初七日。

2013年04月15日 02時25分30秒 | 日記

昨日の日曜日、母の初七日を済ませました。

姉の家のことなので、たくさんあるはずのそろいの座布団は見つからない。

蓋つきのお茶碗はみつからない。

と言うハプニングは有りましたが何とか無事終えることが出来てホッとしています。

次の七日目の法要からはもっとあわてることなく、執り行いたいと反省もしています。

なれないこととはいえ、母や姉の庇護のもとに有って

自分は何もできないんだと、思い知らされた気がしています。

普段からご先祖様を敬うべし・・・。

なのですね。 よくひまわりさんや吾亦紅さんやのん太さんがお彼岸でもないのに

ご先祖様の供養にお墓に出かけていらっしゃるのが不思議だったのですが

北海道はあまりお彼岸以外にお墓にお参りに出かける機会がなかったのです。

でも大切なことなんだと思いました。

 

自分で思ってるよりも疲れてるんだとも気が付きました。

昨日も帰って来てから、夕食を食べてお風呂に入ったら、

まだ8時と言う時間だったのですが、寝てしまいました。

そしてこんな時間からもう起きだしてしまいます。

もう少し眠っていたかったのですが・・・。

 

姉はようやく昨日からおかゆを食べれるようになったし、

後は時間が解決していってくれるものと思います。

 

今日は未だ付随した、諸々の雑用があり、出かけなくてはならないのですが

少しずつ自分の時間を取り戻そうと思っています。

また皆様の所へ、散歩にも出かけたいと思っています。

その時はまたお仲間に入れてくださいませ。

 

 


春の雪。

2013年04月12日 06時57分52秒 | 日記

まるで三島由紀夫の小説『豊饒の海』を彷彿とさせるような

牡丹雪が静かに降ってます。

 

母とのお別れも済ませて、昨日の夕方自宅に戻ってまいりました。

夜中に目覚めることもなく、朝までぐっすりと熟睡してしまいました。

しばらくぶりにこんなに何の夢も見ないで、眠ったような気がします。

娘と夫の会話が聞こえた気がして6時頃起きてきたら

もう朝食が出来ていました。(^_^;)

娘はこの新学期から大学の研究室に配属になりましたので

朝は6時半に家を出ます。

それで、4時半に起きて自分の身なりを整えて

家族のために朝食を作っていたようです。

有りがたいことです。

 

母は4月8日、午後0時34分に静かに87歳の人生の幕を閉じました。

何も感じないはずの母が、その瞬間、一筋の涙がスーッと流れ落ちました。

私たちとの最期のお別れをしてくれたのだと 今にして思います。

たくさんの思い出と、たくさんの愛を残して逝ってしまいました。

まだ寂しさも悲しみもそんなに有りません。

 

 

ふわふわの花弁の様な牡丹雪が静かに降り注ぐのを見ていたら

今までの事が走馬灯のように、頭の中をよぎって行きます。

母の誕生日は 明日4月13日ですから 後数日頑張ったら米寿のお祝いが

出来たのにと思うと 少し残念ですが

何の苦しみもなく、眠るように父のもとへ旅立ったと思うと

「よく頑張ったね。 ありがとう。 お父さんに宜しくね。」

と言う言葉が自然に出てきました。

 

まだしばらくは姉のもとで行われる7日ごとの法要にも

出席しなくてはなりませんし

姉が、告別式の後、

昨日から入院してるので、私が取り仕切らなければならないのです。

法要を行う形式も、おぼつかないのですが

父の時に母が行った出来事を一つ一つ思い出しながら、

滞りなく行っていきたいと思っています。

そんなんで、まだブログ散歩は夢のまた夢ですが、私は元気です。

大丈夫です。

コメントのお返事はもう少し、余裕が出てから・・・。

でもコメント読ませていただいて、有りがたくて・・・

力を一杯もらえて こうして元気でいれるんだって思っています。

ありがとうございます。

 


今の私の思い。

2013年04月06日 06時50分04秒 | 日記

 

昨日は、姉の所に泊り、少し前に戻りました。

昨日、下の娘の運転で11時の面会時間に間に合うようにと

姉の所についてみると 母の病院から電話があり

夕方の4時半に主治医と面談があると知りました。

いよいよその時が来たと思いました。

母は危篤状態から中々抜け出せず、一進一退の状態をさまよっていましたが

会わせたい人がいたら、急いでくださいとのでした。

その間だけ、万が一の時は生命維持装置を装着も可能です。と・・・。

とうとうその時が来たのです。

私はすっかり覚悟が整っていましたから、冷静に受け止めれましたが

どうやら姉は、私とは違っていたようでした。

午後の集中治療室の面会を済ませてから

ひとまず、姉の家へ・・・。

今後の事を話し合いました。

色々話してる中で、姉は、生命維持装置と言う先生の言葉に

固執しているのがわかりました。

母が『死ぬ』と言うことに納得ができないでいるのです。

「○○ちゃんは(私の事)お母さんが死んでも構わないというのね」と

言いだし、さめざめと泣きだすのです。

「親が死んで悲しくない子供はいないよ」と言っても

姉は駄々っ子のようになってしまいます。

そこへ姪っこ(姉の娘)も参戦してきます。

親の泣く様子に、我慢できなくなったのでしょう。

正直、まいりました・・・。

今、なんでこんなことを私がブログに書いてるかと言うと

私自身がまいってるのです。

そして何とか自分を取り戻し 整然と粛々と母を送りだす準備をしなくてはと思ってるのです。

 

かっこいいことを言うつもりはないのです。

でも姉は何とか生命維持装置にすがっても

母を生かしたいと言い出し一歩も 譲りません。

正直心の中で「バカじゃないの」ってどなりたい気持ちでいっぱいでした。

先生が生命維持装置の話を出してきたのは、

遠くにいる会わせたい人が居るなら、万が一の時は、

その人が到着するまでの間、それを作動させることもできる

と言ったのです。

もうもとに戻ることはないと、年齢の事と合わせてはっきりと言ったのです。

でも私は、もう意識もなく、ようやく苦しそうな息をしてるだけの母を

誰かに見てもらおうとは思っていなかった。

母もそんなこと望んではいないと思っていた。

早く楽になって父ときっと出会えることができる・・・。

でも姉は違いました。

一分でも一秒でも長く生きていてほしいというのです。

言いませんが「それは生きてるもののエゴでしょう、」って言いたかったです。

私をおかしいと思う人が居るかも知れませんが

死後の世界を信じています。

天国地獄などと言う そんな難しい死後の世界ではなく、

ただ単に肉体が滅びても

魂は自由にどこへでも行けると思ってるのです。

 

母は、まだ意識のあるとき、

お見舞いに行っても「もう家に帰りなさい。」と私の家庭を気遣ってくれてた人です。

プライドが高く、自分の弱みは見せない人です。

今たくさんの点滴やらチューブやらにつながれたこんな姿、

母はいやだろうと思うのです。

私が母の立場なら、家族や周りのものに負担をかけたくないと思うし

母も同じだときっと同じ思いでいると思うのです。

 

私は 母のその時が来て あわてて醜い姿をさらけ出し

母に迷惑をかけたくありません。

しっかりと母の最期を看取り、セレモニーを取り仕切り

母を送り出したいと思っています。

 

姪っこは、「叔母さんはお母さんとは考えが違いすぎる」といいます。

「自分で抗がん剤を止めたほどの強い人だから・・・。」

「お母さんは、お父さんを交通事故で亡くした時、

体調を崩してひどい状態になって傍で見てるのはつらかった」といいます。

 

・・・私は何も言わなかったけど、・・・

 私は自分のことだって此処までに至るには

どれだけの涙を流したか、どれだけの思いがあったか・・・。

絶望と苦しみと虚脱感の中、真っ暗な死の淵を歩いたその思いは

誰にもわかってもらおうとは思っていない・・・。

今そこから脱出した時のことをふっと思うことはあっても・・・。

 

でも生かしたいという姉と、もう 楽にしてやりたいと思う私とは

平行線のままです。

 

・・・吸って吐いて・・・呼吸とは人間の本能だと思うのです。

あんなに浅く苦しそうで はかなげな呼吸をしてる母を

見入るには忍びないけど最後の最期の一呼吸まで

しっかり見届けようという私と

「あんなに苦しがっても意識もないのに、

必死に呼吸をしようとしてるおばあちゃんは生きたいからだよ」と

姪っこは言います。

 

姪っこは、「○ちゃんはどう思う?」って娘(私の)にまで矛先を向けます。

それまで一言も発せずにじっとしていた娘が話始めます。

いやだなって思いました。

でも娘は落ち着いた声で「私には意見を言う立場にないけど・・・」と言いながら

訥々と、静かに話し始めます。

なんと言ったかは、ヒートアップしてましたから、よく覚えていないのですが

なんかとてもよいこと言ったような気がしています。

あのとき、ヒートアップしていたみんながクールダウンして

私は自分の娘が偉いなって、いい子に育ったなって思ったのです。

姪っこが大人の話に入ってきてというわけではないのです。

あの子はあの子なりに母親をかばいたかったのだと思うのです。

みんなつらいんだと思うのです。

でも生かしたいという姉と、天寿を全うさせたい思う私の思いとは

交わることなく・・・。

 

ひとまず母の命ともしびが消えかかってる、今

まだ消えてしまわないうちに、一旦戻ってきました。

色々やらなくてはならないのに、

何やってるんだろうと思いながら

こうしてブログに思いを書いていたら

少し落ち着きました。

長いつまらないこと書いてしまいました。

見て下さってありがとう。

本当はいろんな準備をして喪服一式も整えて、

わかる所にきちんと置いておこうと思います。

万が一の時は娘に取りに戻ってきてはもらわなくてはなりませんから。

今日が土曜日でよかったと思います。

娘たち二人がフルで、手足になってくれますから。

 

さあ、頑張る。

しばらくは、姉の家に泊り、その最期の時を看取りたいと思っています。

すべてが終わり、落ち着くまでお休みします。

コメント、お返事書けなくてごめんなさいね。

 

今日のまほろばさんの掲示板に有った言葉。

 

ごめんなさい、まほろばさん。

勝手に張り付けてしまいました。

                          4月6日午前9時  記

 


また、母の所へ

2013年04月04日 08時09分16秒 | 日記

昨日は、一人で母の所へ行って来ました。

最近は、車を利用して母の所へ行くので、

その日のうちに自宅に帰って来れるので気持ちが楽です。

最近、高速道路は使用しないことにしています。

だから時間は 1時間位余計にかかります。

でものんびり、ゆったり、周りの景色を楽しみながら ドライブをしてます。

高速道路は最近、マナーが悪すぎる気がするのです。

スピードの出ているものですから一瞬の判断で大事故にもなりかねない感じで

私向きではなくなってしまいました。(^_^;)

でも時間がかかっても、少しでも気持ちよくドライブしたいと思います。

それに車だと、午前中の母への面会時間には間に合うのです。

車って便利です。つくづくそう感じます。

それと高速道路を利用しないといろんな、横道にはいりこめます。

危うく迷ってしまうことも有りますが、そういうときはナビを利用して・・・。

こういう立ち枯れの木立、大好きなんです。

原野の中に入り込んでしまいました。

 

1昨日までどちらかの娘が必ず付いてきてくれました。

何故って、この1カ月の間に

私は暇を見つけ目の手術もしましたし、

ちょうど下の娘は春休みだったので助かりました。

昨日からは大学がまた始まりましたから、

上の娘が都合つくときや下の娘が休みの時以外は

私が一人で運転して出かけることになって、昨日がその最初なのでした。

 

白内障の手術思ったよりも楽でした。

でも完治するのは、まだ先で3カ月はしっかり目薬を3種類つけなくてはなりません。

所が、私、目薬を点すのがおっそろしく下手で、5回に1回くらいの割で失敗してしまいます。

あっ、反対。 5回に1回くらいしか成功しないんです。

いつも、顔じゅう目薬だらけにしています。

で、目薬の無くなるのが早い・・・。

先生は呆れています、

上の娘は、目薬を点けるのがとても上手。

ちょっと頭を横にかしげて斜め上から さくっと点けます。

あんなふうに上手に点けたい・・・。

「あ~~って言いながら点けるといいよ」って言うけど

上瞼だったり下瞼だったりなんとも下手。

誰か一回で上手に目薬がきちんと目にはいる方法知りません?

 

 まだまだ雪たくさんでしょう?

昨日は通ったことない裏道を通っていたら、ハクチョウの羽を休めている所に出会いました。

きっとシベリアに帰る前に羽を休め 栄養を補給してるのでしょう。

湖沼でもないこんな原野の真ん中で雪解けの泥にまみれて虫とか探しているのでしょうね。

車を止めてゆっくりカメラに収めてきました。

たまに飛び立つ白鳥もいたりしますが、

あまりにも急すぎて、うまくカメラの中に収めれません。

これがまだ端っこの方にかろうじてハクチョウが映っています。

ずっと飛び立つ瞬間を待ってると良いのでしょうが、

中々そうもいきません。

原野ですから風が冷たくて凍えそうです。

北海道はまだまだ春は先なんだなって実感してしまいました。。

 

この首が灰色がかってるのは、まだ成鳥ではないのかなと思ったり・・・。

 どうやらこの辺は畑なのかも知れません。

おがくず(?)の様な山があったりしていますから。

隊列を組んで私のそばから移動を始めました。

警戒されちゃったかな・・・?

でもシベリアの方に旅立つ前の白鳥達・・・。

また来年も会いたいね。

来年の この時期またここにきてみようと思いました。

 

 


この時期の北海道は・・・。

2013年04月02日 09時34分52秒 | 日記

この時期の北海道には

巨大な謎の岩石が出現するんです。

どこに?と言うと、道路の両側になのです。

こんな風な巨岩です。

車の窓から撮ってます。(^_^;)

こんな風に

まるで壁のように

地層があって、くっきりはっきり・・・です。

周りの景色が何にも見えません。

でも、これ・・・

道路の両側に排除されてまだ融け切らずに有る、雪山なのです。

・・・・

実はこの記事、昨日のエイプリルフールにアップしたかったのです。(^_^;)

『謎の岩石出現』なんて言ってね。

 

昨日の車の中から写した写真。

でも疲れちゃってアップは今日になってしまいました。

 

今の時期の北海道は 一番嫌い。

誰にも見せたくないと思います。

何故って、冬の間の雪の害で道路のアスファルトにクラックができ

そこから融けた雪の水分がしみこみ、

通る車がそのもろくなったアスファルトを削り取り、

粉塵となって、周りの雪を真っ黒にしてしまうのです。

まもなく春一番や、強風が吹きますと

今度はこの粉塵が舞い上がり 目や呼吸器を痛めます。

それにお花や緑は未だ有りませんから、

モノトーンの世界にこんな粉塵が舞うと これもまた

苦痛なものです。

でも、このような

清掃員の人が雪割りをして、清掃をして下さっています。

間もなく、間もなく春の花や芽吹きも始まって、

大好きな緑や花たちも咲き始めることでしょう。

空はこんなに美しいのだから。

 

昨日は娘の運転で母の所へ行ってきました。

車はやはり良いです。 その日のうちに帰ってこれますから。

公共の乗り物を利用していくと こうは行きません。

まず、病院に到着するとお昼を過ぎてますから

午前中の母の面会は不可能なのです。

母は集中治療室に入ってますので、午後は5時からの面会のみになってしまうので

帰りは姉の所に泊らなくてはならなくなるのです。

 

車の窓から

大きな雪山が出現します。

去年もお見せしたことのある、雪堆所(せきたいしょ)です。

対象物がないのでわかりにくいのですが、車が通り過ぎるまで、かなりの距離なので

ものすごく大きな敷地の空間なのです。

帰りは娘が寝むそうだったので、途中から私が運転して帰ってきました。