愛煙家の多事総論

このブログは愛煙家こと私が、世の中の色々なニュースに対して、自分勝手な評論をする駄ブログでございます。

魚の解剖

2007-09-17 20:28:12 | 国内情勢
小学生の4年の頃だ。先生が大量の鮒を持ってきて、俺たちに解剖させた。小さな鮒だったから、どの部位がどの臓物なのかイマイチ分からなかったが、それでも心臓がぴくぴく動いているのを見て、「気持ち悪い」「怖い」と思ったのを覚えている。

小学生5年の頃、先生はおたまじゃくしを連れてきて、「観察日記を付けろ」と生徒たちに手渡した。教室の隅に小さな水槽が30個以上も設置され、毎日餌を上げては観察日記をつけていた。そのおたまじゃくしが全てカエルになり、みんなが可愛がっていたとき、先生は言った。「仕上げに解剖するぞ」。

人間がどれだけ可愛がって育てていても、人間以外の動植物は所詮、人間の都合で活殺されることを知った。そんな命の尊さを知る授業も、最近では理解を得られなくなっているらしい。

中学生向け科学セミナー マウス解剖中止

渋谷区教委が主催する中学生向けセミナーで、マウスの解剖を行うことについて、市民団体「動物実験廃止・全国ネットワーク」と「地球生物会議」(文京区)が中止するよう要望し、区教委は十四日、中止を決めた。

 セミナーは、中学生の科学離れを食い止める狙いで毎年開催しており、解剖や化石の発掘など、学校ではできない本物に触れる実験や体験を行っている。ことしは全五回で、区内の中学生十四人が応募。初回の二十九日がマウスの解剖だった。昨年まではカエルを解剖していたが、両生類の致死率が高いツボカビ病が今年、国内で初確認されたことなどから、マウスに替えたという。

 区内の会員が区報で募集記事を見たのがきっかけで、両団体は▽映像など代替方法がある▽生命の大切さを知るために殺すのは本末転倒▽インドやスイスでは子どもの生体解剖を禁止している-などと十二日、文書で中止を要望した。

 十四日に再要望に訪れた会員ら六人に、田端清・児童育成担当副参事は「解剖学は否定しないが、庁内でもヒトに近いほ乳類のマウスを中学生に解剖させる是非に賛否両論が出ていた中で、要望もあったので、中止を決めた」と話した。今回のセミナーは骨格や筋肉に関する学習に変更。来年度も、マウスの解剖はしない方針という。

 両団体の事務局を務める東さちこさんは「ネズミの解剖中止は一つの成果だが、カエルや魚ならよいわけではなく、今後も運動を続けたい」と話した。






何て言うのかなぁ・・・。
そりゃ、確かに人間の都合で生き物をむやみやたらと解剖するのは、如何なものかと思う。

でも、人間が人間である以上、どうやっても他生物を人間の都合で踏み潰して生きることに代わりはないわけで・・・。

昼飯のチキンカレーのニワトリ、晩飯の鮭の切り身の鮭。

普通は意識しないけれど、人間は1日を生きるために既に2匹の他生物を殺していりう。植物も「生物」と取り扱えば、軽く二桁を突破する生物を殺しているだろう、毎日。


また、風邪薬から、胃腸薬、難病の薬・・・そういった医薬品は、大概動物を実験体として使っている。そうやって動物の命を踏み潰した先に、不特定の人間の命が永らえる結果となる。


生体解剖にしても、「生物」というモノの中にどのような機関が備わり、どのようにして生きているかをしっかりと理解するのは大切なことだと思う。
生物の中に何が詰まっているかを分かれば、暴力を思いとどまる枷になるもなるんじゃないだろうか。

勿論、今言っているのは全て人間の「都合」でしかない。殺される動物からすればたまったもんではない。しかし、生物は他生物の犠牲なくして生きてはいけない。
生体実験をせずに、そのことに無自覚に生きるよりは、生体実験をして、命の重みを知って生きる方が良いのではないだろうか。

命の重みを知るためだけなら、生体実験なんか必要ない、という人もいるだろうが、自分は、生体実験をする過程で自分の手で「生物を殺す」という体験をしなくては、本当の意味での命の重みを知ることは出来ないと思う。体験がなければ、どうしても「命の重み」は空疎な言葉に成り下がってしまうのではないだろうか。























小学生5年の頃、可愛がってきたカエルを泣く泣く解剖していた俺たちに、先生は言った

「牛肉を作っている人も、豚肉を作っている人も、鶏肉を作っている人も、可愛がってきた動物を殺して、生きているんだ。今君たちは可愛がってきたカエルを殺したけれど、肉を作っている人は毎日そんな想いを抱えてるんだ。そして僕達はその肉を食べて生きている。生きているということは、必ずだれかに迷惑を、だれかが犠牲になっているということだ。それを忘れず、常に心の隅に留めておくような大人になりなさい」

と。

普通の生体解剖では、心臓や筋肉を見るためだけに解剖するのだろうが、うちの担任はそれだけでなく、道徳部分を育てるためにも解剖させていたように思う。でなけりゃわざわざ育てさせた生き物を解剖させたりしないわな。

先生の言葉は、今も俺の胸に生きている。


最新の画像もっと見る

コメントを投稿