11/20分?
ーー説明定期ーー
ふと思い立ったので、30周年を迎えるゴスペラーズの思い出的なものを若干赤裸々っぽい感じで綴っていこうかなと。
今更すぎるけど。
思い立ったのが遅いので2年ごと、毎月5、10、15、20、25日(+30日)に上げていくかんじで。
ただの自分語りですがそれでもよければどぞ。
(需要があるとは思えないので日付は目安)
2012年
年またぎで行われていたツアー"ハモリズム"、年が明けた公演にも参加していた。今年こそ良い年にするぞ、という願いが込められていた。
北山氏のソロライブにも赴いた。
このとき大きな勘違いをしていたのだが(今年2月に行った時の記事を読めばわかる、かもしれない?)、それでもそれなりに楽しく過ごせた。
そういえばこのときもReMEMBERを歌っていた。
わたしは切ない曲の方が好みなので、キャンドルフラワーの音源化も待っている。ついでに……いや、これは覚えていれば後ほど。
SOUL POWER SUMMITで披露された新曲が心底最高だった。
ゴスペラーズ
ギリギリSHOUT!!
https://www.shazam.com/track/155116500?referrer=share
など、思い出はさまざまあるが、特筆すべきなのは9月にあったファンの集い in Cairnsだ。
ここに記事はあるが、改めて当時の反省。
順序があべこべだが、この時のライヴ……というより"DINNER PARTY"について。
このとき初披露のシングル曲も、実際に歌っているのを目の当たりにして一瞬で好きになった。
ゴスペラーズ
STEP!
https://www.shazam.com/track/71502409?referrer=share
ライヴ中は、楽しい時間だった。
Cairnsだからこそできたこともあって、それぞれ良い体験だった。ちょっとした心残りはあって、生きているうちに再訪しなくては、と思ってはいるが。
しかしわたしには、特大の心残りがあった。
それは他でもない写真撮影のとき。
先に、その前置きの話。
写真撮影は到着したその日のうちに行われたのだが、なぜか飛行機が苦手になってしまったわたしは離陸時に具合が悪くなり(日本人クルーの方がいて助かった、お礼の手紙でも書けばよかった)、着陸時には機体が揺れすぎて「5人に会うために飛行機に乗ったのにそのせいで5人に会う前に命を落とさなくちゃいけないの?!」と思った。でもそこまでパニックになっているようにも思えなかった。飛行機に乗り慣れている人たちはあれも慣れっこなのだろうか……。
結果的には無事に着陸できたが、ますます飛行機への苦手意識は高まってしまった。
思えばそれ以降、飛行機には乗っていない。
乗る機会もないし乗りたいとも思わない。
そして着陸後、どこからともなく聞こえてきた
「写真撮影も最後の方は流れ作業みたいだったよね〜笑笑」
という誰かの声が耳に残っていたのだった。
そんな呪いのような言葉、気に留めなければよかったのに。
そんな状況から写真撮影に向かったのである。
しかも慣れない夜中のフライトで寝不足。
海外集いに慣れているであろう人たちは、あらゆる面で余裕そうだった。そんな人たちからしたら自分なんてただのモブ(ライヴ中もモブだけど)。
生来わたしは引っ込み思案で、5人がうまいこと客席側を盛り上げてくれるからライヴ中は楽しく振る舞えるけれど、本来は隅っこでじめっと目立たず生きているのだ。
そんな人間が5人の前に立つ資格など、そもそもあっただろうか。
迷いに迷いながらも申し込みしたのは自分なのに、そんなところから戸惑っていた。
そうこうしているうちに自分のグループの順番がきた。待たされた廊下ではなぜか冷房がこれでもかという勢いで効いていて、せっかく心を奮い立たせても、大理石の上のチョコレートのようにそのすぐ端から凝固していくようだった。
そして目に入った5人の姿。
なぜか
「向こうは5人だけどこっちは1人だな……
5対1って敵うわけないじゃん!」
と思ってしまっていた。
思えば自分の中で、5人の存在というものが果てしなく大きくて。
自分の心を解放できる場所に居ることができるのは、彼等のおかげなわけで。
途轍もなく大きな存在の5人の前でどうしたらいいのか、わからなくなってしまっていた。
別に『私はマニの中のマニなんだから丁重に扱ってよね』みたいなことを言いにきた訳ではない。
報われない時からずっと支え続けてきた訳でもない。
何の取り柄もない。
そんな自分が5人の前に行っても、5人は嬉しくなんかないだろうに。
そんなことを思ってしまっていた。
そんなわたしの目の前に、最初にやってきたのは北山氏。
握手をした瞬間、自分の手の冷たさが北山氏に伝わっていってしまうのを感じて申し訳なく思った。
ちなみに北山氏の握手は力強かったと記憶している。(後に続く安岡氏、村上氏、黒沢氏はソフトな握手だった)
昔とある英語教師のかたが「欧米人の握手は強いもの。弱く握ると失礼になるから強く握り返しなさい」と言っていたのを思い出したので、北山氏もそういうことなのだろうと思って強く握り返そうと思ったのに、力が入らなかった。
また、この場に来るまでに他の人たちと喋ったとき「握手のときメンバーと目を合わせなさい!じゃなきゃ来た意味ないんだから!」というようなことを言う人もいたなと思って顔を見るが、緊張しすぎて何も考えられない。
一応目は合っていたと思うが、焦点ってどこだっけ?状態。
これならステージ上から見てくれている方がよほど緊張しない(緊張することはするけれど)。
やはりわたしはこんな場に相応しくない人間なのだ、と思った。
そして最後に現れた酒井氏が、ペンダントを持っているのが視界に入った。
その瞬間、空港で聞こえた呪いの言葉を思い出してしまい、早く終わらせたいのだろうと思ったわたしは目を合わせることも忘れて頭を下げた。
安岡氏から「写真撮るよー」というような意味のことを(具体的に何と言われたのかはっきりと記憶にない)言われるまで頭を下げたままだったと思う……このあたり、頭がぼんやりしてあまり覚えていない。
たぶん相当困惑しただろう。
そのまま写真撮影になったが、そこでも失礼極まりなかった。
そして酒井氏とは握手をしそびれたことに後から気付いて落ち込んだ。
本当は、東北を想ってくれてありがとうだとか、ゴスペラーズのことがずっと大好きなのだとかいうことを5人に向かって伝えたかったのに、言えなかった。
もっとちゃんと周りが見えていたなら。
わたしはこうしたいんだ、と、ちゃんと主張できていたなら。
タラレバなんて意味がないことはわかっているにも関わらず、それももうあといつ行けるかわからないというのに、やり直したい、とばかり思っていた。
Cairnsにまで行っておきながら、ここまで心残りばかりだったのはわたしくらいなものなのだろう、きっと。
このとき残したはずのものは、いま手元に見当たらない。
でもその固まっていた後悔は、ほどなくして解れた。
11月、ハイタッチ会があった。
公開リハーサルも見ることができたし、こっちの方が一瞬で終わってそこまで緊張しなかったし、5人全員とハイタッチできたし、正直自分の性に合っていた。
なにより、5人と対峙するとき彼等の曲が流れていた。
緊張しても彼等の曲がそこにあれば緊張に勝てるのではないかと思っていたが、正解だった。
これがあるとわかっていれば、Cairnsに行く必要はなかったのではないか……
とも思ったが、Cairnsに行ったことそのものは大切な思い出なのも確かだ。
2013年
アルバム『STEP FOR FIVE』を引っ提げて行われた坂ツアー"FOR FIVE"。
そこで披露されたこの曲で、改めて彼等の想いが伝わってきた。
ゴスペラーズ
BRIDGE
https://www.shazam.com/track/53942756?referrer=share
この歌詞の端々に、彼等の想いが込められている。
「また」という言葉を複数回使っている。「なんどもなんども」という言葉も。
だから「また次がある」と思わせてくれる。
彼等は積極的に全国のさまざまな場所へ来てくれて、そしてこれからも未踏の地へ赴こうとしてくれる。
恐らく彼等は、彼等の曲を愛してくれる人すべてに会いに行こうとしてくれている。それも一度行けばもうノルマ達成、ではなく、行ける限り二度三度……と。
「こんなところにも来てくれるんだ」
と思わせてくれる。また来ようとしてくれる、そしてそれも嘘じゃないんだ、と。
(来ようとしてくれているアーティストは他にも多数いるのだとは思うが)
他の都市に興行を持っていかれがちな地方在住だから、その気持ちが嬉しい。
3.11のような、いや、そこまでいかずとも、例えばこの国のどこかに困難が訪れたら、そこへ心を寄せてくれるグループなのだ。
好きになったのが本当に素敵な人達で掛け値無しに嬉しい、と思った。
しかしその後、転職したらえらい目に遭った。
同年のツアー"ハモ騒動"のことを思い出そうとするとその記憶もくっついてきてしまうので、ここでは言及を避けておく。
一応、次回へつづく。
ーー説明定期ーー
ふと思い立ったので、30周年を迎えるゴスペラーズの思い出的なものを若干赤裸々っぽい感じで綴っていこうかなと。
今更すぎるけど。
思い立ったのが遅いので2年ごと、毎月5、10、15、20、25日(+30日)に上げていくかんじで。
ただの自分語りですがそれでもよければどぞ。
(需要があるとは思えないので日付は目安)
2012年
年またぎで行われていたツアー"ハモリズム"、年が明けた公演にも参加していた。今年こそ良い年にするぞ、という願いが込められていた。
北山氏のソロライブにも赴いた。
このとき大きな勘違いをしていたのだが(今年2月に行った時の記事を読めばわかる、かもしれない?)、それでもそれなりに楽しく過ごせた。
そういえばこのときもReMEMBERを歌っていた。
わたしは切ない曲の方が好みなので、キャンドルフラワーの音源化も待っている。ついでに……いや、これは覚えていれば後ほど。
SOUL POWER SUMMITで披露された新曲が心底最高だった。
ゴスペラーズ
ギリギリSHOUT!!
https://www.shazam.com/track/155116500?referrer=share
など、思い出はさまざまあるが、特筆すべきなのは9月にあったファンの集い in Cairnsだ。
ここに記事はあるが、改めて当時の反省。
順序があべこべだが、この時のライヴ……というより"DINNER PARTY"について。
このとき初披露のシングル曲も、実際に歌っているのを目の当たりにして一瞬で好きになった。
ゴスペラーズ
STEP!
https://www.shazam.com/track/71502409?referrer=share
ライヴ中は、楽しい時間だった。
Cairnsだからこそできたこともあって、それぞれ良い体験だった。ちょっとした心残りはあって、生きているうちに再訪しなくては、と思ってはいるが。
しかしわたしには、特大の心残りがあった。
それは他でもない写真撮影のとき。
先に、その前置きの話。
写真撮影は到着したその日のうちに行われたのだが、なぜか飛行機が苦手になってしまったわたしは離陸時に具合が悪くなり(日本人クルーの方がいて助かった、お礼の手紙でも書けばよかった)、着陸時には機体が揺れすぎて「5人に会うために飛行機に乗ったのにそのせいで5人に会う前に命を落とさなくちゃいけないの?!」と思った。でもそこまでパニックになっているようにも思えなかった。飛行機に乗り慣れている人たちはあれも慣れっこなのだろうか……。
結果的には無事に着陸できたが、ますます飛行機への苦手意識は高まってしまった。
思えばそれ以降、飛行機には乗っていない。
乗る機会もないし乗りたいとも思わない。
そして着陸後、どこからともなく聞こえてきた
「写真撮影も最後の方は流れ作業みたいだったよね〜笑笑」
という誰かの声が耳に残っていたのだった。
そんな呪いのような言葉、気に留めなければよかったのに。
そんな状況から写真撮影に向かったのである。
しかも慣れない夜中のフライトで寝不足。
海外集いに慣れているであろう人たちは、あらゆる面で余裕そうだった。そんな人たちからしたら自分なんてただのモブ(ライヴ中もモブだけど)。
生来わたしは引っ込み思案で、5人がうまいこと客席側を盛り上げてくれるからライヴ中は楽しく振る舞えるけれど、本来は隅っこでじめっと目立たず生きているのだ。
そんな人間が5人の前に立つ資格など、そもそもあっただろうか。
迷いに迷いながらも申し込みしたのは自分なのに、そんなところから戸惑っていた。
そうこうしているうちに自分のグループの順番がきた。待たされた廊下ではなぜか冷房がこれでもかという勢いで効いていて、せっかく心を奮い立たせても、大理石の上のチョコレートのようにそのすぐ端から凝固していくようだった。
そして目に入った5人の姿。
なぜか
「向こうは5人だけどこっちは1人だな……
5対1って敵うわけないじゃん!」
と思ってしまっていた。
思えば自分の中で、5人の存在というものが果てしなく大きくて。
自分の心を解放できる場所に居ることができるのは、彼等のおかげなわけで。
途轍もなく大きな存在の5人の前でどうしたらいいのか、わからなくなってしまっていた。
別に『私はマニの中のマニなんだから丁重に扱ってよね』みたいなことを言いにきた訳ではない。
報われない時からずっと支え続けてきた訳でもない。
何の取り柄もない。
そんな自分が5人の前に行っても、5人は嬉しくなんかないだろうに。
そんなことを思ってしまっていた。
そんなわたしの目の前に、最初にやってきたのは北山氏。
握手をした瞬間、自分の手の冷たさが北山氏に伝わっていってしまうのを感じて申し訳なく思った。
ちなみに北山氏の握手は力強かったと記憶している。(後に続く安岡氏、村上氏、黒沢氏はソフトな握手だった)
昔とある英語教師のかたが「欧米人の握手は強いもの。弱く握ると失礼になるから強く握り返しなさい」と言っていたのを思い出したので、北山氏もそういうことなのだろうと思って強く握り返そうと思ったのに、力が入らなかった。
また、この場に来るまでに他の人たちと喋ったとき「握手のときメンバーと目を合わせなさい!じゃなきゃ来た意味ないんだから!」というようなことを言う人もいたなと思って顔を見るが、緊張しすぎて何も考えられない。
一応目は合っていたと思うが、焦点ってどこだっけ?状態。
これならステージ上から見てくれている方がよほど緊張しない(緊張することはするけれど)。
やはりわたしはこんな場に相応しくない人間なのだ、と思った。
そして最後に現れた酒井氏が、ペンダントを持っているのが視界に入った。
その瞬間、空港で聞こえた呪いの言葉を思い出してしまい、早く終わらせたいのだろうと思ったわたしは目を合わせることも忘れて頭を下げた。
安岡氏から「写真撮るよー」というような意味のことを(具体的に何と言われたのかはっきりと記憶にない)言われるまで頭を下げたままだったと思う……このあたり、頭がぼんやりしてあまり覚えていない。
たぶん相当困惑しただろう。
そのまま写真撮影になったが、そこでも失礼極まりなかった。
そして酒井氏とは握手をしそびれたことに後から気付いて落ち込んだ。
本当は、東北を想ってくれてありがとうだとか、ゴスペラーズのことがずっと大好きなのだとかいうことを5人に向かって伝えたかったのに、言えなかった。
もっとちゃんと周りが見えていたなら。
わたしはこうしたいんだ、と、ちゃんと主張できていたなら。
タラレバなんて意味がないことはわかっているにも関わらず、それももうあといつ行けるかわからないというのに、やり直したい、とばかり思っていた。
Cairnsにまで行っておきながら、ここまで心残りばかりだったのはわたしくらいなものなのだろう、きっと。
このとき残したはずのものは、いま手元に見当たらない。
でもその固まっていた後悔は、ほどなくして解れた。
11月、ハイタッチ会があった。
公開リハーサルも見ることができたし、こっちの方が一瞬で終わってそこまで緊張しなかったし、5人全員とハイタッチできたし、正直自分の性に合っていた。
なにより、5人と対峙するとき彼等の曲が流れていた。
緊張しても彼等の曲がそこにあれば緊張に勝てるのではないかと思っていたが、正解だった。
これがあるとわかっていれば、Cairnsに行く必要はなかったのではないか……
とも思ったが、Cairnsに行ったことそのものは大切な思い出なのも確かだ。
2013年
アルバム『STEP FOR FIVE』を引っ提げて行われた坂ツアー"FOR FIVE"。
そこで披露されたこの曲で、改めて彼等の想いが伝わってきた。
ゴスペラーズ
BRIDGE
https://www.shazam.com/track/53942756?referrer=share
この歌詞の端々に、彼等の想いが込められている。
「また」という言葉を複数回使っている。「なんどもなんども」という言葉も。
だから「また次がある」と思わせてくれる。
彼等は積極的に全国のさまざまな場所へ来てくれて、そしてこれからも未踏の地へ赴こうとしてくれる。
恐らく彼等は、彼等の曲を愛してくれる人すべてに会いに行こうとしてくれている。それも一度行けばもうノルマ達成、ではなく、行ける限り二度三度……と。
「こんなところにも来てくれるんだ」
と思わせてくれる。また来ようとしてくれる、そしてそれも嘘じゃないんだ、と。
(来ようとしてくれているアーティストは他にも多数いるのだとは思うが)
他の都市に興行を持っていかれがちな地方在住だから、その気持ちが嬉しい。
3.11のような、いや、そこまでいかずとも、例えばこの国のどこかに困難が訪れたら、そこへ心を寄せてくれるグループなのだ。
好きになったのが本当に素敵な人達で掛け値無しに嬉しい、と思った。
しかしその後、転職したらえらい目に遭った。
同年のツアー"ハモ騒動"のことを思い出そうとするとその記憶もくっついてきてしまうので、ここでは言及を避けておく。
一応、次回へつづく。