほうが、役者が一枚上手だと言えば確かにそうなのだが、根本的に会話というものが成立しておらず、アルバムとしてのトーナリティー(主調)を著しく欠いている。( そこがまた微妙に面白くもあるのだが )
それと選曲に工夫がない。スタンダードナンバーのJust Friends、 Like Someone in Loveとミディアムテンポのブルースが2曲では、次代を担う作品としては余りにも新鮮味がない。少なくともテイラーのコンポジションを取り上げたデヴュー作の方が、コンセプトはいくらか先進的だった。一歩進んで二歩さがるとはこのことだ。但し選曲はぬるま湯のようだが、テイラーのピアノは前にも増して果敢にチャレンジしている。コルトレーンとの共演が刺激になったのだろう。


Live From The Village Vanguard Bill evans

2011-01-26 23:32:53 | 変態ベース

Live From The Village Vanguard
Bill evans

                                  By 変態ベース
 『California Here I Come』
がヴァーヴから発表されたのは、ビル エヴァンスが亡くなった後のことだ。アルバムは二枚組のLPに編集されてリリースされた。表題のイメージからきっとどこか西海岸でのロケーションと勝手に思い込んでいたが、この演奏も実はヴィレッジ ヴァンガードで録られたものだ。1967年8月の録音ということは、お城のジャケットで有名なモントルー ジャズフェスティヴァル出演の一年前。それまでのレギュラーであった、チャック イスラエルとラリー バンカーのトリオは解散させて、ベースにはシェリー マンとのセッション『A Simple Matter of Conviction 』で起用した逸材エディー ゴメスを、ドラムスにはマイルス六重奏団の同僚だったフィリー ジョー ジョーンズを招いた。
 エヴァンスは白人ということで、マイルスのメンバーからはよそよそしく扱われていたらしい。そんな状況の中で、例外的にフィリー ジョー ジョーンズとはウマが合ったようだ。それはお互い麻薬中毒という悪癖が共通しており、ヘロインを一緒に打ったり買いに出かけたりと、奇妙な信頼関係を保っていたからなのだ。しかしそんな悪しき因縁もいつしか友情と昇華し、エヴァンスが独立して自分のグループを結成した折には、ジョーンズは事あるごとにパートナーを買って出たのであった。ビル エヴァンス トリオ最後の来日公演にも、フィリー ジョー ジョーンズが帯同してきたことを私は目撃している。
 それにしてもドラムスが替わるだけで、これほど音楽の温度や躍動感が変化するものか。それまでのエヴァンス トリオに比べて、演奏がヴィヴィッドで温かい感じを受けるのは私だけではないはずだ。ジョーンズというミュージシャンは、バンドを楽々とスイングさせるつぼを心得ている、稀有な才能の持ち主である。スティックを持っては、ドライヴ感のある絶妙のプレイを聴かせる。ブラシワークの切れ味のシャープさも最高。あのシェリー マンと比べても甲乙つけがたい。名手の呼び称に最も相応しいプレイヤーなのだ。テクニシャンであるがゆえに音数の多い点は致し方ない。しばしば騒々しく感じることがあるかもしれないが、ユーモアに溢れるプレイはワン&オンリー。ジョーンズはマイ フェイヴァリット ドラマーのひとりなのである。

 ヴァーヴに移籍して、エヴァンスの音楽が本質的に変わったということはない。ただプロデューサーが変わり、自らも進んで新しいものに取り組もうとしていたように見受けられる。オーケストラと共演したりオーヴァーダビングを取り入れたり、実験的な試みに踏み込んだことも、そうした意志の表れだろう。しかしそれは新しいトリオが定まらず、行き詰っていたこと対する息抜きであったようにも思える。リヴァーサイド時代の息詰まるようなインタープレイも素晴らしい。しかしその反動からか、かなり緩んだ感じを受けるのが『Trio 65』や本アルバムの演奏だ。こんな話をすると、ヴァーヴのエヴァンスは全く堕落したように勘違いされるかもしれねいが、事実はそうではない。むしろこのレーベルの寛いだ雰囲気が、本来エヴァンスが持っている陽性の部分を拡大し、肩の力が抜けた等身大の姿を捉えていると思うのだ。それがことのほか、アルバム作りに好ましい効果を与えているのではないだろうか。
 タイトル曲はエヴァンスのオリジナルである。ゆったりとした明るい曲想だ。スタンダードナンバーなど弾き慣れた曲が多いけれど、全体的にこの演奏に代表されるような明るい感触を持っているのが、本アルバムの特徴なのだ。巷の評価では、ラファロがいた頃のトリオがあまりにも神聖視されていたため、本アルバムは不当に低く見られているふしがある。しかしそんな意見は全く見当違いだ。
 本作がお蔵入りして長らく発表に至らなかった理由は、毎度のことながらエヴァンスがアルバム化にネガティヴな態度を示したからだろう。自意識過剰で完璧を求めた結果のことか、はたまた自分の演奏に気後れしてうじうじしていたからなのか。何れにしてもそんな自尊心に迷惑を被ったのは熱心なファンである。何故ならば我々は余すことなく彼のパフォーマンスを聴きたいと願っているからだ。これほど優れた演奏ならばなおさらのことである。


H22年ベスト

2011-01-15 09:48:10 | 変態ベース

H22年ベスト
                                                                                          By 変態ベース
相変わらずの円高で輸出はガタガタ、製造業はヘロヘロ。法人税を5%減税したところで少しは元気を取り戻せるのか?またそれに代わる財源はどこから捻出するのか?民主党政権が誕生した時はワクワクするほど期待感があったが、このように無様な醜態をさらけ出すとは想像できなかった。暗いニュースばかりで気の晴れない毎日だが、その円高のおかげで消費者には輸入品が安い事が何より有難い。いつも利用しているHMVのネットショッピングも、安価な商品を探すのが楽しみだ。昨年、記憶に残った諸作を列記すると以下の通りになる。
『The Complete Prestige And Pablo』はMJQがプレスティッジとパブロに残した録音の集大成セットは、4枚組のボリュームがあって聴きごたえ十分だ。セットには50年代と80年代の演奏が収録されているが、このグループの演奏は時代が代わっても大きくぶれたりしない。信念を持って粛々と自分たちのプレイをする。よく飽きずに演奏できるものだと感心する。短期間の解散を経て、その結束は一段と強固なものになったのだろう。
RCA時代、ロリンズはドン チェリーを加えてアヴァンギャルドな手法に興味を示したことがあった『Our Man in Jazz』はその記録だったが、同バンドの別録音が発掘された。『1963 Paris Concert』がそれだ。一番とんがっていた頃のロリンズ。一番迷い揺れ動いていた頃のロリンズ。されどロリンズ、腐っても鯛ってところか。
『Basie’s at Night / 渡辺貞夫』も優れたCDだった。一ノ関のベイシーで行われた実況録音だ。このアルバムはビルボードのライヴに行く直前に聴いた。いつもながらサービス満点の貞夫氏。実際のコンサートでも、CD同様の楽しい演奏が聴けたことがラッキーだった。
『The Complete Tony Bennett Bill Evans』は2枚のLPで出ていたものを集めたアルバム。今回も勿論ビル エヴァンスがお目当てでこのCDを買ったのだ。しかし不思議なこともあるものだ。それまで男性ヴォーカルなんてほとんど興味のない私だったが、このCDを聴いてトニー ベネットの歌が気に入ってしまったのだ。音楽に対する好みや思い込みなんて、実にいい加減なものだ。
その余波と言ってはなんだが、続けて買った彼のアルバムが『A Wonderful World』だ。例会でも本アルバムは取り上げた。ブラインドホールドテストをしたところ、見事岡山さんが正解された。このレコーディングは、ポピュラーシンガーk. d. ラングとのコラボレーションだ。ラングはカントリー&ウェスタンを歌っていた人で、このCDを聴くまで全く知らなかった。ところが今度は彼女のナチュラルな声が耳について離れなくなってしまった。
そんな訳で手に入れたのが『Ingenue / k. d. Lang』なのだ。もちろんこれはジャズのアルバムではないが、昨年のお気に入りアルバムのひとつとなった。
スタン ゲッツの『The Final Concert Recording』はドイツで収録されたものだ。晩年の盟友ケニー バロンや女性ドラマー テリー リン キャリントンに、一部の演奏ではシンセサイザーを加えた珍しいコンサートである。投薬をしながらの演奏だったはずだが、不調を感じさせるようなところは微塵もない。さすがに筋金入りのプロフェッショナルだ。
Black SaintとSoul Noteはイタリアに本拠地を置くジャズレーベルである。これらのレーベルのアルバムを網羅したセットものがいくつか発売された。ジョージ ラッセル、チャーリー ヘイデン、ポール モチアン等々、どちらかと言えば左寄りのミュージシャンの作品が中心である。玉石混交の感もあり、セット物ははずれると本当に鬱陶しい。聴く方も大変気合いが入る。


久詰さんに聴かせてもらった『Jasmine』はキース ジャレットとチャーリー ヘイデンのリユニオンだ。ゆったりした曲相が並ぶ。お互いを知りつくした者同志のおだやかな語らいのように聴こえる。

旧友Fが聴かせてくれた『Gary Smulyan With Strings』も心に残っている。クリスクロスレーベルには珍しく金をかけた企画だ。シルクのような弦の響きが美しい。録音技術も進歩したものだ。バリトンの音色が柔らかい現に包まれてやさしく響く。


Live From The Village Vanguard

2010-12-23 17:25:38 | 変態ベース

Live From The Village Vanguard
Bill evans
                                                                     By 変態ベース
1961年6月25日、トリオが最後の演奏を行った11日後、スコット ラファロはいたましい交通事故に巻き込まれた。リバーサイドは追悼の意をこめて、この日の録音を一枚のアルバムに編集した。そのレコードは『Sunday at the Village Vanguard 』として発表された。編集にもれたテイクも後日姉妹盤として世に出た。彼女の名はデビー。ナイーブで器量よしな妹の評判は上々。世間では姉も嫉妬する人気となった。この双子のレコードについてはさんざん人口にかいしゃ膾炙された。その秀麗さを語ろうとすれば、言葉の虚しさを感じる。優れた音楽とは、概してそういうものなのだ。
それにしてもなんて騒がしいのだろう。人の話し声、咳払い、スローバラードでは有りえないはずの食器のガチャガチャ触れる音まで。当時のジャズクラブなんてこんな風景が日常茶飯事だったのか。ビル エヴァンスの追っかけをして、ヴァンガードで隠し録りを繰り返したマイク ハリスも、客が少ない昼間のマチネーを狙ったという。よく集中を途切れさせずにインタープレイが出来たものだ。

ラファロがいなくなった後、エヴァンスはモチベーションをなくして、しばらくの間茫然自失の日々を送った。ラファロが愛用していた上着を羽織り、ニューヨークの街を彷徨う姿が目撃されたという。ラファロはエヴァンスにとって、またジャズ界にとってかけがえのない存在だったのだ。
ラファロはそれまでのいかなるベーシストとも全く異なるアプローチを試みた。規則正しくビートを送り込むだけではなく、ピアノのフレーズを受けて対位法的にレスポンスしたかと思えば、次の瞬間には前に割り込んで演奏をリードする。従来のベースの役割分担を逸脱した方法は、必ずしも全てのジャズファンに受け入れられなかったのかもしれないが、ジャズの進化に寄与したという意味において、不可欠の存在であったことは今更言うに及ばない。強靭なピッチカートとイマジネイティブなフレーズ。持て余す才能をほしいままに操った業師。音程がもう少し正確だったら、他の追随を許さないヴァーチュオーゾの栄誉を得たことだろう。このトリオがどこまで突き進んだのか(もしかして行き詰まったかもしれないけれど)、もう一歩先までその行く末を見届けかったものだ。

もしラファロが生きていたら、ポール モチアンの人生も少し違ったものになっていたと思われる。しばらくはビル エヴァンストリオのメンバーで居られることも成り行きだったし、とばっちりという表現は不適切だとしても、ラファロの死と共に羅針盤が大きく振れたことも事実なのだ。しかし何が禍で何が幸運なのかという議論は、一定の時間がたたないと結論が出ない。何故ならば60年代の後半になって、モチアンはキース ジャレットのトリオ、カルテットの正式メンバーとなり、長期間演奏をともにする機会を得ることができたからだ。そしてそれが音楽家モチアンの大きく躍進する足掛かりとなったのだ。エヴァンストリオが継続していたら、果たして今日のモチアンがいたかどうかは疑わしい。
ポール モチアンはジャレットのグループを離れた後は、個性的なバンドリーダーとして活躍の場を得た。ジョー ロバーノやビル フリーセルを加えたユニークなバンドを主宰するようになったのだ。彼のグループにはピアニストが在籍しないことが多い。空想が過ぎるかもしれないが、エヴァンスやジャレットとの共演が、何か影響しているように思えてならない。
『Waltz for Debby』のおける演奏は、繊細にしてセンシティヴだ。モチアンはテクニシャンではないが、エヴァンスとラファロの谷間を過不足なく繋ぐことができた。彼以上にトリオにマッチしたドラマーは考えられない。アバンギャルドと言うほどでもないけれど、今のスタイルはあくが強く、全く別人のように聴こえるのだが。


Live from Montreux

2010-11-25 17:48:37 | 変態ベース

Live from Montreux
Bill Evans 
                         By 変態ベース
 レマン湖はスイスとフランスの国境にまたがる、三日月の形をした湖である。湖畔にかげを映すシヨン城の歴史は古く、12世紀頃からその地を治める領主の住処となっていた。それは崩れゆくものの美学とでも言うのだろうか。かつては栄耀栄華を謳歌したものも、やがて歳月とともに朽ち果ててゆく。そのような物悲しさこの城は語っているようだ。
『Bill Evans at The Montreux Jazz Festival』にはちょっとした思い入れがある。それはこのアルバムが最初に手にしたエヴァンスのレコードだということだけでなく、ジャケットに写されている、おおよそジャズらしからぬ古城のシルエットが脳裏に焼き付いているからだ。『お城のエヴァンス』として有名なこのアルバム、巷の評判も様々である。
モントルー ジャズ フェスティヴァルは1967年からスタートした。今ではジャズのみならず、多様なジャンルのミュージシャンが出演するポップフェスティヴァルとなった。エヴァンスが出演したのは翌68年。フェスティヴァルの目玉として招聘された。
このアルバムを印象付けているのは、何と言ってもジャック ディジョネットの参加だろう。当時、ディジョネットはまだ全くの無名の存在だった。しかしそのドラミングの斬新さはこの録音からも明白だ。チャールス ロイド カルテットを抜けエヴァンストリオに参加した経緯は不明である。だが、その鋭いセンスにエヴァンスが白羽の矢を立てた事は想像に難くない。ドラマーとしてのサポートぶりは変幻自在。メトロノームのようなリズムキーパー的役割にとどまらない。しかしながら自由奔放のように聴こえて、上手くトリオの演奏に交わっていく奏法は大胆で、大器を予感させるものがある。 (正直なところ、近年の彼のドラミングは、がさつで耳障りに感じることもあるが)  Nardisに聴かれるドラムソロはほとんどフリーテンポだ。エヴァンスが彼にどんな評価を下していたのかは知らない。但しそれまで彼が共演してきた如何なるドラマーとも資質が異なることは確かだ。
スコット ラファロを失ってからのエヴァンスは少し生彩を欠いていた。しばらくはトリオのメンバーも固定できない状態だった。ベーシストに対しては、特別のこだわりを持っていたものと思われる。ゲイリー ピーコックやチャック イスラエルも実力の備わったプレイヤーだったに違いない。しかし、エヴァンスが彼らに満足していたかどうか、はなはだ疑問が残るのだ。
転機が訪れたのは、66年に新人ベーシストエディー ゴメスと出会ってからだ。エヴァンスはあらたなトリオの構想に取り掛かった。残されていたのは鍵穴を埋めるドラマーの選定だけだった。旧友のフィリー ジョー ジョーンズを招いたりしたこともあったが、それもあくまで急場しのぎ。(尤もヴィレッジ ヴァンガードで録音された、『California Here I Come』は好演奏だったが) 
そんな折にハンティングされたのが、ジャック ディジョネットだった。しかし好事魔多し。この直後、ディジョネットは早々とマイルスに引き抜かれてしまった。そんな訳で彼が正式にビル エヴァンス トリオで残した録音は、本アルバムのみとなってしまったのだ。そのままディジョネットが残留していたら、エヴァンスのトリオも少し違った展開を見せていたかもしれない。
後任には、マーティ モレルが加入した。テクニシャンだが、どういう訳か世間の評判はかんばしくない。私はモレルの正確なビートが好きなんだが。エヴァンスにもことの他気に入られていたみたいで、ゴメスと共に長きにわたって三角形の一辺に定着した。トリオを去った後は、クラシックのオーケストラに参加したと記憶している。人生、色々あってよろしい。
サポートメンバーの話が長くなったが、主人公たるビル エヴァンスの演奏も当然のことながら全くそつがない。この人の演奏はどれも質が高く、駄作が見当たらない。緊張感の持続ということに関してはマイルスとも共通する。しかし裏返せば、どれも平均しており傑出した作品が少ないのではと言えなくもない。
このアルバムで、私が聴くのはほとんどA面。いささか長いアナウンスメントの後、One For Helenが始まる。マネージャーのヘレン キーン女史に捧げられたこのナンバーはエヴァンスのオリジナル。美しいメロディが耳に残る。このアルバム以外で演奏された記憶がない。A Sleepin’ Beeはハロルド アーレンの有名な佳曲。意表をついたゴメスのベースソロが聴かれる。次のMother Of Earlもあまり他で取り上げられていないと思う。アール ジンダースのナンバーである。この3曲がベストトラックだ。

『Montreux Ⅱ』は1970年の録音である。録音は地元スイスの放送局によっておこなわれた。そのテープがCTIレーベルに渡り、レコード化されたものだ。どうしてこのアルバムだけがCTIなのかという点は奇異に感じられる。ヴァーヴ時代にクリード テイラーのお世話になったその恩返しってところが真相だろう。決して演奏の内容が悪いという訳ではない。しかし前述のアルバムがあまりにも有名だったため、影が薄くなってしまったことは否めない。


Live from Avery Fisher Hall

2010-10-18 17:56:34 | 変態ベース

Live from Avery Fisher Hall

MJQ
                               By 変態ベース

MJQといえば、当然Modern Jazz Quartetの事だろうと思っていたが、Manhattan Jazz Quintetなる珍妙なグループが出現してからは事情も変わり、自分の思い込みが一般常識では通らなくなってしまったようだ。もっともModern Jazz Quartetの出発点も、Milt Jackson Quartetだったらしいので、MJQと称されるグループは世の中に少なくとも3つは存在したわけだ。今回取り上げるMJQは、もちろん私が思い込んでいるModern Jazz Quartetである。

事の始まりは、ミルト ジャクソンがギャラ少ないって駄々をこねたことだ。「ロックミュージシャンが、アルバム出したりコンサートする度に高額の報酬を得るのに、俺の受け取りはどうしてこんなに少ないんだよ」。それに対しジョン ルイスが、「ロックミュージシャンはエンターテイナーで、我々はアーチストなんだから仕方がないだろ」「武士は食わねど高楊枝なのよ」的なプライドをくすぐる諌め方を試みたが、当のジャクソン氏は積年のお怒りが臨界状況にたっし、全く聞く耳を持たないありさまだったらしい。解散だ、解散だ。何処かの国会みたいな状況に陥ってしまったのが1974年のこと。その4月、MJQは日本公演を行い、そのまま世界中をツアーして7月16日のオーストラリア公演でおひらきとなる運びだった。ところが本国のアメリカに戻ってみると、もう一度さよならコンサートをやってくれよみたいなありがた迷惑な空気になっていた。それで不承不精かどうかは知らないけれど、本当に本当のお別れ公演になったのが、その11月25日にエイブリー フィッシャー ホールで行われたコンサートなのである。演奏は2枚組のLP『The Last Concert』として発表された。
このアルバムは出た当時、ジャズ喫茶でも頻繁にかけられていた。ベースの音がやけにでかくて、大音量で聴くと迫力満点だった。MJQの音楽は対位法的なアレンジが多いので、各楽器を対等にする意図が働いたのだろう。それまでのジャズのレコードとは違ったシャープでボリューム感のある録音だ。今のヴィーナスみたいにかなりケバイ感じもあるけれど、それがまたすごく新鮮に響いたのである。
リーダーのルイスがクラシック好きのためか、MJQの音楽は他に例を見ないほど特徴的だ。そこん所が好き嫌いの分かれ目で、私もどちらかと言えばそれほど好印象を持たないリスナーの一人だった。そんな彼らのイメージをいっしんさせたのがこのアルバムである。ヴィブラホンのひんやりした感触と、上品でユルイ感じのピアノ。ブルージーな曲を好むわりには、クラシカルで緻密な編曲を欠かさない。相いれないはずの縦軸と横軸の絶妙なバランスにいつしか心を奪われるだろう。さあためらうことなくその美酒の杯をお取りください。あなたは今エイブリー フィッシャー ホールの最前列に。フォーマルで芳醇な夕べをご満喫ください。

81年東京武道館で催されたモンタレー ジャズフェスティバル イン ジャパンでMJQは復活を遂げた。その時の模様は、『Reunion at Budoukan 1981』として日の目を見た。解散して自由な時間が増えたが、ピンで仕事取ってきても以前より実入り少ないし生活は安定しない。なんだかんだ言ってもやはり二十年以上一緒にやってきた仲間だし、MJQの名前だけでそこそこお仕事にも有りつける。再結成も自然の成り行きだったのだろう。やがてコニー ケイが亡くなった後も、タイコにミッキー ロッカーを据えてしばらくカルテットは続いたが、ジャクソン、ルイスが立て続けになくなり、2005年には最後のMJQパーシー ヒースがあの世に旅立った後は、グループごと鬼籍入り。今頃は楽しく天国で同窓会を開いていることだろう。


Bluenote

2010-09-19 23:04:03 | 変態ベース

Bluenote
Clifford Jordan                                    By 変態ベース
ずいぶん以前の話だが、クリフォード ジョーダンがビッグバンドで来日をした時の映像を観たことがあった。顔中髭だらけの、目にもさやかとは言い難いジョーダンが、舞台の袖から何やらメンバーに指示を与えていた。しかしいっこうに自らは楽器を持とうという気配がない。かなり憔悴したような表情だったが、それから日を置かずしてジョーダンの訃報を聞いたように記憶している。69年には、Strata Eastレーベルに大編成グループの意欲作、『In the World』を録音した。70年代には、新主流派的なプレイも実践した。晩年はビッグバンドの活動にも意欲的を見せた。しかし、デヴュー当時の彼は、ハードバップを得意とする堅実なプレイヤーだったのだ。

クリフォード ジョーダンが初めてブルーノートにレコーディングをしたのは57年3月の事である。ジョン ギルモアと組んだ『Blowing in from Chicago』のセッションがそれだ。ハードバップ隆盛期の熱気をそのままに伝える、ダブルテナーによるブローイングである。ピアノは後のジョーダンの雇い主であるホレス シルバーだ。
タイトルが示す通りジョーダンはシカゴからやってきた。ギルモアやジョニー グリフィンとは同郷で、ハイスクールも同じだったという。ギルモアもこの時期は主流派のテナーマンとして将来を嘱望されていたが、やがてサンラーのバンドに合流し、フリージャズの旗手として変身を遂げた。ここで聴かれる2人のスタイルはよく似ているが、やや荒削りな印象を受ける方がギルモアだ。
その3ヵ月後に録音された『Cliff Jordan』は、単独による初リーダーセッションである。メンバーは、リー モーガン(tp)、カーティス フラー(tb)、ジョン ジェンキンス(as)、レイ ブライアント(p)、ポール チェンバース(b)、アート テイラー(ds)を加えた、BN得意のオールスターセッションだ。
1曲目のNot Guiltyはジョーダンの作品。ミディアムテンポの寛いだ雰囲気の演奏が楽しい。ジェンキンスはアルトサックスの逸材として脚光を浴びたが、いつの間にか失速し業界から消えてしまった。本作でも彼の骨太なプレイが聴ける。ヴィーナスレーベルは行方不明のミュージシャンを見つけだすのが得意だから、生きていればカムバックも有り得るかもしれない。
ここでのブライアントの演奏は、後に彼が聴かせたアーシーなピアノスタイルよりもっとあっさりとしている。それを物足りなく感じる人がいるかもしれないが、私はこの演奏がとても気に入っている。フラナガンにも引けを取らない巧者ぶりがうかがえる。

ジョーダンのプレイは泰然自若として、「ジャズの王道」を突き進むものだ。しかし、晩年に至るまでトップランナーの位置を確保する事は叶わなかった。前に立ちはだかるロリンズの背中があまりにも大きかったということだろう。彼が他のテナープレイヤーと比して何処か劣っているかといえば、明確にそれを指摘する事は難しい。しかし現実はきびしく、ハンク モブレイもそうだったように、へヴィー級のチャンピオンベルトを手にする者は、世の中で一人だけなのだ。
前2作は確かにいいアルバムだったけれど、ジョーダンのスタイルをリスナーの記憶に刻み込む事は出来なかった。リーダーが2人もいたり、強力なサイドメンに囲まれた状況では、その個性も埋没してしまうはずだ。
ひょっとしてBNはジョーダンの売り出しに、尻込みしていたのかもしれない。それは次の『Cliff Craft』が、BNに残した最後のアルバムになってしまったからだ。気に入った新人は収益も度外視して、徹底的に録音を続けるのがアルフレッド ライオンの方針だが、ジョーダンの場合はその幕切れがあまりにもあっけなかった。それにアルバムジャケットもやる気がなかったのか、ため息が出るくらい味気ない。白地に楽器を持ったジョーダンの写真を張り付けた構図。ジャケットにも気を配るBNにしては、露骨な手抜きである。しかしこのアルバム、内容的には素晴らしく、もっと早く出ていたら世間の彼に対する評価も違ったものになっていたかもしれない。晩年、親交をもったアート ファーマーをパートナーに迎えた本アルバムは、ジョーダンの魅力をもっとストレートに表出した出来栄えだ。
ジョーダンは体力に物を言わせて、たけり狂ったように吹きまくるようなタイプではない。大柄な体躯に似合わず、おっとりとやさしい演奏をする人だ。その辺りはデクスター ゴードンを思い浮かばせるところがある。肉厚な音色にひと肌のぬくもりが感じられるのが、ジョーダンのテナーサウンドなのだ。『Cliff Craft』でも随所で彼のハートウォーミー演奏が堪能できることだろう。
またジョーダンは作曲の才能もすぐれている。『Blowing in ~』Bo-Till、前述のNot Guilty、本アルバムのLaconiaなど、メロディ創りの才能にも恵まれている。