紙魚子の小部屋 パート1

節操のない読書、テレビやラジオの感想、お買い物のあれこれ、家族漫才を、ほぼ毎日書いています。

からだをふたつにする方法。

2007-06-15 23:53:45 | ファミリー
 ときとして、あるいはしばしば、家族の「からだがふたつあれば!」という望みをかなえるのも主婦の仕事の一部かもしれない。だから家族が多い程、主婦の仕事(時間)は細切れになる。それがいいとか悪いとかではなく、家族がそのことを認識しているかどうかで、かなり違うのではないかと思う。

 仕事や学校に出かけて行くとき、それぞれが「○○しといて~」と言い残すので、指定の衣料品を探しに、スメ[ツ用品を探しに、文房具を探しに、パチンコ玉のように、あちこちに寄り道しながら一日を終える。ささいなドッペルゲンガーである。

 子どもたちが、魔法のように自然に物が現れているかのように思ったら、私の苦労は報われない(笑) 黙っていたらそんなふうに思ってしまっても全然不思議ではないので、ご依頼の品物がどのようにして我が家にやってきたのか(あるいはやってこなかったのか)を物語ったりする。あるときは波瀾万丈、あるときは偶然の産物、あるときは思いがけないエピソードがくっついてくる。

 そもそも「その品物」を入手する主体は、本来「あなた」だったわけだから、「あなた」が経験するはずだった物語を、代わりに体験した「わたし」が語る事は理にかなっている。単に「あなた」の時間がなかったからこそ、あえてドッペルゲンガーとして、もしくはコピーロボットとして、主婦が分身の術をつかうのである。

 しかし、もちろん主婦だって夫や子どもたちをドッペルゲンガーとして使う事もある。使う立場としては、大変重宝でありがたいものなのである。これなのだ、重宝でありがたいと思う事。別に口に出してもらわなくても、本当に思っているか何も思っていないかは、たいていわかる。伊達に同じ釜の飯を食べているわけではない。

 よくテレビドラマで「口に出さないだけで、ちゃんと思っていることくらい、わからないのか?」と反論する夫君がいらっしゃるが、それはむろん「そう思ってる振りをしているだけ」もしくは「いまのいままで気付きもしなかったこと」を妻に指摘され、うろたえた挙げ句の言い訳ではないかと、密かに思っている。

 そんな観察で改めてよくわかるのは、やはり私が一番家族の中では薄情なのだなあ~ということ。カタツムリくらいの速度でいいから、もうちょっと向上したいものである。ほんと、がっかりしちゃいます。意外にも思いやりは「体力」とも大きく関係しているのが、最近解った。みちのり半ばで息切れしていると、つい恨みがましくなってしまったりするのである。

 かつては自転車を風のように操り出かけたり、子どもたちの幼稚園などの送迎の半分を担ってくれた元気だったおばあちゃんは、いまや支えがなければ移動ができない。彼女のドッペルゲンガーになり、用事を肩代わりしたり足代わりになるたび、本当にそのたびに、おばあちゃんは、いつも口に出してお礼を言ってくれる。これは実はなかなかできることではないのを、私はよく知っている。

 きめ細やかな気遣いとか、気配りとかは、我が家では無用、娘がひとり増えた、そういう風に生活しましょう、と新婚旅行から戻った日に言ってくれたひとである。家族がみんな機嫌良く暮らせるのは、あくまで自然体の配慮が彼女にあるからなのだろう。