気ままに人生送れたら¥$

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そして、みんな いなくなりました

2016年09月24日 08時47分27秒 | 日記

平成14年9月1日に妻は、入院しましたが、翌2日の朝、出勤前に面会に行くと「昨日の夜、軽い脳こうそくを起こした。」と笑顔で言いました。入院しているのであまり心配はしませんでしたが、翌3日も出勤前に病院に顔を出し、仕事帰りにも面会に行きました。午後8時の面会時間いっぱいまで面会して、夕食を終えた時、午後9時に病院から電話が掛かってきました。妻が、暴れるので来てほしいとのことでした。

妻は、ベットだけが置かれた別の病室で「あー痛いと叫んでいました.」私は、手を握り「大丈夫、大丈夫」と声をかけるのが精一杯でした。

翌朝には、落ち着きましたが、残念ながら左半身不随となっていました。

嚥下も出来なくなっていました。

市立病院、和歌山医大、和歌山日赤病院の方々には、特に看護師の皆さんには大変お世話になりました。

特に、市立病院では妻の為には発声練習用の「あいうえお・・・ん」の手作りの綺麗な表を作っていただきました。

翌平成15年1月に退院して、5月のお誕生日をデイサービス所でお祝いをしてもらった時の写真です。

そして、愛犬たちです。母親のヒロが食べ残しが長男タローに(一切れ)

  

妻は、同年、平成15年10月30日亡くなりました。

お医者さんから、今日がヤマですと告げられた翌朝です。

意識のない妻に「頑張って生きていくからな」と言うと

意識のない妻が、ハッキリとうなづいたのです。

その時、看護師さんが病室に飛び込んできました。

心電図のモニタが異常を知らせたのです。

午前9時でした。52歳です。

愛犬もいなくなりました。みんな いなくなりました。

倒れて1年4か月、入院中は仕事が終わり帰宅して病院へ、翌朝自宅に帰り出勤、仕事を終わり帰宅して病院、翌朝帰宅出勤。

自宅で介護4か月・・・してやりたかったことがまだまだあります。

妻が意識のない時、ICU(集中治療室)で人(隣のベッドの人がなくなり身内の人が泣く)の声は聞こえていたと言っていました。

この時、妻の好きな音楽をMDに入れイヤホンで聞かせたことも覚えていました。(看護師さんが、耳は聞こえています。音楽を聞かせてあげて下さいと)

私の声を聴いて意識のない妻が、最後の力を振り絞りハッキリとうなづいたのです。

安心して下さい。約束通り元気に生きています。

残ったものが、元気に笑顔でいる事が一番仏さんが喜ぶと思っているからです。

今まで通り、勝手気ままに生きています。

雨の日が続いて、9月の信州行きが延期中。

10月に予定変更計画?。