減価する通貨が導く近代超克への道

自然破壊、戦争、貧困、人心の荒廃・・・近代における様々な問題の根本に、私たちが使う「お金の非自然性」がある

昭和受難者の本当の気持ちとは

2006-08-16 15:28:17 | Weblog
木走日記さんに月刊Will8月号に掲載されていた「百人斬り競争」野田元少尉の手記(南京軍事裁判での死刑判決後に書かれた遺書)の抜粋が紹介されている。
(「百人斬り競争」や手記の詳細についてはぜひ元のブログを見て欲しい。http://d.hatena.ne.jp/kibashiri/20060808/1155021588

紹介されていた野田元少尉の手記をここにも転載する。「百人斬り競争」の事件が事実か否かはともかくとして、まずは読んで欲しい。

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『月刊WiLL 8月号』より12月28日の該当個所を引用。

一。日本国民に告ぐ

 私は曽って新聞紙上に向井利明と百人斬競争をやったと云われる野田毅であります。自らの恥を申し上げて面目ありませんが冗談話をして虚報の武勇伝を以て世の中をお騒がせし申し上げた事につき衷心よりお詫び申上げます。「馬鹿野郎」と罵倒嘲笑されても甘受致します。

 只、今般中国の裁判に於て俘虜住民を虐殺し南京に関係ありと判定させられましたことに就ては私は断乎無実を叫ぶものであります。

 再言します。私は南京に於て百人斬のをやったことはありません。此の点日本国民はどうか私を信じて頂きます。

 たとい私は死刑を執行されてもかまいません。微々たる野田毅の生命一個位い日本にとっては問題でありません。然し問題が一つ残ります。日本国民が胸中に怨みを残すことです。それは断じていけません。私の死を以て今後中日間の怨みや讐(あだ)や仇(かたき)を絶対にやめて頂きたいのです。

 東洋の隣国がお互いに血を以て血を洗うが様な馬鹿げたことのいけないことは常識を以てしても解ります。

 今後は恩讐を越えて誠心を以て中国と手を取り、東洋平和否世界平和に邁進して頂きたいです。

 中国人も人間であり東洋人です。我々日本人が至誠を以てするなら中国人にも解らない筈はありません。

 至誠神に通じると申します。同じ東洋人たる日本人の血の叫びは必ず通じます。

 西郷さんは「敬天愛人」と申しました。何卒中国を愛して頂きます。

 愛と至誠には国境はありません。中国より死刑を宣告された私自身が身を捨てて中日提携の楔となり東洋平和の人柱となり、何等中国に対して恨みを抱かないと云う大愛の心境に到達し得た事を以て日本国民も之を諒とせられ、私の死を意義あらしめる様にして頂きたいのです。

 猜疑あるところに必ず戦争を誘発致します。幸い日本は武器を捨てました。武器は平和の道具でなかった事は日本に敗戦を以て神が教示されたのです。

 日本は世界平和の大道を進まんとするなら武器による戦争以外の道を自ら発見し求めねばなりません。此れこそ今後日本に残された重大なる課題であります。それは何でしょうか。根本精神は「愛」と「至誠」です。

 此の二つの言葉を日本国民への花むけとしてお贈り致しまして私のお詫びとお別れの言葉と致します。

 桜の愛、富士山の至誠、日本よ覚醒せよ。さらば日本国民よ。日本男児の血の叫びを聞け。

(月刊WiLL 8月号 P.220~P221より抜粋)
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確かにこれは血の叫びである。私は本当に胸が締め付けられる思いがする。

そして今靖国神社に祀られているいわゆる戦犯(=昭和受難者)の方々が、当時どのような気持ちを抱いていたのかを改めて考えている。

中国や韓国(そして米国)の理不尽な批判に、まっとうな態度で批判し返すことはもちろんこれからも重要である。国際社会における日本人の「名誉」のための戦いは、未来永劫続けなければならないだろう。また、先の大戦で亡くなった英霊に祈りを捧げることは国民の義務であり権利であることも間違いない。

しかし、もし私たちが中韓に対する「面子」だけにこだわって首相の靖国参拝や今後の強硬姿勢を望んでいるのだとすれば、私たちは二重に父祖のメッセージを読み違えてはいないだろうか。

私たちが望むべきは、「首相の靖国参拝」ではなく、なるべく多くの「一般国民」の靖国(護国)神社への参拝ではなかろうか。そのための神社のあり方の検討ではないか。

また国際的には「死を賭してでも」、日本と周辺国関係の安定を図り、繁栄の基盤を築く決意こそが必要なのであり、その決意に基づいた不屈の戦略を練ることが重要ではなかろうか。

冷徹に他国の謀略に巻き込まれないための国防戦略が必要なことは間違いない。しかし(だからこそ)、怒りで我を忘れ、面子を保つためだけに父祖の命を無駄にすることがあってはならない。

本当に私たちが耳を傾けなければならない言葉は、今多くの雑音やフィルターによって遮られている。

私たちはまずこの現実に気づき、言われなき批判と戦いながらも、日本の父祖の本当の心を後の世に伝えていくべきだ。

日本が本当に平和主義だというならば

2006-08-14 13:46:13 | Weblog
今こそイランやレバノン、イスラエルに出かけていって、人間の盾とやらになって、反戦・反核運動をすべきではないでしょうか。

彼の地は今や最も核兵器が使用される確率が高いわけですから、ここで活動し、それを命を張って阻止したとあれば本気で世界中から尊敬されると思います。

また、日本政府はイランやヒズボラを支援する北朝鮮や中国に離間工作を仕掛けるべきだと思います。それが「アザデカン油田」を守り、同盟国を裏切らず、イスラエルを先鋭化させない道だと思います。

しかし、どちらも無理そうですね・・・日本の似非左翼・平和主義の皆様へ

<参考>
世界史に見られるランドパワーとシーパワーの戦略VOL113
http://npslq9-web.hp.infoseek.co.jp/sls113.html

麻生氏論文と政教分離

2006-08-09 01:20:37 | Weblog
麻生氏の靖国神社の非宗教法人化案ですが、一言で言って、私の思っていたものと違いました。

主張に頷ける部分はありますが、基本が違います。

また、発表の時期が悪いです。これでは、何を言ってもやはり政争の具にしたと思われるのではないでしょうか。

色々書きたいことがあるのですが、時間がありません。

まず、私は靖国神社と国家神道について先のエントリーで色々と浅学で無責任な言葉を書き連ね、訂正すべきと思いながら、訂正していない部分がありました。安易に陰謀論に結び付けてくだらぬ造語で讒言したことを取り消し、ここに深くお詫びします。よって、当該エントリーも削除します。

国家神道は、国家神道の正当な役目があったと思います。それが例え今の私から見て望む形ではなかったにしても。

さて、麻生氏は「政教分離」の原則で、靖国を非宗教法人化するとしていますが、鎮魂に宗教は大切です。これは危険な選択と思います。
私が願っているのは、国家神道の教義「だけでない」鎮魂施設の設置・宗教のあり方であって、鎮魂における宗教の否定ではありません。

しかし、英霊の鎮魂を除けば、てっくさんの言うように、もっと政教分離をしっかりやるべき分野があるんです。
創価学会と統一教会、これらと政治の決別こそ、早急にやるべきです。

結局私は、政治や教育に宗教が過剰に関与するのが国家神道でも、創価学会でも、統一教会でも、とにかく嫌なのです。

そんな偏狭な宗教に拘って、国内プロパガンダをやるのは、日本人らしくないと思うのです。偏狭な宗教に拘るから、かえって英霊の鎮魂に必要な条件としての宗教心を曇らせるのです。

とりあえず言いたいことはそれだけです。


んー

2006-08-08 23:25:04 | Weblog
酔っ払って書いたエントリーは、多少修正しても、やっぱりおかしいので公開中止しました。。。

国生む融合、星生む苦悩

2006-08-06 00:32:06 | Weblog
縄文と弥生の文化が長い時間をかけて融合し、日本の基礎ができたように
前世紀から続いたアジア主義の陰と陽が今世紀日本で融合していく。
これが、日本の英霊達が願ってやまない夢ではなかろうか。

大和の時代から、陰陽共に鎮魂の祈りを捧げ、八百万の神として祀ってきた日本。
星生む苦悩があるとすれば、それは日本に課せられた使命ではなかろうか。
今こそ心を静め、先祖の魂の声に耳を澄ませたい。

神風は常に負けずに努力する人に吹く

2006-08-05 16:53:53 | Weblog
ユダヤ国際金融資本・統一協会などの陰謀論周辺を調べて、気づいたことがあります。

それは、「嫌中韓」を煽る人々と同様に「嫌米・嫌ユダヤ」を煽る人々がいかに多いかということ。

私は、統一協会と一部政治家のつながりはあると思っていますし、アメリカの思惑は日本への「改革要求」などを通して、表にも裏にも強い影響を与えていると思います。

しかし、それを世の中ではなんでもかんでも「ユダヤの陰謀」とかにしたい人がいるんですね。
http://www15.ocn.ne.jp/~oyakodon/newversion/sinbunterebiiranaiyo.htm
http://www.amazon.co.jp/gp/product/4198618747/249-4618857-9209951?v=glance&n=465392

アポロの月面着陸も9・11も「全て」ユダヤのでっち上げ・・・
これら事件に係る大勢の関係者・目撃者・犠牲者・専門家・etc.をどうやって全て騙す(or始末する)のでしょうか?不自然なところがあれば、それは全て「陰謀」ですか?

私は陰謀の専門家(笑)ではないので、ここで細かい検証をするつもりはありません。ですが、陰謀ってのはもっとリスク対ベネフィットを考えて実施するもんじゃないですかね。素人が写真見て、陰謀とばれるようなことをユダヤがその少ない見返りでもって、大きなリスクと投資を承知したのなら、彼らはいかにも頭が悪い。少なくとも世界征服は無理なような気がします(笑)。

ただ「孝明天皇暗殺」とか「田中角栄失脚」に係る陰謀説は、陰謀を仕掛ける側のリスクに対するベネフィット、すなわち多少のリスクを犯しても、どうしてもそうしなければならない理由が納得できる、という意味で充分ありえそうな気がします。ユダヤかどうかは別にして(笑)

さて、過激な陰謀論者の危険なところは、もう限りなく可能性の低い「陰謀」とありえそうな「陰謀」、そして他人の健全な批判や推察、既存の事実などをごちゃ混ぜにして、主観的判断を下す、ということですね。

古今東西、政治の左右に係らず、事実の中に嘘(嘘の中に事実)を混ぜて、人を騙そうとするのは一緒ですな。

ユダヤ陰謀論者って、実は真の陰謀をたくらむ人に都合が良いのではないでしょうか。陰謀論者を使って、周囲の反感を煽って、まともな批判も同時に封じる。で、誰かが本当の陰謀に気がついても、もう周りは相手にしない。いわゆるオオカミ少年効果ですね。狙ってやっているとしたら怖いですね。ま、単なる電波な人も多いと思いますが。。。

しかしこの構造って、なんか「統一協会」の「チャンネル桜」注・重要!)や「在日」の「右翼団体」にそっくりですなぁ。

結局全ての陰謀は以下の格言に集約されそうですね。

『分裂させて統治せよ』


要するに中国も韓国もアメリカもどこの国も、すべて相手に隙さえあれば、必死に内部分裂のプロパガンダを仕掛けたり、買収しようとしているということです。日本や他国が自分の扱いきれない国にならないように。

だから、プロパガンダが悪いのではない。買収しようとするのが悪いことではない。
これらはどこの国も必死で自分が生き残るためにしている戦略の一つです。だから、当たり前の戦略にのせられているとしたら、のせられるほうがアホなんです。アホでないとすれば、彼らの「必死さ」に我々は負けた、といえるでしょう。

全てを陰謀論にしてしまう人は、この部分を一方的に見すぎなのだと思います(小林よしのり氏もかなりこの傾向が強いと思います)。自国に都合のよいときは当然の行為だと主張し、自国に都合の悪いことは陰謀やルール違反だといって責める。これではお隣の国を笑えませんな(笑)

相手に負けないような精神を作るには自己洗脳が必要な場合もありますが、どういう自己洗脳を施せば相手に勝てるか戦略を練る場合には、一度すべてを相対化して分析しないと勝てる試合も勝てなくなります。

結局、国際戦略は、麻雀と似たようなもので、基本的に勝ち負けに正義は関係ないのです。むしろ必要なのは、まず負けないという気持ち、そして自国に利益を誘導するための冷静な戦略、だと思います。熱い闘志と冷静な頭脳、そして一致団結したチームが、どのゲームにおいても最強なわけです。

相手があからさまなイカサマをするなら糾弾すべきでしょうが、プロパガンダや国民教育、経済的な取引や情報力などのソフトパワーも含めて総力戦で勝負をして負けたのなら、それはそれで仕方ない。次に負けたくないとすれば、なぜ、太平洋戦争で負けたのか、なぜバブルのようなハードランディングになったのか、その原因をまず冷静に分析した上で、国民を教育し、政治や行政のシステムを改善する。これが「負けが込まない」ための唯一の道でしょう。

日本は、戦前も戦後も麻雀でいうところの「理想的な上がり手」や「精神論」、あるいは頭の中での「確立論」などにこだわりすぎて、周り人の捨て牌や表情、イカサマをきちんと読むことを軽視していたと思います。麻雀は一人でやるものではなくて、他人との駆引きの中で勝負するものですから。国際的感覚で大切なのは、そういう取引の「カンと技」であり、多少汚い手を使っても「負けない」という強い意志でしょう。

もちろん、某国のようにあんまり汚い手やイカサマを使いすぎると回りから嫌われます(笑)。しかし、多少汚い手を使っても、ハコテンにならないようにすべきは国家の首脳の義務ともいえます。また、そのとき誰とつるんで勝ち残るかは、非常に重要ですね。大切なのは、相手にはっきりと「利益共有のビジョン」すなわち「ギブアンドテイク」ができることを提示することだと思います。

つまり、民族の誇りや伝統とは別に、国家戦略をしっかりと持たねばならないのです。
これに気がつかないと日本はまた、役満をふりこみそうな予感がします。

また、各国が日本に仕掛けるプロパガンダというのは、いうならば麻雀で「あんた背中がすすけてるぜ」(古)とかいって動揺を誘うようなものです。あるいは捨て牌の「迷彩」。全ては我々を怒らせたり、戦意を喪失させたり、混乱させることが目的です。

『分裂させて統治せよ』
この格言を忘れないことです。

たとえ駆引きに強い政治家を送りこんだとしても、相手に脅されて国民が戦意を喪失したり(思考停止やニヒリズムに陥る)、やけになって頭が沸騰してしまう(ショービズムや過激なイデオロギーに陥る)と政治家がどんな手を使っても勝てませんね。

日本は(他国に比べれば)エスニッククレンジングのような過激な民族闘争や宗教戦争、深刻な領土争いを経験していないため、とてもラッキーな国だと言えます。しかし、このことは良くも悪くも国際戦略において日本人を「お人よし」にしました。もちろん、これも日本の伝統であり、簡単に捨ててはいけない部分もありますが、グローバリズムが進む現代では日本人のこの経験不足は大きな「リスク」になっています。

大東亜戦争を始める前も日本はラッキーであったと思います(他のアジアや第三世界の国々に比べて)。しかしそのラッキーが瓦解したとき、国民の不満が暴走し、また、多くの人が思考停止に陥ったのだと思います。そして、それが更なる不幸を招いた原因と思います。あの時もう少し日本が冷静で、最後まで自分の頭で物事を考える人が多ければ、各国の仕掛ける分裂策戦に気がついていれば、例え戦争が避け得なかったとしても、その後遺症はもう少し軽くて済んだのではないでしょうか。

また戦後も冷戦構造というラッキーが続いたおかげで、経済は回復したけれども、日本の国際感覚はずれたまま、あるいはより悪化してしまいました。もちろんその原因の一つに戦後のアメリカの戦略があったわけですが、結局そこを修正するのは日本人自身の手でやるしかないと思うのです。日本で今一番危険だとすれば、まさにこのことに気づかないまま、一部の人がショービズムや思考停止に陥りかけている、ということです。

また冷戦中は隣のアメリカというおっさんが麻雀卓の下から良い牌も回してくれました。でも最近おっさんが回してくる牌はちょっと変です。そのせいで「バブル」というマンガンを振り込まされてしまった(笑)。これはまさに冷戦が終わって、風向きが変わった証拠です。しかし、だからといって短気を起こして「嫌米」プロパガンダに載せられるのは危険です。おっさんはきちんと付き合えば、なかなか気前が良いという利点があります(そしてぼったくるときも、がっさりと取る(笑))。

日本としては、まずは国際戦略としての「タフさ」をなんとか取り戻すこと、そして多少負けてもすぐにめげたり、冷静さを失ったりしない国にすること。これが大切です。小さい頃から英語を教えるとか、そんなことは二の次、三の次です。小さい子に教えるべきことがあるとしたらそれは「負けないこと」と「しっかりと自己表現できること」と「相手の意思を確認すること」ですね(もちろん、自己表現できるだけでなく、その「中身」が重要であります。このことについてはまたいずれ)。

麻雀で誰も犠牲にしないという孤高の理想を掲げても、それはナンセンスです。また、どんなに腕を磨こうとも、一人で連戦連勝することは難しい。国際戦略の「タフさ」とは、ゲームルールの理不尽さを認めながらも「私は負けない」と思える大人な感覚と態度を身に着けることです。

ユダヤ国際金融資本は、「近代」という麻雀卓で、ときに汚い打ち方をしながらも、うまく左右の面子を戦わせたり、味方につけたりして生き残ってきた「タフプレーヤー」です。伝統的な不運が、彼らをタフなプレーヤーにしたのでしょう。生き残るために、多少汚いこともやってきたので恨まれてもいる。しかし、うまく付き合えば、強い助っ人になってくれる。その際に注意すべきは、利益を純粋に判断する人とは付き合っても、「ハルマゲドン」などのカルトに染まった人は避けるという観点です<参考:世界史に見られるランドパワーとシーパワーの戦略VOL112>。

江田島孔明さんがしばしば他のブログなどで語るシーパワーの「管理すべきリスク」とはこのことを指すのだと思います。バブルで日本がアメリカに振り込んでしまったのは、アメリカを操る彼らが我々よりも一枚上手だったわけです。また負けたくなければ、彼らに飲み込まれず、逆に彼らを味方につけつつ、そのリスクを他に回すぐらいの政治家や実業家を我々は送り込まなければなりません。それができなければ、政治家の良心などに関係なく、私たちはまた負けるでしょう。

中国は、伝統的に「ラフ」なイカサマプレーヤーです(笑)。イカサマに気がついたときはきちんと怒るべきです。できれば罰金もしっかり払わせたいところです(笑)。日本にとって、中華思想を捨てない全体主義国家と共闘するメリットは少なく、非常にリスクが高いことには変わりありません。また、イカサマをしてでも強引に場を自分に引き寄せようとする力は日本より上ですから、とにかく気をつける必要があります。

今までは幸運やアメリカに頼りすぎてきた日本はある意味「腕を磨く」ことをサボってきたわけです。風向きが変わって、神風の力が弱まった今、これから日本はいろんな局面で負けを経験する、これはもう覚悟するしかないと思います。

しかし前にも書いたように、日本はまだ世界のなかでは「持てる国」です。技術、経済、人材、情報、伝統、モラルなど国際戦略という麻雀ゲームで「使える牌」は、今も日本はたくさん持っているわけです。これはまさに我々のご先祖様ががんばったおかげです。

あとは活用法と「気持ち」の問題なのです。我々に良質の配牌を与えてくれた天と先祖に感謝しながら、他国の分裂工作を受け流し、有効な「戦略」を練り、多少負けても次は絶対勝つという「意志」を持ち続けること。これが今の国民の務めでしょう。負けてもハコテンにならなければ、風向きが良くなるときはきっと来るはずです。

神風は常に負けずに努力する人にだけ吹くものなのです。

そして、最後に国際戦略と麻雀の決定的に違う点を指摘します。実際の麻雀では、全プレーヤーが持っている点棒の数は一定です。つまり、誰か一人が勝ち残れば、他には何も残らない「ゼロ・サム」の戦いです。しかし「地上」という雀卓を囲む戦略では、プレーヤーの点棒はゼロ・サムではありません。

地上の点棒(資源や金銭所得)は、その当事の貨幣価値、技術力、発見や知識、そして人々の価値観や社会体制などによって増減するのです。

日本として重要なことは、地上の点棒を、自分たちの技術やアイデアでいかに増やすことができるか、それでもっていかに世界に貢献できるか、これをビジョンと成果で示すことです。「技術立国」や「持続可能な社会構築に役立つノウハウや考え方」、「日本の伝統文化や風土」「差別のない国民性やモラル」などのコンセプトは、そのような国際戦略の視点で述べられるべきなのです。

上記のビジョンを心情的サヨクのお題目ではなく、しっかりと「タフ」な国際戦略として宣伝(プロパガンダ)し、そこで得られる成果を日本の協力者に優先的に還元する、というべきなのです。過剰な「ゼロ・サム・ゲーム」の危険性を訴えようとするならば、まずは日本が戦略的に成長して、生き残り、多くの味方に利益を供与することができる、そのビジョンと実績を示すことなのです。国際的な信頼とはそうやって勝ち取るものなのです。

以上、最近の私のエントリーで繰り広げた稚拙な陰謀論に対する反省とコメントへのお答えとして。

<とっても参考になったご意見>
地政学を英国で学ぶ
「日本はラッキーな国である」
http://geopoli.exblog.jp/m2006-08-01#5405522

非国際人養成講座
「人材育成が日本の一番の課題」
http://hikokusaijin.seesaa.net/article/21751108.html

p.s.イスラエルが最後の引き金を引かないように願います。

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修正:エントリーのタイトル変えました
追加:自己表現できるだけでなく、「中身」の重要性について示唆。要するに日本の伝統と風土への理解についてですが、これはまたいずれ。

注・重要!:「チャンネル桜」と「統一協会」は全くの無関係と判断します。上記で両者に関連あるがごとく述べていますが、これは当方が全く間違った情報ソースに依拠したものでした。ここに深くお詫び申し上げ、全面的に訂正、撤回いたします

また、「チャンネル桜」が母体となって進めている映画作成「南京の真実」ですが、本ブログも支持いたします。
http://www.nankinnoshinjitsu.com/


米国等で活発化する「南京問題」に係る中国ロビーの活動に対し、日本からも正確な歴史検証に基づく情報発信をするべきです。政府その他関連機関がこの問題に対して後ろ向きである中、誠実に「南京問題」の情報発信に取り組む「チャンネル桜」の活動は極めて重要であり、上記のお詫びをかねてここで支援を表明する次第です。

<参考情報>
http://klingon.blog87.fc2.com/blog-entry-166.html#comment1447

また、本件の誤報等を鑑み、しばらく本ブログの活動を休止いたします(2007/3/19)。