goo blog サービス終了のお知らせ 

風の吹くまま♪気の向くまま♪

家族と5匹のにゃんこたちとの日々を気ままに綴っています。

祭壇設置

2014-11-01 | 母の介護

母が所有していたマンションのリビングに祭壇(神道)を設置してもらいました。

姉達が滞在している間は生花を飾っていました。が、生ものをずっと置いておく訳にもいきません。

その後、母が生前書き溜めていた絵手紙(絵手紙だけど色紙に描いてある)の存在を思い出し、花や野菜を三方にに飾る事を思いつき

センスの一番良い二女が飾ってくれました。隣には父の写真も。

 

この絵たちを右の三方に。

左の三方にはナデシコ(母はナデシコが好きだった)の絵を

回りに色々な花の絵を。

(榊は造花です。ごめんね、お母さん)

 近くに住んでいるのに中々お参りに行けない行かない

不出来な妹(私)のために

絵手紙や父の写真に囲まれて母が寂しくないように飾り付けてくれました。

 


母の旅立ち

2014-10-31 | 母の介護

先週、木曜日(23日)に母が父の元へ旅立ちました。(施設で看取って頂きました)

父が亡くなってから17年。

約10年は実家で一人暮らしを楽しみ、7年前に大病を患い私の住む町へ来て最初の5年間はマンションで一人暮らしを頑張っていました。(介護認定を受け、ヘルパーさんにお掃除等をお願いしていました。)

2年前に認知症の症状が現れて炊事等がおぼつかなくなってきて一人暮らしが困難になり介護付き老人ホームへ入居、スタッフさんに支えられながら過ごしていましたが慢性的な心不全のために亡くなりました。

夏頃から食欲が落ちそれでも涼しくなったら食べられるようになると本人も私も思っていましたが徐々に状態が悪くなってきてそれでも最後は苦しまずに逝く事が出来たのが何よりだったと思います。

亡くなる日のお昼ご飯は大好きなカレーを頂いたそうです。(約2割)

午後5時頃夫と面会に行き会話をして(夫の顔はちゃんと認識できて夫の昔のエピソードを一方的にσ^_^;話してくれました)『また、明日ね』と言って施設を後にしました。

午後8時頃に主治医から『今までと様子が違う』と連絡があり息子夫婦に連絡をして駆けつけて母の最期に立ち会う事が出来ました。(夫は仕事で不在)その後、その日のうちに葬祭場へ移動しました。

葬祭場へ移動して後から駆けつけた夫と二人で通夜葬儀の日時や内容を決めました。

 (長女、次女とは夏頃からもしもの時のために事前打ち合わせを行っていましたので慌てなくて済みました)

葬祭場では息子夫婦が一緒に泊まってくれたので心強かったです。(夫は仕事があるので家に戻りました)

 ***********************************************

 施設への入居直後に心臓に水が溜まって酷い息苦しさを訴えて循環器の病院に約20日間入院し、その後は鬼娘(私)の厳しい塩分制限で一度も水が溜まる事も浮腫む事も無く息苦しさも感じる事も無く(酸素の血中濃度が低かったので酸素チューブは使用していましたが息苦しさはさほど感じていなかった様子でした)息を引き取ったのでそれが何よりだったと思っています。

一部の口うるさい人たち【母の妹、母の義妹、母の三女(私の姉)】の言う事は適当に流して(生前の塩分制限の件が厳しすぎたとか、祭壇のお花の色の事、母の遺影が最近の物過ぎる、通夜告別式の日程などに対して意に添わない事は責任の無い人たちはどんな時でも異を唱えて言いたい放題なんですね~苦笑。この手の人達は何を言っても聞く耳持たないし納得もしないし黙りません~_~;)、何とかお通夜とお葬式を無事に執り行う事が出来ました。

我々三人(長女、二女、四女の私)で、良くやったときっと天国の父が誉めてくれるよね~~、父にも胸を張って報告できるよね~~と自分たちで自分を誉め、今の自分たちのやるせない気持ちを自分達で落とし込んでいる所です。

 ***************************************

葬儀の後に施設に行ったら、ケアマネさんが『あっぱれでしたね~~』目に涙を一杯浮かべて母の最期を誉めて下さいました。

施設の介護スタッフさんも会う人、会う人涙を浮かべて寂しがって下さったのがとても有り難かったです。

そして、父の葬儀以来17年ぶりに母の孫たち(総勢11名。44歳から24歳)が全員集合できたのも母の為せるわざかもしれないね~~と姉や義兄が口々に言っておりました。(通夜を金曜日、告別式を土曜日にしたので働き盛りの20代、30代、40代の孫息子たちも全員帰省する事が出来ました。) 

(孫息子たちが、葬儀の間も後片付けも率先してやってくれて叔母ちゃんはとっても助かりましたよ~~滝涙)

 


母の近況

2014-10-04 | 母の介護

先日、母の要介護度認定のための調査員の方が施設に来られたので立ち会いました。

今年の始めまでは色々出来ていた事がだんだん出来なくなり最近ではほとんどの動作に介助が必要になってきました。

一番の原因は心不全の症状が進んだ事。

血中酸素濃度が低いので酸素チューブを使っています。

こんな感じで常時使用。

車椅子移動の時はポータブルを使います。

動くと苦しくなるのであまり動かなくなり、動かないと足も弱ってきて・・・車椅子で移動なのでますます足は弱るばかり。

ベッド横に置いてあるポーダブルトイレを使用する時も立ち上がるのに一苦労で、一人では不可能になり必ずスタッフさんが付き添って下さるようになりました。

最近では常時酸素ボンベを使っている状態で、起きていたり動いたりすると苦しくなるので横になっている事が多くなりました。

本当は起きている時間が多い方が背筋や腹筋も使うので良いのですが、『転ぶと行けないので先生が横になっていなさいと言った』などと自分の都合が良いように話しをもっていき横になる事が多くなっている状況です。(苦笑)

 食事は車椅子で食堂に連れて行ってもらい、入居者さんと一緒にとっています。

調査員さんの聞き取りには現在出来ていない事もはっきりキッパリとした口調で『出来ます』と答えていました。(後でスタッフさんにも聞き取りをするのでそこは心配ありません。)

私は側でやり取りを見ているだけ。ほとんど口をはさむ事はありません。

 

今日の調査内容と主治医の先生の意見を交えて要介護度がどのくらいになるかの結果はもう少し時間がかかりそうです。

確実に現在よりは上がる事必至でしょうが。。

 

現在の事もですが終末期の事まで視野に入れてケアマネさんとも最近その事で話し合いをする事が多くなりました。

最後まで苦しさや痛みは取って欲しいけれども延命治療は希望せず穏やかに過ごしたいというのが母の希望です。

(これは宮崎市発行のエンディングノート。

先日姉が母の希望を聞きチェックをいれました。

コピーして施設のケアマネさんにも預けました。)

 

いざという時に慌てないためにも、先日も姉たちと終末期の事そしてその後の事も色々話を掘り下げて決めました。

その時になったら状況はまた色々変わるのでしょうが、私たち姉妹間の認識のずれを修正してこんな風にしたいという事(母の希望も最大限入れ込んで)は大筋で決める事が出来たので近くに住む私も少しホッとしている所です。


母のこと。

2013-04-27 | 母の介護

ずっと沢庵は塩辛いから駄目だよと言い続けているのに母がいろんな人に漬け物を持ってきてと電話をしていて防ぐ手だてがありません。

持ってきた皆さんの話を聞くとざっとこんな感じ

『心臓はもう治っていてお医者様が何でも食べて良いと言った』と。

今回は先週から来ている姉たちが帰った直後に、知人に『娘たちがやっと帰ったから沢庵を持ってきて』と電話をしてきたそうです。

(あれだけ姉たちと『漬け物はもう食べないよ。施設で出されたご飯で我慢するね』と母が自ら言って約束していたのに。 やっと帰ったからってあれだけ頑張って荷物の整理をしてくれた姉たちに失礼な・・・・。

外出がままならないのだから、せめて電話は引いておこうと思ったのですがこんな風に使うと本当にどうして良いか困り果ててしまいました。

訪問者ノートの裏表紙に貼り紙をしても皆さん部屋まで漬け物を持ち込んでしまい、それを見た母は『大丈夫、置いて行って』と懇願するらしいのです。

もう、仕方がないので部屋のドアにもスタッフさんと相談してこのような物を貼らせてもらいました。

 

母の抑制力が無くなってきているのでここまでしないといけないようです。(幼児と変わらないと思います)

母のお友達も高齢の方が多いので判断が難しいようでここまではっきりと書かないとわからないのかなという状況です。

母には気の毒だとは思いますが、こんなことが一度や二度ではないので苦肉の策として貼ることにしました。

こう言う事は、精神的にとっても疲れますね。


母のマンションの片付け。

2013-04-21 | 母の介護

 

先週木曜日から三日間次女が片付けのために来宮。そして入れ替わりに昨日から長女が来宮。

実家の片付けが終了したので、今回は母の住んでいたマンションの片付け。

マンションは、分譲なのでそのまま残す事にしていますが、皆が泊まりにきた時に快適に過ごせるようにと不要と思われる物の処分をしました。

実家から使えそうな布団を持ってきたのでマンションに置いてあった古い布団は処分。

姉とキャスターを使ってゴミ捨て場を往復。

不要な物も捨てられない母でしたので、何でこんな物が取ってあるの??と首を傾げたくなる物もあり

姉と大笑いしながらの作業でしたが、かなり片付きました。

男手があればもっと楽に運べたでしょうが、頑張って二人でえっちらおっちら運びました。

私たちももう若くはないのでこれ以上引き延ばす事はしたくなかったのでギリギリの作業でした。


リリー巻き

2013-04-08 | 母の介護

今日はこちらも気温が低くて肌寒く感じました。

ねこたちもいろんな暖かい場所をさがしてお昼寝していました。

夜になって寒そうにテーブルの上で香箱座りをしているリリーさんにスカーフを巻いてみました。

嫌がる風でもなく、ずっとそのまま座り続けていました。

(何やってんだかネコ馬鹿すぎますよね~エヘ

 

折り畳んだ前足が可愛いでしょう?

*****************************

今日の午前中は母のいる施設に昨日の事を相談に行ってきました。

荷物の件では、中々現状を理解してくれない三女の事も含め色々案を練ってみました。

で、送られてきた荷物(食物も衣類もすべて)はすぐに母に渡さずに、

私の方に連絡をいれてもらえる事になりました。

昨日は、中途半端に柑橘類のみを渡してしまったのが失敗だったかなと反省。

全部、渡さなければ届いた事は母にはバレなかった訳ですから。

今週末に主治医の先生の往診があるので施設に常駐している看護師さんからそれとなく昨日届いた減塩醤油の話もしてもらい、

”先生からも少し厳しく言ってもらいます”と言ってくれました。

送られて来る荷物の件も含めて、スタッフさんと共同体制が整えられたかなと思っている所です。


今までも、紙おむつやおしっこパッドの事、薬の事、その他色々 事あるごとに相談してきました。

方向性を整えないと混乱するのは母ですからそこのところの細かいところも話し合いを重ねて来ました。

母が穏やかに過ごせる事が家族の希望なのですが、三女が立てる余計な波風に母は混乱したり怒ったりと翻弄されているように思えます。

(でも、母が一番可愛がるのは三女と三女の娘。母の言った通りに漬け物や醤油を送ってくれるのですから。)

私の苦労を一瞬で水の泡にしてくれる三女に対しては直接話をする気も起きずブログを通じてこちらの心情を書き込む事にしています。

 

そして、今日の”母ブログ”には

母の所に食べ物を送る時には施設のスタッフさんの許可が貰えた物のみを送るようにして下さい。と書きました。

三女の事ですのでどんな解釈をしてくるのか皆目見当もつきません。

しかし、長女や次女とは外壁(荷物が直接母に届かないというので少し安心度が増したということ)が作られたのだから(多分)、後は施設の中の母が穏やかに暮らしてくれる事に力を注いで行きましょうとメールで確認しあいました。



 


減塩醤油といえども・・・・

2013-04-07 | 母の介護

例の三女が母の所へ小包を送ったらしい(もちろん事前報告なし)

施設から、送り状に減塩醤油と書いてありますとの電話あり。

取り急ぎ、荷物を開けてもらうと減塩醤油、減塩塩、土佐酢そのほかお菓子や柑橘類。

柑橘類のみを母の部屋に届けてもらうようにお願いして、その他の物は私が点検してから渡すかどうか決めますと伝えました。(この際、悪者にならないと仕方が無いでしょう)


本来ならば、減塩食か無塩食の母ですが、入院していた時の主治医が年のこともあるからと普通食で良いと許可をくださったという経緯があります。ですから、利尿剤を服用しつつ三度の食事で塩分は足りているので部屋に調味料を持つ必要は無いというのが施設の方針。

施設も家族も減塩を気をつけたいと思っているのに・・・・。

何が送ってくるのかを事前に三女の電話で知っていたと思われる母は柑橘類しか無いのに激高し、私に抗議の電話をかけてきて私は怒鳴られました(呆然)

なんで、トラブルの元になりそうな物を送りつけるのかなぁ・・・・・。

もう、知らんよ~~と言いたい気分。

 

出張から戻った夫に今日の事を話したら、宮崎弁で『(母に)早く死ねっていうこっちゃないとかぁ(苦笑)』とのんびりとした返事。  

私も一緒に大笑い。。 

カリカリしている自分が馬鹿みたいに思えてちょっと救われました。

 

懲りない母娘(三女)です。 だれか、なんとかしてくれぃ~~(爆)

*************************

気を取り直して、これでいれたコーヒーを頂きました。

市場で買ったサーターアンダーギーminiと一緒に。

miniはちょうど良い大きさで美味しいですよ~。

 

 


片付け

2013-03-27 | 母の介護

長女と次女そして四女の私はほとんど物に執着する事無く前向きにどんどん捨て作業が進みましたが、

ただ一人三女のみが過去に執着して山ほどの荷物を車に積んで帰っていきました。
私は父との思い出の品の写真集を一つとレトロな感じのガラス食器を貰ってきました。
もう、これで十分でした。

 

父が大好きだった奈良の写真集

 

レトロな感じが好きで貰ってきました

直径16センチ 高さ9センチ

おそうめんを食べるのにちょうど良いかなと思っています。

 

****************************** 

以下は、私のつぶやきです。

スルーして下さって構いませんよぉ

三女は、ホウレンソウという意識が欠如しています。

(ホウレンソウは社会生活を送っていく上で必要不可欠だと認識しています。)

どうしてできないのか、しないのか私にはわかりません

 昔から自分本位の人だったのですがそんなに被害を被る事もありませんでした。

しかし、母が施設に入居してからはとにかく姉妹で連絡を取り合い

施設の方々とも密に連絡を取り合い動いてきましたが何度言っても通じません。

本当に、初歩的なのですが施設に入居した母が一人暮らしをしていたマンションからセーターを持ってきてと私に頼みました。

私は、マンションに行ってセーターを30分近く探しましたが見つかりません.

で、おかしいなぁと思い三女に『セーター知りませんか?』とメールをすると、

『私が母に頼まれたので持っていきました』と返信があります。

『母がセーターを持ってきてと言ったから取りにいって、施設の部屋のロッカーに入れたからね』

と報告して欲しいと思いませんか?

それを一切しません。

なので、

『母は同じ事をいろんな人に頼むからそばにいる私は混乱します。やってもらえるのはとてもありがたいのですが事を起こしたら報告してください』

と返信すると、『了解(たったこれだけですと返信がありました。

 

こう言う事が二度や三度ではないのです。

近くに住み振り回される私は本当に大変な思いをして右往左往しています。

三女は何も感じ取っていない様子。

その度ごとにお願いのメールを送り続けていました。

年末にはとうとう我慢できずに直接電話をしたら

『意味が分からない』と逆切れされてしまいました

凹みました。

出来ない人をあてにしてはいけないのだなと痛感もしました。

なんだかなぁと昨年秋からモヤモヤした気持ちで過ごしています。

 

他の姉妹と力を合わせてやっていくしかないのですね~~

 


実家の片付け

2013-03-23 | 母の介護

今日の午後から二泊三日で実家の片付けに行きます。

私は欲しい物は何も無いので空っぽになったタンスなどに不要の貼り紙をする係。

我々姉妹が見終わったら4月末に家の取り壊しが始まるまでの間に、知り合いの人たちが使えそうな物は

引き取ってくれるそうです。

その後はブルトーザーで壊して更地にして測量等をします。

 

次女の旦那さん(こういう関係に詳しい)に不動産屋さんとのやり取りをお願いしてありますので、

契約書のチェックをしてくれたりととても心強いです。

 

問題の三女もやってきますが、私は何も話す事が無いので

マスクをして黙々と働くつもりです。

 

*************************

 

画像はちょっと前に食べたトマトのおでん

県庁近くのというお店で頂きました。

春菊のおでんもおいしかったです

美人の女将さんとお母さんとお二人でやっていっらしゃいます。

家庭的なお味でホッとできるお店でした。

 

 

 


母のこと。姉の事。

2013-03-16 | 母の介護

昨年秋に介護付き老人ホームに入居した母は、入居直後に息苦しさを訴え酸素濃度も低いので循環器内科を受診しました。

心臓に水がたまっているという事で、入院加療をすることになり約3週間の入院生活を送りました。

夏前から足のむくみも目立っていたので徐々に水がたまっていったのだと思われます。

 

利尿剤を飲み、むくみもとれて入院中は減塩食でしたが、退院時に主治医の先生が『もう、年齢も年齢なので(1月で88歳)減塩食はちょっと可哀想なので普通食で構いません。しかし、塩分の撮り過ぎにはくれぐれも注意して下さい』と条件付きで退院させて頂きました。

 

すっかり息苦しさの取れた母は何を勘違いしたのか(現在、少しずつ認知症が進行中)、もうすっかり治ったと思い込んで『あれこれ食べ物を持ってきて欲しい、私の所には何も食べ物が無い』と叔父や叔母(母の兄弟)や友人に電話をかけて持ってこさせたり宅配便で送らせている様なのです。

叔父叔母へは長女が事情を話して何も送らないで欲しいとお願いしました。叔父叔母も快諾してくれました。

友人の方は我々も把握しきれていないので、施設の受付に置いてある個人別の訪問者の名前を書くノートの裏表紙に『塩分制限の内科的治療をしているので塩分の高い食品の差し入れをご遠慮ください』と書いた紙を貼らせてもらいました。

それでも、先日もノートに名前を書かずに訪問する人が漬け物を持ってきてくれたりしていた様なのです。(スタッフさんから連絡がありました)

母は『ドクターから何でも食べて良いって言われているのよ~』と言っているらしいのです。(自分の都合の良いように話を持っていくのも認知症の一つの症状なのでしょうかねぇ・・・)

 

退院した頃にはきれいにむくみも取れて、これで塩分摂取に気をつければ現状維持が出来ると施設のスタッフさんもとても気遣って下さって良い方向に進んでいました。

※現状維持が我々家族(三女以外)とスタッフさんとの共通の認識です。※

 

が、三女が『もう年なのだから好きなようにさせれば良いのに』と言い出しました。いくら長女が説明してもわかろうとしないそうです。

近くに住む私(私は四女です。)や施設のスタッフさんが沢庵や漬け物の制限をすると、母はそれを不満に思うらしく姉たちに愚痴を言い始めました。長女と次女は『お母さんのために、スタッフさんは言ってくれているのよ~。だから体の調子もよいでしょう?頑張っているのだからその調子よ~。』とおだてたりなだめたりという役回りを演じてくれますが、三女だけは母に同調する様な事を言ったり、そのことで母と盛り上がっているらしいのです。我々のやり方がおかしいと長女に直訴したりもしてくるのだそうです。

遠くに居て良い所取りの三女のやり方(手を出さずに口だけ出す。肝心な時にはいつも来ない。)にウンザリさせられている今日このごろです。近くに居る私は母から嫌われてとてもやりにくいし。かといって、変な理屈を押し付ける三女と直接やり取りするほど私はタフではないしそんな時間も使いたくない。と思っています、今は。(言っても分からんような人には言わせておけ~~とは、夫談 )

 

介護経験のある友人や親戚からは『身内が鬼にならないとしかたがないのよね~!!』と心強い応援ももらえたりするので元気が出るし嬉しいのですがねぇ~
 幸い他の姉や夫が私の立場を理解して話を聞いてくれるので何とか頑張れていますが、最近登校拒否の子どもみたいに母の施設へ行くのが億劫でたまりません。