先週、木曜日(23日)に母が父の元へ旅立ちました。(施設で看取って頂きました)
父が亡くなってから17年。
約10年は実家で一人暮らしを楽しみ、7年前に大病を患い私の住む町へ来て最初の5年間はマンションで一人暮らしを頑張っていました。(介護認定を受け、ヘルパーさんにお掃除等をお願いしていました。)
2年前に認知症の症状が現れて炊事等がおぼつかなくなってきて一人暮らしが困難になり介護付き老人ホームへ入居、スタッフさんに支えられながら過ごしていましたが慢性的な心不全のために亡くなりました。
夏頃から食欲が落ちそれでも涼しくなったら食べられるようになると本人も私も思っていましたが徐々に状態が悪くなってきてそれでも最後は苦しまずに逝く事が出来たのが何よりだったと思います。
亡くなる日のお昼ご飯は大好きなカレーを頂いたそうです。(約2割)
午後5時頃夫と面会に行き会話をして(夫の顔はちゃんと認識できて夫の昔のエピソードを一方的にσ^_^;話してくれました)『また、明日ね』と言って施設を後にしました。
午後8時頃に主治医から『今までと様子が違う』と連絡があり息子夫婦に連絡をして駆けつけて母の最期に立ち会う事が出来ました。(夫は仕事で不在)その後、その日のうちに葬祭場へ移動しました。
葬祭場へ移動して後から駆けつけた夫と二人で通夜葬儀の日時や内容を決めました。
(長女、次女とは夏頃からもしもの時のために事前打ち合わせを行っていましたので慌てなくて済みました)
葬祭場では息子夫婦が一緒に泊まってくれたので心強かったです。(夫は仕事があるので家に戻りました)
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施設への入居直後に心臓に水が溜まって酷い息苦しさを訴えて循環器の病院に約20日間入院し、その後は鬼娘(私)の厳しい塩分制限で一度も水が溜まる事も浮腫む事も無く息苦しさも感じる事も無く(酸素の血中濃度が低かったので酸素チューブは使用していましたが息苦しさはさほど感じていなかった様子でした)息を引き取ったのでそれが何よりだったと思っています。
一部の口うるさい人たち【母の妹、母の義妹、母の三女(私の姉)】の言う事は適当に流して(生前の塩分制限の件が厳しすぎたとか、祭壇のお花の色の事、母の遺影が最近の物過ぎる、通夜告別式の日程などに対して意に添わない事は責任の無い人たちはどんな時でも異を唱えて言いたい放題なんですね~苦笑。この手の人達は何を言っても聞く耳持たないし納得もしないし黙りません~_~;)、何とかお通夜とお葬式を無事に執り行う事が出来ました。
我々三人(長女、二女、四女の私)で、良くやったときっと天国の父が誉めてくれるよね~~、父にも胸を張って報告できるよね~~と自分たちで自分を誉め、今の自分たちのやるせない気持ちを自分達で落とし込んでいる所です。
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葬儀の後に施設に行ったら、ケアマネさんが『あっぱれでしたね~~』目に涙を一杯浮かべて母の最期を誉めて下さいました。
施設の介護スタッフさんも会う人、会う人涙を浮かべて寂しがって下さったのがとても有り難かったです。
そして、父の葬儀以来17年ぶりに母の孫たち(総勢11名。44歳から24歳)が全員集合できたのも母の為せるわざかもしれないね~~と姉や義兄が口々に言っておりました。(通夜を金曜日、告別式を土曜日にしたので働き盛りの20代、30代、40代の孫息子たちも全員帰省する事が出来ました。)
(孫息子たちが、葬儀の間も後片付けも率先してやってくれて叔母ちゃんはとっても助かりましたよ~~滝涙)