紙魚子の小部屋 パート1

節操のない読書、テレビやラジオの感想、お買い物のあれこれ、家族漫才を、ほぼ毎日書いています。

お店が家にやって来る。

2007-03-31 23:43:45 | お買いもの
 今日、日経新聞を読んでいたら、『老人ホームにコンビニ参上』というような意味の記事があった。普段「お買い物」に行けないお年寄りのために、出張コンビ二を試みにされたそうなのである。これはお年寄りの方々にとっては、さぞかしうれしいだろう。

 単にお店までの「足」(車や自転車)がない(もしくはキケンで乗るのを自粛している)というシンプルな理由から、足がおぼつかなかったり、体力的にしんどいという理由まで、お年寄りがお店で買い物をすることは、実は難しい。

 それだけではなく、レジで支払いのため財布をいつまでもごそごそし、おつりの確認に手間取り、レジのお姉さんを苛立たせ、後ろの列は徐々に長くなり、不穏な空気が流れたりすることがあるかもしれない。(私はよく見かける)

 かくもお年寄りが買い物に行くのはバリアフルなのだけど、かといって注文式のデリバリーサービスがあればいい、というものでもない。やはりお買い物の基本は「自分で好きなモノを選んで自分で買う」という事だと思う。

 私は常に時間に追われる身なのに、計画的に時間を使うのが自分でも呆れる程へただ。あまりに下手なので、時間管理術の本や雑誌を読んで研究したことがある。なるほどなるほどとは思えど「私には、できんなー」というのが結論だった。

 無駄なく最短距離で動く、ということが、まずもってできない。本能的にできない。道草、寄り道、迷い道こそ我が人生といっていい。だから「計画的な夏休み」を過ごしたことは一度だってない。「計画的な一日」だって、おぼつかないかもしれない。

 行きつけのスーパーですら、目的のもの以外の棚をつぶさに見てしまったり、目新しいものには眼を奪われて、しげしげと商品説明をしっかり読んでしまったりする。

 必要なものを必要なだけ手に入れることができても、たぶん、あんまり「うれしい」とは思わないだろう。
 あれかこれかさんざん迷った末に「えいっ!」と思い切って買ってしまうバクチ感覚は、シャンプーの新商品購入時に味わえる。ロマンチックな世界に浸り、自分の生活には一切縁のないものを、うっとりと眺める雑貨や家具やお洋服や文房具売り場の悦楽もある。この迷妄の世界こそが、ひとときの生活リアリズムから脱却する至福のひとときを味合わせてくれるのだ。迷いこそ悟り、という禅の心境に近い(ほんまか?)

 で、品数こそ少ないとはいえ、コンビニ商品がデリバリーされた老人ホームのお年寄りに話は戻る。そのときその場所で、お買い物をされた方の言葉が載っていた。いはく「アンパンはどこだ?」。

 とても心に響いた。久々の買い物のチャンスと、自分の欲望の対象が幸福な出会いをしたときの気持が、的確に表されている、と思う。

 「アンパンはどこだ?」ー思わず伊坂幸太郎さんの『陽気なギャングは地球を回す』に登場した銀行強盗の快男児、響野さんのセリフを思い出した。「ロマンはどこだ?」

あしたのジョーク

2007-03-30 23:51:33 | ファミリー
 いまNHK-BS2で「あしたのジョー」が一挙上映され、特集されているらしい。らしい、というのは、むろん観ていない、ということである。

 なぜなら私はリアルタイムで欠かさず観ていたにも関わらず、「ジョー」に関しては申し訳ないくらい低い体温だった。だから同世代のみなさんの熱い想いにシンクロできず、ちょっとばかり「思い込み的村八分」なのである。もっとも夫・H氏も似たようなものなので、ファミリー的には孤立せず安堵である。

 だから「いま、BSで『あしたのジョー』、いっぱいしてるね」と私が振っても、「そやね」で話題は終了する、はずだった。

 しかし、これを小耳に挟んだ者がいる。おまけに小耳にはさんだからには、一言何か言わずにはおれない、というKちゃんである。

 「『あしたのジョー』って、あれやろ」と得意げに横目でほくそ笑んだ。彼女が知っているはずもない『あしたのジョー』に、どういうリアクションをするのか? 興味津々で耳をそばだてる。

 「『わたしはもう、死んでいる』っていう人やろ」

 一瞬の間を置き、笑い崩れてしまった。

 「Kちゃん、それ、『おまえはすでに、死んでいる』やし。大体『わたし』が死んじゃってて、どうするの? しかも、それ、ジョーと違う、ケンシロウやし」 あちこちで訂正を入れて、混線した知識を整理し直す。でも、ああ、なんて素敵な混線!『あしたのジョー』が『北斗の拳』とミックスするとは。

 まあ一世を風靡した格闘技アニメ、という共通項はあるにしても。

 技巧的にも先天的にもお笑いのセンスはある人だけど、巧まずしてこれほど笑いを取れるとは、天然方面でも充分いけそうなKちゃんである。

(しかし何度も読み返すと、なんだか妙に深くて格闘技を極めた方がいいそうな言葉でもあるなあ)

ふなずしパイ

2007-03-29 23:45:06 | たべもの
 滋賀県の特産品である「ふなずし」をお寿司だと思いこんで、購入し電車の中で食べようと包みを開けたら、あまりの強烈な臭いに窓から投げ捨てた、という人がいる。うちの亡くなったおじいちゃんであるが。

 私もはるか昔、関東に五日間の研修に行ったとき、「実費を払うから、ぜひ『ふなずし』送って」と頼まれたことがある。「ええ!? でも あれは食べるの難しいですよ~。滋賀県の人だって、食べない人いるし」と渋ったが、「ぜひに」と乞われてしまった。

 私だって「ふなずし」は求めて食べない。いわゆる古くから伝わる「なれずし」で、お寿司とは似ても似つかない発酵食品である。わざと「醸されてしまう」(CR=「もやしもん」)モノなので、上品に腐っている状態なのである。しかもハレの日(お祭りとか)に食べるものだったので、高級品なのである。好きな人だって、年2、3回くらいかもしれない。

 それを大胆にも送って欲しい、とは。行った事の無い「鮒寿司専門店」におそるおそる足を踏み入れる。不運にも、ふきげんなおばちゃんが店番だった。こわごわ「ふなずし、送りたいんですけど」とお願いしてみた。彼女は「きっ」と私を睨んだ。

 「向こうの人は、『ふなずし』がどんなもんか、知ってはるんですか? 知らはらへんかったら、『こんな腐ったもん、送って!』ってクレームがきますから、ちゃんと説明して送ってくださいねっ!」 どうやらクレームの後に、タイミング悪く来てしまったらしい。

 ちゃんと懇切丁寧に、『正しいふなずし』の状態を説明するために、とりあえず真空パック入りの小さいのを購入した。説明書きの手紙を同封し、クール宅急便に託した。

 しかし運悪く「ふなずし」ご希望のお方は超多忙で帰宅できずにいたのだ。おかげで罪のない「ふなずし」は留守中の家族にひどく邪見にされてしまったらしい。冷蔵庫が(真空パックにも関わらず!)ふなずしの臭いで満ちてしまったからである。おかげで久々帰宅したご主人は、「ふなずし」初心者にも関わらず、家族の手前、意地でも食べ尽くさなければならなかったらしい。哀れなり。

 そんな手強い「ふなずし」を「お菓子」に使おう!という、大胆不敵なケーキ職人が滋賀県にいた! そして1年の試行錯誤の後、完成をみたのが、その名も「ふなずしパイ」である。洋菓子店「モンレーブ」のケーキ職人兼社長曰く、

「鮒寿司独特のにおいはパイにして焼き上げることで全く気にならなくなりました。また酸味がチーズ風味に感じられ、鮒寿司が苦手な人にも食べていただけます。砂糖を使用していませんのでお酒のお供にもいいですよ。おかげさまで売れ行き好調です」

 お酒のお供・・・それって、もしかしてお菓子じゃないのでは? とにかくこういうのは四の五の言わずに食べてみなくては話が進まない。ああ、また自作の宿題がひとつ増えてしまった。

 「ふなずしパイ」の時面が、なんとなく見覚えあるような気がしたのは、村上春樹さんの短編「はちみつパイ」を連想したからだと気付く。ま、「ふなずし」と「はちみつ」は、ひらがなで4文字というだけで、似ても似つかないけどね。

 ☆おわび:昨日のブログは操作ミスのため消失してしまいました。やはりスキマ時間になれない事をしてはいけない。ごめんなさい。

ひさびさ号泣

2007-03-27 23:01:25 | テレビ
 今朝、『芋たこなんきん』をみて、藤山直美さまのあまりの上手さに酔う。今回は、すっかり引き込まれて感情がシンクロしてしまい、号泣。

 夫・健次郎が余命いくばくもない、と知った後の、魂の抜けてしまった感じ。身体から力が抜けたみたいな、抜け殻のような町子の後ろ姿。とてもひとりでは抱えきれない悲しみを背負ってしまったときの、唐鼾桙ナしまいそうなしんどさ。

 しかもそれをすべてお見通しの健次郎(國村隼)と町子の母(香川京子)が切なくも優しい。お二人とも、あまりにも巧い。どきどきするくらい。

 健次郎役の國村さんは先週の段階で今週の布石を敷かれていて、控えめに咳をしたり、声量を押さえ気味にされたりしていた。うちの夫・H氏が新聞をめくる「バリバリ」という音で健次郎のセリフが聞こえなくて、テレビの音を上げたとき気付いたのである。

 周囲に気遣い、仕事をこなさなくちゃと人一倍強い責任感で前向きな気持ちを作ろうとする町子にとって、母親は心底甘えられる存在だったから、彼女に優しい言葉を鰍ッられたとき、ついに(やっと)泣いてしまったのだと知り、一緒に号泣。こんなときにそばにお母様がいらして、本当によかったね、とつくづくシンクロ。 

 こういう事態を恐れてひとりでこっそり観たので、心ゆくまで藤山さん&町子さんと一緒に泣く事ができる。今日に限っては、子どもたちが朝寝坊してくれたことに感謝する。

 というわけで、お昼と夜の再放送は、とても観られなかったのでした。また泣くの、わかりきってるもん。

お兄ちゃんの逆転劇

2007-03-26 23:07:25 | 書店
 お兄ちゃんが目星を付けていた大阪のとあるマニアックな古本屋さんに一緒に行ってみた。先日、実は彼は一人で行ったのだが、「お店の人めっちゃ無愛想やし、埃っぽいし、本は積んであって狭いし暗いし、なんも買えへんかった」のだ。

 古本屋さんて、そういうとこやん。コワないって。と言うと、すかさず妹Kちゃんが、おかーさん、どこでもどんどん行き過ぎ。私が心配になるくらい、平気で行くし。と突っ込まれる。

 いや、おかーさんは、マシです。おとーさんなんか、キケンなとこほど行きたがらはるし、しかもゆうこときかはらへんから、どうしようもないんやって。「そんな浮「場所ならぜひ行きたい」ということで、おとーさんも一緒に行く事に。おにいちゃん曰く「家族連れで行くとこ違うんやけど」

 話は戻るが、お兄ちゃんの大阪の古本屋さんへのアタックは失敗だったが、彼はその日、甲子園でひいきのチームの応援をして高校野球を見、大阪場所のひいきの力士の相撲部屋に差し入れを持って行き、「おかみさん」と話をしてから帰宅した。電車代のもとは取って余りある。

 こうしてお兄ちゃんTくんのリベンジは、ようやく果たされた。どんなマニアックな古本屋さんかと思っていたが、マンガも小説もある普通の昔ながらの古本屋さんだった。しかし部分的には確かに非常にマニアックな雑誌が揃っているその古本屋さんで、彼が片っ端から一部ずつ手に取って購入すると、最初入口で、さも無愛想に本を整理していた白髪のオヤジさんは、笑顔で彼に話しかけ、あまつさえ談笑するに至った。小さいときから電車に乗り合わせた周囲の人から、いつもなにかしらいただいていたオトナ受けするTくんの威力、いまだ健在なのである。あるいはこれって、特殊な才能なのかも。

 もちろん各自好きな本を手に取っていくのは、いつものこと。安いからと、買いすぎてしまうのもいつもの事。H氏などは友人のS氏と連絡を取り合い、早川ャPミスでS氏のご希望の本をお買い上げしてあげていた。とてもレアな1冊があったらしくお喜びのようだった。

 そして本が積み上げられた棚の上に置物コーナー?があり、たまたま私がそこで「タイムボカン」に登場する三悪の一人メカ作りに長けた科学者「グロッキー」のフェルト人形を発見。たちまち私&H氏&Kちゃんで盛り上がる。

 お会計(もちろんソロバンである)をすると満面の笑顔で「今日はずいぶん選んで本を買っていただいたので、うれしいから」と大幅に値引きをしてくださった。しかもおそるおそるH氏が訊ねた「この人形なんですけど・・・?」といいかけるやいなや、「おまけしますので、どうぞ」ということで「グロッキー」をもいただいてしまった。

 ちらほら桜が咲き始めた、そんなこんなの春の日でした。