日記カテゴリーがカオスではあるけどとりあえず。
先日。
Eテレの「こころの時代」って番組で名越康文先生が出てて、経歴っていうのかな、いろいろ喋ってたんだけど感銘を受けちゃったのであり。
文字起こし的なのって怒られちゃうかな?
でもちゃんと起こしたかと思いきや抜けてる記述も多々あるのでそのまま載せてあと感想的な。
*************************
父方の祖父が事故で突然この世を去って
父親が泣いていたことに衝撃
小4
間違えて海底大戦争観た
タクシーの運転手さんとか八百屋さんとかが半魚人になる
主人公達は半魚人を倒すけどもとは普通に働いてた人達が主人公達に殺されていく図にしか見えなかった
『人間は死んだあとどこに行くのか?』
1週間寝られなかった
どのくらいお金を儲けても良い家を建てても親友を沢山作ってもそれを全部捨ててあの世に行かなきゃいけない
「勉強しなさい」「運動しなさい」「友達沢山作りなさい」が全部虚しく聞こえてきた
『どうせ死ぬのになぜ生きるのか?』
5年生のときパンドラの匣というものを知る
そこにその気持ちを封印した
難関中学へ
医者になるしかなかった
医学部へ
1年生で物理数学とか生理学とか取らなきゃいけなかったのに3つ落とした
再試なんとか通ってさあこれから夏休みだというタイミング
歩いていて上り坂に差し掛かったとき、ぶわっと生温い風が吹いてきた
その瞬間パンドラの匣の蓋がパカっと開く音が聞こえた
『医者になって幸せ?ううん
お前は何も解決してないよ
お前はどう生きていくんだ?
どうせ死ぬのになぜ生きるのか
これから本気で考えろよ』
10年延命しても意味ないんじゃないか
『最後は死ぬのに、なんで人の命を救うのか?』
母方の祖父
病気で半身不随で寝ていた
「生きることに苦しんでいる」と言うと
増谷文雄さんの「仏陀」を読めと言われ2日くらいで読み切った
最晩年のブッダは最後ガリガリになって全てに絶望して菩提樹の下で瞑想を始める
何日目かの朝
次のページに何と書いてあるかワクワクしてページをめくると
「ブッダは悟った」とだけ
体験せな
瞑想せな
パンドラの匣は見えてる
開いたまま
「どうせ死ぬのに〜」とずっと言ってる
方法がある?
その方法を実践していったら「生まれてきてよかった」という境地に至れるのでは
医学部3年生 留年……
2回目の3年生のとき野田俊作先生との出会い
カウンセリングルーム
参加料を払うとカウンセリング見れる
ある人がカウンセリングで解きほぐれていくのをみんなで見れる
アドラーが作った??
感動しちゃった
1時間で不登校の女の子が最後にこっと
精神科医になろうと決意
国試受かったあと最初に配属になったのが脳神経外科だった
若い女性の
悪性の脳幹のところのしゅよ(なぜか文字に起こせない)
延命の手術を予定していた
毎日見に行く
点滴が入りにくい時もあった
入れ直しても全く痛いと言わない
年下だったのに
手術前日に剃髪
もう少しで全て剃り終わるというとき
最後を任された
側頭部あたりを剃るときその人の目から涙が
何も言葉をかけられず
手術は終了
研修も終わったのでそこを離れた
しばらくして精神科の研修中
ハガキで彼女のお父様から「亡くなりました」と
脳外の研修が終わったあと一度会いに行っている
旅行先で買った、小さいお地蔵さんと絵本
一緒に納棺した
ハガキに返事を書かないといけないと思いながら、ご両親にどんな言葉をかけてあげたらいいかわからず未だに返事を書けずにいる
「なんでこの人が死なないとあかんかったん?
どうしてこの人は過酷な運命を与えられなければいけなかったのか?」
この時の考え
生きていくしかない
まだ至らない知恵に至らなければ
辿り着いてないけど
生きるというのは複雑怪奇で答えのない問い
答えがないから生きていける、というところもある
その後、若い医師達で緊急救命病棟を設立
自害他害の患者が週3とか
38歳でクリニック開業
40代は臨床のピークだと思って
思春期の精神医学をやりたい
当時携帯電話が出始めた頃
雑誌に載って名前が出回る
自傷の行動を起こしてしまうアクティブアウト1日3人とか
携帯電話の番号を教えて
「行動を起こしてしまいたくなったら電話して」と
気付いたら患者の8割が番号知ってた
電話が来るピークが22時から朝の2時
2月
夜中に目が覚める
Tシャツが汗だくになっていたので着替える、寝る、また汗だくで起きる
自律神経やられてた
「自分自身を苛んでる怒り」を浴びてしまう
もう無理
神戸の真言密教のお寺
80歳の阿闍梨さま
「大慈悲」
今から修行?
「月輪観」瞑想法の一つ
別な瞑想もやっていたけど本格的にはここから
がくとぎょう(「学」と「行」?)
大日経
三句の法門
一
菩提心
如来になろう
人格は無限に成長できることに気付こう
二
大悲
どんなに幸せそうな人でも心に地獄を抱えている
それに心を寄せましょう
三
方便
方便こそ究竟(くきょう)なり
できる範囲でちょっとでも慰められるよう癒してあげる
心を救ってあげる
毎日心掛ける=仏教的な行
学生との問答
Q
優しさを受け取ってくれているか不安
A
考えない
10秒間考えないトレーニングをして
「受け入れられている」空間があって初めて心を開ける
普遍化してきている
カウンセリング
聞いてる方が(癒されてる?)
『どうせ死ぬのに〜』
修行
撒いた種であっても磨かれてる
この世で修行をしている
どっかで自分の心を見てる
例えばお酒
寂しさが自分の中にあることに気付こう
心の中にある痛みを見つめること
立派な修行
死でもってそれは終わらない
SNSにて
『とげとげしい言葉の正体はさびしさ』
怒りに対する武器は慈悲
怒りをいっぱい浴びた
耐えきれない孤独
ウェルカムしてくれなかった寂しさ、つらさ
言葉にできないようなさびしさ etc
今の時代
この20年くらい
心の傷付きがマックスになった
誰でも活字を書ける
本当に怒るならいいけど……
「で、それ俺の人生に関係ある?」
その時のストレスの怒りは🙅♀️
空海を知ってほしい
真言を
(※ここに軽々しく載せるのは失礼かと思ったので具体的になんて言ったかは伏せますね〜)
優しい心で唱えて
祈ることが世界最古で最も強固な心理療法
ここから登ると登りやすいよって登山口を示す
*************************
感想というか。
実はわたし、小さい頃からなんの因果か知らないが冠婚葬祭のうち葬の回数が多くて……
数年連続で喪中になっちゃった時期もあった。あれはなかなかきつかったな〜
法事なんて、何回行ったか思い出せないくらい。
だからか、人を失うってことは割と身近にあって。
わたしも『人は死んだらどうなるんだろう』とか『生まれ変わったとしても、前世で学んだことや得たものを何も覚えていないなら意味がないのでは』とか『何のために生きるんだろう』みたいなことはよく考えていた気がする。
というか今でも考える。
小さい頃、大好きな祖父に「天国に行く前にわたしのところに来てね、絶対引き止めるから」って言ったこともあったっけなあ……
なんか、良いところだったらしいので引き止めるの失敗してしまった。
覚えている限り夢にも出てこなくて、未練とかなかったんだ〜って笑っちゃった。
もう一人の祖父は何日かしてから一度だけ夢に出てきた。その時はなんだ生きてるじゃん、って思ったんだけど。天使の羽みたいなの背負ってて、周りにも羽がいっぱい舞ってて不思議な感じがしてたっけな。
で。
いつだかの法事のときにお経読まされて、一応解説?みたいな時間があって。
どこの宗派なのかは伏せるけど、住職さんが
「菩提心をおこして(漢字は「興して」だったかな)」
とか言ってたの。
それ自体どういうこと???って思ってたけど、真言宗方面から教えてもらうとはね……
てか言われてたのかもしれないけど、言い方?
それは言ってた人がちょっと浮世離れみたいな感じで言ってたからかも。
とか言ってあなた綺麗事しか言わないじゃん、みたいな。
詳しくは伏せるけど、そういう大人もいろいろ見てきたもので……
でも名越先生のお話はなんでか「そういうことだったのか」ってスッと入ってきたな。
似たようなこと考えてたわ〜って思ったからかな。
名越先生の言ってたこと全部100%共感!とまでは思わないけど、だいぶ楽になった気がする。
んで。
ここからは本題と逸れるので読まなくていいですよ。
この日びっくりしたのが、まあこの日というか日付変わってからだけど北山氏がやってたスペース、なんとなくだけどその番組と似通ってるところがあった。
その番組を観たから思ったのかもしれないけど。
でも北山氏のやってることがまさに「方便こそ究竟なり」だった。
わたしが「大丈夫」って言葉に弱いだけかもしれないけど……
んで、わたしに言われてる訳じゃなかったのに自分も大丈夫なんじゃないかと思えちゃったよね。
歌詞/歌詩をちゃんと伝えようとして歌ってくれているグループだから尚のことだろうね。
(その技術……じゃないけど技術みたいなもの、ほんのちょっとエッセンス一滴だけでも欲しいんだけどなあっていう強欲)
スペースの内容って言っちゃいけないらしいけど、一応今のところアーカイブが残っているからほんのちょっと言う(怒られたら消す)。
生きることの意味について。
こんなこと言っといてまたどん底に病む可能性は大いにあるけど(ここ笑うところね)、生きることに意味があるかないかっていう概念はちょっと変えた方がいいかもな。
うまく言えないけど、意味というか「何のために生まれたのか」って考えになった人がいたなら、まさにそれを考えるために生まれたのかもねって思っちゃう。
その考えに至ることができた時点でもうえらい。花丸あげちゃう。
え、だめ?ブッダに怒られちゃう?
なんかこのへんまじで説明難しいな……うまいこと説明できるまでまだ時間かかる。
でもやっぱり「自分が生きててもなにも意味がない」的な考えだけは捨てていい。
それは断言する。
それでも、意味のあるなしに拘るならば。
少なくともゴスペラーズの5人には生きる意味があるよ。
わたしの生きる理由だから。
それも断言しとく。
(ちょうどその翌日の光る君へのラストも似たようなことになってたな)(わたしがこじつけるの好きなだけかな)
ともかく、それを思ってパールを聴いたらめっちゃすんなり自分の中に入ってきた。
あと思った、そういうのは自分自身が決めるものじゃないんだと。
先述のスペースで、もういっこ言っちゃうけど「夜遅いから離脱します」みたいなこと言った人いたのかな、それに対してなのか「こんなの聞く必要ないから」みたいなこと言ってて。
それはそちらで決めないで……聴く価値があるかどうかはこっちが決めるんだから……って思った。
それはアーカイブ残ってるけど、翌週やったらしいインスタライブはアーカイブ残ってなかったからね……寝ちゃって気付かなかったたから自分のせいなんだけど。
ご自身で意味がないと思ってやってたのかもしれないけど、それ見聞きした人がそこのやり取りで人生が変わる何かを得られたかもしれないじゃん?それはやってみないとわかんない訳で。
だからあんまり自分自身に『意味ない』とか『価値ない』みたいなこと、言わないでほしいなって……(´・ω・`)
こんなとこで言ってても、いやこのブログ自体、それこそ『意味ない』のかもしれないけど。
(訳・なぜ始まる前Twitterで何も言わないのに終わってからつぶやくのかwww Twitter上に何がなんでもインスタライブを観てほしくない人でもいるのかwww まあTwitterじゃなくてXですけど)
でもとりあえずわたしはいまのところ平気、いろんなものの正体がなんとなく掴めてきた気がするので。
また病んだら笑ってやってくださいませなw
先日。
Eテレの「こころの時代」って番組で名越康文先生が出てて、経歴っていうのかな、いろいろ喋ってたんだけど感銘を受けちゃったのであり。
文字起こし的なのって怒られちゃうかな?
でもちゃんと起こしたかと思いきや抜けてる記述も多々あるのでそのまま載せてあと感想的な。
*************************
父方の祖父が事故で突然この世を去って
父親が泣いていたことに衝撃
小4
間違えて海底大戦争観た
タクシーの運転手さんとか八百屋さんとかが半魚人になる
主人公達は半魚人を倒すけどもとは普通に働いてた人達が主人公達に殺されていく図にしか見えなかった
『人間は死んだあとどこに行くのか?』
1週間寝られなかった
どのくらいお金を儲けても良い家を建てても親友を沢山作ってもそれを全部捨ててあの世に行かなきゃいけない
「勉強しなさい」「運動しなさい」「友達沢山作りなさい」が全部虚しく聞こえてきた
『どうせ死ぬのになぜ生きるのか?』
5年生のときパンドラの匣というものを知る
そこにその気持ちを封印した
難関中学へ
医者になるしかなかった
医学部へ
1年生で物理数学とか生理学とか取らなきゃいけなかったのに3つ落とした
再試なんとか通ってさあこれから夏休みだというタイミング
歩いていて上り坂に差し掛かったとき、ぶわっと生温い風が吹いてきた
その瞬間パンドラの匣の蓋がパカっと開く音が聞こえた
『医者になって幸せ?ううん
お前は何も解決してないよ
お前はどう生きていくんだ?
どうせ死ぬのになぜ生きるのか
これから本気で考えろよ』
10年延命しても意味ないんじゃないか
『最後は死ぬのに、なんで人の命を救うのか?』
母方の祖父
病気で半身不随で寝ていた
「生きることに苦しんでいる」と言うと
増谷文雄さんの「仏陀」を読めと言われ2日くらいで読み切った
最晩年のブッダは最後ガリガリになって全てに絶望して菩提樹の下で瞑想を始める
何日目かの朝
次のページに何と書いてあるかワクワクしてページをめくると
「ブッダは悟った」とだけ
体験せな
瞑想せな
パンドラの匣は見えてる
開いたまま
「どうせ死ぬのに〜」とずっと言ってる
方法がある?
その方法を実践していったら「生まれてきてよかった」という境地に至れるのでは
医学部3年生 留年……
2回目の3年生のとき野田俊作先生との出会い
カウンセリングルーム
参加料を払うとカウンセリング見れる
ある人がカウンセリングで解きほぐれていくのをみんなで見れる
アドラーが作った??
感動しちゃった
1時間で不登校の女の子が最後にこっと
精神科医になろうと決意
国試受かったあと最初に配属になったのが脳神経外科だった
若い女性の
悪性の脳幹のところのしゅよ(なぜか文字に起こせない)
延命の手術を予定していた
毎日見に行く
点滴が入りにくい時もあった
入れ直しても全く痛いと言わない
年下だったのに
手術前日に剃髪
もう少しで全て剃り終わるというとき
最後を任された
側頭部あたりを剃るときその人の目から涙が
何も言葉をかけられず
手術は終了
研修も終わったのでそこを離れた
しばらくして精神科の研修中
ハガキで彼女のお父様から「亡くなりました」と
脳外の研修が終わったあと一度会いに行っている
旅行先で買った、小さいお地蔵さんと絵本
一緒に納棺した
ハガキに返事を書かないといけないと思いながら、ご両親にどんな言葉をかけてあげたらいいかわからず未だに返事を書けずにいる
「なんでこの人が死なないとあかんかったん?
どうしてこの人は過酷な運命を与えられなければいけなかったのか?」
この時の考え
生きていくしかない
まだ至らない知恵に至らなければ
辿り着いてないけど
生きるというのは複雑怪奇で答えのない問い
答えがないから生きていける、というところもある
その後、若い医師達で緊急救命病棟を設立
自害他害の患者が週3とか
38歳でクリニック開業
40代は臨床のピークだと思って
思春期の精神医学をやりたい
当時携帯電話が出始めた頃
雑誌に載って名前が出回る
自傷の行動を起こしてしまうアクティブアウト1日3人とか
携帯電話の番号を教えて
「行動を起こしてしまいたくなったら電話して」と
気付いたら患者の8割が番号知ってた
電話が来るピークが22時から朝の2時
2月
夜中に目が覚める
Tシャツが汗だくになっていたので着替える、寝る、また汗だくで起きる
自律神経やられてた
「自分自身を苛んでる怒り」を浴びてしまう
もう無理
神戸の真言密教のお寺
80歳の阿闍梨さま
「大慈悲」
今から修行?
「月輪観」瞑想法の一つ
別な瞑想もやっていたけど本格的にはここから
がくとぎょう(「学」と「行」?)
大日経
三句の法門
一
菩提心
如来になろう
人格は無限に成長できることに気付こう
二
大悲
どんなに幸せそうな人でも心に地獄を抱えている
それに心を寄せましょう
三
方便
方便こそ究竟(くきょう)なり
できる範囲でちょっとでも慰められるよう癒してあげる
心を救ってあげる
毎日心掛ける=仏教的な行
学生との問答
Q
優しさを受け取ってくれているか不安
A
考えない
10秒間考えないトレーニングをして
「受け入れられている」空間があって初めて心を開ける
普遍化してきている
カウンセリング
聞いてる方が(癒されてる?)
『どうせ死ぬのに〜』
修行
撒いた種であっても磨かれてる
この世で修行をしている
どっかで自分の心を見てる
例えばお酒
寂しさが自分の中にあることに気付こう
心の中にある痛みを見つめること
立派な修行
死でもってそれは終わらない
SNSにて
『とげとげしい言葉の正体はさびしさ』
怒りに対する武器は慈悲
怒りをいっぱい浴びた
耐えきれない孤独
ウェルカムしてくれなかった寂しさ、つらさ
言葉にできないようなさびしさ etc
今の時代
この20年くらい
心の傷付きがマックスになった
誰でも活字を書ける
本当に怒るならいいけど……
「で、それ俺の人生に関係ある?」
その時のストレスの怒りは🙅♀️
空海を知ってほしい
真言を
(※ここに軽々しく載せるのは失礼かと思ったので具体的になんて言ったかは伏せますね〜)
優しい心で唱えて
祈ることが世界最古で最も強固な心理療法
ここから登ると登りやすいよって登山口を示す
*************************
感想というか。
実はわたし、小さい頃からなんの因果か知らないが冠婚葬祭のうち葬の回数が多くて……
数年連続で喪中になっちゃった時期もあった。あれはなかなかきつかったな〜
法事なんて、何回行ったか思い出せないくらい。
だからか、人を失うってことは割と身近にあって。
わたしも『人は死んだらどうなるんだろう』とか『生まれ変わったとしても、前世で学んだことや得たものを何も覚えていないなら意味がないのでは』とか『何のために生きるんだろう』みたいなことはよく考えていた気がする。
というか今でも考える。
小さい頃、大好きな祖父に「天国に行く前にわたしのところに来てね、絶対引き止めるから」って言ったこともあったっけなあ……
なんか、良いところだったらしいので引き止めるの失敗してしまった。
覚えている限り夢にも出てこなくて、未練とかなかったんだ〜って笑っちゃった。
もう一人の祖父は何日かしてから一度だけ夢に出てきた。その時はなんだ生きてるじゃん、って思ったんだけど。天使の羽みたいなの背負ってて、周りにも羽がいっぱい舞ってて不思議な感じがしてたっけな。
で。
いつだかの法事のときにお経読まされて、一応解説?みたいな時間があって。
どこの宗派なのかは伏せるけど、住職さんが
「菩提心をおこして(漢字は「興して」だったかな)」
とか言ってたの。
それ自体どういうこと???って思ってたけど、真言宗方面から教えてもらうとはね……
てか言われてたのかもしれないけど、言い方?
それは言ってた人がちょっと浮世離れみたいな感じで言ってたからかも。
とか言ってあなた綺麗事しか言わないじゃん、みたいな。
詳しくは伏せるけど、そういう大人もいろいろ見てきたもので……
でも名越先生のお話はなんでか「そういうことだったのか」ってスッと入ってきたな。
似たようなこと考えてたわ〜って思ったからかな。
名越先生の言ってたこと全部100%共感!とまでは思わないけど、だいぶ楽になった気がする。
んで。
ここからは本題と逸れるので読まなくていいですよ。
この日びっくりしたのが、まあこの日というか日付変わってからだけど北山氏がやってたスペース、なんとなくだけどその番組と似通ってるところがあった。
その番組を観たから思ったのかもしれないけど。
でも北山氏のやってることがまさに「方便こそ究竟なり」だった。
わたしが「大丈夫」って言葉に弱いだけかもしれないけど……
んで、わたしに言われてる訳じゃなかったのに自分も大丈夫なんじゃないかと思えちゃったよね。
歌詞/歌詩をちゃんと伝えようとして歌ってくれているグループだから尚のことだろうね。
(その技術……じゃないけど技術みたいなもの、ほんのちょっとエッセンス一滴だけでも欲しいんだけどなあっていう強欲)
スペースの内容って言っちゃいけないらしいけど、一応今のところアーカイブが残っているからほんのちょっと言う(怒られたら消す)。
生きることの意味について。
こんなこと言っといてまたどん底に病む可能性は大いにあるけど(ここ笑うところね)、生きることに意味があるかないかっていう概念はちょっと変えた方がいいかもな。
うまく言えないけど、意味というか「何のために生まれたのか」って考えになった人がいたなら、まさにそれを考えるために生まれたのかもねって思っちゃう。
その考えに至ることができた時点でもうえらい。花丸あげちゃう。
え、だめ?ブッダに怒られちゃう?
なんかこのへんまじで説明難しいな……うまいこと説明できるまでまだ時間かかる。
でもやっぱり「自分が生きててもなにも意味がない」的な考えだけは捨てていい。
それは断言する。
それでも、意味のあるなしに拘るならば。
少なくともゴスペラーズの5人には生きる意味があるよ。
わたしの生きる理由だから。
それも断言しとく。
(ちょうどその翌日の光る君へのラストも似たようなことになってたな)(わたしがこじつけるの好きなだけかな)
ともかく、それを思ってパールを聴いたらめっちゃすんなり自分の中に入ってきた。
あと思った、そういうのは自分自身が決めるものじゃないんだと。
先述のスペースで、もういっこ言っちゃうけど「夜遅いから離脱します」みたいなこと言った人いたのかな、それに対してなのか「こんなの聞く必要ないから」みたいなこと言ってて。
それはそちらで決めないで……聴く価値があるかどうかはこっちが決めるんだから……って思った。
それはアーカイブ残ってるけど、翌週やったらしいインスタライブはアーカイブ残ってなかったからね……寝ちゃって気付かなかったたから自分のせいなんだけど。
ご自身で意味がないと思ってやってたのかもしれないけど、それ見聞きした人がそこのやり取りで人生が変わる何かを得られたかもしれないじゃん?それはやってみないとわかんない訳で。
だからあんまり自分自身に『意味ない』とか『価値ない』みたいなこと、言わないでほしいなって……(´・ω・`)
こんなとこで言ってても、いやこのブログ自体、それこそ『意味ない』のかもしれないけど。
(訳・なぜ始まる前Twitterで何も言わないのに終わってからつぶやくのかwww Twitter上に何がなんでもインスタライブを観てほしくない人でもいるのかwww まあTwitterじゃなくてXですけど)
でもとりあえずわたしはいまのところ平気、いろんなものの正体がなんとなく掴めてきた気がするので。
また病んだら笑ってやってくださいませなw