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マイク・ケリー

2023-02-05 08:26:32 | drums

マイク・ケリー Michael Alexander "Mike" Kellie


【パート】
  ドラムス、パーカッション

【生没年月日】
  1947年3月24日~2018年1月18日(69歳没)

【出生地】
  イングランド バーミンガム

【経 歴】
  ザ・カンサスシティ・セヴン(1965~1966)
  V.I.P.'s(1967)
  アート(1967)
  スプーキー・トゥース(1967~1970)
  ボールズ(1970)
  スリー・マン・アーミー(1971)
  パリッシュ&ガーヴィッツ(1971~1972)
  フランプトンズ・キャメル(1972~1973)
  スプーキー・トゥース(1973~1974)
  ジ・オンリー・ワンズ(1976~1981)
  スプーキー・トゥース(1998~1999)
  スプーキー・トゥース(2004)
  ジ・オンリー・ワンズ(2007~2017)
  スプーキー・トゥース(2008~2009)
  ザ・ディストラクションズ(2012~  )
  The Granite Shore(2015~  )


 マイク・ケリーはイギリスのドラマーである。
 50年以上にわたるキャリアを誇り、主にスプーキー・トゥース、オンリー・ワンズのドラマーとして知られている。
 また多忙なセッション・ドラマーでもあり、ジョー・コッカー、トラフィック、ジョージ・ ハリスン、ピーター・フランプトン、モーリス・ギブ(ビージーズ)、ゲイリー・ライト、ジョニー・サンダース、ルーサー・グロヴナー、ジム・キャパルディ、パット・トラヴァース、アンディ・フレイザーなど数多くのミュージシャンをサポートしている。



 ケリーの生まれ育った家庭はとくに音楽好きというわけではなかったが、彼は子どもの頃からスネア・ドラムの代わりに石炭スカットルを叩いたりして、リズムを取ることに興味を持っていた。
 10代の頃、「セント・マイケルズ・ユース・クラブ・バンド」にドラマーとして参加。
 1965年にはバーミンガムの「カンサスシティ・セヴン」というバンドに加入。これがケリーのプロ・ミュージシャンとしてのキャリアのスタートである。
 その後、ソリハルの街にあったチューダー・グランジ・スポーツ・センターの「ザ・トラック」で演奏していた時に、ブライアン・”モンク"・フィンチに招かれ、バーミンガムで「パット・ウェイン & ザ・ビーチコンバース(Pat Wayne & The Beachcombers)」と演奏するようになったが、スティーヴ・ウインウッドの口添えで1967年初頭に「V.I.P's」へ参加する。
 「V.I.P's」は1967年4月にバンド名を「アート」と改めるが、1967年にゲイリー・ライト(vocals, keyboards)が加入したのをきっかけに、「スプーキー・トゥース」と名を替えた。当初のメンバーは、ゲイリー・ライト、マイク・ハリスン(vocals, keyboards)、ルーサー・グロヴナー(guitar)、グレッグ・リドリー(bass)、そしてケリーの5人である。
 スプーキー・トゥースはアメリカン・ロックへの接近を試みながら、ハード・ロックやサイケデリック・ロックの要素を吸収昇華させて活動を続ける。ケリーのタイトで重みのあるドラミングはスプーキー・トゥースのサウンドにマッチしており、バンドを支える重要な要素のひとつであった。
 しかしスプーキー・トゥースは1970年に解散。次第に高まってゆくメンバー間の大きな軋轢が解散に至る主な理由である。
 ただし解散間もない1970年の秋に、ハリソン、グロヴナー、ケリー、ジョン・ホウケン(keyboard 元ナッシュヴィル・ティーンズ~ルネッサンス)、スティーヴ・トンプソン(bass 元ジョン・メイオール&ブルース・ブレイカーズ)というラインナップで、ヨーロッパ・ツアーのためにだけいったん再結成し、ツアー後に改めて解散した。
 その後は「スリー・マン・アーミー」や「パリッシュ&ガーヴィッツ」を経て、1971年にピーター・フランプトンのソロ・アルバム『ウィンド・オブ・チェンジ』のレコーディングに参加したことがきっかけとなり、フランプトンのバンド「フランプトンズ・キャメル」の結成に加わった。



 スプーキー・トゥースは1972年に再結成したが、翌73年にドラマーのブライソン・グラハムが脱退したため、ケリーはフランプトンズ・キャメルを離れてグラハムの後任としてスプーキー・トゥースに復帰。
 同年秋には6枚目のアルバム『ウィットネス』のレコーディングに参加したが、この頃にはハリスンとライトの間でバンドの主導権を巡っての対立が生じており、それが原因となって1974年5月にスプーキー・トゥースから脱退した。
 この年ジョニー・アリディのバンドに加わり、夏のフランス・ツアーに同行。


 1976年、ピーター・ペレット、アラン・メア、ジョン・ペリーとともにパワー・ポップ系パンク・バンド「ジ・オンリー・ワンズ」を結成、1981年までニュー・ウェイヴ・シーンで活躍した。
 ケリーは1981年にオンリー・ワンズを脱退すると、音楽業界から離れてカナダのトロント北部の田園地帯に移り、そこで4年間を過ごした。この間ケリーはピアノを学び、曲を書くことに時間を費やした。
 ケリーは1985年にイギリスへ戻り、北ウェールズやスコットランドで農業を営む。


     


 1998年、ライトを除く4人のオリジナル・メンバー(ハリソン、グロヴナー、リドリー、ケリー)が結集してスプーキー・トゥースはまたも再結成し、25年ぶりにニュー・アルバム『Cross Purpose』を発表した。
 再結成ライヴは、2001年に『Live In Europe』としてリリースされている。
 2003年にグレッグ・リドリーが死去したが、2004年6月にハリソン、ライト、ケリーはジョーイ・アルブレヒト(guitar)とマイケル・ベッカー(bass)を加えて「スプーキー・トゥース」の名で活動を再開させ、ドイツでライヴを行った。このうち、ヴォルプスヴェーデとハンブルグでのライヴの模様はDVD『Nomad Poets』(2007年)に収められている。


 2007年、オンリー・ワンズ再結成に参加し、イギリス、ヨーロッパ、日本をツアーした。
 2008年2月、ハリソン、ライト、ケリーをフィーチャーしたスプーキー・トゥースが5度目の始動。Mr.ミスターのギタリストであるスティーヴ・ファリスと、シェム・フォン・シュローク(bass)を伴い、ヨーロッパでツアーを行った。
 2012年、ソロ・アルバムの制作を開始。『Music from The Hidden』というタイトルのこのアルバムは2014年にリリースされ、ケリーはドラムのほか、オルガン、ベース、アコースティック・ギター、パーカッション、リード・ヴォーカル、プロデュースを担当。レコーディングにはゴードン・ジャクソン (accoustic-guitar)、フィンリー・バーカー(guitar)、トニー・ケルシー(guitar)、スティーヴ・ウィンウッド(organ, mandolin, bass)、ビル・ハント(piano)、リーバイ・フレンチ(piano)、トニー・アリス(piano)、ロブ・ハリソン(bass)、スティーヴ・ギボンズ(backing-vocals)、グレッグ・プラット・レイク(guitar, vocals)が参加している。


 その後、病を得たケリーは、短い闘病期間を経て、2017年1月18日に69歳で死去した。




【ディスコグラフィ】
 
 <ソロ・アルバム>
  2014年 Music from The Hidden

 <スプーキー・トゥース>
  1968年 イッツ・オール・アバウト/It's All About
  1969年 スプーキー・トゥー/Spooky Two US44位
  1969年 セレモニー/Ceremony US92位 *with Pierre Henry
  1970年 ザ・ラスト・パフ/The Last Puff US84位
      *クレジットは「Spooky Tooth featuring Mike Harrisom」
  1971年 タバコ・ロード/Tabacco Road US152位
      *『イッツ・オール・アバウト』の「Too Much of Nothing」を「The Weight」に差し替えて再発
  1973年 ウィットネス/Witness US99位

 <参加アルバム>
  1971年 アンダー・オープン・スカイズ/Under Open Skies(ルーサー・グロヴナー)
  1971年 ザ・ロウ・スパーク・オブ・ハイヒールド・ボーイズ(トラフィック)US7位
  1972年 Oh How We Danced(ジム・キャパルディ)
  1972年 ウィンド・オブ・チェンジ/Wind of Change(ピーター・フランプトン)
                                    ほか


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