減価する通貨が導く近代超克への道

自然破壊、戦争、貧困、人心の荒廃・・・近代における様々な問題の根本に、私たちが使う「お金の非自然性」がある

「お金」を人と自然に優しいものに変える方法:減価通貨による地域エコ経済システム運営

2007-11-15 14:18:40 | Weblog
やっと地産地消を促し、人と自然に優しい循環型社会を作るための構想がまとまりつつあります。
まず減価する地域通貨(Eマネー)がどのように地域の経済システムに導入されるのか、日本円との関係がどうなるのかまとめた図をアップしますのでご覧下さい。(エントリータイトルをクリックして開くと図は大きくなります)

まずはじっくりと眺めながら、考えてみてください。(といいながら、はじめにアップしてから図に結構間違いを見つけてしまって、初期バージョンから訂正が進んでいます。すみません・・・汗)

詳細は追って説明します。

具体的なイメージが湧かない方は、このブログのブックマークにある平和党の自然主義経済や晴耕雨読の「開かれた地域共同体についての粗雑なイメージ」その関連記事、および「日々是勉強」の経済とグローバリズムに関する記事などをあわせてごらんになってください。
また、減価通貨や地域通貨の重要性は専修大学の泉留維先生の論文Pukiwikiで紹介されている「金利システムの問題」連山の橘みゆきさんの記事をみると参考になると思います。

図で示した地域循環を基礎としたエコ経済システムのポイントは、経済サイクル(商取引)が進めば進むほどどんどん人と環境に優しい「Eマネー」(減価通貨)が循環するようになって、地域市場(エコマーケット)が発達し、生産基盤もしっかりとしたものになっていくことです。

導入初期の段階では、はじめから図に書いてある全部のエコ商品がそろわなくてもOKです。すぐにそろうエコ商品としては、あまった農産物や中古・市場在庫などがあるでしょう。また、地域に働けるのに働けない人々がいれば、エコ商品を作るための生産契約をすればOKです。「エコバンク」はエコ商品が地域の福祉や生産基盤の発展、環境保全等に寄与するか、生産契約の内容は達成可能かどうかを判断し、それらを担保にEマネーか日本円を融資(貸付)します。Eマネーには利子が付かず、日本円には利子がつきます。ここが通常の銀行による融資とは大きな違いです。資産がほとんどない生産者も、当面Eマネーの融資を受けつつ、エコ商品を契約どおりに生産・販売すれば、増える借金に苦しむことなく生活できるようになります。

図では便宜上、地域のエコ自治協会と生産者協会は分けてありますが、多くの地域組織・企業体・住民個人は自治協会員(消費者・購買層)であると同時に、生産者でもあります。地域住民個人もエコマーケットから何かを購入するときは自治協会のメンバーであり、エコ商品を売ったりするときは生産者の一員とみなせます。

また、自治協会員は日本円を地域発展のための供託金として預け、同額のEマネーを受け取ることができます。また、Eマネーは減価通貨ですから、取っておくと目減りしますので、エコバンクが推奨する事業(保険やその他サービス事業も含む)に投資をすることができます。投資者は該当事業で出来たエコ商品を将来その投資額に見合った分だけ現物支給してもらえることになります。エコバンクはこれら投資事業の推進にあたって、生産者と生産契約を交わして融資します。つまり、エコバンクが投資者の債権と生産者の債務を仲介・保証し、エコ商品を作る事業を推進します。

また、所定の手数料(5~10%)をエコバンクに支払えばEマネーを日本円に換金できます。但し、自治協会に加盟して所定期間を過ぎないうちは供託金以上のEマネーは兌換できないこととします(この所定期間はEマネーの減価率にリンクさせます)。また、エコバンクに登録される地域金融機関は、自治体の長を補佐する組織であり、自治協会から認可および業務委託を受けた民主的組織とします。

また、エコバンクは、エコマーケットが潤滑かつ適正に発展するように市場の調査も行います。とくに出回っている商品が本当に地域の福祉や環境保全につながるようなものかどうか、今後何が一番ニーズが大きい推奨事業になりそうか、生産者と消費者を市場で上手くつないで、これらを見極めるようにします。

こうしたシステムは極論すれば地域住民10人などの少人数でも(原理的には)成り立ちます。要はこのプランに沿って任意の地域共同体内にエコ自治協会とエコバンク、エコ生産者を作って、それらをきちんとリンクさせた「関係性」を作れば良いのです。『Eマネー』はこの3者の関係性を潤滑にするための、血液のようなものです。

日本円はしばしばどこかに溜め込まれるため、不景気になると市場に出てこなくなります。また、日本円の市場は外から大資本が大量に仕入れた安いモノを流したりして、地場モノが売れなくなったりするので、地域経済を破壊するリスクがあります(実際に近年そうしたことがよく起こっていますよね)。Eマネーが流れる地域エコ市場(エコマーケット)は、そういう日本円によるリスクから離れた市場なのです。

また、Eマネーは減価通貨なので強力な循環力があります。循環力があれば、どんなに少ないエコ商品でも、しっかりと利用されるようになります(もちろん商品がありふれていたり、質が低ければ市場原理で安くなりますが)。それが外部市場の不景気をものともしないEマネーの強さになります。減価するほうが強い。なんか不思議ですが、きっと使ってみるとそれを実感するようになるのではないでしょうか。

また、図からも判るように日本円の使用や「外部市場」すなわち資本主義の経済システムを規制することは全くありません。地域内のエコ経済システムと外部の資本主義経済システムはそのまま並立します。住民はどちらの市場も選ぶことができます。このようにEマネーによる地域エコ経済は何のイデオロギーも必要ありません。まあ、あるとすれば、もったいないイデオロギーとか、自然をもっと活用しようイデオロギー、地域の皆さんともっと繋がろう・助け合おうイデオロギーがあると市場に活気がでてくると思います(笑)。最近私達が忘れかけていた「和の心」を少し思い出すだけです。もちろん、この思い出しも(当然ですが)強制ではなく一般住民は思想的・倫理的に何も無理する必要がないのもこのシステムの特徴です(ただ、自然と意識の変革はおきるでしょう)。

また地域で作られたエコ商品は、地域外でも価値があれば、資本主義経済で取引されます。今後も安全な食料の確保や燃料費の値上がり問題は続くでしょうから、あまった食料や燃料は今後日本円の市場でも結構価値がでるかもしれません。燃料電池の性能が上がれば、売電も可能でしょう。早めにエコ経済システムに移れた地域はもしかすると日本円的にも今後儲かるのではないか、などという想像もあります(ま、これは想像だけですが)。

ただし、燃料電池のようなものは、はじめはなかなか地域内で自給は難しいでしょうからこの部分は外部からの資材購入のために、やはり日本円の収入がいります。将来的には、下記に述べる、海水からの鉱物資源の抽出が軌道にのれば、半自給ぐらいまではできるかもしれませんが。

さて、ここまでで気が付かれた方もいると思いますが、このシステムは①資本主義経済で余ってしまう(不当に価値が低くなる)ようなモノがない、②Eマネーを受け取って働きたい(エコ商品をつくりたい)という生産者がいない、③Eマネーを使いたい自治協会員がいない、場合は成り立ちません。つまり、現在の資本主義経済でうまく行っているような地域は①~③の理由でエコ経済システムを受け入れないでしょう。

しかし、これまでにも述べたように基本的に資本主義経済(やその修正型の社会主義・共産主義社会)はいずれ行き詰まります。少なくとも大きな市場の崩壊を経験するでしょう。そしてそれは地方からはっきりと問題になってくるはずです(夕張の例のように)。そのような状況において、自分達の生活が、地域が崩壊してしまう!と自覚した人が、エコ自治協会や生産者協会のメンバーとなるのです。つまり今後訪れる世界規模のデフレ不景気で、農産物やその他生活必需品、労働力、農地、山林、など等が地元にあまっているのになんでこう貧しくなるのか、おかしいじゃないか、ということに多くの人が気付いたとき、じゃあエコ経済システムにしよう、ということになります。

具体的にはデフレであまったモノ、労働力(生産契約書)を担保にして、雇用の創出と市場に減価通貨Eマネーを流すわけです。そしてまず、生活の基盤になる農産物とバイオ燃料を作る生産者に融資し、雇用者の給料の一部~大半をEマネーで賄うことになるでしょう。また自治体職員にもEマネーで給料の一部~大半を支払えば、地域市場が活発化するでしょうし、日本円での借金を減らしつつ、生産基盤を拡充すこともできます。

そしてエコ商品が出回って、Eマネーで購入する人々や企業が増えれば、経済サイクルが回るに従って、地域内における日本円の重要性は徐々に薄れていき、Eマネーでほとんどの地域経済が動くようになるはずです。あたかもどろどろの悪い血(日本円)がさらさらの血(Eマネー)に置き変わっていくように。

重要なポイントは、Eマネーは減価通貨ですから、たくさんもっていてもモノがなければ、そのうち消えてしまうことです。ですから「ちょっとしたもの」でもエコマーケットでは結構売れるようになります。つまり、給料をEマネーで渡された消費者はエコ商品にとても「飢えて」いますから、エコ商品は作ると感謝されますし、それほど大したクオリティーでなくても満足してもらえます(但し、健康や環境に悪いものはエコバンクが担保として認めず、またそうでなくとも当然売れなくなります)。だから、これまでニートで技術がないからとか全然気にしなくて良い訳です。エコ生産者とかいうと何かご大層に聞こえますが、実際にはまあ多少なりとも価値があれば売れるはずだから下手くそでもいいから、とにかく作って(やって)みなさいな、という感じで『生産』が始まると思います(生産者協会というのはそういうことを促す互助システムでもあります)。実際、かつて減価する地域通貨を使ったオーストリアのヴェルグルでも、おばあさんがお手製のクッキーとかをマーケットで売ってみたら、結構売れて、生活ができるようになったという話があったと思います。

つまりEマネー(減価する通貨)を使った地域経済は人を選ばない優しさがあるのです。

また、自分が欲しいエコ商品が充分マーケットに出ていないときは、先にエコ生産者にEマネーを払いたい人も出てくるでしょう。Eマネーは箪笥や財布に取っておくとなくなってしまいますから、それなら、まあ良いエコ商品(サービス)を作る生産者に先渡し(投資)しておこうということになります。そこでエコバンクがこの投資に基づいて生産者と生産契約を取り交わします(つまり、投資者と生産者の債権と債務を仲介する)。もっとも簡単な投資は、農産物や比較的誰にでもできるサービスを担保にして、自分が食うために働けなくなった時のための「保険業務」に投資することでしょう。つまり年金や介護保険の代わりです。地域内に医者がいれば、医療保険も可能です。とくに日本円の保険が弱い、予防医学などもこの投資に最適な分野かと思います。

これにより、少なくとも資本主義経済の欠点を補完することができます。

ちなみに上記の生産契約がどうしても履行できなかった場合は、他に生産者が作ることのできる商品生産やサービスで代替してもらいます。これはきちんと自治体の長と生産者協会が本人が債務を履行できるよう熱心に指導します(それでもどうしても駄目な場合は、生産者協会全体で補填しますが、心情的な貸し借りが生じるでしょうね)。

あと残された問題は、農産物を作る土地と住むところをどうするかと言うことです。

それについては平和党の掲げる政策の「食源地貸出事業」「都市農業推進の都市計画、農業税制の優遇」「住タダ政策」を実施することで解決することができると考えています。とくに住タダ政策により不動産会社や土地所有者にどっと現金収入が生じますから、彼らが日本円を使ったり、エコバンクに供託・投資をすることで、生産者にもかなりの日本円やEマネーが供給されます。その結果農地や山林の開拓・改良・整備、燃料電池付きのエコ住宅建設などが進み、これらに携わる業界全体が好景気になると予測されます。

以上、今回はエコ経済の基盤作りに絞った図と記事なのですが、もう少し生産基盤や環境側のイメージが湧かないとやはり信用できない人もいるかもしれません。これはいつになるかはわかりませんが、後日また図を作成してみる予定です。

今はとりあえず、参考となる情報を羅列して紹介いたします。

ポイントは上の図の生産者脇に括弧付で示してある「海・山・里」の幸を生かしたエコ商品の生産です。海の幸・山の幸・里の幸、どれも丁寧に上手に活用して、人々が助け合って生きれば、石油がほんの少しでも生活できるでしょう。日本円がなくても、まあ、死ぬことはなくなります。(地震・台風のような自然災害、戦争に巻き込まれるなどがもっと大きなリスクになります。これについてはいずれ別の機会に)

まず「山の幸」は基本的には「木材」とくに「竹」です。今、山は荒れ放題ですから、人の手が入った方が良いのです。

・平和党ブログ:山の疑問とサンダルの喪失
http://blogs.yahoo.co.jp/heiwaparty/26358827.html

もう建築廃木材やその他セルロースからのバイオエタノールを作る技術はすでに実用化されています。

・環境省報道発表資料:建築廃木材を原料とする燃料用エタノール製造施設の竣工について
http://www.env.go.jp/press/press.php?serial=7859

・ホンダ:RITEとHonda、セルロース系バイオマスからのエタノール製造新技術を共同開発
http://www.honda.co.jp/news/2006/c060914.html

これを山林整備ででる間伐や下草刈り、増えすぎた竹林伐採で出る大量の「セルロース」で賄えば良いのです。
もちろん「里」からでる稲わら、廃材・紙ごみ等も原料に使えます。

また、バイオ燃料としてエタノールだけでなく、メタンを作るのも有効です。
メタンは下水汚泥、畜産系し尿、生ゴミなどを嫌気性細菌の力を借りて作れば、比較的簡単に作れます。

また、竹を使った建材開発も重要です。

「海の幸の大きさ」について知りたい方は以下の記事を見てください。

・四国産業技術研究会:養殖藻類からバイオエタノールを生産するプランの紹介文
http://unit.aist.go.jp/shikoku/kaiyou/kaiyou-kaiin167.html

・日本藻類学会:海藻肥料
http://wwwsoc.nii.ac.jp/jsp/pdf-files/40Fertilizer.pdf

・地質調査総合センター:鉱物資源としての海水
http://www.gsj.jp/Pub/News/pdf/1975/11/75_11_07.pdf

・Wired Vision:海藻からバイオ燃料を作る研究
http://wiredvision.jp/blog/autopia/200708/20070831125214.html

日本は国土が狭いので、海をどう活用するかで循環型社会ができるかどうか決まるといっても過言ではないでしょう。農業の持続可能性からいっても、どうしても海に流れ出てしまうミネラル分を肥料として陸上に戻してやる必要があります。

環境保全は、自然を陳列ケースに入れて眺めることではありません。
人と自然が仲良くなることです。
誰でも仲の良い友達なら、力になってやりたい、という気持ちがあるように、本当は地球もきっと人間のためになりたいと思っているでしょう。
近頃は、私たちがそっぽを向いたり、自然を友達ではなくて奴隷のように使っていたのが間違いだったのです。
仲直りするなら、早い方が良いです。

それから、自分に出来ることはやはり自分でやるほうが良いので、図の一番したには自家農園と自家発電があります(その他にサービス業を立ち上げてもOKです)。理想は地域住民の一人一人がエコ生産者になることです。そうすれば究極の分散型社会で、支配-非支配(雇用-非雇用)の構造が解消し、人々の関係はそのほとんどが「互恵的」なものとなります。

実はほとんど元手がなくても、種と土地、最小限の肥料さえあればエコ生産農家や個人の「自家農園」で、無農薬・化学肥料無用の不耕起栽培で、農産物を作ることはできるそうです。

・Arkテクノリサーチ:不耕起農法による農業革命で農薬・化学肥料をゼロに!
http://www.kyoto.zaq.ne.jp/ark/NOHGYO.HTM


エネルギー(発電・熱需要)についても、各家庭に燃料電池が入れば、バイオエタノールやメタンから水素を取り出して使うようになります。近年、ボトルネックだったエタノールから水素を取り出す方法も実用化一歩手前まできています。

・Wired Vision:小型で低コスト、エタノールを使った新たな水素生成装置
http://wiredvision.jp/archives/200402/2004021905.html

・東芝:非平衡改質によるエタノールからの水素製造技術
http://www.toshiba.co.jp/tech/review/2007/04/62_04pdf/rd01.pdf

どうでしょう。このような技術と上に示した地域のエコ経済システムの仕組みさえ整えれば、(初期導入時の多少の不便・努力を乗り越えれば)実はもう何にも縛られずのんびりと暮らせる循環型社会はすぐそこにあるともいえます。

ただし、技術だけでは、全ては解決できません。むしろどんな技術も、地域のエコ経済システムがあってはじめて循環型社会の構築に役立つといえるでしょう。上で述べたように地域のエコマーケットに大資本は入ってきませんから、まずはコスト面や商品の見栄えなどに拘らず「地域に必要なもの」を優先して作ればよいのです。目標と人材・労力を集中すれば、ある程度安定したエコ経済システムを完成させることは不可能ではないでしょう(また、こちらの「非電化工房」の方が言うとおり、今と同じぐらい電気が使えなくても、ほどほどに楽しい暮らしは知恵とセンスがあれば十分できると思います)。とにかく大切なことは、地域に持続可能な経済システムを作り、大資本等による刹那主義的なもうけ活動に市場独占されない環境を作ることなのです。大量生産・大量消費・大量廃棄で傷ついた地球環境もその結果として回復してくるはずです。

全ては【地産地消型経済】を地域民自身の手で作る意志を持つ、そこがスタートポイントです。また、大資本としてもこういう地域の経済システムが普及してこそ、燃料電池や太陽電池、マイクロ水力発電機、エタノール・水素化触媒、有用微生物開発・改良、バイオ燃料・水素・燃料電池で走る車、その他循環型社会の構築に必要な物資・製品を大手を振って作って儲けることができるようになるのです。

そして、最後に、以上のシステムを永続させるためには、政府に地域通貨の使用を認めさせ、日本円(だけ)による納税システムを変更してもらうようにする必要があります。そうでないと地域通貨を違法にしたり、人頭税や土地資産税として日本円支払の義務をかけるとか、そういうことをやる危険性があるからです(正確にはグローバル資本がそのようにするよう政府に対し圧力をかけてくる可能性がある)。

ここではどうしてもそうしたことに抵抗する政治力・政治グループが必要です。その実現を真面目に考えているのは(残念ながら?)いまのところ平和党だけです。

しかし、もっと多くの方々、政党にも、この事実に気が付いて、将来の政策を考えて欲しいと思います。

成功すれば、かなりゆったりと遊んで暮らせる生活がそのうち「誰にでも」やってくるわけですから。その中には権力者も商売人もグローバル資本を動かす「彼ら」も入ります。

地方という「周辺」からの革命。誰の首も切らない革命。エコ経済を採用した自治体に大勢のリーダーが生まれ、地域内の弱者が救われる革命。それが今世紀に起こすべき、そしてきっといつかどこかで起こるべくして起こるであろう革命だと思います。

問題はそれが大きな崩壊の前に達成できるか、どうか、それだけだと思います。

「思い出すこと」による革命

2007-11-05 22:29:29 | Weblog
長い時間をかけ、日本という「風土」に帰化し、土着豪族のサルタヒコと自らの祖をともに伊勢におまつりし、北方のニギハヤヒ系とも同じ天孫(騎馬民族)の血筋として手を携えて日本を治めていた天皇家(大和朝廷)が、飛鳥以降の「近年」になって半島や大陸からの遺臣・棄民を受け入れて(乗っ取られて)、その性格を変えていった。このプロセスというのは、日本が循環型分散社会から略奪型中央集権社会へと変わっていた転換期に位置づけられると思います(遅れた狩猟採取中心の社会が渡来人の文化によって近代化されたという解釈は恣意的なプロパガンダでしょう)。その過程で、「ヲシテ」のような数千年の歴史に支えられた当時の先進的持続型文化・哲学が失われていったようです。
http://julian.way-nifty.com/woshite/2006/04/post_9a50.html

さらにそれを徹底的に踏み潰したのが、奈良時代以降本格化した漢民族の傭兵を使った地方豪族・住民の虐殺・奴隷化・囲い込みです。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%9D%82%E4%B8%8A%E6%B0%8F
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%86%E3%83%AB%E3%82%A4

これ以降、公家や天皇家が「ケガレ」と「祟り」を異常に恐れるようになるのは、内部の派閥闘争の激化に加え、地方民の虐殺に係った罪の意識があったからではないでしょうか。しかし当時、外来の律令的思考に染まった人々には、支配権闘争で滅ぼした地方の犠牲者を神として「祈り奉る」思想はすでになく、蝦夷地に対してはこれまた渡来の「呪術」によって、亡骸の埋めた地面を踏み固め、祟りを押さえようとしたようです。

その名残は、岩手県奥州市の「江刺」(=夷刺・夷裂)という地名と当地に残された祭り「鬼剣舞」の形態に見ることができます。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%AC%BC%E5%89%A3%E8%88%9E
>>>この踊りの独特の歩行に、修験道の鎮魂の呪術のひとつ「反閇(へんばい)」がある。陰陽道で用いられる呪術的歩行のひとつで、「大地を踏み悪魔を踏み鎮め、場の気を整えて清浄にする目的で行われる舞い」・・・<<<

「鬼剣舞」は、被征服者である子孫が征服者の格好(鬼仏)に扮して、殺された先祖に対して「鎮魂の呪術」を行うという複雑な側面を持っています。
しかしながら、この「鎮魂の呪術」は時が経つにつれて自ずと「復活の祈り」に変貌していると見ることもできます。それは例えば、以下のような宮沢賢治の詩から読み取れます。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8E%9F%E4%BD%93%E5%89%A3%E8%88%9E%E9%80%A3
>>>・・・菩提樹皮と縄とをまとふ 気圏の戦士わが朋たちよ 青らみわたるこう気をふかみ 楢と椈とのうれひをあつめ 蛇紋山地に篝をかかげ ひのきの髪をうちゆすり まるめろの匂のそらに あたらしい星雲を燃せ・・・<<<

東北の祭りや文学・芸術に、単なる華やかさや優しさだけでなく、地の底から湧き上がるような地霊の唸りがあり、また輝くような清浄さとともに深い「死の影」があるのは、上記のような背景と無縁ではないでしょう。なぜ、「ねぶた」で侵略者である坂上田村麻呂の山車を押して地を踏み跳ねるのか、宮城や岩手には、なぜ坂上氏が創建した「寺社」が多いのか。これを「謎」と呼ぶには、あまりに「あからさま」ではないでしょうか。

日本に失われたヲシテの心を復活させ、循環型の分散社会を実現することが、東北の地に眠る魂を真に開放することと思います。また、そのことが皇室を否定せずに、「本来の姿」に戻っていただくための環境作りになるのではないでしょうか。

そもそも(ヲシテ文献の通りならば)ヒタカミ(東北)のタカミムスビ家は、ヲシテが守られていた頃の皇室の成り立ちに深いゆかりのある血筋です。ならば、子が親を「思い出す」ように「そこ」に戻ることはできるはずです。


全ては「思い出す」こと。そこから革命が始まるでしょう。


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ちなみに、私の祖父の出身地は、栗駒山の宮城県側の麓です(アテルイが坂上田村麻呂と戦った土地にもかなり近い)。
亡き父の遺灰の一部は、栗駒山のとある祠の近くに撒きました。

上記のようなことに気が付くのも単なる偶然や郷土への思い入れ以上のものがありそうな気がしてしまいます。

映画「千と千尋の神隠し」で自分が何者かを忘れた「優しくて、愚かな」龍のハクが本当の名前を思い出したように、これからも気が付く人がどんどん増えれば良いなと思います。

ちなみに、ハクの本名は「ニギハヤミ コハクヌシ」だそうです(あえてニギハヤヒにはしていないところは宮崎駿のウィットでしょう)。

奈良盆地周辺の古墳から出土する琥珀の多くが、岩手県の久慈地方から運ばれたものであることが、最近の化学分析で判ってきたようですね。
http://www.kuji.co.jp/amber/rekisi.html

コハクの道(川)を幸せの道(川)に戻すために、脱律令制の自然主義経済を東北の地で!