紙魚子の小部屋 パート1

節操のない読書、テレビやラジオの感想、お買い物のあれこれ、家族漫才を、ほぼ毎日書いています。

アルメニアンダンス

2007-06-30 23:23:36 | 音楽
 今日は年に一度の恒例、学園主催の音楽会。学園ゆかりのプロのピアニストと声楽家をお招きして、真新しい礼拝堂でコンサートだった。 

 その前座が高校生吹奏楽部の演奏である。曲によって、鳥肌が立ち涙目になりそうな感動ものだったり、平板でミスの多い演奏だったりする。生徒たちの気合いの入り方の差、歴然。お兄ちゃんが尊敬する顧問のY先生の指揮は、思わず見ほれる程。相変わらずドキドキするようなハートフルな指揮ぶりである。

 中でもトリを飾った大作、リードの「アルメニアンダンス パート1」の素晴らしさったら! 

 初めて聴くようなタイプの音楽だし、リズムも摩訶不思議。8分の5拍子だという。音楽は素人なので、リズムの流れがさっぱりわからない。でも魅惑の異界に誘われるようで、なんとも心地よく、マジックか? ミラクルか? というひとときだった。

 感動のあまり、たまたま隣に座っておられた(我が家のメンバー、ほぼ全員が敬愛している)学園長先生に、「素晴らしいですねぇ!!!」と心情を吐露してしまったほどだ。先生はにこやかに微笑みながら、「あと1ヶ月したら、もっと素晴らしい演奏が聴けますよ」 そうなのだ、コンクールの自由曲なのである。

 吹奏楽のテクニックについては正直私にはわからないけれど、そんな素人にも「おおお~~!!」と有無を言わせず引き込んでしまう魅力があった。音楽のエッセンスみたいなものが。屈託なく、魂が込められた無心さ。

 と言う訳で、前座の高校生たちの演奏に、すっかり魂を抜かれてしまい、あまりの余韻の大きさで、メインのプロの方々の演奏を味わうどころではなくなってしまった。もったいないが、御招待券だったし、まあいいか。
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フランス人の名前

2007-06-29 13:46:57 | ノンジャンル
 子どもの頃は、人形遊びやお絵描きなどをすると、必ず自分で考えた名前をつけた。なまえを付けるのが好きだった。それも必ず外国の人名である。まかり間違っても「まる子」「ペケコ」とかの日本名は選択肢にない。

 私の子どもの頃と言えば、「おフランス」と丁寧に接頭語を付ける程、フランスがおしゃれで憧れだったので、フランスっぽい名前がカッコよかったのだ。あの不二家もフランス国旗と中央に金髪の女の子をあしらったパッケージの「フランスキャラメル」というお菓子を販売した程、上品でお洒落な国だったのである。

 でも少女マンガや小説やミュージシャンや女優さんの名前を漁ると、え?と「お洒落なおフランス」イメージから逸脱する名前も散見される。
 忘れもしないが、たとえば「イボンヌ」がそうである。「イボ」と半分読んだ時点で蛸の足がにゅうっと登場し、たちまち却下だ。

 ということで、ふと「おフランスらしからぬフランス・ネーム(女性編)」を探してみる事にした。さっそく、いきます。

「オドレイ」・・・グラサンに縦のキズあと(縫い目有り)のある顔と、いからせた肩の風貌が思わず浮かんできます(→おんどれー)。または奴隷の丁寧語かしら(→お奴隷さま)。

「ブリブリ」・・・「ザエモン」と続けたくなるのは、「クレヨンしんちゃん」の劇場用映画の数本にいたく感銘を受けたからでしょうか?

「コラ」・・・怒られちゃったよyellow23

「エロディ」・・・やらしい日??? なんだか意味深・・・

「エンマ」・・・エマなら少々の嘘は許してもらえそうなのに、間に「ン」の一文字がはいっただけで、こうも豹変するとは!

「ジジ」・・・若くても、女でも、フランスではジジ。一生、ジジ。

「マオー」・・・エンマにマオー。フランスでは地獄界の大物が君臨しているらしい。しかも男女雇用均等法が行き渡っているみたいだ。

「ゾエ」・・・横溝正史の推理小説や映画に登場する、妖しい(田舎の)老婆の話し言葉のようだ。「たたりだゾエ」「のろいだゾエ」「次はお前の番ゾエ」。こわいよう。

 フランスの新たな一面を発見した一日だった。
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ハエくん

2007-06-28 22:32:54 | 読書
 絵本は表紙がイノチである。まだ読んでもいない絵本なのに、紹介したものかどうか迷いつつも、もうすっかりココロはトリコである。とてもキュートな表紙なのだ。大胆シンプルなコラージュである。

 それはメキシコの絵本『ハエくん』なのだが、このところ立て続けにこの本の紹介を目にした。雑誌『日経Kids+』の8月号で紹介されていたのを読んで、「おおこれはぜひ読まなければ!!」と瞠目した。『子どもの本棚 7月号』(子どもの本棚社)や『この絵本が好き!2007年版』(平凡社)でもまっしぐらに目に飛び込んで来た。

 そんな訳で催眠術をかけられたように、毎日『ハエくん』のことばかり考えながら暮らしている。どうやら恋に落ちたらしい。しかも相手はハエくんだ。ちょっとトホホかも。

 「まちにまったひが、やってきました~!」と、準備万端整えてハエくんは海水浴に出かけます。ヤッホーな気分で泳いでいたら、上方からおかしな音がするし、へんな丸いものが落ちて来るではありませんか! なんなんだ~???

 って、わかるって、そんなの(笑)

 『日経Kids+』では、「こういう話はお母さんは顔をしかめて『いやぁねぇ~』と敬遠されがちだが、こういうものこそお父さんが選んで、子どもに読んであげてください」というアドバイスが書かれていた。しかし、それは『お母さん』への偏見でしかないでしょー。弱きもの、はかなきもの、きれい好きなもの、真面目なもの、汝の名は女なり、というバイアスがみてとれる。

 まさかまさか。

 『ハエくん』を検索したら、こういう話が大ウケしました~爆笑!!というコメントを、わんさと見つけました。たいていは言うまでもなくママです。谷崎潤一郎に負けずとも劣らず、こういう話にけっこうエキサイトしますね、みなさん。って私も熱に浮かされていますが。そういえば、最近WCについて調べたばっかりじゃないですか~。もしかして好きなのかも。(「何トボケてる、はっきり『好きです』と白状しなさい」というH氏の声がきこえてきそうだ)

 ともかくも近日中に『ハエくん』を読まねばなるまい、という思いのうちに、本日のブログは幕となります。

 追記*

お母さんにバイアスがかかっている、というのは、確信犯で書かれたものだと、今朝目覚めと共に気付きました。特集が「子どもの宝物になる100冊の本」、その中の「お父さんが読む絵本」というページで、「おかーさんって、こういうの苦手だがや、ぜひお父さん、読んであげてチョー」とおとーさんの自尊心?をくすぐり、むくむくと絵本に向かわす作戦だったのだと理解できました。
 そういや最近「お父さんに絵本を読んでもらう作戦」が着々とメディアで進行しているもんな。お父さんを絵本に向かわすには、いろんなスキルが必要なんだな。
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世界にひとつだけのTシャツ

2007-06-27 23:14:42 | ファミリー
 お産というのはオンナにとって、今も昔も命懸けの一大事業である。医療がどれほど発達している現代だって、万にひとつ、ということもあり得る。

 とKちゃんがお腹にいるとき、あれこれと考えていた。

 「身長が低いから」「第1子目が帝王切開だったから」「予定日を過ぎているから」というような理由で、2回目の出産も、あらかじめ手術を予定されていたので、かえって予測不能な事態は起こらないことは明らかだった。

 それなのになぜか万一に備えて白い無地のTシャツを購入し、布用黒ペンで絵を描き、世界でひとつだけのTシャツを、形見代わりに作る事を思い立った。今となっては「なぜTシャツ?」なのかナゾは深まるばかりなのだが、そのときは真剣だった(ような気がする)。

 白Tシャツは2枚組だったので、1枚はすでに私がキャラクター登録した(ウソ)H氏が、にんまりとフラダンスをしている絵柄である。かつて彼は職場の朝礼で、お話中の課長があっちを向いてる隙に、柔らかく腕を波打たせて、こっそりフラダンスの真似事をした。女子(+おばさま)職員はくすくす笑いを押さえきれなかったそうである。さもありなん。

 もう1枚は『ジャズ批評』というジャズマニア向け雑誌のイエローページに連載されていた『ラズウェル細木の「ときめきJAZZタイム」』というマンガに登場する中古レコード店「NINPININ」のおやじが揉み手をしている絵を描いた。誰も知らないような、ものすごくマイナーな雑誌とキャラクターでごめんなさい。ちなみにこのTシャツのバック襟元あたりには、お店の看板らしき「NINPININ」レーベルのレコード盤半分が描かれている。もちろんこのお店のモットー「中古JAZZレコード/超高価売付」も書き込まれている。



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天の配剤?

2007-06-26 13:03:01 | ノンジャンル
 braryさんが、以前「正直に生きているといいことがある」と書いておられたが、なるほどそうである。

 小学校の読みきかせボランティアの方々が、活動を開始されて1年以上が経つ。そして昨年度末より、小学校の図書室整理にも着手された。Kちゃんの同学年のママたちがメンバーだったため、この整理に関して私は3月より引っ張り込まれたカタチで関わる事になってしまった。とはいえ、軽薄にもほいほいと乗ってしまったのは、私である。

 それでも一度手を染めたことは、とりあえず一通りのところまでは継続する、という妙に律儀な性格なので(そういうキャラではないはずなのに、A型の業なのか?)腹を括って腰を据えた。6月より本格的に活動が動き出し1ヶ月が経った。

 わずか1ヶ月である。先週、本の内容別(NDC)に本を並べ替えられ、絵本もとりあえずのところ、日本と海外のものに分けられた。その1週間の間に何が起こったのか、貸出し人数が明らかに増えている。子どもたちは何かを敏感に嗅ぎ付けるのだろうか?

 いやそれに先だって、春休み前「本棚も買わないと」という話が出た。「でもお金は?」といきなり壁に突き当たってしまう。
 ところがほどなく、りっぱな白木で作ってくださった、それはりっぱな本棚の寄贈を申し出てくださる方がいらっしゃった。他に、まっさらでまとまった著者の本の寄贈を申し出る方もいらっしゃり、瓢箪からうれしい駒が次々登場するのだ。

 人の行いというのは、連鎖するのだろうか? こういう事がつづくのを目の当たりにすると、悪い事は出来ないものだ、とつくづく思う。
 こんなにがんばってるのに、とか、いやいや仕事をしているときには、さほど報われないのに、苦もなく楽しんですることには、自然に助けがくっついてくるとしか思えない。

 難しい顔をしないで、血眼で近道を探さないで、淡々と愚直なほどに労働に従事する事が大切なのだと、トルストイも諭していたのではなかったか? それを思い出す事が出来ただけでも、参加した甲斐があったというものである。(しかも私にとって、本に触る仕事は趣味の世界なので、時間を忘れる程、楽しい♪)
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